第十二話 すれ違い
天翼種であるジブリールをゲームで打ち負かしてから、数日後。
念願の図書館を得た空と白は、この数日間図書館に籠り続けていた。
獣人種の国―――東部連合を破り、獣耳天国を獲得するが為に。
本来なら、図書館に籠るというのは健康上にもあまり褒められた事ではない。
とはいえ、今回ばかりは紫恩も否定する気はなかった。
二人が東部連合にかける熱意は凄まじく、俗物に塗れた理由とはいえ彼らは本気である。
そして、彼らの傍には常にジブリールがいた。
彼女のような看視者が居る限り最悪の事態は免れるだろう、と紫恩は二人の好きにさせる事にした。
子供の好きなようにやらせて、しかしサポートは欠かさない。
放任主義のこの考え方は、まさに紫恩自身が父から受けた教育方針でもあった。
「ですがお兄様。流石に甘やかしすぎじゃありませんの?」
時刻は早朝。
エルキア王城の大廊下にて、ステファニーは不満そうに紫恩に言う。
その手には器が抱えられており、大盛りのカラフルな菓子が山のように盛りつけられていた。
「そうですかね……?」
「そうですわ!人類種の為に頑張っている空には確かに感謝してますけれど、だからといって内政を全部私や大臣任せにするのは違うと思いますの!」
空白の二人が図書館に籠るという事。
それはつまり、政治を他の者に丸投げしているという事でもあった。
結果、代わりにステフや紫恩、そして大臣達がこれまで内政の対応をしている。
なんだか同じような事を前にもやっていたような気がするとステフは憤慨するが、しかし紫恩は苦々しく笑うだけ。
「そうは言っても、二人は政治に関しては素人ですから。やはりある程度分かっている私達がやらなければ…」
「それがいけないんですのよお兄様!数十年後、お兄様が年老いてあの二人を助けられなくなったとき、困るのは空や白なんですのよ!?」
「それもそうですが……」
まるで、教育方針の違いから対立する夫婦のようである。
傍を行き交う使用人も同じ事を考え、紫恩とステフ両名へ向けるまなざしは幾分か生暖かった。
「あの二人も、何も遊んでばかりいるわけじゃないんです。今はひとまず、大目に見てくれませんか?」
「……空や白の為なら私が犠牲になっても構わない。お兄様はそうお考えなのですね」
「犠牲って…そこまで言ってないでしょう!」
「いいえ、そうに違いないですの!お兄様が異世界で二人とどのように暮らして来たかは知りませんが……私だって、お兄様の"妹"ですわ!」
沈痛に訴えるステフ。
その剣幕に、紫恩は沈黙した。
「お兄様が失踪してから10年間、私がどのような思いでいたか……お兄様のお帰りをどれだけ待ち望んでいたか、お兄様にはわからないんですわ!」
「ステファニー、それは……」
「お兄様は私と空白、一体どちらが大事なんですの!?」
ステフの、心の底からの叫び。
王城中が水を打ったように静かになり、紫恩に重い空気がのし掛かる。
―――――まさか、そこまでステファニーが思い悩んでいたとは思わなかった。
しかし空白とステファニーに優劣をつけようなど、紫恩には土台無理な話である。
掛けるべき言葉を見失った紫恩。
困り果てている紫恩を見て、ステフは自身を落ち着かせるように深呼吸した。
「私ったら、こんな事で何を取り乱して……。ごめんなさい、お兄様。異世界に渡ってしまったお兄様のほうがよほど、この状況に混乱しているのに」
「い、いえ、そんな事は……」
「……さ、先に図書館に行ってます、わね!」
―――――自分の言葉で、お兄様を困らせてしまった。
その事を意識するや否や、途端に恥ずかしさがこみ上げてきたステフは一目散に駆けだした。
そんな急に走り出したら菓子を落としかねない、と注意しようとした紫恩だったが……出来なかった。
喉まで出かかった言葉を呑み込んだ紫恩。
そして考え込むように、その場で立ち尽くした。
―――――優先順位など、付けようがない。
両者は紫恩にとって同じくらい大切で、必要不可欠な存在であった。
しかし、もしどちらか決めなければならないとしたら……
「空白を選ぶべき……なんでしょう、ね」
常に空白の傍にいて、甲斐甲斐しく世話を焼く紫恩。
その姿を見た王城の者達からは、時として"王佐"と呼ばれる事もあった。
己の現状を客観視するならば、王である空白を選ぶべきなのだろう。
空白の為に考え、動かなければならない。
……だが。
「二人と、ステファニー……どちらが大事かなんて―――」
――――決められる筈が無い。
―――――
結局、紫恩がエルキア王立図書館に着いたのはそれから暫くしてからの事であった。
「かなり、時間掛かってしまいましたね……」
独り呟く紫恩の手には、小袋が提げられていた。
中に入っているのは、小麦の焼き菓子であるクッキー。
なんとなくステフと顔が合わせづらく、当てもなく街をうろうろしていた時に見つけたものだ。
……ただし、その"うろうろしていた時間"が長すぎた結果、既に陽も暮れはじめていたが。
流石に最愛の義妹の言葉にショック受けすぎだろう、と己を自嘲するかのように紫恩は笑う。
そして恐る恐る図書館の扉に手を掛け、侵入した……その時。
「……ん?」
中から微かに聞こえてくる声に、紫恩は首をかしげる。
もしや何かあったのかと、足早にその声の元へと向かう。
やがて、紫恩の耳に声の正体……空の声がはっきりと聞こえてきた。
空達は図書館中央の円卓で何やら話しているようで、紫恩は本棚の影から彼らを覗き見る。
「―――――前国王も、お前みたいに運に頼って数うちゃ勝てるとでも思ったのかね。一国相手にさ」
「それは……」
「失った領土があれば、どれだけの食糧や資材が確保できた事やら……国王であるという意味、分かっていなかったとしか思いようがない。やっぱりお前の爺さん、馬鹿だったんじゃないのか」
何がそこまでの事を空に言わせているかは分からない。
だが、空が何かに苛立っている事は明白であった。
そしてその言葉に、ステフが少なからずショックを受けている事も。
「……おや」
紫恩の存在に気付いたらしいジブリールが、本棚の影に視線を向ける。
が、ジブリールは空や白には何も言わず、ただ成り行きを見守っていた。
「そ、それでも私のお爺様は、空のように内政を……人類種を放置し遊びほうける非常識人じゃありませんでしたわ!お爺様はいつも民の事を考えて……」
「無謀な勝負に挑み国土の半分も失う事が常識なら、俺は非常識人で結構。前国王を含めて人類は、どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ」
「っ……!」
前国王が国土の半分を失ったという事。
その事に紫恩は驚いたが、しかしそれよりも空の言葉に紫恩は眉を顰めた。
流石に止めにいくべきだろう……紫恩は影から足を踏み出すが、しかしそれよりも先にステフが叫ぶ。
「お爺様を……そして、お爺様が信じた人類種への侮辱は、許しませんわっ!もういいですわ、空なんか知りませんっ!」
最後のほうは殆ど涙声に近かった。
踵を返し、涙を隠すように俯いて走り去るステフ。
そしてそれに反応しきれなかった紫恩の肩が、前を見ていなかったステフとぶつかった。
「お、兄様……」
まさか紫恩が居るとは思わなかったのだろう。
驚きに声を上げるステフと、紫恩の視線が重なる。
「ステファニー、泣いて……」
「……っ!」
濡れた瞳を隠すようにステフは俯き、紫恩をさえ無視してまた駆け出した。
―――――今の彼女を一人にしてはいけない。
慌てて紫恩はステフの肩を掴もうと腕を伸ばす。
だがその手は空虚を掴み、ステフに届く事はなかった。
「紫恩……お前……」
驚いていたのは、何もステフだけではなかった。
白、そして空も、突然紫恩が姿を現した事に目を丸くしていた。
驚愕に満ちた空の言葉は、僅かに震えている。
珍しく動揺している様子の空に、紫恩は笑った。
「空、言い過ぎですよ」
そして努めて優しい声色で、紫恩は静かに告げた。
目の前でステフを……最愛の妹を泣かされたというのに、紫恩は怒りもしない。
その淡泊な態度に、空は落ち着きを取り戻す。
そしてバツが悪そうに頭を掻き、視線を逸らした。
「だって、じゃあどうしろってんだよ……紫恩も聞いてたなら分かるだろ」
「えぇ。あのお爺さんが領土の半分を賭けて勝負したなど、初耳でした……ですが」
未だ、紫恩と眼を合わせようとしない空。
白も落ち着かない様子で俯いている。
ジブリールの眼には、彼らの姿はまるで親に怒られ萎縮した子のように映っていた。
「―――――領土を取られてしまったのは、ステファニーの責任ではないでしょう?」
「……知ってるさ、それくらい」
空も反省している様子である。
これ以上の追及はせず、後は自浄作用に任せるべきだろう。
紫恩は言葉を止めようとした……が。
不意に紫恩の脳裏に、ステフの涙に濡れた瞳がよぎる。
その瞬間、シオドリクとしての感情が紫恩の中で頭をもたげた。
「そうでしょうね。知っている上で、君はあの子に八つ当たりしたんでしょうから」
その思いと反して、止まらない言葉。
肩を落とす空に、紫恩は畳み掛けるように言い放つ。
「―――――そんなだから君は、友人が出来ないんですよ」
―――何を言っているんだ、私は。
紫恩の言葉に空と白が目を見開いたが、一番驚いていたのは紫恩自身だった。
それはまさに、地雷を直に踏み抜くような行為。
その事に紫恩が気付き我に返るが、もはや覆水は盆に返らない。
「仕方ないだろ!俺らにはもう後が無いんだよ、一度の失敗すら許されない!そんな状況でそんな愚行を知らされたら、黙ってなんかいられないだろっ!」
声を荒げる空。
しかしその視線は、未だあらぬ方向に向けられたまま。
「ですが、もうお爺さんはこの世にいません。ならば君達が考えるべき事はステファニーへの八つ当たりではなく、今後の事でしょう」
「……しろ……やつあたりして、ない」
口をすぼめて不満げに白は呟くが、紫恩や空の耳に届く事はなかった。
「はっ。今後の事、ねぇ」
嘲るように笑う空に、紫恩の眼が鋭利なものとなる。
剣呑とした様子の彼らに、怯える白はジブリールの服を掴んだ。
「何を笑っているのですか」
「だってそうだろ?自分の弱さに勝手に絶望して、人類種も何もかも捨てて世界から逃げ出したお前が、"今後の事"に口を出すってんだからさ」
図星であった。
そしてそれは、もっとも紫恩が気に病んでいた点でもあった。
今度は紫恩が黙り込み、それに対し勢いをつけた空が更に続ける。
「なんだかんだ言ってるけどよ、まずはお前の弱さをどうにかしろよ。最初の盗賊だってそうだ、この世界に来てから俺らに助けられてばっかりじゃねぇか。」
逸らしていた視線を紫恩に向けつつ、更に空。
「仮にも旧王家の嫡男ってんなら、嫡男らしく……」
だが紫恩の眼を見て、空が口を噤む。
紫恩の悲哀に満ちた眼が、空を眺めていたのだ。
「……な、なんだよ」
口ではそう言いつつも、しかし空は気付いていた。
紫恩が空の地雷を踏み抜いたように、空もまた紫恩の地雷を踏み抜いたのだと。
うろたえる空に、しかし紫恩は悲しそうに笑うだけ。
紫恩は言い返す事もせず、ジブリールに目を向けた。
「ジブリール、後は任せます。」
「言われるまでもございません。私の体は、マスターだけのもの」
「……そうでしたね」
淡々と告げるジブリールに、紫恩は満足したように笑い、そして踵を返した。
このまま言い合いを続けるのは、あまりにも不毛である。
ならば一度お互いに頭を冷やすべきだろう、と。
「し、紫恩……?」
背中を見せ、逃げ去る紫恩。
困惑する空の横から、白が紫恩を引き留める為に慌てて追いかける。
―――――だが。
「来るなっ!」
「……っ!」
いつもの丁寧な口調など欠片もない紫恩の怒声。
白は思わず足を止めた。
「……空の傍にいてあげてください。君達は、二人で一人でしょう」
そして、闇にまぎれるように姿を消した紫恩。
どこかいつもより小さくみえたその背中を、二人はただ見送る事しか出来なかった。