ダンガンロンパメサイア   作:じゃん@論破

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第二章 響く喇叭は狼の遠吠え
(非)日常編1


 

 昨日は何をしていたっけ。思い出せない。思い出したくもない。言葉にできない。ただ映像だけが繰り返される。

 保健室で倒れている血まみれの2人。互いを糾弾し合う円形の裁判場。激しい火柱の中で骨も残さず消えたクロ。地獄のようだ。肉体的にも、精神的にも、これを現実だと受け入れられない。受け入れたくない。こんな生活を延々と繰り返していくなんて考えただけで、頭がおかしくなりそうだ。夢の世界に引きこもっていたい。

 それでも朝はやってくる。体はそれを感じ取って、起きたくもないのに脳が稼働を始める。そうしたら私の意識は両目に張りついて、外の世界を求め始める。

 

 「……」

 

 どれくらい寝ていただろう。昨日はみんなさっさと部屋の中に戻っていったから、いつもより長いはずだ。だというのに、体にのし掛かった疲れはちっとも消えていない。頭のてっぺんから足の先まで、気持ち悪い汗がベタベタと服を貼り付ける。

 まだ集合時間には早い。シャワーを浴びて一度さっぱりしてから行こう。それから食堂に寄る前に、湖藤君を迎えに行ってあげなくちゃ。

 

 「うぅ……」

 

 汗を吸って重くなったシャツを乱暴に脱ぎ捨てて、私はシャワー室に入った。ハンドルを捻るとお湯が降り注いで、体中からイヤなものを流し去ってくれるような気がした。

 さっと洗い流してから、私はタンスの中に用意してあった替えの服を着て、湖藤君を迎えに行った。彼の部屋はみんなと違ってドアがスライド式で、ベッドも低くなっている。足の悪い彼のために、モノクマが気を利かせたんだろうか。もうここに来てから数日経つというのに食糧は一向に減る気配がないし、腐ったりもしない。コロシアイ以外では本当に至れり尽くせりだ。

 

 「湖藤君。おはよう」

 「ああ、甲斐さん。おはよう。いま開けるね」

 

 ドアをノックして中の湖藤君に声をかける。今の私の気分とは裏腹に、ドアの向こうから聞こえる声は明るくて軽い。ドアが壁の中に吸い込まれていくと、車椅子に乗った湖藤君が目の前にいた。どうやら出掛ける準備は万端らしい。

 

 「毎朝ありがとう」

 「ううん。私にできるのはこれくらいだから。湖藤君には助けられてるし」

 「そうかもね。それじゃ、今日も食堂までお願い」

 

 湖藤君なら、今の私が気落ちしてることくらいお見通しだろう。敢えてそれを指摘しないのは、彼なりの優しさなのだろうか。きっと他のみんなも、昨日の今日で気持ちを切り替えられるわけもない。辛いし、悲しい。それでも私たちは、また新しい1日を過ごさなくちゃいけない。彼らの死を乗り越えていかなくちゃいけない。この空間で残酷なのは、モノクマだけじゃない。

 

 「おはよう、みんな」

 「あっ!まつりちゃん!りんさん!おはよー!」

 

 食堂に入ると、もうほとんどの人は起きていて席に着いていた。みんな昨日は早く寝たから、いつもより早く目が覚めたんだろう。あと来てないのは、いつも寝坊してくる尾田君と狭山さんだけだった。そんなことを考えながら席に着くと、ちょうど尾田君がやってきた。相変わらずパーカーのフードを目深に被って、不機嫌そうな顔をしている。

 

 「尾田くん、おはよう」

 「……おざいぁす

 「声が小せさいよ尾田!しゃきっとしな!いつまでもしょぼくれてる場合じゃないんだよ!」

 「別にしょぼくれてるわけじゃないですよ。あなたたちみたいに朝っぱらから無駄にエネルギーを消費する非効率な生き方をしないだけです」

 「そんだけ嫌みがつらつら出て来るなら大丈夫ね。早く席に着いてちょうだい」

 

 みんな、一昨日の朝とそんなに変わった様子はない。無理して元気を振り絞ってる、はずだ。昨日あんなことがあって、誰もなんとも思ってないはずがない。だけど暗い気持ちになったらそれこそモノクマの思う壺だし、ますますみんなの絆がもろくなる。ここにいる全員、それを分かってるんだ。

 それでも、3人も人が減った事実は変わらない。いつもは埋まっていたはずの席が空になっている。その寂しさは、目を背けていても感じ取れるものだった。みんなの声が一瞬止んだ隙を突いて、重苦しい空気が一気に食堂を包み込んだ。

 

 「……狭山さん、遅いですね」

 「いつものことだ。みんなが早いくらいだ」

 「もういい。来ないヤツのことなんか放っておいて朝ご飯にしよう。はぐがお腹を空かせてる」

 「ぐーぺこりん……」

 「冷たいなあ月浦クンは。そうやって協調性なく生きてると損するよ」

 「ふん、そんなもの……うわっ!?」

 「おぎゃあああっ!!モ、モノクマ!!」

 

 いつの間にか当たり前のようにそこにいたダミ声に、一瞬全員の理解が遅れた。すぐ近くにいた月浦君と宿楽さんが跳び上がるようにして席から離れ、他のみんなもモノクマに向かって身構えた。私も思わず席を立って湖藤君の前に立つ。

 

 「な、なにしに来やがったこの野郎!」

 「オマエラ!おはようございまーーーす!昨日は良い夢見られたよね?悪夢みたいな現実に比べりゃ大抵の夢は良い夢だからね!あーっひゃっひゃっひゃ!」

 「朝からそんな嫌みを言うために来たの?」

 「そんなわけないじゃん!ボクだって暇じゃないんだから、用がなきゃ来ないよ!」

 「用、とは?」

 

 いきなり現れたと思ったら悪意まみれの高笑いをするモノクマ。確かに、昨日は悪夢みたいな一日だった。悪夢ならまだよかった。目を覚ましても現実は消えてくれない。

 

 「しょんぼり……」

 「な、なんだよ急に」

 「せっかくオマエラに良いお知らせがあるから、わざわざボクが出て来たっていうのになあ……全員揃ってないんだもんなあ」

 「だったらどうしたというんだ?全員揃わないと言えないことなのか?」

 「後からまた説明するのめんどいじゃん。っていうかオマエラも呑気なもんだよね!昨日の今日で仲間がひとり起きてこないのに、みんなで朝ご飯なんか食べようって言うんだから。薄情だよ!」

 「何か知ってるのか?」

 「うぷぷ……♬さあ、どうだろうね」

 

 その言葉を聞いて、私は背筋が冷たくなるのを感じた。モノクマがこんなに含みを持たせて笑うなんて、何か私たちにとって良くないことが起きたんじゃないかと予感させる。そして、ただひとり朝ご飯の席に現れない狭山さん。

 まさか。昨日あんなことがあって、虎ノ森君のあんな姿を見て、いきなりそんな……でも、あり得ないなんて言えない。もはやこの学園の中では、何が起きてもおかしくないんだ。

 

 「狭山さん!」

 「あっ!ちょっと甲斐さん!?」

 「甲斐さん!おひとりでは危ないですよ!」

 

 たまらず、私は食堂の出口に向かっていた。何が起きてるか分からない。だけど、とにかく狭山さんの安全を確認しないとこの不安は消えてくれない。そう思って彼女の部屋に向かおうとした。食堂の扉を開いて、寄宿舎の方へと廊下を曲がろうとして──。

 

 「ぶわっ!?」

 「おっと!」

 

 ぷわん、と何かにぶつかった。自分の走る勢いがそのまま跳ね返ってきたような、強いけど柔らかい衝撃。視界は一瞬焦げ茶色になったかと思うと、真っ暗になって、気付いたときには天井を見上げていた。尻餅をついて転げてしまったらしい。

 それにしても今、狭山さんの声が聞こえたような気がした。狭山さんにぶつかった?いや、相手は狐だ。いくらなんでも正面からぶつかって、私の方がはね飛ばされるなんてあり得ない。

 

 「これはこれは甲斐さん。朝っぱらからお元気ですね。走ると危ないですよ」

 

 そんな軽妙な狭山さんの声がした。やっぱりさっきの声は聞き間違いじゃなかったみたいだ。けど、じゃあいま私がぶつかったのは一体……?

 

 「甲斐さん!?大丈夫ですか──おああっ!?な、なんとぉ!?」

 「どしたの庵野さん──えっ!?だ、だれ!?」

 

 背後から庵野君と宿楽さんの素っ頓狂な声が聞こえた。私はのっそり起き上がって、いま向かおうとしていた正面を見る。そして──。

 

 「……へぇ?」

 

 私も素っ頓狂な声を出した。自分の目が信じられなかったからだ。

 私の()()()()()()()は、確かに狭山さんの声をしていた。彼女と出会ってほんの数日しか経ってないけど、それは間違いない。だけどそこにいたのは二足歩行する狐じゃなくて、どこからどう見ても普通の──いや、かなり奇抜な格好はしているけども間違いなく人間だったからだ。

 健康的な焼けた肌の上に、麻袋を破いて作ったような質素なシャツと見ているだけで酔いそうな色合いのギンガムチェックの腰巻きが特徴的だ。背中越しに緑色のマントのようなものが見え、足下はトイレサンダルを改造して風通しをよくしたものだ。そして最も目を引くのが、頭に巻いた真ん中に何らかの文様が刻まれた赤と黒のバンダナから真上に向かって伸びる、何の鳥のものか分からない立派な羽根だ。それが頭の周りを覆うように並んでいて、まるでどこかの部族出身のような雰囲気だ。よく見るとドレッドヘアになっている髪束の一本一本が違う色に染まっている。

 もはや要素が多すぎてどこから突っ込んでいいやら分からない。屈んで私に手を差し伸べてくれてるけど、胸元が物凄く無防備だ。派手すぎて一目見ただけじゃ分からなかったけど、どうやら女の子らしい。

 

 「今頃は皆さん食堂にて(コン)談している頃合いでは?お手洗いですか?」

 「い、いや……狭山さんを、呼びに行こうかと……」

 「拙僧を?」

 「せっそうって……さやまさん?」

 「ええっ!?」

 「いかにも!というかどこからどう見ても拙僧が“超高校級のシャーマン”狭山狐々乃でしょう!今まで皆さんは何を見ておられた!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 何を見ていたと言われれば、狐としか言いようがない。もはや昨日までの狭山の面影は全くなく、そこにいるのは奇抜な格好と珍妙な言葉遣いの異様に背が高い女だった。全くもって意味が分からない。

 

 「だ、だって狭山さんは、狐で……!二足歩行したり歩いたりする人間みたいな狐じゃないの……!?」

 「人間のような狐などいるわけないでしょう。宿楽殿、メルヘン趣味もいいですが現実を見ましょうね?」

 「諭される筋合いないんですけど!?」

 「じゃあ昨日まで手前どもが接していた狐はいったい……?」

 「ええ、あれも拙僧です。いやはや、一時はどうなることかと思いましたが、ようやくこの姿に戻れるとは……!感無量です!これこそ新たなる拙僧、シン・狭山狐々乃のスタートですよ!お見逃しのないように!」

 

 もうわけがわからない。人間みたいに振る舞う狐の存在にようやく慣れてきたころだと思ってたのに、次はその狐が人間になったなんて、やっとの思いで解いたテストを裏返したら続きがあったときみたいな気分だ。そんな私たちの思いなんてどこ吹く風とばかりに、目の前の女の人は大仰な身振り手振りで喜びを表現している。この落ち着きのなさやマイペースさは、確かに狭山さんらしい。

 

 「でも、昨日まで狐だったのに、なんでそうなっちゃったの?」

 「なんででしょうね?昨晩は普通に水浴びして寝たのですが、朝起きたら人間の姿に戻っていました!危うく風邪を引くところです!」

 「私より狭山さんの方がよっぽどメルヘンなこと言ってると思うけど」

 「ささ!新たに生まれ変わった私の姿を皆さんにお披露目しましょう!さあさあお立ち会い!狭山狐々乃(人間のすがた)の登場ですよ〜〜〜!」

 

 トイレサンダルをぱかぱか鳴らして、狭山さんは私たちの横を通り過ぎて悠然と食堂に入っていった。たちまち中から驚愕の声が響き渡ってくる。現実だと受け入れたくない現実の次は、現実だと思えない現実がやってきた。どんどんこの空間の現実味が薄れていってるような気がした。

 

 「……取りあえず、戻りましょう」

 「そうだね」

 

 茫然とする私の肩を庵野君が叩いた。さすがに彼も、この現実を受け入れるのに少し難儀しているみたいだった。

 


 

 「ボクの話を聞いてよ!!」

 

 食堂に戻った私たちは、谷倉さんが用意してくれた朝ご飯を食べようと手を合わせた。そこに、やっとの思いで発したような、悲しげなモノクマの声が響いてきた。狭山さんの登場で一気に話題をかっ攫われたモノクマは、自分の話を聞いてもらえる機会を伺って食堂の隅に転がっていたらしい。

 

 「今から飯なんだから黙っとけお前は!」

 「なんだよう……なんでボクの印象はこんなに薄いんだよう……」

 「さすがに狐が人間になったインパクトには勝てないだろ」

 「まだ信じられないわ……なんらかのトリック?いえ、だとしても今までこの人はどこに……」

 「ですから拙僧は本当に狭山狐々乃なんですって。ほれ、モノカラーも首についているでしょう」

 「狐のときとサイズが変わってない?」

 「それは知りません」

 「だから話聞いてってば!ご飯食べながらでいいから聞いて!リッスントゥーミー!」

 

 食堂の中は、まだ狭山さんが登場したときのインパクトが残っていて、うっかりするとそっちに話が戻る。モノクマは強引にその流れを断ちきって、自分の声に耳を傾けさせた。そういえば、全員揃ったら何か話があるって言ってたっけ。

 

 「さて、オマエラ、昨日はご苦労様でした!まあそれなりの謎だったからそれなりの出来映えだったと思いますね。ともあれ、いきなり全滅なんてクソつまらねーことにならなくてボクはとても満足しています!」

 「飯がまずくなること言うねぃ」

 「オマエラは見事、今日という日を勝ち取ったわけです。そんな素晴らしいオマエラの活躍に、ボクからささやかなご褒美をあげたいと思います」

 「ごほうび?わーい!ごほうび!」

 「はぐ。ジャムついてるよ」

 「ふむぐ」

 「ろくなもんじゃない予感しかしないアル」

 

 ご褒美。本来なら喜ぶべき言葉も、モノクマが言うと途端に不穏に感じる。きっとまた私たちを疑心暗鬼に陥らせたり、コロシアイへと誘うための罠を与えてくるんだろう。

 

 「学級裁判を頑張ったオマエラのために、新たなエリアを開放してあげました!ぱんぱかぱーーーん!やったね!」

 「新たなエリア?」

 「体育館に向かう途中の階段にシャッターが降りてたでしょ。あのシャッターを上げておきました!ずっと地上と地下だけの生活じゃオマエラも飽きちゃうでしょ。わしゃアリか!って」

 「階段……2階より上に行けるようになったということでしょうか」

 「そこになにがあるかはオマエラの目で確認することだね!あ、そうそう。こういうときにボクは誰も取り残さないっていうのを目標にしてるからね。ちゃんと階段の一部をスロープに改造しておきました!湖藤クンだけのために!大変だったんだからね!」

 「そうなの?地下も?」

 「もちろんです!よかったね!これで湖藤クンもみんなと一緒に行動できるね!ボクってば持続可能なコロシアイできちゃってる?イマドキの意識高い系ゲームマスターできてる?いやー、時代に乗ってくのって大変!」

 「人が減るのに持続可能もへったくれもありませんね」

 

 新たなエリアの開放。それは、この建物の2階に行けるようになったという知らせだった。さらに階段をスロープにして湖藤クンも1階以外のエリアに行けるようになった。ご褒美かと言われると微妙だけど、確実に前よりも生活空間としてのレベルは上がってる。私が警戒していたよりは、悪い話じゃなさそうだ。

 

 「わあ、そしたらみんなで2階を調べた後で地下も見てみたいな。うわさに聞くゴミ捨て場とか大浴場とか」

 「私が案内してあげる」

 「ありがとう、甲斐さん」

 「そんじゃ、ボクはこの辺で!ばいばいクマー!」

 

 現れたときと同じように、何の脈絡もなくモノクマは立ち去った。あいつが現れて私たちの気持ちがあまり沈まなかったのは、これが初めてかも知れない。モノクマのことだから、ただ2階を開放したっていうことはないだろうけど、階段にスロープを付けてくれたのは嬉しい。

 私たちは人が減った寂しさを噛み殺しながら、2階への期待を胸に朝食を終えた。その後、部屋に帰りたがる尾田君や勝手にひとりで飛び出そうとする狭山さん、お酒を飲もうとする王村さんを抑え込んで、全員で2階の捜索をすることにした。何が待ち受けてるか分からないから、いちおう警戒してみんなで行くことにしたのだ。

 


 

 階段は傾斜が緩やかだけど、もともとは普通の階段だったものを強引に改造してるから、車椅子を上げ下げするには急な角度だ。それでも、誰かに手伝ってもらえば通れないこともない。湖藤君は軽いから、女の子2人がかりでも十分なくらいだ。

 

 「ありがとう。甲斐さん、宿楽さん」

 「いいのいいの。私にできることはこれくらいだから」

 「車椅子持ち上げるのって結構大変なんだね……知らなかった」

 

 やっぱり突貫工事だったのか、1階分上げるのに思ったより時間がかかっちゃった。モノクマに昇降補助機かエレベーターを付けるように言っておこうかな。

 2階は1階とはずいぶん雰囲気が違った。白い蛍光灯ばかりだった1階に対して、2階はなぜか蛍光灯に薄紫の色が付いている。廊下の奥の方はなんだか禍々しい雰囲気だ。階段を昇って正面にある少しひらけたスペースに、ひとまずみんなで集合した。

 

 「どうやらいくつか部屋があるようですね。どこから探索しますか?」

 「17人でまとまって動くこともない。Señorita(お嬢ちゃん)たちはボクについて来て!」

 「バカ言うな。はぐが僕と離れるわけないだろ」

 「いいからテキトーに分かれて調べるもん調べるぞ」

 

 さすがに17人での行動は不便も多いだろうから、私たちはいくつかのチームに分かれて2階を探索することにした。ふと、こういうときはいつも一番に声をあげるはずの理刈さんの声がしないことに気付いた。どうしたのかと思って見渡すと、らしくもなく端っこの方で俯いていた。私は近付いて声をかけてみる。

 

 「理刈さん?どうしたの?」

 「……えっ?な、なにかしら?」

 「具合悪そうだよ。大丈夫?」

 「だ……大丈夫、な、わけないわ……!」

 

 私の声に驚いてあげた理刈さんの顔は、かなりやつれて見えた。目の周りがくぼんで、頬がこけているみたいだ。いつもは角帽の下でぴっちりまとまっている髪も、今日は整え具合が雑だ。

 

 「あんなもの見せられて……!どうしてあなたたちは……平気でいられるの……?どうしてあれを……受け入れてるの……?」

 

 あれ、とは昨日のことだろう。理刈さんの言葉で、私もその光景を思い出してしまった。

 

 「殺人よ……?人が、人を殺したのよ……?それだけじゃない。あんなの、処刑じゃないわ……!あんなの認められない……!あってはならない!あんなことが罷り通ったら、私たちはどうやって自分の身を守ればいいの!?」

 「お、落ち着いて理刈さん!」

 「どうしたんだい?大丈夫かいマツリちゃん」

 「カ、カルロス君……!理刈さんをおさえて!」

 「おおう、分かった!」

 

 かなり思い詰めた表情でとつとつと呟いていた理刈さんが、徐々に大きな声を出して暴れ出した。虎ノ森君のあんな処刑を見てしまったら、ただでさえ平静を保っていられなくなる。それだけでなく、理刈さんにとってモノクマの横暴は、もっと重大な意味を持っているんだろう。

 

 「ふぅ……!ふぅ……!ご、ごめんなさい……!ちょっと、私……!」

 「無理もないよ。あんまり具合が悪いんだったら部屋に戻った方が……」

 「いえ。ごめんなさい……ここに何があるかは、きちんと見ておいた方が……いいと思うから……」

 「それじゃ、私たちと一緒に行こう。つらくなったらいつでも言ってね」

 「ええ……ありがとう……」

 

 カルロス君にしっかり肩を押さえられつつ、理刈さんは呼吸を整えていくらか落ち着いたみたいだ。こんな様子の彼女を放ってはおけないから、私と湖藤君に宿楽さんと理刈さん、それからカルロス君を加えた5人で探索して回ることにした。

 


 

 この建物の中では、刑法も民法も、憲法でさえ何の力も持たない。すべてはモノクマの思うまま。モノクマが言えば黒いカラスも白になる。そんな世界だ。公正さなんてない。秩序なんてない。人類がおびただしい犠牲を生み出しながら勝ち取った法律の力が、ここには一切及ばない。そんなこと……今まで想像だにしていなかった。だから、あんな光景は信じられなかった。いや、今でも信じられない。

 人が人を殺した。それが事故であれ故意であれ、罪は罪。裁かれ、償われなければならない。実際に彼が適法に裁かれたとして、その結末がどうなっていたかは分からない。もしかしたら幾らか情状酌量されて罰が軽くなっていたかも知れない。もしかしたら彼のたどった結末は同じだったかも知れない。だけど、たとえ彼の命を助けられなかったとしても、少なくともあんな人の尊厳を踏みにじるような方法ではなかったはずだ。あれは、やむを得ず行われた最後の手段じゃない。モノクマが彼の命を弄んだ、歴とした殺人だ。

 

 「理刈さん?顔色悪いよ?やっぱ部屋にいた方が……」

 「……へっ?な、なにかしら?」

 「もうヤバいって」

 「大丈夫さ!いざとなったらボクがホウコちゃんを部屋まで運んであげよう!いつでも倒れてくれて構わないよ。女の子の体に土なんて付けさせないさ!」

 「いや、倒れたらアウトなんだって」

 

 裁判の翌日、新たに開放された建物の2階を、私たちは探索していた。私の隣を歩くカルロスさんと宿楽さんは、まるで昨日のことを忘れてしまったみたいに能天気な会話をする。こんなものなの?法律が、社会が、人の尊厳が、人が人であるためのあらゆるものに唾を吐きかけるような()()を見て、どうしてそんな会話ができるの?私がおかしいの?

 ぐわんぐわんする頭ではいくら考えても結論は出ない。そもそも私にとって理解しがたいものを私ひとりで考えても、答えなんて見つかるはずがない。答えは私の外にある。でも私の外に私の求める答えがあるの?私の信じてきたものが何の力も持たない世界で、私はこれから何を頼っていけばいいの?その答えさえ、自分ひとりじゃ見つけられない。何もできない。私もこの世界では、無力だ。

 

 「ねえカルロスくん。宿楽さん。ちょっといいかな?」

 

 少し前を歩くみんなについて歩いていて、私はいつの間にか何らかの部屋の中にいた。机と椅子がセットになって規則正しく並んでいる、教室のような空間だった。壁は一面に小さい穴が開けられていて、入口正面の壁にはいくつかの肖像画が並んでいる。どれも著名な音楽家の顔をモノクマに描き換えた、なんというか……どこまでも人をバカにしたものだった。どうもここは音楽室みたい。

 

 「でっけ〜ピアノ!すご!」

 

 宿楽さんの興奮した声が聞こえた。教室の正面には白と黒のツートンカラーに塗られたグランドピアノが置いてある。他にも壁際には、ギターにバイオリンにトランペット、サックス、クラリネット、トロンボーン、シンバルや琴や和太鼓まである。楽器って、こんな乱雑に並べてていいものなのかしら。

 

 「おっ!ギターならオレも弾けるよ。Español(スペイン人)はこれとCastañuelas(カスタネット)で陽気に踊るのさ」

 「へえ、うまいうまい」

 「いいね!なんか踊りたくなってきた!オ・レ!」

 

 カルロスさんが、その辺にあったギターを担いでかき鳴らし始めた。素早くて、力強くて、情熱的なギターの音が教室中に響く。湖藤さんがその辺にあったカスタネットをでたらめに鳴らして、宿楽さんがダンスというより地団駄みたいなステップを踏む。私はあまり詳しくないけど、そういうものなのかしら。

 

 「ちょっと……探索するんじゃないの?」

 「これも探索の一部だよ、理刈さん。踊るのは……恥ずかしいよね」

 「踊れるような気分でも体調でもないわよ……」

 「そうだよね」

 

 呆れる私の隣で、甲斐さんが微笑む。夢中でギターをかき鳴らすカルロスさん、それに合わせてめちゃくちゃに踊る宿楽さんと、カスタネットを楽しそうに鳴らす湖藤さん。なんだか凄まじいパワーを感じる陽気な雰囲気にあてられて、私の気持ちが少しずつ解きほぐされていくような気がした。

 

 「暗い気持ちになっちゃうのは仕方ないし……私たちも、昨日のことを忘れたわけじゃないよ」

 

 甲斐さんは、そんなバカ騒ぎを見ながら言う。

 

 「だけど、そうやって過去に囚われすぎてるのも、モノクマの思う壺だと思う。モノクマが許せない気持ちは同じだよ。それでも、私たちはまず前を向けるようになるべきだと思うんだ。益玉君たちが生きられなかった今日を生きてるんだから」

 「……それは、きれい事よ。間違ってるとは言わないわ。でも、間違ってないだけ。モノクマは許せないし、前を向く必要があるのは確かよ。でも……前を向いたところで、私に何ができると思う?私には何の力もないのよ」

 

 自分の信じていたものが、音を立てて崩れ落ちていく。自分を支えていたものが、何の力も持たないと一蹴される。私に限って、そんなことはあり得ないと思っていた。法律は、たとえ世界の裏側へ行ったとしても、一定の力を持つもの。それが全く無視されることなんて想像だにしてなかった。

 だからこそ、このショックは大きい。自分で冷静に振り返ることができても、そこから立ち直れるかどうかは別問題だ。甲斐さんの言うことは間違ってないし、そうあるべきだと思う。でも、道徳に人を癒す力はない。

 

 「そんなことないよ。理刈さんは、ここに来たばっかりでどうしていいか分からない私たちをまとめてくれたじゃない。朝食と夕食を一緒に食べるって決まりを作ってくれたでしょ。何もないところに決まり事が一つあるだけで、私たちは同じ仲間なんだって思えるんだから」

 「……仲間、ね」

 

 今、その言葉は空虚に響く。その仲間のひとりが、同じ仲間をふたりも殺めてしまった。どんな風に考えても、必ずそこに行き着いてしまう。明るく振る舞おうとすればするほど、暗い事実が私の目の前を覆い尽くす。

 

 「いいのよ、甲斐さん。無理に励まそうとしてくれなくて。申し訳ないけど、今はとても立ち直る気分になれない」

 「そっか……ごめんね。気を遣わせて」

 「ううん。だけどみんなの気持ちはありがたいわ。こんなときでも、こんな私でも、励ましてくれる人がいるっていうことは、分かったから」

 

 せめて私は、手の掛からない人になろう。誰にも何の力にもなれないなら、せめて他の人の手を煩わせることのないよう、じっとしていよう。それが今の私にできること。今の私がしなければいけないことだと思うから。

 

 「あと、モノクマが用意した楽器を不用意に触らない方がいいって、みんなに伝えておいてくれる?」

 「あ、う、うん……やっぱりそういうところはきちっとしてるんだね」

 「そういう性格なの。仕方ないわ」

 


 

 なんつうか、どうにもここは息が詰まる。紫色のライトのせいか?それともやけにゴテゴテした壁や柱のオブジェのせいか?どうでもいいが、1階や地下とはずいぶんとセンスが違って見える。まるで違う人間が設計したみてえだ。

 

 「おっ?なんだここ」

 「芭串様。あまりお一人で先に行かれますと危のうございます」

 「危ねえからオレが先に行くんだろ。いいから谷倉は女子のこと見といてくれよ。こういう何があるか分からねえところはレディファーストじゃねえんだぜ」

 「お〜、佬佬(ラオラオ)かっこいいネ!ホレテマウヤロ!」

 「それあんま他の男の前で言わねえ方がいいぞ」

 「入口でごちゃごちゃ喋ってんじゃないよ!脱出のヒント探すんだろ?とっとと中入んな!」

 「おい押すな押すなって!すべる!ローラーシューズだからすべる!」

 

 なんだか知らねえうちに女ばっかり引き連れてるヤベえヤツみたいになっちまった。谷倉と長島と岩鈴、どいつもこいつも落ち着かねえしやかましいし引っ付いてくるしでまるでまとまりがねえ。

 オレが見つけたのはバカデケえ扉だ。廊下の壁のど真ん中にいきなり現れて、まるで城の入口みてえな威圧感を放ってる。押すのか引くのかも分からねえうちから岩鈴がぐいぐい背中を押してきやがるから、踏ん張れねえオレはその扉にむぎゅっと押しつけられた。ビクともしねえ。

 

 「なんだ、閉まってんのかい」

 「人で押すんじゃねえよ!なんだこの扉!」

 「カギがかかっているようですね。この大きさからして、かなり重要なものであるようですが」

 「もしかしたらお宝でも眠ってるかも知れないネ!こうなったらピッキングでもなんでもして絶対お宝いただきヨ!」

 「鍵穴も見当たらねえけどなあ」

 「こらーっ!その扉に勝手に触るんじゃありませーん!」

 

 謎の扉の前でごちゃごちゃしてたら、いきなりモノクマが降ってきて、長島の頭の上に着地した。すかさず長島が捕まえようとしたが、腕の隙間をするりとすり抜けて足下に着地した。キモいほど滑らかな動きだ。

 

 「で、出やがったな!何しにきた!」

 「まあまあ落ち着いて。ボクはオマエラが余計なことをしないよう、ちゃんと説明をしに来たんだから」

 「説明というと……こちらの扉ですか?」

 「そうそう。この扉は、今はまだ開かれません。然るべき時が来るまでね。そしてそのときになったら、ちゃんと開いてオマエラを迎え入れてくれますよ」

 「然るべき時ぃ?なんだそりゃ!」

 「然るべき時は然るべき時だよ。まあ、ここにいる全員がこの扉をくぐれるかは、ボクの知るところではありませんけどね!うぷぷ!」

 

 そりゃあつまり──それ以上は考えなくても分かる。なんで今オレたちがここにいるかを考えれば、モノクマがこの扉についてした説明の意味も自ずと答えは出た。つまりはそういうことだ。ならこの扉は、ずっとこのまま閉じていた方がいい。ついでに言えば、こいつが開いたところで、オレたちには大して良いことでもねえってことだ。

 

 「てえことは、この扉は外につながってるわけじゃないんだね。なら構っててもしょうがないじゃないか」

 「果たしてそうかなあ?扉の向こうに何があるかは、扉を開けて行ってみないと分からないんだよ。それが絶望的な現実か、希望的な妄想か、はたまたそれ以外なのか。期待してるといいよ!自分が無事にここを通れるその日をね!あーっひゃっひゃっひゃ!」

 

 言うだけ言って、モノクマは腹を抱えて転げながら廊下の向こうに消えていった。器用なハケ方するヤツだ。

 結局この扉は構っててもしょうがねえ。こんなもんにかかずらわってるより他のとこ見に行った方がいい。ってわけで、オレらは2階の更に奥へ進んで、また妙な扉を見つけた。さっきのがバカデケえ木の扉だったら、こっちはアルミかなんかの金属でできた扉だ。開き戸じゃなくて引き戸になってる。扉の上には『図工室』って書いてある。

 

 「図工室ってことは工具も材料もあるよな?最近なにもいじくってないから腕がなまってきてんだ」

 「美術室じゃねえのかよ……ま、ないよりマシか。おい岩鈴。ちょうどいいからオレのシューズのメンテしてくれよ」

 「ああん?(アタシ)はタダの仕事も安い仕事もしないよ!やるときゃ責任もってきっちり完璧な仕事するんだ!やるなら金をもらうよ!」

 「金?モノしかねえよ。それでいいか?」

 「まあ……しょうがないね」

 

 まだ中に何があるかも分からねえのに、オレはなんとなくで岩鈴に金を払ってシューズのメンテしてもらう約束をした。モノクマから寄越されたモノカラーに最初から入ってたモノと、ここでの生活でちょこちょこ拾ったり稼いだりしたモノを支払いに充てる。もうすっかりこれがオレたちの中の通貨になっちまった。

 さっきの扉と違って、こっちはカギがかかってなかった。するすると摩擦を感じないくらいスムーズに開いたドアの向こうは、まだ誰も入ったことがないくらい整ってた。壁際に並んだいくつものよく分からん機械。ガラス張りの棚には工具や部品が大量に入ったがっしりした造りの箱が並んでて、ハンマーやドリルみてえな特にデケえ工具は壁にかけられてた。図面を広げる用のやたらでけえテーブルもあるし、精密機械をいじくるための細かい作業をするためのテーブルもある。こりゃあ、工作をやるヤツにとっては至れり尽くせりってヤツだな。

 

 「ふーんなるほどな!こりゃ色々できそうだ!モノクマにしちゃあそれなりに揃えるもん揃えてるんじゃないかい?」

 「ワタシたちには分からないヨ。華華(ファーファー)だけ楽しそうネ」

 「岩鈴様は特にこの空間ではご自分の“才能”を持て余していらしたでしょうから。私が用意したものではなくて恐縮ですが、嬉しそうにされて何よりです」

 「ワタシもそろそろ一発ぶちかましたいアル!スナイパーライフルをもってこ〜〜〜い!」

 「んな危ねえもんあるわけねえだろ!」

 「なんだいなんだい?ライフル?造ったことないけど設計図さえあれば(アタシ)に造れないもんはないよ。一丁造ってやろうか?」

 「シャレになってねえんだよ!」

 

 この調子じゃ岩鈴は冗談じゃなく本当にライフルだろうがなんだろうが造れちまいそうだ。それだけの腕と道具がここには揃ってる。あんま考えたくねえが……もしかしてここ、開けねえ方がいい部屋だったんじゃねえか?

 

 「それにつけても、モノクマ様はこの建物を希望ヶ峰学園だと仰っていました。とても一教育施設に揃えられる設備とは思えませんが」

 「オレは希望ヶ峰学園ってだけでその辺の常識はすっ飛ばして納得できちまうぜ……イギリスにいた頃から名前は聞いたからな」

 「佬佬(ラオラオ)英国(イギリス)にいたカ!」

 「オレはもともとロンドン育ちだよ。むしろ日本に来てからの方がまだ短いぜ」

 「にしちゃあ日本語が上手いね。全然違和感がないよ」

 「あ〜、おやじが日本人だからな。おふくろがイギリス人だ」

 「ハーフなんですね」

 

 なんか知らねえうちにオレの家族の話になってんな。別に隠しちゃいねえけど、あんまりパーソナルな部分を掘り下げられんのはなんかむず痒い。

 

 「そう言えば佬佬(ラオラオ)は妹ちゃんがいるって言ってたネ!とってもかわいいらしいヨ!」

 「妹!私にも妹が2人おります。芭串様のご令妹様ですから、きっと大変可愛らしくいらっしゃるでしょうね」

 「いやまあ、否定はしねえけどな。長島も弟妹が多いらしいじゃんか」

 「ってことはワタシたち兄姉団ってことネ!」

 「うっわダセェ」

 「弟ですか……いいですよね、下の弟妹がいるとこう、色々とくすぐられるものがありますね」

 「本当ヨ。お世話してるとくすぐってきたり甘えてきたりで大変ネ」

 「微妙に噛み合ってねえけどまあ、どっちも分かるわ」

 

 谷倉がやたらとしっかりしてんのは、単に“才能”が理由ってわけじゃねえんだな。妹が2人もか。女同士だし、たぶんかなり世話を焼いてたんだろうな。年の割に大人びて見えるのも納得だ。一方で長島は姉の割に子どもっぽい部分があるよな。しっかりというかちゃっかりというか、大人びてるっつうより抜け目ないっつうか、擦れてる感じがする。なんて思ってるオレだって、他人からどう見えてるか分かりゃしねえ。

 

 「なんだいなんだい。(アタシ)抜きで盛り上がって」

 「岩鈴は下の弟とか妹とかいねえのか?」

 「うちは(アタシ)ひとりだね。兄弟でもいりゃあそいつが工場を継いだんだろうけど。ま、(アタシ)も機械いじりは性に合ってるから構いやしないけどね」

 「じゃあ弟と妹の可愛さが分からないのネ。かわいそうな華華(ファーファー)w」

 「なに笑ってんだい」

 「ですが岩鈴様の家業を継ぐというお気持ちは、私にも分かります。超高校級と呼ばれていますが、社会に出るにはまだ未熟ですので、こうして希望ヶ峰学園に参ったわけですが」

 「そうだねえ。(アタシ)は自分の腕を磨くのもあるけど、ここで希望ヶ峰学園卒業生って箔を付けて、町工場のヤツらに仕事を回せるようになりたくて来たんだ」

 「ご立派な心構えだと思います」

 

 弟妹の話だけじゃなくて、家業の話もできんのか。谷倉のカバー範囲パネエな。

 

 「うちは特におふくろがすぐ死んじまったからな。血のつながった家族は親父だけだけど、町のヤツらはみんな家族みたいなもんだ!」

 「そうですか。考えてみれば当然のことですが、皆様それぞれが外にご家族や大切な方々を残してここに来られてるのですね」

 「そうヨ!希望ヶ峰学園に来ればお金いっぱいもらえてワタシの家族みんなおいしいご飯食べられるって思ったのに、こんなことになるなんて思わなかったアル!」

 

 谷倉も長島も岩鈴も、もちろんここにいねえヤツらだって、家族のひとりやふたりはいるだろ。そうでなくても、友達なり仕事仲間なりがいたはずだ。ただそれだけで、外に出たいって思う気持ちは湧いてくるはずだ。それをモノクマに利用されなきゃいいが。

 

 「まあなんだ。外に大切な人がいるってのは結構だけど、くれぐれも考え過ぎねえことだ。どうせまだここに来て一週間も経ってねえんだ。心配してっかもしんねえけど、よっぽどのことにはなってねえだろ」

 

 なんとなく暗くなりそうな会話の流れを無理矢理ぶった切って、自分でも呆れるくらい楽観的なことを言う。気休めにもなりゃしねえ。ただ、そういうことが言える空気ってのがなくなったら、人の頭ってのはどんどんマイナスな方にいっちまうもんだ。せめてオレがまだマトモでいられるうちは、ピエロになるってのも必要かも知れねえな。

 


 

 う〜ん!素晴らしい!人間の体というのはコンなにも動きやすいものだったでしょうか!おそらく慣れ親しんだ感覚がこの体の(コン)底に流れているからでしょう!狐のころの方が身軽ではありましたがね。今は胸元が少々重たい。

 こんなに動き回れるのなら2階の探索などという面倒なことはなしにして、地下階にあった大浴場でお湯に浸かりながら人間体を謳歌しなければ嘘というもの!というわけで毛利さんとその辺にいたちぐはぐズを引き連れて、拙僧は狐には到底成し得ない大股で学園を闊歩し、こうして地下階までやって来たわけです!

 

 「晴れやかな気分ですなー!」

 「ぜぇ……!ぜぇ……!」

 「ちぐ、大丈夫?いきなり走って疲れたね」

 「ややっ!?これはこれは一体全体どうしたことでしょうか?大浴場の隣に新たな施設を発見しました!プールとありますが」

 「ならプールなんだろう」

 「プール?やったー!はぐ泳ぎたーい!」

 「プ、プール!?いや待ってくれ、はぐ。泳ぐのは我慢しよう」

 「えー?でもプール見たいよ。足でぱちゃぱちゃするんじゃダメ?」

 「……まあ、それなら」

 「ともかく行ってみましょう!百聞は一見にしかず!噂に聞きしプールとは如何なるものか!」

 「プール初見のヤツなんていたのか」

 

 拙僧がこもっていた山では高校にもプールなどありませんでした。修行場にももちろん、そんな破廉恥なものはございません。大浴場の隣にある薄っぺらな扉を開けて向こう側へ足を踏み出しました!

 学園の地下にこんなに広い空間があったとは驚きです。何よりも驚くべきは、その広い空間のほぼ全部を占める大量の水!天井から落ちる光を受けてきらきらと水面がきらめき、なんとも薬品めいた臭いが鼻を突いてきます。ふよふよと浮かぶ細長いあれは、スロープでしょうか。それで水面を仕切ってコースとしているのですね。向こう側には飛び込み台も見えます。

 

 「うっひょーーー!これはまたなんと!」

 「でっかいプールだ!」

 「25……いや、50mくらいはあるな。競技用じゃないのか」

 「一体何のためにこんなものが……」

 「何のためと言えば泳ぐためでしょう!さっそく泳ぎましょう!」

 「ま、待て狭山。服を着たまま水に入ると危険だ。水着に着替えてからでないと」

 「ははは。拙僧もそこまで考えなしではありませんよ。では見さらせ!今朝起きたら拙僧が身に着けていた能力を!」

 「!?」

 

 いくらなんでもそのままの格好でプールに飛び込むつもりはありません。頭の飾りも服も邪魔くさいですからね。なので拙僧はその場でひらりと一回転し、マントを翻して自らの体を縮めました。縮めるといっても膝を抱えてうずくまっているわけではありません。文字通り、体の大きさを小さくしたのです。人間から狐へとトランスフォームしたわけです!

 

 「なっ……!?ええ……?」

 「き、きつねになっちゃった……」

 「フフン!どうですか!これが拙僧の能力です!」

 「能力っていうか……いや、能力か?いや、そんな漫画のようなことが……どういうトリックだ!?」

 「残念でしたね!トリックではないのです!」

 

 ここにいるのは正真正銘、狭山狐々乃である拙僧その人です。狐の姿も人間の姿も、どちらも等しく拙僧なのです。というかそもそも拙僧は人間です。

 

 「すごいすごい!どうやったの!?」

 「知りたいですか?では教えて差し上げましょう」

 

 拙僧は高校生シャーマンの狭山狐々乃。幼馴染みでもある兄弟子らと山の奥で修行に明け暮れていたら、希望ヶ峰学園なるところから怪しげな手紙が届きました。大都会での生活に憧れ夢中になっていた拙僧は、学園に足を踏み入れたところで妙な感覚を覚えて気を失い、目が覚めたら──体が縮んでしまっていました!

 

 「どっかで聞いたような流れだが……要するに、この学園に来るまでは人間で、気が付いたら狐になっていたと」

 「そういうことです!理解が早くて助かります!」

 「いや全く理解できてはいないんだが……では、いまのお前はなんなんだ?人間になったり狐になったり……」

 「そりゃ人間型と動物型を切り替えているだけですよ。こう、延髄の辺りにぐいっと力を込めて」

 「わからんわからん」

 「というわけで拙僧は泳ぎます!いやっほーう!」

 

 小難しいことはどうでもいいのです!実際に拙僧はいま、人間にも狐にもなれるのですから!狐なら水着がなくても、むしろ全裸でも問題ないでしょう!この解放感!素晴らしいですね!

 何のためにここに来たか、何か別の目的があったような気がしますがひとまずそれは忘れ、拙僧はプールに飛び込みました。狐の体は毛に覆われているので、水に入ると体中がじっとりと重たくなったような感じがします。ですが服とは違い自分の体の一部ですので、体の動きを邪魔するようなことはありません。尻尾を上手いこと回転させて推進力を得て、小さな手で水をかきのびのびと泳ぎ回ります。毛利殿も陽面殿も月浦殿も、どうやら泳ぎたくはないようです。勿体ない。せっかくプールがあるのに。

 


 

 ひとしきり泳いだ後、拙僧は適当なタイミングでプールサイドに上がりました。やはり身軽な狐の体になっても、全身運動であることには変わりませんから、なかなかに疲れるものです。ぶるぶると体を震わせて体毛が吸った水を吹き飛ばし、プールサイドに置いてあったビーチチェアに寝そべります。いや〜、優雅ですね。やはり夢の都会生活はこうでないと。

 

 「気が済んだか、狭山」

 「ええ。それはもう。ところで毛利殿。毛を乾かしてはもらえませんか?」

 「自由過ぎるぞ。王様かお前は」

 「といいつつ、タオルもドライヤーもあるのでしょう?」

 「あるが……」

 「なんであるんだ」

 

 拙僧がプールで泳いでいる間、毛利殿とちぐはぐズはプールの中を色々と探索していたようです。まったく、遊びもせずに汗をかいて働くなど物好きなものですね。

 

 「何か分かりましたか?」

 「くっ……!こいつに聞かれると腹が立つ……!」

 「ダメだよちぐ。みんな仲良くしないと。分かったことは教えてあげるの」

 「…………はぐが言うなら」

 「月浦殿もたいがい甘いですね〜」

 「うるさい。結論から言うと、ここは飛び込み台とプール以外には特にめぼしいものはない。向こうにドアがあったけど、ビート板とかタオルとかの備品があるだけだった」

 「はいはーい!はぐはね、飛び込み台の上の方まで昇ってみたよ!天井にかかってる旗あるでしょ。あれを掴んで天井まで行けそうだったよ!」

 「行ったのですか?」

 「そんな危ないことさせるわけないだろ。行けたとしても意味がない。はぐのすごさが分かるだけだ」

 「私はプールサイドを調べていた。このビーチチェアなどの休憩用設備はあるが、それだけだな」

 「結論、ここは本当にただプールで遊ぶためだけの場所ということですね」

 

 まあそんなことだろうと思っていました。モノクマが拙僧たちに立ち入りを認めている以上、脱出口やその手掛かりがあるはずもありません。そんなものに期待するだけ無駄なのです。

 

 「うぅ……どうしよう。はぐたち、もうここから出られないのかな……」

 「そんなことはないよ。外からの助けが来なくたって、はぐと僕は絶対に外に出るんだ」

 「2人だけか?私たちは?」

 「一緒に出られそうなら出ればいい。そうでないなら知ったことか」

 「清々しいほど態度が分かれていますね」

 「はぐ以外の人間に撒いてやる愛想なんか持ち合わせてない」

 「徹底しているな」

 

 ちぐはぐズの異常な仲の良さ……と言うより共依存関係は以前から興味がありました。お二人がそれぞれどのような“才能”で希望ヶ峰学園にスカウトされたかは知っていますが、“超高校級”とされる生徒が入学前から知り合いであるなど大した偶然もあるものです。一体お二人はどういう経緯で今のような関係になったのか……そして、外から力が加わったときにこの関係がどうなってしまうのか、たいへん興味深い。

 

 「まあ安心なさいな。既に悲しい事件は起きてしまいましたが、モノクマが直接拙僧たちに手を下すことは基本的にないのです。外から助けが来るかも知れませんが、それに期待していては毎朝目覚めとともに裏切られるだけです。ここはひとつ、期待しないというのはいかがでしょう?」

 「期待しない……?」

 「そうです。外から助けなんてこない。どうやったって外に出ることはできない、と開き直るのです」

 「いや狭山、それはダメだろう。そうなってしまったら私たちはずっとここにいることになるぞ」

 「気休めですよ気休め。不安に駆られてばかりよりも、適度に諦めの心を持つのが精神を健康に保つ秘訣です。いいですか?人間、希望を与えられてからの絶望が何よりもキツいのです。はじめから希望を持つことをしなければ、ちょいとした絶望などどうということはないのです」

 「詭弁だ」

 「詭弁にも一分の理はあります。大切なのは本人の気持ちですよ。いかがでしょう?陽面殿」

 「……う、うん。でも、はぐは絶対外に出たいから……」

 「そうですか。いや残念。ですが拙僧はその手のことは大得意ですからね!もし本当に辛くなったら、いつでもお声かけください!」

 「はぐに悪い考えを吹き込むな、この害獣」

 「そのときは月浦殿もぜひ」

 「うーん、確かに強靱な精神力だ」

 

 何事も諦めが肝心です。何も一切合切を諦めろなんてことは言っていないのに、お三方からは大変不評をいただいたようで、これには流石の拙僧も参ってしまいました。どうやらまだ皆さんの中には希望が燦々と輝いているようですね。願わくばその希望が輝きを失ってしまわないよう……精々気を付けていただきたいものです。

 


 

 愚かしいことだ。全くもって愚かしい。そう思うのは傲慢か?油斷(ゆだん)ならないことだ。ここでは些細な感情の機微がどんなうねりとなって返ってくるか分かったものではない。しかし確かに忠告はした。それを聞き入れなかったのはヤツの責任だ。人閒(にんげん)はそう簡單(かんたん)には()われないというが、生き(のこ)れるのは變化(へんか)適應(てきおう)していく者のみだ。大いなる力に抗おうとするなど、蟷螂でもあるまいに、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。

 

 「おい菊島。ぼーっと見てねえで手伝ってくれよう」

 

 情けない(こえ)で助けを求めるのは王村だ。俺たちは新しく開放された2階を探索しようという甲斐の號令(ごうれい)(したが)って班を組んだが、2階はどこも既に探索されていた。仕方なく、他にも新しく開放された施設があるという地下階に()ていた。何を眞面目(まじめ)に探索などしているのかと自分で自分に苦笑する。しかし嫌が(おう)にも探索したくなる(わけ)がある。

 

 「事件について(だま)っていた上に酒を()んでいたことへの相應(そうおう)の罰だ。その分、働いてもらう」

 「鬼!ひとでなし!」

 「慣れればどうということはない」

 「なにを罵倒に慣れることがあるんですか」

 「んぐおお〜〜〜!!限界を超えろおいらの背筋〜〜〜!!」

 

 地下にあるものものしい石の扉。他の部屋が安いプラスチックやアルミでできているのに(たい)し、ここだけは重い石でできている。扉近くにかかる表札には『藥品庫(やくひんこ)』と書いてある。入口からなんともそそられるものがあるではないか。

 もはや開けるというより壁と扉の隙閒(すきま)(はさ)まってつっかえ棒代わりになるような體勢(たいせい)で、王村はごりごりと扉を開いた。とはいえ、王村の背丈分だけ扉が開いたところで俺や庵野にとっては肩が()たるほど(せま)いものだった。

 

 「王村君、ありがとうございます。あとは手前が」

 

 疲勞困憊(ひろうこんぱい)という具合にへたった王村の(つづ)きを庵野が請け負う。片手で扉を押さえると、まるでアルミかなにかのようにするすると開いた。宣敎師(せんきょうし)がなぜこんなに筋骨隆々になる必要があるのやら。全くここにいるヤツらはどいつもこいつも癖の塊のような人閒(にんげん)ばかりだ。退屈しない。

 背中をいわすほど力を出した王村は、吹けば飛ぶような自分の頑張りが實際(じっさい)に吹かれて飛んだ場面を目擊(もくげき)し、目と耳を塞いで現實(げんじつ)から逃避してしまっていた。俺と尾田は構わず部屋の中に入る。微かに藥品(やくひん)の臭いが香ってきた。

 

 「薬品庫……十中八九ろくなもんじゃないと思っていましたが、案の定ですね」

 「いやいや、それ以上かも知れないぞ」

 

 壁に備え付けられたスイッチを押すと、藥品庫(やくひんこ)全體(ぜんたい)が明るく照らされた。藥品庫(やくひんこ)という名前ではあるが、これはまるで化學實驗室(かがくじっけんしつ)だ。壁際には硝子張りの箪笥が所狹(ところせま)しと(なら)び、(おく)にも手前にも下段にも上段にもびっしりと藥品(やくひん)(びん)や小箱が詰まっている。その(よこ)には()っ白な實驗机(じっけんづくえ)があり、樣々(さまざま)な備品をしまうロッカーもある。これほどの設備がまだあったとは驚きだ。どうやら希望ヶ峰學園(きぼうがみねがくえん)はあらゆる面において非常識極まるものらしいが、改めて思い知るようだ。

 

 「これはこれは。風邪薬にかゆみ止めに消毒液、殺虫剤から……これは洗剤ですか?」

 「こっちはもっとすげえぞ!重曹、にがり、色素から始まって人工甘味料に増粘剤に乳化剤、酸化防止剤ってなもんだ!添加物博覧会ってか?」

 「アセトアミノフェン、テトロドトキシン、シアン化カリウム、濃硫酸、王水、フッ化水素……どちらかと言えばこちらが本命でしょう」

 「耳に馴染んだものから素人には扱えないようなものまで……大層(たいそう)なものだな」

 「……そうですね。僕らには触れるのも恐ろしいです」

 「何言ってやがるんかねえ。おめえさんもつい昨日、ルチアーノだか寿司海苔だかっての使ってたじゃねえか。恐ろしいこった」

 「あれはブラフですよ。ただの色水です」

 「なにぃ!?」

 

 なんでもないことのように、尾田は白狀(はくじょう)した。どうせこれ以上騙し通すことはできないだろうからな。王村はそれを聞いてひっくり返りそうなほど、庵野は細い目が僅かに開かれるほど驚いたようだ。いちおう俺も驚いた(かお)は見せておくか。

 

 「実際のルミノール試薬はここにあるんです。昨日の僕が手に入れられるわけがないでしょう」

 「するってえとおいらたちゃあ、お前のホントかウソか分からねえ小細工に命懸けたってのかい!?」

 「虎ノ森クンはほとんど自白していたようなものでした。僕のブラフはそれを引き出すためのもので、あなたたちの意思決定を直接左右するものではありません。それに、生きてるんだからいいじゃありませんか」

 「結果論か。破滅する者の思考だ。刹那的で(じつ)に良いと思うぞ」

 「別にあなたに気に入られたって嬉しくもなんともないです」

 「だろうな。俺も喜ばせるために()に入ったわけではない。さらに言えば特段()に入ってはいない」

 「なんでこうもギスつくんだろうなあ」

 

 空氣(くうき)の流れが淀んで藥品(やくひん)から漂う匂いが綯い交ぜになったこの不愉快な空氣(くうき)のせいか、自然と4人の(あいだ)に流れる雰圍氣(ふんいき)まで(わる)くなっていくようだ。しかしたとえここで大喧嘩を始めようとも、この場所の探索はしっかり(こな)さなければならない。

 ふむふむ、どうやら入口から近い順に、一般的な醫藥品(いやくひん)や食品添加物、家庭用藥品(やくひん)低危險度(ていきけんど)化學藥品(かがくやくひん)、非常に危險(きけん)藥品(やくひん)、毒物・劇物、というグラデエションになっているわけだな。そして部屋の最奧(さいおう)には、何やら大きな鐵嚢(ボンベ)があった。

 

 「これはまた怪しげものが現れたな。いったい何だ」

 「やけに興味津々ですね、菊島クン。化学に造詣でも?」

 「俺が理系の學徒(がくと)に見えるかな?」

 「詳しいでしょう。見ただけで素人には扱えない薬品だと分かる素人はいません」

 「……それもそうか」

 

 なるほど。この尾田という男は周りをよく見ている。俺が何の()なしに言った言葉をそう解釋(かいしゃく)するか。學級裁判(がっきゅうさいばん)のあの場面でハッタリをかます度胸もある。あるいは全て計算盡(けいさんづ)くか。敵にはしたくないが、仲閒(なかま)を作りたがる性分でもないだろう。なんとも扱いの難しい男だ。

 

 「いやなに、小說家(しょうせつか)というのは題材に(おう)じてあれこれ取材をするものだ。その關係(かんけい)で少しな」

 「ふぅん。そうですか。勉強熱心なタイプには見えませんが……そういうことにしておきましょう」

 「おいおいおい!なんだいこりゃあ!」

 「王村君、あまり勝手に持ち出すのはいけませんよ」

 「今度はなんですか」

 

 物置の方でなにやら騷いでいると思ったら、王村が妙なものを被っていた。()(くろ)に塗られたプラスチックのゴオグルに、やたらとゴテゴテしたマスクが付いている。指の先から足の先まですっぽりと包む雨合羽のような素材の服で、王村は現れた。(かお)もろくに見えないのになぜ王村だと分かるかというと、あんまりにも背が低いからだ。

 

 「王村君が倉庫の中にあった防護服を勝手に着始めまして」

 「こんな面白そうなもん着とかなきゃ損だろ!ただでさえこっちは閉じ込められて暇してるってんでい!」

 「始終酒ばかり()んでいる()(ぱら)いが何を言っているのやら」

 「こらーーーっ!防護服で遊ぶヤツがあるかーーーっ!!」

 「おぎゃっ!」

 

 相變(あいか)わらず突然に、その(こえ)は俺たちの背後から現れた。振り向けば(かお)()()にしてカンカンに怒るモノクマがいた。血が通っていないのになぜ(かお)が赤くなる?

 そのままモノクマは王村の近くまで寄ると、ポカリと(なぐ)って防護服をひん剥いた。どうやら本當(ほんとう)に遊びで着られたくなかったらしい。高價(こうか)なものなのだろうか。モノクマにも經濟(けいざい)というものがあろう。

 

 「貴重な防護服を雑に使いやがって!これはどんな薬品からも内部の人を守るスーパーハイテクスーツなんだぞう!高いんだぞう!」

 「どこかから仕入れているのですか?」

 「材料さえ揃えば作れないことはないけど、その材料が希少なんだなあ。ってそんなことはどうでもいいの!いい大人が子どもみたいにはしゃぐもんじゃありません!」

 「なにおうてやんでい!テメエこちとらこんな狭くてつまんねえ色気もねえしみったれたとこに三日も四日も閉じ込められてんでい!新しい世界を用意したっつうのはテメエじゃねえか!ちょいとばかりハメェ外して遊ぶのがそんなにいけねえことか!べらぼうめいこんちきしょう!」

 「はめ外すのは勝手だけど、大切な備品を壊したらその分のペナルティは受けてもらうからね!」

 「ペ、ペナ……?」

 

 よせばいいのに、王村はモノクマに向かってどこぞの噺家(さなが)らに啖呵を切る。モノクマに言いたいことがあるのは俺たちも同じだ。それを言って()わるのならば苦勞(くろう)はしない。まさかこの程度で殺されることはないだろう、という常識すらこいつには通用しないのだ。それを察して、王村はすごすごとさがる。

 

 「あと王村クン、ちゃんと鏡を見るんだよ!そんなみっともない顔でみんなの前に出て行ったら、大恥かいちゃうもんね!あひゃひゃひゃひゃ!」

 「か、鏡だあ?なんだってんだいったい」

 「おや。いつの間に……もしかして今の防護服ですか?」

 「な、なんだよう!おいらの顔がどうなったってんだよう!」

 

 見ると、王村の兩頬(りょうほほ)に丸い跡が付いていて赤くなっている。形を見るにガスマスクの吸氣口(きゅうきこう)だろうか。さっきの防護服についていたマスクで跡が付いたのだろう。確かにみっともない(かお)だ。

 

 「(かお)が大きいからそうなるんだ」

 「顔のデカさは関係ねえやいちくしょう!散々だ!」

 「で、お前は何をしに()た?防護服で遊ばれるのが我慢ならないという理由だけではなさそうだが」

 「おっ!さすが菊島クン鋭いね!そこの薬品について説明してあげようと思ってね!」

 

 モノクマが指さしたのは、ついさっき俺と尾田が覗き込んだ鐵嚢(ボンベ)だった。やはりこれも藥品(やくひん)か。しかし一體(いったい)どういうものなのか。

 

 「こいつはめちゃくちゃにヤバい薬だよ〜!とんでもなくヤバいよ〜!どれくらいヤバいかっていうと、この部屋の中にある全ての薬品の中で一番ヤバいくらいヤバいよ〜!」

 「さっさと言ってください」

 「ツレね〜の」

 

 相變(あいか)わらずモノクマの言うことは要領を得ない。まどろっこしいだけで何も意味が掴めない。

 

 「これは世界一の強酸性薬品『YABASUGI』!これに触れたありとあらゆる有機物は、沈むように溶けていくように原型を一切留めないレベルまで酸化させられちゃいます!このAボンベの薬品とBボンベの薬品は、それぞれだと飲んだら死ぬぐらいの毒性だけど、まぜると『YABASUGI』になるんだなあ。揮発した蒸気を吸っても死ぬから気を付けてね!」

 「め、めちゃくちゃな薬品ではないですか……!そんなものがここに……!?」

 「ふむふむ……なるほど。そういうことか」

 「な、何がそういうことなんだ?」

 「今はまだ言うべきときではないな」

 「なんだそりゃ?」

 

 『YABASUGI』なる藥品(やくひん)の恐ろしさは、モノクマのことだから語る通りなのだろう。モノクマがあらゆる有機物を溶かすと言うのなら、本當(ほんとう)にあらゆる有機物を溶かす藥品(やくひん)ができるのだろう。いったいどういう化學技術(かがくぎじゅつ)なのやら。

 

 「菊島君。あなたは一体……何か知っているのですか?」

 「俺が?ははは、何も知らんよ。物書きというのは、何も知らん生き物だ。頭の中で得手勝手に捏ねくり回した妄想をしたためて愚にも付かない駄文を拵えては幾らかの金に換える、そういう生き物だ」

 「まあ……虎ノ森クンのようなことをしないのであれば、僕は別にどうでも構いませんが」

 

 なるほど。自分ではいつもの通り振る舞っているつもりだが、尾田には虎ノ森の二の舞になりかねないと思われてしまったようだ。これはいかん。ヤツは俺の忠吿(ちゅうこく)通り、己が可愛さ故に破滅した。少々反省するとしよう。俺はまだ死ぬつもりはないのだから。




第二章のはじまりはじまり、です。
第一章までは定期的に投稿していましたが、章をまたぐタイミングでちょっとお休みしてました。本当はストックがなくなって投稿できなかっただけですが……。せっかくですから、今後もこんなペースで進めていこうと思います。

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