戦場に閃く発火炎(マズルフラッシュ)
本を読むことが好きだった。世界を股にかける冒険小説を読むと、あてのない旅に出たくなった。淡い恋の行く末を描いた恋愛小説を読むと、わけもなく誰かを愛したくなった。混迷極まる謎を鮮やかに解決する推理小説を読むと、取り留めのない日常に謎を求めたくなった。
そして、何もしなかった。物語に没頭して昂っていた心は、本を閉じた途端、現実という外気に晒されて急速に冷めていく。その後に残るのは、空虚な余韻から抜け出せないでいる胸の拍動だけだった。この感動を知って欲しい。この高揚を言葉にしたい。この興奮を分かち合いたい。愚鈍な体を突き動かしたのはそんな、熱意と呼ぶには冷淡で、欲求と呼ぶには純粋で、渇望と呼ぶには謙虚な、どこまでも独り善がりな感情だった。
だから、何も期待していなかった。こんなことで自分の人生が変わるだなんて、これっぽっちも思っていなかった。自分にその資格があるのか、不安さえ感じた。
あなたを 超高校級の語り部 として
希望ヶ峰学園への入学が決定したことを
お知らせ致します。
8月吉日
学校法人 希望ヶ峰学園学園長
ただ自分が感動した本を朗読して、その音声を動画投稿サイトにアップしただけだ。そうすることでしか、誰かに自分の気持ちを伝えられなかったからだ。やがて自分の動画にも、ファンや評価が付くようになった。他にやることのない、できることのない自分にとって、唯一外の世界と関わることができる場所だった。希望ヶ峰学園がそれを認めてくれた。ただの引きこもりの趣味としか思ってなかったのに、それを“才能”と呼んでくれた。それが嬉しかった。
「それじゃあ、身体に気をつけてね。落ち着いたら、連絡してちょうだい」
「頑張って来いよ!」
出発の朝、父さんと母さんが駅のホームまで見送りに来てくれた。昨日の晩、父さんは奮発してお寿司を買ってきてくれて、家族3人で豪華な晩ご飯を食べた。母さんはわざわざ今日の為に上等な服を買ってくれて、シャツにもしっかりアイロンをかけてくれた。
発車のベルが鳴る中、僕だけが電車に乗り込んだ。母さんは、少し泣いていた。ドアが閉まる前に、もう一度だけ口を開く。
「いってらっしゃい」
「……いってきます」
ただそれだけの会話だったけど、久し振りだった。
ドアが閉まって、電車が動きだす。両親の立つ駅のホームと生まれ育った街の風景が流れていく。そこから先は、見たことのない世界が広がっていた。
僕はこれから、希望ヶ峰学園に行く。
「ぜひ行きなさい。これはまたとないチャンスだ」
「そうかな。ぼくなんかが行ったら、他のみんなの邪魔にならない?」
「そんなことを思う人はいないよ」
祖父はそう言って、ぼくの頭を撫でた。骨董品を丁寧に扱い続けた祖父の手は、見た目は無骨だけど優しい手だ。
「厘は学校以外じゃあまり外に行かないだろう。いい機会だから、たくさん勉強してくるといい」
「勉強なら今の学校でもできるよ。体育は得意じゃないけど」
「そうじゃない。勉強するというのは、教科書を読んだり計算をしたりすることだけじゃない。厘の知らない世界を知るということだ」
「ぼくの知らない世界?」
「今はなんでも手のひらの中で解決する時代だが、孫悟空じゃあるまいし、そんな中に収まっていてはいかん。手のひらの外にも世界は広がっている。顔を上げて、自分の足で歩いてみれば、もっと多くのことを知ることができる」
「自分の足でかあ。それはちょっと大変そうだね」
だけど、祖父の言うことも分かる。たぶん今から町内を一周したって、ぼくの知らないことはまだまだたくさんあるはずだ。それが、日本中から“超高校級”の“才能”を持った高校生が集まる希望ヶ峰学園ともなれば、きっと毎日退屈しないだろう。何より、ものすごく興味がある。
「それにな、骨董を扱うのなら、なんでも知って、経験しておくに越したことはない。せっかく厘はいい目を持っているんだから。それこそ、“超高校級”のな」
あなたを 超高校級の古物商 として
希望ヶ峰学園への入学が決定したことを
お知らせ致します。
8月吉日
学校法人 希望ヶ峰学園学園長
ぼくの元に届いた入学通知書を持って祖父が言う。こんなぼくが希望ヶ峰学園に入れるなんてすごく嬉しい。だけど、いざそういうことになると、心配になることもある。
「自分で品物を見に行けないことも多いだろう。直接見なくても価値や真贋を見抜くには、知識と経験が必要だ」
全くもって祖父の言う通りだ。正しい見方と正しい知識。それらは豊富な経験から作り出されるもので、誰かに習うだけじゃ身に付かないことだ。ぼくが、ぼく自身で経験しないと。
「厘。心配はいらない。お前が希望ヶ峰学園を卒業するまでの何年かくらい、もう少し頑張れる」
そう言って祖父はぼくの手を握る。その手から、祖父がぼくを気遣っていることが分かった。本当なら今年いっぱいで引退するつもりだった祖父がここまで言ってくれる。それだけの期待を、ぼくは裏切ることはできない。
「うん。分かった。ぼく、希望ヶ峰に行くよ。そこで、たくさん外の世界のことを勉強してくる。それで、おじいちゃんが安心してお店を任せられるよう、立派になってくるよ!」
「ふっふっふふんふふふふふふんふーん♫ふふふふんふんふーん♫」
「フウちゃん、もうすぐご飯よ。明日の準備できた?」
「うん!あとちょっと!」
ママに呼ばれたとき、ワタシは部屋で荷造りをしてた。いつもの旅行と違って、今回は何日もあっちで暮らすことになる。必要なものもそうでないものも、とにかくありったけ詰め込んで、パンパンになったスーツケースをなんとか閉じた。
詰め込んだ荷物以外にも、すぐに必要になる手荷物もちゃんと確認しておかなくちゃ。スマホと財布と飛行機のチケットと、あとこれも忘れちゃいけないやつだ。
あなたを 超高校級の脱出者 として
希望ヶ峰学園への入学が決定したことを
お知らせ致します。
8月吉日
学校法人 希望ヶ峰学園学園長
「ふふふっ♫」
希望ヶ峰学園からの入学通知書を、大事に大事に封筒に戻してポシェットにしまう。すぐまた読みたくなって取り出す。もう何回これを繰り返したか分からない。何回繰り返しても、ずっと同じ嬉しさが込み上げてくる。
「ワタシが“超高校級”かあ……“超高校級の脱出者”宿楽風海……えへへっ♫有名人になっちゃったらどうしよ〜♫」
こんなこと夢にも思ったことがない。あの希望ヶ峰学園がワタシを入学させてくれるなんて、考えたこともなかった。ワタシなんかに、“超高校級”の“才能”があっただなんて知らなかった。
「よかったわね、フウちゃん。本当、お母さんまだ信じられないわ」
「信じてよぉ〜、ほら!この入学通知書が目に入らぬかぁ〜!」
「本当に……希望ヶ峰学園にスカウトされてなかったら、今頃どんなことになってたか。全教科1か2なのに遊んでばっかのフウちゃんのこと、みんな心配してたんだから……」
「泣かないでよ!?」
ママはワタシの希望ヶ峰入学を喜んでるというより、安心して泣いてた。確かに、人に自慢できる成績とれないし、特にこれと言って取り柄もないけどさ。親なんだからもうちょっとひいき目で見てくれてもよくない?
それに、遊んでるって言ったらそうだけど、ただの遊びじゃないし!まあ体験型謎解きゲームとか言っても、ママにはよく分からないだろうから言わないけど。上手いこと説明できる自信もないし。
「よかったわね、フウちゃん。さ、ご飯にしましょう。下でみんな待ってるわよ。今日はフウちゃんのお祝いだから、みんなでフウちゃんの大好きなラフテーいっぱい作ったわよ!」
「やったー!ラーフテー!」
いい匂いがしてくると思ったら、ワタシの大好物だった。今日は村のみんながワタシの家に集まって壮行会を開いてくれてる。みんなが喜んでくれて、みんながワタシをお祝いしてくれる。人生最高の日だ!生きててよかった!
なんにもできないワタシだけど、この一通の手紙のお陰で未来が輝き出した。こんなワタシでも、希望ヶ峰学園に入れるんだ!この世に希望はあるんだ!
眩いカメラのフラッシュで視界が白に染まる。口元に差し出された幾つものマイクの圧で息が詰まりそうだ。誰かが投げかけた質問に、僕は微笑みをもって答える。
ほんの数分の出来事だったが、実際の時間より長く感じられた。沸き立つ感情を押さえ込み、僕は足早に控室に戻った。
「おかえり、遼」
「ふざけるな!僕にあんなことを言わせておいて、ごめんなさいの一つも言えないのか!」
「遅かれ早かれバレることよ。ていうか、やっぱり行きたくなかった?」
「当たり前だろ!どうしてこの僕が、今さら希望ヶ峰学園なんかに行かなきゃならないんだ!こんなものが送られてきたせいで……!」
あなたを 超高校級のゴルファー として
希望ヶ峰学園への入学が決定したことを
お知らせ致します。
8月吉日
学校法人 希望ヶ峰学園学園長
叩きつけた入学通知書には、忌々しい肩書きが記されていた。なにが“超高校級”だ。馬鹿馬鹿しい。
「僕はとっくにプロのレベルに達してるんだ!高校なんかで何を学べって言うんだよ!この貴重な数年間を、ドブに捨てろって言うのか!」
「落ち着いて。外まで聞こえるわ」
その言葉で、僕は声を張り上げるのをやめた。やめざるを得なかった。万が一これが誰かの耳に入れば、さっきの記者会見の意味がなくなる。
代わりに、声をおさえたまま、マネージャーに詰め寄った。
「そもそも、あのスカウトマンの話は丁重に断れと言ったはずだぞ。なんでこんなものが来るんだ」
「私が承諾したわ。今の遼には、それが必要だから」
「必要なんてないだろ。僕に何か足りないものがあるっていうのか?」
「あるわ。たくさんね。ゴルフの腕だって、本物のプロにはまだ遠い。これは遼のこれからのために必要な投資なの」
「……マネージャー風情が言うじゃないか。そんなにクビになりたいのか」
「じゃあどうする?やっぱり断る?」
「断れるわけがないだろ!希望ヶ峰学園の入学通知だぞ!そんなことをしたら、僕の評価はどうなる!?調子に乗っていると思われるだろ!チャンスを棒に振ったと馬鹿扱いされるだろ!ネットは大炎上!マスコミからは総バッシングだ!そうなったら僕は終わりだ……!」
考えただけでぞっとする。大衆というものは良くも悪くも、印象でしかものを見ない生き物だ。印象がよければ多少の欠点は大目に見られるどころか、それが魅力だと言いだす奴もいる。逆に印象が悪ければ何をしようと悪意的に受け取られ、何もかも裏目に出る。だから、僕はこれまで好印象を抱かれるよう、言葉一つ、一挙手一投足に注意してきたんだ。こいつに、その努力を知らないとは言わせない。
「だから、ゴルフの腕で黙らせればいいのよ」
「……なんだと?」
「どんだけ妬み嫉みを集めようが、裏では愛想悪くて暴言吐きまくりだろうが、炎上しようが不倫しようがクスリやろうが、実力で黙らせればいいのよ。世界のトップってのは、そういうことができる人たちなの」
癪に触るが、マネージャーの言うことは一理ある。誰にも文句を言わせない実績を持ち、いくつもの不祥事を吹き飛ばしてしまうほどの功績をあげていく人たちは、実際にいる。
「遼は特にそういうのを気にするんだから、いっそ突き抜けた実力を付けた方がいいの。それには、希望ヶ峰学園が必要よ」
「……分かった」
僕はもう一度マネージャーに詰め寄り、そして言った。
「希望ヶ峰学園には行ってやる。だけどお前に説得されたわけじゃない。マスコミにそう言ったからだ。そして卒業……いや、1年経ったその時にまだ僕に入学を後悔させていたら、そのときはお前に謝ってもらうからな。そしてその後、お前はクビだ……!!」
「いいよ。卒業式の後で、遼に泣いて謝ってもらうから」
「はーい、じゃあ起こしますよー」
抱きかかえた姿勢のまま、聞こえるように大きな声で言った。タイミングを合わせて上半身に力を込めて、上体をベッドからゆっくり離す。ベッドから車椅子に移動させたら、病室を出てエレベーターまでの廊下をゆっくり押していく。途中ですれ違う看護師さんと笑顔で挨拶を交わした。エレベーターが1階に着いて、スロープで中庭に降りる。暑さもすっかり和らいだ秋の空に、ひつじ雲がふわふわ浮かんでいた。
「今日はお天気がいいから、お庭を散歩しましょうね」
「ありがとうねぇ……いつもお世話様ねぇ、まつりちゃん」
「いいえ。あっ、ほら。お庭のバラがきれいですよ」
ふと鼻をくすぐる香りにつられて目を向ければ、看護師さんたちがお世話をしているバラが赤や黄色に咲き乱れていた。吹く風は少し冷たい。そろそろカーディガンが必要になってくるかもしれないな。
「まつりちゃんとお散歩すると、狭い庭も楽しいわね。この病院、先生の腕はいいんだけどそれ以外はあんまりよくないから」
「もう。あんまり看護師さんたち困らせちゃダメですよ?これからは、私あんまり来られなくなるんですから」
「あらそうなの?彼氏でもできた?いいわねえ、若い子は」
「違いますよっ」
低い段差や小石も、車椅子の人にとっては大きな揺れになる。急ハンドルや急ブレーキは腰や脚への負担になる。他愛ない会話をしながらも、車椅子のコースや周りの人の動きに気を配る。このおばあちゃんは特に扱いが難しいけど、私だけはやけに可愛がってくれてる。看護師さんたちも私に任せきりにするくらいだ。
「私、希望ヶ峰学園に呼ばれたんです」
「へえ!希望ヶ峰学園!すごいじゃない。やっぱりまつりちゃんはそれくらいの子だと思ってたわ!」
「もお〜、調子いいんですから」
「でも寂しくなるわね。希望ヶ峰学園が合わなかったらすぐ戻って来ていいのよ」
「あはは……それは、正直ちょっと心配です。でも、スカウトされたってことは、私が必要とされてるってことですから」
このおばあちゃんだけじゃない。この病院の患者さんや、他の施設の子どもたちやおじいちゃんおばあちゃんたちで私がお世話している人はたくさんいる。その人たちは間違いなく私のことを必要としてくれてる。本当はその人たちと離れるのは辛い。だけど、他のどこでもない、あの希望ヶ峰学園が私のことを必要としてくれた。それなら、私はそれに応えなくちゃいけない。応える義務がある。それが、“才能”を持つ私の責任だ。
あなたを 超高校級の介護士 として
希望ヶ峰学園への入学が決定したことを
お知らせ致します。
8月吉日
学校法人 希望ヶ峰学園学園長
「お正月や夏休みには帰って来られますから。私が卒業するまで、ちゃんと看護師さんとお医者さんの言うこと聞いててくださいね。お薬もちゃんと飲むんですよ」
「ん〜……まつりちゃんが言うんなら、そうしてあげようかしらね」
「もうっ、お願いしますよ?卒業したら、またお世話しに戻って来ますからね」
戦場にいた。武装した人間が二つの軍勢に分かれてぶつかっている。火薬が爆ぜ、銃弾が飛び交い、命が消費されていく。炸裂する光が瞬きする間に命を奪う。轟く音が人波を赤い飛沫に変えた。むせ返るような匂いと生暖かく重い感触、しかしそこに命はない。汗と涙が頬を伝い口に入るが、何も感じない。すぐ隣の人が倒れる。後ろで爆音が響く。目の前で、人が死ぬ。
自分はいま、戦場にいた。
「伏せろ!」
全部聞くより先に後ろから押し倒された。直後に激しい砲撃音。衝撃波と轟音以外には何も感じない。
「立て!行くぞ!」
言葉が理解できないわけじゃない。何をしようとしても体が言うことをきかない。ただ、生まれたてのひな鳥のように、目の前を走る背中を追いかけた。そうしなければと、本能に突き動かされた。足下に転がるものを見ないように、ただ、ただ、前だけを見ていた。
「おらおらおらァ!!進めテメエらァ!!ビビんなァ!!一歩でも後退しやがったら後でぶっ殺すぞォ!!」
全員、顔には分厚い防弾ヘルメットをしている。表情がうかがえなくても、通信で耳に入ってくる声には励まされた。部隊の最前線を突っ走っていたその人は、後続部隊のために自ら道を切り開き、突破口を強引にこじ開けた。
「おい大丈夫か!ヘバってるとこ悪ィが、戦場じゃ停滞は後退と同じだ!道はオレたちが作ってやるから、はぐれねェようについて来い!」
乱暴な口調と雷鳴のような荒々しい声。でも、その言葉はとても温かかった。戦場に、人の死に、命の奪い合いに慣れていない者を気遣う、精一杯の激励だった。それに呼応するように、すぐに呼吸を整えて再び走り出した。こんなところで休んでなんかいられない。今は前に進むだけじゃいけない。必ず、この作戦は成功させなければならない。もうこれ以上、彼らの命を弄ぶようなことをさせてはいけないんだ。
コロシアイなんか、絶対にさせてはいけないんだ。
皆様、お久し振りです。
前作『ダンガンロンパカレイド』から1年以上の間を開けて、新作のスタートです。相変わらずこれまでのシリーズとはなんの関係もないので、今作から読み始めても問題ありません。
ちなみに、プロローグは本日から一週間連続で投稿しますので、毎日様子を見に来ていただけると嬉しいです。
今作も長丁場になるかと思いますが、何卒お付き合いください。