堕ちた提督   作:Yasoshima kakeru

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大英帝国最後の日 後編

「ニーヴ。ニーヴ!どこにいるの?」

 

難民指定区は大騒ぎだった。急いで逃げだすもの、その場でとどまり略奪を行うもの、声も上げられずにその場でうずくまるもの。

三者三様な姿ではあったが誰も冷静な人間はいなかった。

そしてのそのだれもがヴィクトリアスを睨め付けていた。

当然だ。どれだけ美化しても彼女がしたことは敵前逃亡の他ならないのだ。

ヴィクトリアスはそのことをよくわかっていた。

それでも、この時間は彼女一人で稼いだものではない。だから、何としてでもあの戦いが意味のあるものだったと言えるようにしなければならないのだ。

 

「ヴィクトリアス、ニーヴは母親とB28のテントにいる。」

 

厳しい視線の中で一人の男がそう教えてくれた。

 

「ありがとう。」

 

ニーヴとヴィクトリアスの関係を難民たちはよく知っていた。

男は、死の恐怖や、理不尽な暴力に対する怒りをヴィクトリアスにぶつけるよりもニーヴを助けることの方が有意義だとそう思って口を開いたのだ。

ある意味では恐怖のその先まで感情が進み冷静になっていたのかもしれない。

男に感謝を述べて言われたテントの方に走る。

艤装を外して、体は軽いはずなのにうまく体が動かない。

すぐに死ぬことはないだろうが、動作に支障が出る程度の損傷は蓄積されている。

 

「ニーヴ!」

 

テントの中でニーヴはベットの背に体重を預けて座っている母の手を握っていた。

 

「早く逃げるのよ。私も追いつくから。」

 

「嘘だ!ならお父さんはいつ戻ってくるの?」

 

二人はもめていた。当然と言えば当然だ。ニーヴは、両親をどちらも失うにはあまりに若すぎる。

母はヴィクトリアスを視界の端にとらえて話しかけてくる。

 

「ヴィクトリアスさん。娘をどうか逃がしてやっていただけませんか?」

 

ヴィクトリアスは無言で頷いた。

 

「あなたは?」

 

そしてそう聞く。

 

「私は後でいきます。病人は運河から出る船で脱出することになってると聞いています。」

 

ニーヴの母は聡明だった。

ありもしない避難方法を顔色一つ変えずにすらすらと答えた。

後でニーヴがこのことを知れば何というだろうか?

いや、そんなことを考えている暇はない。そもそもここを離れたとして、どこまで行けば安全なのかわからないのだ。バースまで行けば安全なのか、それともロンドンまで向かわなければならないのか?

 

「わかりました。ニーヴは誰に引き渡せばいいですか?」

 

ニーヴの母は複雑な顔をして枕もとの小さな袋を取る。

 

「図々しいお願いだとはわかっています。それでも、娘をあなたが育ててくださりませんか?私たちにはろくな親戚がいないのです。もしあなたが無理だというならこの袋を開けてください。」

 

ヴィクトリアスはその小さな袋を受け取って、ニーヴを抱き上げ彼女の母に言う。

 

「わかりました。私はひとまずロンドンに向かってみます。ニーヴ、きっとまたお母さんに会えるからそれまで私といてくれる?」

 

ニーヴの母が彼女の頭をそっとなでる。嬉しそうな顔で無邪気に笑っていたのはニーヴだけだった。

その言葉に『天国で』という意味が内包されているのに気が付かなかったのはテントに残っていたほかの病人を含めても、ニーヴだけだった。

 

 

イギリス ロンドン

「国王陛下。本当によろしいのですね。」

 

「何度も言わせるな。私はここでこの国の最期を見届ける。君たち近衛も早く逃げろ。ヘリは十分にあるはずだ。」

 

「残念ですが我々のヘリは各大学の優秀な生徒たちを保護するために飛び立ったところです。」

 

「バカなことを。」

 

「あなたがわがままでここに残ると決めたのなら、私たちはあなたが拒絶しようとここに残ります。それが近衛兵の仕事です。それに、この国では王は絶対ではありませんから。」

 

「それもそうだったな。もういい。聞いたこちらが間違いだった。」

 

ジョージ7世は不満を述べながらもその顔は笑っていた。

MI6もジェームズ首相も、みんな国王への忠誠を誓いながら自分たちは真っ先に逃げ出した。

それでもイギリス陸軍も海軍も最後まで戦った。

ロイヤルネイビーの壊滅の報を受けててから今日まで、いつも怯えていた。

今日、栄枯盛衰を繰り返してきた大英帝国がついに終わるのだ。

みっともなく亡命政権が樹立されるだろうがそれは受け継がれてきた英国ではもうない。

 

「一人にしてくれるか。」

 

「はい。」

 

ジョージ7世は王室師団長を退室させ一人になる。

窓からロンドンの市街地を見る。

新旧が入り混じりながらこの町は生きてきた。ある時は世界商業の中心として、ある時はがれきの下で爆撃におびえ、それでもこの町はイギリスのものであった。

今まで幾度となくロンドンは燃えてきた。それでも敵兵がロンドンを踏み荒らすのは初めてだ。

まだ静かだが、一日もすればこの町は虐殺の舞台と化すのだろう。

ジョージ七世の前にはいつも通りの曇り空といつも通りのロンドンの街並みが見えていた。けれど彼の目にはもっと多くのロンドンという町が見えていたことだろう。

 

 

ジョージ七世の傍を離れた王室師団長は舞踏会場で報告を受ける。

 

「師団長!ヘルフォルトの第一装甲師団は首相の命令を無視してこちらに来る準備はできていると!」

 

どうやら若手の士官が勝手なことをしたらしい。

 

「やめさせろ。」

 

「しかし!」

 

若さゆえか、無謀なことを忠誠心と正義感で覆い隠してしまうのだ。

それでは軍隊はまともに動けない。

 

「ドイツのヘルフォルトからロンドンに着くまでどれだけかかる?ユーロトンネルは爆破されて使えない。まさか英仏海峡を渡れとでも?」

 

この撤退を主導したのは防衛連合軍だ。支援を頼んでも拒否されるだろう。

 

「それなら!」

 

「第二機械化師団も国連軍第189装甲師団も第199空挺師団も壊滅した。第3、4、5歩兵師団も壊滅した。イギリス全土に上陸を受けているんだ。もうどこにも救援を出す余裕はない!」

 

イギリス攻略のための敵兵力は推定で1500万。これでも敵全体では一割にも満たないそうだ。

対して防衛用の戦力はほとんどなかった。

一時は120万の国連軍と、80万の防衛連合軍が展開していたが、今となっては撤退しそびれた国連軍1万5000に防衛連合軍8000だけしか残っていなかった。

 

「....見捨てられたのですか?」

 

「そうだな。どうやら首相やMI6の連中は知っていたようだがな。」

 

舞踏会場には重々しい空気が流れる。

 

「正装で戦いたければそれでもいい。防弾チョッキを着て正気な装備で戦うのもいいだろう。逃げたいのなら逃げてもいいと国王陛下がおっしゃった。逃げたいなら好きにしろ。私からの指示は一つ。戦うのであれば無謀な戦闘であっても近衛兵として最後まで戦え。」

 

逃げたいと思っても逃げることなどできないことを知っているのに卑怯な聞き方だった。

ヘリさえ残っていれば逃げることはできただろう。もっとも王室師団長にはそんなことのためにヘリを使わせる気は毛頭なかったが。

 

「God save our gracious King....」

 

どこからともなく、だれかもわからないが一つの歌声から少しずつ合唱が広がっていく。

 

「Long live our noble King....」

 

その合唱はジョージ七世にも聞こえただろう。

陛下が何を思ったのかは定かではないが、バッキンガム宮殿で楽器もなしに演奏されるその無秩序な合唱に、人類それ自体の終焉と言う不吉な予感がしたことだろう。

 

演奏が終わると兵士たちは各々武器を持ち、配置へと散っていく。

ジョージ七世はその兵達を見送った後に舞踏会場に入る。

部屋の中はほのかに火薬のにおいがした。

恐らくは気のせいだろうが、おおよそそこは舞踏会をひらけるような場所ではなかった。

ジョージ七世は侍従たちに宮殿の清掃を命じて自室に戻る。

静かに腰を降ろし、ただ無意味に時間を過ごす。

そうして時間が経ち、爆発音で彼は宙を漂っていた意識を体に戻す。

英国の王は正装に着替えて玉座に座った。

隣には王妃が静かに座っていた。こんな状況でもいつものように柔らかな表情で微笑みかけてくる。

けれど玉座の間は二人でいるには少し大きすぎる。

砲声の中で募るのは恐怖ではなく寂しさと虚無感だけだった。

砲声はどんどん近くなっていく。ついには宮殿全体が大きく揺れる。

どこかに砲弾が直撃したのだろう。

開拓者に追い回されたインディアンはこんな気分だったのだろうか?

 

「同じことか....。」

 

「何がです?」

 

力がなければ滅ぼされる。そんなこと、力の理論を振りかざして世界をかき乱した大英帝国が一番理解していた。

今回力がなかったのは自分たちのほうだっただけのこと。

 

「空虚な繁栄だったのだな。まさか国教会などという都合のいい宗教を作ったのに神が怒ったのか?」

 

乾いた笑い声を玉座の間に響かせる。

 

「先祖の事を悪く言うものではありませんよ。」

 

王妃は上品にそう返す。

 

「そうだな。」

 

王はそれに同意を示し玉座の間はしばし沈黙に包まれた。

 

 

「第三班はビッグベンに登って偵察だ。ダートフォードの砲撃陣地との連絡が途絶えた。敵は予想通り川を上ってきた。じきに接敵するだろう。国王陛下万歳。」

 

師団長は正装姿で馬に乗り、正気ではない装備だった。

そもそもこんな防衛戦自体がまともではない。しかし選択肢はない。虐殺されるぐらいなら戦って死ぬ。ただそれだけのことだった。

 

「出撃だ!バグパイプをならせ!」

 

儀礼でしか使うことのないバグパイプを引っ張り出して音楽隊に演奏をさせる。

彼らはまだ、ブリストルの陥落を知らなかったが、自分たちがブリテン島に残っている最後の部隊であるとそう直感していた。

戦時下で動員された市民合わせて約5000人の兵士達がバッキンガム宮殿を出ていく。

それがあまりにも少なすぎる戦力とわかりながら師団長はただ送り出すしかなかった。

 

戦端を開いたのは当然深海棲艦だった。さすがの敵もバッキンガム宮殿に対する精密爆撃は行わなかった。

しかし、その雑で圧倒的な物量の攻撃で部隊は壊滅した。

少し離れた場所で指揮をとっていた師団長も爆風で吹き飛ばされた。

前線の兵は一発も敵に打ち込むことなくこちらの射程外から飛来した砲弾で人間らしい死に方さえ許されなかった。

戦争はロマンティックで荒々しい男の冒険。そんなものではなかった。

砲弾によって男なのか女なのか、人なのか別の何かなのかさえ見分けがつかないほど酷い有様だった。

おそらく遺骨の一つすら回収できないだろう。

 

「師団長。せめて国王陛下だけは尊厳のある死を迎えてほしいと思うのは間違いでしょうか。」

 

先ほど無謀な正義感を振り回していた若い兵の目にはもう戦場への憧れや、正義の渇望はなかった。

 

「いや。間違ってない。ここを頼めるか?」

 

「はい。」

 

師団長は馬に鞭打って宮殿まで走らせる。

後ろで大きな爆発音が一つ聞こえたと思うと若い兵士たちの姿はすでになく大きなクレーターがそこに開いていた。

 

やっとの思いで宮殿に到着した師団長は、乱れた衣服を整えてから玉座の間に入り王の前の平伏する。

 

「王室師団長。状況は?」

 

「最悪です。尊厳も何もない。あれは人の死に方ではない。」

 

「あとどれぐらいで敵はここにたどり着く?」

 

「もう30分も持たないかと。」

 

王はここらでいいだろうと、そう思った。

 

「王室師団長。この宮殿に火を放て。せめて尊厳ある死を望む。この願いは聞いてくれるか?」

 

「私はあなたを守れない。ならば殺すのが私の役目でしょう。王であるあなたが望むのであれば私はその命令に従うまでです。」

 

「そうか。王妃よ。最期に私と踊ってくれはしないか?」

 

王は立ち上がり王妃の方を向いて手を差し伸べる。

王妃は微笑んで

 

「私はあなたの妻ですよ?どうして拒絶するのでしょうか?」

 

そう言って王妃は差し出された手を取って立ち上がる。

 

 

王室師団長は点火の準備ができたことを報告に来たが二人の様子を見て何も言わずに立ち去る。

師団長は無言で点火スイッチを押し、そのまま屋上に上る。

瞬く間に宮殿が火に包まれる。意図的に燃やしたのだ。そう簡単に火は消えないだろう。

玉座の間のあたりからも火が噴き出す。

それを見て師団長は王室旗を下ろす。いつもならば英国旗を掲揚するがそれは必要がないだろう。

敵に旗を燃やされるぐらいなら自分たちで燃やす。

師団長は王室旗を素早くたたみ、それを持って燃え盛る宮殿の中に戻っていく。

キリスト教では火葬はタブーだがバッキンガム宮殿という最高の棺があるのだ。それで十分だ。

 

 

カナダ オタワ 英国亡命政府

「ジョージ七世が崩御されたことをMI6が確認しました。王位継承法に基づいて英連邦の王位を継承することになります。」

 

「父は死んだのですね....そうですか。」

 

まだ成人を迎えたばかりの皇太子にはあまりに重い役職だった。

 

「私の称号はジョン2世にしていただけませんか?」

 

「本気でおっしゃっているのですか?」

 

「ええ。私にはその名がふさわしい。私は卑怯にも国民を見捨てて逃げたのですから。」

 

「しかし!」

 

「私は王ですよ。形式上の王であることはわかっています。ですがこのぐらい聞いてくれてもいいじゃありませんか。」

 

世界に散らばったイギリス国民がジョンという名を聞いて何を思うだろうか?

 

「後悔しませんか?」

 

「これでも最低限、王として生きるということを学んできたつもりです。一度決めたことから逃げはしない。」

 

イギリスはジョン2世の即位をロンドン陥落の同日に発表した。

批判にさらされたジョン二世は少し前に成人したばかりとは思えないほど気高く振る舞いその批判をすべて受け入れて英連邦の団結を呼びかけ続けた。

しかし、翌朝タイムズの朝刊の一面を飾ったのは『大英帝国の落日』だった。

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