月の魔法に、姫は煌めき   作:音佳霰里

3 / 4
3話 2日目

 

 

 

 2日目.As sink,as usual

 

「―――はぁ……」

 

 俺は溜息をつきながら、とぼとぼと学校への道を歩いていた。

 歩きながら思い返すのは、昨日の出来事。

 

 紅髪の少女に着いていった先の路地裏で、謎の野良犬、の様な生き物と出会って、それで俺はいつの間にか倒れていて―――? 

 

「……訳が分からん」

 

 切実に。そう思った。

 

 ―――見上げる街の空は、なんだかくすんで見えた。

 

 

 

 

「おはよう、瑞乃」

 

 教室に入るとすぐ、瑞乃の奴の姿が目に付いた。

 あいつは他のクラスメイト達と共になにやら話している。

 昨日のテレビの番組の内容かと思ったが、彼らの深刻な表情を見るに、どうやら俺の推察は全くの外れらしかった。

 

「―――おう、日向か。ちょうど良かった」

「ちょうど良かった? どういうことだ、それ」

 

 不可解な事を言われ、思わず眉をひそめて聞き返す。

 すると、奥にいるクラスメイトの1人―――『樹崎(きざき)レオン』が、ニュースサイトの表示されたスマホの画面を差し出してきた。

 

『××県蒼星町 失血死5人目 吸血鬼事件の被害者か』

 

「―――なん、だよ、これ」

「今話題の『吸血鬼の噂』に関係してると思われる記事だよ。とりあえず読んでみろ」

 

 そう言って樹崎から手渡されたスマホを受け取り、スクロールしていく。

 

『○○月18日、××県蒼星町にある公園のトイレの裏手で、男性が倒れているのが発見された。警察の発表によると、死因は失血死で、所々体には足りない部位が見受けられたとのこと。警察はこの遺体に事件性があると判断し、今蒼星町の中で話題となっている『吸血鬼』に関係する一連の事件と関連付け―――』

 

 そこまで見て、目線をスマホから切る。

 なんだよ、18日って。それって、つい2,3日前の、ごくごく最近の話じゃないか。

 

「―――まぁ、そういうこった。俺達も暫くは夜歩きとかは止めといた方が良いんじゃねえのか?」

 

 樹崎が、周りの奴らに確認するような口調で言う。

 樹崎たちのグループは、自分たちのことを『不良軍団』なんて名乗ってはいるのだが、全然そんなことは無い。たしかに深夜に屯する、という意味では校則違反なのだが、これでも県警からの表彰回数は県トップレベルなのだ。

 少しの悪行に目をつぶることが出来るのなら、コイツらは『不良軍団』どころか、ただの『善人の集まり』に過ぎないのだ。

 そもそも、軍団と言うにはいささか人数が少ないようだ。

 

「確かに、今はまだ未成年の被害なんかは確認されちゃあいねえが、いつ被害が出るかなんて分からないしな」

 

 うんうん、と瑞乃が大袈裟に頷く。

 

 確かに、その吸血鬼と思しき犯人は、今の所ターゲットを30〜40代の男女に絞っているようだ。

 だが、サブカルチャー、つまり日本のアニメや漫画、ゲームなどにおける吸血鬼たちといえば、ドラキュラの伝承にもある通り若い処女の女性の血を飲むとされているため、この吸血鬼がどうなのかはさておいて、この辺り一帯の若い女性達が無事であるという確証が得られる訳では無い。

 

 とにかく。

 

「―――そうだな。俺もなるべく気をつけるようにするよ」

 

 俺に、というより世間一般の人達は、自宅に閉じこもってただただこの事件が終息するのを待つしか、方法は無いのだ。

 

 

 

 キーンコーンカーンコーン。

 

 本日も例のごとく、退屈すぎる授業をBGMに意識を彼方へと飛ばしていると、昼休みまで時間は過ぎていた。そういえば、やるべき事があったのだと思い出した。

 

「間に合うか―――!?」

 

 目指すは、1-Bと食堂を繋ぐ渡り廊下。

 幸いにも、ここから走れば1分もかからずに辿り着くことが出来そうだ。

 

 ―――そして、聞かなくては。

 昨日の『アレ』は一体何なのか、君は一体何者なんだ、と。

 

 普段よりも気持ちを3倍ほど急かしながら階段を駆け下り―――もとい、飛び降りた先。

 昨日もあの路地裏で見かけたあの朱が、廊下を優雅に歩いていた。

 

「居た―――!」

 

 俺の体の普段の性能からは考えられないほどの立体機動で、彼女の近くへと辿り着いた。

 

 ―――はず、なのだが。

 

「―――って、居ない……?」

 

 先程彼女がいた場所に飛びついたはずなのに、その場所は普段の廊下と同じように、人が僅かにいるだけとなっていて、とても先程の光景は現実的とは言い難い。

 

 どこに行ったのだろうか。

 ここは―――。

 

「下、とかか―――?」

 

 階段を降りたのだろうか。

 食堂に行くには少し遠回りになってはしまうが、一応行けないことも無い。

 

 そう考えついた俺は、一切の躊躇なく階下へと足を進める。

 

 ―――しかし、昼休みの時間一杯校舎を探し回ったのにも関わらず、彼女は俺の前に現れる事は無かった。

 

 

 

 

 放課後。

 相も変わらず、瑞乃は何か用があるということで一緒に帰ることが出来ず、俺は一人で校門近くを歩いていた。

 

 ―――だが、今だけはそれは俺にとって好都合な出来事だった。

 

 

 秋も中頃になってきて、早く朱色に染まり始める太陽に横顔を照らされながら、ゆっくりと校門をくぐる。

 

 ……さて、これから月宮を探すという目標を立てるのは良いのだが、どうすれば見つけられるのだろうか。

 

 頭の中に町の地図を思い描きながら、少し急ぎめに長い坂を下る。

 放課の時間になってからまだ浅いからか、周りにはチラホラ制服姿の学生も見える。

 そんな人々の流れに沿って坂を下り、ようやく学校前の交差点へと辿り着いた。

 

 十字路―――と言っても、実質T字路のようなものなのだが、ここの交差点は、それぞれが町の中心となる幹線道路へと繋がっていて、車通りも多い。

 また、デパートや雑貨店、そして飲食店なんかが多く立ち並ぶ、駅前の繁華街にも道1本ですぐ行けるため、放課後になるとうちの学生の殆どが、まずここを目指す。

 

 ―――という事なのだが。

 取り敢えず、俺は繁華街―――と言うより、駅周辺に大量に存在している路地裏の数々を、虱潰しに探していけば良いのだろうか。

 

 もし何らかの理由があって路地裏に月宮が屯しているのなら、そこを探す価値くらいはあるだろう。

 

 俺は気合いを入れ直すかのようにメガネを1度だけあげると、ネオンが煌めく繁華街へと繰り出していくのであった。

 

 

 

「―――っ、ふぅ……」

 

 月宮を探そうと歩き出してから、もう数時間が経ってしまっていた。

 時計はとっくに日付を変えていて、煌々とネオンに照らされ光る月は、真上から俺を見下ろしている。

 

 今俺がいるのは、繁華街の路地裏のどこかにあったベンチ……である。

 

 正直に言うと、俺は路地というものを舐めていた。

 これまでの俺は、路地裏というものは、暗くジメジメしていて、なんだかヤンチャなお兄さん方が屯している場所、そんなイメージを抱いていた。

 確かにこれらは間違いじゃない。ただ一つ、まるで迷宮の様である、なんて文言をつけ忘れてはいるが。

 

 想像できるだろうか。

 アスファルトとコンクリートの建物に四方を囲まれた、代わり映えのしない景色。その中を、方向感覚を失われた状態でただただグルグルと歩かされるその状態を。

 

 最近の都心はコンクリートジャングルなんて呼ばれているが、これはまさにコンクリート樹海なんて呼ばれても、なんら不思議ではない。

 

 本当にベンチがあって助かった。

 スマホももう充電が切れかけていたので、ここらで一旦頭をリセットできる環境があるのはありがたかった。

 

 と、ふと道端にある自販機が目に入る。

 そう言えば、もう何時間も飲まず食わずで歩きっぱなしだった。昔から身体が丈夫だとはいえ、ここまで無茶をすると流石に疲れが溜まる。

 なにか飲もうと自販機に近づいた時、ふと壁の反対側に、誰かが寄りかかるようにして立っていたことに気がついた。

 

「―――?」

 

 その人は俺の視線に気がつくと、少しだけ首を傾ける。

 そして急に何かに納得したように頷くと、おもむろにこちらに歩み寄ってきた。

 

 カツカツと奏でられる足音が、暗い路地裏によく響く。

 足音が、俺のすぐ側で止まる。

 

 影は自販機の灯に照らされて、その輪郭をはっきりと映し出す。

 

「え―――?」

 

 そこに居たのは、うちの高校の制服を着た、見知らぬ女性だった。

 

「こんばんは、日向くん」

 

 彼女は何故か律儀にお辞儀をすると、俺の名前を呼んできた。頭を上げた拍子に、サラリと緑の明るい髪が流れたのが目に付いた。

 

 思わずこんばんは、なんて返してしまうと、目の前の女性は『はい、こんばんは、ですね』なんて微笑んでいる。

 

 ―――いや、それよりも。

 

「―――あなた、誰ですか?」

 

 俺は彼女のことを知らない。

 確かに、同じ学校の制服を身にまとっているのだから、どこかで見かけた事があると言われればそれまでである。

 だが、俺は『目の前の女に名前を呼ばれるほど親しい関係は持っていない』はずなのだ。

 

 しかし、目の前の女は『ははーん……』なんて言いながら両目を輝かせている。

 

「本当に知らないんですか? この私、『ベル・アルバート』の事を」

「いや、本当に知ら―――」

 

 外国人みたいな、と言うより、本当に外国の名前だ。留学生なのだろうか。

 いや、そもそもベル・アルバートなんて名前は聞いたことがない。クラスメイト達の口からもその名前を聞いたことがないのだから、まさか本当にうちの学校には居ないのだろうか。

 

 俺は素直に『知らない』、そう言おうとして―――。

 

「『いえいえ、そんなはずはありません。あなた達蒼星高校の生徒達は、ベル・アルバートの事を知っているはずです』―――そうでしょう?」

 

 

 ―――そうだった。

 目の前に立っている彼女の名前は『ベル・アルバート』。

 フランスからの留学生で、今は3年C組に在籍している。

 性格は明るく、また周りの人々に対してかなりのお節介焼き―――というと若干の誤解が生じてしまうのだが―――だ。

 

 東に困っている後輩がいれば、それを優しく導いてやり。

 西に怪我をした同級生がいれば、救急箱を持って駆け付ける。

 1階にある職員室に手伝いを望む教師がいれば、どこからともなく現れ、ササッと問題を解決していく。

 

 そうした性格だからか、教師・生徒問わず、はたまた学校外も含めた周りの人間からの信頼は厚い。

 

 そんな万能の人であるベル・アルバート先輩が、学校の制服を着たまま、今何故か俺の目の前にいる。勿論時間は深夜である。

 

「先輩、どうしたんですか、こんな時間にこんなところまで?」

「それを言うなら日向くんだって。暗闇の中でぼーっと突っ立ってるのを見た時は、自分の目を疑いましたよ」

「あはは……それはどうも、何と言うかすいません……」

 

 こればっかりは反論が出来ないので、素直に謝る事にする。

 暗闇の中で驚く、なんてシチュエーションに昨日の月宮とのことを思い出すが、これで俺も人のことを言えなくなってしまった。

 

「全く……。

 まあ、それは置いといて。―――一つ、日向くんに聞きたいことがあるんです」

「―――?」

 

 はて、聞きたいこと、とは一体。

 頭を捻っても、答えが浮かんでくることは無い。

 

「そのですね、最近話題になっている月宮さんとの接点について―――って、あぁ、もう来ちゃったんですか。タイミング悪いなぁ……」

 

 そう言うと先輩は、立っていた場所から1歩下がると、これまた律儀に『それでは』、なんてお辞儀をしてその場から去っていった。

 

「……結局、先輩は何が聞きたかったんだ……?」

 

 そうボヤきながら、自販機でなにか温かいものを購入しようと、財布の中を漁る。

 

 ピシリ。

 どこかすぐ近くから、そんな音が聞こえてきた。

 

「―――ん?」

 

 最初は財布から何か小銭でも落ちたのかと思ったが、見回してみても何も無いことから、どうやら違ったらしい。

 

 そこで再び耳をすまして見ると、その音は連続して響いていること、また路地の奥の方から飛んできていることが分かった。

 

「―――行ってみるか」

 

 ここに月宮が居なかったら、大人しく家へと帰るルートを探すとしよう、そんな意気で、その音のする方へと歩いていく。

 

 真っ暗闇に包まれた、無機質な四方向の壁。

 それが一部途切れているところで、音は響いているようだった。

 

 音源に近づくに連れ、段々と気温が下がっていく。

 今は秋の中頃だ、幾ら夜が冷え込むとはいえ、これ程までに気温が落ちるのはおかしい。

 

 寒さに身体を震わせながら、角の先を覗き込む。

 

「―――は」

 

 そこに立っていたのは、純粋な冷気の塊だった。

 両手に描くは、幾何学的な模様をした何かの陣の様な絵柄。

 そこからは目にも留まらぬ速度で、冷たいものが射出されている。

 

 それが当たった先で凍り付いているのを見ると、打ち出しているのはさしずめドライアイスか液体窒素、もしくはそれに近い温度のものなのだろう。

 

 それよりも、何より目を引くのが壁一面にこびりつく、どす黒い赤。

 この色自体は、俺だって、いや、誰だって目にしたことのある。―――血だ。

 

「つき、みや……? 何だよ、これ―――」

「―――」

 

 俺の震える声が聞こえていないかのような凛々しい横顔で見つめる先には、いつか見た犬のような何かそっくりの皮膚の色をしたヒトガタが何人か。

 

「『―――、―――』」

 

 冷静にそれらに相対する月宮が、小声で何かを呟く。

 すると、両手どころか空中にまで展開された陣から、次々と氷柱らしきものが飛び出して行く。

 

「あ―――」

 

 ヒトガタに当たり、氷柱は綺麗に砕け散る。

 欠片がキラキラと月の光を反射して、まるでスポットライトのように月宮を彩る。

 

 ―――正直に言えば。俺は、目の前のこの有り得ない光景と月宮の姿のコントラストに、見惚れてしまっていた。

 それこそ、口から感嘆の息が漏れていることすらも気付かないほどに。

 

 だからだろうか。

 背後から躙り寄る、異形の存在に気付くことが出来なかったのは。

 

「かきくこけくきかくこきけかかき!!!」

「なっ!?」

 

 突如、俺の背後からこの世のものとは思えないような声が突き刺さる。

 

 いつの間に居たのか、四足歩行のヒトガタらしき物が、俺の無防備すぎる背中を狙って飛び掛ってきていた。

 

 当然だ。

 さっきの幻想的な光景に目を奪われて忘れていたが、ここは本来なら血が飛び交う戦場なのだ、多分。

 そんな中でボケっと突っ立っている獲物が真っ先に狙われるのは、自然の摂理だろう。

 

 しかし、月宮はそれすらも上回る超人的な反応速度で、こちらに向かって氷柱を打ち出してきた。

 

 狙うは俺の背後にいるヒトガタ。

 打ち出していたスピードから考えると、ヒトガタが俺の体に飛び付くまでには余裕で間に合うのだろう。

 

 しかし、それはあくまで遮蔽物が無ければの話だ。

 現在この場には、俺という大きなお荷物が壁もかくや、射線を塞いでいた。

 

 ―――あ、死んだ。

 そんな呆気ない感想が、脳内を駆け巡る。

 

 このままでは、俺の体は音速に近い氷柱に貫かれ、その働きを停止するのだろう。

 

 俺はこの先襲い来る衝撃に備え、目を瞑り―――。

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……あれ? 

 

 何時までも身体に痛みがやってくることは無い。

 痛みを感知する暇もなく死んだのかとも思ったが、身体は動いているからどうやら違うようだ。

 

 恐る恐る目を開くと、驚きに大きく目を見開く月宮と目が合った。

 

 俺の身体には、凍傷どころか傷一つついていない。

 

 後ろを振り向くと、凍り付いて氷像へと変わり果てたヒトガタが。

 

「「―――どういうこと?」」

 

 この時2人の心情は、奇しくもシンクロ率100%を叩き出したようだった。

 

 

 暫くの沈黙を経て。

 ようやく再起動した月宮が口を開く。

 

「……あの、先輩? これは一体、どういうことなのかしら?」

 

 恐ろしい。表情自体は笑顔なのだが、何よりその目が一切笑っていない点が恐ろしい。

 

「―――いや、それはこっちが聞きたいことなんだけど」

 

 声は震えていないだろうか。

 いや、間違いなく震えているに違いない。

 だって、目の前の後輩には、()ると言ったら()りそうな程の凄みが溢れている。

 

 この顔を恐れない人間、いや知的生命体が、この世にどれほど居るだろう? 

 

「……ハァ。仕方無いわね。話は後。―――着いてきて」

 

 呆れたようにため息をついたあと、彼女は足早にここを歩き出した。

 

 今なおポタポタと滴り続ける血痕の後処理をどうするのかは気になるが、今は月宮を追うのが先だ。見失わないように気をつけないと。

 

 月は未だ、俺達を真上から見下ろしている。

 

 

 

「―――」

 

 先程の場所から徒歩で10分もしない場所。

 駅前の中でも特に再開発が進んでいる区域にある、超高級タワーホテル。

 そこのエントランス前で、彼女は歩みを止めた。

 

「ここ、ここが私の仮拠点よ」

 

 そう言うと、慣れた手つきでロックを開け、エレベーターに乗り込む。

 道中教えてくれたのだが、彼女は最上階から何フロアかを貸し切っているようだった。

 さすがセレブ。金の使い方が違う。

 

「お邪魔しまーす……」

 

 豪華絢爛な装飾は、美しさを通り越して最早目にダメージを与えに来ている。

 庶民ではまず手の届かないような調度品の数々が、部屋の中にゴロゴロと。

 

 何だ、シャンデリアって。これリビングルームに置くものじゃないだろ。

 

「楽にしていいわよ。あ、何か飲む?」

 

 俺が場違い感に戦々恐々としている中、月宮はつかつかと部屋の中にあるドリンクサーバーのボタンを押して、ジュースをコップに注いでいる。

 ……今ばかりは月宮の胆力が羨ましい。

 

「―――それじゃあ、話し合いを始めましょうか」

 

 飲み物を飲んで一服した後、真剣な顔つきになった月宮はそう切り出してきた。

 しかし―――。

 

「話し合い、って言ったって、何を話すんだ? そもそも、何にも状況を分かってないんだぞ、俺」

 

 昨日の夜から、ついさっきのことまで。

 非現実的な出来事が一気に襲いかかって来たせいで、もう頭がパンクしそうだ。

 

 それに、月宮は何やら俺に聞きたいことがあるみたいだが、勿論俺にだって聞きたいことはある。あのヒトガタについてとか、あの魔法陣についてだとか。

 

 そう伝えると、何故か月宮は苦々しい顔をした。

 

「……ちょっと、待って……? それじゃあ、魔術とか吸血鬼とか、一切知らずに私の魔術を無効化したって言うわけ……?」

 

 最早口調がボロボロに崩れている事など気にもかけず、彼女は何やら小さく唸っている。

 

「……魔術? 吸血鬼? 一体何を言ってるんだ?」

 

 また訳の分からない単語が出てきた。

 いや、意味は知っている。知っているのだが、それらはフィクションの産物のはずであって。

 

「―――そう、分かったわ。何も知らないあなたの為に、私が1からレクチャーをしてあげます」

 

 思いっきり顔を歪めながら、そう言った。

 どこから取り出したのか、顔には俺とお揃いの眼鏡が掛けられている。

 クールでキリッとした彼女のイメージに、知的な雰囲気が混ざり始めた。

 

「よろしく、お願いします……?」

 

 何が何だかよく分からないか、取り敢えずお願いをしておく。

『よろしい』と頷くと、彼女は口を開いた。

 

「―――まず、『魔術』についてね。

 魔術って、どんなイメージがあるかしら?」

 

 言ってみて、と手でこちらを指してきたので、率直なイメージを告げる。

 

「えっと……そう言ってもらったところ悪いんだけどさ、魔法と魔術? って何が違うんだ? あそこで見た光景からすると、月宮が使ってたのはどちらかと言うと魔法っぽかったんだけど……」

 

 俺がそう言うと、月宮は大きくため息を付いた。

 

「あのね、私みたいな魔術師だから良かったけど、この質問、他の奴にしたら大変なことになるんだからね」

「え、そんなにひどいのか? 今の」

「ひどいっていうか、これはもう全世界の魔術師を敵に回しているようなものよ?」

 

 そうだったのか。

 正直なところ、そこまで違いが有るようには見えなかったのだが……。

 

「―――はぁ、呆れた。こんな素人に私の魔術を無効化されるなんて……」

「うるさい。俺だって無知を晒してる自覚くらいはあるんだ。……それで? 一体何だってんだよ、その『魔術』って」

 

 これ以上この話を続けると、言葉の殴り合いなんかに発展しそうだったので、無理やり話題を切り替える。

 

「……そうね、説明に戻りましょう。

 ―――この世界には、人々が潜在的に体内に持っている『(オド)』と、大気中や地面の中なんかに満ちている『(マナ)』っていうエネルギーの2つが有るの」

「へぇ……そんな物があったのか。知らなかった」

「それもそうでしょうね、この2つのエネルギーは適正がなかったら、扱うことは愚か見ることすらできないんだもの。

 ……話を戻すわ。それで、自身の体内に眠っている『陰』を、大気中に漂う『陽』の中に混ぜて指向性を持たせることで、初めて魔術っていうものは使えるようになるの。

 まぁもう少し細かい区分やら何やらがあったりするのだけど、今はこんなところかしらね」

 

 ……なるほど。

 専門的な用語をなるべく抑えながら説明してくれたおかげで、なんとなくではあるが理解できた。あの時、月宮が路地裏でヒトガタに対して使っていたのも、魔術だったということか。

 

「―――いや、ちょっと待ってくれ。それだと、ますます魔法と魔術の違いが分かりにくくなってないか?」

 

 大気中の『マナ』ってエネルギーに指向性を与えて扱うのが魔術なんだったら、その魔法っていうのはどうやって扱うのだろうか。

 そもそも、どこからが魔術の領域で、どこからが魔法の領域なのかも分かっていないし。

 

「ええと……魔法と魔術の違いと言われると、言語化が難しいのだけれど……

 大雑把に言うなら、そうね……。『魔力を持たない人間でも再現が可能な事象』が魔術で、『いかなる方法を用いても再現が困難な事象』が魔法……って感じかしら?」

「……?」

「まぁそうなるわよね……。

 具体的に考えてみましょう。あの時―――先輩と私が路地裏で()()()出会った時、氷の塊を撃ち出していたでしょう? あれは―――」

「―――っ、ちょっと待った。それ、おかしいぞ」

「―――って、え?」

 

 そう、俺と月宮が初めて出会ったのは、確かに路地裏で間違いはない。

 だが、『そこ』じゃない。

 

「月宮お前、俺と初めて会った時、氷の魔術なんて使ってなかったじゃないか。確か……そう、眠くなるような魔術を使ってきただろ?」

「いや、あれはスプレー型の睡眠薬で……って嘘!? それも覚えてるわけ……!?」

 

 そう月宮は言っているが、あんなファーストコンタクトを忘れるやつはそうそう居ないと思う。

 

「―――まさか私の権能まで弾いてくるなんて……。コイツ本当に何者なのよ……?」

「どうした、月宮?」

「……なんでもないわ。ただちょっと、先輩の理不尽加減と自分の不甲斐なさに苛ついてただけだから」

 

 ? 

 月宮が半目でこちらを睨んでいるが、生憎心当たりは自分にはなく、首を傾げる他ない。

 

「……ともかく! 私が今日使っていたもの、あれが魔術よ」

「? でも俺……というか大半の人間は、手から氷なんて出せないと思うけど?」

「あら、先輩ったら、無駄に頭が硬いのね」

 

 月宮はそんな事を言って、俺を煽ってくる。

 分からないものは分からないのだから、仕方がない……というかコイツ、本当に俺を先輩だと思っているのだろうか? もしそう思っているんだったら、この言動はもう少しどーにかならないものだろうかっ。

 

「―――液体窒素とか、そんなあたりを使えばいいじゃない」

「……あぁ!」

 

 液体窒素とは、よく化学の教科書なんかで文字列として目にすることのある窒素という物質を、熱サイクル―――動力や熱などのエネルギーを用いて、冷された物体から更に吸熱をするシステムのことだ―――を用いてとにかく冷やし、更に空気中の他の物質や、小さな塵なんかを取り除いて作る超低温の物質だ。

 主な用途としては、食品類の瞬間冷凍や、血液などの冷凍保存なんかがあって―――。

 

「―――確かに、それならできなくはなさそうだ」

 

 沸点が−196℃ともなれば、水だけではなく他の物質だってカチコチに凍らせることぐらいは容易いのだろう。

 

「そ、そういうこと。分かってもらえたかしら?」

「まあ、それは。でも、そうなると今度は魔法について知りたいな。どういう奴が使えるんだ?」

 

 そういうと、一瞬月宮は悲しそうな目になる。

 しかし、続く言葉で俺の疑問は氷解する。

 

 

「―――居ないのよ、もう。この世界のどこにも」

 

 

「え―――」

 

 

「確かに、昔……大体『神話があったとされる時代』頃に生きていたとされる人々の何人かは、魔法を扱えたって、そういう記録があったわ。

 でも、今はもう居ない。死んだのよ、十年前に」

 

 十年前―――俺が飛行機で事故に遭い、家族を失った年と同じだ。なんだか奇妙な偶然を感じる。

 

「死んだって……なんでだよ?」

「……わからないの。何も。その魔法使いがどこで死んだのかも、なぜ死んだのかも」

「―――」

 

 この奇妙な事実は、ストンと俺の胸の中に落ちてきた。

 確かに、居ないんじゃ確かめようもない。それは、どうしようもない事なのだから。

 

 ―――起こってしまったことは、―――失ってしまったものは、二度と取り戻すことはできないのだから。

 

 と、湿っぽくなってしまった空気を払うかのように、月宮は軽くパン、と手を叩く。

 

「そ、そうだったわね! 一体どんな魔法が使われていたのか、よね! 

 んー、でも、未だに人類にできないことは多くっても、彼が好んで―――というよりもよく使用していた魔法となると、数は限られてくるのよね」

「じゃあ、それで。どんな魔法なんだ?」

 

 彼女は再び『えっと……』と考え込んでいる。

 今度は先程よりも沈黙が長い。よほど考え込んでいるのだろうか、そして、それほどまでに考えないといけない『魔法』が、どんなものなのかも気になってくる。

 

「そうね、『奇跡を起こす魔法』……と言ったら、聞こえはいいかしらね」

「奇跡? 奇跡って言ったのか? あの?」

「ええ、そうよ。あなたが思っている『奇跡』がどんなものかは知らないけれど、世間一般で言われているその奇跡で間違いはないわ」

 

 ―――奇跡を、起こす。

 詳しいことまではわからないが、とにかくすごそうな名前だ。狙った物事を確立を無視して引き起こせるとか、そんなものだろうか? 

 

「勿論、その考えで間違ってないわ。能力としては、だいたい名前のとおりよ。ただちょっと、奇跡を起こすための方法が違うだけ」

「方法?」

「先輩は『パラレルワールド』って知ってる?」

「一応な。―――確か、この世界とは違う可能性の世界、だったっけ」

 

 そう言うと『よくできました』なんて言わんばかりの表情でうなずく月宮。

 彼女の後ろにはいつの間にかホワイトボードが出現していて、手には黒の水性ペンが。

 

「それで合ってるわ。まず、今私達が存在している時間軸があるでしょう?」

 

 ホワイトボードの左側に、大きく丸と、その中に月宮をデフォルメした絵が産み出される。

 ……関係ないけど、画力が凄いな。

 

「そして、なにか決断を強いられるような出来事があったとする。

 そうね……じゃあ、目の前に空き缶が捨てられていたとしましょうか」

 

 丸の右側面から線が一本伸びて、ホワイトボードの中央へとたどり着く。

 線の先には、スーパーなんかでよく見るジュースの缶の絵が繋がっている。正直、こういう手のものは飲まないと思っていたので、少々意外さを感じた。

 

「そして、先輩は華麗にこれをスルー、そのまま家へと帰ったとしましょう」

 

 缶の絵から線が伸び、ホワイトボードの右下へ移動する。

 すると、そこには漫画とかでよく見る、びっくりしたときに使うような強調の吹き出しがあった。

 

「するとその夜、不幸にもその缶を踏んでしまって、事故を起こした車が現れる。その結果、車の運転手ともう一人、たまたま近くを歩いていたあなたの知り合いが、事故に巻き込まれて死んでしまいました」

 

 その言葉に、なんとなくではあるが瑞乃の顔を思い浮かべてみる。

 ……だめだ。あいつが死にそうな状況があまり浮かんでこない。

 

「―――先輩なら、この状況どう思う?」

 

 ……どう、か。

 どう思っているかと言われても―――。

 

「―――別に。残念だったな、とか、死んでしまったのか、とか。そんな感じだよ」

「そうなの? 『あの時俺が、缶を拾っていれば……!』みたいなことにはならない訳?」

「ならないならない。だってもう、その車を運転していた人と、その瑞……知り合いのやつは死んじゃったんだろ? じゃあ、それはもう決まってることなんだ、俺なんかじゃどうしようもないよ」

 

 もう決まった過去は変えられない。

 失ってしまったものは二度と取り戻せることはない。

 

 ……それが。それこそが、あの飛行機事故で生き残ってから十年経った今でも、俺の価値観の根底に深く根付いているものだった。

 

「―――ふぅん……。先輩って、難儀な性格してるのね」

「まぁな。悪いが、こればっかりは直せそうにもない」

「……そ。まぁいいわ。それで、話を戻すけど。

 もし先輩が、缶を拾っていたら。その結果、事故が起きなくなって、その知り合いの人も死ぬことはなく、先輩は平穏な生活を続けられる。この“もしも“の時間軸……パラレルワールドのことを、私達は『平行世界』と呼ぶの。

 これは大丈夫? よろしい。なら、ここからが本題ね。それで、その魔法使いが使う魔法はちょっとだけ特殊なの」

「特殊?」

「そう。彼の使う魔法は、『平行世界のありえた可能性を今いる時間軸へと喚ぶ』というものなの」

 

 ??? 

 名前がごちゃごちゃして分かりにくい。つまり、どういうことなのだろうか……? 

 

「ちょっとわかりにくかったかしら。それじゃあわかりやすく、この絵で説明するわね」

 

 そう言って月宮は、自分で書いたホワイトボードの絵をペン先で軽く叩く。

 

「前提条件として、その魔法使いのいる世界線を、さっきの『事故が起こってしまった方の世界線』として考えるわ。

 まず、彼が事故の存在を認識して、その事故を取り除こうとする」

 

 右下の強調の吹き出しが、もう一度別の色で上書きされる。

 ……どこに隠し持っていたんだろう。ポケットとかではなさそうだ、サイズからして。

 

「そして彼は、『事故は起こったものの、友人が巻き込まれなかった世界』か『事故がそもそも起こらなかった世界』という、『結果』だけを連れてくるの」

「すると、どうなるんだ?」

 

 キュッキュ、と、ペンとボードの擦れる音があたりに響く。

 人の形をしたキャラクターが、○で囲まれる。そこから伸びる線は、赤色で縁取られた吹き出しに繋がっている。

 

「するとなんと、死んでしまったはずの友人が行きている状態でこの世界に存在しているではありませんか!」

 

 ぱんぱかぱーん。スマホから流れるそんな軽い効果音が、虚しく部屋に響く。

 

「―――ゴホン」

 

 やっていて恥ずかしかったのか顔を赤く染めながら、彼女は場を仕切り直す。

 

「と。まあこんな感じよ」

 

 言葉は少ないながらも、図表があったおかげで、だいぶ簡単に理解することができた。

 つまり、彼女の言いたいことをまとめてみると……。

 

「その魔法の効果って、『平行世界の可能性を今いる世界に上書きすることで、“こうあったかもしれない"っていうifを、今いる世界に持ってこれる』……ってところか?」

「……驚いた。先輩ったら、魔術関連はなんにも知らないくせに、案外地頭だけはいいのね」

「……だけに、は余計だろ」

 

 よかった。

 素人考え丸出しな意見ではあったが、どうやらそれが正解のルートだったようだ。

 

「それじゃあさ、他にソイツが使っていた魔法ってないのか?」

「……ないわね。さっきも言ったけど、魔法を使える人はとっくの昔に死んでいて、文献すら残っていないこともザラなの。それに、もし仮に文献があったとしても、大体が数千年前のものになるから、解読にだって時間を使うし……。

 ぶっちゃけて言うと、その魔法がチートすぎて、それだけで事足りることが多かったから使わなかったんでしょうね」

「そうか……」

 

 とここで、他に疑問に思ったことを聞いてみる。

 

「そういえばさ、あの路地に居たのも魔術で作られたやつなのか?」

「あぁ、あれ? あれは違うわよ。あれは『彼方者(ディザスター)』と呼ばれる奴らよ」

「……でぃ、ディザスター?」

 

 これまた聞いたことない単語だ。

 

「なんだよ、そのディザスター? って」

「吸血鬼は知ってる? 吸血鬼が使い魔とした死体のことを『彼方者』と呼ぶの」

「え―――」

 

 吸血鬼? 吸血鬼と言ったのか? コイツは。

 

「? もしかして、吸血鬼を知らないのかしら?」

 

 いや、知ってるか知らないかで言うなら、一般常識レベルには知ってると思う。

 

「だって、吸血鬼ってフィクションの存在のはずだろ!?」

「……あ、そっか。一般人はいきなり『吸血鬼が居ます』なんて言われても信じられないか」

「当たり前じゃないか!」

 

 虚構の存在が、現実の存在としてこの世界に生きている。

 そんなことを急に言われて、『はいそうですか』と信用できる人間はなかなか居ないだろう。間違いない。

 

 ……しかし、それも恐らく今日までのこととなるのだろう。

 実際問題、『魔術』という非現実的な事象を目の当たりにしてしまったからこそ、吸血鬼という存在を一概に『有り得ない』と否定をすることが出来なくなっている。

 

「……それで? もし仮に吸血鬼なんて存在が実在するとして、その彼方者達は何の為にその、使い魔? にされるんだよ」

「そもそもの話になるのだけれど、吸血鬼たちについてはどれくらいの知識があるの?」

 

 吸血鬼についての知識? 吸血鬼と言えば……

 

「―――えっと、日光に弱いとか、処女の血を吸うとか、あと体をコウモリに変えられるとか……そんな感じだな」

「ええ、大体はその認識で問題は無いわ。ただちょっとだけ違う……というか、追加する点も無くはないけど」

「?」

「まず、日光に弱いという点ね。殆どの吸血鬼に日光は効くのだけれど、極一部の、とても強大な力を手にした吸血鬼には聞かない場合があるわ」

「へぇ……そんな奴もいるんだな」

「まあそういう奴はレアケース中のレアケースね。吸血鬼全体の1割にも満たないわ。まず普通に生きていて会うことは、ほぼ無いと思ってもらって構わないわ」

 

 そうだったのか。俺は少しだけ緊張に強ばった体の力を抜く。

 確かに、もしも仮に、この世の中に大量に日光の効かない吸血鬼がいるとしたら、きっと世界にはもっと多くの死者がいたことだろう。

 

「処女の血を吸う……これに関しては、一概にそうとは決めつけられない現状があるの」

「それって、どういう……?」

「―――吸血鬼という生命体は、人の血……と言うよりも、その体に宿る生命力を吸うことで力を蓄えているの。そして、その力を蓄える効率が最も良い餌が、未だ穢れを知らぬ処女の血なの」

「餌って……」

 

 思わず頭がカッとなる。

 ……俺たちは家畜なんかじゃない、れっきとした一つの知的生命体なんだ。

 

「……ごめんなさい、言い方が悪かったのは謝るわ。でも、彼らはそうは思わない。古くから吸血鬼という存在は、人間をそういうものとしか捉えていないの」

「っ、そんな……」

 

 戦慄する。まるで人を人と思わないような、そんな吸血鬼の価値観とやらに。

 

「―――そう、思うわよね……。普通は皆、怖がるもの」

「つき、みや?」

「……ううん、なんでもないわ」

 

 月宮の表情はすぐに明るいものへと切り替えられたが、俺の網膜にはしっかりと、月宮のあの寂しそうな、悲しそうな表情が焼き付いている。

 

 ―――月宮、お前は一体何を隠しているんだ……? 

 

 そんな考えが、頭を過る。

 が、すぐにその嫌な想像をかき消すように頭を振る。

 

 こちらの突拍子もない行動に思わず目を向けてきた月宮に『なんでもない』と返し、俺はポーカーフェイスを装う。

 

 なんとかして思考を切り替えることの成功した俺は、月宮に話の続きを促す。

 

「……話を戻すけど、結局どうして吸血鬼たちは彼方者を生み出すんだ?」

 

 そうだ。

 なんやかんやで疑問は有耶無耶にされかけてしまったが、そもそも俺の問いはこの答えを訊くために投げかけられたものだった。

 その『彼方者』についてを聞かない限り、俺の話が先に進もうとすることはない。

 

「吸血鬼が人の生命力を吸い取って、自らの力にする……その話はさっきしたわよね?」

 

 俺は無言で頷きを一つ返す。

 確か先程の話では、吸血鬼が血を吸う理由は自身が力を蓄えるため、と月宮は話していた。

 それはつまり、成長をするため―――吸血鬼たちが、より強大な吸血鬼になることを目指しているということ。

 

 しかし悲しいかな、この俺の頭脳では、全くもって彼らが使い魔たる『彼方者』を作ろうとするのかが理解できない。

 答えの出てこない俺を見兼ねてか、月宮は俺にヒントを与えてくれた。

 

「―――吸血鬼が力を蓄えるということはね、血を吸った相手に適正に左右はされるけど、血を吸った人を吸血鬼にして自身の配下へと変えることに等しいの。これがどういうことか分かる?」

「―――……」

 

 吸血鬼が吸血行為で臣下を増やす、そうして吸血鬼は力を蓄える……そして、『彼方者』は動物の形を取った吸血鬼の配下……。

 これらの事実が導き出すこととは―――。

 

「なるべく多く人の命を得るために、使いやすい端末を増やしている―――?」

 

 そう。

 例えば、スマホのソシャゲのようなものは、一つのアカウントでプレイするよりも一人が複数のサブアカウントを操って、本命のアカウントにサブアカウントで得たリソースを全て送ってプレイするようなプレイ方法が、一番効率的だ。

 おそらく吸血鬼たちもこれと同じように、『彼方者』という複数の端末(身体)―――それも、動物体なので、人間たちよりも素早く、力も強い―――を操って、より効率的に血を集めているのだろう。

 

「ええ、大正解よ。吸血鬼たちは『彼方者』や『食屍鬼(グール)』―――ああ、この『食屍鬼』っていうのは、『彼方者』の人間態バージョンのことね―――を自身の手足として操って、なるべく多く人間達の血を吸わせ、手に入れたリソースを全て本体に送り、その力を強めようとするの。それに血を吸われた相手は、ごく低い確率ながらも『食屍鬼』になる可能性を秘めているから、こうしてまた手足を増やすこともできる。まさに一石二鳥ってやつね」

 

 なんか人間からしたら、溜まったもんじゃないな。その一石二鳥。

 

「そういえば、その『食屍鬼』って奴らは、人間が吸血鬼に血を吸われてなるものなのか?」

 

 再確認の意も込めて、そう月宮に問いかける。

 

「んー、そうね。大体はかなり力を付けた『彼方者』が、より強さを求めて人間の姿に擬態する事が多いんだけど、極稀に人間がそのまま『食屍鬼』になる可能性は高いわね。ただ、動物のほうが吸血鬼との親和性が高いから、圧倒的に前者のほうが多かったりするわね」

「……ふうん。じゃあ、『食屍鬼』がそのまま知能を持った吸血鬼になる可能性はあるのか?」

「あー、それはあまりないかも」

 

 俺の問いに、少しだけ悩みながらも月宮は答えた。

 

「そもそも吸血鬼っていうのは、一部を除いて殆どの体内器官が人間とは違うものなの。だから、『食屍鬼』や『彼方者』、あと人間が直接吸血鬼になるのは、親となる吸血鬼が自身の血を直に与えて、身体に起こる変異に耐えることができてようやく初めて吸血鬼になれるの」

「変異って、どういうものなんだ?」

「一番多いというかメインになるのは、やっぱり体内器官の再構成かしらね」

 

 再構成? 確かに吸血鬼と人間との身体は違いが多いとは言われたが、わざわざ体の中身を作り変える必要はあるのだろうか? 

 俺としては、吸血鬼にあって人間にはない器官を新しく生成するだけで十分だと思うのだが……。

 

「そんな訳無いでしょう。そもそもの話、吸血鬼と人間とでは主となるエネルギー源がぜんぜん違うのよ? そうなったら、まずは細胞の構成から作り変える必要があるに決まってるわ。先輩にもわかりやすいように言うなら、動物細胞を持つ人間の肌に、葉緑体を適応させるようなものよ」

「……そこまでなのか」

「勿論よ。あれの痛みは、それはもう尋常じゃないわ……」

 

 やけに実感のこもった様子でそういう月宮。

 ……もしかして、だが。

 

「―――月宮、経験でもあるのか?」

「―――いいえ、無いわ」

 

 

 ピシャリ。……即答だった。

 包丁で野菜をザクリと切るときのような、そんな鋭さを帯びた月宮の言葉。

 その口調は、否が応にも俺の推測に、真実味を帯びさせる。

 

「―――」

「―――」

 

 だが、ここまではっきり『無い』と言い切る理由としては、2つある。

 一つは、本当に何も知らない場合。だが、もしこちらが真実だった場合、今の月宮のこの目が俺に向けられていることはありえない。大抵の場合は『濡れ衣だ』などと言って、こちらの発言を否定することが多いからだ。

 では、もう一つ。本当は知っているが、絶対に触れてほしくない場合。おそらく、こちらのほうが正しいのだろう。なぜなら、今の月宮の目は、見なくとも気配で感じ取れるくらいには『拒絶』の意思を孕んでいるからだ。

 

 ほんの少し、されど永遠にも感じるような、気まずい沈黙の後、絞り出すように月宮が口を開いた。

 

「―――そういう文献があったの。自身が人間の身体から、吸血鬼の身体へと塗り替えられる過程を詳細に描いた手記が」

「……そうか、分かったよ」

 

 月宮が自分から話そうとしない限りは、そういう事にしておこう。

 無闇に心のパーソナルスペースに踏み込まれたって、待っているのは嫌悪感だけだから。

 

「それじゃあ、最後に一つだけ、良いか?」

「……ええ」

 

 話題を転換させる意味も兼ねて、俺は気になっていた疑問の最後の一つを投げかける。

 

「ちょっと前に、『魔術を扱えるやつは適正のあるやつ』みたいなこと言ってただろ? 一口に『適正』といっても色々あるけど、具体的にはどういうものなんだ?」

「なら、その少し前に『陰』と『陽』の話の話はしたわよね?」

 

 俺は首を縦に振る。

 たしか、体内にあるのが『陰』で、世界に満ちているのが『陽』だったか。それに、それらのエネルギーは適正がなければ目には見えない、と。

 

「なら話は早いわ」

 

 月宮は満足そうに頷くと、先程から彼女の背後に控えていたままのホワイトボードを、クルリとひっくり返す。

 そしてそこに、6つの丸で構成された、人の形のような簡素なシルエットを描く。

 

「まず『陰』というのは、実は誰もが必ず体内に持っているエネルギーなの」

「―――そうなのか?」

 

 てっきり『適正』というのが、潜在的に体内に『陰』が眠っているかどうかの問題だと思っていた俺は、面食らった。

 

 ―――……まるで、人の持っている生命力みたいだな。

 

 月宮は人型のシルエットの中、だいたい心臓のある位置に黒色で二重丸を描く。

 

「『陰』というのは心臓のあたりで生成されるのだけれど、そもそも大半の人は、それの存在を捉えることができないの。でも、適正を持っている人だけは、身体の中に何かがあるというのをぼんやりと感じることができる」

「ぼんやりって……。月宮の場合は、どんな風に感じてるんだ?」

「私? 私は―――そうね、何かポカポカしたものが身体の中に満ちている、といったところかしら? ちょうど温かい物を飲んだ時に似てるわね」

「なんだかずいぶんと―――」

 

 ―――可愛らしいイメージだな。そう言う寸前、キッと月宮の視線に射抜かれる。

 

「―――何か?」

「……イエ、ナンデモ」

 

 ため息が一つ。

 

「全く……。それで、魔術というものを行使する際に、この『陰』を体外の『陽』と混ぜる必要があるんだけど、如何せんこの『陰』は身体の中、閉鎖的な空間内でのエネルギーだから、なかなか体の外に出すのは難しいの」

「? でも、月宮はかなり簡単に出してたじゃないか。あの魔法陣みたいなやつから」

 

 俺の脳内に思い浮かんでいるのは、一つの光景。

 圧倒的な朱の指先から打ち出される、無数の氷の礫。空中に固定されているのは、幾何学的な模様を描く陣。

 暗く深い『闇』に囲まれていた中でも、夜空に浮かぶ月にのように、とてつもない存在感を持って自身を光り輝かせる、その姿。

 

 例えこの体が滅びようとも、あの美しい光景だけは、永久に忘れることもできないのだろう。

 

「あれは、魔術行使の補助目的で使っているのよ。あなた達が良く思い描く、『魔法使いの杖』みたいなものよ」

「へぇ……意外だな」

「っと、それは置いておいて。魔術を行使するには、体内に然るべき『回路』が必要になるの」

 

 回路? 

 身近な回路というと、電子製品なんかの基盤が思い浮かぶのだが。

 

「まぁそれも間違いではないわね。ただ、私達魔術師―――いえ、魔術を扱う者に備わっている『回路』は、体内の『陰』を外に出すためのものなの。いわば、体内から湧き出る『陰』を蛇口と仮定すると、その『回路』は水道の口につなげるホースのようなものね」

 

 そういうと、先程の話を意識してか、中央の二重丸から水色の線がそれぞれ両手足に向かって伸びていく。

 

「私達は身体に備わる『回路』を通じて『陰』を体外へと放出し、魔術を行使するの。ちなみにこの『回路』は、吸血鬼か一部の知能を持った『食屍鬼』なら、はじめから持っているものになるわね」

 

 何だそのチート。

 思わずそう声に出したくなるほどの理不尽。吸血鬼たちは知識さえあれば、魔術を行使できる。それも最初から。

 なるほど、これは人間たちが吸血鬼たちに一方的に搾取されるのも頷ける。

 

「因みにだけれど、一般人の『回路』の本数は平均して1〜5本になるわ。見ていないからわからないけれど、多分先輩もこのくらいじゃない?」

「そうか……」

 

 まあ確かに、今まで魔術に関わったことなんて無い身なので、そのくらいだと言われても素直に頷けるのだが。

 ただ、心のどこかに『悔しい』という感情が無いわけでもない。

 

「じゃあさ、どうやったらその『回路』を開けるんだ?」

「そうね……。一般的な方法としては、体内から無理やり『陰』を放出して、閉じている『回路』をこじ開けたりするわね。

 ……でも、なぜそんなことを訊くのかしら?」

「それは―――」

 

 そりゃあ、だって。

 

「―――男なら、扱ってみたくなるもんなんだよ、こういう異能」

 

 理由と言われても、これ一筋に尽きるだろう。

 

「……男ってつくづくバカね。

 ―――良い? 魔術っていうのは、先輩が思っている数百倍は辛いものなのよ? 怪我なんて普通にするし、むしろ怪我のほうがマシなときなんていくらでもあるの。私だって時々『あぁ、私はどうしてこんなことをしているんだろう』なんて思うレベルよ。……それでもなお、先輩はそんな軽い気持ちで魔術を扱おうと―――魔術師の世界に足を踏み入れようと、そう思ってるわけ?」

 

 真剣な口調で、厳かに問いかけてくる。

 ただ声をかけられているのではなく、『心の奥に』問いかけられるような光景を幻視するほどの、そんなプレッシャー。そしてカリスマ。

 

 先程までの一面が『月宮シズネ一個人』のものだとするのならば、これは『月宮グループ次期当主としての月宮シズネ』としての顔なのだろう。あるいは、『魔術師としての月宮シズネ』だろうか。

 

 でも、だとしても。

 

「―――あぁ。俺はやる。たとえ誰になんて言われようとだ」

「……正気?」

 

 俺の価値観の根底。あの飛行機事故のことを思い出す。

 事故の後、この蒼星町にある自宅に帰った俺を待ち受けていたのは、途方も無い喪失感、そして悲しさ、悔しさだった。

 

 救えなかった。手が届かなかった。

 あの時どこかに消えた妹だけでも、せめてこの手で守れていたのなら。

 

 ―――もしも、あの飛行機事故が起こらなければ。

 

 ……しかし、そんなifの可能性はありえない。俺は魔法使いではないし、ましてや超能力者でもない、ただの一般人だ。

 何ら力を持たぬただの一人間が藻掻き、足掻いたところで、『運命』という強大な力の前では、何もかもが無力と化す。つまるところ、運命には抗えない―――起きたことは、覆せないのだ。

 

 ―――だが、だがしかし。

 今から、今からでも誰かを守れる力が手に入ったのなら。

 たとえその力が、自らの身を破滅させるようなものだったとしても。俺はなんの迷いもなく、その力を手にするのだろう。

 

 だって―――。

 

「―――もう、失うのは嫌だから、さ……」

「……」

 

 知らずのうちに、顔は俯いていた。

 

 蘇ってきてしまっていたのだ。

 今まで積み重ねてきた日常が。理不尽なまでの超現象によってかき消されるその瞬間を。

 ―――そして、その後に残る、とてつもない虚無感も。

 

 もう、あんな思いは、二度と経験はしたくないから。

 

「……そう。それが先輩の覚悟なの?」

「――ああ」

「……非常に、ひじょーに残念なことに。私としても、先輩が自衛のための手段を身につけるという方が望ましいという結論が出てしまっているの」

 

 その言葉に、俺は弾かれたように顔を上げる。

 

「まず第一に。先輩は不運なことに、私が『彼方者』を殺す場面に二度も立ち会ってしまっている。

 そして第二に、何故か先輩は私の魔術を無効化してしまっている。……忌々しいことにね。もしも先輩をこのまま帰していたら、方法は何であれ間違いなく先輩は吸血鬼によって殺されるわ。だったら―――」

 

 そうして魔術師は、不敵な笑みを浮かべながら言い放った。

 

「―――だったら、研究材料としてもおもちゃとしても、手元に置いておいた方が望ましいじゃない?」

 

 ―――何だ。月宮、普段のやつよりもそっちの笑顔のほうが、よっぽど『らしい』じゃないか。

 

「これで先輩も、私と『同類』ね―――」

「―――望むところだ」

 

 俺たちは互いに口元に笑みを浮かべたまま、静かに手を組んだ。

 窓から入る月の光は、まるで俺たちの同盟を祝福しているかのようだった。

 

 

 

 

 そして数分後、『階層を変えましょう』と移動した先で渡されたのは。

 

「―――血?」

 

 よく理科の実験で使うような試験管に、真っ赤な血液が入っている。

 口は硬質のゴムで栓がしてあり、きちんと密閉されている。これにも魔術が使ってあるのか、それとも栓がよほど優秀なのか、中の血液を軽く揺らしてみても酸化している様子は全く無い。

 

「そう。少しだけ私の魔力がこめられたものよ。これを飲んで体内に私の血液―――というよりも魔力を取り入れることで、多分先輩の回路はある程度は開くと思うわ」

 

 そういうものなのだろうか。

 先輩魔術師である月宮が言うのなら間違いはないのだろうが、それでも体内に他人の血液を取り入れるということに、少なくとも抵抗感が生じてしまう。

 が、これも魔術を使えるようにするためだ。思い切ってグイッといってしまおう。

 

 ゴクリ。

 喉から鼻へ、鉄臭い匂いと共に、ひんやりとした苦い液体が流れ落ちていく。

 

 しかし、飲んでもあまり効果が感じられたようには思えないが……。

 

 これに関して訊くと、月宮からは『当たり前でしょ? 薬剤だって、飲んですぐに効果が出るわけでもないんだから』と、至極真っ当な正論を返されてしまった。

 ぐうの音も出ない。

 

 時刻も午前2時を回り、そろそろ明日の学校に備えて寝るか、というムードになる。

 

「それじゃあ私は上の階で寝てるわね。先輩はそのままこの部屋を使って構わないわ」

 

 月宮は部屋を出る直前、そう言ってきた。

 

「分かった。本音を言えば一旦家に帰りたいところだけど、こんな時間だしちょっと難しいからな。素直にお世話になるよ」

「物分かりが良くて助かるわ。それと明日の朝、先輩の体調を確認させてちょうだい」

「ああ」

「うん、それじゃあおやすみなさい」

「おう、おやすみ―――」

 

 と、バタンと扉が閉まる直前。ふと思い出したことがあって、月宮を急いで呼び止める。

 

「―――っと、月宮、ちょっと待ってくれ」

「?」

 

 怪訝そうな顔で、こちらを見る月宮。

 俺はそんな彼女に、要件を、ずっと忘れていたことを告げる。

 

「―――自己紹介、まだだったろ。月宮の名前も、俺が一方的に知ってるだけだったし」

「え、でも……。あ、そっか。もう先輩とはある種の同盟関係で、共犯者だものね」

「共犯者って……」

 

 あんまりな物言いに、つい苦笑が溢れる。

 だが、これも間違っては居ないのかもしれない。

 

 さて、いい加減に俺の名前を伝えるとしようか。

 

「―――日向、マモルだ。よろしくな、月宮」

 

 俺はそっと、手を差し出した。

 それを握る、月宮のほっそりと軽い指。

 

「―――知っているかもしれないけれど、月宮シズネです。よろしくお願いしますね、―――」

 

 ―――センパイ。

 

 今までと同じ文字の羅列、しかし違う響き。

 そこに込められた意味が、俺達の関係の変化を少しだけ表している、そんな気がした―――。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。