一度冷静になるため、図書館を後にした紫恩は王城へと戻った。
自室に戻る事も無く、極力物音を立てないよう暗い廊下を歩く事数分。
紫恩は、王室の前で立ち止まる。
「ステファニー。私です、紫恩です」
王室は現在、ステフの部屋となっていた。
戸を叩きつつ、紫恩は声をかける。
しかし中から返事は無く、返ってくるのは静寂のみ。
さてどうしようかと紫恩が逡巡していると、戸がガチャリと音を立てた。
入れ、という事なのだろう。
「入りますよ」
戸が紫恩によって重苦しい悲鳴を上げ、開かれる。
部屋の中は暗く、唯一ベッドの傍のロウソクが爛々とステフを照らしている。
紫恩が王室の椅子に腰を掛けると、ステフはその憂いに満ちた目を向けた。
「……まさか、お兄様がお見えになるとは思いませんでしたわ」
それは、自身ではなく空白を選ぶものだと思っていたという皮肉。
紫恩もそれを理解し、苦々しく笑った。
「ステファニーはすっかり変わってしまいましたね。昔はもっと素直に喜んでくれたのに」
「変わったのはお兄様ですわ。24時間毎日空や白の事ばかり考えて……」
「私は彼らの命を預かった身ですから。彼らの健康を気遣うのは当然でしょう」
空白の親代わりであるという事。
ただその責任を果たしているだけだという紫恩。
だが、それだけが空白と共にいる理由ではない事をステフは理解していた。
だからこそ、ステフは悔しかった。
まるで、空達に兄を取られたようで。
本来なら自分が居るべき場所に今は空達が居るという事が、たまらなく嫌だった。
……そして、そんな子供じみた思いを抱く自分自身も。
「あぁ、そうだステファニー。渡す物があったのでした」
そう言いながら立ち上がり、おもむろに紫恩が取り出した小包。
差し出されたそれを、ステフは恐る恐る両手で受け取った。
「これは……なんですの?」
「ただのお菓子ですよ。街中で見つけて、とても美味しそうだったので買ってしまいました」
ステファニーのお菓子には負けますが、と紫恩は最後に付け加える。
何故突然こんなものをとステフは不思議に思ったが、開けてみると本当に小さなクッキーが数個入っていた。
小振りだけれど、小麦色に焼けたそれは確かに美味しそうで。
ステフが一つ口にしてみると、甘い味が口に広がった。
「美味しいですか?」
頬張るステフを、紫恩は楽しそうに眺めていた。
その表情は、ステフが幼き日に見たシオドリクの笑顔そのもので。
昔同じようにお菓子を買ってきてくれた時も、彼は同じように笑っていた事をステフは思い出した。
「……っ。」
―――――変わってなどいなかった。
兄はいつまでも兄のままだった。
一つ、また一つと菓子を口に入れる度に、ステフの頬を涙が流れる。
しかし紫恩は何も言わず、ただただ笑みを湛えていた。
「ステファニー。朝の質問ですが……」
唐突に口を開いた紫恩。
空になった小包を握り締めて俯くステフを見やり、続けた。
「君か空白、どちらが大事かは決められそうにありません……すみません」
その言葉に、ステフはより一層小包を強く握り締める。
朝のステフであれば、その返答に深い悲しみを抱いていただろう。
しかし紫恩が昔と変わっていない事を知った今、ステフはもうそんな事どうでもよくなっていた。
「もういいですわ、そんな事。それが今のお兄様なんですもの」
残念ではあるが、しかしそれが紫恩なのだと。
むしろそうでなければ紫恩ではないと、吹っ切れたようにステフは笑う。
「まさかそれをずっと悩んでいたから、図書館に来るのがあんなに遅かったんですの?」
「是か非かと問われれば、是と答えるしかありません」
「お兄様って意外と小心者なんですのね」
「えぇ、そうですよ。少なくとも世界から逃げてしまうくらいには」
笑いあうステフと紫恩。
その雰囲気に、先ほどの憂鬱さは微塵も感じられない。
ひとしきり笑いあった後、紫恩はステフが小包のほかに何かを握っている事に気付く。
それは金色の装飾が施された、傍目から見ても豪華絢爛な鍵。
紫恩の視線が鍵へと注がれている事に気付いたステフは、目線の高さまでそれを掲げ、説明する。
「これは……希望の鍵、ですわ」
「希望の鍵……?」
わけが分からない、と首をかしげる紫恩。
「お爺様から預かった大事なものですの。よくわかりませんが、人類種を任せられる王が見つかったら、その者に渡してくれと」
「人類種を任せられる王……ですか」
余程重要なものが隠されているのだろうか。
仮称希望の鍵を凝視する紫恩。
その真剣な表情に、ステフは息を呑んだ。
「ステファニー」
「……なんですの?」
「これを、空達に渡してはくれませんか」
人類種を任せられる王。
そういわれて紫恩が思い浮かぶ人物など、空白の他にいる筈が無い。
だがステフは、あまり乗り気ではないようで。
「それは……」
「……ダメ、ですか?」
国王を、そして人類種を侮辱した男。
そのような男を信じる事など、どうして出来ようか。
じっと見つめてくる紫恩に、ステフは眼を合わせていられず視線を落とす。
「べ、別に意地を張ってるとかじゃないんですのよ?ただ、その……」
「……なら、行きましょうか」
「へ?行くって、どこへ……」
呆けるステフに、紫恩はさも当然のように答える。
「図書館ですよ」
―――――
一方、その頃王立図書館では……
「はぁ……」
頭を抱え、大きなため息と共に机に突っ伏す空。
その隣では、白も椅子の上で膝を抱えている。
そこに、しりとりで天翼種を打ち負かした異世界人としての姿は微塵も無い。
いつになく落ち込んでいる様子の二人に、ジブリールが向ける視線は悲哀そのものであった。
「やっちまった……ごめんな、白」
「……」
紫恩に突き放されてからずっと落ち込んでいた白。
そうなった原因の一端は自分にもあると、空は謝罪の言葉を口にした。
絶対に避けるべきと考えていた、紫恩への"失敗の検証"。
無論それを意図したわけではないが、結果としてそのような形となってしまった。
そしてその検証をした結果が、これである。
紫恩だけでなく、ステフだってそうだ。
泣かしてしまったという事実が、空の心に重くのしかかる。
完全に戦意喪失している二人に、ジブリールはステフや紫恩を連れてくるべきかと迷った。
今空白に必要なのは、悔しくもあるが自身ではなく彼らなのだと。
……しかし。
紫恩は去り際、ジブリールに空白を任せた。
しかしあの時の紫恩の顔に、空白に対する失望や諦めといった色は無かった。
であれば、何故ジブリールに任せたのか。
"空白はジブリールに任せる"……それはつまり、こうとも言い換えられるのではないだろうか。
"ステフは私に任せてください"、と。
勿論、確証は無い。
ただし、信じて待つ為の時間の猶予はまだある。
ステフの事は紫恩に任せ、ジブリールは二人のサポートに徹する事にした。
どうせ、ステフの事に関してはよく知っている紫恩の方が適任なのだ。
あの人類種に……しりとりであっけなく死に果てた弱者に、果たして信ずるに値するものがあるかは分からない。
だがもう一度くらいなら、期待してみてもいいだろう、と。
「マスター。風邪をお引きになられますよ」
「ほっといてくれ」
かけた気遣いも虚しく、空によって一蹴される。
しかしめげずに、ジブリールは続けた。
「何を気に病む必要があるのですか。先に"仕掛けて"きたのは、紫恩様でございましょう?」
「そういう問題じゃねぇんだよ……」
誰が先に侮蔑した、とか。
誰が先に喧嘩を売った、とか。
空白にとって紫恩との決別は、そのような次元の問題ではない。
紫恩という存在は、孤高に立ち続ける空白を支える柱。
その柱が折れたりなどすれば、どうなるだろうか。
憂鬱そうに顔を上げる空。
その視線の先に、ステフが持ってきた山盛りの菓子を捉えた。
「それは、ドラちゃんが作ったお菓子にございますね。紫恩様も手伝っておられたようですよ」
ジブリールが言うや否や、お腹の鳴る音が響いた。
音源に眼をむけると、そこにあったのは膝を抱えていた白の赤い顔。
その愛らしさに微かに笑って見せたジブリールは、菓子を白へと手渡した。
「どうぞ」
「……ありがとう」
ピンク色の、やけに色が鮮やかな菓子。
それを一欠片口に入れた白は、残った方を空に差し出した。
「……おい、しい……よ?」
そう言って笑う白。
白に差し出された物を押し返すわけにもいかず、空もそれを口にした。
「……っ」
それは、憎らしいほどに美味しかった。
ただ単に菓子作りが上手なだけで、このようにはなるまい。
ステフが、そして紫恩がいかに自分達の事を考えていたかが容易に想像できて、空は。
「あぁもう、仕方ねぇな!」
一度は人類種に失望さえしてみせた空。
だがそんな人類種に対する、ステフの期待は本物だった。
紫恩も、そんなステフを信じ、そして空白をも支え続けていた。
―――そこまで言うなら、想っているなら、今一度信じてやろうじゃないか。
再びやる気を出した空を、ジブリールは嬉しそうに見守っていた。
―――――
それから空は、この十年で東部連合にとられた領土がエルキアにとって無用の土地であった事を知った。
開発するにも技術力が足らず、荒れ果てていた土地。
そのような不要な物を賭け金に、何度も東部連合へと勝負を仕掛けた国王。
その意図を空は探るが、その答えはすぐに現れた。
国王が、東部連合のゲームを探ろうとしていたという可能性。
本来なら敗北すると消されてしまうゲームの記憶を、保持し続けていたという推測。
確たる証拠はないが、しかしそれならば東部連合にゲームを挑んでいた事の説明がつく。
そしてそれがもし事実であれば、空白にとっても大きな利となるのは自明。
知られない限り必勝の、東部連合のゲーム。
それを暴く事が出来れば東部連合を打ち破る事も可能だと、空は確信した。
……そしてそんな彼らを、紫恩とステフは物陰から観察していた。
「空……」
ステフの祖父を信じ、ひたすらに東部連合のゲームを暴こうとする空。
先ほどとは真逆の空の様子に、ステフは唖然としていた。
「空は、人の気持ちが分かりすぎるんですよ……よくも悪くも」
「え……?」
「君が空に見せた涙。その涙から、君がどれだけ祖父を信じていたかを空は知ったのでしょう―――――」
―――――国民から愚王と罵られていた国王。
そう言われるのも当たり前だと思われるような事もやっていた。
だというのに、君は国王を信じ続けていた。
国王に寄せる君の絶大な信頼に、空は可能性を見たのだ、と。
自分に言い聞かせるように語る紫恩に、ステフは。
「……」
その手に握る鍵を見つめ、ステフは眼を伏せる。
空は鍵を渡すに相応しい王なのだろうか。
そう自問自答し、そして再び顔を上げた。
直後、物陰から姿を現すように歩き出したステフ。
紫恩はその後ろで、何も言わずついて歩いた。
「ステフ……!?それに、紫恩……お前ら、なんで……」
一度は決別してしまったと思っていた二人。
彼らが再び目の前に現れた。
その事に驚いている様子の空に紫恩は笑いかけて、そして白を見た。
「白、酷い事を言ってすみませんでした」
腰を折り、謝罪する紫恩。
しかし白はただただ首を振って、紫恩に抱き着いた。
「……許す……許すから、紫恩は……」
「はい。私は、君達の保護者ですよ。弱かろうが、守られようが、ね」
そう言う紫恩の空に向ける笑みは、不自然な程に明るいものであった。
紫恩なりに整理してきた結果なのだろう。
ぼーっとその笑顔を眺めていた空に、ステフはあの金の鍵を差し出す。
「……なんだ、これ?」
「希望の鍵、ですの。これを空に差し上げますわ」
淡々と告げるステフに、ひたすら首をかしげる空と、白。
やがて希望の鍵の説明を始めたステフの背後で、紫恩はジブリールに笑いかけた。
「ありがとうございました、ジブリール」
「はて。一体何の事でございましょうか」
「……はは。貴女の体は空白だけのもの、でしたね。」
「その通りでございます」
紫恩とジブリールがそんな話をしている間にも、空達とステフの仲は元通りになっていて。
いつもの空気が戻ってきた事に、保護者と従者は揃って笑いあった。
―――――
希望の鍵。
それは、王室にある秘密の扉を開ける鍵だった。
部外者侵入防止の為の様々な機構を解き明かして現れたのは、厳重に封印された古い扉。
錠前の形も希望の鍵と一致しており、いうなればこれは希望の扉とでもいうべきか。
「一体、何が希望なんでしょうね」
「さぁな。エロ本の一つや二つ隠されてるんじゃね?」
「……やめてください。嫌な思い出がよみがえります」
思い出となるほど、昔の事でもないが。
眉間に皺を寄せ呻く紫恩を空は一瞥した後、鍵を錠前に差した。
ガチャリと音を立てて封印は解かれ、重い戸が開かれたその先にあったのは、数多くの本棚と、一つの机。
これほどの本の数がまだ隠されていた事に皆一様に驚き、ジブリールに至っては嬉々とした眼差しを向けている。
だが、一つだけ鎮座されていた机の上に開かれたままの本がある事に空は気づき、手に取った。
「"これを次代の国王に託す"……?」
人類種語で書かれた一文。
それが意味する事を知るために、空は更に読み進める。
「"我が愚王としての最期の宿命、その全てをここに記す。人類種を滅亡から救う手立てになろうことを願って"」
それが誰の言葉なのか、もはや疑うまでもなかった。
更に本を読み進めていくと、そこに記されていたのは東部連合についての情報。
特に、ゲームの内容が書かれていた事に空達は目を丸くした。
「本当に……国王は、記憶を失われていなかったのか」
生涯他人にゲームの内容を明かさない事。
そう東部連合に誓わされた……あるいはそうなるように誘導した国王は、8回もの勝負を挑み、東部連合のゲームの実態を暴きつくしたのだろう。
自身が死んだ後、次代の国王に託す為に。
「ステファニー」
「……何、ですの。」
既に涙声なステフに、空はその本を渡した。
「やっぱ、国王はお前の爺さんだな」
「……っ」
愚王という汚名をそそがれようが、国王はただ人類種の為に命を捧げた。
ステフが今そうしているように、国王もまた、人類種を信じつづけていたのだ。
泣き崩れたステフを、ジブリールは神妙な面持ちで眺めていた。
前国王が残した本……それはまさに、人類種の可能性そのもの。
皆がそのように思い思いの感情を抱いている中、紫恩は本棚を見渡していた。
それらにどうにも、見覚えがあるような気がしてならなかった。
見知らぬ本もあるが、しかしそれらに紛れるように見知った本を紫恩は見つけ、確信した。
「……空」
「どうした、エロ本でも見つけたか」
「また君はそのように空気をぶち壊すような事を……違いますよ。あったんですよ、蔵書が」
「蔵書?……まさか、それってお前」
図書館でも見つけられず、どこにあるのかと紫恩はずっと疑問に思っていた。
あの日、忘れ物を取りに行くと浴場に向かう空達と別行動したときも、紫恩は人知れず探していたが、見つからなかった。
―――――なるほど、これでは見つからないわけですね。
納得し、紫恩は笑いながら空に告げた。
「―――――はい。アスター家の蔵書は、ここに隠されていたようです」
焼失してしまったと思われていた本の数々。
それらの一部は火の手を免れ、エルキア王城の王室で大切に保管されていた。