停止。
今の状況を表すには、たったその一言でいいだろう。
紫恩の告白は、それほど強力な一撃であった。
ステフは勿論、白、そして空までもが、目を丸くしていた。
そんな彼らの様子に、もしかしてまたテトでも現れたのだろうかと、紫恩はそんな場違いな事を考えていた。
「な、……な、えっ…?」
絞り出すようなステフの言葉は、もはや言葉の体を成しておらず。
停止した空気をぶち壊すかのように、空が叫んだ。
「ちょ、紫恩……じゃなかったシオドリク!!なんで結論から喋りだすんだよ!?」
「なんでって、今さら取り繕うのも無理ありますし……。」
「もうちょっと自分語りいれて場を盛り上げて、最高潮までいったところで最後に一気にドーンとかさぁ……!!」
「最初に結論言っちゃったほうが、相手にも分かりやすくていいでしょう。」
「分かりやすすぎるんだよ!見ろよ、ステフなんか完全に時が止まってるぞ!」
話の展開にいちゃもんをつける空。
こうなってしまっては感動もなにもあったものではない。
「……紫恩……10点…。」
「結構厳しい採点なのですね、白。でも自分語り、ですか……。」
自分語りとはいっても、殆ど空やステフによって説明されてしまっている。
今さら何を言うべきかと迷っていると、恐る恐ると言った様子でステフが口を開いた。
「シオドリク・アスター……お兄様、ですの……?」
言われてみれば、とステフは紫恩……仮称シオドリクをじっくりと観察する。
少々長くはなっているが、確かに綺麗な濡羽色の紫恩の髪と紅い瞳は記憶の中の兄の特徴と一致する。
そして一度意識してしまえば、紫恩の顔を見ただけで一気に過去の記憶が奔流のように脳裏を駆け巡っていく。
昔話を語る優しい声、ゲーム中に思考に耽る顔、自分の勉強の成果を一々褒めては見せる笑顔。
やがてじわりと、ステフの視界が涙で滲む。
「ステファニー……大きくなりましたね。」
「ッ!!」
昨日、宿屋で言われた言葉。
今一度言われたことでその意味を理解し、思わず兄に抱き着いた。
「お、兄様……お兄様ぁぁぁ!!」
己の胸で泣くステフを前に、シオドリクも抱き返そうとした……が、やめた。
代わりに頭に手を置き、極めて冷静に努めた声色で話す。
「やめてください、ステファニー。私は、お前の思う程出来た人間では……」
現実から逃げ、挙句家族を見殺しにした卑怯者の親不孝者。
己を卑下し、否定する紫恩に、しかしステファニーは首を振った。
「……知っています。」
「え……?」
次は、シオドリクが驚かされる番だった。
「知っているって、何を……」
「何、ってお兄様、忘れたのですか?あの日……10年前、最期にお兄様が私と会った日の事。」
最期にステファニーがシオドリクと顔を会わせた日。
その日は、ステファニーが初めてシオドリクと喧嘩した日でもあった。
―――――
「やった!またお兄様に勝ちましたわ!」
その日も、ステファニーはシオドリクとトランプを用いたゲームをしていた。
ゲームに関してシオドリクは滅法弱く、例え8歳児のステファニーが相手といえど勝てた試しは殆ど無い。
「本当に強いですね、ステファニー。」
「勿論!私がエルキアを救うんですもの。」
強くて当然、とばかりにふんぞり返るステファニーに、からからと笑うシオドリク。
それじゃ片付けましょう、と散らばったトランプをシオドリクが集め出す。
そんな彼に、ステファニーはある疑問をぶつけた。
それは、いつも思っていた素朴な疑問。
けれど何となく言い出せなくて……でもその日は、何故か言い出せてしまった。
「お兄様って、旧王家の長男なんですわよね?どうして、そんなに弱いんですの?」
シオドリクの、トランプを集めていた手が止まる。
そこに悪意など、ありはしなかった。
ただ、同じ王家の長女である自分と比べて、弱い旧王家長男が気になっただけ。
しかし……不幸なことに、そこがシオドリクの最も触れてほしくない逆鱗であった事に、聡くも幼いステファニーは気づけなかった。
「……どうしてでしょうね。そんなの、私が知りたいですよ。」
「お兄様……?」
シオドリクの雰囲気が変わった事に、怪訝そうにするステファニー。
いつもの温和な表情が消え、無表情のシオドリクはどことなく恐ろしくて。
しかし自分の発言で彼を怒らせてしまった事をなんとなく理解したステファニーは、出来うる限りの知識を絞って取り繕うとする。
「そ、そうだ!お兄様も私と一緒にお勉強しましょう?そうすれば、きっと……!」
―――――それが、更に深く傷を抉るとも知らずに。
「……君は、エルキアを救うと言いましたね。ステファニー。」
「は、はい……お兄様。それが、なにか……」
「君が知っているように、我々人類種には精霊回廊がありません。故に、魔法を感知する事も使用する事も出来ない。また、獣人種のように超能力、超感知といった類もない。それなのに、どうやってエルキアを救うというのですか?君のような、何の力も無い子供が。どうやって。」
8歳児相手に、大人げない。
シオドリクはそう自虐しつつも、しかし己の口から飛び出すナイフの如き言葉は止まる事を知らない。
いや……止めようとも、していなかった。
「それは……皆で力を合わせれば……!!」
「そんな陳腐な術で可能なら、今頃人類種はこんな絶滅の危機に瀕してなどおりませんよ。」
そうですね、ステファニーの言うとおりです。
いつもなら肯定の言葉を聞かせてくれる筈の兄は、真っ向からステファニーを全否定する。
いつもと様子の違うその姿に怯え、恐れ、幼く純真な目元から涙が流れる。
「ご、ごめんなさい……。」
「……っ。」
彼女の涙を見て、シオドリクは我に返る。
そして同時に、やってしまったと自己嫌悪に陥って。
「……ふぅ。申し訳ありません、ステファニー。今日の私は少しおかしいようです。今日はこれでお暇させていただきますね。」
「え……?」
逃げるように、シオドリクは部屋を飛び出す。
「お、お兄様!待って……あっ!」
追いかけようとしたステファニー。
しかし足をもつらせ、盛大に転んだ。
痛々しい音と悲鳴を廊下に響かせ、即座に使用人が駆けてくる。
「お嬢様、大丈夫ですか?あぁ、お膝を擦り剥けられていらっしゃいますね。すぐに消毒を……」
「いいの、私の事はいいの!お兄様を……」
ステファニーが怪我をすればすぐに飛んできてくれる兄の姿は、どこにもない。
甲斐甲斐しく手当をする使用人の声が、ステファニーには遠く聞こえた。
―――――
「……お兄様が失踪してしまったのは、私のせいなのではないか。私があんな事を言ったから、二度と顔を見せてくれなくなったのではないか……ずっと、そう考えていましたの。」
「ステファニー……。」
「私も勝負に負けて、国王選定戦から落ちて、気づきました。己の無力さゆえの、どうしようもない悔しさに。私の追い打ちは、幼かったとはいえとても残酷なものでしたわ。」
弱い、けれどどうする事も出来ない。
いや、どうしようとも弱いままで、そんな自分から逃れられなくて。
その上己の立場とも戦い、そして心身ともに崖っぷちに立たされていたであろうシオドリクに、"最後の一押し"をしてしまったのではないか。
ステファニーはずっと、自責の念に駆られていた。
「……馬鹿ですね、君は。さっさと私の事なんて嫌ってしまえば、楽になれたでしょうに。」
「お兄様を嫌う事なんて出来るはずがありませんわ。」
―――どうか、あの馬鹿息子を嫌わないでやってほしい。
シオドリクの親に言われたあの言葉を、ステファニーはまだ覚えていた。
神妙な雰囲気で語らうシオドリクとステファニーに、空が口を挟む。
「おーい……そろそろいいか?」
「あぁ、空。どうされました?」
「どうされました?じゃねぇよ!いつまで俺ら放置する気だよ!」
白の半眼がシオドリク……と、ステファニーに突き刺さる。
なんだか不倫現場を見られたかのような罪悪感に苛まれ、シオドリクは苦笑した。
「それで、シオドリ……いや、紫恩でいいか。紫恩は10年前に地球に来た……そういう事だな?」
断定するかのように確認する空に、紫恩も頷く。
「はい。それからは君達が知る通り地球で暮らした後、先日君達に巻き込まれる形でこの世界に戻ってきたのです。」
「……じゃあ…アスター家は……」
「無実ですよ。私が情報を他国に流したなどという事実もありません。」
「まぁ、そうなるわな。」
ずっと紫恩は地球に居たのだから。
それは空白がよく知っている。
それでは、アスター家は本当に暴動を沈静化する為、エルキアの為に自ら犠牲になった事となる。
大した自己犠牲だよ、と空は呆れつつも感心した。
「しっかし、紫恩も大人げねぇよなぁ。八歳児の子供相手にムキになるなんて。」
「空……!」
過去の諍いを蒸し返す空に、非難の声を上げるステフ。
しかしそれを紫恩が遮った。
「えぇ、その通りです。ですが空、今はそのような過去の細事に構っている時ですか?」
「…紫恩ってあんまり怒らないよな。本当に喧嘩別れしたのか?」
「いえいえ、これでも結構怒るんですよ私。……たとえば、昼夜の食事を用意しろと言ってのけた空の発言とか。」
眉を吊り上げ、蔑むように紫恩は笑う。
「……前言撤回。お前、やっぱしつこいわ。」
地球でのあの恨みをまだ持ってくるか、と流石の空もお手上げのようで。
それ以上の追及は諦めたのか、伸びをしつつ、視線をステフへと向けた。
「ステフ、戴冠式はいつ始まる?」
「え?えぇっと、夕方からだったかと。」
「それじゃ、そろそろか……。」
戴冠式。
それは次期国王の決定を意味し、国王選定戦の終了を意味する。
考え込む空は、ちらりと白に目を向けた。
「白。兄ちゃんが何やっても、ついてきてくれるか?」
「勿論。それが……約束。」
二人の間で交わされた短い言葉。
それが一体どういう意味なのかステフには分からず、首をかしげる。
「空、白。無理はしないでくださいよ。」
「何言ってるんだよ、これはゲームだろ?」
「……ゲームなら……
「はは……そうでしたね。」
自信満々といった様子の二人。
ならばもう何も言うまいと、満足した表情で紫恩は眼を閉じた。
「え?え?一体なんなんですの?」
「……ステフ。戴冠式会場に、案内して。」
「俺らの領土、取り返しにいくぞ。」
二人のこれからしでかそうとしている事に紫恩は不安を抱きつつも、しかし安堵していた。
彼らが居れば、大丈夫だろうと。
……案外、この世界に来てから守られていたのは自分の方なのかもしれない。