ダンガンロンパメサイア   作:じゃん@論破

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非日常編

 

 冷たい臭い。鉄と脂の混じった、血の臭い。

 

 形を持たないはずなのに。色も、臭いも、質量もないはずなのに、確かに感じる“死”の気配。

 

 目に映る光景が、鼻にまとわりつく臭いが、あらゆるものが静止した静けさが、その現実をつらく突きつける。

 

 信じたくない想いが恐怖と混乱に踏み潰されて立ち消える。信じようと信じまいと、これは抗いようのない事実だ。耳の奥で誰かがそう叫ぶ気がした。

 

 「……ぁ

 

 静寂が破られた。陣幕に針を刺したような、小さく弱々しい空気の震えだ。だが、確かにそれは存在していた。

 

 「あぁ……!」

 

 カタカタと震えるぎこちない動き。糸で吊られたような不自然な動き。なんと形容するのが適当か、およそ人間らしからぬその動作は、鮮烈な現実の中で場違いなほど非現実的だった。

 血に濡れてべったりと皮膚にはりついた髪が、剥がれ崩れていく。でたらめな方向に折れて歪にゆがんだ指と腕が伸びる。吸い込まれそうな伽藍堂の眼窩で見つめられた。

 

 「……ぁぅ、て……!ぁ……す、げ……え……!」

 


 

 「益玉君っ!!」

 「うおっ!?」

 

 口が勝手に動いた。体が自然と跳びはねた。伸ばした手の先には何もない。ただ消えつつある私の叫びだけが耳元を掠めていった。胸と背中に、汗の染みた服が張り付く嫌な感じがした。背中が痛い。もしかして私、また寝ちゃってた?

 

 「あ……れ……?ここは……?」

 「やっと起きたね、甲斐さん」

 「こ、湖藤君……?」

 

 床に座り込んだ私を、湖藤君が近付いてきて見下ろした。辺りを見回すとみんながいる。そこでやっと、ここは体育館だということに気付いた。

 

 「な、なんでみんな……私、えっと……なんでここに?」

 「おい、大丈夫かよ?」

 「岩鈴さん……あ、ご、ごめんなさい」

 

 混乱する私の肩を、私の後ろに座っていた岩鈴さんが揺らす。どうやら私は、岩鈴さんの膝枕で寝てたみたい。まただ。なんで私、いつの間にか寝ちゃってたんだろ。だって、私は確か自分の部屋で起きて保健室に向かって……そこで……!

 

 「……っ!そ、そうだ!益玉君!益玉君は!?それと……三沢さん!二人は……!?」

 

 私の質問に答える人はいない。みんな俯いて床を見つめるか、目を閉じて目を合わせないようにしている。その顔はどれも、不安と恐怖、そして困惑の表情だった。その異様な状況が私の脳を一層掻き乱す。そんな馬鹿なことがあるはずがない。いじわるな冗談に決まってる。そんなこと……あり得ない……。

 

 「甲斐さん、落ち着いて。益玉君と三沢さんは……亡くなっていたよ」

 

 湖藤君の言葉が冷たい水のように私の体を凍えさせた。一瞬で心臓から指先までの温度が奪われる感覚。今この場に二人がいないという事実。どうしようもなく暴力的で、残酷なほど分かりやすい現実だ。

 

 「な……なん、で……?そんな……!なんでよ!!」

 「落ち着けオイ!デケえ声出したってどうしようもないんだよ!」

 「でも……!み、みんななんでこんなところに集まってるの!早く二人のところに行かないと!まだ助かるかも知れないのに……!」

 「モノクマだ」

 「え……?」

 

 顔も視線も舞台を睨めつけたまま、毛利さんが答えた。

 

 「ヤツがここに集合するようにアナウンスをした。私たちだってヤツの気紛れに付き合っている場合じゃないのは分かっているが……そうもいかないだろう」

 「……?」

 

 こんなときに、モノクマがなんだっていうの。モノクマが呼んでようが関係ない。益玉君と三沢さんを助けられるのは私しかいない。だから……!

 

 「スト〜〜〜〜〜〜〜〜ップ!!勝手な行動は許さないよ!!まずはボクの話を聞け〜〜〜ィ!!」

 

 体育館から出ようとする私を呼び止めるように、モノクマが大声をあげて飛び出した。みんなの視線が一斉にモノクマに注がれる。構わず出口に向かう私の前に、カルロス君が立ち塞がった。

 

 「マツリちゃん。お願いだから、今はモノクマの言う通りにしてくれ」

 

 その顔は、今まで見たことないくらい真剣だった。モノクマの言葉が冗談じゃないと身を以て知ってる彼だからこそ、本気で私を止めていた。それでも私はこんなところにいたくない。モノクマに付き合ってる場合じゃない。そして、それがここにいる全員同じ気持ちだっていうことに気付いた。

 

 「……ごめん」

 「分かってくれたみたいだね。よしよし。まったく、昨日の晩といい今朝といいぶっ倒れるし、甲斐さんはここんとこテンションの上がり下がりが激しいよ?血圧ガタガタだよ?」

 

 挑発めいたモノクマの言葉はスルーして、ただ睨み付けてやった。私たちを集めたっていうことは、何か用事があるってことだ。益玉君と三沢さんがあんなことになったタイミングでの呼び出し。一体これから、何を始めるつもりなんだ。

 

 「え〜、それでは改めて。オマエラ!おはようございます!」

 「ふざけてないで、早く用事を済ませてください」

 「ちぇっ、冷たいの。でもま、今日のボクは気分が良いから許してあげます!うぷぷぷぷ!遂に起きましたね!コロシアイ!ボクは嬉しいよ!」

 「コロシアイ……だと……!?」

 「そうだよ。オマエラも見たでしょ?益玉君と三沢さんの死体を!オマエラもやればできるんだね。思ったより早く行動してくれてボクは嬉しいよ」

 「ざっけんな!何がコロシアイだ!」

 「およ?」

 

 二人が死んだ。改めてモノクマの口から聞かされると、それがひどく冷たくて無機質に聞こえる。命を命と思わないような、無邪気で邪悪な響き。圧倒的な悪意を前にしたとき、人はただ怯えて萎縮するか、それとも声をあげるかだ。今の岩鈴さんのように。

 

 「アンタが益玉と三沢を殺したんだろ!とうとうやりやがったなこの野郎!」

 「いやだなあ、そんなわけないでしょ。ボクはオマエラにコロシアイをしてほしくてこういうことをしてるの。自分で()ったら意味ないじゃーん」

 「信じられるか!」

 「あっそう?じゃあ試してみる?ひとつ言っておくけどさ」

 

 モノクマの目がぎらりと光った。

 

 「ボクがその気になれば、今すぐオマエラ全員を殺せるんだよ?」

 

 首元に感じる重たい金属の感触。すっかり慣れていたはずのその感覚を改めて思い出した。私たちは常に死と隣り合わせなんだと。

 

 「だからボクが手を下すのは最後の最後。つまり今回起きたのはただの殺人。そう、オマエラの中の誰かが、あの二人を殺したんだよ!」

 「そんな……!ば、馬鹿なこと……!」

 「馬鹿でもアルパカでもありませーん!それが事実!そして真実!オマエラにはこれからその現実と嫌でも向き合ってもらうよ!」

 「……どういうこと?」

 「校則に書いてあったでしょ?誰かを殺した“クロ”は誰にもバレてはいけないって!」

 「バレてねえから、こうやって集まってんじゃねえのかい?」

 「うぷぷ♬それじゃあツマラナイでしょ。今回の殺人において、クロは本当に誰にもその正体をバレていないのか、それをきちんと審査するための仕組みをご紹介しましょう。その名も、“学級裁判”!」

 「学級裁判?」

 

 私たちの首元から機械音がした。何もしてないのに勝手にディスプレイが開いて、校則一覧を表示する。前にみんなで確認したときよりも、いくつか項目が増えている。そこには、今モノクマが口にした学級裁判の文字があった。

 


 

 ○校則一覧

  1.生徒達はこの学園内だけで共同生活を行いましょう。共同生活の期限はありません。

  2.夜10時から朝7時までを“夜時間”とします。夜時間は立ち入り禁止区域があるので、注意しましょう。

  3.就寝は寄宿舎に設けられた個室でのみ可能です。他の部屋での故意の就寝は居眠りとみなし罰します。

  4.希望ヶ峰学園について調べるのは自由です。特に行動に制限は課せられません。

  5.学園長ことモノクマへの暴力を禁じます。監視カメラの破壊を禁じます。

  6.仲間の誰かを殺したクロは“卒業”となりますが、自分がクロだと他の生徒に知られてはいけません。

  7.コロシアイは、最後のひとりになるまで続きます。

  8.生徒の自殺を禁じます。

  9.生徒内で殺人が起きた場合は、その一定時間後に、生徒全員参加が義務付けられる学級裁判が行われます。new

 10.学級裁判で正しいクロを指摘した場合は、クロだけが処刑されます。new

 11.学級裁判で正しいクロを指摘できなかった場合は、クロだけが卒業となり、残りの生徒は全員処刑です。new

 12.なお、校則は順次増えていく場合があります。

 


 

 「オマエラの中で殺人が起きたとき、オマエラの中に潜むクロが誰かについてオマエラ自身で議論を交わしてもらいます!議論の結果、正しいクロを指摘できればクロは校則を守れなかったということでおしおきです!残りの生徒、すなわちシロたちだけで、引き続きコロシアイ生活を続けてもらいます。逆に誤った人物をクロとしてしまった場合は……クロ以外の全員がおしおきされ、みんなを欺いたクロだけが、晴れて“卒業”となります!」

 「な、なにそれ……!?おしおきって……!?」

 「まあ簡単に言えば処刑だよ」

 「しょ、処刑!?」

 「うん処刑。モンスターが頭をマミりんちょとか!マグマでどてっ腹に風穴あけるとか!ナントカザワールドの間にロードローラーでぺちゃんことか!エクストリームな方法でオマエラのことをブッコロしちゃうよ!」

 

 もはやつっこむ気も起きない。私たちの中に益玉君と三沢さんを殺した人が紛れていて、それを当てられなければ私たちは……モノクマに処刑される?そんなめちゃくちゃな話……理解できない。できるわけがない。これからどうしたらいいのかも……分からない。

 

 「馬鹿なことを言うな。どうしてどっかの殺人鬼のためにはぐが命を懸けなきゃならないんだ」

 「そうですそうです!そんなのは殺人犯の勝手でしょう!」

 「やめといた方がいいよ。さっきのモノクマの言葉を忘れてないなら、ね」

 

 湖藤君の一言で、噴き出していた文句がぴたりと止んだ。モノクマには何を言っても無駄だ。それを理解していないと、何をされるか分からない。静かになった体育館で、モノクマはくっくと笑う。

 

 「というわけで、これからオマエラには学級裁判に向けて事件の捜査をしてもらうよん。時間中の行動は自由だし、必要があればボクが個室のカギも開けてあげるから言ってね」

 「ちょ、ちょっと待って!捜査って……いきなりそんなこと言われてもどうしたらいいか……!」

 「……んもう、うるさいなあ。分かってるよそんなこと。殺人事件の捜査に関してはずぶの素人ばっかりだからね。オマエラのモノカラーにボクから小粋なプレゼントを贈ってあげたよ。その名も、モノクマファイル!」

 

 校則が表示されていたモノカラーがまた勝手に動き出して、あるファイルが開かれた。

 

 「ひっ……!?」

 

 誰かの悲鳴が漏れた。そこに表示されたのは、ベッドの上で黒ずんだ血にまみれている益玉君の写真だった。不意にそんな写真を直視してしまい、お腹の底からこみ上げるものを堪えながら、私は目を背けた。

 

 「モノクマファイルは死体に関する基本的な情報をまとめたファイルだよ!うぷぷぷぷ♬これを参考に各自捜査を進めていくといいでしょう!」

 「信用していいんですか?こんな本当かどうかも分からないものに命を預けるようなことはできません」

 「これはあくまでシロとクロが平等に裁判に臨めるようにするものだからね。疑うなら調べてごらんよ。それで捜査時間が足りなくなっても知ーらない!」

 「あっ!こら待て!」

 

 何一つ納得させてもらえないまま、モノクマは一方的に話を切り上げて姿を消した。これからどうすればいいのか、どうするべきなのか、その答えを持つ人はいない。私たちが、選ばなくちゃいけない。

 

 「な、なんなの……?もう、やだよ……!はぐもうおうち帰りたい!こんなのもうイヤだ!」

 「はぐ……!」

 「実に不本意ですが……モノクマがやると言ったらやるのでしょう。今は、少しでも手掛かりを集めるしかないかと」

 「……やるしか、ないのか」

 

 捜査の開始を宣言されても、すぐに動ける人たちは少ない。学級裁判なんてものを受け入れられない人も、諦めて捜査をしようとする人もいる。私は……まだ殺人が起きたっていうこと自体が受け入れられない。どうして益玉君が……みんなのために命を懸けられるあんな人が殺されなくちゃいけないの。それに、どうして三沢さんまで?

 

 「甲斐さん?だ、大丈夫……?」

 「っ!」

 

 茫然としていた私に声をかけてくれたのは、宿楽さんだった。目元が隠れててよく分からないけれど、不安そうな表情をしていた。ここにいるほとんどの人たちと同じ。これからすべきことと起きることが分かっている。だからこそ、怖くて仕方ないんだ。

 

 「そ、捜査は……!きちんとすべきよ……!」

 

 震えた声が響いた。絞り出したような、精一杯強がってる声だ。

 

 「少なくとも……二人もの人が亡くなった。それは事実。殺人事件かどうかはまでは分からないけれど……私たちで捜査をするしか、ない」

 「おや、意外ですね。私人に認められているのは現行犯の逮捕のみですが」

 「……警察の介入が期待できないし、仮に私たちの中に犯人がいるのなら……それをはっきりさせることは必要よ。身の安全を確保するためには……」

 「まあやるだけやってみましょう。降霊には時間も支度もありません故、拙僧にはあまり期待しないでいただきたい」

 「犯人の匂いとか、かぎ分けられたりしないか?」

 「おおっ!その手がありましたか!試す価値はありそうですね!では参りましょう毛利殿!」

 「よしきた」

 

 揚々と体育館を後にして、狭山さんと毛利さんは保健室に向かった。その後に続いて、ほとんどの人がぞろぞろと各自の思うままに捜査へと向かう。昨日と同じだ。判断に迷っている私たちだけが、まだ体育館に残っている。私はまだ、その場から一歩も動けないでいる。

 

 「甲斐さん。あまり時間はなさそうだ。ぼくたちも捜査に向かおう」

 「私は……分からないよ……」

 

 そんなこと言ってもしょうがない。湖藤君に言ったって意味がない。こんなことをしてる時間はない。それは分かってるのに、そうせずにはいられなかった。この感情を振り切らないと、向き合うべき現実に向き合うなんてできない。

 

 「なんでこんなことになってんの……?なんで殺人なんて起きるの?なんで益玉君が殺されなくちゃいけないの!!本当に私たちの中に……益玉君を殺した犯人がいるの……?」

 

 感情を吐き出すと、つられて涙が溢れてきた。脳裏にこびりついた、無惨な保健室の情景。ほんの一瞬しか見ていないはずなのに、その映像は細部まで記憶に残っている。無造作に投げ出された手足。顔の真ん中に開いた暗い穴のような口。虚空に投げ出された益玉君の視線。忘れようとすればするほど、忘れてはいけないと思えてまた思い出す。この涙が洗い流してくれるわけもなく、むしろ強く瞼に焼き付けられるようだった。

 

 「それを確かめるために捜査をするんだ」

 「……」

 「現実から逃げていても何も解決しない。ここじゃそれは命取りだ。どんなに残酷でも、どんなに辛くても、ぼくたちは立ち止まってられない。生きなくちゃ。ぼくたちのために命を擲ってくれた彼のために」

 

 冷たいような、頼もしいような、優しく諭すような、湖藤君の言葉は私の感情の隙間を縫って、私の真ん中まで届いた。きっと当たり前のことなんだ。他のみんなは受け入れられてるはずのことなんだ。だから、私も理解しなくちゃいけないんだ。そんな風に思わせてくれるような言葉だった。

 

 「落ち着いたらでいいよ。ぼくも自分で動けるから」

 「……ううん、私が押してく。ごめん」

 「どうして謝るの?」

 「どうしてかな。ありがとうって言うべきなんだ。きっと」

 「きみがそう思うなら、そうかもね」

 

 優しく微笑みかけてくれる湖藤君の背後に回って、車椅子のハンドルを握る。やらなくちゃ。私が、益玉君と三沢さんがどうして殺されたのか……誰がやったのか……はっきりさせないと。

 


 

 覚悟を決めた私は、まずは保健室に向かうことにした。私が見たあの光景は本当なのか。本当だとして、何か手掛かりは残ってないか。それを確かめるために。死んだ人を直接見るのは初めてじゃない。だけどあんな風にひどい殺され方をしているのは初めてだ。正直、もう一度見ても正視できるかは分からない。それでも、今はとにかく益玉君に会いたい。そんな気持ちだった。

 

 「ところで」

 

 体育館を出たあたりで、湖藤君がいきなり尋ねてきた。

 

 「甲斐さんは一応、第一発見者っていうことになるのかな?」

 「え……そ、そう……なのかな……?」

 「あんまり覚えてない?」

 「うん……。なんだか朝起きたときから気持ち悪くて、ふらふらしてたから。保健室の中を見てまた寝ちゃったような気がして……」

 「ぼくたちが到着したときには、気を失ってたよ。保健室が使えないから個室に運ぼうとしたところで、モノクマのアナウンスでみんな体育館に集まったっていう感じ」

 「私、気絶してたんだ……」

 「うん。あと、朝気持ち悪かったのはきっと……」

 「あっ、甲斐さんと湖藤さん。大丈夫なの?」

 

 話してるうちに保健室の前まで来ていたみたいだ。私たちに声をかけたのは、少し青い顔をした宿楽さんだった。保健室から少し離れたところで壁に手をついてる。表情を分かりづらくしてる電子サングラスには

「(_ _;)」が表示されている。

 

 「うん、なんとか……」

 「宿楽さんも顔が青いけど、大丈夫?」

 「うぅん……あんまり大丈夫じゃないかも……」

 「無理はしない方がいいよ。ここ以外にも手掛かりはあるかも知れないし、思い当たるところを捜査してみたら?」

 「そうする。うん。二人も無理しないようにしてね」

 

 そう言って、宿楽さんはふらふらとどこかへ去って行った。保健室の中を見て、きっと具合を悪くしたんだ。具合が悪くなって保健室から離れるなんて冗談みたいなことが、今はごく自然と受け入れられる。その中に何があるかを、私は知っているから。

 体育館で決めた覚悟を改めてはっきりさせて、私は保健室の中を覗き込んだ。

 

 「うっ……!」

 

 まず飛び込んでくるのは、血で真っ赤に染まったベッドと床、その中に倒れ込む益玉君と三沢さんの体だ。その姿に生気を感じないのは、きっと血に染まっているからだけじゃない。完全に脱力しきったその体勢が、生きている人間にできるものじゃないからだ。

 手足は乱雑に投げ出され、折れそうなほど急角度に首を倒し、虚ろな目と僅かに開いた口が造り物のようにさえ見える。つい数時間前まで生きて動いていたことが信じられないほど、二人はそこで死んでいた。

 

 「おや。ようやく来たんですか。もうあらかた調べられることは調べてしまいましたよ」

 「もう大丈夫なのか?」

 「うん、なんとか……ありがとう」

 

 正直なことを言えば、やっぱりまだこの現実を受け止めることはできない。二人の遺体を見るのも辛いのに、ここで捜査なんてできる気がしない。それでも、やらなくちゃいけない。

 床に散った血を避けるように、尾田君と毛利さんが二人の遺体を側で調べていた。首元にはモノクマが与えたモノクマファイルが表示されている。きっと、そこに載ってる情報が正しいかどうかを調べてたんだろう。でも、素人にそんなことできるのかな。

 

 「モノクマファイルの検証かな?ご苦労様。どうだった?」

 「素人目という前提ですが、どうやら間違いはないようです。つまりこのモノクマファイルは、本当にシロとクロが平等に裁判に臨めるようにするためのものですね。裏を返せば、本当にクロがいるという根拠にもなり得ます」

 「それは飛躍しすぎじゃないのか?」

 「そうかも知れませんね。ただ、モノクマがやったと考えるより、僕たちの中の誰かがやったと考えた方がまだいいです」

 「な、なんで!?私たちの中にそんな……そっちの方がひどいよ!」

 「20人を拉致監禁した上に数日に亘って警察組織の介入をものともしないどこぞの大悪党のマッチポンプと考えるより、殺人に関しては素人の高校生がやったことと考えた方が、まだ解決の希望が見えませんか?」

 「協力して脱出するって約束した人たちの中でコロシアイが起きた方が、よっぽど悲しいよ」

 「そうですか。まあ根本的な価値観の相違です。今はそれを指摘し合ってる場合ではないので、単に情報共有に留めるよう気を付けます」

 

尾田君は喋るたびに心の中に何かもやもやしたものを残していく。それでも今は捜査に協力するために抑えてくれてるみたい。

 

 「お二人とも頭部の怪我はモノクマファイルに記載の通りです。薬のことは分かりませんが、まあ信頼していいでしょう」

 「頭の怪我?なにそれ?」

 「……読んでください」

 

 あからさまにイラッとした顔で尾田君に睨まれてしまった。そう言えば、さっきモノクマによこされたのを読み忘れてた。あのときはいきなり益玉君と三沢さんの画像を見せられたからびっくりしたけど、今は目の前に本物がある。そこまでショックを受けることはないだろう。私はモノカラーを操作して、モノクマファイルを開いた。

 


 

【モノクマファイル①-1)

 被害者:益玉韻兎

 死因 :激しい殴打による脳震盪を原因とするショック死

 死体発見場所:保健室

 死亡推定時刻:23時から24時ごろ

 その他:鼻や口からの出血・嘔吐のほか、後頭部や胸部に軽度の骨折がある。

     モノトキシン2053により激しく衰弱していた。

 

【モノクマファイル①-2)

 被害者:三沢露子

 死因 :連続的な頭部打撲による脳震盪及び脳挫傷を原因とするショック死

 死体発見場所:保健室

 死亡推定時刻:23時から24時ごろ

 その他:顔面に軽度の骨折がある。頭部以外に目立った損傷なし。また、服薬の形跡なし。

 


 

 そこには、二人がどうやって亡くなったかが詳細に記されていた。無機質で、冷酷で、緻密で、生々しい記述だった。それだけに、きっとそこに書かれていることはたくさんの情報が詰まってる。読めば読むほど息苦しくなってくるけど、向き合わなくちゃいけないんだと思う。

 

 「死因はショック死とありますが、要するに益玉君が殴殺で三沢さんが撲殺です。死亡推定時刻や殺害方法からして同一犯による犯行でしょう」

 「お、殴殺と撲殺って……何か違うの?」

 「湖藤君に聞いてください」

 

 私、尾田君に嫌われてるのかな。もう振り向いてもくれなくなっちゃった。

 

 「凶器を使うかどうかの違いだね。つまり、益玉君は殴殺だから素手で、三沢さんは撲殺だから鈍器を使って殺されたってことだ」

 「その違いは重要か?似たようなものだろう?」

 「凶器があるのにわざわざ素手を使う人はいません。殺害の順序は大きな手掛かりになります」

 「三沢さんを殴ったときに凶器が壊れちゃった可能性は?」

 「彼女の傷口にはガラス片などの異物は確認できませんでした。凶器が壊れたなら何かしらの破片が残っているはずです。死体が益玉君から離れていることからも、同じ時間帯でも殺害タイミングにズレがあるのでしょう」

 「なるほど。色々分かることがあるんだな」

 

 尾田君は自分を素人だと言うけれど、素人がちょっと遺体を調べただけでこんなに色んなことが分かるものだろうか。私は生きている人なら、少しお世話をして話を聞けばだいたいのことは分かるつもりだ。だけど遺体のことはちっとも分からない。そんな経験がないからだ。ということは逆に尾田君は──。

 

 「ちょっと失礼」

 「え?うわっ……!さ、狭山さん?」

 

 足下をちょろちょろ動く黄色の物体が、脚の隙間を縫って益玉君と三沢さんにそれぞれ近付く。狭山さんだ。床に散った血を器用に避けて、遺体を触ったり匂いを嗅いだりしてぶつぶつ言ってる。何をしてるんだろう。

 

 「捜査の邪魔をしないでください。なんなんですか」

 「邪魔とは失礼な!あなたのように地道に証拠を集めて論理的な(コン)拠と推測によって犯人を導こうなどという科学的な手法なんて信じられません!前時代的ですね!拙僧がお二人の霊(コン)に直接犯人を尋ねようというのです!」

 「一周した先の世界の話ですか?」

 「(コン)世です!」

 

 何を言い出すのかと思えば、狭山さんは短い手足をバタバタさせながらめちゃくちゃなことを言った。こんなときにふざけてる場合じゃないのに。そんなことができたらこの世から未解決事件なんてなくなる。

 

 「狭山は“超高校級のシャーマン”だからな。自分なりにできることをしようとしているのだろう」

 「気持ちは立派だけど……ちょっと時間が足りなさそうかな。他の方法を試してみたら?」

 「地道な証拠集めを狭山ができると思うか?」

 「してよ……」

 

 希望ヶ峰学園に入学できてる以上、狭山さんのシャーマンとしての才能はきっと本物なんだろう。でも、そんなスピリチュアルなことが本当にできるのかな。かと言って毛利さんの言うとおり、狭山さんに地道な努力を求めるのも無理な話だとも思う。まあ、少しでも力になろうとしてくれてるっていうのは、いいことなのかな。

 

 「狭山には無理だが、私はひとつ証拠を見つけたぞ。一応、共有しておこう」

 「それは?」

 「三沢の近くに落ちていた。赤いのは血じゃなくてもともとだ。倉庫に同じタオルがたくさんあったはずだ」

 

 そう言って毛利さんが取り出したのは、しわくちゃになった真っ赤なタオルだった。一部が黒ずんでいるのは血が染み込んでいるからだろう。その血が染みた部分以外もなんとなく湿っていて、時間が経っているせいか気持ち悪い生乾きの臭いがした。

 

 「なんでそんなものがここに?」

 「それなら、三沢さんがよく使ってたよ。たぶん益玉君に氷枕でも作って持って来てくれてたんじゃないかな」

 「氷枕?なんで三沢さんが?あ、そうそう」

 

 氷枕と聞いて、私はさっき湖藤君から聞きそびれていたことを思い出した。

 

 「私、昨日益玉君の看病するって言って厨房に入ってから記憶がないんだよね。二人とも何か知らない?」

 「覚えてないのか?」

 「覚えてないみたいだね。仕方ないよ」

 「えっ?えっ?なになに?」

 

 乾いた感じで湖藤君が笑う。昨日の夜、自分の身に何かが起きたらしいけど、何が起きたか分からない。それがものすごく気味が悪い。

 

 「甲斐さんね、昨日厨房で酔っ払って倒れたんだよ」

 「…………ん?」

 「酔っ払って、倒れたの」

 「私が?」

 「そ」

 

 酔っ払った、らしい。本当に?本当かな?いやでも信じるしかない。だって酔っ払ったことないから。自分じゃ判断しようがない。

 

 「で、でも私お酒なんて……お水しかなかったよ?」

 「王村さんが、ペットボトルの空き容器に焼酎を入れてたみたいなんだ。で、それを甲斐さんが間違えて飲んじゃった。王村さん、理刈さんにみっちり怒られてたよ」

 「そりゃそうだよ……なんでそんなことしてたの」

 「持ち運びやすいんだそうだ。まったく、血の代わりにアルコールが流れてるんじゃないか?」

 「それはそういう病気だよ」

 「それで、倒れた甲斐さんをみんなで部屋まで運んで、代わりに三沢さんが益玉君の看病に名乗り出たってわけ」

 「……そ、そうなんだ」

 

 それって───と言いかけて、私は口を閉じた。きっと二人は否定してくれる。否定して欲しかった。否定して、優しい言葉をかけてくれるはず。そう考えてる自分に気付いたから。言ってもいいのかどうかは……まだ分からないから。

 

 「後で王村と話しておくといい。ヤツもそれなりに反省しているだろうから、きっちりケリを付けておくことだ」

 「うん……そう、だね」

 「むむっ!」

 

 私たちが話している間に、狭山さんの儀式が終わったみたいだ。二人に近付くときと同じように、戻るときも床の血を避けてするりと私たちの足元に近寄った。

 

 「これは大変なことですぞ!」

 「どうした狭山?犯人が分かったのか?」

 「いえ……残念ながら拙僧、今はこの尋常ならざる姿故に本来の力の半分も出せぬ身。然るにお二人の霊(コン)を降ろすことはできませんでした」

 「なんだったんだ」

 「しかし真実の一端に繋がりそうな重大っぽい事実を発見しました!あれをご覧ください!」

 

 半信半疑だった狭山さんのシャーマンとしての才能がだいぶ疑に寄っていっちゃった。一応、指さされた方を見る。

 

 「益玉さんのご遺体の下に散乱した血(コン)ですが、一部が妙な途切れ方をしています!まるでそこに何かがあったかのような!」

 「あ、本当だ」

 「小さくて気付かなかった。すごいよ狭山さん。よく気付いたね」

 「ふっふーん!どうですか!拙僧にかかればざっとコンなもんです!」

 「おそらく犯人の足にでも血がかかったのでしょう。益玉君は殴り殺されたのですから、これくらいの痕跡が残るのは当然です」

 「ぎゃふん!」

 

 揚々と不自然な血痕を指摘して鼻高々かと思えば、尾田君に一蹴されてずっこけた。というか血痕の手掛かりって、地道な捜査で見つける論理的根拠なんじゃ……。

 

 「今ので拙僧はもう精(コン)尽き果てました……後はお任せします」

 「ちょっと歩き回っただけじゃん」

 

 もうつっこむ気も起きないや。

 

 

 

 『獲得コトダマ一覧』

 【モノクマファイル①-1)

  被害者:益玉韻兎

  死因 :激しい殴打による脳震盪を原因とするショック死

  死体発見場所:医務室

  死亡推定時刻:23時から24時ごろ

  その他:鼻や口からの出血・嘔吐のほか、後頭部や胸部に軽度の骨折がある。

      モノトキシン2053により激しく衰弱していた。

 

 【モノクマファイル①-2)

  被害者:三沢露子

  死因 :連続的な頭部打撲による脳震盪及び脳挫傷を原因とするショック死

  死体発見場所:医務室

  死亡推定時刻:23時から24時ごろ

  その他:顔面に軽度の骨折がある。頭部以外に目立った損傷なし。

      また、服薬の形跡なし。

 

 【真っ赤なタオル)

  医務室の床に落ちていたタオル。三沢が氷枕に使っていたせいか、湿っている。

 

 【三沢の死体)

  頭部を激しく損傷しており強く殴られた痕跡があるが、傷口に凶器の破片は見られなかった。

  益玉の死体からは離れた、医務室の入口付近に倒れていた。

 

 【床の血)

  益玉が寝ていたベッドの下には血痕が散らばっていた。

  散り方は激しいが、致命傷になるほどの出血ではなさそうだ。

  不自然に途切れている部分がある。

 


 

 私と湖藤君は保健室での捜査を切り上げて、他の場所を捜査することにした。事件現場以外にも手掛かりがあるはずだって湖藤君が言うから、思い当たる場所を手当たり次第に巡っていく。まずは、昨日私が倒れた後のことを詳しく知るのと、三沢さんの動向を辿るために食堂に向かった。

 食堂には谷倉さんと長島さん、それから陽面さんと月浦君がいた。陽面さんは俯いて涙を流し、とても捜査ができる状態じゃない。月浦君が横に座って慰めてはいるけれど、この後の学級裁判までに立ち直ることはできるだろうか。

 

 「おっ、奉奉(フェンフェン)厘厘(リーリー)。よく来たネ、いらっしゃい」

 「……」

 

 食堂に入ってきた私たちを見つけて、長島さんは気さくに声をかけてくれて、月浦君は一瞥してすぐに陽面さんの方に視線を戻した。谷倉さんは気付いてないみたいで、厨房の方に消えていった。いつもならみんなで朝ご飯を食べているであろう時間なのに、こんなに寒々しい食堂は初めてだった。

 

 「陽面さん、大丈夫?」

 「ずっとベソかいてるネ。可哀想だけど今はそんな場合じゃないアル。泣いても喚いても分かることはないヨ」

 「はぐは繊細なんだ。お前たちみたいに神経細胞に毛が生えたガサツなヤツらとは違う」

 「え……私たちも?」

 「無駄に敵を増やすことないアルヨ、月月(ユエユエ)。ワタシは陽陽(ヤンヤン)を責めたりしないアル。でも事実は事実ネ」

 「ま、まあまあ長島さん。陽面さんはこんな状況に慣れてないから。二人が動けない分は私たちが代わりに頑張るから」

 「う〜ん、奉奉(フェンフェン)は損するタイプ!間違いないネ!」

 

 なんか変な認定をされてしまった。でもいくら“超高校級”って言ったって、殺人事件のときにできることは普通の高校生と変わらない。ショックで泣くことだってある。むしろ長島さんみたいに事実を事実として受け入れられる人の方が少ないと思う。でも、今のところそっちが多数派か。意外とみんなそうなのかな。

 

 「長島さんはどうして食堂に?」

 「昨日は兎兎(トゥートゥー)以外のみんなここにいたネ。奉奉(フェンフェン)がぶっ倒れたときも犯人はここにいたはずヨ!何か手掛かりがないかと思って探してるアル!」

 「なるほどね。何か見つかった?」

 「あれを見るヨロシ!」

 

 よくぞ聞いてくれましたとばかりに長島さんが部屋の隅を指さした。食堂に設置されているゴミ箱で、駅なんかにあるような投入口付きの蓋と大きな受け箱が付いたタイプだ。ゴミ箱がどうしたんだろう。

 

 「ペットボトルのゴミ箱を見るネ。もうびっくりしたヨ!」

 「なになに……?うわっ、なんだこれ」

 「すごい量だね……」

 

 指示されたとおりのゴミ箱の蓋を開けてみると、目がチカチカして受け箱の深さが分からなくなったような気がした。よく見ると、大量の空きボトルが突っ込んであるだけだった。でもすごい数だ。ボトルの透明さも相まって何本あるか見当も付かない。

 

 「昨日の夜はこんなことにはなってなかったはずヨ!美美(メイメイ)が言ってたアル!」

 「長島さんの記憶じゃないんだ」

 「ワタシはこれを見つけたアル!ふふーん!お手柄ヨ!」

 「そうだね」

 「これ、ミネラルウォーターのボトルだね。冷蔵庫に冷えてるものと同じじゃないかな」

 「そう……かな?あんまり覚えてないや」

 「比べてみよう」

 

 事件前夜にはなかった大量のペットボトルが、事件のあった朝にはゴミ箱に捨てられている。間違いなく事件に関係しているだろうけど、どう関係しているかは分からない。ひとまず捨てられてるボトルからひとつ拾って、冷蔵庫にあるものと比べてみることにした。ついでに、さっき厨房に消えていった谷倉さんに何か知らないか話を聞いてみよう。

 


 

 厨房は昨晩と変わりはなかった。きれいに整えられた調理場は天井のライトを鏡のように反射していて、大きなオーブンや冷蔵庫がでんと鎮座している。昨日の晩ご飯に使った食器はきれいに洗われて食器棚や壁掛けに戻してある。何もかも、昨日までと同じだ。

 

 「谷倉さん」

 

 広い厨房にひとり佇む谷倉さんに、湖藤君が声をかけた。少し肩を跳ねさせて谷倉さんは振り向いた。その顔はいつもと同じ、凛々しくて整った顔立ちだったけど、目元が赤く腫れていた。

 

 「こ……湖藤様、甲斐様。どう、なさいました?」

 「事件の捜査だよ。何か手掛かりがないかと思って」

 「左様でございますか。どうぞ、ご自由にご覧になってください」

 「……谷倉さん、大丈夫?目、赤いよ?」

 

 本当は言おうかどうか迷っていた。こんなときなのに、谷倉さんはあくまで完璧にコンシェルジュであろうとしている。本当は陽面さんと同じように、泣いてしまうほど怖がっているはずなのに。人のいない厨房に来たのは、きっとここが安心できる場所だからだ。私の指摘は、そんな彼女の気遣いとかプライドとかを傷付けてしまうものだったかも知れない。

 

 「大丈夫……では、ありませんね。申し訳ありません。お見苦しいところを」

 「謝ることないよ。あんなの見たら誰だってそうなるに決まってる。谷倉さんだって女の子なんだし、泣くことだってあるよ」

 「……女の子……左様でございます。ですが私はあくまでコンシェルジュ、皆様の快適な暮らしを万全に支えることを第一に考えております。あまり感情を見せ過ぎるのは……」

 「きみなりの哲学ってことだね。うん、いいと思うよ」

 

 重く苦しい口調で谷倉さんが語る。湖藤君は軽い朗らかな口調で返す。谷倉さんの信念は立派だと思うけど、そんな簡単に肯定してしまっていいのか。友達が二人も殺されたのに、人前で泣けもしないことがいいことだろうか。

 

 「考えなんてものは経験の中で変わるものだ。ぼくも完璧なものは美しくて好きだけど、少し緩みがある方が親しみがあってもっと好きだな。どちらにもどちらにしかない良さがあるさ」

 「……ご忠言、ありがたく頂戴致します」

 

 谷倉さんは深々と頭を下げた。まだ少し体は緊張しているみたいだけど、ひとまず気を取り直したみたいだ。この厨房について、いろいろ話を聞かせてもらおう。

 

 「見たところ昨日と違うところはなさそうだね」

 「ほとんどは変わりございません。ただ、丸きり同じかと言うと、そういうわけでもないのです」

 「何かあったの?」

 「いえ、無いのです」

 「無い、というと?」

 「昨晩から無くなったものがいくつかございます」

 

 そう言って、谷倉さんは冷蔵庫に近付いた。大きな扉を開いて中から金属のお盆を取り出す。小鉢がいくつか並んでいるけれど、明らかに不自然なスペースが空いている。

 

 「こちら、朝ごはんにお出ししようと仕込んだ糠漬けなのですが……4皿ほど無くなっておりまして」

 「糠漬け」

 「昨晩準備したときには20皿あったのですが、事件の前後で4皿が消えてしまいました」

 「なるほど」

 「あとは冷凍庫で凍らせていたお水がひとつ。三沢様が氷枕になさると仰っていたので、おそらくその分かと」

 「氷枕……確かに使えるけど、現場にはペットボトルなんて落ちてなかったよ」

 「ふむふむ。そうか……。ちなみにいま、ペットボトルは冷えてる?」

 「はい。お飲みになりますか?」

 「いいや、ちょっと確認させてほしいだけ」

 

 なにがふむふむなんだろう。谷倉さんの証言はつまり、糠漬けも氷枕もどこかへ消えてしまったということになる。氷枕は三沢さんが持って行ったんだろうけど、その三沢さんが殺されていた保健室になかったんだから同じことだ。それに氷枕が事件に関係しているとは思えない。糠漬けだってまさか凶器ってこともないだろうし。

 

 「申し訳ございません。私に分かるのはこのくらいのことです」

 「いやいや。貴重な証言だよ。ありがとう、谷倉さん」

 「湖藤君は何か分かったの?」

 「そうだね。分からなかったことが分かりそうなことになった、って感じかな」

 「んんん?それ、結局分かってないってことじゃない?」

 「そうかもね。一歩、いや、半歩前進ってところだ。それでも前進は前進さ。ぼくは自力じゃただ前に進むのも難しいから、半歩でも大きな前進だよ」

 

 またそういうこと言う、と私は呆れた。湖藤君の自虐的な冗談は、笑えばいいのやら気遣えばいいのやら分からなくて困る。からからと笑う湖藤君の車椅子を強めに押して、私たちは厨房を後にした。

 食堂に出てから、湖藤君は上半身だけで少し振り返って私に言った。

 

 「ぼく、少し調べたいことがあるからここに残るよ。他の場所には甲斐さんだけで調べに行ってもらえないかな?」

 「え、私も残るよ」

 「いや、甲斐さんには他所で分かったことを教えてほしいんだ。ぼくは行けるところが限られてるし、時間もかかるからさ」

 「でも……」

 

 湖藤君を置いていく。ただそれだけのことが、わたしにはなんだか凄く不安だった。なんでかはよく分からない。殺人が起きたから?湖藤君のことが心配だから?ひとりじゃ心細いから?()()()()()で、()()()()()()()()()。なんだろう。ここに残るのは湖藤君だけなのに、なんだか私が私から離れていくみたいな……。

 

 「甲斐さん?」

 「えっ」

 

 ぼんやりした不安が頭で渦巻いていたせいで、湖藤君に袖を引かれるまで呼ばれていることに気付かなかった。

 

 「お願いするよ。甲斐さんにしか頼めないんだ」

 「私にしか……?」

 「そう。こういうときの情報は、正確で客観的でなくちゃならない。信頼できる人にしか任せられないんだ」

 

 直感した。湖藤君は本気で言ってると。いつもの冗談か本気か分からない言葉じゃなくて、本気で思って私にお願いしてる。それを感じ取った私にできるのは、そのお願いを受け止めて、彼の言う通り正確な情報を集めてくることだ。

 

 「そっか……分かった。もし何かあったら、すぐに呼んでね」

 「うん、呼べる元気が残ってたらね」

 

 どうやらさっきの本気の顔はすぐに引っ込んでしまったらしい。またいつもの上っ調子な彼に戻っていた。

 

 

 

 『獲得コトダマ一覧』

 【甲斐の証言)

  早朝に目が覚めた甲斐は、食堂に寄って水を飲んでから医務室に向かった。

  その間、怪しい人影などはなかった。

  益玉と三沢の死体を発見した後は人を呼びに真っ直ぐ寄宿舎に向かった。

 

 【谷倉の証言)

  冷蔵庫と冷凍庫の中が昨日の夜と少し変わっていた。

  朝食の付け合わせにしようと冷蔵庫に冷やしておいた小鉢がなくなっていたことに気付いた。

 

 【空きペットボトル)

  食堂のゴミ箱に大量に詰め込まれていた、中身が空のペットボトル。

  どれも倉庫にあったミネラルウォーターのもののようだ。

 


 

 ひとりになった私は、次にどこを捜査するべきか考えていた。事件現場である保健室と、事件直前に全員が集まっていた食堂と厨房。それ以外に事件に関係していそうな場所、もしくは何かの情報がありそうな場所はどこだろう。

 

 「あ」

 

 思い付いた。事件に関係あるかは分からないけど、何か手掛かりが残っているかも知れない場所。被害者である二人の部屋だ。早速私は、寄宿舎に向かった。

 名案に思えたアイデアは、とっくにみんな考えているらしかった。益玉君の部屋と三沢さんの部屋のドアは開放されていて、それぞれみんなが手分けして捜査しているみたいだった。やっぱり私はこういうときに役立たないのかな。尾田君みたいに積極的に捜査したりできないし、湖藤君みたいに証拠から推理を組み立てたりできない。唯一役に立てそうな手掛かりを集めることもみんなから出遅れてる。

 

 「はあ……」

 「どうなさいましたかな、甲斐さん。ため息など吐いて」

 

 思わず出たため息を聞いていたらしく、庵野君が三沢さんの部屋からぬっと現れた。不意を突かれたからびっくりした。本人には言えないけど、庵野君は醸し出す雰囲気に重力があるような──オーラっていうのかな──気がして、正対するとなんだか圧倒される。

 

 「おっと、愚問でしたね。こんな状況ではため息も吐きたくなるというもの。寧ろ残酷な現実に向き合って捜査なさるその精神力は尊敬に値します。これも愛の力ですね」

 「そ、そんなこと……捜査はみんなやってるし、むしろ私は一歩遅いくらいだよ。落ち込んでても分かることはないから動いてるだけで」

 

 思いがけず褒められてしまった。とっさに私は、長島さんの言葉を借りて謙遜した。謙遜というか、落ち込んでる私を否定したくなくて取り繕った、という方が正しいかも知れない。

 

 「どうぞこちらへ。捜査とはいえ、手前のような者に部屋を調べられては三沢さんも良い気はされないでしょう。同じ女性にお任せします」

 「そういうものかな」

 「そういうものよ。制度として確立してはないけれど、故人のプライバシーだって守られるべきよ。今は人手が足りないから庵野さんにお願いしてたけど、甲斐さんが来たなら協力してほしいわ」

 「理刈さん」

 

 部屋の奥から声がしたと思ったら、机の引き出しやタンスの中まで埃ひとつ見逃さない勢いで理刈さんが捜査していた。どこにどんな手掛かりがあるか分からない以上やり過ぎることはないにしても、さすがにそこまでやるのは効率が悪い気がする。

 

 「私はなんとなく手掛かりがありそうな気がしたから来ただけで……湖藤君に色んな場所で情報を集めてくるように言われたんだ。だからずっとここにいるつもりはないの」

 「そうなの。まあいいわ。ざっと思い当たるところは調べたから」

 「何か見つかった?」

 「いいえ。そもそも三沢さんが殺されてしまったのは完全に偶然だったはずだから、直接的な手掛かりは期待してないわ。あれが元から三沢さんを狙った犯行ではなく、偶然だったということが確認できれば十分よ」

 「説教ではありませんが、理刈さん。甲斐さんの前です。御言葉に気を付けられよ」

 

 部屋の外からの庵野君の忠告で、理刈さんは軽く口元を押さえて私を見た。一瞬なんのことか分からなかったけど、直前の理刈さんの言葉を反芻して気付いた。そっか。三沢さんは確か、厨房で倒れた私の代わりに益玉君の看病に名乗り出たんだっけ。だから三沢さんが保健室で殺されてたのは……本来あそこで死んでるはずだったのは……。

 

 「あっ……か、甲斐さん?その……今のはちょっと言い方が悪かったわね。えっとだから……」

 「ううん。分かってるから……ごめんね」

 

 なんで私、理刈さんに謝ったんだろ。分かんないけど、そう言わなきゃいけないような気がした。

 

 「私こそ……ごめんなさい。うん、甲斐さんには責任なんてないの。ただ事実を確認しただけで、えっと……事実っていうか……」

 「落ち着いて理刈さん。私は大丈夫。三沢さんのことは……後でゆっくり考えるよ。今は、そんな場合じゃない、から」

 「そ、そう?大丈夫なら……いいんだけど……」

 

 三沢さんが殺されたのは……保健室で益玉君の看病をしていたから。益玉君の看病をしていたのは……本来するはずだった私の代わり。私の代わりをしてくれたのは……私が直前に倒れたから。だから、もし私が厨房で倒れさえしなければ……三沢さんは殺されたりしなかった、んだと思う。

 たらればの話をしたって仕方ない。今は他にすべきことがある。そう自分に言い聞かせて、私は益玉君の部屋に向かった。私が益玉君と初めて会ったあの場所。今、そこはモノクマによって開放されていて、芭串君とカルロス君が捜査をしていた。私が部屋の入口に立っていると、気付いたカルロス君が声をかけてくれた。

 

 「やあマツリちゃん。捜査に来たんだね」

 「カルロス君……」

 

 なるべくいつものような明るい感じで話しかけてきたカルロス君だけど、その表情は明らかに曇っていた。思えば、体育館で益玉君が自ら犠牲を申し出たときに一番反対していたのはカルロス君だった。はじめてここに来たとき、モノクマの殺意からカルロス君を救ったのが益玉君だった。その益玉君に犠牲を押しつけることに誰よりも反対していた。それなのに益玉君は殺されてしまった。彼が望んだみんなのための犠牲でもなく、モノクマと戦った末の死でもない。彼が守ろうとした仲間の誰かに殺されてしまった。あんまりだ。

 

 「マツリちゃん。オレなら平気さ。友が死ぬのは……初めてじゃない」

 「え……」

 「たまにあるんだ。プロのマタドールでも、コロシアムの真ん中で闘牛に殺されてしまうことが」

 「そ、そうなんだ……」

 「ああ」

 

 強がりで言っているわけじゃなかった。きっと本当のことなんだろう。でもだからと言って、カルロス君は全てを諦めているという感じでもなかった。

 

 「オレたちも命懸け。牛も命懸け。そのぶつかり合いをお客さんは観に来てるのさ。その中で命を落としてしまうことを、オレたちは覚悟しているさ。だけど……イントはそうじゃない」

 

 その瞳は燃えていた。青い瞳が、強く、濃く、怒りと悲しみに染まって、煮えたぎるように力を宿していた。

 

 「イントはオレたちみんなのために命を懸けた。オレたちはイントに感謝した。殺す理由なんてあるわけがない。イントを殺したヤツだって、イントに助けられてるんだ。オレはそれが許せない。どうして自分を助けてくれた人に、その死に方すら選ばせてやらないんだ。なぜイントの覚悟を無駄にするようなことができるんだ」

 

 それははじめから、私に向けられた言葉ではなかった。誰かも分からない殺人犯に、彼の友人を殺した誰かに向けた、彼の怒りだった。私は益玉君の死に胸を痛めているように、カルロス君は益玉君を殺害した誰かに怒っていた。

 

 「オレはクロを絶対に許さない。もし本当にそんなヤツがいるなら……オレはそいつを殺してしまうかも知れない」

 「そ、そんな……!ダメだよ!そんなことしたら今度はカルロス君が……!」

 「オレはイントに2回も救われた!なのに1度も恩を返せてないんだ!イントが殺されるなんて考えもせず……イントが苦しんでるときに駆けつけてやることもできなかった!」

 「ちょっ、お、落ち着いて……!」

 

 カルロス君はひどく興奮してきて、だんだん声が大きくなってきた。せっかく前向きに捜査していたところなのに、私の余計な一言でそれを掻き回すようなことはしたくない。なんとかカルロス君を落ち着かせて、私は益玉君の部屋の中に入った。

 部屋の中は数日過ごしただけだからか、それとも物が少ないせいか、整然としていてやけに広く感じた。片付いてるというよりは、殺風景だ。本棚にはびっしりと色々なジャンルの本が並んでいて、壁に備え付けてある机の上には何もなく、ベッドはシーツもブランケットもぐちゃぐちゃになっていた。ひとまずカルロス君はベッドに座らせて、一緒に部屋を捜査していた芭串君に状況を聞くことにした。

 

 「ほらカルロス君、ここ座って」

 「ハァ……ハァ……」

 「なにやってんだお前ら」

 「いやちょっと……カルロス君が益玉君のこと思い出しちゃって……」

 「ああそう。まあ、ムリもねえと思うけどな。部屋からは何も出て来ねえし」

 「なにもなかったの?」

 「な〜んも出てこなかったぜ。そもそも物がねえんだここ。あいつ、つまんねえ生活してたんだな」

 

 見たことはないけど、確かに芭串君の部屋は色々と物が多そうだ。私だって過剰に色々揃えてるつもりはないけど、身だしなみの道具とか介護の勉強道具とかはある。それ以外にも趣味に関係するものとか、暇が潰せるようなものとか……。それに比べたら、この部屋はずいぶん物がない。

 

 「益玉君は語り部だったから、本があればよかったんじゃないかな。配信なんてモノクマがさせてくれないだろうし」

 「ふーん。でもま、事件にゃ関係ねえだろ。あいつはずっと保健室にいたんだ」

 

 それを言われてしまったら、私がここに来た意味がなくなる。でも確かに、益玉君は事件が起きるずっと前にここを出て体育館に集まって、そこからはずっと保健室で横になっていたはずだ。その間、この部屋は施錠されていた。事件に関係することはなさそうだ。

 

 「それじゃ、なんで益玉君の部屋の捜査をしてるの?」

 「他の場所が思いつかなかったんだよ。現場はもう何人か捜査してたし、現場以外で事件に関係しそうな場所も分かんねえしな」

 「そっか……」

 

 どうやら芭串君も、私と同じような考えで益玉君の部屋に来ていたらしい。その上、ここには何にも手掛かりがないときた。犯人が証拠隠滅したとも思えないし、ここは事件に関係ないってことか。

 

 「お前もムリすんな。さっきまでぶっ倒れてたろ」

 「あ……う、うん。あんまり、覚えてないんだ。頭も痛かったし、気持ち悪くて」

 「酒飲んだらそうなるよなあ。二日酔いっていうんだろ?」

 「そうなんだ……えっ?なんで知ってるの?」

 「へへっ、まあそういうことだ。理刈には言うなよ。うるせえから」

 

 初日は動揺してたせいかトゲトゲしい人だと思ったし、宿楽さんからは面倒見のいいお兄ちゃんだと聞かされて、今はなんだか不良な男子高校生だ。よく印象が変わる人だと思った。

 もしかしたらそういうものなのかも知れない。私が勝手に人格を決めつけていただけで、誰でも誰かにだけ見せる顔や、人に見せない顔があるものなのかも知れない。だからもしかしたら、益玉君も私たちに見せてない部分があったのかも知れない。それが今回の事件に繋がっていたり……しないとも限らない。

 

 「おーい?だいじょぶかー?」

 「えあっ?う、うん、大丈夫。えっと……とにかく、ここに手掛かりはないんだよね」

 「いいや!きっとある!イントは必ずオレたちに大切な手掛かりを遺しているはずだ!たとえ自分が死のうとも、オレたちのことを心配してくれる。彼はそういう男だった!」

 「うっせ!?なんだよ急に!?」

 「落ち込んでられないということだ!泣いてばかりが友への鎮魂にはならない!そうだろ!?」

 「起伏が激しいヤツだな。そういう病気か?」

 「そういうこと言わない方がいいよ」

 

 やっぱり、私の芭串君に対する印象はあんまり良くない。悪い人じゃないだろうけど、宿楽さんが言うみたいな好感を持てる人かっていうと微妙だ。それはともかく、カルロス君も復活したことだし、私は湖藤君のために情報を集める仕事がある。手掛かりがないなら別のところに行くことにしよう。他に手掛かりがありそうな場所は……もう思い浮かばない。困った。

 

 「ああ。今思い付いた。焼却炉とか、なんか手掛かりあるかもな」

 「焼却炉?」

 「殺人事件っつったら証拠隠滅だろ?証拠隠滅しようと思ったら取りあえず燃やすだろ」

 「なるほど?」

 

 どうせ他に行く宛もないし、地下を捜査しに行った人も何人かいるみたいだ。話を聞くついでにゴミ捨て場の焼却炉も見てみよう。次の目的地が決まった。

 


 

 薄暗い階段を降りて行く。ここはスロープもエレベーターも昇降機もないから湖藤君は通れなかった。だから湖藤君は地下の存在は知っていても直接訪れたことはないし、私も初めて探索したとき以来、あまり立ち入ったことはない。

 地下はやっぱり薄暗くて、狭い空間に扉で仕切られた部屋がたくさんあるから圧迫感があって息苦しい。その息苦しさを突き破って、ゴミ捨て場の方から声が聞こえた。なんだか怒ってるような、弁解するような、そんな声だ。

 

 「今日の当番は尾田だろ?(アタシ)はあいつにちゃんとキー渡したぞ」

 「ふうむ。成程。畢竟(つまり)、開けるには尾田に(たの)むか、鍵を奪うか、()じ開けるしかないと()うことか」

 「岩鈴さん。菊島君」

 「おや、これはこれは。こんな所まで御足勞(ごそくろう)なことだな、介護士(さま)

 「そんな大したことじゃないけど……どうしたの?」

 「さっき来たら、焼却炉に燃えかすが残ってたんだよ。昨日のゴミ当番は(アタシ)だったけど、(アタシ)が使ったときはんなもんなかったって言ってんだ!アンタからもなんか言ってくれよ!」

 「燃えかす?」

 「本來(ほんらい)は燃えない(ごみ)を無理に燃やしたのだろう。恐らく、犯行に使われた何らかの證據(しょうこ)隱滅(いんめつ)しようとした痕跡だろう。おまけに鍵が壊れていた」

 

 シャッターが開いたゴミ捨て場で、焼却炉を前にした菊島君と岩鈴さんが何やら揉めていた。どうやら焼却炉の燃えかすについて、菊島君が岩鈴さんを疑っていたのを、岩鈴さんが躍起になって弁解していたみたいだ。今のところはなんとも言えないけど、岩鈴さんの立場を考えれば……。

 

 「カードキーは尾田君に渡してるんでしょ?」

 「ああ。昨日の晩にドアの隙間から突っ込んだ」

 「雑だなあ」

 「後で尾田に聞いてみれば分かることだ」

 「だったら……燃えかすが見つかったら困るのにカードキーは人に渡さないと思うよ。それに鍵を壊すくらいなら尾田君にキー渡さないって」

 「ふむふむ。そうか。確かにそれは犯人らしからぬ行動だな」

 「そうだろそうだろ!ほら見ろ!」

 「ううん、一筋繩(ひとすじなわ)ではいかないようだ」

 

 言葉とは裏腹に菊島君は笑っていた。説得されたというよりも、自分の考えが正しかったことを確認して満足しているような。よく分からない人だ。そんな菊島君とは対照的に、岩鈴さんは考えと表情が直結していて分かりやすい。

 

 「でも燃えかすがあるってことは、誰かが焼却炉を使ったっていうことだよね?岩鈴さんはきちんとゴミを分別して使ったから燃えかすなんて残らないはずだし……」

 「使った後はちゃんとシャッター閉めたぞ!だから使えたとしたら尾田だけだ」

 「いいや、そうとも限らない。確かにこのシャッタアを開けるにはカアドキイを使うが、强引(ごういん)に開けられないでもない。たとえば、梃子(てこ)などを使えば俺のような(もやし)でも可能だろう」

 「じゃあ、誰にでも開けられたってことか」

 「ふふふ……そう簡単に(とど)眞相(しんそう)ではつまらない。こうでなくてはな」

 

 満足げな笑顔から不敵な笑みへと、菊島君の表情が変わる。命懸けだっていうのにこんな余裕の表情ができるのは、やっぱり物を書く人って普通の人と感性が違うってことなのかな。それでも菊島君が犯人じゃないなら、もうちょっと真面目にやってほしい気もする。

 

 

 

 『獲得コトダマ一覧』

 【焼却炉のシャッター)

  焼却炉の使用を制限するために設置されている昇降式のシャッター。

  通常は鍵を使って開閉するが、鍵が破壊されていて強引に開けられた痕跡がある。

 

 【燃えかす)

  焼却炉の中に残っていた何かの燃えかす。

  もとの形は判別不可能だが、本来は燃えないものを無理に燃焼させたために燃え残ったもののようだ。

 


 

 ゴミ捨て場の捜査はそこそこに、私はあることを思い出して倉庫に向かった。食堂に大量に捨てられていた空きボトルは、確か倉庫にストックがあったミネラルウォーターのものだった。あれが事件に関係しているなら、もしかしたら倉庫に何か手掛かりが残っているかも知れない。うん、なんとなくで益玉君の部屋に行ったときよりはまともな考えができてる。はずだ。

 地下にはあまり来たことがないから、当然倉庫にもあまり入ったことはない。扉を開けるなり部屋中を埋め尽くす棚に視界を奪われて、ミネラルウォーターがどこにあるか見当も付かない。

 

 「あ」

 

 取りあえず倉庫の中を歩き回って探そうとしてたら、遠くの方に丸くて白い影を見つけた。オバケでも出そうな雰囲気だけど、あれは王村さんだ。見かけないと思ったら、こんなところで何をしてるんだろう。あんまり真面目な人じゃないから、もしかしたらサボってたりして。

 

 「王村さん?」

 「っ!お、おお……甲斐か……。あっ、だ、大丈夫……か?」

 「え?……ああ。お酒のこと?もう大丈夫。びっくりしたけど」

 「いやあ……わりいことしたなあ。ヤバいと思って声かけたんだが間に合わなかった」

 

 いつもは朝と言わず夜と言わずお酒を飲んで酔っ払ってる王村さんだけど、さすがに今は素面みたいだ。申し訳なさそうに頭を下げられるけど、私だってよく確認せずに飲んじゃったからお互い様だ。

 

 「次からはちゃんと分かるようにすっから許してくれ、この通り!」

 「そ、そんなに怒ってないからいいよ。私だって確認すればよかったんだから」

 「優しいなあ。甲斐がそう言ってくれりゃあずいぶん助かる。他のヤツらひでえんだぜ。三沢なんて……あっ」

 「三沢さん?」

 

 何か言いかけて王村さんは口を手で塞いだ。これは湖藤君じゃなくても分かる。言いたくないことがあるんだ。しかも三沢さんの名前が出て来たなら、事件に関係することかも知れない。

 

 「三沢さんがどうかしたの?」

 「い、いや……な、なんでもねえ!おいらぁ関係ねえ!」

 「えっ?あ、ちょっと!王村さん!?」

 

 どう見てもなんでもないことない様子だった。けど追及するより先に、王村さんはよたよたと走りにくそうな足取りで逃げてしまった。やっぱり今日も飲んでたのかな。

 

 「何をやってるんだ君らは」

 

 逃げていった王村さんと入れ違いになるように、棚の陰から虎ノ森君が出て来た。薄暗いせいで表情がよく見えないけど、声色からしてかなり疲れてるみたいだ。事件現場から離れたこんな場所まで来て、きっとたくさん捜査をしてくれてたんだろう。

 

 「虎ノ森君……捜査は順調?」

 「いや、ここには何の手掛かりもなかったよ。やっぱり僕も現場を捜査すべきだったけど……尾田君に追い出されてしまってね」

 「尾田君に?どうしてだろう?」

 「さあね。自分が調べると言ってきかなかったんだ。毛利さんと狭山さんが残るって言うから、一応見張りを任せてこっちまで来たんだ」

 「見張りってなに?」

 「見張りは見張りだよ。犯人が僕たちの中にいるのなら、捜査のどさくさで証拠隠滅しようとするかも知れないだろ。検分だって言ってウソを吐くかも知れない。だから二人以上の見張りが必要なのさ」

 「そんなこと……」

 

 ない、とは言い切れなかった。私たちの中に、益玉君と三沢さんを殺害した犯人がいるなら、そして命懸けの学級裁判をすると分かった今なら、虎ノ森君が言うようなことくらいする人がいてもおかしくない。それじゃあ、いま保健室で捜査をしてる尾田君を信じられるかどうか……なんだか疑わしくなってくる。無意識に信じていた情報を疑わなくちゃいけなくなる。足下の支えを失うような……身の置き場がない不安に目と耳を塞がれたみたいだ。

 

 「その点で言うと尾田君は怪しいね。犯人でないなら、あんなに現場の捜査にこだわる必要がない。一応見張りはいるけれど、彼なら二人の目を盗んで何か細工をすることも可能だとは思わないかい?」

 「……」

 

 分からなかった。尾田君が何を考えているのか。虎ノ森君の言葉にどれくらい理屈があるのか。何を信じるべきなのか。何も。分からない。分からないまま、私は倉庫を離れた。なんだか疲れた。結局、ろくに手掛かりは得られなかった。手掛かりがないことも手掛かりだって、湖藤君は前に言っていた。それを報告しに行こう。

 

 

 

 『獲得コトダマ一覧』

 【王村の異変)

  捜査時間中、普段は能天気な王村の様子がおかしかった。

  三沢の話を避けたり、歩き方が覚束なかったり、不審な点が目立つ。

 


 

 私は考えるのが苦手だ。あれこれ考えて最善の道を探している内に、時間は遠慮無く進んで私から選択肢を奪う。ならたとえ最善でなくても、みんなが納得できる妥協点くらいで行動してしまった方がいい。だから深く考えることはしない。私は私が直感で良いと思ったことをする。してはいけないことよりも、しなければ後悔することを優先する。だから考えるのが得意な人に頼るしかない。湖藤君は私の代わりに考えてくれる人だ。だから私の知った全てを、湖藤君に教えよう。

 

 「甲斐さんお疲れ様。ありがとう」

 「ううん。結局、あんまり分かったことはなかったよ」

 「そんなことないよ。甲斐さんがいてくれたおかげで、謎を解く準備ができたよ」

 

 ああ、湖藤君は優しい。何もできなかった私を、優しい言葉と笑顔で肯定してくれる。湖藤君のために頑張って良かったと、そう思える。これで私の役目は終わった。後は、湖藤君が考えて答えを出してくれるはずだ。

 

 『ピンポンパンポ〜〜〜ン!オマエラ!そろそろ捜査は終わったかな?はじめての捜査だから長めに時間をとってあげたけどもう待てません!ただいまより学級裁判を執り行います!至急、校舎内にある赤い扉の奥に集合してください!足下に気を付けるんだよ!うぷぷぷぷ!』

 

 食堂で情報共有を終えた私たちに届くモノクマからの集合命令。校舎内にある赤い扉、今まで存在を無視していたけれど、ついにあの扉が開くみたいだ。ということは、あの向こうには学級裁判の会場があるということか。そう思うと、私たちはいずれこうなることから目を背けていたのかも知れない。だから誰も、あの扉の存在を口にしなかったんだろう。

 

 「甲斐さん、行こうか」

 「う、うん」

 

 いよいよその時が来た。湖藤君は言葉少なに私を促して、私もそれに従った。足取りが重い。緊張や恐怖で心臓が痛いほどに脈打つ。押していく湖藤君の背中を、ただぼんやりと眺めて歩いていた。

 食堂から赤い扉まではすぐだ。その道のりは1分にも満たない僅かな時間で終わるのに、私には遥か遠く感じられた。押していく湖藤君がいつもより重く感じる。体が本能で前に進むことを拒む。それでもモノクマに支配されたこの世界では、行くしかないことも分かっている。ただそこに足を運ぶことが、私にはひどい苦行に思えた。

 

 「わっ。わっ。ちょっと甲斐さん!ストップストップ!」

 「へえっ?きゃっ……え、なに?」

 「あ〜あ、濡れちゃったね」

 

 いきなり湖藤君が焦った様子で声をあげるから、びっくりして立ち止まった。けど遅かったみたい。足下から漂ってくる妙な臭い。目を向けると、何か得体の知れない液体が赤い扉を進んだ先に広がっていた。まるでここに来る人たちを待ち構えるように。

 

 「な、なにこれ……?」

 「なんだろうね。誰がこんなことしたのやら」

 「尾田だ」

 

 慌てて謎の水たまりを通り過ぎて、私たちは赤い扉の奥にある小部屋まで進んだ。そこは何の飾り気も物もない、殺風景な部屋だった。たったいま私たちが通ってきた、いつもの生活空間に繋がる廊下。その反対側は真っ暗な空間に続いていて、キャスター付きの門扉で仕切られていた。既に何人かの人たちが集まっていて、湖藤君の疑問に答えたのは毛利さんだ。

 

 「尾田君?何やってるの?ていうかこれ……なに?」

 「後で説明しますよ。これから学級裁判に挑むのですから、できることは全てしておこうと思いまして」

 「……説明になってないよね」

 「だから後ですると言っているでしょう。アホですね」

 「アホアホ言わないでよ」

 「では阿呆がいいですか。呆け者でもいいですよ」

 

 てんで話にならない。やっぱり尾田君が何を考えてるか分からない。さっきの虎ノ森君の話を思い返して、私は靴の裏にべったりついた謎の液体の正体が不安で堪らなくなった。

 

 「まあ、何か考えがあるなら任せてみようよ。僕は車椅子で通過しちゃったけどよかったのかな?」

 「できればスリッパで踏んで貰えると」

 「分かったよ。甲斐さん、手伝ってもらっていいかな?」

 

 私はこんなに不安なのに、湖藤君はわざわざ尾田君に確認までして自分からその液体を踏んだ。不安どころか、尾田君の意図を汲んでるように思える。私はますます何がなんだか分からなくて、壁際に立つ尾田君となるべく離れた場所にいた。

 その後、来る人来る人みんな尾田君の仕掛けたトラップに引っかかっていた。理刈さんなんかイタズラだと思って顔を真っ赤にして怒ってた。人が死んでるのに不謹慎だって。それでも尾田君は平然として聞き流していた。一体なにがしたいんだろう。

 

 「ハイ!全員揃いましたね!いや〜二人減ったとはいえ18人もの大所帯となると、みんなの動向を把握するのがボクも大変だよ。まあいっか。ここからは楽になる一方だもんね!お正月のおみくじの凶と一緒だね!凶事の後にはお楽しみが待っているんだよ!」

 

 全員が揃ったタイミングで、またどこからともなくモノクマが現れた。相変わらず憎たらしい笑い声をひっさげて、私たちの真ん中でくるくると不愉快に踊る。ここにいる人たちの中で、モノクマだけは唯一心の底から楽しそうだ。

 

 「出やがったなこの野郎……!」

 「で、こんな狭いところで学級裁判とやらをやるのかい?」

 「そんなワケないじゃーん!こんな密閉・密集・密接(みっつみつ)の部屋で飛沫とばしまくりの濃厚学級裁判やったら明日からオマエラ全員個室待機でつまんねーだろ!空気の入れ換えとソーシャルなディスタンスを保持できる環境整えた裁判場にGO TOするんだよ!」

 「ワケの分からんことばかり言って、結局どうするのですか!」

 「つまり、学級裁判には特別な場所を用意しているのです。そっちのエレベーターに乗って裁判場までお行きなさいってこと!いけいけいけいけいけいけいけ!!」

 「おぅごっ!?なんだよ!」

 

 モノクマの言葉とともに門扉が開き、奥の暗い空間に灯りが点いた。およそ20人を収容できる大きなエレベーターゴンドラが現れて、私たちを招くように電飾で煌びやかに照らされた。モノクマは部屋中を無駄にバウンドしながら、私たちをせっつく。異常にテンションが高い。なぜか芭串君が一発もらった。

 不規則なモノクマの軌道をかわしながら、私たちはエレベーターゴンドラに逃げ込む。全員が乗り込んだことを確認すると、門扉はひとりでに動き出す。まるで私たちを日常から連れ去るように、門扉は大きな音を立ててゴンドラとその前の空間を隔絶した。音もなくゴンドラが動き出す。

 遠ざかる日常の灯り。沈んでいく非日常の暗闇。私たちの友達を殺した誰かを暴くために。私たちの命を守るために。私たちは挑む。挑むことしかできない。たとえその先に、絶望しかないとしても。




捜査編です。
過去に2作書いているので、今回ではそこまで奇を衒ったことをはしないで王道でいこうと思っています。まだ一章なので、とんでもないトリックや意外な犯人なんてものは奥の手として後の方にとっておくものです。普通はね。
こんなことを続けていると、もはやどうやって読み手の裏をかこうかと考えてばかりで人を信じられなくなってきます。どう考えてもこんなことにはならない方がいいです。楽しいですけどね。

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