「そう…良かった。いろはの顔、治ったんだ」
「ああ、何とか皆の期待に答えられ、儂もホッとしておるよ」
レンドルは無事にアレルブルクの自宅へ戻り、アレフガルドでの出来事を妻のカトレアに話した。持ち帰ったアレフガルドの酒はカトレアも気に入ったようで、夫の話に聞き入りながら杯を進める。
「美味しい。これは木の実酒だね」
「ああ、しかし気をつけろ。口当たりが良いからと飲みすぎるとひっくり返るぞ」
「ねえ、これをウチの町で造れないかな。絶対に売れるよ!」
「そういうと思ってな。ホレ、製造法を記録してきたぞ」
製造法を記したメモをカトレアに渡した。
「さっすが! 町の名物にしようよ。酒の銘は『いろは』でどうかな!」
商魂たくましい妻の言葉にレンドルは苦笑した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
さて、こちらはアレフガルド。
明日の決戦に備え、パーティーは装備と馬車の手入れを念入りに行い、戦闘方法も熱を込めて論じた。最悪の場合の撤退方法やミナデインの活用について、マルセラやエバンス神父も同席して八人は話し合った。
そろそろ時間は翌日にまたがるころになり、パーティーは解散し、それぞれの部屋に戻る。だがステラはカンダタと、マリスはアレルと夜を過ごすようだ。いろはは日記をつけ終わると寝床に入ったが、内心、ホンフゥが部屋に来るのではないかとドキドキしていた。ホンフゥの部屋はいろはの隣の部屋である。その部屋のドアがギィと開いたので、もしかして、といろはは身を縮めたが、ホンフゥはそのままいろはの部屋の前を通り過ぎた。階下の宿のドアを開ける音がいろはの耳に届く。
(もしかして、妓館に?)
と、一瞬思うと、いろはの胸に今まで味わった事の無い感情が湧いてきた。
(そんなトコ、行っちゃ嫌です!)
気がつくといろはも宿を出ていた。何とかホンフゥの姿を見つけられたが、ホンフゥは妓館のある方向に歩いていなかった。ホッとしたいろはだが、ホンフゥは町の外の方に歩いて行っている。
(どこへ行くのだろう…)
ホンフゥは町の入り口ほど近く、リムルダール湖の浅瀬に入っていった。
(? 何をする気…)
リムルダールの町を囲む壁からホンフゥをいろはは見ていた。するとホンフゥは水中から水面まで一気に蹴り上げた。水しぶきが宙を舞う。
「ハッ!」
ホンフゥはその水しぶき一つ一つを目にも止まらない拳で叩く。闘気を帯びている打撃なのか、触れた水しぶきは瞬時に蒸発し、宙に上がった水しぶきはただの一滴も水面に落ちなかった。それを繰り返しやっている。ホンフゥの体から湯気のようなものも出ている。彼は一人で鍛錬を行っていたのだ。
「フウ…」
そして再び気力を集中させた。
(龍拳・伝烈拳)
ホンフゥは水面スレスレに手刀をかすめる。すると、それの衝撃で水面に亀裂が生じ、空気の刃が水面を伝わり、遠くまで飛んでいく。ホンフゥはそれもずっと繰り返していた。
(すごい…)
思わず、その技の数々にいろはは引き込まれるように見つめていた。
「! 誰だ!」
気配の感じた方向に、ホンフゥは伝烈拳を放つ。
「キャアッ!」
「い、いろは!?」
ホンフゥはギュッと拳を握った。すると烈破はいろはの前で消滅した。
「ホ…」
「ど、どうした? てっきりもう寝たものかと思ったけどな」
「え? いえちょっと眠れないから歩こうかと…」
「だったら町の中だけにしとけよ。外には『魔除けのなんたら』ちゅう効果は無いんだろ?」
「う、うん…」
湖から出て、ホンフゥは持ってきたタオルで体を拭いた。
「ホンフゥはどうして?」
「ん? いやヌエと一戦やってから実戦離れていただろ? 五、六日は体に闘気を走らせてなかったからな。なのに明日は魔の島突入だ。体をほぐしておこうと思ったんだよ。その方がよく眠れるしな」
ホンフゥの言葉、仕草、そして鍛え抜かれた体がいろはには、とても愛しかった。今までこんな感情を持った事なんて無かった。サスケに対しては尊敬と思慕の感はあったものの、明らかにそれとは違う。
あの時、醜くなった自分に対して心を変えず、何のためらいも無く目をつぶしたホンフゥ。その時からだった。ホンフゥがいろはの全てとなった。
オロチとの戦いでも、バラモスとの戦いでもホンフゥがいなければ自分は死んでいる。この人は命を賭けて自分を守ってくれて、愛してくれている。そしてそれは自分も同じだった。自分も心の底から彼を愛し始めている。だからホンフゥが夜に宿を出て行くと、妓館に行くのではと邪推し、思わず着いて来てしまった。でもそれは正直に言えない。しばらく沈黙が続いた。
いろはは顔を赤くして何も言えない。切れ者の弁舌冴える彼女の面影は無い。ホンフゥもまた同じである。
(…せっかくの二人きり…。うるさいマリスやステラもいないしチャンスだよな…。そういえば、俺はちゃんといろはに言っていないじゃないか…)
「コホン、ちょっと休もうと思っていたんだ。いろは、座らないか?」
「う、うん…」
湖のほとりに二人は座った。月でも出ていればムードもあるのになとホンフゥは残念がった。
「と、ところで、いろは…」
「な、何ですか?」
「…ゾーマ、倒したら…どうしようか」
「え?」
ホンフゥの目をジッと見て、いろはは疑問符の言葉を返す。ホンフゥはやたら咳払いをして、間を取る。
「ゲホゲホ、いや…その…良かったら…ゲホゲホ、その…なんだ。俺と一緒に暮らさない…か」
「ホンフゥ…」
「ゾーマ倒したらさ、やっぱりパーティー解散となるわけだろ? それぞれの道に歩き出すんだ。地上に帰るにしてもアレフガルドに留まるとしても、みんなバラバラになっちゃうんだ。それは自然の成り行きかもしれないけれど、いろはとはゾーマを倒したらサヨナラって嫌なんだ…。俺、ずっと一緒にいたい」
「わ、私…」
「正直に言う。俺、バラモス倒した後、どーしようかと思っていた。俺は再びロマリアの武闘士に戻り、いろははジパングの女王となってしまうかもしれない。そうなったらもう高嶺の花だ。だからアリアハンへの凱旋途中の道でずっと気持ちを打ち明けようと思っていたけどアレルたちが常に一緒で照れくさくて、それもできないし…こんなことを言ったら怒られるかもしれないけど…ゾーマが出現して旅が長引いて実は俺…嬉しかった…」
ホンフゥは座っているいろはの正面に立った。
「俺、いろはを一生守るよ。愛するよ。だから、だから、お、お、俺と結婚してくれ!」
しばらくホンフゥの目を見つめるいろは。ややあってニコリと笑い、そして顔を赤め、嬉しそうに首を縦に下ろした。
「…はい」
「え?」
「私で良ければ…喜んで…」
いろはは少し涙ぐんでいた。嬉しかった。初めて心の底から大好きになった男性から求婚されたのだ。ホンフゥから言わなければ、遠からず自分から言っていたかもしれない。
「ホ、ホントか? 俺の嫁さんになってくれるのか!?」
「あの時…あなたが私のために自らの目を切り裂いてくれた時から私の心はあなたで一杯でした。そしてこの心は生涯変わりません…。あなたが醜くなった私に対して心変わりしなかったように…」
「い、いろは」
「ただし」
「え?」
「妓館に行くのは、もうだめですよ」
奇しくもステラと同じ事を伴侶に釘を刺すいろはだった。
「も、もちろんじゃないか! もう行かないよ! だって世界一の女が嫁さんになってくれたんだぜ。行く必要ないじゃないか!」
ホンフゥは喜びのあまり、ジッとしていられないのか、湖の浅瀬に入り意味不明な踊りをしている。そんなホンフゥの様子をいろはは愛しそうに見つめていた。ようやく変な踊りを満足させ、ホンフゥはいろはに駆け寄る。
「嬉しい、嬉しくてたまらない。人生最高の夜だよ」
「私もです、ホンフゥ…」
「…た、頼みがある。明日の戦いのため、気合を入れるためにも是非に俺に言ってほしいことがある」
「な、何でしょう?」
「あ、あなたって言ってくれ」
いろはに拝むように、ホンフゥは頼みこむ。顔を赤くしながら、いろははその頼みに応えた。
「あ、あな…た」
ホンフゥはそれを聞くと声にならない歓喜の叫びをあげて、再び変な踊りを始めた。ホンフゥ人生最高の夜、すなわちゾーマとの最終決戦前日はこうして過ぎていった。
ホンフゥといろははこの後、仲良く手を繋いで帰ってきた。明日は世界の運命をも決めかねない戦い。ホンフゥはこの手の感触だけで十分であった。妻となるいろはと口づけするのも抱くのも、すべてゾーマを倒してからと彼は決めた。愛しいいろはの手の感触を楽しみつつ、宿へと戻り、こらえきれない歓喜の笑みを浮かべながらホンフゥは眠った。いろはも胸の高まりを抑えつつ、眠りについた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌朝、いつものように、宿の食堂に集まる六人。やはり緊張しているのか会話がない。ホンフゥもつい先刻の夜に見せた変な踊りをしている時の顔ではない。眉間に皺を寄せながらも黙々と料理を口に運ぶ。いろはも少し気難しい顔をしている。
すでに恋仲となっているアレルとマリス。そしてカンダタとステラがそう心掛けているように、武器と防具を装備し、六人が一同にいる以上、今は恋人でもなければ婚約者でもない。戦う仲間なのだ。
いろはとホンフゥも暗黙の了解でそれを心得ていた。料理を盛ってある皿にフォークとスプーンがカチャカチャと当たる音ばかりで、会話のない静かな朝食の中、アレルが切り出した。
「みんな、とうとうこの日が来た。バラモスと戦う前にも同じことを言ったけど、今回は正真正銘、最終決戦だ」
「そうね。バラモス討伐のため、アリアハンを旅立ち早や数年…長いようで短かったわね…」
ステラが答えた。
「俺たちはこの戦いを誰に強制されたわけでもない。また富貴や立身出世を求めて立ち上がったわけでもない。心の底から湧き上がる何かに突き動かされここまで来た。隣で戦う仲間も同じ気持ちであると信じてな。だが始まりがあれば終わりもある。俺たちの冒険の終わり。それはゾーマを倒し、アレフガルドに光をもたらすことだ」
五人はアレルの言葉にうなずいた。決意をもった十の瞳がアレルに応える。
「よし、ではもう一度、話を整理するぞ。俺たちはリムルダール大陸北西端の岬から『虹のしずく』をもって橋を架ける。その後に橋を渡り魔の島に突入する。かなりのモンスターの大群が想定されるから、絶対にバラバラにならないよう注意してくれ。首尾よく城の外を守るモンスターを蹴散らしたらゾーマの城に突入だ。以降の戦いはゾーマの側近たちとの戦いになるだろう。気を引き締めてくれ!」
言い終わると同時にアレルは立った。
「目指すはゾーマの首。そしてアレフガルドに夜明けを!」
「おお!」
食事を終えたパーティーは闘志を胸に抱き、宿を後にした。マルセラとエバンス神父が宿の外で待ち、町の外まで共に歩く。最終決戦に挑もうと云う彼らの顔はすでに気持ちが戦いに行っている。先頭のアレルも凛々しい顔つきだった。
「アレルさん、ご武運を」
「はい、今度お会いするときは太陽の下ですね」
「太陽…ああ…もう何年見ていないのでしょう」
「マルセラ、太陽が上がったらゾーマがくたばったと云うことだ。その時はキメラの翼でラダトームに行き、それを伝えてくれ。俺たちもリムルダールには寄らずにラダトームに直接凱旋するからよ。王様やケインズ殿、ガライに凱旋祝賀会の用意をしろと尻を叩いておいてくれ。バトル後の俺たちは信じられんほど食うぞ」
剛毅なカンダタの言葉にマルセラは微笑んだ。
「分かりました。とびきりのご馳走をたくさん用意させておきます」
「エバンス神父、本当に色々ありがとうございました。あなたの精霊法術がなければ私はあのままヌエに憑かれたまま死んでいたでしょう。お礼申上げます」
「いやいや、ゾーマに挑もうとされる方たちを助けるのは、このアレフガルドの民として当然のこと。礼には及びませぬ」
いろははエバンスに合わせて歩いているので、パーティーより少し間が空いてしまった。
「ところでいろは殿、アレル殿のお父上のことであるが…」
「オルテガ様のことですか?」
「ええ、マルセラの要望でアレフガルド全ての町に伝書鳩を飛ばして確認したのですが、オルテガ殿はどこにも立ち寄ってはいないそうです。無論、ラダトームにも帰っていません。おそらくはまだリムルダール大陸にいると思うのですが…」
エバンスはオルテガの息子アレルではなく、あえてパーティーの副将的立場にあるいろはに言った。アレルの動揺を危惧しての気配りだった。
「船で渡るということは?」
「リムルダールはもちろん、ラダトーム王都の船大工たちにオルテガ殿から船建造の依頼をされたら報告するようと伝えてありますが、その知らせはございません」
それ以前にゾーマの魔力の影響か、あの激流の大河に船は無意味だ。流された挙句に大破は必至。
「そうですか…。まさかあの激流の大河を泳ごうとするはずはないと思うのですが…」
だがいろはは胸騒ぎを覚えた。いつかカンダタが言ったように、暗い海で水温も低いアレフガルドの海。しかしリムルダール大陸北西端と魔の島北東端の海峡は五キロメートルほどで泳いで渡るに決意できる距離である。しかしどんな水練達者でも対岸まで泳ぎきることは不可能に思えた。だから自分たちは情報を集め、神器を手に入れ、橋を架けようとしているのである。
「エバンス神父、これを」
「『スターキメラの翼』ですね。これを?」
「もし私たちが町を出た後にオルテガ様がリムルダールに戻り、もしくは他の町に立ち寄ったとの情報を得たら、これがオルテガ様の手に渡るようにしていただけませんか」
エバンスはいろはの意図を読み取った。
「オルテガ殿に、元いた世界に戻れと?」
「はい、オルテガ様はもう十分に戦いました。故郷の奥さんのところへ帰るのを誰に遠慮する必要がありましょう。ゾーマは『ルビスに選ばれし者』とその仲間たちに任せよとお伝え下さい」
「アレル殿には?」
「後ほど私から言っておきます。お願いできますか?」
「分かりました。改めてもう一度アレフガルド全ての町に伝書鳩を飛ばしてみます」
「いろはー、何しているんだ。行くぞー!」
町の入り口ですでにパーティーは行軍の準備を整えていた。いろはだけエバンスと話していたため、置いていかれている。そのいろはをアレルが騎乗で呼んでいた。
「すぐに行きます。それではエバンス神父、よろしくお願いします」
「ご心配なく。ご武運を祈っております」
いろはは馬車の御者台に座った。隣に座るステラは
「どうしたの? 何かエバンス神父と何か話でも?」
と問いかけた。いろはは軽く微笑み答えた。
「いえ、先日のヌエの呪いを解いて下されたお礼を改めて述べていただけです。さ、行きましょう」
馬車の馬にかるくムチを入れた。馬車は進みだす。回りを固めるアレル、ホンフゥ、カンダタ、マリスも馬車の速度に合わせ馬を進めた。各々の胸中は最終決戦に挑む緊張と気合でいっぱいだった。
彼らは進む。一路リムルダール北西端の岬へ。そしてその先にいるゾーマの城に。
「行ってしまったか。あとはルビス様のご加護が彼らにあることを祈るだけだな」
「そうね…」
馬車が見えなくなるまで、マルセラとエバンスは見送っていた。そして二人で暗闇の空に祈る。いろは、アレル、そして仲間たちにルビスの加護があらんことを。
エバンスは自分が神父を勤める教会、マルセラも自分の診療所へと。彼らの日常が戻った。翌朝、起床したマルセラは診療所兼自宅入り口のポスト台に鳩が止まっているのを見つけた。ラダトーム王都からの手紙が鳩の体に着けられていた。
(何かしら…)
鳩から手紙を取り、広げてみるとそれは知っている文字で記された手紙ではあるが、あわてて書いたのか、やや文字が乱れている。
(何だガライからか…。どうしたのかしら、こんなに急いで書いて…!?)
『マルセラ、カンダタ殿が僕の『銀の竪琴』を持ち出した。ただの物取りで行ったことではないことは知っている。問題は何に使うかだ。君も知っての通り、あの『銀の竪琴』は僕の旋律でなければ魔物を引き寄せてしまう。彼は敵地である魔の島に踏み入り多勢のモンスターに囲まれた場合、使用する気だろう。そして敵を自分にひきつけ、何がしの罠に誘う策かもしれないが『銀の竪琴』の誤った旋律を聴いたモンスターは罠や攻撃いずれにしても、多少のダメージでは歩みを止めず、しつように演奏者に牙を剥く。たとえカンダタ殿に卓越した素早さがあろうとも危険すぎる。マルセラ、何とか彼を説得して『銀の竪琴』を彼から取り上げて欲しい』
「そんな…」
思わずガライからの手紙をマルセラは力強く握って潰してしまった。
リムルダールの町から虹の橋をかけるリムルダール大陸最西端まで馬車で一日の距離であり、すでにアレル一行はその地に到着しているだろう。
「遅すぎるよガライ! あと一日早ければ!」