幻想々話 - 種は、受難に耐えて   作:荒木田久仁緒

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大輪の夜


 

  漆黒の闇を切り裂いて、渦巻き舞い散る紅い光弾。

  光の間で(ひらめ)く刃が、打ち合わされ、空を斬り、時に乾いた音で影を絶つ。ざあと梢を鳴らして竹が落ちる。

 

  静寂の闇夜に、突如上がった決闘の幕。

  立ち会う者の姿はない。ただ竹の隙間の向こうから、いくつかの視線が遠巻きに、戦いの行方を見守っていた。

 

 

 

 

 

────拍子抜けだな。

 

  数合、爪と牙を交わした後、すでにムジナは鼻を鳴らして薄ら笑っていた。

 

  かつて竹林のヌシだった、女の母親──白縫(しらぬい)は、強かった。

  人狼の力は満月がピーク。逆に新月の日は、人間に毛が生えた程度の力しかない。そういうもののはずだった。

  けれど彼女は、新月であっても、そこらの妖怪には劣らない力を有していた。さらにはどこで習い覚えたのか、一部の上級妖怪が使うような術のたぐいも幾らか身につけていた。ある日ふらりと現れて、この竹林に居座った得体の知れない人狼を、目障りに思いながらも手を出せなかった理由はそれだ。

 

  ゆえにムジナは、人間を利用して──半人の身ゆえか、白縫は彼らに対しては妙に甘いところがあったので──罠にかけることで、彼女を排除することを計画し、そしてそれは成功した。

 

  絶対に勝てないとは言わないまでも、まともに戦いたくはない相手だった。だから、いつかその娘が成長し、縄張りを奪い返しにくることを、今までずっと恐れ続けてもいた。

 

  けれど、時を経てやってきた娘の力は、母親には遠く及ばなかった。

 

  そもそも、先ほど対峙した時からして、たいした妖力ではないのは察していたのだ。それでもあれだけ大口を叩くからには、少しは手ごわいかと警戒していたのだが。

 

  体術だけは鍛えているようだが、やはり地力の差は残る。満月ならばいざ知らず、新月の今、まともにムジナの相手にはならない。続けざまに弾幕を広げて牽制し、時にムジナのスキを狙って踏みこんできたりと、なんとか戦いの体を保ってはいるものの、実質は防戦一方だ。

 

────じゃあやっぱり、保険、てことか────

 

  スペルカードの枚数、一枚の意味。

 

  相手を倒せないままカードがなくなれば、そこで自動的に負けとなる。つまりカード一枚の場合、どちらかがカードを切った時点で、その直後に決着がつくことが確定する。

  決闘としてはあまりに半端で、妖精どうしの戯れでもなければ、まず採用されることはない枚数なのだが────逆に言えば、カードを切ることで、強制的にその決闘を打ち切ることができる、ということだ。

 

  スペルカード決闘法は、命の獲り合いではない。だから、負けた相手にさらなる攻撃を加えたり、相手を死に至らしめようとしたりすることは、禁じられている。

  (ただ)し、戦いである以上、不慮の事故は覚悟する事。

 

  その、不慮の事故を回避するために。

  身の危険を感じたところで、決闘から引き上げるための、命綱。

 

  もちろん、カードを切らずに、普通に負けを宣言してもいい。ただ、それはあまりにみっともない。妖怪にとって、評判というものは、人間以上に大切だ。せめて華々しい見せ場は作った、という言い訳は欲しい。

 

────小賢しい。だったら宣言する間も与えずに……(  )不慮の事故(  )を起こしてやるまでだ。

 

  縦横に爪を振るって間合いを制し、ときおり放つ光弾で逃げ道を絞りながら、じわじわと女を追い詰め、ムジナはその機会を待った。

 

 

 

 

 

  歪んだ顔を冷や汗で濡らし、逃げるように竹林を跳ねまわりながら、必死にムジナの爪を払いのけていた女が、また一歩うしろへ退がったとき、それは来た。

 

  日暮れに降った、雨の残滓(ざんし)

 

  地面の小さなくぼみの中に、いまだに乾くことなく濡れ落ちていた、竹の葉を踏んだ女の靴が、ずるりと滑った。

 

「あっ!?」

 

  驚愕する顔から思わず発した声と共に、その体が大きくよろめく。

 

 

────もらった!!

 

 

  一気に深く踏みこみ、ぎぃと牙を剥いて笑ったムジナの爪が、女の胸の中心めがけて鋭く放たれる。

 

 

  一撃だ。

  一撃ならば、事故の名目は立つ。

  新月の、(やわ)な人もどき一匹、この爪の一突きで。

  カードも、敗北も、宣言などする暇はない────!!

 

 

  死神の鎌のような爪の先端が、女の心臓を貫く寸前。

 

  突如、引き裂かれようとした服の下で、小さな、けれど強烈な妖気が爆発し、その爪を弾いた。

 

「何!?」

 

  胸元に仕込まれていた不測の障害に、ムジナはわずかに体勢を乱す。そして謎の妖気の壁は、その一瞬のみの輝きで、粉々に砕けて飛び散り、消え去った。

 

  絶体絶命の一撃を免れた女の体は、けれど衝撃で完全にバランスを崩し、後ろ向きに倒れかけている。ならばとムジナは無理やり身をひねり、もう片方の腕から繰り出された二本目の爪が、今度こそ何にも阻まれず、一直線に夜の闇を貫いた。

 

  しかし。

 

  逆立つ眉の下でかっと目を見開いた、けれど意外にも冷静な顔が、踏みとどまろうとすることなく、倒れる背中をなおのけぞらせ、鼻先一寸でムジナの爪をかわした。

 

  そして、同時に。

 

「……(  )パッションフラワー(  )

 

  静かに響いた宣言と共に、女の指先に現れた(ふだ)

  それが白く燃え上がり、光の玉となって放たれる。

 

  ムジナに向かって────ではない。

 

  竹薮の上方、何もない中空に向かって。

 

「────!?」

 

  反射的に、ムジナの視線はその光を追った。女は射出の反動を利用して地面を手で打ち、蜻蛉(とんぼ)を切って更に後方へと跳ぶ。

 

  とどめを逃し、宣言を許したムジナは内心舌打ちをする。

  すでにカードは放たれた。この決闘は、それが終わるまでの勝負となった。

 

  突ききった爪を戻すほどの間もない、戦いの刹那に生まれた小さな空隙の中、ムジナの考えが揺れた。

 

  ────カードは一枚。これをやりすごせば、決闘は自分の勝利で終わる。

  同時に、それ以上の攻撃もできなくなる。いずれほとぼりの冷めたころ、今度は満月の夜にでも、挑んでくるのは目に見えている。

 

  ピーク時の人狼の力は侮れない。負けるだけならともかく、何か傷を負わされないとも限らない。

  できるならば今この時、事故を装って息の根を止め、後顧(こうこ)(うれ)いを絶っておきたい。

 

  ここまでのやりとりで、相手のほどはわかっている。

  弾幕にせよ、肉弾にせよ、当たったとしても、新月の今ならば大きなダメージを与える力はない。

  しかし、ダメージがなかったとしても、当たり方によっては、こちらが負けを認めなければならない────

 

 

  どうする────?

 

 

  保険と見切って追撃し、絶命を狙うか。

  勝利のために、ここは退がるか。

 

  その一瞬を、ムジナは迷った。

 

 

  そして、直後に気づく。

 

────符名の詠唱が、なかった────

 

  スペルカードの種類を示す、符名。

  多くは(  )火符(  )(  )水符(  )のように、属性を現すもの。他にも、特に弾幕ではその形態を表現したものであったり、既存のカードの模倣あるいは発展として名を継ぐこともあるが。

 

  それがない、ということは。

  他に類例のない、特殊で強力な技ということ────

 

 

  何だ────?

 

 

  さらにもう一瞬、ムジナはその光を見つめた。

 

 

  光は、動かない。

  ただふんわりと中空に浮かび、あたりを照らしだしている。

 

  静かに、けれど明るく、強く。

  夜に皓々と輝く、真円の光。

 

  そう、それは、まるで────

 

 

 

  視界の端で、影が動いた。

 

「……っ!?」

 

  あわてて視線を下げた正面。光を放った女が跳んだ、その先で。

 

  細く紅く燃える、獣の瞳。

  闇を背に、なお黒い毛並み。じわりと裂けた口から覗く、真白な牙。

 

  しなった竹を、しっかりと足場に踏んで。

  全身をたわめて、力を溜めた、一匹の狼が。

 

 

「ば」

  かな、と続く言葉が、引きつった口から発せられるよりも速く。

 

  竹の弓が放った漆黒の矢が、深々とムジナに突き刺さっていた。

 

 

 

 

 

 

 

  竹林の満月は、ほんの数秒の命を終え、はらりと崩れて虚空へと散り、すべての光と動きが消えた。

 

  ただ、ふうぅ、ふうぅ、と何かを噛み締めた荒い呼吸の音だけが、ふたたび辺りを覆った闇の中に流れている。

 

  やがて、ぐは、と息と共にその何かを吐く音と。

  どさりと重いものが落ちる音が、夜の底に響いた。

 

 

  出しえぬはずの力を出しつくし、へたりこみながら人の姿に戻った女は、ぜぇ、ひぃ、と(かす)れた呼吸を繰りかえし、したたる汗と唾液をぬぐう力もないまま、それでも眼前の闇の中、地面に落ちた影をぎりりと見据えた。

 

  化けの皮が剥げ、土の上に横たわる、一匹の獣。

  それが死んだふりなどではなく、間違いなく絶命したことを、女の細い顎は知っていた。

 

「……っ…………た…………ゃ……」

 

  なお苦しげに続く呼吸の中に、ほそぼそと、声らしきものが混ざっていた。

 

「……った……。……やった……。

 やっ、たっ……! やった、よ……! かあ、さんっっっ……!!」

 

  しぼりだす、小さな叫びと共に、輝きもなく流れた涙が、地面に落ちる。

 

  それは果たして、誰に聴かせるためか。

  濡れた遠吠えが高く遠く、竹林を抜け、星の輝く夜空に届いた。

 

 

 

 

 

「見事」

 

  唐突に、背後から響く声。

  焦ってよろめきながら立ち上がり、振り向いた闇の中に、ぽおと光がいくつも浮かぶ。

 

  青白く燃える狐火に照らされて、金色の尻尾を背負った美女が、そこに立っていた。

 

「あなた、は……」

 

「久しぶり、と言うべきかな」

 

  どこか感慨を抱いた声で、そう静かに語る藍の後ろから、もう一人、ひょこりと影が飛び出す。

 

「そうですか? そんなに時間は経ってない気がしますけど。むしろ思ったよりも早かったですね」

 

  そう言う声の主を見て、女はまた、あ、と声を上げる。かつて一度取材を受けた、新聞記者の顔。

 

「どうも、そのせつは。早速ですが、まず一枚」

 

  言うが早いかカメラが構えられ、ぱっと辺りに満ちた(まばゆ)い光が、竹薮にすくと立つ女の姿を写し取った。

 

「そして取材を、と言いたいところですが、それはちょっと後で!

 まず安心させないといけませんので! またすぐ戻ってきます、では!!」

 

  突然の白光に目をぱちぱちさせる女が問いを発する間もなく、矢のように梢を切り裂いて記者は夜空に消えた。

 

「安、心? ……あっ」

 

  はっと何かに気づき、胸元に手をやって、首から下げていた紐を震える指で引っ張る。

 

  引き出された紐の先には、白い何かがついていた。

  ひび割れ砕けた、石のような物体。

 

  もはや何の輝きもなく、ただわずかに熱を残して火照るかけらに、女は惜しむように嘆息してから、それを両手でそっと包んで、ありがとう、と囁いた。

 

  それから、ふと顔を上げ、その向こうに立つ藍の視線が、自分の足元に向けられていることに、そしてそれの意味するところに気づいて、女は少し表情を曇らせつつ、こわばる喉から声を出す。

 

「あの……これは、その」

「……事故」

「え」

 

「不慮の事故、なのだろう。違ったかな?」

 

  幻想郷の新たな定め(ルール)──スペルカード決闘法は、命の獲り合いではない。

  だから、相手を死に至らしめようとすることは、禁じられている。

 

  但し。

  戦いである以上────不慮の事故は覚悟する事。

 

 

  女は藍の顔を見、倒れ伏すムジナの(むくろ)を見て。

  再び、藍の目をまっすぐ見つめて、しっかりと頷いた。

 

「そうか。事故ならば仕方ない」

 

  ゆっくりとまばたきしつつ、軽く高い調子で言ってから、藍はさらに言葉を続ける。

 

「それで、ムジナ亡き後、ここ一帯はお前の縄張りになる……ということで、間違いないか?」

 

「……ええ。ここは、私の住処(すみか)……もう誰にも、渡さない」

 

「結構。では、新たなヌシとして記録するため……名を、聞いておこうか」

 

  かすかな微笑みから発せられたその言葉に、女は一転、きょとんとした表情を浮かべた。

 

「……言ってなかった?」

「ああ、聞かなかったからな」

「そうだっけ……」

 

  女は、もう遥か遠い昔に思える日のことを、ぼんやりと思い出しながら首をひねっていたが、やがて凛とした顔で藍に向き直った。

  藍の背後、遠くのほうから、赤髪の娘の生首が、歓喜の表情で飛んでくる。

 

「じゃあ、改めて。私の、名前は────」

 

 

 

  人里のはずれ、暗く深く茂る、迷いの竹林。

  一匹の黒い人狼が、そこに住むという。

 

 

 

 

 


 

パッションフラワー / Passion flower

 

  中南米原産の常緑多年草。観賞用に、またハーブとしても広く用いられている。

  名前の意味は「受難の花」。和名はトケイソウ。

 


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