脱文時のものを読まれた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありませんでした。
そして、翌朝。
エルキア王城炊事場にて、事件は起きた。
空白の王佐たる紫恩と、炊事場における長たる使用人の長―――通称メイド長の間を流れる、物々しい雰囲気。
両者互いに一歩も動かず、しかし笑みは絶やさぬ事数分。
その場にいる誰もが、緊迫した空気に息を呑む。
「紫恩様。本日は少々遅れての御起床でございましたわね」
「えぇ。昨日は遅くまで空に振り回されておりましたので」
「お疲れでございましょう。そのままお休みになられていてもよろしいですのに」
「そうも行きません。これは、私の日課ですので」
ニコニコと、笑顔は崩さず威嚇し合う王佐とメイド長。
その光景に、ステフは浴場での紫恩とジブリールの件を思い出した。
「そうですか、しかし残念ながら既に事は済んでおります。もはや紫恩様の出る幕はございませんよ?」
「……なるほど。全ての企ては整ったと、そう仰られると?」
紫恩の言葉に、言葉は返さずとも得意げな笑みで返答するメイド長。
俗にいう"ドヤ顔"である。
―――――たかが食事の準備を企てと称するのは、お兄様だけですわ……
内心呆れかえりつつも、しかしステフは平常心を装って事の成り行きを見守り続けていた。
食事の準備に出遅れた紫恩と、その間に全てを終わらせた使用人との間に起きたそれは、まさに戦争。
今もまだ眠りについているであろう王。
彼の者の健康を考え得るに相応しい人物を決めんとする為の、闘争である。
「ふむ。味噌汁、玄米、野菜炒め、そして取れたての魚の塩焼き……健康的ではありますが典型的な和食のテンプレ。そのような物、王は絶対に食されないと私が断言しましょう」
憐みをも含んだ紫恩の見下げるような言葉。
ここで初めて、メイド長の鉄壁の如き微笑に亀裂が走る。
「……その根拠は?」
努めて笑顔で、メイド長は紫恩に問うた。
しかしその仮面の裏の顔を透かし見るように、紫恩は笑って答える。
「何故なら、王は低血圧なのです。寝起きにそのようなガッツリとした食事は好まないでしょう」
「……ていけつ、あつ?」
当然のように告げた紫恩の言葉。
メイド長は嘆息した。
残念故に、ではない。
安堵故に、である。
―――――まさか、王佐はそのような事を根拠に私共の朝食を斬り捨てたのか。
低血圧などという、いまいちよく分からない単語を持ち出してきた紫恩に、メイド長は失笑したのだ。
しかし余裕を取り戻したメイド長に、紫恩は続ける。
「貴女方のように、私も以前は彼らにそのような朝食を作りました。そしてそれを見た彼らが開口一番に何を言ったと思いますか」
「……美味しそう、ではないのでございますか」
メイド長の眼からみても、紫恩の料理の腕は高かった。
好敵手であり競争相手である王佐の料理は、この道数十年の彼女から見ても一級品であると思っている。
怪訝に王佐を見やるメイド長に、紫恩は苦笑して首を振った。
「言ったでしょう、低血圧であると。"明日からはパン一つでいい"……そう言いやがったんですよ、彼らは!」
「まさか……!?」
悔しみと、若干の憎しみを込めつつ言い放つ紫恩。
メイド長だけでなく、衆人環視の使用人達までもが驚きの声を上げる。
そのような言葉で一蹴されるような料理ではない事が、容易に予想できるからだ。
ステフはステフで、普段の空白を知っているからこそ何となく予想出来て、納得していた。
「メイド長、貴女がそれをどうしても出したいというのなら、止めはしません。ですが、出した結果王に一蹴された時、貴女にそれを受け止める覚悟が無いなら……やめておくべきでしょう」
「そ、それは……っ!」
メイド長も己の、そして皆で作り上げた料理に誇りを持っている。
出来栄えには紫恩にも負けないと自負さえしている。
だがそんな料理を、仮に一介の使用人に過ぎない自分達の前で王に一蹴されたらどうなるか。
熟練の自分はともかく、使用人の中には自信を無くす者も現れるだろう。
―――――皆の為を思うならば、ここは引くしかない。
力なく項垂れたメイド長に、紫恩は優しげに笑いかけ手を差し伸べた。
「紫恩様……?」
「今我々が敵対しても、良くて王相手に共倒れでしょう。ならばここは手を取り、協力し合いませんか」
メイド長からは、長年の経験からしか得ることの出来ない料理の秘訣を。
使用人達からは、豊富な人力による多種多様な料理へのアプローチを。
紫恩からは、空白との共同生活で得た彼らの好物と好きな料理の情報を。
出し合い、力を合わせる事で共に
メイド長は差し出されたその手を、握り返した。
「はい……共に頑張りましょう、紫恩様」
途端、沸き起こる歓声。
新しい王が誕生した時のものに勝るとも劣らないそれ。
なんとも阿呆らしい戦争の、平和的な結末であった。
そのあまりものばかばかしさに、ステフは終始苦笑いだったが……しかしそれでも。
「ちょっと……羨ましいですわね」
彼女達は対等な目で自分を見てはくれない。
必ずそこには、前国王の令嬢としての自分が居る。
それに対して、兄はどうだろうか。
そんな彼女達と馬鹿みたいに炊事で対立し、そして友情を築ける兄。
王佐と言われはすれど、アスター家嫡男としての立場を失い、ただの客人と成り下がってしまった兄が。
たまらなく羨ましかった。
そんな風に遠くから距離を置いて見守り続けていたステフに、紫恩が気付き声をかける。
「ステファニー。暇であれば貴女も一緒に手伝ってください」
「え?いやでも、私は……」
いつもならむしろ自分から率先して参加するステフだが、今日ばかりは恐縮していた。
それが丁度仲間の輪から溢れてしまった子のようで、不憫に思ったメイド長が声をかける。
「お嬢様も、ご一緒にどうですか」
普段ならそんな事、メイド長である彼女は絶対に口に出さないだろう。
しかしそんな彼女が誘ってくれた事が、ステフは嬉しかった。
「……はいですわ!」
喜び勇んで輪に混ざるステフと、それを暖かく見守る紫恩。
普段は平和なエルキア王城で起きた、平和ボケした争い。
騒がしくも楽しげで賑やかな、そんな炊事場での朝であった。
……余談だが、こうして作られた今日の朝食は気合が入りすぎたせいか重すぎて、空白に一蹴にはされなくとも残されてしまったのは、また別の話。
―――――
時刻は過ぎて、陽も暮れた夕方。
朝に一波乱あったがそれ以外は平和そのもので、今となってはエルキア王城も静寂に包まれている。
賑やかに羽音を鳴らす鈴虫の音色を聴きつつ、紫恩は空白の部屋の掃除をしていた。
そんな彼の様子を見て、白とゲームをしていた空は。
「……なんか、地球に居た頃を思い出すな」
ゲームをしている空白の隣で、小言を言いつつ掃除をしていた紫恩。
そんな彼らの住む場所が地球から異世界に変わっても、やはり紫恩は紫恩、空白は空白のまま。
場所だけが変わり、しかし何も変わらぬ時間の流れる今が、空はたまらなく居心地が良かった。
空の膝の間にすっぽりと収まっている白も心なしか、機嫌がよさそうである。
「紫恩……一緒にゲーム、する?」
「なっ!?白、兄ちゃんじゃ足りないってのか!」
「にぃ、嫉妬は……見苦しい。」
「ぐぬぬ……」
―――――本当に、どこに居ても彼らは変わらない。
微笑ましそうに彼らを見ていた紫恩だったが、しかし否定の意味を込めて首を横に振った。
「掃除が終わっていないので、まだだめです」
「それじゃ……終わったら、やろ」
「勿論、それは構いませんが……今日はやけに積極的ですね」
いつもなら一度断られれば諦めるのに、と不思議そうに白を見る紫恩。
対して、白は特に答えるわけでもなくただ俯くだけ。
しかし、そんな白の様子から空は気づいた。
白が紫恩の離別に不安を抱いているという事を。
昨日の紫恩の拒絶に、白はまだ悩み、整理できていなかった。
「ま、仕方ねぇよな……」
「にぃ……?」
突然わけのわからぬ事を言い出した空に、白が首をかしげる。
しかし空は白の頭を撫でるだけで、何も言わなかった。
白は、紫恩とは空と期間は同じだが非常に幼い頃からの付き合いである。
出会った頃にはもう物心がついていたが、それでも親よりも親らしい紫恩という存在が与えた影響は大きいのだ。
空白は二人で一人だが、それは紫恩が必ず自分達の味方であるという前提があってこそ成り立つ。
―――――その前提が覆ったとき、真っ先に壊れるのは果たしてどちらだろうか。
「よし、じゃあ紫恩!今日は俺ら空白対紫恩で貫徹だ!俺らに勝つまで寝かせねぇぞ!」
「はぁ!?ちょ、それ私寝れないじゃないですか!」
「別にいいじゃねぇか、最近全然やれなかったんだし。なぁ、白?」
もうすべて解決したのだと、いつも通りの時間を取り戻したのだと、愛する妹に言い聞かせるように。
紫恩に挑戦的な笑みを向ける空と、苦笑しつつも早く掃除を済ませようと急ぎ始めた紫恩。
地球に居た頃と変わらない空と紫恩に、白は遂に笑って見せた。
「……うん。紫恩が勝つまで……寝かさない」
「白まで……。それじゃ、さっさと掃除終わらせちゃいましょうか。寝る時間が遅くなってしまいますから」
―――――
結局、空白と紫恩のゲームが終了したのは陽がまた昇り始めた頃の事であった。
もう既に色々と限界となっていた紫恩は、最後のゲームが終わるなり普段空白が使っている布団に寝転んだ。
「はぁー……まさか本気で貫徹させるとは思いませんでしたよ」
「結局一回も勝てない紫恩が悪いんだろ」
「世に蔓延っていた廃人ゲーマーすらも勝てない空白に、私如きが勝てるとお思いで?」
もはや怒鳴る力も残されていないのか、弱々しく愚痴る紫恩。
両手をだらしなく広げ、俯せに寝転がる彼の背に、白は座りながら再びゲームを取り出した。
「……白さん。重いとは言いませんけど、出来れば降りていただけると助かるのですが」
「紫恩に、盟約……使えないから……代わりの罰ゲーム」
「王女様はこれだけの仕打ちを民にしでかしておいて、更に罰を加えるというんですね」
「罰じゃない……むしろご褒美」
「貴女今自分で罰ゲームって言いましたよね!?ねぇ!」
紫恩の抗議にも聞く耳持たず、白はさっさとゲームを始めてしまった。
終わるまできっと退いてくれないのだろうと諦めた紫恩は、今しがた立ち上がった空に視線だけ向ける。
「出かけるんですか?」
「あぁ、ちょっとアポをな」
「アポ?」
寝たままの紫恩に対し、空は怪しげに笑うだけ。
―――――あぁこれは何か企んでいる顔だ。
もう自分が介在できない所まで事は進んでいるのだろうと、部屋を後にする空に紫恩は力なく手を振った。
「あまり遠くまで行かないでくださいよ。白や君がエラー起こしたら面倒ですから」
「大丈夫だ。お前らの居る部屋が見える位置には居るさ」
そして、扉の閉める音が部屋に響く。
―――――本当に、大丈夫なのだろうか。
そう言って部屋を後にした空の手は、微かに震えていた。
背に乗る白からも、微かに呼吸の乱れを感じる。
そこまでして何故、白は自身と共に部屋に残り、空はそんな白を残していったのか。
……どうしてそこまでして、私を一人にしようとしないのか。
ゲームに没頭しているらしき白の背に紫恩が手を添えると、ぴくりと肩が跳ねる。
「無理しなくて、いいんですよ」
「……」
言われれば、素直に白は横たわる。
背中を丸め、ゲームに集中している振りをし続ける白の頭を、紫恩は寄り添いながら撫で続けた。
まるで、悪夢にうなされた子供を落ち着かせるかのように。
私はずっと君の傍にいると、安心させるように。
―――異世界、ディスボードに来ても変わらぬ三人。
そんな三人だが、少なからず変わった所もある。
……それは、空白の紫恩に対する依存度が若干強くなっている事。
仕事があった為に日中家にいる事は無かった紫恩が、こちらではずっと傍にいる。
ただそれだけの事が、紫恩への依存を更に強く意識する結果となっている。
その事が、果たして今後どのように影響するのか。
無論今の紫恩に分かるわけもないが、良い影響ばかりでもないだろう。
空白の強さは、人類種を救う上で重要な鍵である。
その強さに影響を与える前に、何かしらの手は打たなければならないのかもしれない。
背を丸くする白を前に、紫恩はそんな漠然とした不安を抱えつつ目を瞑った。
眠さから、徐々に意識が薄れていく紫恩。
紫恩が眠りに落ちる瞬間、同様に白の頭からずり落ちそうになった無骨な手。
ゲームなど最初からしていなかった白は、その手を離すまいと震える両手で捕まえた。
「紫恩……」
独りでは耐えられない社会の空気。
そんな空気から、紫恩のこの手は自分達を守ってくれている。
……それから空が戻ってくるまで、白はずっと紫恩の手を握り続けていた。