「いいか。相手は対艦娘の特殊部隊だ。常識は通用しない。こちらの優位はないと思え。」
竹野がそう言うのはもちろん根拠があってのことだ。
恐らく大和級の艦娘ですら対策なしにはいともたやすく殺されてしまうだろう。
それは深海棲艦と同じで艦娘には明確な弱点が存在するためである。
主砲を好き勝手に使える屋外、特に海上では確かに圧倒的にヒトが不利だ。
しかし近距離かつ、主砲をそう簡単に使えない屋内では話が別だ。
当然艦載機も使えるわけがない。
その状態ならば竹野にも艦娘数体と戦って勝つ自信がある。
「敵は恐らく君たちの急所を的確に狙って来る。耳、目、口、鼻。ほかにも弱点はあるかもしれない。相手はそういった部分しか狙ってこない。」
もちろん防弾のゴーグルでも使えば多少の対策はできるが、恐らく対艦娘に編成された特殊部隊であるなら装備品ごと打ち抜ける程度の銃を携行しているだろう。
それに当然向こうも対抗策として艦娘に特殊訓練を受けさせているだろう。
ムーンからの報告では本部ビルを守っているのは憲兵隊所属の対艦娘制圧特殊部隊のユニットが3つ、情報部の保有する特別介入ユニットが5つ情報部強制捜査班が一つ存在している。憲兵隊の特殊部隊はこちらと茶番を演じることに同意したが情報部のユニットは懐柔のしようがなかったらしい。
「容赦はするな。敵は無力なヒトではない。ただし、攻撃対象は情報部の特別介入ユニットのみだ。それ以外を攻撃すれば戦術勝利は得れてもこっちが最終的に押しつぶされる。」
そう、訓練は始まったが予想通り艦娘たちの動きは甘かった。いつもの艤装を外し拳銃だけで竹野に勝利できるものはついに現れなかった。
蒼龍はいい線まで行ったが殺人術を極めていた竹野にはかなわなかった。
しかし、そもそもの話、近接格闘で暗殺するなど論外であるため蒼龍が近接格闘術を教わってていること自体が無駄であるように改めて思う。
その夜、竹野は射撃場に一人で向かった。
普通の射撃場には仕切りがあるが大口径砲から出る爆風でどうせ破壊されることが目に見えているためここには設置されていない。
銃を構えて射撃場の端から端まで走りながら目標を打つ。
さも当然かのようにすべてをど真ん中に命中させる。
耳に響いた銃声が収まりつつある時竹野は一つの気配に気がついた。
「誰だ?」
竹野はあえて誰なのか断定はしなかったが、その声は決して対象がわからぬままま発せられた言葉ではなかった。
「長門だ。少しいいか?」
彼女は艤装を外しセンスの悪いTシャツ姿で竹野の後ろに立つ。
竹野はマガジンを交換しながら
「何だ?」
と返事をする。
「どうにもわからない。あの二人が本当に信用できるのか?」
竹野は銃を構え今度は腰を落とし理想的な姿勢で立て続けに発砲した。
ターゲットには円を描くようにして弾痕が残る。
「さあな。」
竹野はチェンバーに弾がないことを確認してから銃を置き長門の方に向き直る。
「さあな。だと?」
「ああ。調べようがないからな。」
もちろん嘘だ。調べようはどれだけでもある。二サエルの裏切りが事実である確証もある。だが、ムーンがこちらの味方である確証はなかった。
だからそれなりの対策を立ててはいるが万全とは言えない。
そんなことは長門に言う必要はない。
「提督の采配を怪しむわけじゃないが、本当に賭けるだけの価値があるのか?」
水面下での戦いを知らない長門がそう思うのも自然な話だった。
「価値どうのこうのじゃない。やらなければならないこっちの首が締まっていくだけ。二サエルの裏切りには何かしら対処しなきゃならない。」
「提督は今の私たちには必要だ。」
だが長門の発言に竹野は首を傾げる。
「それはないな。君たちはすでに自立している。自立できる要素が山のようにここにはあったからな。上官を殴れる飛龍に、はなから指揮官を信じていない吹雪、一度自信を砕かれた武闘派の君や若干危ういが意思を持っている天龍。いずれも今さら敢えて"ヒト"の指揮官が必要だとは思わない。」
長門が不安そうな顔をする。けれど、それが竹野の本心だった。特殊な環境は彼女らには自立を強要した。自立してくれたおかげで勝手な行動ができるわけだが。
「私が死んだら君がここを引き継げ。中越にうまく話を通しておく。さすがに二サエルも無事では済まない。同じことは繰り返されないさ。だが間違えるな。そもそも私は死ぬ気など毛頭ない。」
補足して少しだけ長門を安心させておく。
「わかった。この長門に任せておけ。」
長門が射撃場を出ていく。
拳銃を武器庫にしまい、アサルトライフルを取り出す。
竹野が小銃をメインにして戦ったのはビスマルク諸島戦役のみだったが、一年近く死体の山で敵をせき止めた戦場での教訓は相当なものだった。
覚醒剤で心を保ち戦いを続けるものがほとんどだったが竹野は本来兵士に覚醒剤を配布する側の人間でありそれがどんなものか理解していた。運悪く彼のいた部署が解体されてしまったために人柱となってしまった彼は配布された覚醒剤を使うことはなかった。
そうして保たれた冷静な頭で理論を本で学びながらも地獄の戦場で本当の戦闘を学びうまくそれらを融合させていった。そうして完成したものはいかに素早く、そして低コストで相手を殺すのかという殺人術以外の何物でもなかった。
そのころには仲間が死ぬことにも敵を殺すことにも何の抵抗も感情も抱かなくなっていた。
司令部がビスマルク諸島の放棄を決め、ようやく本土に戻った竹野がPTSDを発症することもなかった。
ただ一年間出向していたかのような顔で防衛省に戻った。
そんなことを思い出しながら竹野はライフルを構える。
久しぶりだったがあの忘れることも出来ない一年の経験はすぐに思い出され、マガジンを変えるころには狙いを外さないと自信を持って言えるほどに感覚を取り戻していた。
二サエル退屈さを必死にこらえてチェスの駒を動かす。
彼と向かい合って座る山本はむつかしい顔で盤面を眺める。
二サエルはチェスを含めたボードゲームが嫌いだった。
勝てないから嫌いなわけではない。ルールの決まった戦争や闘争が彼の性に合わなかっただけの話だと彼は十分理解している。
こちらのポーンを敵陣に忍び込ませ破壊工作をしたり王族を毒殺したり、クイーンと恋に落ちるように命令したりできない。
どこまで行っても退屈なゲームだ。ゲームに興じるだけ無駄だと二サエルは判断していた。
裏の世界にはルールなどない。どんなに汚い手だろうとそれが実力として評価される。
城壁さえ作っておけばひとまずしのげる単純な戦いがない分攻撃側が明らかに有利で厄介で常人がその世界に乗り込めば恐らく勘で防衛を固めるしかない。
すべての弱点を防ぐにはとてつもない処理能力と速度が必要だからだ。
それを容易く行うニサエルにとってチェスの盤面の情報量は拍子抜けするほど少ない。つまらないと思うのも当然のことだった。
そんな世界に身を置いて一方的に欺くだけ欺いて裏切り者を徹底的に排除してきた二サエルが単純なルールの殴り合いで負けるわけがないのもまた当然だった。
嫌いなだけで誰も苦手とは言っていないのだ。簡単すぎてつまらないなんて天才ぶるつもりはなかったが、必要性にかられなければ絶対にやらなかっただろう。そもそも彼に人生自体ゲームをして遊んでいられるような人生ではなかった。
しかし、一度山本とチェスをしておく必要があるのだ。本当にわずかな変化しかもたらさないだろうが99%から100%に変わるというのであればそれはとてつもない変化だ。
それにリスクもコストもほとんどない。ほんの一時間程度が消えるだけだ。
「チェック。」
「降参です。どちらにせよ次の手でチェックメイトですよ。ですが突然どうしたんですか?」
「気まぐれです。」
この四年で初めての気まぐれ。そんなものが嘘であるということなど山本は言われなくてもわかっていた。
プラスチックの安そうな駒を眺めながら山本は考える。
この安っぽい駒が二サエルとチェスの関係を教えてくれる。
二サエルはチェスになど興味がない。
ならばどうして突然勝負を挑んできたのか?
自分の命をかけた改革ですら彼は不安も興奮も示さない。そんな人間がゲームという究極の無駄に手を出すはずはない。また彼は自分の立ち位置について悩み自らの優位性をゲームで示すような人間でもない。
チェスで勝とうが負けようが関係ない。何がどうであれ彼は防衛連合軍でもっとも頭が切れる人間だからだ。
なにも生み出すことのないただ無駄な時間を彼が過ごすとはどうしても思えなかった。
「私はあなたと数年間過ごしましたが、無駄だと言ってほぼすべての食事を合成スナックで済まそうとするあなたが私と気まぐれで時間をつぶすとは思えません。」
山本は思ったことを口に出す。
だが二サエルは感情のない笑みを浮かべて笑った
「私のことを理解していないようですね。」
子供が同じことを言ったなら自己同一性が確立できていないと考えて終わりだが、それを20年程前に子供時代を終えた男言ったのなら意味は大きく変わってくる。
理解者がいないと嘆いているのではなく、誰も自分を理解できないと確信しているからこそ適当な言葉が気に食わない。そういった意味だろう。
気まぐれだということは嘘だがそれ以上二サエルを問い詰めても無駄だろう。
村上に似た奇妙な不気味さを感じる。純粋無垢で正義を振りかざす村上と、ひたすらに邪道を走るニサエル。
真逆の人間に見えるがそうではない。根拠はないがこの二人には通じ合ってしまう何かがある。
それが自分にとって脅威となるのかわわからないしどうでもいい。どうせ今のままでは山本に防ぐ手立てはない。
東京は世界最大の都市としてとんでもない数の道路が立体に交差していた。
深海棲艦の脅威が出現する前、徐々に人口を減らしつつあった東京だがアメリカの大都市がことごとく陥落したことに加え太平洋の島々で大量の難民が発生した。
中国での権力闘争の激化による政情不安定、自衛隊の温存による最低限の安全確保に成功していたことも手伝って難民の多くが日本を目指した。
ほかの主要国の損害と比べてほとんど被害を被っていない日本政府が難民受け入れを拒否するわけにもいかなかった。
難民だろうと例外なく潮の流れが襲いかかり、違法な物品が持ち込まれることはなかった。
おかげで経済と秩序の一時的な混乱はあったが東京に国連軍司令部が設置されて軍都として何度目かわからない急激な発展を遂げた。
何本もの道路が敷設されていたが常に渋滞が発生している。
「進みませんね。」
助手席でオーマーがめんどくさそうな顔をする。
ムーンが信用できるのかはさておき、いま彼女と争っても無駄でしかない。
ムーンと協力関係になったことは正直想定外だった。
彼女が二サエルを裏切っていなければ自分の命がなかったと言い切れるだけの脅威だ。
戦闘力といい諜報能力といいオーマーの自信を少しだけ揺るがすには十分だった。
抵抗の意思を見せるだけ無駄である以上、気を許したわけでもないがいちいち気を張っているほうが無駄だ。
「軍用車の優先通行権でも行使しますか?」
ムーンの問いに困惑気味に返す。
「そんなことをすればすぐに拘束されるのでは?」
またしてもムーンは抑揚もなく会話を続ける。
「そうなればそうなったでなんとかできるでしょう?」
オーマーはこの話が無駄であると判断して話題の変更を試みる。
「情報部の部隊がどうにもきな臭いと思いませんか?」
「どういうことですか?」
少しだけ興味を示したようにも見えるがやはり考えは読めなかった。
「情報部の特殊部隊の配置状況が簡単に分かったことが怪しいと思いませんか?」
ムーンは浅くアクセルを踏み、少しだけ前方に進んだ車との距離を詰める。
「特別介入部隊の配置を特定できたのは想定内です。ですが強制捜査班の配置に関しては欺瞞工作の可能性があります。まあ、どうせ信用できる情報が存在しているわけがないわけです。」
「それは竹野提督に失礼では?」
「あなたがそんなことをいうとは思いませんでしたよ。私は彼の持つ部隊を利用したいだけ。作戦が失敗したのならそこまで。別の宿主を探すだけです。」
「どちらかと言うとあなたは脳味噌までいじくって制御を乗っ取る寄生虫の中でも卑怯で面倒なタイプですね。」
「面白い冗談ですね。」
ムーンがそう言うが、オーマーには全く冗談を言ったつもりはなかった。
オーマーに言わせればムーンは信用していないし、竹野は頼りにしていない。
いざとなればSASを使って速やかに二サエルを葬る準備はしていた。
二サエルを拘束して軍事裁判で捏造した証拠で有罪にできればそれが一番だが下手をして二サエルを逃がしてしまうことのほうが問題だ。
「まあ。そちらの判断に任せます。あなたのほうが二サエルのことをよく知っているでしょうし。」
そんなことを言いながらもオーマーはSASをしっかり日本に入国させていた。
ムーンもそういう世界だと割り切っているだろうから気にやむだけ無駄だ。
結局のところ誰も純粋な協力関係を築いていない。そんなものだろうが、それで果たして二サエルの隙をつけるのか誰にもわからなかった。