いろはの高熱は夕刻になっても下がらなかった。それどころか、どんどん苦しそうに悶えている。懸命に治療に当たるマルセラだが効果はなかった。
「マルセラさん。教会に行きましょう」
業を煮やしたホンフゥが言った。
「教会? 何しにですか?」
「カンダタがもしかして『呪い』ではないエバンス言っていました。駄目で元々、行ってみましょう」
「呪い? じゃあいろはさんは呪われた武器や防具を身につけた事があるのですか?」
「いえ、いろはの武器防具は上の世界のジパングと云う国ですべて用立てたものです。呪いの武器防具などではありません」
「ならば教会に行っても無駄です。それどころか今のいろはさんの体を動かすのは危険です」
マルセラは自分の治療が否定されたようで腹が立ったか。それをホンフゥは察し
「俺やカンダタは貴女の治療が誤診だなんて思ってはいませんよ! しかしもし呪いならば、これは医師ではなく神官の出番です。俺がいろはを抱いていきます。教会に案内してください!」
ホンフゥはいろはを抱きかかえようとした。
「待ってください! 動かすのは危険です」
「しかし!」
「…分かりました。神官をここに呼びましょう。しばらく待っていてください」
マルセラは部屋を出ていった。
一方、そのころアレルたちは野営の準備も終え、四人で焚き火を囲み、夕食を取っていた。
「ねえねえ、いろはの病気、今ごろどんなんなっているかな?」
薄めの熱いウイスキーを口に運びつつマリスがふとつぶやいた。
「なに、医者のマルセラさんが付いているのだから大丈夫でしょう。帰るころには治っているよ。それどころか置いていった事を怒るかもね。ふふ」
ステラの言葉に少し顔を曇らせたアレル。カンダタがそれに気づいた。
「どうしたアレル?」
「いや…朝になっても、いろははまったく熱が引いていなかった。それが心配でな。エバンスいって医者でもない俺たちがその原因を分かるわけじゃないし…」
カンダタが危惧していた事をアレルも危惧していた。
「アレル、気になるような事言わないでよ」
「あ、ああ…すまん」
しかし、アレルを叱ったステラも少なからず、それは感じていた。それを振り払うように勢いよく野菜をバリバリと食べていた。
「…! みんな」
アレルの一言に仲間はうなずいた。モンスターがこちらを伺っている。
「マクロベータか…。確かシャーマンだったな。何体いるカンダタ?」
アレルの質問より早くカンダタは周りを探っていた。
「ざっと十体ってトコだな。俺たちを囲むために今いそいそと動いている」
お尻に付いた泥を落としながらマリスは立ち上がった。
「食事の邪魔をするなんて、気の利かない連中ね」
「まったくだわ」
だがステラはいろはの病状の不安を振り払うにはちょうど良いと思ったようだ。少し笑みを浮かべながら立ち上がった。
そして、ここはリムルダールの宿屋。脂汗を額ににじませて呼吸も荒いいろはがいた。
「ハアハア…」
「いろは…!」
苦悶するいろはの手をホンフゥは握った。
「元気になってくれよ! 頼むよ!」
やがてマルセラが神官を連れてきた。
「急いでください!」
「ハアフウ…待ってくれマルセラ。儂はお前ほど若くはないのじゃから」
リムルダールの神父はかつてラダトーム王家にも仕えた高位神官でもある。ラルス一世に仕えている重臣ケインズの弟で、名をエバンスと言った。
「ホンフゥさん! 連れてきました!」
マルセラが神父エバンスを連れて戻ってきた。
「神父さん! お願いします! いろはが、いろはが!」
いろはの顔が真っ青になっている。歯がガチガチと震えている。凄まじい悪寒がいろはを襲っているのだ。
「ハアハアハア…」
エバンスはすぐにいろはの寝るベッドに歩み寄った。眉間に皺を寄せる。
「……これは」
「お願いです。彼女を助けてください! いろはを!」
ホンフゥは必死に神父に哀願した。
「間違いない…『呪い』じゃ…」
マルセラは青くなった。そして自分を責めた。昨日のうちに分かっていれば破邪呪文『シャナク』を使えるマリスがいた。完全に誤診と判断した彼女は床に崩れ落ちた。
「そんな…もしものことがあったら皆さんに何とお詫びすれば…」
「そう自分を責めるなマルセラ。医師が分からなくて当然じゃ。またこの『呪い』は魔法使いのシャナクではどうにもならん…」
「え…?」
エバンスは経典らしき書を開きながら、マルセラを励ます。そして目的のページにたどり着いたのか呪文のような言葉を吐き出した。
「ブツブツブツ…」
その経典はルビスの祝福を受けているのか、エバンスの言葉と連動して光りだした。いろはの呪文ともマリスの呪文とも、そしてアレルの呪文とも違う。上の世界には無かった呪文である。
「な、なんだ?」
ホンフゥはエバンスの不思議な呪文に目を丸くした。
「あれは精霊法術です」
マルセラが答えた。
「セイレイホウジュツ?」
「はい、精霊神ルビス様に仕える高位神官のみが体得できると言われるものです。このアレフガルドでも会得者は三人だけなのです。その三人は王より『導師』の称号を得て、国民の尊敬を集めておいでです」
「そ、それでは」
「はい、これでいろはさんは…」
エバンスは法術の詠唱を続ける。いろはの苦悶も激しくなる。
「ブツブツブツ……」
やがて経典は宙に浮いた。エバンスの目がカッと開いた。
「退け! 悪魔!!」
経典から法術の光が発射され、いろはの体に直撃した。
「あう!」
いろはの体が弓なりにしなって寝間着も破れ散った。そして同時に黒い何かがいろはの体から離れていった。一糸まとわぬ姿のまま、いろははグッタリと倒れていた。エバンスは杖を持ち替え、すぐさまその影めがけ投げ放った。
ボウ!
その杖は黒い影に到達する前に燃え尽きてしまった。そして怪しい嘲笑を浮かべた。
「だれだ貴様!」
マルセラがナイフを持って構えた。ホンフゥの顔も険しくなる。そして影を睨んだ。
「あやしい影…上の世界で嫌になるほど出会ったヤツだ」
ホンフゥもまた、黄金の爪を装備した。
「そうか、貴様が俺のいろはを苦しめていたのだな…。許さねえ」
「クッククク…我が名はヌエ…ヤマタのオロチの旧臣なり…」
「オロチだと!」
「さすがに噂に名高い精霊法術…。その娘に憑くのは無理となったか…」
ヌエと名乗るあやしい影は本当の姿を現した。頭が猿、胴が狸、手足が虎、尾は蛇。こちらの世界で会ったキメラのようであったが、さほどの大きさではない。しかし今まで修羅場を潜り抜けてきたホンフゥにはヌエの強さが分かった。
「エバンス殿、マルセラさん、下がっていて。俺だけで仕留めます」
「ホンフゥさん!」
「許さねえ…。俺のいろはをいじめやがって…」
ヌエはホンフゥの言葉をあざ笑いながら聞いている。
「てめえ、いつからいろはに憑いていた?」
「ずっとさ…主君オロチ様を倒されてからな」
「なんで今まで姿を見せなかった…。いつでもいろはを殺すことができただろうが!」
「お前たちパーティーは、オロチ様、バラモス様をも倒した冒険者。たかが凶獣にすぎない俺に勝ち目はない。だからこの娘に憑き、呪い続け少しずつ蝕み続けた。そしてようやくその効果が出たというわけだ…。ミナデインとやらの乱発が災いしたな…ククク…」
「そうかい…正々堂々とやれねえから、コソコソと仕返ししていたってワケか…」
「否定はせんよ…。オロチ様の無念を晴らすためなら、どんな事でもするさ…クッククク…」
ホンフゥは龍拳の構えを執った。
「まあ出てきたのであればそれでいい。片付けてやる」
「できるか? 六人なら俺に勝ち目はないが、一人なら凶獣の俺の方が強い」
「一人で十分だ。サル野郎!」
「吠え面かくな!」
ヌエは虎の巨腕をホンフゥに力任せに振った。その腕をホンフゥはヒョイと避け、空振りした腕の側面をトンと押した。すると空振りした巨腕は勢いを増して、ヌエ自身がその腕に振り回され倒れた。その時、ヌエの右肩に鈍い音が走る。肩の骨が砕かれたのだ。
「ぐあ!」
ホンフゥと目が合う。静かに自分を見るホンフゥの目。ヌエは心の中で叫んだ。
(つ、強い…)
これはサスケの戦い方に近いものだった。ホンフゥは本来、剛拳の使い手であるが、サスケの柔の技に散々にやられた。彼はこれを教訓としていたのだ。パワーに対してパワーで責めるは愚直。相手の力を利用し、かつ大ダメージを与えるサスケの技。彼はサスケと戦い、かつその後に指導を受けて体得していたのである。
「おのれ!」
ホンフゥへの見くびりを捨てたヌエは頭から突進した。
「砕けろ!」
ホンフゥは動かなかった。そして左手をその攻撃に合わせてヒョイとあげた。
ドン!
「ぐあああ!!」
ヌエは部屋の壁まで吹っ飛んだ。これは『合気』。サスケから伝授されたものだった。
「さすがはオロチの臣、突進力は大したものだ。そのぶん有効に使わせてもらっているけどな」
「くそ…」
ヌエはあのサスケとホンフゥが戦ったのも、いろはを通してみている。しかし今のホンフゥはその時以上の強さであった。
「おまえは俺に対してやっちゃいけないことをしちまった。それはいろはを傷つけたことだ。おまえはこの俺の逆鱗に触れたんだ!」
ホンフゥの全身から闘気が吹き出る。まさに彼が駆使する拳法『龍拳』、怒り狂う龍が降臨と思えた。そして彼は間髪いれずに気を練りだした。
「大闘気弾!!」
ホンフゥは巨大な闘気弾をヌエに放った。
ヌエは合気のダメージが深く立てない。直撃だと思った瞬間、ホンフゥは大闘気弾の気弾と一緒に突進していた。竜の咆哮のようなとび蹴りである。
「龍突脚!」
ドドオオオ!
「ぐぅあ!」
大闘気弾、そして絶大な破壊力を持つ龍突脚を同時に喰らい、ヌエのダメージは大きい。ホンフゥは間髪いれず鉄拳を振るい、ヌエを追い詰める。
マルセラはあぜんとしてホンフゥの戦い振りを見た。
「すごい…。あれが勇者の…その仲間たちの力…」
「うむ。それに彼は怒っている。堂々と対峙している敵ならまだしも、彼奴のように水面下に潜み、卑怯な手で仲間を攻撃する敵。彼のような性格の男には一番許せない敵と言えよう…」
エバンスの言うとおりである。ホンフゥは心の底から怒っていた。オロチやバラモスもいろはを傷つけはしたが、それは自分たちと対峙してのこと。しかしヌエは影に潜み、いろはの体を蝕んだ。許せなかった。
(つ、強い! 悔しいが手が出せん!)
ホンフゥの多くの攻撃を喰らい、ヌエは倒れ、床に平伏していた。右肩の関節は砕かれ、足の一本も折れていた。
「ふん、影でコソコソやっている貴様の力なんざそんなものだろう!」
中途半端にいろはを傷つけたことが仇になり、とんでもない男の怒りを買うことになったヌエは無念の思いだった。ヌエの頭を踏みつけているホンフゥ。だがヌエの大猿の目に倒れているいろは、そしてマルセラ、エバンスの姿が入った。口元が上がる。マルセラは殺気を読み取り、急ぎいろはを抱きかかえた。
「遅い!」
大猿の口が開き、業火がいろは、エバンス、マルセラを襲う!
「し、しまった!」
ドオン!
マルセラは辛うじてエバンスといろはを抱きかかえ、直撃を避けた。だが避けた先にヌエは左手で真空刃を放った。
「チィッ!」
ホンフゥは急ぎマルセラたちを助けるべく、ヌエの元を離れた。その時!
ズバァァッ!!
「ぐあああッッ!」
ヌエのヘビの尾が槍のように尖りホンフゥの背後から、それを突き刺した。左わき腹を完全に貫通している。
「クッククク…形勢逆転だな…」
「…テ、テメエ…どこまで卑怯な…」
「勝ったと思い、油断を見せた貴様が悪い。ここは闘技場じゃねえんだ!」
ドン!
「ぐあ!」
虎の足がホンフゥを蹴り上げる! アバラの折れるニブイ音がホンフゥの耳に入った。今度はホンフゥが床に平伏した。そして意識を朦朧としながら、いろはを見る。するとマルセラとエバンスがズタズタになって倒れていた。彼らはいろはを守ったのである。
(マルセラさん…エバンス殿…)
「クッククク…ではまず、お前の愛しいいろはを喰らうか。さきほどの法術で、もう憑くことはできんからな。俺の養分として喰らってやる。まあ髪の毛くらいは糞として出るだろう。その時はお前の死体に糞ごとくれてやる! ありがたく思え!」
ズシンズシン…
ヌエは倒れているいろはに詰め寄る。ホンフゥは動けない。さきほどのヘビの槍は何か毒でも出していたのか、ホンフゥは全身の痺れと強烈な眠気の中にいた。だがホンフゥはあきらめなかった。この場でいろはを助けられるのは自分しかいない。
「黄金の爪…竜の女王の祝福を受け…サスケ殿の鍛冶魂も宿る俺の最強の武器よ…。我を立たせよ!」
ホンフゥは自分の足に爪を刺した。と、同時に爪の甲の部分にある青い宝石が輝いた。強烈な眠気は取れ、マヒが一瞬で解かれた。彼の体が自由に動く。
その時、ヌエはいろはを喰らうため、左手でいろはの体をにぎり、頭からかじるように大口を開けていた。
「龍拳『神速歩!!』」
一瞬でヌエの前にたどりつき、強烈な飛び膝蹴りをヌエの顎に叩き込んだ。わき腹からの出血はおびただしい。しかしホンフゥは倒れなかった。
「くたばりぞこないが!」
虎の右足が上がり、ホンフウを襲う! ホンフゥは左手だけでそれを受け止めた。そして彼の右の拳が竜の咆哮のごとく炸裂した!
「正拳突きぃッ!!」
ドォン!
ヌエは吹っ飛んだ。正拳突きが直撃したヌエの腹部が完全に風穴が開いていた。ホンフゥの全身全霊を込めた正拳突き。アレル、ステラの合体技である『クロス斬り』にも勝る破壊力であった。
「ウガアアア!!」
いろはのヌエの手から離れ、体は宙に舞った。それをホンフゥは両腕で受け止めた。
「う…う、ううん…」
「いろは!」
「う…ホ、ホン…フゥ…」
「いろは! 気がついたか!」
「……」
「ど、どうした?」
「キャアアアアアアアア!!」
自分が裸である事をいろはその時認識した。
「は、放して! 放して下さい!」
いろはは顔を真っ赤にしてホンフゥの腕の中で暴れだした。
「動けない私にこんなことをするなんて! あなたを見損ないました!」
腕の中で暴れるいろはに四苦八苦しながらホンフゥは言った。
「ば、馬鹿! 状況をよく見ろ! 状況を!!」
「…え?」
いろはの手にヌルリとする液体がついた。ホンフゥのわき腹からの出血である。
「…血!?」
そしていろはは気づいた。自分を睨む視線を。
「物の怪…ヌエ!?」
「知っているのか!?」
「はい…ジパングの伝記に出てくる悪しき物の怪です。ジパング初代の王スサノオに倒されたはずですが…」
ヌエはいろはの言葉に笑いを浮かべた。
「ご存知とは光栄ですな…」
ホンフゥはいろはを降ろした。
「立てるか?」
「はい」
近くにあったベッドのシーツをその身に巻き、ホンフウの負傷にベホマを唱えた。ホンフゥのダメージは無くなった。また自分を庇ってくれたのであろう二人、エバンスとマルセラにも同様にベホマを唱えた。ヌエの真空刃で切り裂かれた傷は塞がったが、あの強烈な攻撃のショックからか、まだ気は失ったままだ。
さきほどのホンフゥの正拳突きは、ヌエにかなりのダメージを与えたようだった。ヌエは座った姿勢のまま動かなかった。
「そう…確かに俺はお前の言うとおり、ジパング初代の王スサノオに倒された。しかし元々ジパング、いや『ワ』の国は我ら物の怪…妖の国だった…。それを人間がやってきて…我らを滅ぼしたのだ…。ヌエ一族はスサノオとその妻クシナダに全滅させられ…当時子供だった俺はスサノオとクシナダに復讐を誓った…。成長し命を狙ったが返り討ちにあい殺された…」
「嘘…」
「嘘じゃない! 我らの楽園を滅ぼしたのは貴様の祖先なのだ、いろは!」
ヌエはいろはを憎悪の目で睨んだ。
「俺の魂は…無念の思いのまま、冥府をさまよっていた。それをオロチ様が蘇生させてくれたのだ! 人間への復讐の機会をお与え下さったのだ! オロチ様は俺を重く用いてくれた…。それが…再びおまえたち人間によって奪われた。お前たち人間に取って、どんな存在であろうとオロチ様は俺にとり、かけがえの無い主君だった。卑怯なだまし討ちで殺しやがって…父や母、ヌエ一族の命ばかりか我が主までお前たち人間は俺から奪ったのだ!!」
ヤマタのオロチ、つまりヒミコがいろはとその一行に倒された時、ヌエはヒミコの命令でムサシノを離れ、ムオル、ダーマ、バハラタが存在するジパングのすぐ西に当たる大陸の情勢を内偵していた。
十分に主君ヒミコを満足させられる情報を得てムサシノに帰った日、すでにオロチは倒され、いろはとアレルたちの武功を讃える宴の最中だった。ヌエは成果を報告できる主君が死んだことを知ると泣き崩れた。そして復讐を誓ったのだ。
しかし、事ここにいたっては、いろはを殺すと云う目的はあえなく潰えた。こんなことなら体を蝕み徐々にいたぶりながら殺そうなどとせず、隙を見て殺せばよかった。ヌエにそんな後悔の念が湧いてくる。
ゆえに、ヌエはいろはに恨みの言葉をぶつけ続ける。ホンフゥは業を煮やした。
「いろは! ヤツの云う事になんか耳を貸すな! ヤツはずっとお前にとり憑き、その体を蝕んでいたんだ! そんな姑息なヤツの云う事が本当のはずがない! 出鱈目だ!」
ホンフゥの言葉は届かない。いろはの顔にはあきらかに動揺が見える。今まで聞いてきた歴史とは全然ちがう。ヌエ一族は人々の生活を脅かし、それをスサノオが退治したと伝えられているからだ。しかしヌエの言うことが本当であるなら、最初に戦端を開いたのは侵略者である人間ということになる。
「嘘…」
「フン…信じるも信じないも貴様の勝手だ…。だが…復讐はさせてもらう…」
ホンフゥは身構えた。
「貴様! そのダメージで完全回復した俺に勝てると思っているのか!」
「…確かに勝てんな…。だが、そんなことはもうどうでもいい…」
「な、なに?」
ヌエは聞きなれない呪詛を唱えだした。
「我が命と引き換えに…復讐を果たす…」
ヌエの体中に瘴気が漂う。
「な、何をする気だ!」
「フッフフフフ…心配せんでも攻撃などせんよ。ただいろはの顔に土産を残すだけだ…」
「み、土産…!?」
いろはは顔に激烈な痛みと痒みを覚えた。
「な、なに、何なの…これ!」
「その美しい顔を許されるのは我が主…ヒミコ様のみ…。残る一生、醜女として生きるが良いわ…クッハハハハハ…」
ヌエは姿も残さず塵チリとなって消えた。まるで自らが唱えた呪詛に全生命力を使い果たしたように。
「ヌエ! 貴様ァ!!」
拳を振り上げてももはや相手はいない。ただ横にいたいろはが顔を押さえ、激痛に悶えている。
「い、痛い! 顔が痛い!」
顔を押さえる手に違和感が生じ始めた。顔中に段差ができ始めた。
「!!」
いろはは部屋にあった鏡台に駆けた。そして見た自分の顔。そこには顔中大小のコブと醜い爛れがあった。
「い、い、い、いやああああああああ!!」
いろはは狂ったように自分の顔に回復魔法をかける。だが効かない。
「アアアアアアッッ!!」
その泣き叫ぶ声にマルセラとエバンスも気づいた。
「いろはさん?」
狂ったように床に這いながら泣き叫ぶいろはを見て、マルセラは声が出なかった。ホンフゥが気づいたばかりのエバンスに頼み込んだ。
「エバンス殿! もう一度いろはに精霊法術を! お願いします! いろはが、いろはが!!」
「ど、どうされたのです?」
「ヌ、ヌエのヤツ。自分の命と引き換えにいろはの顔に呪いを!」
泣き叫ぶいろはを見て、エバンスは醜女に顔を変えられたことを悟った。
「分かった!」
エバンスはすかさず法術をいろはの顔部に放った。しかし、効かない。何度やっても効かない。
「いやああああああ!!」
いろは自身、その身に受けてエバンスの放つ法術が相当の高等法術である事は分かった。しかし、それでも効果は無かった。
「ハアハア…」
エバンスの法力が尽きた。
「な…なんという呪いじゃ…。精霊法術も歯が立たんとは…」
「そ、そんな…」
同じ女である以上、マルセラにはいろはの衝撃が痛いほどに分かった。ある日突然に自分の顔が人に見せられないほどに醜くなったら…それは女にとり、死以上の苦しみであろう。
「皆さんに…なんて言えば…」
マルセラは泣き崩れた。
「いろは…」
半狂乱で泣き叫ぶいろはにホンフゥは歩み寄った。
「来ないで! 出ていって下さい!」
背を向け、両手で顔を隠すいろは。
「そんなこと言うなよ…。惚れた女にそう言われると立場ないじゃないか…」
「こんな…こんな醜くなってどうして私を好きと言ってくれるのですか!」
「…俺の気持ちは変わらねえよ…」
ホンフゥは黄金の爪を床に置いた。
「ホンフゥさん…何を…」
「いや、ちょっと。あ、そうそうマルセラさん。あまりに出血が激しいようならお願いします」
「は?」
ホンフゥは両の手をポキリポキリと鳴らし、そして自分の顔に触れた。
「よいさあ!」
ズバアッ!
何とホンフゥは自分の両目を自分の拳で切り裂いたのだ。
「ホ、ホンフゥ!?」
鮮血がホンフゥの両目から吹き出る。
「さあ…これで俺はいろはの姿など問題なくなった…。醜くなろうがいろははいろはだ。俺のいろはだ…」
「ホンフゥ…」
「ど、どこにいる? いろは。お前から来てくれないと抱っこできないじゃないか…」
「ホンフゥ―!!」
いろははホンフゥの胸に飛び込んで泣いた。そして誓った。一生、彼の目となろうと。