「クラミーの申し出、悪くないものだと思いましたが……いいんですの?」
馬車から降り、舞台へと案内された空達。
途中Y字路となっていた廊下でクラミーと別れ、道なりに進んでいる最中の、ステフの発言。
「そろそろ人を疑う事を覚えようぜ、ステフ。」
分からないといった様子のステフをあからさまに見下しながら、空は続ける。
「まず一つ。あいつの言葉が真実とは限らない。そして二つ、勝負したところでこちらが必敗を免れないというのなら、何故勝負から降りる事を勧めてきた?」
「……あ。」
「三つ。それら全てが正しいのなら、そんな情報を敵国の間者に話す奴に国は任せられない。そして……」
その後に続くように、紫恩が口を開く。
「……こちらの手の内を晒すわけにはいかない。だから曖昧に返事したんですよね、空。」
こちらの意図などわかるだろう、と。
こちらからは明言せず、しかし背後に何らかの勢力が居る事を暗示する。
その結果、相手の誤解はさらに加速、今やクラミーは空達を他国の間者だと信じて疑わないだろう。
「そういう事。……ステフさ、お前本当に紫恩にいつも勝ってたのか?」
「んなっ!?本当ですわよっ。チェスにしろポーカーにしろ、お兄様に負けた事はありませんでしたわ。」
「……紫恩…わざと、負けてた……?」
「白まで疑うんですの!?」
いきり立つステフ。
紫恩は紫恩で、何とも言えない表情で彼らの話を聞いていた。
自分が弱かった事を他人に公言されて、嫌な気分にはなれど良い気分にはなるまい。
「確かに、紫恩は将棋もカードゲームもてんで駄目だったけどよ……。」
「……でも、ひとつだけ…紫恩が得意だったゲーム、あった。」
「本当ですの!?お兄様が得意だったゲームって、一体……。」
3人分の視線が紫恩へと向けられる。
一方、視線を向けられた本人は特に何か答えるわけでもなく、困ったように頬をかくだけ。
「ほら、もうすぐ行き止まりですよ。空、白、頑張って下さい。」
「あぁ。ま、気楽に見てろよ。」
「あ、ちょっと!結局、何だったんですのよ!!」
「まぁまぁ、終わったら話しますから……ね?」
懇願するように紫恩に言われては、ステフも強くは言えず黙り込むしかなかった。
一体何を理由に、紫恩はそんなに秘匿しようとするのか。
むしろ興味が一層強くわいてくるステフであった。
―――――
手前と奥、両方の壁からせり出すような形の半円状の足場。
向かい合う足場にはクラミーが姿を現し、空達を射抜くその眼は敵意に満ちている。
空とクラミー両者の眼下には、大きなチェス盤が広がっていた。
「……チェス?」
「そう。でもただのチェスじゃないわ。これは、駒が意思を持っている特殊なチェス。駒は私たちの言葉に従って動く。命ぜられれば命ぜられたままに、ね。」
一見チェス盤とその駒を見た限りでは、特別何かが違うようには見えない。
強いていえば大きさが駒は人並み程度にあり、チェス盤に至っては床一面に広がっているくらいである。
意思を持っているというが、まさかそれだけではあるまいと空はチェス盤を注視し、観察する。
「どうする?やっぱり降参するのかしら?」
「いやいや、仕掛けたのはこっちだぞ?でもまぁ、このゲームに関してはそっちが熟知してるみたいだし、こっちは俺と白の二人でいく。異論はないな?」
「別にいいわよ、子供一人くらいどうとでも。」
そう言い、クラミーは不敵に笑うが、しかしそれは空も同じであった。
「任せるぞ、白。」
「……チェスなんて……ただの、マルバツゲーム。」
まるで勝利を確信したとばかりに笑う空。
「先行はそっちに譲るわ。どうぞ。」
「……。」
チェスは基本的に先手有利なゲームである.
お互いが最善手を打ちつづける場合、先手側に負けは無い。
つまりクラミーが先行を譲るという事は、すなわち勝利を白に譲ると言っているようなもので。
嘗められているのかと不機嫌になった白に、空が苦言を呈す。
「白。頼もしい限りだが、ここは地球じゃない。油断するなよ?」
「……白が……負けると?」
「そうじゃない。これはただのチェスじゃないんだ。どんな不測の事態に陥るかも分からない。いいか、俺達は二人で一人。そうだろ、白?」
二人揃っての
「……ごめんなさい。」
「ま、ただのチェスなら白に負けは無い。期待してるぞ。」
そんな二人の様子を、紫恩は静かに見守っていた。
その傍らには、不安そうに手を組むステフが佇んでいる。
「大丈夫なんでしょうか、白……。」
「大丈夫ですよ。むしろこういう完全理論型のゲームは、白の得意分野ですから。」
「そうなんですの?」
―――チェスはお互いのプレイヤーが打てる手が有限であり、先読みが出来る。
また、ポーカーのような相手の手札が見れないという未知の情報が介在せず、相手がある手を打つまでに至る情報を知る事が出来る。
チェスが二人零和有限確定完全情報ゲームと呼ばれる所以は、簡単に言えばそこにある。
「そして、白はチェスにおけるすべての局面を理解している。」
白が最初の一手を指す所を見ながら、紫恩は言う。
「嘘……ですわよ、ね?」
「本当。これは、空の弁ですが……白は本物なのだそうです。」
自分達人類では到底及びもしない、その身に可能性を体現する本物。
そして自らをただの人類と蔑む空自身も、よく白と引き分ける辺り十分本物であると紫恩は考えている。
「だから、彼ら二人に負けは無い。私は……」
紫恩の言葉はそこで止まる。
その眼はチェス盤を凝視していて、ステフもその視線を追い……言葉を失った。
クラミー側の駒、ポーンが3マス進んでいたのだ。
「ど、どういう事ですの!?」
「言ったでしょう?駒は意思を持っていると。駒は主のカリスマや指揮力といったものに左右され、行動する。」
「……なるほど。意思を持っているってのはそういう事か。」
駒が指揮官を信頼していれば、想定以上の力を発揮する。
一体指揮力というのが何を指標に決定されているのかは分からないが、クラミーの指揮力が今は高いという事なのだろう。
早速訪れた不足の事態。
最悪何でもありな状況にもなりうると、空は内心舌打ちした。
……しかし白の表情に、焦燥の色は無い。
「d2ポーン、d3へ。」
冷静に、無感情に、機械的に最善手を指す白。
動揺を見せない白に、ステフは目を丸くした。
「なんで、あんな冷静にいられるんですの……?」
あんな、反則紛いの事をされれば、思わず手を止めてしまいそうなものなのに。
「白の集中力は尋常じゃないんですよ。あの状態の白を止めるのは困難を極めます。そう、あの時だって……」
地球に居た時もそうだ。
黙々とゲームに打ち込む白に、食事をさせる為どれだけの創意工夫を重ねたことやら。
懐かしき過去の暗い記憶に頭を抱え、打ちひしがれる紫恩。
なにやら影を背負い始めた紫恩に、ステフが引く。
「お、お兄様も苦労された……ですのね。」
「分かってくださいますか!」
「ひぃっ!?」
ガシッとステフの手を握り締め、歓喜の眼差しを向ける紫恩。
一体彼は、地球でどんな経験を積んできたのだろう。
およそ10年前とは全く変わり果てた兄の姿に、ステフの頬が更に引きつる。
「……おっと、私とした事が。すみません、熱くなってしまいました。」
「い、いえ……いいんですのよ。」
強く握られていた手が解放され、ステフは手をさする。
久しぶりに兄と手を握れたという、密かな喜びの感情には知らないふりをしつつ。
紫恩がそんな事をしている間に、白は着々とクラミーを追い詰めていた。
相手は駒に半ばルール無視にも近い動きをさせているにも関わらず。
「……チェック。」
「おぉ……。」
紫恩の、感嘆の声が上がる。
しかし空は、ただじっとチェス盤を見つめていた。
本当にこの程度なのかと、優勢である戦況に不安を抱きつつ。
……そしてその不安は、すぐに現実となった。
「……え?」
突然、白の駒が動かなくなったのだ。
一体何事が起きたと、紫恩とステフは怪訝に駒を見つめるも、理由が分からない。
駒が移動できるマスを白が間違えるはずもない。
二人して首をかしげていると、空がぽつりとつぶやいた。
「……やっぱりか。」
「空?分かったんですか?」
「さっき、クラミーは駒が意思を持っていると言った。だがそれは、ただ単にルールを逸脱した動きを見せる事じゃない。駒は、生きている兵士なんだ。」
戦争で、兵士は必ずしも指揮官の言うとおりには動かない。
……そして、もう一つ。
「捨て駒は……使えないってことだ。」
白が先ほど動かそうとした駒は、次の相手の手番で確実に打ち取られる。
……好き好んで、指揮官の為に命を捨てに行く兵士は居ない。
兵士など顧みずに、機械的に命令を下す指揮官なら尚更である。
兵士はそんな指揮官に、命を預けようとはしない。
「っ……。」
この時初めて、白の顔に焦りが見えた。
思い通りに動かない駒を前に苛立ち、爪を噛む。
しかしそれでもなんとか対抗しようと、今動かせる駒を動かす。
「白……。」
白のそんな顔を見るのも久しぶりである紫恩は、心配そうに少女の名を口にする。
しかしその声も届かず、さらに白は戸惑いを強くし悪手を重ねる。
悪化した戦況、指揮官の戸惑いに、駒の士気は更に低下。
「……。」
やがて、全ての駒が白に従わなくなった。
「ふふ、どうしたの?もうおしまい?」
クラミーの言葉。
しかし俯く白に返事は無く、部屋に重い空気がたちこめる。
やがて、床に一滴の雫が落ちる。
「にぃ……負けた……よ。」
沈痛に紡ぐ白の言葉、頬を伝う涙。
脱力し、後ずさる白の肩を……空が支えた。
「白、何言ってんだ。俺達はまだ負けちゃいない。」
「……?」
「言ったろ、二人で一人だって。まさか忘れたとは言わせないぞ。」
二人で一人、
空だけでも、白だけでも駄目なのだ。
後ろで二人を見守っていた紫恩に、涙で濡れた白の目が向けられる。
「……まだですよ。」
まだ終わっていない。
笑い、頷く紫恩に、白も涙を拭った。
そして紫恩の言葉に呼応するかのように、空が叫ぶ。
「全、軍っに!告げぇぇぇる!」
ビリビリと、それは空気が震えるほどで、紫恩をはじめとした部屋中の人間……そしてチェス盤上の駒までもが、空に視線を向ける。
「この戦で最も功績を挙げた者には……好きな女と一発ヤる権利をやる!」
「えぇぇ!?」
驚きの声を上げたステフには構わず、空は続ける。
「また、戦に勝てばあらゆる納税に対する免税の権利も王権限でくれてやる!軍役も免除しよう!だから、守るべき家族がいる者達、そして童貞諸君よ……死にたもうな!」
熱気に包まれるとは、このことだろうか。
瞬間、駒達から上がる雄叫びにも近い
空の兵士に、士気が戻った瞬間であった。
「これは、一体……?」
唖然とした紫恩が、ぽつりと呟いた。
まるで何かから解き放たれたかのように駒は自分勝手に動き出し、剣を抜く。
クラミーの駒と空の駒、お互いがお互いに刃を向け鍔迫り合う姿に、チェスとしての駒という面影は無い。
正真正銘の、生きる兵士だ。
「白、よくやった。おまえのおかげで、これがチェスじゃない事に気付けた。」
「……え…?」
「これは……ストラテジーゲームだ。」
確信に満ちた顔で、空は言う。
「ポーン7番隊へ通達!―――――」