かくして、ジブリールを仲間に引き入れる事に成功した空と白。
二人はジブリールとステフ、そして紫恩を引き連れ、再び王城へと戻ってきた。
帰還した王に気付いた使用人達が深々とお辞儀をし、そして傍らにいる天翼種に目を剥く。
「……ま、無理もないか。」
「そうですよ。人類種が天翼種を従えるなど、前代未聞ですから。それと……」
空白やステフの後ろについて歩くジブリールの隣に立ち、紫恩は告げる。
「ジブリールも、王城の中では出来るだけ空や白と行動を共にしてくださいね」
でなければ無用な不安を人々に与えかねませんから、と。
そこに緊張の色はなく、まるで友人と会話しているかのようである。
物珍しそうに紫恩を見つめるジブリールに、紫恩は首をかしげた。
「なんですか?」
「いえ。ゲームでの出来事とはいえ、"あんな事"をされておきながら平然としていられる貴方は、まさに心臓に毛でも生えていそうなお方だと思っていただけでございます」
―――――まさか直球で来るとは思わなかった。
にべもなく言い放たれ、紫恩は苦笑する。
「これでも結構、堪えてるんですよ。今にも泣きだしたいくらいです」
「なら、泣けばよろしいのではございませんか?」
「それは出来ません」
即答だった。
眼を瞬きさせ、呆気にとられたようにジブリールは紫恩を見つめる。
「何故、と聞いてもよろしいでしょうか」
「少なくとも、空白やステファニーの前では泣けませんから……私は彼らに、泣かれる側ですので」
紫恩は笑いながら、しかし声を潜めてそう語った。
まるで、空白やステフに聞かれたくないとばかりに。
それきりジブリールは顎に手を当て、考え込むように沈黙した。
それを理解と解釈した紫恩は、前を歩く空達に声を掛ける。
「空、これからどうせ浴場に向かうのでしょう?」
「な、何故バレた!?」
「君の考えなど全てお見通しです。私は一度部屋へ戻りますので、君達は先に浴場へ向かっていてください」
「へ?なんでだよ」
心底不思議そうな空。
それに、紫恩は笑いつつ答えた。
「どうせ、汗を流したらすぐに図書館へ籠るのでしょう?その前に、忘れ物を取りに行きたいので」
「忘れ物……?それは一体何ですの?」
ステフの問いに、しかし紫恩は笑い返すだけで答えない。
やがて一人部屋へと駆け戻っていく紫恩を、空達は呆然と見送った。
「何をするつもりなんだ、あいつ……?」
「……さぁ……?」
首をかしげる空と、白、そしてステフ。
しかし彼らとは対照的にジブリールは、得心いったように頷いた。
―――――彼らの前では、紫恩は泣けない。
そんな紫恩が一人で部屋に向かうという。
その理由を、察した。
……そして。
「やはり、分かりませんね」
そう独りごちたジブリールに、空が振り返る。
「何がだ?」
「大変失礼ながら申し上げますが……アレがどうして空様と白様の保護者を気取っているのか、私にはさっぱりわかりかねます。」
「はは……紫恩を"アレ"と呼ぶか。まぁいいけど」
紫恩が空白にとってどのような存在なのか、それは分かった。
だが何故そのような存在となっているのかは、やはり分からない。
―――――神をすら破ろうとするマスターに、何故あのような弱者が必要とされているのでございましょう。
それは半ば、醜くも嫉妬に近いものであった。
そして叶うなら、ジブリールはその嫉妬を解くに相応しい理由を聞きたかった。
「あいつは……紫恩は、俺らと正反対なんだよ」
「正反対……?」
ジブリールの復唱に空は一つ頷き、話を続ける。
白と、そしてステフも、静かに空の話に聞き入っていた。
「俺らはお前も知っている通り、ゲームじゃ絶対に負けない。……だが、ゲーム以外はからっきしなんだよ。」
―――――そして紫恩は、その逆だ。
ゲームだけはてんで駄目だが、他は優秀だった。
地球で紫恩が暮らし始めてから、二年。
たった二年で紫恩は仕事を見つけ、そして上司である空の父から信頼を獲得し、家へ招待されるほどになっていた。
それが紫恩の桁外れのコミュニケーション能力と、才能や努力によるものである事は明らかで。
そしてそれが無ければ、空自身も紫恩に心を開く事はなかっただろう。
紫恩は、地球の―――日本の社会の仕組みを理解し、社会の一員となって、本気で攻略しようとしていた。
同時に、実際にそこで生まれ育った空や白よりも、地球という世界を愛していた。
「……まぁ、確かに初めから今みたいだったわけじゃない。最初は紫恩なんて、ただのストレス発散相手だったしな」
社会に溶け込んで、何もかもうまくいっていた紫恩。
対して、中々学校社会に溶け込めず、何もかもうまく行ってなかった空。
―――――隣の芝生は青く見えるものだ。
仲良くなろうとしきりに話しかけてくる紫恩を利用し、空は憂さ晴らしをした。
ゲームでコテンパンに負かして、プライドも何もかもへし折ってやろうと。
だが、紫恩は何度負けても、己を負かす空の強さを褒めるばかり。
しかもそれが本気で褒めていて、ゲームも真面目に相手をしていたというのだから驚きだ。
妙な言い方ではあるが、紫恩は敗北を得意としていた。
空と一緒にゲームする事そのものを、楽しんでいた。
「ただの"発散相手"が、気付いたら"一緒に居ると面白い奴"になっていた。白もそんな感じだろ?」
「……かも。」
頷く白に、空も満足そうにその頭を撫でる。
「まぁ、簡単にまとめるとだ。俺らと紫恩にとっては、ゲームの腕なんてあまり関係ないんだよ」
真剣に相手をしてくれて、真剣に褒めてくれた。
ゲームも空白の一部であると、認めてくれた。
それだけが重要であり、大切な事なのだと。
「そう、なのでございますか」
理解したようにジブリールは答える。
が、その胸中では以前まだ問いは消化しきれず燻っていた。
再び考え込んでしまったジブリールに、空は。
「無理に理解しろとは言わねぇよ。後はお前なりの答えを見つけりゃいいんじゃね」
「……申し訳ございません。」
「でもジブリール……紫恩をアレって言うの、禁止……!」
空は特に気にしていなかったが、白はそうもいかなかったらしい。
むすっとした表情で白に命令されては、ジブリールも拒否できなかった。
苦虫を噛み潰したような顔で、頭を垂れる。
「申し訳ございませんでした、白様―――――」
―――――
エルキア王城、大浴場。
使用人達の掃除のおかげで、王城自慢の広々とした浴場は新築同様にいつも真新しい。
気持ちよく使えるのは、そのような影で働いている者達のおかげである事を決して忘れてはいけない。
故に、この後掃除をする人の事を考え、正しく使い、綺麗に使うのが常識である。
―――――だからこそ。
「あの、あまり床をシャンプーで汚さないでくださいよ?」
今現在、浴場を使っている白やステフの裸体が見えない場所―――――つまり敷設された簡易壁の向こうで、紫恩は不安そうに告げた。
しかしその言葉に、隣でスマホを弄り続けていた空が異議を唱える。
「別にいいじゃねぇか、シャンプーくらい。髪を洗っていりゃ否が応でも汚れるだろ」
「水で流れた際のものならば私も文句は言いませんよ。ですが、原液は別です!」
後で洗う者の身にもなってください、と訴える紫恩に、空は耳をふさいだ。
聞きたくないとばかりのその態度に、紫恩の言葉は更にヒートアップする。
「この際だから言わせていただきますけど!地球でもあんたら二人が風呂を綺麗に使えないばかりに、どれだけ私が苦労したか分かりますか!?使い方にもう少し気を付けてくれれば、掃除がもっと楽だったのに……!」
「んな事今言われても仕方ねぇだろ!もういいよ、お前もう風呂から出てけよ!」
「今からじゃ無理ですよ!大体、私を無理やり風呂に入れたのは空でしょうが!私はあれだけ、後で入ると言ったのに!」
そう、ここは王城の大浴場。
そして紫恩は、裸の付き合いも大切だと、空に疑似混浴を強制させられていた。
今から浴場を出ようにも、扉は白やステフの裸を見なければならなくなるような位置にあり、今さら脱出は不可能。
更に紫恩は服自体は着ているのだが、それ故に湯気で服が湿って。
湿った服が不快で、ただでさえ苛々していた紫恩の逆鱗に空が触れた結果、今に至る。
「お、お兄様……少し落ち着いて……」
「これが落ち着いていられますか!大体二人は風呂にしろ部屋にしろ、いつもいつも……」
説教態勢に紫恩が入ろうとした、その時。
壁からジブリールがすり抜けるように現れ、紫恩の言葉を遮った。
「親が子に当たるとは、"保護者"としてみっともないですよ。紫恩様」
「……っ。」
保護者、をやけに強調して言い放ったジブリール。
言葉に詰まった紫恩だったが、ジブリールが妙なボトルを抱えている事に気付いた。
「そのボトル、何ですか?」
「天翼種御用達の、精霊水配合シャンプーでございます。抜群の保湿効果と使用後の清涼感に多くの天翼種が太鼓判を押した逸品。紫恩様のような乾燥しきってボサボサな髪なんかには効果抜群でございますよ。」
ジブリールの、皮肉にも聞こえる言葉。
紫恩は努めてにこやかに、言い返す。
「……なるほど、それは有難いですね。後程使わせていただきますよ。殺戮趣味な天翼種が髪を気にしていた事に驚きですが。」
「ええ、是非そうしてくださいませ。紫恩様の湿潤でネチネチとした性格とは正反対なその御髪は、見ていて非常に心苦しくなりますので。」
「私の事を考えてくださるのは嬉しいのですが、既に間に合っておりますので御気になさらず。」
―――――ニコニコ。
仲睦まじく語らうジブリールと、紫恩。
しかしその二人の影に、何か黒いオーラが見えた空は頬を引きつらせる。
特に、天翼種相手に一歩も引かず言い合う紫恩の姿に、空は修羅を見た。
「ジ、ジブリール。とりあえずそれ、白に使ってやってくれよ」
「あぁ、そうでした!それではお言葉に甘え、頭から爪先まで私がこの手で綺麗にしてさしあげましょう……うへへへ」
先ほどの影もどこへやら。
嫌らしい笑みを浮かべて白達の元へ向かったジブリールに、空は深く溜息をついた。
「……紫恩、俺が悪かった。だからジブリールとは仲良くやってくれ」
「不思議な事をおっしゃいますね、空は。さっきの私達を見たら、どれだけ仲が良いかなんてわかるでしょうに」
「あぁ、痛いほど思い知ったさ……頼むから内部分裂とかはやめてくれな」
「それは勿論、当然ですよ」
―――――それはどちらの意味での、当然なんだ。
分かったような分からないような、曖昧な笑みで頷く紫恩。
そして壁の向こうでは、企みを白に察知されたジブリールが"お座り"させられていた。
ジブリールの扱いがやけに上手い白と、ジブリール相手に口撃すらしてみせる紫恩。
……なんだかエルキアに来てから、皆色々と変わってしまったような、そんな気がして、空は。
「人は……変わっていくんだな。兄ちゃん、ちょっと驚きだよ」
空は、独り静かに涙した。