朝が明けた。雲ひとつない快晴である。本来なら平和に満ち満ちた素晴らしい朝だったのかもしれない。でもいろはたちの胸中は晴れない。
ここはアレルが泊まっている宿。アレルの母ルシアと祖父ディムは平和の到来を信じ、息子、そして孫の武勲をオルテガの御霊に報告していた。国王の口止めが無くても、母と祖父の顔を見るとアレルは言えなかった。本当の平和は来ていない。本当の巨悪は倒していない。喜ぶ二人の顔を見るのが辛かった。だからアレルは家族の食事を楽しんだ後、家から出て宿屋に行った。一人になりたかった。
だが、一人になりたかったと云うアレルの願いは適うことはなかった。マリスが来たのである。彼女はアッサラームから持ち帰ったお酒を持ってやってきた。ゾーマのことはあえて語らず取り留めのない話をしながら、ほろよい程度の酒を飲んだ。
そして自然と肌を合わせる。肌を合わせるのは、これが初めてではなかったが、今日は何か、いつもと違う夜であった。そして心地よい疲れが眠りを誘い、二人は体をよりそい、眠りに落ちた。
そして夜が明けた。マリスはシーツを体に巻きつけ、窓を開けた。
「ん~~! いい朝…とは言えないか」
窓から入る新鮮な空気を思い切り胸に入れて吐き出した。
「ん…なんだマリス、もう起きたのか」
「アレル、いい天気だよ。バラモスを倒してアンタと迎える朝を楽しみにしていたのだけど、ゾーマのせいで少し心は曇り空ね」
「そうだな…」
バスタオルを腰に巻いて、マリスの後ろから窓の外を見るアレル。晴れた空であった。
「まあ、雨でなくて良かった。少しは気も晴れる」
その言葉に答えるように、マリスはアレルの手を握った。
「…ねえ、まだ朝食まで時間あるよね…」
「ああ」
マリスはアレルに抱きついた。泳ぎ終え、二人はベッドの上で抱き合っていた。マリスはやはりゾーマが恐ろしいのか、アレルから離れなかった。
「ねえ、アレル…」
「ん?」
「行くの? ゾーマのいる世界…」
「…正直、彼がこちらの世界に何の危害も及ぼすことがないのであれば、行かないと思う。その異なる世界にもいる人間たちが立ち上がれば良いだけの事だからな。異世界に行ってまで勇者を気取ることもない。しかし、彼は異なる世界にいながらナジミの塔を瞬時に破壊し、発する邪気ひとつで人々を恐怖に戦慄させた。このまま放っておけば彼はこちらの世界に侵攻を開始するかもしれない。そんなことをさせたら、俺たちが命がけでバラモスを倒したことが無意味になる。マリスやいろはやステラ、カンダタやホンフゥと歩いた道のりが全部無駄になるんだ…。俺はそんなの嫌だ…」
アレルの胸板に顔をうずめて、聞き入るマリス。そしてアレルの気持ちが痛いほどに分かる。自分もあの旅が無意味になるのは耐えられない。掴み取った平和で、もっともっとアレルと一緒にいたい。いっそゾーマのことなど忘れて、二人でどこか田舎の町や村でも行きたい気持ちだった。でもそれは言ってはならない言葉だった。
「だが…いろはが言うように、ゾーマがいるのは異世界。帰ってこられる保証はない…」
「アレル…」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「よう起きていたのか」
アッサラームの妓館の露天風呂につかっていたカンダタにホンフゥが話し掛けた。つい昨夜はこの露天風呂で二人は七人もの女たちを侍らせ、はしゃいでいたが今は男二人だ。朝になってみると昨夜の馬鹿騒ぎが虚しく思えてくる。
風呂に入ると同時に『うい~』と云ううめき声を気持ち良さそうにあげるホンフゥを見てカンダタは苦笑した。
「年寄りくさいヤツだな」
「うっさい。ああ…そういえば、カンダタ。おまえ、この町の生まれだろ?」
「ああ、俺のお袋はアッサラームの娼婦だった。だが息子の俺が母親と同じ生業の女を買い、同じ町で抱いているなんて、何とも酔狂な話だ。だが昨日は女の肌で眠りたい気分だった…」
「ああ、同感だな…」
朝焼けだった太陽が上がり始めた。まぶしい陽の光がホンフゥの目に入った。
「そろそろ朝飯だな。しかしアレルといろは、どんな結論を出すのやら」
と、ホンフゥ。カンダタは朝焼けの光が残る太陽を、ただ見つめていた。
「メシ食ったら、キメラの翼でアリアハンに向かうとするか」
「そうするか」
二人は露天風呂を後にした。
いろはとステラはアリアハン郊外の墓地に来ていた。そして墓地の端に小さな墓を掃除している老人を見つけた。
「おはようございます。レンドル様」
「おお、いろは殿にステラ殿か。過労で倒れたと聞いたが、もう大丈夫なのかの?」
「ええ、一晩寝たらすっかり。ところでそのお墓がイナホさんのお墓ですね」
「そうじゃ、良ければバラモスを討ったことを話してやって下さらんか」
イナホの墓は簡素だが綺麗に掃除され、花も新鮮であった。老人と故人の絆の深さが十分すぎるほどに理解できた。一応、墓を掃除する道具も持ってきたいろはとステラだったが、必要は無かったようだ。
「偉大な戦士の先輩…あなたの剣を、あなたの母国ジパングで鍛え直し、そしてこの剣でバラモスに必殺の一撃を叩き込みました。あなた様のお父さん、お母さんの仇。アリアハン戦士ステラ、取ってまいりました」
『イナホの剣』とステラが名づけた剣を鞘から抜き、地下のイナホに掲げた。レンドルは涙ぐんだ。
「よかったのう、イナホ。お前と同じ女戦士のこのお嬢さんたちが、お前の愛刀で見事にバラモスを討ってくれたぞ。今宵は二人で飲もうぞ」
墓地のはずれにある大きな木の下、ここがレンドルの昼寝の場所でもあり、お茶を飲む場所でもある。レンドルはいろはとステラをその場所に招き、お茶を出した。
「レンドル様、地図、そして磁石、本当に助かりました。ありがとうございます」
改めて、いろはは地図と方位磁石の礼を言った。冒険中、この地図に救われたのは一度や二度ではない。レンドルはいろはの礼の言葉に笑顔を見せた。だが次の言葉を述べる時は厳しい顔つきとなった。
「だがの、いろは殿。今度行かれるところに地図はない」
「え!? ゴホゴホッ!」
ステラは思わずお茶を気道に入れてしまい咽こんだ。
「知っていたのですか…。ゾーマの事…」
「…うむ、昨日の邪悪の波動。老いた儂にも伝わってきたぞ。とんでもない親玉がいたものじゃ」
「…正直、進むべき道に迷っております」
いろはとステラは、ただイナホの墓参りに来たわけではなかった。レンドルに今後の自分たちの取るべき道を相談したかった。かつて旅立ちのとき、自分たちの指針に光を照らしてくれたのはレンドルだった。レンドルがゾーマのことを知らなければ、たとえ国王に口止めされていても彼には話すつもりだった。しかし、レンドルは知っていた。
「倒したいのかね? ゾーマを」
「…もし彼が、その異なる世界で魔王となっているだけで、こちらの世界に何の危害を加えなければ、私たちが出て行くことは無いと考えます。その異なる世界にも立ち上がる者がいるかもしれません。しかし、彼は公然と私達の世界を小なりと云え、蹂躙しました。それにあれだけの力。手をこまねいているうちに彼は本当に侵攻を始めるかもしれません。異世界を侵攻となるとゾーマも完璧な準備と軍容を整えてからとなるでしょう。そうなってしまえば、もう手の打ちようがございません」
「うむ…」
「それに何より、ゾーマは私達を逃がさないと思います…」
いろはの言葉にステラは不思議そうな表情を浮かべた。
「逃がさない…。なるほど当たっているかもしれんのう…」
ステラはまだ分からない。
「いろは、レンドル様、それはどういうこと?」
「ステラ…もし、ゾーマが本当にこの世界を欲しいのであれば、どうして私達にわざわざ存在を知らしめたのでしょう」
いろはとステラが飲み干した茶碗に再びお茶を注ぎながらレンドルは語る。
「儂がゾーマの立場なら…そしてただこの地上の支配を望むなら、勇者一行にあえて自分の存在は教えない。事は秘密裏が戦術戦略の基本。ましてや魔族は寿命が長い。アレル、いろはと云う強者に万が一にも倒されんために、彼らが年老い、戦う力を失ってしまった時、もしくは死後に侵攻を開始するじゃろうて。それが確実だし、何より楽じゃ」
ようやくステラにもいろはが言わんとする意図が読めてきた。
「じゃあ大魔王ゾーマは…」
「そうです。私たちと戦いたいのです。逃げることは決して許さないと思います」
「どうしてゾーマはそんなことを? 部下バラモスの意趣返しとでも言うの?」
「ステラ殿。そなたは剣の腕が立つが、この世でもし一番強くなり、敵もいなくなったとしたら、戦士としてどう思うかのう?」
「そりゃあ、つまらなく思いま…ハッ!?」
「そういうことじゃよ。…で、いろは殿、進むべき道に迷っているといったが、それはゾーマと戦う道を選ぶのか。それとも退くのか、そのいずれかかの?」
「はい、そうです。バラモスでさえ、私達はやっとの思いで倒しました。ゾーマはその上を行く存在。今のままでは戦っても全員討ち死に…」
「いろは…」
ステラもいろはと考えは同じであった。レンドルは少し考え、答えた。
「しかし、そなたはすでに答えを出している。放っておけば侵攻され、それに気づいた時はもう遅い。何よりゾーマは自分たちを逃さない。となれば…」
「戦うしか…ございません…。もう私たちは引き返せないのですね…」
レンドルは自分の荷物から二つの腕輪を出し、その一つをステラに渡した。
「レンドル様、この腕輪は?」
「これは、かつて魔法の使えないイナホのために儂が発明したものじゃ。名づけて『闘気の腕輪』と云う。これをステラ殿とホンフゥ殿が装備されよ」
白銀のその腕輪をいろはは見つめ、そして訊ねた。
「レンドル様、この腕輪はどんな作用が?」
「『理力の杖』と云うのがあるじゃろう。あれは力の無い魔法使い、僧侶が己の魔法力を攻撃力に変える。その腕輪はその逆じゃ。戦士、武闘家の持つ『闘気』。これを魔法力に変える」
「ええ!?」
「じゃが残念ながら、呪文は使えない。だから儂の発明品としては未完の道具じゃが、パーティーに勇者がいれば事情が違う。呪文を使うことはできない。しかし、その腕輪によって生まれた魔法力を味方に与えることができる。そなたたちにとってはその腕輪は完成品なのじゃ」
その言葉を聞くと、いろはは弾かれたように腕輪に見入った。
「レンドル様、それはもしや!」
「その通り、勇者のみが使える電撃呪文の最高形態『ミナデイン』。現時点で魔法力があるのはアレル殿、いろは殿、カンダタ殿、マリス殿四名。しかし、それがあれば六名総がかりで撃つことも可能じゃ」
自分の両腕に巻いた腕輪を感動してステラは見つめた。
「す、すごい! いただいて宜しいのですか?」
「ほっほっほっ、もうすでに装備しておるではないか。中々に似合いますぞ」
いろはは手をついて礼を言った。
「あ、ありがとうございます! これで希望が見えました! 六人がかりのミナデイン。必ずゾーマに一矢以上報いることができます!」
「じゃがの、いろは殿。それもこれもみな、ゾーマの元にたどり着いてこその話じゃ。かの地に行ったら、焦らずに情報収集し、地図を作る。そして一番大事なのは現地の協力者を得ること。急がば回れじゃ。良いかな?」
「お言葉、肝に銘じておきます」
いろはとステラは再びイナホの墓に祈りをささげ、墓地を後にした。レンドルはイナホの墓を見つめて、ふとつぶやく。
「これで、オルテガ殿へ少しは詫びられたかのう…」
レンドルはかつてオルテガより仲間にと何度か請われたことがある。だがすでに世捨て人同然となっていた彼は再三に及ぶオルテガの要望を断りつづけた。オルテガもあきらめざるを得なかった。
そして、レンドルはその十数年後にオルテガの訃報を聞いた。彼は自分を責めた。オルテガが合流するはずであったサイモンはバラモス配下ボストロールの悪辣な姦計で亡くなっており、一人で戦っていたことも訃報を聞いて初めて知った。自惚れかもしれないが、こう思わずにはいられなかった。
(自分が一緒にいてやれば…)
後悔先に立たず。ゆえに、その息子アレルが旅立つ時には助言をして、冒険の指針を照らした。彼の仲間のいろははかつての仲間のイナホと同じジパングの人間、そしてステラと同じ女戦士だったということも手伝い、惜しげも無く、知恵と道具を与えた。
「イナホ、よい土産話ができたわい…」
レンドルはいろはとステラの後ろ姿を見えなくなるまで見送っていた。
ここはアレルの泊まっていた宿屋の一室。ここで六人は再び集まった。ルイーダの酒場では目立ちすぎるし、ゾーマのことも洩れてしまう。パーティーで二階全部を貸切り、宿屋の主人には誰も二階に通さないように依頼した。
「…以上が、レンドル様との話で私になりに出した結論です。繰り返します。我々のことをゾーマは決して逃がさないと考えます。放っておけば万全の準備を整えて侵攻をしてくるでしょう。その時はもう遅い。手の出しようがありません。その前に、彼の告知した『ギアガの大穴』から異世界に行き、討ち果たす。これしかありません」
いろはの意見に一同は首を縦に下ろす。
「みんな」
アレルは真剣な顔立ちで仲間を見つめだした。
「異世界。俺たちはこれからそこに行く。そこに倒さなければならないヤツがいる。だから行かなくてはならない。しかし、ゾーマの力も無論だが、果たして俺たちが異世界から帰ってこられると云う保証は無い。そのまま向こうの住民にならざるを得ないのかもしれない。だから、だから今日、大切な人に別れを告げてきてくれ。出発は明日の朝八時。ルイーダの酒場の前だ」
「誰も戻ってこなかったら?」
カンダタがアレルを試すような言葉を吐いた。
「困る。ルーラで捕まえに行く。一人で行くなんて言えるほど俺は自惚れちゃいないよ」
「もう! 兄貴ったら意地悪な質問しちゃ駄目だよ!」
頬をプク~と膨らませてマリスはカンダタを叱った。
「ハハハ、悪い悪い」
「じゃ私はこれで。父さんや母さん、陛下に挨拶を済ませとかなきゃ」
ステラが部屋を出て行き、カンダタは妓館へ。マリスは再びアレルと朝を迎えるつもりなのだろうが、ひとまず夜に備え昼寝でもしようと思い、自分の取っている部屋へと戻っていった。
「俺はガザーブとロマリア王国王都に行って、師匠や兄弟弟子たち、そして国王陛下に別れの挨拶をしてくるわ。そのまま泊まって明日の朝に戻るよ。いろは、キメラの翼二枚くれ」
いろはからキメラの翼を受け取ると、ホンフゥもまた、部屋を後にした。
「アレル」「いろは」
「へ?」「え?」
二人は同時にお互いを呼んだ。
「なにアレル?」
「いや、そちらからどうぞ」
「いえ、アレルからどうぞ」
「そ、そうか?…うん…実はステラなんだが…」
「え?」
いろはが切りだそうとしていた話もステラのことだった。
「ステラが…どうしたの?」
「結論から言うよ。置いていこうと思う」
「アレル…」
アレルはステラの父であり、自分の師匠でもあるロイスに頼まれた。ゾーマとの戦いに娘は連れて行かないでほしいと。ロイスはゾーマの恐ろしさを肌で感じた。いかに娘が戦士としてレベルを上げようが勝てるわけがないと考えたのだ。
ロイスはさらに言えばいろはを連れて行くことも反対した。生きて帰れるか分からない異世界。その果てにいるのは大魔王ゾーマなのだ。愛する娘とそして愛妻エレナの命の恩人で娘の親友のいろはをそんな世界に連れて行くことをロイスは猛然と反対した。
しかし、その二人を欠いて戦えと云うのはアレル、カンダタ、マリス、ホンフゥに死ねと言っているのも同然。師弟は喧嘩となった。だがロイスの気持ちは痛いほどに分かったアレルはせめてステラだけでも、と考えたのだ。
昨夜、家にいるのがいたたまれなくなったアレルは、町の宿屋に歩いていった。その時にアレル宅に向かっていたロイスと会った。ロイスはいろはのもてなしを妻と娘に任せ中座し、アレルの家へと向かったのだ。やがて激しい口論となり、宿屋裏で取っ組み合いとなってしまった。
「師匠! アンタ、俺たちに死ねと言うのか!? ステラだけでも痛いのにいろはも連れて行くななんて!」
もはや力の差は大人と子供であった。ロイスはアレルの一撃を喰らい、宿の壁にもたれるように座っている。口元からは血がしたたり落ちていた。
「…そうだな。そう言っているのかもしれん。だが、お前は知らんだろうが妻のエレナはいろは様に病を完全に治してもらうまで、本当に病気がちだった。幼いころからずっとだ。結婚しても、医者に『出産に耐えられる体ではない』と言われ、私たちは子をあきらめていた。
しかし、ステラはエレナのお腹に宿ってくれた。そしてエレナは死をも覚悟して産んだ。子をあきらめていた私たち夫婦に子が授かり、どれだけ嬉しかったか。俺とエレナがどれだけ娘を愛しているか分かるかアレル! そして妻を死の病から助けてくれたばかりか、病気がちのエレナに風邪一つひかない健康な体を下されたいろは様に私たち夫婦がどれだけ感謝しているか分かるかアレル!」
口の中にたまった血をロイスは吐き捨てた。
「…確かに、バラモス討伐の時は、快く送り出した。戦士は受けた恩義は恩義で返せといつも聞かせていた。だから妻のエレナを助けてくれたいろは様が望むバラモス打倒。これに手を貸したいとあれが私とエレナに言ってきたときは真っ直ぐに育ってくれたと素直に喜び、無事を祈りながら送り出した。しかし、今度の戦いは違う。たとえバラモスの背後に誰がいようと、娘がいろは様と目標としたのはバラモスの打倒! これが成った今、たとえ真の魔王がいたしとても、どうしてそんな死地に娘を送り出せるか…。大恩あるいろは様をそんな死地に行かせることができようか」
アリアハン騎士団長ロイスのいろはへの恩義は深かった。共に戦う同志であるのなら、彼はいろはのため盾になることさえ迷わないだろう。彼の妻エレナはいろはに死の病を治療してもらって以来、病気がちだった体が嘘のように健康になった。いかにいろはが医師として傑出した人物であるかを、エレナの体が雄弁に語っている。それゆえに、ロイスとエレナのいろはに対する感謝の念は強い。死地に行かせたくはないとロイスが思うのも無理はなかった。
アレルは懐からハンカチを出し、師のロイスに渡した。
「分かりました…。ステラは連れて行きません…」
「アレル…」
「でも、いろはは無理です。彼女まで外れたら、我々はゾーマにたどり着く前に全滅です。それはお許しください。彼女もそれは望みません…」
「どうあってもか…」
「はい。実質、私たちパーティーのリーダーはいろはです。リーダー無しでは戦いは出来ません。ゾーマを倒す事が転じて、この世界、そしてアリアハンを救うことになると私は思います。いろはを欠いたら、それも叶いません。いろはは連れて行きます」
「そうか…だったらこれだけは言っておこう。いろは様を決して死なせるな。そうまで言った以上、お前はいろは様のために命を惜しんではいけない。分かったな」
「分かりました。師匠…」
壁にもたれているロイスをアレルは抱き起こした。
「歩けますか?」
「ああ、何とかな。でも強くなったなアレル。鉄拳効いたぞ…」
アレルはロイスの肩をかついで通りまで送っていった。アレルの元から立ち去るロイスの後ろ姿を見つめ、彼はため息を出した。
「ステラ抜きでゾーマと…どうすりゃいいんだ」
アレルは考えがまとまらないまま、宿屋へと入っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「…と、いうわけなんだよ。だからステラは…」
「アレル、あなたは?」
「ん?」
「六人のうち、親御さんがおられるのはステラとアレルだけです。あなたはどうなさるのです?」
「…もう別れは言ってある。十六の誕生日、バラモス打倒に旅立ったその日に別れは済ませてあるよ。男の子を、オルテガの子を産んでしまったんだから仕方ないと、お袋もそれは分かっている。だがステラのご両親は違う」
そう、ステラの両親にとってみれば、世界の安寧よりも娘ステラに生きて欲しいのだ。親からすれば当然のことである。誰も責めることはできない。
「昨日、ステラの家に招かれ、食事をいたしました。幸せそうな食卓でした。そして私も思ったのです。このご両親からステラを取り上げて良いものかと…。ですからお父上のロイス団長が、連れて行かないことを要望した以上、辛い選択をしなければならないでしょう」
いろはが、さっき自分に言おうとしていたのも同じ用件であることをアレルは察した。
「そうか…。まあ…ステラも、もういい大人だ。自分の進退など自分で決める歳だけど、親からすれば子供は永遠に子供だからなあ…。師匠の言う事は分かるよ。でもカンダタやホンフゥ、マリスには何て言う?」
「正直にありのままを言うしかありません…」
「そうだよな…。でもステラ怒るだろうなあ…」
辛い選択だった。しかし父親に連れて行かないでくれと言われて、その娘を無理やりに連れて行くことなどアレルやいろはにもできなかった。
その夜、いろははジパングにも戻らず、教会の寄宿舎で瞑想にふけっていた。その時に客が来た。昨日のように、またステラかもと思いドアを開けると、そこにはステラの母エレナが立っていた。
「いろは様…」
「奥さん、どうなさったのです。こんなに夜遅く…とりあえずどうぞ」
エレナをテーブルにつかせ、いろははお茶の用意をしだした。
「すみません。紅茶とかないんです。ジパングのお茶で…」
エレナに振り向くと、彼女はいろはに平伏していた。
「どうなさったのです!? お顔をお上げ下さい!」
「いろは様、お願いです。娘を異世界に連れて行かないで下さい! 私と主人には、あの子しかいないのです!」
ステラは今日、『親父と母さん、陛下に挨拶を』と言っていた。となるとエレナは全てを知ってしまったと云う事である。いろはの手を両手で握り、泣いて懇願するエレナにいろはは何も言えなかった。いろははエレナの手を握り返した。
「お母様…安心してください。今日アレルとも話し合い、ステラをアリアハンに残していくことは決めていました」
「ほ、本当ですか?」
「でも、それには奥さんの協力が必要なのです」
「何でしょう? 私に出来ることでしたら」
「我らは明日の朝八時にルイーダの酒場前に集まり異世界に旅立ちます。もしステラがこの場に来てしまったら、置いていくことなどは無理です。彼女の性格から云って受け入れられるとは思えません」
エレナは頷いた。
「そうですね。では私は何をすれば?」
いろはは自分の薬草袋から、乾燥した球根を出した。
「ステラは毎朝必ず紅茶を飲んでいます。この薬根を輪切りにし二、三切れを茶碗に注ぐ前の急須に入れてください。薬根の効用は無論のこと、睡眠誘発呪文のラリホーを二度三度とこれに注入してあり、無味無臭ですのでステラも気づきません。飲み終わると強烈な睡魔がステラを襲います」
いろはの言わんとしている事をエレナは読みとった。大事に球根をいろはから受け取る。
「分かりました。任せてください」
いろはの部屋を去ろうとするエレナは出口でふと立ち止まり、いろはを見た。
「どうなさいました?」
「いろは様…私はできれば貴方にも異世界に行ってほしくはありません…。ゾーマと申す者の脅威は主人から聞きました。そんな強大な魔物を相手にして、万が一にも…」
「…ありがとうございます。しかし、私とアレルが上がった舞台は、途中で降りることが許されないのです」
「ですが、このアリアハンや他の町にも病で苦しむ人がたくさんおります。いろは様の医術を必要とされる方たちがいます。その人たちに救いの手を差し伸べるのは、魔王を倒すのと同じくらい尊い事と…」
いろはは首を静かに振り、エレナの言葉を制した。
「ゾーマを放っておけば、いずれこの世界も戦火にさらされ、また尊い人命が失われるのです。だから私たちは行くのです。異世界のためではなく、この世界に治療の必要が無くなるように」
「いろは様…」
「人を治すは小医、国を治すは大医と言います。私も医者の端くれ。この大きな患者を放ってはいられませんから」
いろはの覚悟を見たエレナはそれ以上言えなかった。さきほどもらった球根を胸にギュッと抱きそして深々と頭を下げた。
「ご武運をお祈りしております…いろは様」
「はい」
走り去るエレナの足跡がやけに耳に響く。エレナの言葉はいろはにとってありがたかった。母親の顔も知らないいろはにとって、まるで母親に心配してもらえたようで嬉しかった。しかし、ステラを欺く後ろめたさか、その嬉しさはすぐに薄まった。教会の寄宿舎のドアが閉まる音がいろはの耳に届く。明日、ステラは来ない。来られない。親友ステラの笑顔が脳裏をかすめ、いろはの瞳にうっすらと涙が出てきた。
「ごめんなさい…ステラ…」
翌朝、ステラは旅の用意も整え、兜も、鎧も、盾も、剣も装備し出発はいつでも準備万端であった。鼻歌と一緒に道具袋を背中に背負い、二階の自室から鎧の金属音をガシャンガシャンと鳴らして降りてくる娘をロイスは不安に見つめた。ステラは朝食のテーブルについた。兜を脱ぎ、脇に置いた。
「考えてみれば、これが父さん母さんと食べる最後の食事なのかもしれないね」
「ステラ…」
「そんな顔しないでよ父さん…。オルテガ様の言葉じゃないけど誰かがやらなきゃいけないんだ。それがたまたまいろはやアレルと私たちだっただけのことだよ。仲間もいるし、あっちの世界でも元気でやっていくから」
「ステラ…どうしても…」
「ごめん母さん。もう決めたんだ…」
ステラ愛用のティーカップにエレナは紅茶を注ぐ。
「ああ、いい香り」
ステラは美味しそうに飲んだ。エレナがいろはの指示どおりに薬根を入れた紅茶を。
「あ、あれ?」
ステラに激しい睡魔が襲い掛かった。椅子から転げ落ちるように、ステラは床に倒れこんだ。
「ステラ!」
ロイスが歩み寄ると、ステラはもう熟睡していた。
「こんなに効果がすぐ出るなんて…」
エレナは使い残った球根を驚いたように見つめた。何も知らないようにスウスウと眠る娘ステラの寝顔をロイスは辛そうに見つめた。
「…いろは様とアレルには辛い選択をさせてしまった…。だが、これしかなかった。申し訳ございません。いろは様…すまん…アレル…ステラ…」
(みんな、どこに行ったの? どこにいるの? 私はここにいるよ…)
ステラは夢を見ていた。暗闇の中でポツンと一人ぼっちで立っている自分。そこにいろは、アレル、カンダタ、マリス、ホンフゥが現れた。ホッとして仲間の元に歩み寄ろうとしたら、なぜか距離が縮まらない。そして仲間たちはステラに背を向けて歩き出した。
(待、待って!)
仲間たちはステラの声など聞こえないように歩いている。どんどん仲間たちが自分の元から離れていく。
(みんな待って! 私はここに! ここに!)
「わ、私はここに…ハッ!」
ステラがようやく目を覚ました頃、すでに昼となっていた。寝ていた場所は自分の部屋であった。装備していた鎧も盾も外され、寝巻きに着替えさせられていた。時計を見て、ステラは真っ青になった。
「ど、どうして! なんでこんな時間に!?」
ステラは取るものも取らず、寝巻きのまま、急いでルイーダの酒場まで走っていった。約束の刻限から、もう四時間は経過している。待っていてくれと祈るように走った。
「ハアハア…」
ルイーダの酒場の前に、アレルといろはの姿はなかった。店の中に入ってみても、仲間たちの姿は無い。
「どうしたんだいステラ? そんなナリで」
ルイーダが話し掛けてきた。ステラはもう半分ベソをかいていた。そしてルイーダに詰め寄る。両肩をにぎり、はげしくゆすった。
「いろはは!? アレルは!? カンダタは!? ホンフゥは!? マリスは!? どこ!? どこにいるの! 知っていたら教えてッ!!」
「ど、どうしたも何も、今朝早く、あのデッカイ鳥に乗って出かけちまったよ」
「そ、そんな…?」
全身の力が抜けたステラ。ルイーダの肩を離し、トボトボと酒場をあとにした。
城の外の草原では、ラーミアが飛び立ったと思える大きな鳥の足型が残っていた。新しい足型である。ステラはその足型の場所でペタンと座り込んだ。
「どうして…どうして…私を置いていくの? 寝坊したから? でもいつも私が寝坊してもアレルやカンダタは蹴っ飛ばしてでも私を起こした…。じゃあ遅刻したから? でも私の家の場所、いろはもアレルも知っているじゃない…なら…なら…」
「そうだ。ステラ、お前は置いていかれたのだ」
父のロイスと母のエレナがステラの後ろに立っていた。
「ごめんね…ごめんね…でも、私たちこうするしかなかった。ごめんね…」
ステラは母エレナの言葉で全てを悟った。
「そうか! 父さんと母さんがいろはとアレルに私を置いていくよう頼んだんだな! どうして! どうしてそんなことをするのよ! なんで!」
怒りのあまり、ステラはエレナの襟首をつかんだ。ロイスがそれを止める。
「やめろステラ!」
「あなたに生きて、私たちと同じ世界にいて欲しかったのよ! だから私はいろは様に頼んで眠り薬をもらったの。怨むならいろは様でなく私を怨みなさい!」
母エレナの襟首をつかんだまま、ステラは泣き崩れた。
「ひどいよ…みんなひどいよ…。私だけ置いてけぼり…。死ぬ時は一緒だって誓ったじゃない…。ひどい、ひどいよ…」
風がそよぐ草原に、ステラの泣き叫ぶ声が轟いた。父のロイスも母のエレナも、娘と一緒に泣くことしかできなかった。