月の魔法に、姫は煌めき   作:音佳霰里

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書き溜め終了。


4話 3日目

 

 

 3日目.A piece of

 

『―――お目覚めください』

 

 頬に刺さる、柔らかな朝の日差し。

 身体の重みとだるさ、そして寝ているベッドの快適さが相まって、起床するのがとても困難になる。

 

『―――お目覚めください、お客様』

 

 意識の外から呼びかける声に反応して、意識も段々と、現実世界へ上がってくる。

 ぼやけた視界が、いつものように見慣れた天井を写し―――。

 

 ―――って、ちょっと待て。どこだ、ここは。

 

 見上げているのは、いつもの板張りの安っぽくボロボロな天井とは程遠い、豪華で清潔な、アンティーク調の壁紙。

 

 それを認識した瞬間、背中から一切の熱が消える。

 嫌な感じのする脂汗が滲み出し、心臓は狂ったように鼓動する。

 

 固まっていた体をなんとか動かし、弾かれたように近くに置いておいた眼鏡を手に取る。

 ようやく明瞭に見えるようになった視界には、どこかの高級ホテルのような部屋が映る。

 

「―――って、そうか……。昨日俺、ここに泊まったんだっけ……」

「―――左様で御座います、お客様」

「あぁ、そうですよね―――って誰だ!?」

 

 俺からして右隣、確か部屋に入ることのできる唯一の出入り口があった方向から、突如として見知らぬ女性の声が聞こえてきて、俺は思わず飛び上がる。

 

 そこに居たのは―――。

 

「―――お目覚めになりましたか、おはようございます、お客様」

 

 ―――メイドだった。

 

 よくあるキャピキャピした『萌え』要素がふんだんに取り入れられたようなメイド服などではなく、きっちりとした古き良き、クラシックなタイプのメイド服を着こなし、俺に向かって綺麗で、形の整ったお辞儀を披露している。

 上げられた拍子に目に入った顔。そこの右目は少し伸びた黒い前髪で隠されているものの、その姿は全く不快感を与えることがない。よくアニメや漫画の世界にいる、『メカクレ系』というジャンルのキャラクターがそのまま現実世界に飛び出してきたようだ。

 

「えと、あなたは……?」

「はい、私はお嬢様……月宮シズネ様付きのメイドにございます」

 

 は、はあ。

 どうやら彼女には、お付きのメイドさんがいるらしい。さすが月宮グループだ……。いや、これは富豪の人間ならだいたい居るか。

 

「―――そうでございました。お嬢様より、お客様に伝言を預かっております」

「で、伝言……?」

「『センパイはぐっすり眠っているみたいだから、先に学校に行かせてもらうわね。せめて遅刻しないように来て頂戴。あと、放課後は一度家に帰って、夜になってからここを訪れること。そこで改めて“回路"の確認を行うから』―――とのことです」

「え―――?」

 

 今彼女は何と言っていた? 明らかに『魔術』のことを口に―――というか、月宮は月宮で何考えてるんだ!? (恐らく)一般人に魔術について話してるなんて―――! 

 

「え、えっとですね! 回路っていうのは―――」

 

 そんな俺を見て、メイドさんはクスクスと微笑む。

 

「え」

「いえ、申し訳ございません……。ですが、ご心配には及びませんよ。私は……というより月宮家に仕える者は皆、程度にバラつきこそあれど魔術に関わる手ほどきを受けております。ですので、お客様の想像されるような事態は起こりえません」

「そ、そうだったんですか……」

 

 なんだか心配して損した。

 ホッと安堵の息を吐いて、ベッドから立ち上がろうとして―――待て。

 

 確か、月宮はもう先に学校に行っていたんだっけか。じゃあ―――。

 

「―――今、何時だ―――!?」

 

 バッとメイドさんの方を向くと、彼女は時計片手に微笑みこう言った。

 

「―――7時50分でございます、お客様」

 

 

 

 ドタバタと慌てながら制服に着替え、朝食にパンを一枚咥える暇もなく、ホテルのロビーを飛び出す。

 後ろからは『いってらっしゃいませ』とメイドさんの声と、そんな俺達を怪訝そうな表情で見つめるフロントの受付の方々の視線が突き刺さる。

 ……朝早くからごめんなさい。

 

 全力疾走をした反動で、息も切れ切れになりながらも教室に辿り着く。

 しかしその御蔭でというべきか、何とかホームルームが始まる前に滑り込むことはできたみたいだ。

 

「―――っ、ハァッ、ハァッ―――!」

 

 荒く響く足音もそのままに、倒れ込むようにして席につく。

 

「おー、ギリギリセーフだ。良かったな日向」

「ハァッ、おはよ、みず、の、か―――?」

「おう、おはよ。瑞乃で合ってるぜ」

 

 机に顔を伏せた状態のまま、声のする方に顔を向ける。

 するとそこには、ドカッとふてぶてしくクラスメイトの椅子に腰掛け、こちらを見つめる侵略者(インベーダー)の姿が。

 

 もうまもなくホームルームが始まるというのに、未だに席を占領されているもんだから、そこの席に座る女子が瑞乃の後ろあたりでオロオロとしている。

 

「―――いい加減どいてやれよ。もうホームルームも始まるんじゃないのか?」

「ん、あれ? もうそんな時間だったか? んじゃまた後でなー」

「おう、二度と来ないでくれー」

「つれねーこと言うなって!」

 

 そうして瑞乃は、手をひらひらと振りながら自身の席に戻っていく。

 そして、空いたスペースにすっと滑り込む女子。

 

 直後に、カラカラと音を立てて教師が教室へと入ってくる。

 隣を見ると、明らかにホッとした様子で息を吐いている。……あ、今こっちの視線に気づいて、顔が赤くなった。

 

 ホームルームは恙無く進行している。

 ……と。

 

「えー、今日の欠席は二名か。花曽祢は病欠だが、土屋の方は連絡なしだ。誰か知ってるやついるかー?」

 

 うちのクラスの担任であるおじいちゃん先生(御年56)が、そう切り出した。

 花曽祢は、確かクラスの中でも一、二を争うくらいの美貌の持ち主だ。

 

 昨年の学園祭の中でミスコンが開催されたのだが、名だたる先輩方が並ぶ上位ランキングの中に唯一食い込んだ一年生がこの花曽祢だった。

 ただ、彼女は割と体調を崩すことが多いようで、ちょこちょこ授業を抜け出す姿や、今日のように病欠を理由に学校を休む姿が多く見られている。

 

 しかし、土屋は違う。

 彼女が体調を崩すことはあまりなかったし、去年だって皆勤賞―――年度の中で一度も欠席や遅刻をしなかった人に贈られる賞のことだ―――を獲得している。

 それに、もし仮に彼女が学校を休むことになったとしたら、真っ先に学校へと連絡が届くだろう。

 

 普段の明るく快活な一面からはなかなか分かることはないが、意外と彼女は課せられた使命に真面目な一面を持っていたりもするのだ。

 

 そんな彼女が、学校側に一切の連絡を寄越すことなく無断欠席に走る―――。

 たったこれだけで―――否、自身が非日常的な体験をして、日常の裏に潜む闇の存在を知ってしまったからこそ、彼女の身に何かが起こったのだろうかと、不安な気持ちにさせられる。

 

 ―――そんな不安を抱えたまま、今日も一日が動き出そうとしていた。

 

 

「……」

「……」

 

 昨日は月宮の泊まっているホテルにお邪魔させてもらい、そして今日はそのまま学校へとやってきている。つまり、俺は今日の昼食を用意出来ていない。

 

 普段からあまり弁当を作るということはあまりないのだが、こう週に何度も学食で注文をするというのは、我が家の懐事情的にも少しだけ厳しいものがある。

 

 俺は注文したセットを口に運びながら、ぼんやりと辺りに注意を向けてみる。

 

 探していた人……というか一団は、とても分かりやすいので直ぐに見つかった。

 

 月宮達のグループだ。

 

 相も変わらず人々の層でコロニーを形成していて、その様子を見るだけで、こちらまで何故か蒸し暑くなってきてしまいそうだ。

 

 今の月宮の姿は、つい昨日見せたものとは違ってだいぶ刺々しいというか―――とにかく、何だが近寄り難いような、そんな雰囲気が周りに漂っている。

 

「―――……イ、ォイ、オイ!」

「―――!?」

 

 突如、目の前から響く大声に、意識を持っていかれそうになる。

 大声の下手人は怪訝そうに、しかし気遣うような気配を裏側に隠し持たせながら俺を見つめている。

 

 それにしても、大声を出されたせいで耳がとても痛い。というかいまもきーんとしている。

 

 ほら見ろ。現に周りのテーブルの何人かはこっちを見てるぞ。

 

「いつつ……何だよ、瑞乃」

「いや、悪い。日向があまりにもぼーっとしてるもんだから……。―――何か、あったのか?」

 

 つい先程までの気の抜けたような声からは一転、本当に心配そうな声が瑞乃の喉からは出ている。

 

『何かあったのか』、その言葉で俺の脳裏に思い浮かぶのは、つい昨日に出会った後輩との出来事、そして日常の裏に潜む、非日常的な存在の数々。

 

 確かに、これらの出来事を友人同士で共有できたのなら、どれほど気が楽になる事だろうか。

 

『赤信号 みんなで渡れば怖くない』

 

 そんな言葉ができてしまうくらいには、人間の罪の共有意識という物は強いからだ。

 

 ―――しかし、それは、非日常の存在の事を目の前の友人に伝えるということは、少なからず彼を巻き込んでしまうということになる。

 

 それは―――

 

「―――無理、だよなぁ―――」

 

 瑞乃には聞こえないように、小さく、小さく零す。

 目の前のコイツが相手の悩みを聞き、一緒に抱え込もうとするタイプなら、俺はその悩みを横から奪い、俺だけの悩みに変えてしまおうとするタイプだ。

 

 ―――目の前で、人が傷つくのは許せない。けど、もう傷付いて動けないのならば、それは仕方のない事だ。

 

 月宮の言った通り、我ながらなかなかに面倒な思考をしているものだと、時々自嘲する事がある。

 

 生きづらいのかもしれない、この生き方は。

 しかし、それが俺の価値観であり、古くからの存在意義となっていたのだ。こればかりは、たとえ神であろうともどうしようも出来まい。

 

 少しだけアンニュイになった気分を振り払うかのように、俺は手にトレーを持ち、食堂の椅子から立ち上がる。

 

 と、そんな俺を見つめる、一対の視線があった。

 

「―――」

 

 瑞乃だ。

 時々、コイツは超人的なまでの勘を発揮し、思いもよらぬ思考を導き出す事がある。

 

「……まぁ、さ。お前が何に悩んでるのかは知らんが、お前はお前なんだ、日向。

 自分の好きにやって見るのも、良いんじゃないか?」

 

 ―――ほら、こんな風に。

 

 特に俺が何をしているかなんて知っていないはずなのに、何故かこいつにはお見通しの様だった。

 

「―――おう」

 

 ―――しかし、そんなこいつの言葉に勇気づけられる奴が居ることも、また事実であった。

 

 

 

 ―――ザアアアア……。

 

「まいったな……」

 

 ガヤガヤと人の残っている昇降口で、俺は立ち往生をしていた。

 

 ―――今日は秋雨前線の影響で、午後からは全国的に雨が降るでしょう。

 

 今しがたスマホで調べたのだが、今日の朝のニュースで告げられていたらしかった。

 しかし、俺は今日の朝はバタついていて、それを見ることが出来なかった。

 

 つまり。何が言いたいのかというと……。

 

「傘、持ってきて無い……」

 

 そういうことだ。

 月宮が俺をホテルに呼びだした時刻はもう少し先なので、今から朝のように全力疾走で家に帰れば、間に合わないことはないのだが……。

 

 と。

 

「―――あれ? どうしたんですか、日向くん」

 

 ―――ここには居ないはずの、先輩の声がした。

 

 

 サラサラと雨の流れる町中を、先輩の差す傘に入れさせてもらいながら歩いてゆく。

 

 ―――正直、学校中の生徒のあこがれの的になっている人と相合い傘なんて、なかなかに心臓に来るんだけど。

 

「日向くんも、傘を忘れることなんてあるんですね」

「ええ。特に今日は、珍しく朝がバタバタしていたものでして」

 

 傘に水の当たるをBGMとしながら、俺と先輩は少しだけ話し込む。

 

 普段はあまり顔を合わせることのないような先輩だが、こうして話してみると意外と気さくな人だと分かる。

 ……まあ気さくでない人が、学校中の生徒に人気があるとは思えないのだが。

 

「―――確かに。昨日は一晩、月宮さんのところに居ましたもんね」

 

「―――」

 

 呼吸が止まる。

 昨日は月宮のお世話になった、それは事実だ。だが、それは誰も知らないはずの事実なのに。

 

 ―――なんで隣を歩くこの先輩は、それを知っているのだろうか。

 

「嫌だなぁ。そんなに睨まないでくださいよ、日向くん」

「……んで」

 

 知らず、声が漏れる。

 怒りの声ではない。ただただ恐怖に慄く、被捕食者のか弱い声が。

 

「なんで、あんたはそれを知ってるんだ―――?」

「……言ったじゃないですか。―――」

 

 ―――聞きたいことがある、って。

 

 横に並ぶ先輩が、そう言って妖艶に微笑んだ―――。

 

 

 

「……それで、聞きたいことってなんなんですか、一体」

 

 結局家にまで着いてきてしまった先輩を、ソファに座らせ話を聞く。

 家にあった紅茶を先輩に提供し、俺も向かいにあるソファに座る。

 

「お気遣いありがとうございます」

 

 その声に『いや、あんたが押しかけてきたんだろ』と抗議したくなる気持ちをぐっと抑え、深く息をつく。

 

「そういえば日向くん、他にご家族っていらっしゃらないんですか? 生活感があまり見受けられなくって……」

「……居ませんよ。だいぶ前から」

「……そうだったんですか。それは申し訳ありません」

 

 そう素直に謝られると、例え押しかけてきた先輩とはいえ、無下には出来なくなってしまう。小心者の悲しい性だ。

 

「……あんたは、何者なんだ」

 

 これ以上は話が脱線するだろうと判断し、俺は無理やり本題へと移す。

 

「むむ……。私が何者か、ですか……」

「あぁ、そうだ。確かにあんたは、学校の内外問わず人気の、『ベル・アルバート』先輩かもしれない」

「でしたら―――」

「―――でも、そんなアンタが敵だとは限らない。そうだろ?」

 

 そう言って俺は、静かに先輩を睨む。

 何故か先輩は、昨日俺が月宮と過ごしていたことを知っていて、なおかつ『聞きたいことがある』なんて言って、現に俺の家にこうしてやって来ている。

 

 この事から推測されること、それは―――

 

「―――何らかの事情で、月宮を追っているんですか、先輩は」

「……はい、大正解です。よく分かりましたね。てっきり『月宮の仲間なのか』とか、そんな的外れなことを言ってくるかと身構えていたのですが」

 

 ……なんで身構える必要があるんだ。あれか。笑うためか。

 

「もしそうだったら、先輩はこんな回りくどいことをしない筈です。だって、それなら月宮と一緒に俺の前に現れた方が、確実で手っ取り早い」

「なるほど、確かに……」

 

 先輩は俺の持論、といか推察にふむふむ、と頷く。

 

「そうですね。私……いえ、私達は、この町で起きている事件―――通称『吸血鬼事件』を追っています」

「私、『たち』? 先輩は個人じゃないんですか?」

「いえいえ。個人で吸血鬼退治なんて、とてもじゃないですけど出来ませんよ。流石にお金がかかり過ぎちゃいます。今私が所属しているだけではなく、他の組織だって資金難にあえいでいる程なんです。……吸血鬼退治だって、ただじゃないんですから」

 

 そう言ってガックリと肩を落とす先輩。

 その背中には、どことなく哀愁が漂っていて……。なんとなくではあるが、いつか見たことのある中間管理職のサラリーマンの人を思い出した。

 

「それで、今この町で起こっている吸血鬼事件、その犯人は一体誰なんですか?」

「―――分かりません」

「……へ?」

 

 ……ワカラナイ? 分からないって……。

 

「その、ですね……。実は吸血鬼という生物は、自身の能力を殆ど他者に明かさない、というのが暗黙の了解みたいになっておりまして……。だから、ですね。その……」

「―――」

 

 ……言葉が出ない、とはまさにこのことだった。

 まさか。まさか目の前の先輩が、―――吸血鬼退治を行っている先輩が、この蒼星町に潜む吸血鬼の尻尾も掴めていないとは……。

 

 ……いや。これ以上先輩を責めたとしても、誰の得にもなりはしない。そのはずだ。

 もし責めるならば、一切の痕跡を残すことなく、今なおこの町を襲い続けている吸血鬼を責めるべきだろう。

 

「……まぁ良いですよ。別に、誰が悪いって訳じゃないんだ。だから、先輩がそこまで気負う必要はありませんよ」

「―――そう言っていただけると有難いです」

 

 そう言って、カップに口をつける先輩。

 その姿は背筋もよく、どこか手慣れているようにも見えた。

 

「……ふぅ。ところでですが」

 

 と、一息吐いた後、先輩は俺に向き直り。

 

「ん、なんです?」

「―――日向くんは、どうしても月宮さんに手を貸すつもりなんですか?」

 

 そんなことを聞いてきた。

 

 月宮を手伝うか、か……。

 

 この時、俺の脳内に浮かぶのは、路地裏で見た、月の光に照らされ輝く、あの月宮の姿。

 例えこの身が地獄に堕ちたとしても、あの光景は、あの輝きだけは、絶対に忘れることは無いのだろう。

 

「―――はい。行けるところまで、手伝ってみようと思います」

「……もしもその先に待っているのが、取り返しのつかないほどの地獄であったとしても?」

 

 

「―――やりますよ、俺は」

 

 

 先輩に向かって、きっぱりとそう言い切る。

 いや、もはや即答と言っても良いかもしれないほどだ。それほどまでに、俺の意思というものは硬かったみたいだ。

 

「……そうですか。分かりました。―――私からあなたに言えることは一つだけです」

 

 徐に席から立ち上がった先輩が、鋭い眼差しをこちらへと向けてくる。

 その眼球は不可思議なほどに怪しく輝いていて、その立っている姿を見るだけで、意識がそちら側に吸い込まれていきそうになる。

 

「―――絶対に、後悔しない選択をしてください。間違えてしまってからではもう、遅いんですから―――」

 

 そう言って先輩は妖艶に微笑んだ。

 しかし、その顔は俺の意識には入ってこない。

 

 ―――瞳から溢れる輝きに俺の存在は掌握され、撹拌される。

 

 頭から何かが引き抜かれるような感覚と共に、だんだん意識がぼんやりと靄がかかり始める。

 俺の身体は平衡感覚を失い始め、思わず手をテーブルに付かずには居られない。

 

「な、にを……?」

「少し、ほんの少し忘れていただくだけですよ、日向くん」

 

 キシ、と、床の軋む音がだんだんと離れていく。

 手を伸ばそうにも、自分の体がどこにあるのかすらワカラナクナッテユク。

 

「ぁ―――」

 

 世界が黒に染まってゆく。

 ―――いつから目は閉じられていたのか、それとも閉じられてすら居なかったのか。

 ぐるぐると回るメリーゴーラウンドの中に閉じ込められていた俺には、一切わからないことだが。

 

 ―――パタン。

 そして、扉の閉まる音と同じくして、俺の意識も閉ざされた―――。

 

 

 

「ん、あれ―――?」

 

 目が覚めた。

 どうやらいつの間にか椅子に座っている状態で、眠ってしまったみたいだった。

 

「何だったんだ……?」

 

 ―――『後悔しない選択をしてください。間違えてしまってからでは、もう遅いんですから』

 

 心の中に残る、声だけの記憶。

 その言葉が頭の奥まで染み付いてしまって、到底離れてくれそうにはなかった。

 

 

 しばらくソファーに腰掛けてぼーっとしていたが、ふと時計が視界の端に入り、月宮との約束を思い出した。

 

「―――マズっ―――!?」

 

 時刻は午後7時、数分前。待ち合わせには少々遅い時間のはずだが、月宮はこのくらいに部屋に来てくれればいいと言っていた。

 が、それに甘えて遅刻をしてしまうというのは、少々きまりが悪い。

 

 慌てて立ち上がり、テーブルの上にあるカップに手を伸ばす。

 カップをそのままシンクに置き、水で冷やし、急いで玄関の方へと向かう。

 靴を履き、扉を開けて、俺は月宮の待っているであろうホテルへと走り出した。

 

 

 ―――()()()()()()()()()2()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――。

 

 

 

 

 かくして、10分間の全力疾走を経てホテルに着いた訳なのだが。

 

「それじゃセンパイ、服、脱ぎましょっか?」

「―――……は?」

 

 ―――部屋に入るなり、開口一番そう言われた。

 

「……は?」

 

 

 そうなったのが数分前の話。

 今俺は、ホテルのベッドの上に上半身が裸の状態で座っていた。てっきりさっきの話から、全裸になる必要があるのかと思ったのだが、どうやら違ったみたいだ。

 

 月宮曰く、『魔術を扱う為の回路は身体の奥深く―――生命を司る器官の近くに生成されることが多いから

 、なるべくフラットな状態で身体を見る必要があるの』との事だった。

 

「……だったらちゃんとはじめから、上だけ脱いでくれって言ってくれればよかったのに……」

「わ、悪かったわね。ただ、吸血鬼が活動を始める時間まであまり猶予が無かったものだから、つい、ね」

 

 バツが悪そうに視線をそらした月宮は、『さ、切り替えていきましょ』と言わんばかりに表情を一変させる。

 

 ゆったりとした足取りでベッドに腰掛ける俺の後ろへとやってくると、ひんやりと柔らかなその手で俺の背中を弄り始める。

 モゾモゾと蠢くその感触に、少しのこそばゆさと気恥ずかしさが湧き上がってくる。

 

 

 ……数分後、ようやく俺の背中を探り終えた月宮が口を開いた。

 

「―――凄いわね、こんな属性持ちはそうそう居ないわ……」

「俺の魔力って、そんなに凄いものなのか?」

 

 そう言うと、月宮は少しだけ興奮した様子で言葉を紡ぎ始める。

 

「凄いなんて物じゃないわよ! そもそも魔力の属性っていうのは、基本的に5つに分類されるの。『木』、『火』、『土』、『金』、『水』の5つね。例外がないわけじゃないけど、基本的にはこれらがあるの。それで、センパイの魔力属性は例外に当たる『無』になるの。驚くべきことに、この属性はさっき挙げた5つの属性のどれにもなれるという特徴を持っているの。でも―――いいえ、だからこそ、というべきかしら。無属性の使い手はとても少ないのよ。大体数千、数万人のうちに一人居るか居ないかのレベルと言っても過言ではないわ。過去にもこの属性を扱う魔術師が居なかったわけじゃないのだけれど、どうしてもこう近くにレアな属性持ちが居ると魔術師としても少しだけ、ほんのすこーしだけサンプルが欲しくなったりならなかったり……」

 

 ……マジか。

 元々運がいいとかそう言うことはあまり感じていなかった俺なのだが、こんなところでまさかの大当たりを引くことになろうとは。人生生きていて、何があるか分からないとはまさにこのことだろうか。

 

「っと。ごめんなさい、少し熱くなりすぎたわね。まあそう言うことで、センパイの魔力はとてもレアなものだというのは分かってもらえたかしら?」

「あぁ」

 

 それはもう、十分に。

 具体的には二度と聞きたいとは思えないほどには。

 

 俺と月宮は腰掛けていたベッドから立ち上がると、俺は服を着て、月宮は何やら机の引き出しをゴソゴソやっていた。

 

「……月宮? 何探してるんだよ」

 

 その言葉に反応した月宮は、こちらに首だけ向けるような格好で、手に持ったものを軽く揺らしてみせた。

 

「ああ、コレ? コレは私の基本装備みたいなものよ」

 

 それは幾つかのポケットが縫い付けられている腰に装着するベルト型のポーチ、そして鈍色に光っているナイフだった。

 

「まあナイフについては見れば分かるわよね。これが吸血鬼が苦手とする銀を使って作られたナイフね」

 

 月宮が机の上にナイフを置く。

 見た目だけは普通のナイフにしか見えない。これを主武装にしているという月宮には失礼かもしれないが、到底こんな物で吸血鬼が倒せるとは思えない。

 

「……まぁ普通はそう思うわよね」

 

 苦笑しながらナイフを回収した彼女は、今度は別の手で弄っていたポーチを机の上に置く。

 ……これまた普通の、百均なんかで売っているようなポーチに見える。

 一応、複数あるポケットは全て物が入っているように見えるのだが、一体何が入っているというのか。

 

「こっちには、回復用のアイテムとか、あと急に魔力が足りなくなった時用のエリクサーみたいなものが入ってるわね」

 

 なるほど、どうやらこちらは回復用のポケットだったみたいだ。

『ポーションみたいなもの』という言い回しが気にならなくは無いが、今はそれは後回しに。

 

「こんなところでどうかしら?」

「ああ、ありがとう。参考に……なるかどうかはともかくとして、かなり面白かったよ」

「……この場合はどう反応すれば良いのかしら、これ」

 

 人の装備を『面白い』で片付けるのは、俺も如何なものかとは思わなくもなかったが、他に言い表せそうな言葉もなかったので仕方がない。

 

 ともかく、もういい頃合いだ。

 しっかりとポーチを付け、足につけたホルダーにナイフを取り付けた月宮。

 何も持たないながらも、とうとうここまでやってきてしまった俺。

 

 立場も心意気も、何もかもが真逆の二人は、吸血鬼の悪意が犇めく夜の蒼星町へと繰り出していくのであった―――。

 

 

 

 歩く。

 夜の街に鬱蒼と生い茂る、コンクリートのジャングルの隙間を。

 

 町から漏れてくるネオンの光が、時々俺たちの横顔を照らし出す。

 月から降り注ぐ優しい光とのそのギャップに、段々と気持ちが昂ってくる。

 

「ところでセンパイ」

 

 前を足取り軽く歩く月宮が、こちらに目線を向けず、声だけで話しかけてきた。

 

「―――?」

「これからセンパイに魔術を教えるのだけど、こんなぶっつけ本番なもので良かったの?」

「ああ……」

 

 何かと思えばそんなことか。

 俺は軽く首を左右に振り、気にしていない旨の意を伝える。しかし前を行く少女はどうしても気になるようで、先程からしきりにこのことについて訪ねていた。

 

「本当なら、しっかりと座学の時間を取ってからセンパイには実践に移って欲しかったのだけれど……」

「俺なら大丈夫だよ。月宮にだって時間がないことくらい、分かってるからさ」

 

 これは月宮本人に言われていたことだった。

『私はこの街にいる吸血鬼を追っている。なるべく早く捕まえたい』、と。

 

 月宮にできる限りは協力すると決めた手前、その意向には沿っていきたいところだから。

 

「……そう、ありがと、センパイ」

 

 そう言って柔らかく微笑んだ……ような雰囲気の月宮の後を、改めて追う俺であった。

 

 

 

「―――居たわ。あそこね」

 

 夜もふけてきた頃。

 俺と月宮の姿は、とある廃墟ビルの一室にあった。

 

 突如『見つけた』とだけ呟き走り出した月宮を追って辿り着いた先で見たのは、恐らく初めて見ることとなった食屍鬼と、そして数体の彼方者の姿であった。

 

「……あれが?」

「えぇ、そうよ。あいつらこそが、町で吸血鬼事件を引き起こしている吸血鬼―――その眷属よ」

 

 部屋の中から見えない程度に、壁を使って身体を隠しながら、中に居る『モノ』を観察する。

 

 それ―――彼方者たちの体は既に朽ち果てていた。肉は腐り落ち、骨も剥き出しになっている。力なく半開きになったその口元からは、血とも唾液とも、はたまた膿ともとれるような液体が、首全体を滴り落ちるようにして流れている。

 その目には既に知性は無く、ただ生存本能のみが燃え上がるのみだった。

 

「―――」

 

 あまりの醜悪さに、思わず手で口元を抑える。

 あんなものが居て良いのか、存在を許されてなるものかと叫びを上げる身体を捻じ伏せる、そうでもしないと、目の前の常識を疑うような光景に、正気を削られていただろうから。

 

 と、ここで月宮、何やらベルトのポケットをゴソゴソとやりだす。

 その手に持っているのは、先程ホテルの部屋内で見せてもらった銀のナイフ。

 

「……良い? 行くわよ、センパイ―――!」

 

 言うが早いか彼女は、一番手前―――約10メートル先にいる彼方者へと向かって、弾丸もかくやの素早さで飛び込んだ。

 

「な―――!?」

 

 そのあまりにも無謀に思える行動、しかし彼女には、それをやり遂げるだけの力が、圧倒的な力量が存在する。

 

 彼女の体が、彼方者の一体の眼前に、まるでワープでもしたかのように現れる。

 

()ッ―――」

 

 ―――瞬間、闇夜に煌めく一閃。

 

 彼女の腕が、刃が月の光を受けてその軌跡を書き起こし、彼方者の体は理不尽なまでの暴力を前に、バラバラに―――否、掻き消える。

 

 届かない。それ以上に、理解が出来ない。

 スポーツを知らぬものが、その道のプロのプレーを見ても、ありきたりな感想しか出てこないように。俺の脳も、月宮の挙動を、その偉業を拒絶する。

 ただ目の前で起こったことを、『起こった』としか認識できず。原因を、過程を省いた結果のみが、ただそこには残る。

 

 少なくとも、俺の頭で認識できたのは、その程度だった。

 

「―――よく見てなさい、センパイ!」

 

 そんな俺の呆けた意識は、月宮の鋭い声によって引き上げられた。

 

 慌てて月宮の方に目を向けると、そこには数体の敵性個体を前に、無防備にも右手を前に突き出したポーズで固まる彼女の姿。

 手のひらの示す先には、ぼんやりとした目で彼女を見つめる食屍鬼が一匹。その体はゆらゆらと揺蕩っており、今にも獲物(月宮)に向かって飛びかからんとしている。

 

 ―――危ない、咄嗟にそんな言葉が出そうになる。

 

 しかし彼女は、何故か、この状況には全くもって即さない、不敵な笑みを浮かべている。

 

 ―――まるで、自身の敗北などはじめから思い描いていないかのように。

 

「これが、私の魔術―――!」

 

 大気の魔力が、空気そのものが、震えだす。

 ただ月宮の手のひらに向かい、そのエネルギーを集め固めるために。

 

 事象は魔力という過程を通過し、ただ結果のみをその手にもたらさんとする。

 大気は急激に冷却され、空気中の水分が振動を停止、固定される。

 

「―――『風』よ、『集めよ』―――」

 

「―――『水』よ、『止まれ』―――」

 

 そして、月宮はゆっくりとその目つきを変えてゆく。

 先程までの顔とは打って変わって真剣なものへ、弱者を刈り取る者の目つきへと。

 

 ―――そして最後の詠唱が放たれる。

 

「―――『風』よ、『解き放て』―――!」

 

 瞬間、手元の氷塊は掻き消える。否、加速する。

 魔力によって動かされた風の力を受けて、一瞬で音速の域へと到達する。

 

 目の前の彼方者を、音すらも切り裂くほどの凶器が突き通す。

 

 ―――ドスッ―――。

 

 彼方者の腹部の肉は、元から存在しなかったかのように大きく裂け、開く。

 あたりには遅れて鈍い音。

 

 彼女の前にフラフラと寄ってきていた奴らのうちの一体が、その死に際を自身ですら知覚する暇もなく、その生命を終わらせた。

 

「―――これが、魔術」

 

 先程以上の神業に、改めて彼女の実力を思い知る。

 

「それじゃあセンパイも、やってみましょう?」

 

 月宮はそういって、俺の方を向く。

 俺のリアクションのせいか何かは知らないが、その顔はどことなく誇らしげだ。

 

 と言いますか。

 

 あの位の事を魔術初心者―――それも「超」が付くくらいの―――にやらせるとか、正気の沙汰じゃないだろ。

 

「大丈夫よ。凄く難しそうに見えるけど、その本質は凄いシンプルなんだから」

 

 そう言うと彼女は俺に、先程行使した魔術を思い出すよう促した。

 

 ―――魔力で集めた風を以て、待機中の水分を固定、そして凝縮。最後に、風を操り、空気銃の要領で作成した氷塊を発射。

 

 確かにそう考えると、一気に何か神秘っぽさが薄れたと言いますか。急に物理とか化学のお勉強タイムになったような気がしてきた。

 

「そう。基本的に魔術っていうのは、『魔力を持たない人間でも再現が可能』なものだって教えたでしょう? それは、魔力で出来ることが極端に少ないからなの。基本的に魔力を使ってできることって言うのは、今みたいに水や風といった自然現象を操ったり、自身の外見なんかをごまかしたりする事くらいなものよ」

「へぇ、思ったより出来ることって少ないんだな」

「そ。だから、魔術師っていうのはたいてい理系人間だったりするの。まあ極稀に肉体派の魔術師が居ないでもないけど……」

 

 ―――さっきの月宮とか? 

 

 そんな考えが頭に浮かんだ。

 さっき、目にも留まらぬ速度で彼方者を切り裂いた、そのナイフ捌き。とても素人というか、そんな風には見えなかったのだが。

 

「あれ? あれは違うわよ。私がしたのは、魔力を用いて自身の身体機能を強化する魔術だから」

 

 ? 

 そう聞くと、肉体派のやつと大差ないように聞こえるのだが。

 

「ん、確かにそう見えるかもだけど、私のこれは吸血鬼を殺すためだけに特化させて鍛え上げたものだから、ああいった魔術師とはまた違うの」

 

 私の戦い方はどちらかといえば『教会』よりね、と言葉を付け加えた。

 

 ―――教会? そう聞こうとするも、その言葉は月宮によって遮られる。

 

「―――それよりも、よ」

 

 ふと前を見ると、もう数メートルのところまで彼方者が近づいてきていた。

 だらしなく見開かれた目は、それでいてはっきりとこちらの姿を捉えており、いつ飛びかかってきてもおかしくはなさそうだ。

 

「―――大丈夫よ、センパイ。さっき私が見せたものを真似すればいいだけだから」

 

 少しだけ臆していた俺を、目を真っ直ぐと見据えていう。

 その目には少しの迷いも、不信もなく、ただただ俺を励まそうという意思だけが映っているように見えた。

 

「……そう、だな。よし、行くぞ―――」

 

 イメージを興す。過程は収束し、ただ結果となり、事象を描く。

 

「―――『風』よ、『集めろ』―――」

 

 空気が唸る。そこにある何かを巻き上げ、たった一点へと集中させる。

 

「―――『水』よ、『止まれ』―――」

 

 大気は静止し、その組成を風の檻の中で変化させる。

 

「―――『風』よ、『解き放て』―――!」

 

 そして、俺の魔力によって動かされた外界は、暴力的なまでの力を伴って目の前の敵を破壊しにかかる―――! 

 

 

 ―――って。

 

「ちょっと強すぎないか風―――!?」

 

 既に俺の制御下から離れてしまったのかはわからないが、俺達と彼方者達の間にぽつんと取り残されたのは、中で氷塊の蠢く竜巻級の風の牢だけ。

 ただおかしいと言えるのは、先ほど見せてもらったものとは違い、もっと風は荒々しく、そして敵味方の見境なくその牙を向けるという点……!? 

 

「ちょっ、月宮! どういうことなんだ、これ!?」

「どうもこうもないわよ! どう考えても魔力の込め過ぎじゃないの!」

「そんなこと言ったって、魔力の扱い方なんて一切知らないんだから仕方ないだろ!?」

 

 目の前では風切り音が轟々とうめきまくっているため、近くに居る者同士だったとしても自然と声が怒号のように大きくなっていく。

 

 

 そして、その崩壊はあっけなく訪れる。

 

「―――ええい、もう! 鬱陶しい!」

 

 辛辣な月宮のコメントと同時に、彼女は未だ荒れ狂う風の波にその手を向ける。

 すると、一体全体どんなロジックなのか、今まで無差別に荒れ狂っていたそれは正確無比なまでの指向性を伴って、中にとどまっていた氷塊たちを送り出した。

 

 ―ガガガガガッ!! 

 

 瞬間。意思を持たぬ瞳で、目の前の蠢く鎌鼬の牢を見つめていた彼方者たちへと、大量の氷塊が襲いかかる。

 それらの一つ一つが、太腿を刺し貫き、両腕を切り飛ばし、そして脳髄を狙撃した。

 

 一瞬で路地裏の壁へと飛び散る暗い朱。まるで現実味を持たぬその猟奇的な光景のその手前、まるで現実と非現実を分けるかのようなラインの上に、俺と月宮は二人して突っ立っていた。

 

「―――」

「……」

 

 両者の間を満たすはともに沈黙。

 しかし、俺と彼女との間ではその意味は大きく違っていた。

 

「―――」

 

 一人は驚愕。目の前の非現実的な光景と、それを引き起こした自身の力への。

 

「……」

 

 もうひとりは、警戒。このままでは終わることのできないという本能的な不安感と、今まで彼女の積み上げてきた戦術眼からの。

 

 

 そして奇しくも、そんな彼女の警戒は当たることとなった。―――なってしまった。

 

「……おい、あれ……」

 

 先に気づいたのは俺だった。声を上げたのだって。ただ、目の前の現実を信じられず、受け入れられなかっただけだ。

 いや、もしかしたら頭のどこかに居る冷静な自分が、その可能性の話を授けてくれたのかもしれなかった。だが、たった今魔術を初めて扱ったばかりで、極度の興奮状態―――いわゆるランナーズ・ハイに陥ってしまっている俺に、そんな芸当はできるはずなんてなかったんだ。

 

 だって目の前には、自身の撒き散らした血潮の海からフラフラと起き上がる、彼方者たちの姿があったのだから―――。

 

「―――!? センパイ、危ない―――!」

 

 咄嗟に動くは月宮。

 突き出した右手に鈍く紅黒い長槍(ちょうそう)を伸ばすものの、あと一寸届かない。

 

 ―――しまった。

 

 ここへ来て、ようやく己の失態を悟る。

 ついさっき魔術を教わったばかりの一般人なんて、奴らからしたら格好の餌じゃないか、と。

 

 世界がスローモーションへと切り替わる。

 ノロノロとこちらを向き、その牙で俺を食い破らんとするその視線が、俺を捉える。そして、跳躍。

 完全に狙いを定めた捕食者(彼方者)が、哀れな被食者()をまさに捉えようとして―――! 

 

「―――う、うあぁあああぁ!!」

 

 俺は声にならない叫び声を上げながら、左手を横へ薙ぎ払う。

 幸運なことに、奴の右頬(そう分類できる部位があれば、だが)を撃ち抜いたため、やつは少しだけだが怯んだ。

 

 ―――が、その隙を逃すような彼女ではない。

 

 俺は左手を振り抜いた不格好な体制のまま、それでも視線は敵から外さずに呼びかける。

 

「月宮っ!」

 

 直後、俺の脇の下を、彼女の持っていた長槍が音速に近いスピードで通過する。

 そのまま彼方者の脳漿を抉り取るようにして吹き飛ばし、路地を形作るビルの外壁に突き刺さって停止する。

 ……よく見ると、槍の突き刺さった部分からは少量の白煙が立ち込めていて、その槍の威力が伺い知れる。

 

 まあそれはそれとして。

 

「助かったよ、月宮。ありがとな」

「いえいえ。そっちこそ、大丈夫? 怪我とかしてない?」

 

 まずは月宮に謝辞を述べる。

 怪我もしてないし問題ない、そう述べれば、月宮は笑顔をこちらに向ける。

 

 そして、表情を一転、真剣な物に変えると、先ほど倒したばかりの彼方者の死体に歩み寄ってゆく。しばらくその死体を眺めていたかと思うと、今度はその崩れている一部分を手にしてみたりと、なんだか忙しない様子。

 そのまま死体を調べていたが、やがて月宮から声が漏れる。

 

「……おかしい」

「おかしい? なにがだよ」

 

 険しい目つきのまま、月宮はこちらを見ずに話し続ける。

 

「普段なら、あの彼方者たちは大して耐久も高くないし、すぐに倒せるはずなの。でも今の奴らは……」

「……明らかにおかしいほど強かった、か」

 

 首肯一つで返される。

 確かに、月宮の言が本当のことならば、あの程度の彼方者(それでも俺にとっては十分に恐ろしいものではあるが)は、すぐに蹴散らせることの出来るもののようだ。それなのに、先程の奴らは胴体を穿たれても立ち上がってきた。ということは、何処かおかしいほどのバフなんかが盛られていると考えるのは、当然の帰結と言えるだろう。

 

「本来、死体をそのまま流用した使い魔っていうのは、一番弱いとされているの」

 

 ソシャゲの最低レアキャラみたいなものね、と月宮。

 

「……でもね、使い魔という生き物は、その使い魔を使役する術者の力量によって強さが変化するの」

「それって、つまり……!?」

 

 頭の中に、たった一つの仮説が、それもとてつもなく真実なんじゃないかと思えるほど確信に満ちた仮説が浮かんでくる。

 

「えぇ、想像している通りで間違ってないと思うわ」

「じゃぁ、本当に―――!?」

 

 使い魔の強さは、術者の力量によって左右される。また、死体を用いた使い魔は強さのランクが最底辺である。そして極めつけに、先程見たあの光景。

 これらが導き出す仮説、その答えは―――! 

 

「―――この街に潜む吸血鬼が、目覚めかけている……っ!?」

 

 

 ―――…何処かで一つ、誰かが狂気の笑みをこぼした。




正直これで3分の1終わって無い感があるであります。
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