蒼龍は執務室の異質な空気感をすぐに察知した。
秘書艦として竹野の傍にいた天龍と彼の間にいつもとは違う深刻な空気が流れていたのだ。
「まあ。いろいろと。」
竹野はそうごまかす。
「私に隠し事ですか?」
隠し通せるとでも?と言った言葉を含み蒼龍は言う。
「君意外にこの鎮守府には情報戦のプロはいません。この鎮守府で起こる些細な問題を全て調べる暇などありませんよ。」
「そうですね。」
蒼龍は天龍の方をちらりとだけ見て竹野に向き直り封筒を渡す。
「資金の出どころはアメリカでした。WW2後の経済支援政策でばらまかれた資金の一部が様々な銀行を経由してレイヴン開発投資銀行へ流れました。」
「その後は?」
「アメリカは経済支援を行う見返りにポルトガルに銀行を作らせその経営権を完全に掌握したものとみられます。つまり、この銀行は完全にアメリカ政府の管理下にある銀行で、極秘計画の資金源を管理する銀行だったわけですから人脈と賄賂でこちら側に引き入れることが出来る職員は所属していないでしょう。こっちの動きを露見させるだけです。」
竹野は蒼龍の話を聞きながら封筒の中の書類を見ていく。
「東ティモールか....」
「東ティモールがどうかしましたか?」
「ちょうど今日大スンダ列島への敵攻勢を受けて退去命令が出た。チャンスかもしれないな。」
「向こうに派兵するんですか?」
「前の作戦で情報部は偵察を強化しているし、なにせ今の敵には侵攻部隊がない。司令官がいない深海棲艦はそう簡単に熟練兵を補充できない。百人ぐらいなら派兵しても防衛に問題はない。」
だがはたして勝てるのだろうか?ここらの管轄とインドネシアあたりでは管轄が違う。
管轄と言うほど大層なものではなく縄張りと言った方が適切なのかもしれないが、なんにせよいま大スンダ列島に侵攻してきているのは間違いなく敵の熟練部隊だ。
「勝てるんでしょうか?」
「勝算はない。報告を聞く限りすでに一部の島では国連軍駐屯部隊がゲリラ戦を開始している。一か月もしないうちに制圧されるだろう。目標は侵攻の遅延とレイヴン投資開発銀行の調査だ。」
「相手がプロなら情報を廃棄してから脱出するでしょう。苦労して島を守っても手に入るものは何もないと思いますが?」
竹野が良く知らない情報戦の世界で戦うには相手のミスを血なまこになって探すほかない。
何も見つからない確率の方が高いことに間違いはない。
艦娘の命を危険にさらしてまですべき作戦ではないかもしれないことは重々承知だった。
「だからだ。相手は人間の組織だ。ミスを絶対に犯す。そのミスにしかこっちの勝機はない。」
蒼龍は特に言い返そうとはしなかった。
「なら可能な限りの情報を集めます。」
「頼む。私は適当な遠征理由をでっちあげる。」
「出撃する艦娘には真の目標について教えますか?」
「当たり前だ。こちらの目標を知らず陥落することが確定している拠点にとどまらせるわけにはいかない。」
「わかりました。」
この鎮守府で最も敵に内通している可能性があるのは蒼龍だった。
けれど彼女は知っている。自分が内通者ではないことを。
そして二サエルという人間もよく知っている。
欺瞞に満ちたあの男がはたして本当に竹野の動きを補足していないのだろうか?
飛龍はテトラポッドを眺めながらおぼろげに海を見ていた。
大して傷ついたわけではない。知っていたことだ。
自分たちはあまりにも人間と違いすぎる。
進化論で自分たちを定義するための中間種が存在していない。
進化の過程を説明できない自分たちをどうすればいいのか?
「こっちに顔も出さずに悩み事か?」
竹野は飛龍に話しかける。
相も変わらず勝手にずかずかとこちらに踏み込んでくる。
「さすがに今回の悩みは理解できないでしょう?」
飛龍は明るく言う。
「共感出来たらおかしな話だ。」
ヒトは科学と実感、どちらの側面からも自我を強固に形成している。
しかし、艦娘は社会に認めらられず、科学で自分たちを定義することも出来ない。
「艦娘の研究が禁止されているのは知っているか?」
「禁止されてるなら装備開発局をどう説明するの?」
「艦娘それ自体の研究は禁止されているが装備を研究するのは何の問題もない。」
飛龍にはよくわからなかった。研究できないのに艦娘を量産し戦場に送り出すことなどできはしない。
「まさか妖精達しか私たちの出自を知らないとでも?」
「全く持ってその通りだ。妖精が艦娘を建造し傷を治す。彼らは人間に従順だが意思疎通を図ることはできない。だから人間は艦娘を理解できない。」
「だからと言って禁止する必要はないと思うけど?」
「生物学だろうが、物理学だろうが、量子力学だろうが、あらゆる分野において艦娘と言う研究対象は魅力的で破壊的だった。」
飛龍にはそれが理解できなかった。
「それなら一層研究すべきじゃないの?全く分からないんだけど。」
「多くの学者が研究にとりつかれ挫折し命まで絶ってしまった。君たちはあまりに美しくそして合理的だった。君たちを作り出したのが自然だろうと、別の学者だろうとあるいは別の文明だろうと、科学者たちにとってそれはどうでもいいことだった。だが、彼らは艦娘を研究することで自分の無力さと無意味さをいやというほど知ってしまった。」
「私たちの体が美しい?」
「ただ美人だとかいうそんな世俗的な話ではない。もっと本質的な美しく完成された生命体と言う意味だ。例を挙げるならばその強固な表皮だ。優しく触れれば人と同じような柔らかさだが拳銃程度なら何の問題もなくはじき返し自分の腕ぐらいある弾丸ですら致命傷にならない。どうしてかわかるか?」
「すごく丈夫な皮膚をしているとか?」
「そんな簡単で強引な結論だったなら研究者が自殺したりしない。円柱と角柱、どちらが壊れやすいかわかると思うがそれと同じだ。皮膚全体に衝撃が分散され攻撃を無効化する。数えきれないほど多くの細胞がまるで一つのパーツの様に配置され、たとえ損傷しても修復できる。」
「いつ調べたの?」
「扶桑が五右衛門風呂で復活した後だ。妖精は君たちを建造し、整備し、強化する。けれど修復するのは君たち自身だそうだ。理論も何も説明出来やしない。今の人類でははるかに及ばない技術だ。アインシュタインがたとえ100人いたとしても実現不可能なオーバーテクノロジーだよ。」
「だから私たちは創造物ではないと?」
「生命倫理の話を持ち出したくはないが、たとえ君たちが創造物だとしても君の人格は人間にとってあまりにも不都合すぎると思わないか?」
「都合よすぎる主張じゃない?とんでもないテクノロジーを持って私たちを作り上げた創造主が人格をコントロールできなかったとでも?」
「やけに今日は切れるな。その通りだ。だがそんなことを言い出したなら人間だってそうだ。都合よく解釈することでしか正気を保てない疑問も存在する。」
いつもそうだ。自分たちのことを知ろうと思えば思うほど今まで形成されていた都合のいいストーリーが崩れていく。
整地されていない荒い地肌に敷かれていた絨毯が消えていく。
心地いいことではない。
艦娘と提督の間にあった、そんな都合のいい馴れ合いの世界を自ら捨てた飛龍とここにいるすべての艦娘がいずれ直面するであろう必然の絶望だ。
隠されていたわけでも、知らなかったわけでもない。
目の前にその疑問は常にあったがそれを無視し続けていた。
艦娘もヒトも。生命倫理だどうこうと難しい話ばかりを引っ張り出し最も単純で最も重要な結論を放棄し続けるために。
「それでもいつかは知らなければいけない!」
「そうだ。だが今はその時ではない。」
そして、その導き手は竹野ではなく....
「いずれ君も知ることになる。馴れ合いのストーリに生きる必要はない。だがその馴れ合いのストーリーを破綻させるタイミングを間違えればあるのは混沌と死だけだ。」
竹野の口調は次第に強くなり珍しく感情をあらわにして飛龍の疑問を押し戻そうとしていた。
「わかった。信じる。」
そんな竹野を見て飛龍は曇りも含みもない声でそうとだけ言った。
防衛連合軍ヨーロッパ支部統括指令センター
がれきの中から重要書類を発掘する作業が終わりようやく残骸の撤去が始まった。
しかし、今なお銃を持った兵士が工事現場を監視している。
米軍がAaronMankindの掃討作戦を実施したがそれは一時しのぎにすぎずまたそこから生まれた憎しみがカルトを強化するのだろう。
士気も装備も何もかも失ったヨーロッパ方面軍にもはや未来などないに等しかった。
襲撃から数週間で職員の四分の一が軍をやめた。
機能不全に陥るのは当然の事態であり特に被害がひどかった憲兵隊では部隊のほとんどが死亡したためラッコエが憲兵隊の事実上の長になってしまった。
彼女は突然の昇格に驚きを隠せなかったが報告を聞いて絶望した。
ヨーロッパ方面軍では数少ないある程度の士気を持っていた憲兵隊はその多くが抵抗の末に殺害されていた。
憲兵隊にはもう百人も残っていなかった。
失意のなか仕事を続けるラッコエだったが死亡した隊員のリストを見ていくうちにおかしなことに気が付いた。
「どうしてこんなにも多くの上層部の人間が死ぬんだ?」
幹部の9割以上が殺害される異常事態が起きていたにも関わらずだれもそのことに触れようとしていなかった。
ラッコエには嫌な予感がした。
憲兵たちがここまでの被害を出したのは士気がどうとかではなく単純に上官を守ろうとして殺されたのではないかと。
カルトからしてみればヒトの兵士は洗脳されてしまった仲間であり必要性がなければ殺さない。
彼らが狙うのは艦娘の命だ。
にもかかわらず艦娘の死者は全体でも数千程度でありどうにも説明がつかない。
決定的だったのは移動中の幹部が殺害されていたことだ。
「こんなのあり得ない。」
ラッコエは研修生の名前を漁り竹野の連絡先を調べる。
そして受話器を上げ番号を入力しようとしたがその直前で動きを止める。
信じたくないことだがこの騒動が防衛連合軍内部の動きであるならば会話が傍受されていても何ら不思議ではない。受話器を置いたラッコエは心を静め方法を考える。
自分が動けば怪しまれる。手紙で送っても途中で検閲されるだろう。
誰かを差し向けるのが最も望ましいが....
「気が付いたようだな。」
悩んでいるラッコエの前にスーツ姿の女が立っていた。不自然にジャケットの前を開き、脇腹から銃のホルスターをのぞかせている。
一方のラッコエは装備を付けたベルトを丸ごと上着と共にポールにかけており丸腰であった。それでも
「誰だ?何の用でここに来た。」
と強く言い返す。
「私は情報部のムーンだ。何があり得ないのか詳しく聞かせてもらおう。」