ダンガンロンパメサイア   作:じゃん@論破

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おしおき編

 

 ぱんぱかぱーん、と間抜けな音がする。天井近くの壁から紙吹雪が噴射され、きらきらと目障りに舞って視界を覆う。その中でも圧倒的な存在感を誇る巨大モニターが、私たちの投票結果を映し出していた。虎ノ森君に17票。益玉君に1票。

 

 「うっひょーーーーっ!!だいせいかーーーーい!!“超高校級の語り部”益玉韻兎クンと“超高校級のサンタクロース”三沢露子サンの2人を殺した凶悪な殺人鬼!その正体は……“超高校級のゴルファー”こと虎ノ森遼クンだったのでしたーーーー!!」

 

 裁判場でただ1人、モノクマがだけが愉快そうに声をあげる。私たちの中で、愉快な気持ちの人なんてひとりもいない。みんな沈んだ顔をしていた。いや、沈んだ顔をしているだけだ。殺人が起きたことは間違いない事実で、その犯人は私たちの中にいた。その罪を暴き出す中で私たちは、人を裁くことの苦しみを知った。責任を知った。そして今、私たちは安堵していた。

 いまこの瞬間、私たちは生きている。脳内を支配していた、間違った結論に伴う責任を考えなくてよくなった。そういう安堵感があった。

 

 「どうして……?」

 

 安堵があれば心に余裕が生まれる。余裕が生まれれば他人のことを考えることができる。それに私は知りたかった。なぜこんなことになったのか。どうして益玉君が殺されなくちゃいけなかったのか。どうして益玉君でなくちゃいけなかったのか。

 

 「どうして益玉君を殺したの!!」

 

 私の声は裁判場を微かに揺らし、そして消えた。その声が聞こえているのかどうか、虎ノ森君の表情からは分からない。さっきよりもいくらか落ち着いた様子だけど、まだ顔は青白い。もはや立っていることもままならなくて、証言台にすがりつくように膝を突いていた。その姿はあまりにも惨めだった。

 

 「……どうしてって……どうして、だろうね」

 

 ぼそっ、と虎ノ森君が言った。

 

 「こんなはずじゃなかった……!僕は、彼を殺そうなんて……思ってなかった……!こんなのおかしい……!何かの間違いだ……!僕は……!」

 「間違いじゃありません!益玉クンをぶん殴って殺したのは紛れもなくオマエですよ!虎ノ森クン!この人殺し!」

 「ひっ……!ひと、ごろし……!?ち、ちがう……!ちがうちがうちがうちがうちがうちがう!!僕は人殺しじゃない!!あいつが……!!あいつがウソを吐くから!!」

 「あいつって、益玉くんのこと?」

 「そ、そうだ……!あいつはずっと……僕たちにウソを吐いていた……!!あんなことはあり得ないんだ……!!」

 

 虎ノ森君の言葉は、いまひとつ要領を得ない。益玉君が私たちにウソを吐いていたなんて、いったい何の話だろう。

 

 「僕はただ!!あいつのウソを暴きたかっただけなんだ!!あのウソだらけの言葉を撤回させてやりたかっただけだ!!」

 


 

 半日ほど時を遡る。まだ事件が起きる前、益玉も三沢も、虎ノ森さえも、その後に訪れる悲劇を知らないときだった。すでにほとんどの生徒は自室で就寝し、部屋の外に出ていたのは保健室で寝ていた益玉とその看病をする三沢、食堂でひとり晩酌をしていた王村、そして人目を忍んで部屋の外に出ていた虎ノ森だけだった。

 虎ノ森は廊下やホールに人がいないことを確認していたが、別に隠れていたわけではない。自分の姿を人に見られたくないだけだった。これから虎ノ森は保健室に向かう。それは益玉を殺害するためではない。益玉と話をするためだった。

 三沢が益玉の看病をするという話を聞いていたので出会うかと思っていたが、なぜか保健室へ向かうまでの道のりにも、保健室の中にも、三沢の姿はなかった。しかしそれは虎ノ森にとって好都合であった。なるべくならこれから益玉と交わす言葉は、誰にも聞かれたくなかったし、誰も聞かない方がいいと考えていた。

 

 「……益玉君。起きてるか?」

 

 ベッドの上で穏やかに呼吸する益玉は、昼に体育館で見たときよりは落ち着いて見えた。それでも肌の色は血の気が失せて不健康そうだし、額からはとめどなく汗が流れていた。話しかけてはみたものの、会話もままならないかも知れない、と虎ノ森はすぐに諦めかけた。

 このとき、益玉が虎ノ森の気配に気付いていなければ、違う未来があったのかも知れない。だが、益玉は気付いてしまった。そして虎ノ森に応えてしまった。

 

 「虎ノ森君……?どう、したの……?」

 

 弱々しい、呼吸に紛れて掻き消えてしまいそうな声だった。その一言を発するのでさえも、今の益玉にとっては大きく体力を消耗するものだと、虎ノ森は直感で理解した。それでも、会話ができるなら聞いておかなければならないことが、虎ノ森にはあった。

 

 「別にどうということはないよ。ちょっとだけ話がしたかったんだ。君の勇敢さについて」

 「……?」

 

 益玉は特に言葉を発さなかった。ただ目だけで、虎ノ森の言葉がいまいち理解できないことを示していた。そういうリアクションをするであろうことは、虎ノ森は予想していた。予想できていたからこそ、虎ノ森は軽く笑った。それは、憐憫でもなく、同情でもなく、哀悼でもない。単なる冷笑に過ぎなかった。

 

 「君はすごいね。そんな弱々しい体で、僕たちの窮地を何度も救った。コロシアイには誰よりも反対していたし、僕たちが疑心暗鬼になってしまわないよう、自分から犠牲を引き受けるようなことまでした。モノクマに刃向かったカルロス君の命を救ったし、しかもそれを鼻にかけたりしない。英雄というのはもしかしたら、君のような人のことを言うのかも知れないね」

 「……そんなこと、ないよ。僕は、ただ……みんなが、無事に元の……場所に、帰れる、ように……」

 「もういいんだよ」

 

 それは、ひどく冷たく聞こえた。益玉を労う意図などない。覆せない現実に悔しさを滲ませるものでもない。安らかな眠りを願ってなどいない。ただ冷たく、刺々しく、そして怒っていた。

 

 「……な……に、が?」

 「もうそんな()()はしなくていいんだよ。というより、止めてほしいんだ。僕はそれを言いに来た」

 「やめる……?」

 

 うすぼんやりとした益玉の視界の中で、虎ノ森の目は暗い穴のように見えた。そこに自分が映っていると思うと、益玉は今までより強い寒気を感じた。

 

 「()()()()()()

 「ほん、ね……?」

 「なんでコロシアイに反対するんだ?それが正しいからだろ。なんでカルロスを助けた?それが称えられる行為だからだろ。なんで進んで犠牲を引き受けた?それが同情を引くからだろ。なんで自分の命を省みず他人のために行動できる?それが模範的な行いだからだろ」

 

 その目はまっすぐに益玉に向けられていたが、どこにも焦点が合っていなかった。まるで意思がないような、人の目を模した球体がそこにあるだけのような、無機質な視線だった。

 益玉に向けられているはずの言葉は、ひとつも意味を成さずにその脇をすり抜ける。むしろその言葉を呪詛のように吐き出している虎ノ森こそが辛そうだった。

 

 「お前のしたことは立派だよ。僕にはできなかった。カルロスが殺されそうになったとき、指の一本も動かせなかった。コロシアイになんて興味ないし、誰が死のうと僕には関係ないと思っていたし、今も思ってる。モノクマが寄越した動機だって、自分がビリにならないためにどうするかしか考えてなかった。誰かのために自分を犠牲にするなんて、これっぽっちも考えなかった……それが人間だからだ。僕だけじゃない、みんなそうなんだ。お前だってそうだろ。人に善く思われたいから、善い人だと思われたいから、お前はそういうことをしたんだろ?結局それは偽善だ。本当の善意でやったんじゃなければそれは偽善で、欺瞞で、自己満足だ。そうだろ?」

 

 抑圧していた胸の内を吐き出すように、自分自身に言い聞かせるように、益玉を説得するように、虎ノ森は淀みなく喋る。何一つ隠さない本心を、何一つ偽らない本音を、何一つ繕わない本意を、ただただ益玉にぶつけていく。それが虎ノ森は純粋にそう想っていた。益玉の行いが全て欺瞞であることが、虎ノ森にとっては救いになるのだから。

 

 「だから一言、言ってくれるだけでいい……。本当は今こうして死に瀕していることを後悔しているって。誰かが代わってくれるならそうしてほしいって……!今まで君がしてきたことは全て偽善だって……!!言ってくれ……!!頼む、から……!!」

 

 そうあって欲しいと想いながら。そうであってくれと願いながら。そう言ってくれと望みながら。虎ノ森は益玉に縋った。虎ノ森にとって、益玉はあまりに眩しすぎた。本当に自分の命は二の次で、目の前の仲間を救うために全力を尽くせる人間だと、本気で感じた。だからこそ虎ノ森は、それが偽りであるように祈った。そんな崇高な人間がいることが、虎ノ森には耐えられなかった。

 

 「……とらのもり、くん……!」

 

 ようやく絞り出したような、重苦しい声だった。名前を呼ばれたが、虎ノ森は応えない。欲しいのはたった一言。益玉の[[rb:本音 > こうかい]]だ。苦しみに怯えててくれ。痛みを悔いていてくれ。死を恐れていてくれ。どうか目の前の君が、耐え難い悲愴の中にあるようにと、虎ノ森はその瞬間まで祈っていた。

 

 「ぼくは……!」

 

 死の気配など感じさせないほど穏やかな表情だった。

 

 「ぼくは、まんぞくしてるよ……!みんなが……ぶじに、ここからでられるなら……!」

 

 全身から体温が消え去る。腹から背中へ突き抜けるような痛みと不快感。こみ上げてくる感情が形と重さを持って脳を貫く。虎ノ森は眩暈がした。

 後悔していなかった。こいつは、この現実を受け入れていた。自分が激しい苦しみの末に死ぬことが分かっていても、そのことに一切の悲しみを感じていなかった。今までのこと全てが……肯定されてしまった。

 

 

 「……なんだよ、それ」

 

 

 泣きそうな声だ。

 

 

 「なんでそんなに良いヤツなんだよ……!」

 

 

 震えた声だ。

 

 

 「ふざけんなよッ!!」

 

 

 怒りに満ちた声だ。

 

 

 「あんまりだ……!!こんなの、許せるわけないだろ!!」

 「ッ!!」

 

 堅く拳を握った。それをどうするつもりでもなかった。ただ気付いたときには、益玉の顔を殴っていた。

 

 「言えよ!!苦しいって!!怖いって!!醜く足掻いて偽善者の自分を後悔しろよ!!本当はそんな人間じゃないって!!演じてたんだって認めろよ!!お前みたいな人間なんか本当はいないんだって!!英雄なんて打算と見栄でできてるんだって!!最後の瞬間くらい本性を出せよ!!」

 「うっ……!!あっ……!ま、まっ……て……!」

 「お前がそんなんじゃ……!!お前みたいな善人が本当にいたら……!!僕があまりにも惨めじゃないかッ!!!」

 「ダ……ダメ、だ……!と……キミ、が……!!ろ……!!」

 

 そこから先のことを、虎ノ森は覚えていない。後から冷静になっても、その瞬間、何があったのかを思い出すことはできなかった。だが、その結果だけは痛いほどに分かる。頭から、口から、目から、鼻から、益玉の血が溢れていた。白かった肌は赤紫色のまだら模様に覆われ、か細かった呼吸も止まっていた。たとえそれを見ていなくても、爪が食い込むほど握った手に残る感覚だけで分かった。

 自分が益玉を殺したと。この善人は、最後まで善人のまま死んでいった。それを殺した自分は何か。考える必要もないほど明白だった。そんなことは分かっている。分かっていた。

 

 「……なん、で……!」

 

 虎ノ森は、ようやく理解した。なぜ自分が益玉を殺したのか。なぜ殺すほど憎かったのか。なぜ殺さなくてはいけなかったのか。殺したところで何も変わらないということを。

 これは嫉妬だ。一切の疑いなく善人であった益玉への嫉妬だ。他人のために本気で自分を犠牲にできる善性への嫉妬だ。善人であることを選び、演じ、苦しんでいる自分から、本物の善人への。醜くて、暗くて、陰湿で残酷でちっぽけで悪辣で身勝手で非道で下賤で取るに足らない、徹底的にねじ曲がった嫉妬だ。

 

 「虎ノ森さん?えっ……?」

 

 声がした。誰の声だろうか。自分以外に益玉に用がある人間がいただろうか。虎ノ森は何も考えられない。

 

 「ちょっ……!?益玉さん!?あなた、何をしてるの!?益玉さん!」

 

 駆け寄る声。床に落ちる重たい音。自分はその声にはね除けられて後ずさる。真っ赤な服を着た髪の長い女が、もはやただの物体と化した()()に覆い被さるようにしている。

 

 「そんな……!?う、うそ……でしょ……!?」

 「うそ……だ……!そいつは、全部……!うそなんだ……!」

 「と、虎ノ森さん……あなたがやったの?」

 「……?」

 

 分からなかった。自分がやったのだろうか。三沢の問いに、虎ノ森は答えられなかった。自分が殺したという確信はあったが、それは果たして自分だったのだろうか。益玉への嫉妬にかられた自分を自分と認めることを、虎ノ森は本能的に拒絶していた。自分はそんな人間ではない。そんな人間ではいけない。こんな自分は存在しないはずだ。

 虎ノ森はただ黙していた。だが、三沢にとってはそれで十分だった。何を言ったところでこの状況は覆らない。何も言わなければただそのまま受け取られるだけだ。

 

 「なんてこと……!だ、だれか……!だれか!!」

 「ッ!!」

 

 自分が何を見ているか分からず、三沢の問いに答えられず、何も考えられなかった。それでも、三沢を保健室から出て行かせてはいけないと感じた。追おうとする足で蹴飛ばした固い感触。反射的に拾い上げる。手に伝わる重みに殺意を乗せる。空いた手が逃げようとする三沢の髪に触れた。

 

 「あっ……!?」

 

 痺れるような手応え。確かに何かが破壊された音。益玉を殺したときには感じなかったその力。死の感触だ。ただその一撃で、三沢は人形のように崩れ落ちた。掴まれたままの髪に引かれて首が持ち上がり、不自然な姿勢で虎ノ森の手からぶら下がる。

 虎ノ森は茫然としていた。人を殺した。自分ではない自分とは違う。自分が殺した。はっきりと感じた。人を殺す感触も、人を殺す音も、人を殺す力も。こんなときは、案外冷静になるものだ。虎ノ森は廊下にはみ出た三沢を保健室まで引きずり、適当に転がした。そこで初めて自分が手にした凶器を見た。凍ったペットボトルだ。服が返り血で汚れている。処分しなければ。焼却炉で燃えるか。靴は燃えないから洗わなくては。夜に水は出ただろうか。出なくても飲み水を使えば洗えるはずだ。そこまで考えるのは一瞬だった。

 そして虎ノ森は、証拠隠滅を済ませた後、部屋に戻った。昂揚していた感情はすっかり収まり、手に残っていた益玉の骨が折れる感触は消え去っていた。血の臭いもしない。まるで全てがウソだったかのように、虎ノ森は眠ったのだった。

 


 

 裁判場は静まり返っていた。虎ノ森君の語りはたどたどしくて分かりにくかった。何が主観で何が客観なのか。何が事実で何がまやかしなのか。何が彼の意思で何が彼の意思でないのか。それでも、どうして虎ノ森君が凶行に及んだのか、それだけははっきりした。

 

 「なんだ……それは……!」

 

 悔しそうな声だ。今にも泣き出しそうな、堪えるような声だった。いつもの彼ならたとえ怒ったとしても、もっと冷静かつスマートに怒れただろう。だけど、そんな余裕はもうなくなっていた。証言台を乗り越えて裁判場の真ん中を突っ切り、彼は虎ノ森君の胸ぐらを掴んだ。

 

 「お前はそんなくだらない理由でッ!!イントを殺したのかッ!!」

 

 誰もカルロス君を止めることはできなかった。激しい怒号が裁判場を揺らす。自分に向けられたものでないと分かっていても、その声を聞いた体が勝手に萎縮した。虎ノ森君はカルロス君にされるがまま、だらりと体をぶら下げていた。

 

 「イントはお前みたいな薄っぺらじゃない!!イントは打算なんかで動いちゃいない!!彼はいつだってオレたちを救おうとしてくれてた!!お前なんかが嫉妬できる相手じゃない!!」

 「……僕だって、あいつを妬みたくて妬んだわけじゃない……!あいつがみんなを救おうとすればするほど……あいつが英雄になっていくほど……!自分が、みじめで……!ちっぽけで……!それが、苦しくて……!だから……!」

 「それをイントに押しつけたのか!!お前が苦しいのはお前のせいだ!!お前だけのせいだ!!そうだろ!!」

 「分かってるんだよ!!分かってても辛いんだ!!僕はもう、そういう風にしか生きられないから!!」

 

 カルロス君の怒りに触発されて、虎ノ森君の苦悩が溢れてくる。彼が苦しんでいたのは本当だろう。辛かったのも本心だろう。テレビに映っていた彼は、いつでも笑顔で、明るくて、爽やかで、優しかった。それが、私たちの知る“超高校級のゴルファー”虎ノ森遼だった。

 

 「みんなに注目されてしまったら……みんなに知られてしまったら……!僕はもう、善い人間でなくちゃいけなくなるんだ!人間ができていないと何もかも否定される……!気に入らないヤツは排除される……!少しでもスキャンダルがあれば面白おかしく囃し立てられて消費される……!!実力なんか関係ない!運も関係ない!見た目も実績も経歴も、何一つ無意味なんだ!僕の全ては否定されるんだ!ただ、僕が僕であるだけで!!僕は僕じゃない僕にならなきゃ、誰にも認めてもらえないんだ!!」

 

 それは言い訳なのだろうか。虎ノ森君の生き方は想像するだに辛い。きっと言いたいことを我慢したことも、やりたくないことに耐えたこともあっただろう。本当の彼には耐え難いことをウソの自分に肩代わりさせることは、悪いことじゃない。ただ、彼には本当の自分を認めてくれる場所がなかった。本当の自分が居場所を失い、彼の中で抑え込まれるだけだった。だから益玉君を見て、彼も自分と同じでいてほしいと願ってしまった。信じてしまった。だから……彼は、本当の自分を守っただけなのかも知れない。

 

 「たとえそうだとしても」

 

 湖藤君が言う。虎ノ森君の気持ちを考えていた私は、その声で一気に正気へと引き戻される。彼の吐き出す言葉にあてられて、私は虎ノ森君に同情していた。

 

 「益玉くんを殺す理由にはならない。きみが押し殺していた自分はきみだけの問題だ。そして、益玉くんならきっと……本当のきみを受け入れてくれたよ」

 「……?」

 「たとえきみの本性が嫉妬深くて人間として不完全だったとしても、益玉くんはそれを否定したりなんかしなかったはずだ。きみは彼を殺すんじゃなく……彼に全てを話すべきだった。そうすれば……こんなことにはなっていなかった」

 「……うぅ……!くっ……!」

 

 虎ノ森君が涙を流す。彼を掴んでいたカルロス君が手を放すと、虎ノ森君はへなへなとその場に崩れ落ちた。

 そうだ。私もそう思う。きっと益玉君は、虎ノ森君の本当の姿を知ったとしても笑ったり拒絶したりなんかしなかった。戸惑うことはあっても、最後には受け入れてくれたはずだ。益玉君こそ、虎ノ森君が求めていた本当の自分の居場所になってくれる人だったはずだ。それを彼は……自分で破壊してしまった。ちっぽけで醜い嫉妬によって。

 

 「さ、話は終わったかな?」

 

 場違いなほど能天気で明るいモノクマの声。それを聞いた私たちは、なぜか悪寒が走った。本当ならモノクマに怒ったり、不快になったりするんだろう。いつもならそうだ。でも、今のモノクマの声は私たちにそうさせない力があった。不気味なほど能天気で、恐ろしいほど明るくて、残酷なほど無邪気な、子供のような声だ。

 

 「終わりにするわけないだろう……!これくらいでこいつの何が許されるっていうんだ!!」

 「なんで仲間が殺されたのかも分からないまんまじゃ、あまりにもオマエラが可哀想だと思ったから、じっと我慢して虎ノ森君に話をさせてあげてたんだよ。後はボクのやりたいことをきっちりやって終わり!そうでしょ?」

 「な、何を言って……?」

 「おしおき、ですか」

 「おし……そ、それって確か……処刑?」

 「はっ……!?」

 「うぷ♬」

 

 こんなときでも至極冷静に尾田君が呟く。おしおき、処刑……確かに、モノクマはそんなことを言っていた。学級裁判でクロが勝てばクロ以外の全員が、クロが負ければクロが、おしおきという名の処刑を受ける。つまり……モノクマに殺される。

 そう。私は分かっていたはずだ。捜査をしている最中もずっと。裁判場へ向かうエスカレーターの中でも。裁判をしている時も。負ければ死ぬ。それを理解していたはずだ。どうして今、私はそれを忘れていたんだろうか。どうして……忘れていればよかったと思ってしまったんだろうか。

 モノクマがにやりと口角を上げた。それを合図に壁の向こうから、黒々しい金属のアームが伸びてきて虎ノ森君の腰を掴んだ。

 

 「うっ……!?な、なんだ……!?離せ!!離せえええっ!!」

 「こらこら暴れないの。連行中は手や足を伸ばさない方がいいよ。吹っ飛んじゃったら格好が付かないでしょ」

 「ふっ……!?」

 「さあさあそれではお楽しみのおしおきタイムですよ!今回は、“超高校級のゴルファー”虎ノ森遼クンのために〜〜〜!ぁスペシャルな!ぅおしおきを!ぃ用意しました!」

 「あ、あなた何をする気!?処刑なんて……そんなこと認められるわけないでしょ!!彼は人を殺したけど、そんな簡単に死刑なんて……!!」

 「はあ?とんでもない!簡単じゃないよ!」

 

 虎ノ森君が必死に暴れる。その様子を見ていた私たちは、それだけで何か恐ろしい気配を感じた。これから何が起ころうとしているのかを予感しているのか、虎ノ森君の姿を見ることさえ辛くなる。理刈さんが果敢にモノクマに抗議する。でも、モノクマは意に介さない。

 

 「刑死というのは簡単なことじゃありません!一時の感情に任せた獣のような殺人とは違うのです!徹底的に論理的そして理性的に執り行われる、公正かつ厳粛な、紛れもない人間による殺人なのです!それを決定することも実行することも、決して簡単なことじゃないのです!」

 

 突然、モノクマが講釈を始める。それは尤もらしく聞こえた。こんな間の抜けた見た目と声なのに、この場を支配する威圧感があった。

 

 「だからこそオマエラは理解しなければいならないのです!これから虎ノ森クンが処刑されるのはなぜなのか!益玉クンと三沢サンを殺したから?クロだとバレたから?そういうルールだから?全て言い訳です!なぜ彼が処刑されるのか!それは──!」

 

 取り出したハンマーをモノクマが高々と掲げる。私たちの視線は全てその先に集中していた。まるでモノクマの次の言葉を待つように、裁判場はすっかり静まり返っていた。それを聞いたらいけないと、私の直感が激しく告げていたのに。

 

 「()()()()()()()()()()()()()だよ!!」

 

 ぴこっ、という音がした。おもちゃのハンマーでおもちゃのボタンを叩いたような、軽々しくて安っぽい電子音。だから、それが処刑を始める合図だったなんて、その時は誰も考えていなかったと思う。

 だけどボタンを押すと同時に、スクリーンには巨大なドット絵のアニメーションが表示された。真っ黒の画面を裂くような赤い背景と、その中央に立つ虎ノ森君のような格好をしたキャラクター。画面の左からモノクマを模したキャラクターが歩いてくると、虎ノ森君を引きずって画面の外へ消えていった。

 


 

【GAME OVER】

トラノモリくんがクロにきまりました。

おしおきをかいしします。

 

 

 

 照明の落ちた学級裁判場には18の影が立つ。自分の指さえ見えない暗闇の中に、薄明かりに照らされた益玉韻兎と三沢露子の遺影だけがぼんやりと浮かんでいた。

 その暗闇を穿つように、不意にスポットライトが光る。白い光が裁判場に立つ影の姿を明らかにした。まるで誰かを捜すように、スポットライトは白い光を投げかけていく。そして最後のひとりが残ったとき、落ちてきた灯りは真っ赤に染まっていた。不気味な灯りが照らし出したのは、金属アームに腰と首を固定された虎ノ森遼だ。

 途端にアームは壁の中へ去って行く。虎ノ森は踏ん張ることもできず、猛烈な力で壁の中へと吸い込まれていった。荒々しい連行だった。壁や天井にぶつかりそうな勢いで振り回される。床に近付いたとき、虎ノ森は靴のかかとで必死にブレーキをかける。だがそれもまるで効果を成さない。どこへ連れて行かれるのか。何をされるのか。虎ノ森は分からない。分かるのは、その結末だけだった。

 

 「うぐっ……!?」

 

 唐突に視界が開けた。目に突き刺さるような眩い光は、ここ数日見ることのなかった太陽光のように思えた。ここは建物の外な目の前に広がるのはよく整えられた芝と、それを扇形に望む3階建ての建物。パーテーションのひとつひとつにモノクマがいる。両側を背の高いネットで仕切られ、建物から遠ざかるにつれ丘ができている。虎ノ森が連行されたのは、その丘の中央に立つ長い鉄の柱だ。全身に巻き付いた鎖と固定具で、両手首を胸元に、足は真っ直ぐに固定される。真下には、ゴルフカップにしてはやや大きめな穴が開いていた。

 まるで虎ノ森に見せつけるように、建物の屋上に設置された巨大な電光掲示板に文字が流れてくる。

 

 

[ホール・イン・ワンハンドレット

“超高校級のゴルファー 虎ノ森遼”処刑執行]

 

 

 虎ノ森の真正面、1階でクラブを構えるモノクマは、まるでプロゴルファーのような出で立ちだ。虎ノ森までの距離と風向き、グリーンの状態をよく観察し、ほどよい力加減になるようにクラブを握り直す。そして大きく振りかぶり、スイングした。

 力強く空気を切る音とともに、ボールはぽてんと目の前に転がった。とんでもないボテンショットである。施設中がぽかんと口を開けた。だがその球を打ったモノクマだけはにやりと笑う。それが合図のように、ボールは急速回転を初めた。激しく芝を抉りながら回転するボールは、虎ノ森へ真っ直ぐ加速しながら火花を散らしている。

 同時に、腹の底に響くようなブザーが鳴った。目の前の一球を見ていた虎ノ森が顔をあげる。そのブザーに合わせて他のモノクマたちが打った球が、一斉に降り注いできた。

 

 「うぐっ──!!?」

 

 手に持てば軽いゴルフボールも、高速で撃ち出されたそれは虎ノ森の体を破壊するのに十分な威力を持っていた。肩に当たれば骨を砕き、腹に当たれば内臓を潰し、額に当たれば頭蓋を割る。一撃一撃が致命的な威力を持つ球が、絶え間なく無数に襲いかかる。

 虎ノ森は声を上げることすらできない。口を開けるための顎が砕かれた。声を出すための喉が潰された。音を乗せるための呼吸が阻まれた。何が起きているのか知るために目を開けることもできない。ただただ一方的な暴力に打たれ続ける。ただただ全身を重い一撃で破壊され続ける。ただただ死に近付いて行くことを実感している。

 再び鳴り響く全身に響くブザー。破壊の雨は唐突に止んだ。もはや固定具がなくても指一本動かせない。骨も筋肉も意識も砕き尽くされた。ようやく虎ノ森は、薄く目を開けた。足下には赤い閃光が見える。それが何か虎ノ森は分からない。ただ、それで全てが終わることだけは直感した。

 

 モノクマによる最初の一打が虎ノ森の足下に到達した。激しい火花を散らしながら突き進んだそれは鉄の柱に激突すると、目を突き刺すような光を放った。視界を奪われた後に届く轟音。そして熱。まるでそこだけ地獄が漏れ出したかのような、どす黒い煙と巨大な火柱が現れた。

 全ては一瞬だった。噴き出した炎はたちまち掻き消え、黒煙が分厚く空を覆う。真っ赤になるほど熱された鉄の柱。それに括り付けられた、黒い塊。

 つなぎ止める鎖も焦げ落ち、その塊はカラカラと軽い音を立てて崩れ落ちた。そこには何の重みも尊厳もない。人一人分の大きさの炭が真下のカップに収まってしまった。

 


 

 「エックスットリィィーーーーーーッム!!!あーっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!!これだよこれこれ!!これがなくっちゃね〜〜〜〜〜!!」

 

 目の前で起きたことが信じられなかった。理解できなかった。私たちの視線はなぜかそこから逸らすことができず、最後の瞬間まで瞳に焼き付けてしまった。さっきまで私たちと同じ空間にいた彼が、昨日の晩まで一緒にご飯を食べていた彼が、私たちの隣で作り笑いを浮かべていた彼が、小さな黒い塊になってカップの中に仕舞われてしまった。それは彼の才能を侮辱するゴルフカップで、彼の死を嘲笑う骨壺でもあった。

 

 「なっ……!!なんじゃこりゃああああああああああっ!!?」

 「こ、こんな……!こと……!あり得ない……!こんなの、処刑じゃない……!!」

 「いいや、処刑だよ。これこそがオマエラの選んだ未来。オマエラの選んだ結末。オマエラの選んだ犠牲なんだよ」

 

 虎ノ森君の恐怖に歪んだ表情が瞼の裏に浮かぶ。彼の体がボロボロに破壊されていく様が頭の中で繰り返される。一瞬にして彼が消し炭になってしまう光景がこびりついて離れない。虎ノ森君が殺された。モノクマに。そしてそれは……私たちが選択した結果……。

 

 「わ、私が……虎ノ森君を……」

 「いいや、それは違うよ」

 

 私の肩を叩く優しい声。呪いのようにのし掛かるモノクマの言葉を払いのけた。彼は、いつでもそうあるように、誰よりも真っ直ぐで、誰よりも穏やかで、誰よりも冷静に、状況を理解していた。

 

 「虎ノ森くんが殺されたのは、モノクマ、お前がそれを決めたからだ。ぼくたちは自分の身を守る選択をしたに過ぎない。ぼくらが選んだ未来は、ぼくたちがこれから生きていく未来だけだ。だから──」

 

 最後の言葉だけは、モノクマじゃなくここにいるみんなに向けての言葉だった。

 

 「みんな、思い詰めちゃいけないよ」

 

 きっと、湖藤君には分かってたんだろう。私たちの結束なんて緩いものだと。一度誰かが事件を起こせば、モノクマがその隙を突いてさらに私たちの感情を煽る。きっと昨日までと今日からでは、事件が起きる可能性が何パーセントも違うんだ。

 だからこそ、彼はそう言った。私たちがモノクマに惑わされてしまわないように。益玉君と三沢さん、そして虎ノ森君の死を、これ以上モノクマに利用されないように。

 

 「うぷぷ♬まあいいさ。これからオマエラにはもっともっとひどい目に遭ってもらうんだからね!もっともっと絶望的な出来事がやってくるんだからね!そうなったとき……果たしてオマエラは耐えられるのかな?うぷぷぷぷ……想像しただけで面白くてたまらないや!あーっひゃっひゃっひゃ!」

 「この野郎……!」

 「堪えて、芭串くん。今はまだダメだ」

 

 危うくすれば壊れてしまいそうな精神状態だったと思う。湖藤君の温かい言葉がなかったら、私は虎ノ森君を処刑してしまった罪悪感でどうなってしまっていただろう。その場の全員がモノクマの言葉に囚われていたときに、湖藤君だけは冷静に事態を把握していた。

 湖藤君がいなかったら……湖藤君がいないと……私は、私たちはどうなってしまうか分からない。

 

 「モノクマ。きみは、ぼくたちに何をさせるつもりなの?」

 「何をって?やだなあ、湖藤クンったら。そんなの決まってるじゃない!」

 

 彼の質問に、モノクマはとびきりの悪意で答えた。

 

 「“絶望”だよ。この世界の全てを憎むくらい、この世界の全てを呪うくらい、この世界の全てを悔いるくらい、徹底的に絶望してもらうんだよ!うぷぷぷぷ!」

 「ぜ、絶望……!?なにそれ……?意味分かんない……!」

 「希望の象徴であるオマエラに最大級の絶望を味わってもらう。取りあえずは、それがボクの目的かな!希望と絶望は表裏一体なんだ……!大いなる希望の影には、大いなる絶望があるんだよ……!」

 

 裁判場に響き渡るぐらい大きな笑い声をあげながら、モノクマは去って行った。後に残された私は、気が付いたら虎ノ森君が吸い込まれていった壁を見ていた。あの向こうで、彼は殺されてしまった。分厚い壁は現実と非現実を隔てる壁のようで、その奥がさっきまでモニターに映し出されていた処刑場だなんて信じられなかった。

 残された私たちは、モノクマが残した言葉の意味を考えていた。私たちを徹底的に絶望させることに、何の意味があるというんだろう。私たちが絶望しきったその先に、いったい何が待っているんだろう。

 考えていても暗くなるばかりだ。それよりも、今は彼に感謝しよう。虎ノ森君を目の前で喪ったことの整理がまだ付かない。今の私たちには休息が必要だ。

 

 「湖藤君……ありがとう」

 「うん」

 

 誰とも言わず、みんながバラバラにエレベーターへと向かった。この場所に居続けることが耐えられなかったんだと思う。()()()()()が乗り込むと、エレベーターは扉を閉めて動き出した。そこから元の場所に戻るまでの道のりは、あまり覚えてない。その過程が真っ暗だったからじゃない。私はその日、2人も人が殺されたことと、私たちの目の前でまた1人殺されたことを、忘れてしまいたかったんだ。こんな重荷は、背負いたくないと思ったんだ。

 


 

 学級裁判──校則から、殺人発生後に何かしらのイベントがあるとは思っていたけれど、あれは少し想像を超えていた。想像を超えて、みんなの精神に与える影響が複雑だ。お互いの顔が見える状態で、お互いを糾弾し合い、お互いを庇い合い、お互いを処刑台へ送り込む。誰と誰が繋がっていて、誰と誰が敵対していて、誰がどんな秘密を抱えていて、誰がその事実をどう考えるか。これ以上ないほどありありと、そして高速に情報が飛び交う。

 そしてその後に待ち受けていたあの凄惨な処刑。あれはきっと虎ノ森君をいたぶるだけじゃなくて、それを見ていたぼくたちに対する牽制だ。生半可な殺人は許さない。やるなら徹底的にやれ。そういうモノクマからのメッセージだ。ある程度の人には、殺人への牽制になるだろう。でも、そうは受け取らない人もいるはずだ。

 

 「ねえ、尾田くん」

 

 彼は裁判場から寄宿舎に戻らず、保健室に寄っていた。もちろん、怪我をしたり具合が悪くなったせいじゃないだろう。ぼくは甲斐さんが部屋まで送るというのを丁重に断って、尾田くんの後について保健室に来ていた。

 ぼくが声をかけると、彼は意外そうな顔で振り向いた。きれいな──ごみ一つ、血の一滴、死体なんてどこにもない、きれいな保健室の中で。

 

 「なんですか」

 「お礼を言っておこうと思ってさ。きみがいなかったら、ぼくらは正しい犯人を指名できなかったかも知れないから」

 「……あなたは人のウソを見抜くのは得意なようですが、ウソを吐くのはヘタクソですね」

 「そうかな?半分は事実だけど」

 「人を騙す気がないからです」

 

 ウソというか、軽く言葉を交わす上でのフックみたいなものだったんだけどな。彼はどうにもぼくたちに距離を作りたがるから、少し話しただけじゃ内面が分からない。彼の()()()()()も。

 

 「じゃあ本題。きみには、甲斐さんの助けになってあげてほしいんだ」

 「はあ?」

 「甲斐さんの助けになって──」

 「聞こえてます。意味が分からないんです」

 

 冗談のつもりなのに、尾田くんは本気で苛立って訂正してきた。ううん、友達を作るには冗談を言うのがいいって本に書いてあったんだけど、あんまり上手くいかないなあ。甲斐さんも笑ってくれないし。

 

 「ごめんね。でも助けになってあげてほしいっていうのは、そのままの意味だよ。彼女の気持ちを支えてあげてほしいってこと」

 「支えるもなにも、必要ないでしょう。むしろ助けが必要なのはあなたでは?」

 「それは足的な意味で?」

 「他になにか?」

 「……うん、ないね。まあ助けてもらってるのはそうなんだけど、それが危ういっていうか」

 「“超高校級の介護士”の手助けが不満なら、僕にどうしろと」

 「そうじゃなくてさ。彼女はきっとぼくを助けることで自分を保っているというか……“超高校級の介護士”っていうアイデンティティに固執してる節があるんだよね」

 「はあ」

 「うわあ、興味なさそう」

 

 ものすごく嫌そうな顔をされてしまった。尾田くんこういう話とか本当にどうでもいいと思ってそうだもんね。だけど、彼は能力がある人間だ。それは学級裁判で人を追い詰めるだけの力じゃない。人を観察し、人をよく知り、人を動かすことができる能力だ。たぶん()()()()()も、そんな感じのことじゃないかな。指揮官とか。

 

 「結局、僕にどうしろと?支えると言っても具体的に何をすればいいのか分かりません」

 「具体的か……たとえば、ぼくがいなくなったとするでしょ」

 「はい」

 「そこはあっさり受け入れるんだ」

 「自分が言ったんでしょう。なんなんですか」

 「まあいいや。ぼくがいなくなったとして、甲斐さんはどうなると思う?知りませんよ、はナシね」

 「……」

 

 嫌そうな顔が嫌な顔になってしまった。

 

 「どうですかね。助けるべき相手がいなくなって大慌てするんじゃないですか」

 「ぼくもそう思う。慌てるだけならまだしも……場合によっては壊れちゃうかも知れないね」

 「だからなんなんです?大勢の中のひとりが発狂したところで、そんなのに構っていられる状況ではないでしょう」

 「いいや。大切な支えを失った人間ほど、何をするか分からないよ。失うものがない人間ほど、何をしてもおかしくないんだよ」

 「だからあなたは、彼女の助けを甘んじて受け入れていると?本当は必要ないのに」

 「実際助かることは助かるからね。みんなの実益とぼくの実益、そして彼女の実益がちょうど合致してるだけさ」

 

 実際のところはただ彼女の厚意に甘えていただけなんだけど、近くで彼女のことを見ているうちにそのままでいた方がよさそうなことは分かった。だからウソじゃない。尾田くんは相変わらず嫌な顔をしていたけれど、ぼくの話に一定の理解は示してくれたようだ。

 

 「まあイレギュラーを起こされるよりはマシだとは思いますが、わざわざ裁判後に秘密の話し合いをするほどのことですか?」

 「なるべく早い方がいいと思ってね。本当に殺人が起きてしまった以上、ぼくがいつ死んじゃうか分からないから」

 「僕は甲斐さんの暴走よりもあなたの方が不気味です。くれぐれもその発言は、ここ以外ではしない方がいいですよ」

 「心配してくれてるの?」

 「本気にしたバカがあなたを狙いに来ますから」

 「うわあ、脅迫混じりの嫌みだった」

 

 本当は共同戦線を張るくらいになりたかったんだけど、ぼくの言い方がまずかったのかすっかり嫌われてしまった。元から人を信用したがらない尾田くんだから嫌われるのも想定内だったけど、さすがにちょっと考え無し過ぎたかな。人と仲良くなるって難しいな。

 

 「まあとにかく頼りにしてるよ、尾田くん。人を動かすのは、きみの得意とするところでしょ?」

 「……なんのことでしょう。僕は密偵ですから、自分で動く方が得意ですね」

 「ああ、そうだったね。そうそう」

 

 彼の才能について話そうと思ったけど、すげなく突っぱねられてしまった。まだそこまで踏み込めるときじゃないか。何事もゆっくり丁寧に。時間をかけて、少しずつ解き明かしていくのが大切だ。尾田くんの秘密も、甲斐さんの本質も、益玉くんが知っていたことも、このコロシアイの目的も。

 

 「さて」

 

 ぼくは自分で車椅子の車輪を回して、個室に戻った。モノクマもこの辺りは気を利かせてくれたのか、ぼくの部屋だけはスライド式になっている。用意されたベッドも脚が短くて車椅子から移りやすく、リクライニングもついた上等なものになっている。ぼくだけ特別扱いみたいで、なんかちょっとみんなに悪いな。

 やっとの思いで体を拭いてから着替えを済ませ、ぼくはベッドに横になった。まだ早いけれど、今日はもうみんな疲れて部屋に戻ってしまった。ぼくひとりじゃ色んなところへ行けても何をするにも不自由するから、みんなが寝ていたらぼくも寝るしかない。ベッドに寝転がって、ぼくは部屋の電気を消した。

 

 「明日も起きられるといいな」

 

 寝ている間に殺されることがないよう祈りながら、ぼくは眠りに就いた。




これにて一章が終了です。長いようで短いようですね。
まだまだ彼ら彼女らのコロシアイ生活は続いていきます。
今後ともよろしゅう

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