王城を後にし、街に繰り出した4人。
空と白はステフ(犬)を繋ぐ紐を持ちつつ先頭に、その後ろを紫恩がついていく。
王達の来訪に、街の人達は揃って物珍しそうに彼らを遠目から眺めていた。
あの演説以降、空はまともに街に姿を見せなかったのだから無理もない。
「しかし……。」
―――――流石にどうにかならなかったのだろうか。
腰が引けている空白を見て、紫恩は大きなため息をついた。
地球ではまともに外へ出ようとすらしなかった空白が、外出している事は嬉しい限り。
だがせめて、国民の前でそれはやめてくれないだろうか、と。
嬉しいような、悲しいような、複雑な心境で紫恩は二人を見守っていた。
「し、白!ぜぜぜ、絶対手を離すなよ!」
「ににににに、にぃこそ……!!」
「……はぁ。」
案の定、街の人達は空達に近づこうともしない。
二歩三歩離れたところからずっと見ている彼らに、しかし今の紫恩は感謝した。
今彼らが近づいたら、二人がどうなるか予想だに出来ない。
街に繰り出して早々苦難ばかりの空、白、そして紫恩。
「……あの、三人とも。一体何の用で来たんですの?」
そしてそんな彼らに問いかける、ステフ(犬)。
しかしそれに答える者はおらず、代わりに空が疑問を口にする。
「なな、なんか……街の人らの俺らに対する視線、おかしくね?」
「王たる者がそんな様子じゃ、視線の一つや二つおかしくなるでしょうよ。」
「いや、そうじゃなくてさ。なんか怯えているような……」
未だ変わらず近づこうとしない街の人達。
そして空の言うとおり、確かに彼らの視線には恐怖の色も混じっていた。
そんな様子でも心を読むのは得意なんだなと紫恩は感心した。
感心しきりで頷くばかりな紫恩の代わりに、ステフが答える。
「当然ですわ。こんな、獣人種の姿の者を同伴させていては……」
「ちょっと待った!獣人種ってのは、そんな獣耳と尻尾を付けた奇天烈な人間の姿をしているのか!?」
「え、えぇ……。そうですけれど、それが何か……。」
先ほどの弱々しい様子もどこへやら。
急に元気を取り戻した空白に、紫恩が向ける視線は冷たい。
「よし、その獣耳っ子王国は俺のもんだ!白、次に狙う国が決まったぞ!」
「……もふもふ。」
期待に胸を膨らませ、思い思いの光景を思い浮かべ歓喜する空と白。
紫恩は紫恩で、そういえばそんな国もあったなと思いだし……危惧した。
主に、それを前にしたときの己の精神状態を。
ステフの偽の犬耳を前にしても、己を抑えきれなかったのだ。
"本物"を前にした時、犯罪行為に手を染めてしまわないだろうか……と。
……とはいえ、盟約がある以上合意の上でなければ無理な話だが。
「あの……空。その時は私、お留守番していていいですかね……?」
「駄目に決まってるだろ!お前も一応戦力、我が覇道の為の糧となってもらう!」
「えぇぇ……しかし空、獣人種を前にして私が理性を保てるかどうか……」
「……紫恩……保つ必要、無い。欲望の、ままに……!」
「白まで……。私は、あなた達とは違って形振り構わないわけにはいかないのですよ。」
すっかり地球の空気に毒されてしまったものだと、紫恩はふと自らを省みる。
エルキアに住んでいた頃はこんな事なかった筈なのに。
―――――最悪、盟約で縛ってもらう事も考え……
……いや。
他の力に頼り無理やり心を変えるのだけは、出来れば避けたい。
となれば、結局己の力で耐えしのぐしかない。
「……あ。」
……しかし、ここで紫恩はある一つの重要な事実に気付く。
ここはエルキアである。
地球ではないのだ。
紫恩はもはや会社に縛られている身では無いし、そして盟約によりエルキアの刑法は形骸化している。
故に、そう。
―――――……我慢する必要は無いのではないか。
「いやいやいやいや。」
それはまずいだろう。
紫恩は、元とはいえ一応王家の人間なのだ。
というか、天国から見ているであろう父と母にそんなだらしない様を見せるわけにはいかない。
天使と悪魔の囁きの板挟みにされ、紫恩は頭を抱えた。
そしてそんな変わり果てた己に、目を瞑りたかった。
色んな意味で。
「あの、お兄様……?」
突然百面相を始めた紫恩を訝しみつつ、ステフが声を掛ける。
「なんですか?」
「……空達の姿が見えないんですの。」
「へ?」
―――――まさか。
そんなはずは、と顔を上げる紫恩。
しかし、ステフの言った通り空と白の姿はどこにも見当たらない。
紫恩は即座に、置いて行かれた事を理解した。
「あの二人は……。とにかくいきましょう、ステファ……」
そこまで言って、紫恩は今陥っている状況に気づいた。
ステファニーと、二人きりなのだ。
つまりそれは、己から逃れ得ぬ犬耳が間近に存在しているという事。
場合によっては触り放題な状況だが……しかしここは街中で公衆の面前。
一目も気にせず、白の言うとおり欲望を曝け出すか。
それとも、地球で培った忍耐力を駆使するか。
今、紫恩は大きな決断に迫られていた。
「……あぁぁぁ!!」
突然叫びだし、拳を力のままに壁に叩きつけた紫恩。
大きな音を立て、壁が陥没した事にステフは目を丸くし。
そして、彼の鬼をも黙らせるような虎視に、血が滴る朱い拳に、ステフは小さく悲鳴を上げた。
「行きましょう、ステファニー。」
「……。」
鬼気迫る様相で、しかしにこやかに告げる紫恩。
そんな彼を前に、ステフは行為の理由を問う事など……できなかった。
―――――
さて、紫恩は結局欲望から目を背ける事を決めたわけだが。
それから紫恩は、ステファニーの首輪をつなぐ紐を引きつつ、二人を探す為街中を歩いた。
無論、街中から向けられるいくつもの視線がどんなものかは言うまでもなく。
……結論から言おう。
空達は、路地裏に居た。
「空!白!」
ようやく二人を見つけ、放置されたステフはいきり立ち二人に詰め寄る。
「お、ステフ、紫恩。どこ行ってたんだよ。」
悪気の全くない空の言葉。
その言葉に、ステフは頬を引きつらせた。
「どこ行ってた……ですって!?あなた達が私の紐を引っ張っておいて、よくもまぁそんな事!」
「ま、待てよ!落ち着けって。引っ張っていたのは白だぞ。白、紐離しちゃったのか?」
「美味しそうな匂いがしたからつい……。」
「つい、って!それで恥辱を受ける私の身にもなって……」
「……ステフ、許せ。お座り。」
「きゃん!」
泣きっ面に蜂とはこの事か。
主導権があちらにある以上、どうしようもないのは確かなのだが……。
しかしこのあんまりな仕打ちに、ステフは闘志を燃やした。
今度こそ空を打ち負かし、真人間になってもらわなければ、と。
「……もう我慢なりませんわ!空、勝負ですわ!」
「へ?ステフ……お前が?」
犬の姿となった要因を忘れたのか、と。
紫恩が空達の部屋に来る前、ステフはイカサマを利用して空にゲームを挑んだが、負けた。
そのイカサマを、空に利用されて。
呆れたように告げる空に、ステフは。
「ふふふ……私、気づきましたの。付け焼刃でイカサマ使ったのが私の敗因だと。ですから、完全な運勝負で挑めばまだ私に勝機はありますわ!」
「運勝負……ねぇ。で、何を要求するんだよ。」
「勿論、空のリア充化ですわ!」
「乗った!」
即答で快諾する空。
しかしそこに、白が横入りする。
「……
「白……!そんなに兄ちゃんのリア充化を阻止したいのか!」
空の悲痛な叫びも意に介さず、白はステフと話を進める。
「……それで……何のゲーム?」
「ふふふ。それじゃ……。」
怪しげな笑みを浮かべる今のステフには、きっと勝利の二文字しかないのだろう。
負けても尚挑み続けるそのけなげな姿に、紫恩は胸中で涙を流した。
「次にあそこを通り過ぎる人の性別を、予想するんですのよ!」
……とまぁ、ステフは勝負をしかけたわけだが。
「なぜですの!?純粋な運勝負だった筈でしたのに……!!」
結果は10回勝負の内、1-9で空白の勝利。
圧倒的なその結果にへたり込むステフに、空が呆れたように告げる。
「あのなぁ、これは純粋な運勝負じゃないぞ。」
「へ……?」
「通りってのは、何らかの理由があって作られてるもんだ。その通りにある店などから客の傾向を予想すれば、誰が来るかなんて大体予想はつく。」
「そ、そんな……。」
がっくりと、ステフは肩を落とした。
しかし白は対照的に、楽しげな眼で彼女を見ていた。
……そう、要求がまだだったのだ。
「……それじゃ、ステフのパンツ……ボッシュート。」
「パ、パンツ!?そそそ、それはあんまりじゃありませんの!」
抗議しながらパンツを脱ぎ、白へ渡すステフ。
盟約はやはり強制力が高いのだと、紫恩は改めてこの世界の実情を目の当たりにした。
ステフを犬にし、パンツをも合法的に奪う盟約。
―――――やはり盟約は恐ろしい。
「紫恩、何一人で頷いているんだ?」
「いえ、ちょっと世界の厳しさをですね……。」
「……はぁ?」
首をかしげる空。
その後ろで、ステフはただ茫然と立ち尽くしていた。
「お兄様……ステファニーは汚れてしまいましたわ……。」
ふふふ、と乾いた笑いで己を自嘲するステフ。もとい、恥犬。
色を失ったステフの眼は敬愛する兄……紫恩をじっと見つめていた。
その眼に底知れぬ寒々しさと諦めを感じ、紫恩は後ずさりする。
しかし、それもつかの間の事。
吹っ切ったのか、開き直ったのか、ステフの瞳に再び熱が宿った。
「空。もう一度勝負しますわよ!」
「へ?いや、もうやめといたほうがいいぞ……?」
「私からも流石に助言させて頂きます。多分、無理ですよ?」
空と、そして紫恩さえやめさせようとするこの状況。
しかしステフの瞳から、熱は冷める事を知らない。
「どうせもう失うものはないんですの。それに次は勝てる気がしますわ!はい空、アッシェンテ!ですわ!」
「あぁ、はいはい……アッシェンテ…。」
泥沼に嵌まっているステフを引っ張り上げるには負かすしかない、と。
空は渋々挑戦を引き受けた。
「では、あの二羽の鳩が飛び立つまでに何秒かかるか、予想しましょう。」
「ふーん……いいぜ。それじゃ、ステフは何秒?」
「え?そ、そうですわね……30秒、ですわ!」
何を根拠に30秒と言ったかは知らないが、すぐに飛び立つ事はないとステフは考えたのだろう。
……しかし、空は。
「それじゃ、俺は……三秒、だ!」
言うや否や、空は大きく振りかぶり……小石を放った。
それは綺麗な放物線を描き、丁度鳩の止まっていたところを叩く。
「あ。」
なるほど、そういう手で来たか……と。
紫恩が上げた間抜けな声と共に、鳩は空高く飛翔した。
「あ……あぁぁ!!卑怯ですわよ!」
「石を投げてはいけないってルールは無かっただろうが。盟約は絶対だ、そこら辺よく考えておくべきだったな。」
穴だらけのルールだった、と説明する空。
こんな短時間で二度も敗北し、ステフは悔しそうに膝をついた。
「ぐぬぬ……何故、何故ですの!こんな筈では……。」
何故自分が分かったのかも、ステフには皆目見当がつかなかった。
そんな様子では、いずれまた運勝負をしろと空に吹っかけて負けるのが目に見える。
いい加減見ていられなくて、紫恩は"犬耳の欲望"と戦いつつ口を開いた。
「……いいですか、ステファニー。貴女は知らなさすぎるんです。」
「え……?」
呆けた顔で、ステフは紫恩を見上げる。
涙目上目遣いの犬耳。
悪魔のような誘惑に一瞬手を出しそうになるも、紫恩は辛うじて堪え、続ける。
「先ほどの"通りの件"でもそうです。その道がどんな道なのか知らず、故に貴女は負けた。」
知っていれば、まだ善戦出来たかもしれない。
しかし知らなければそれまで。
ゲームを知らざる者が、ゲームを知る者に勝てる事は無い。
完全な運勝負なんてものは幻想であると。
勝つうえで情報は必要なのだと、紫恩は語る。
「ステファニー、貴女だってゲームで私に何度も勝っているんです。その事を知っている筈ですよ。」
「お兄様……。」
幼い頃、何度も紫恩に……シオドリクに勝ち続けたステファニー。
今は分からないが、少なくとも昔は勝っていた。
そしてそれは、ゲームを知っていたからこそなのだと、紫恩は静かに語る。
ステファニーは知っている筈だと。
「……そうですわね。」
納得し、頭を垂れるステフ。
落ち込んでいるその様子を見た空が、口を開く。
「……ま、それでもステフには感謝してるんだぜ。俺らの改革への反抗が、あの三貴族だけってのは素直に驚いたし。」
「空……?」
「お前のおかげで、色々楽だったよ。……助かった。」
空なりの、感謝。
そしてそれは、ステフが一番聞きたかった言葉でもあった。
「はい……ですわ。」
感極まり、顔を両手で覆うステフ。
しかしそれが気に食わないのか、どことなく不機嫌な白の頭を、紫恩が撫でる。
その気持ちを分かっているとでも言うかのように。
白の、兄に対する親愛以上の気持ちを。
4人の頭上に、巨大な浮遊島が姿を現したのはその時だった。