ダンガンロンパメサイア   作:じゃん@論破

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非日常編

 

 狭山は私の膝の上で眠るように呼吸していた。実際には寝ていない。それくらい落ち着いているということだ。すっかり手に馴染んだこの毛も、私が毎晩磨き続けてきたおかげでもふもふだ。気持ちよさそうに毛繕いされる狭山を、私はぎゅっと抱きしめる。

 

 「もふもふだ……」

 「ぐえっ。苦しいですよ毛利殿」

 「我慢しろ。私にとっては貴重な時間なんだ」

 「こればっかりは慣れませんねえ」

 

 今日、またひとり私たちの中から人が消えた。狭山が理刈を部屋に閉じ込めてしまったのだ。生真面目で融通の利かない理刈が、たとえ精神的に弱っていたとはいえ、一時的にでも狭山に賛同したのは意外だった。だがこうなるだろうことも、私は予想できていた。狭山のやり方は規律と秩序を重んじる理刈の考えには馴染まない。そう感じつつも、理刈と狭山を引き離すことをしてこなかったのは、私の責任でもあるのだが。

 

 「そろそろ部屋に監禁する手法も終わりにしましょうか」

 

 狭山はのんびりとそんなことを言う。

 

 「あいつらを解放するのか?」

 「いいえ。新しく人を閉じ込めることをしないだけです。強硬手段は引き際が肝心ですからね。残った方々がどうされるか次第で、解放するかどうかを決めます。まあ、手始めに1ヶ月は様子を見ますか」

 「そんなに長い間、閉じ込めておくのか?」

 「出すのはそう簡単ではないと知らしめるのです。我々は大きく、そして面倒でなければいけません。皆さんが干渉したがらなくなるほどに、皆さんにとって触れがたい存在と印象付ける必要があるのです」

 「嫌われるということではないのか?」

 「ただ嫌いなだけでは殺害候補にあがるだけです。むしろ我々の存在を大きく見せることで、敵に回すことを避けさせるのです。他人を殺しても学級裁判で我々と対峙しなくてはならないのですから、結局は敵に回すことになりますからね」

 

 つまり、自分の犯行を暴かれかねないからではなく、単純に敵になると何をしでかすか分からない危険な存在と刷り込もうということか。

 

 「徹底した不干渉こそが平和への最短経路です。犠牲はつきものですが、命よりは安いでしょう」

 

 時間が来たとばかりに、狭山は時計を見て私の腕から脱出した。もうすでに夜時間は過ぎ、そろそろ日付が変わるころだ。

 

 「では毛利殿、今日もありがとうございました」

 

 そう言って、狭山は私の目の前でキツネから人間に変わる。どんなトリックを使っているのか、皆目見当も付かない。感触は確かに本物の毛皮なのだが……。

 

 「また明日。よろしくお願いしますね」

 

 狭山は私の部屋を出て行こうとする。まったく自由なヤツだ。このまま自由にしていてはいけない。いつかヤツを止めなければ。そう思いつつ何もできない私が、もどかしくて仕方ない。何かが間違ってしまう前に、何かが狂ってしまう前に、狭山を止めなくてはならない。私は満足げに部屋を出ようとする狭山を捕まえようと立ち上がった。

 

 「狭山──」

 


 

 朝ご飯はいつも静かだ。ここに来て最初の朝ご飯のときもそうだった。高校生が20人も集まっていてあんなに静かなのは少し不気味だった。あの静かさが印象に残ってたせいかも知れない。今日の食堂がやけに騒がしく感じるのは。

 

 「なんだか騒がしいようだが」

 「放っとけよ。どうせおいらたちにゃあ関係ねえんだ。あいつらがそう言ったんだから」

 「朝ご飯食べてる横でこんなにガヤガヤされたら気になっちゃうヨ!どしたノ!」

 

 谷倉さんは今日も17人分の食事を用意してくれた。部屋に閉じ込められてる人たちのところには、月浦君がお膳を持っていってくれてる。さすがに狭山さんも部屋に閉じ込めてそのまま衰弱させるなんてことはしないみたいだ。そして私たちもひとり一食、用意された朝ご飯を食べる。そうすると、そのお膳がひとつだけ余った。誰かひとり、ここに来てない人がいる。

 

 「なんで狭山は来ないんだ!」

 「僕に聞かれても知らない。毎晩あんたに毛繕いしてもらってるんじゃないのか」

 「私は……部屋に戻ると言って出て行ってからのことは知らない」

 「とにかく、部屋にいないならどこか適当なところをぷらぷらしてるんだろ」

 

 月浦君と毛利さんが、食堂の隅で何やら言い合っている。毛利さんといつも一緒にいた狭山さんの姿はない。キツネの姿も、人間の姿を見当たらない。寝坊してくることは多かったけど、どうやらそういうわけでもないらしい。

 

 「あいつが好きそうな場所と言ったら、大浴場かプールか……そんなところだろ」

 「分かった。私が探してくる。もし狭山が入れ違いでやって来たら、事情を説明しておいてくれ」

 「……」

 

 はっきりと承諾はしていないけれど、月浦君はたぶん了解した。毛利さんは少し焦ったような顔で食堂を出て行こうとする。普段落ち着いている毛利さんのそんな顔を見るのは始めてで、私はつい声をかけてしまった。

 

 「も、毛利さん?なにか大変そうだけど、大丈夫?」

 「……ああ。大丈夫とは言えないが……構わないでくれ。これは私たちの問題だ。これ以上お前たちに迷惑はかけられない」

 「迷惑だなんてそんな……」

 「狹山(さやま)が行方知れずになったのだろう?ふふふ……いよいよこれからというときに、指導者の失踪。これは荒れるだろうな」

 「菊島……何か知っているのか?」

 「まさか」

 

 菊島君はいつもこんな感じだから、仮に何か知っていたとしても表情や態度からは分からない。付き合うだけ時間がもったいないと感じたのか、毛利さんはさっさと行ってしまう。私は、なんとなく放っておけなくてその後を追った。

 

 「毛利さん!私も一緒に探すよ!」

 「甲斐……?いや、ありがたいが、私たちだけで解決する。今更お前たちに助けてもらう資格なんてないんだ」

 「もしものときは私たちだって無関係じゃないんだよ。一緒に探させてよ」

 「……勝手にしろっ」

 

 毛利さんは食堂を飛び出して個室の廊下を通り過ぎ、地下への階段に向かう。私もその後に続いた。私たち以外はみんな食堂に残ってる。月浦君たちは狭山さんを待って、他のみんなは狭山さんのために行動したくないんだろう。この分断がまずいって、みんなよく分かってるはずなのに。

 地下への階段は相変わらず暗い。湖藤君の個室を彼に合わせて改造するくらいなんだから、足下が悪い階段に照明を付けるくらいすればいいのに。モノクマの気配りの仕方がいまいちよく分からない。それでも毛利さんは駆け下りていく。それだけ狭山さんが心配なんだ。私たちはてっきり毛利さんも狭山さんに掌握されてるのかと思ったけど、どうやらそういうわけでもないらしい。

 

 「……え?」

 

 毛利さんを見失わないように、私も階段を降りようとした。でもそのとき、私は見つけてしまった。地下へと続く緩やかな階段。その段差の縁に、少しだけ──ほんの少しだけ、赤いシミができていることに。

 

 「な、なに……これ……?」

 

 その赤いシミは、階下へ向かうにつれて少しずつ大きくなっているように見える。それでも、シミの大きさや数からして、それほど大量のものではないことが分かる。飛び散り方といい、形といい、まだ乾いてない部分のぬらぬらしたテカりといい……これと同じものを、私は最近見た。忘れたいと思っても忘れることのできない、あの赤だ。

 

 「……ッ!!狭山さん!!」

 

 重力に引かれるように、私は階段を駆け下りた。本当にこれは血なのか。それも狭山さんのものなのか。そんな確信はどこにもない。ただ状況的に、狭山さんのものである可能性が一番高い気がした。こんなところで血を流していることが尋常であるはずがない。その血が私の本能を刺激したのか、吸い込まれるように地下の闇の中へ、私は落ちていく。

 階段を降りた先は、あのコンクリート打ちっ放しの地下室だ。前を行く毛利さんの背中が見えた。階段を降りた先で呆然としている。その奥には、何だか白い陶器のようなものが見えた。それが何なのか、私には分からない。

 

 「も、毛利さん……?あの、狭山さんは、いた……?」

 「……なあ、甲斐」

 「うん?」

 「……これ、は……なんだと思う……?」

 「?」

 

 大きく目を見開いて、毛利さんは()()を見下ろす。階段から見えた白いものは、バスタブだった。殺風景な地下室の真ん中に、そのバスタブはぽつねんと横たわっていた。まるで階段から落ちてきた誰かを受け止めようとするような、そんな位置だ。その中は、液体で満たされていた。

 その表面は静かな平らをなしていて、天井の蛍光灯が反射して鏡のようだ。液体越しに見えるバスタブが黄ばんだような、黒ずんだような、とにかく気味の悪い色に染まっている。わずかに鼻を突く臭いは気持ち悪くて、喉とお腹に指を突っ込まれてほじくられたような感覚になる。そしてその気味の悪い液体の中に、真っ黒な塊が沈んでいる。何かがボロボロに崩れた、炭のような塊が。

 私は毛利さんの質問に答えられなかった。これが一体なんなのか、その答えを私は知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、知ることになった。

 

 

 『ピンポンパンポ〜〜ン!死体が発見されました!一定の自由時間の後、学級裁判を開きます!』

 

 

 モノクマの声が、地下室中に響き渡った。

 


 

 モノクマのアナウンスからほどなくして、食堂にいたみんなと、部屋に閉じ込められていたはずのみんなが地下室に集まった。気付いたときには湖藤君も、宿楽さんに助けられて昇降機で降りて来ていた。そこに揃った面々を見渡して、私たちはようやく、さっきのアナウンスが意味することを理解した。いや、もしかしたら私たちは、もっと前から薄々感づいていたのかも知れない。いずれこうなってしまうだろうことを、ずっと頭の片隅に追いやっていたんだ。

 

 「狭山さんが……亡くなった……」

 

 無意識に、私はその事実を口にした。それを聞いて驚いた顔をするのは、陽面さんと理刈さんだけだった。他のみんなは、悲しそうに俯いたり、苦しそうに歯を食いしばったり、あるいはもうすでに他の人を疑っているのか、せわしなく辺りに目を配る人もいた。

 

 「そんな……!さ、狭山さん……!」

 「どうして……!いやだよ……!どうして……!?」

 「どうしてもこうしてもなーーーい!人を誑かしたり4人も監禁したりやりたい放題やってくれちゃってさ!ボクのコロシアイ生活はそんなんで生き残れるほど甘かないってことだよ!急いては事を仕損じるってワケだね!」

 

 またどこからともなく現れて、モノクマはくるくる踊りながら狭山さんを笑う。すごく腹が立つ。でも今の私たちにモノクマを咎める資格なんてない。私たちは、狭山さんの身が危険だと感じていながら、何もできていなかったのだから。

 

 「と、ところでよぉ……狭山の死体が出たんだろ?見当たらねぇんだけど?」

 「うん?何言ってんの?死体なら、()()にあるじゃない!」

 

 そう言って、モノクマは()()()()()指さした。全員の視線が注がれる。バスタブの、その中にある汚れた液体の、その底に沈んだ黒い塊に。もはや人間の形も狐の形もしていない、色も形も、生命すら奪われた、炭のように黒い物体。それが、“超高校級のシャーマン”狭山狐々乃さんの成れの果てだった。

 

 「こっ……これが……狭山ァ!?なに言ってんだアンタ!?」

 「なんと可哀想なことでしょう。狭山サンはただ殺されるだけじゃなく、ドロッドロに溶かされてしまったのです!もはや人間だったかどうかも分からないくらい……ってもともと人間か狐かよく分かんないヤツだったね!ヘドロになったって大した問題じゃなーい!」

 「たっ、たた、大したことあるわ!正気かよ!?人ひとり溶かすって……何考えてんだ!」

 「そんなんボクに言われても知らないよ。溶かした人にきいてよね」

 「ううっ……!ちょ、ちょっと……!」

 

 うっかり中をまともに見てしまった理刈さんが、口を抑えてトイレに駆け込んだ。無理もない。私だってものすごく気分が悪い。朝ご飯を食べる前だったからまだマシだけど、もし食べていたらきっとここに立っていられなかった。犯人はなんて残酷なことをするんだろう。いくらなんでも、これはひどすぎる。

 

 「さて。今回もオマエラには捜査と学級裁判をしてもらうんですが、今回は特殊な事例なので、捜査制限を敷きます!」

 「捜査制限?」

 「このバスタブの中を満たす液体は、めちゃくちゃ危険です。素手で触ったら一発でアウト!しぶきがかかってもアウト!気化したものをモロに吸い込んでもアウト!スリーアウトでこの世からチェンジ!ってレベルの危険物質なのです!」

 「な、なんでそんなのを用意しとくんだよ……」

 「というわけで、しばらくこの周辺は立ち入り禁止とします。触っても大丈夫なように、ボクが中和しておくから」

 

 どこから取り出したのやら、モノクマは白衣とゴーグルをつけてバスタブの周りに立ち入り禁止を意味するトラロープを張り巡らせた。たちまちバスタブの周りから人が追い出されて、私たちは地下室の隅っこに追いやられる。さすがに15人も集まると狭い。

 

 「あ。モノクマファイルはもう送ってあるから。それでも読んで待っててね」

 

 それを聞くが早いか、何人かの人がモノカラーを操作してモノクマファイルを開いた。あちこちに狭山さんの溶けた死体が表示されるのが気持ち悪くて、私はとにかくこの息が詰まるような地下室から逃れたい気分だった。人が集まったせいか気温も上がり、どんどん気持ち悪くなる。私もトイレに駆け込まなくちゃいけないかも知れない。

 

 「甲斐さん……?大丈夫?」

 「無理もないでしょう。あんなことになってしまった狭山さんを見てしまったのでは……」

 「庵野くんも大丈夫なの?ずっと部屋に閉じ込められてたんでしょ?」

 「なんの。手前は愛と信仰心さえあれば、たとえ岩窟の中でも堪え忍んでみせます。ましてや体を動かす設備が整っている自室ですから」

 「体を動かす設備?」

 「筋トレを少々」

 

 自分でも分かるくらい自分の顔色は悪くなってるだろう。そんな私を心配して、宿楽さんと湖藤君が声をかけてくれた。庵野君も同じように心配してくれてる。ついでに庵野君の意外な趣味が判明した。だからそんなにムキムキなのか。ってそんなことはどうでもいい。早く捜査しないと。

 

 「いまこの場所は捜査制限が敷かれてるから、他の場所を捜査しようよ。事件はおそらくこの地下室で起きてるから、この辺りを調べればなにか見つかるかも」

 「甲斐さん。やれる?」

 「うん……がんばる」

 

 正直、バスタブの中を見ただけではそれが人間だって分からなかったからダメージは少ない。この気持ち悪さは、モノクマから真相を聞いて、目の前にあるものが人間だと信じられなくてパニックになったせいだろう。少し落ち着けば大丈夫だ。それまで他の場所を捜査していよう。

 


 

 まず私たちは、モノクマファイルを確認することにした。益玉君と三沢さんが殺害された事件でも、ファイルに書いてあることは殺人事件の捜査になれていない私たちにとって、かなりの情報源だった。同時にそれは、モノクマが殺人の現場を嬉々として見物していたことにもなるから、それに頼るのは正直許せないんだけど……背に腹は代えられない。私はモノカラーを捜査してファイルを開いた。

 

 

【モノクマファイル②)

 被害者:狭山狐々乃

 死因 :−

 死体発見場所:B1階

 死亡推定時刻:夜中1時過ぎ

 その他:遺体は特殊な薬品によって溶解しており、原型を留めていない。

 

 

 「こ、これだけ?」

 「……前回に比べて、明らかに情報が少ないね。それに──」

 「死因が書いてない!!不備だ!!欠陥だ!!手抜きだ〜〜〜!!」

 「うるさいよ!」

 

 大騒ぎする宿楽さんの声が、地下室のコンクリートに反響してガンガン鳴る。集中を要する作業を妨害されたモノクマがたまらず吠えた。だけど、これは明らかに情報不足だ。死因なんて、殺人事件の捜査では一番大事な手掛かりと言っても過言じゃないはずだ。それが書いてないんだもの。

 

 「だってこれ、死因が書いてないんですけど!死因なんて解剖とかしないと分からないんじゃないの!?そんなんできないからね!?三枚おろしとは訳が違うんだから!」

 「ああそれ?それはバグじゃなくて仕様です」

 「し、仕様?これで正しいってこと?」

 「そ!そもそもモノクマファイルは検死ファイルである以前に、シロとクロが公平に学級裁判で議論ができるよう情報の格差をなくすためにあるの。なんでもかんでも最初から分かってたら、クロが不利になってつまんないでしょ?」

 「ならどうして益玉くんと三沢さんの死因は明記してたんだい?それに、同じことが死亡推定時刻やその他特記事項についても言えるよね」

 「……本当に君みたいに頭のキレるガキは嫌いだよ、湖藤クン」

 「好いてくれなくていいよ」

 

 湖藤君の質問には答えずに、それでもモノクマは何かを噛み殺すような表情をして作業に戻った。いったい今のやり取りが何を意味するのか、私(と、たぶん宿楽さんも)は分かりかねていた。

 

 「やっぱりモノクマファイルは貴重な情報源だよ」

 

 ひとりだけ納得した様子で、湖藤君は頷いた。死亡推定時刻が真夜中なのは情報だとしても、体が溶けてることなんて一目見れば分かる。理解したくはなかったけど……。

 モノクマファイルの不備への文句もそこそこに、私たちは薬品庫を捜査することにした。狭山さんが溶かされたのには何らかの薬品が使われたことが明らかだったし、ここには色々な毒物がしまってある。間違いなく今回の事件に関わっている場所だ。

 中には何人かの人がいて、けれど意外にも菊島君の姿はなかった。いたのは、王村さんと尾田君と月浦君と陽面さんだ。王村さんは興味深げに薬品棚を見てるだけで、あんまり真面目に捜査をしてる感じじゃない。月浦君と陽面さんは捜査というよりも、ショックを受けて泣いてる陽面さんを落ち着かせてるところのようだ。

 

 「うへ〜、すごい薬の数」

 「風邪薬から猛毒まで、なんでも揃ってるよ。人の体を溶かす毒なんて、そんなに多くないと思うけど」

 「生物の体は複雑な組成をしてるし、不純物も多いからね。周りに服がないところを見るに、狭山さんは服ごと溶かされたはずだ。となると、相当強力ななんでも溶かす酸が使われたんだと思う。並大抵のものじゃないはずだよ」

 「そんなもんがどこに……」

 「ううっ……!コ、コンちゃんが……!コンちゃんが……!」

 「あっ……」

 

 コンクリート打ちっ放しの地下室だと、離れた場所でのすすり泣きがよく聞こえて来る。陽面さんは狭山さんが殺されたことに相当ショックを受けていて、まだそれから立ち直ってないみたいだ。そばで月浦君が優しい言葉をかけてるけれど、それだけじゃなかなか落ち着きは取り戻せそうにない。

 

 「陽面さん、大丈夫?」

 「あ……ま、まつりちゃん……!」

 「はぐは今お前の相手をしてる場合じゃないんだ。どっか行ってくれ」

 「そういうわけにはいかないよ。こんなにひどい顔して……泣いてる子を放っておけないでしょ」

 「はぐには僕がいる。お前は捜査をしてろ。正しいクロを指摘しないと、はぐの身だって危ないんだぞ」

 

 それが分かってるなら自分がすればいいのに、と思ったけど、やっぱり月浦君は陽面さんのことが一番大事らしくて、自分が単独行動するなんて考えもしてないみたいだ。

 

 「二人は狭山さんと一緒に行動してたんじゃないの?」

 「……私は、お昼の間はずっと一緒だったよ。一緒にご飯を食べたり、遊んだり、お話したり。でも夜は……」

 「夜ははぐが早く寝るから一緒じゃない。僕だって狭山と離れることはあるし、寝るときははぐとは別室だ。一緒にいたっていうなら、毛利こそべったりだった。いや、狭山が毛利にべったりなのか……」

 「毛利さんか……うん、分かった。話を聞いてみるよ」

 

 『狐々乃一心教会』だっけ?それの参加メンバーだったら、今朝狭山さんが発見されるまでの間に何があったかとか、普段の狭山さんの様子とかを知ってるかと思ったんだけど……どうやら陽面さんはそんなに目敏く狭山さんの動向を監視してるわけじゃないみたいだし、月浦君も興味がないみたいだ。むしろ毛利さんの方が、狭山さんとは仲が良かった印象がある。さっきはバスタブを遠巻きに見守ってたみたいだけど、今はどこにいるかな。

 

 「おい」

 「え?」

 

 薬品棚の方を捜査しに行こうと思ったところを、月浦君に呼び止められた。名前も呼ばない、顔もこっちに向けない、ぶっきらぼうな呼び方だった。でも、月浦君の方から私たちに声をかけることの方が珍しくて、それだけで驚きだった。

 

 「はぐの命が懸かってるんだ。必ず、犯人を見つけるぞ」

 「……私は、犯人を見つけるなんてモチベーションでは捜査したくない。私たちの誰かが、自分の意思で殺人を犯したなんて、思いたくない」

 「やることは同じだ。頼んだぞ」

 

 頼んだぞ、なんて月浦君から言われるとは思わなかった。事件解決へのスタンスが違っても、結局目指すところは同じ。私の言うことはきれい事だ。そんなのは分かってる。私たちの命は、私たちの意思なんて関係なく、もう懸けられてる。あと何時間かした時には、少なくともひとり、誰かが殺される。それが自分なのか、目の前にいる誰かなのか、それは分からない。

 命を懸けることがどういうことなのか、既に私たちは知っていたつもりになっていた。乗り越えたつもりでいた。でも、再びこうして自分の命がまな板の上に乗せられると、改めてその恐怖と理不尽さで、体の奥が寒くなる。私はその場で立ち竦んでしまった。

 

 「突っ立ってるだけならどいてください。邪魔です」

 

 呆然と立っていた私に、そんな声をかけてくるのは、やっぱり尾田君だった。こんなときにも彼は人に辛辣で、どこか苛立ってるようにさえ感じた。見ると、なぜかマスクで口元を覆っている。薬品庫でそんなものをしてるから、何かのガスでも噴き出してきてるのかと思って、慌てて口を塞いだ。

 

 「なにやってるんですか」

 「だって尾田君がマスクしてるから。何か危険なガスでも出てるんじゃないかと思って」

 「アホですかあなた。だったらマスクなんかせずにさっさとここを出てモノクマに通報しています。これはただの風邪です」

 「か、かぜ?」

 「悪いですか?」

 「いや……なんか、意外というか、尾田君も風邪引くんだなあって……」

 「煽ってると受け取っても?」

 「へ。あっ、いやごめん!違うの違うの!ただ、なんかそういうのとは無縁そうな感じだったから」

 「何も違わないじゃないですか。まさか、あなたのようなシナプスが金平糖でできてる人間にそう思われていたとは……心外の極みです」

 

 シナプスが金平糖なんて喩えが尾田君の口から出て来るのも意外だった。けど今の私の発言って、確かにあんまり言われて気分のいいものじゃなかったかも。これ以上の弁解は無意味に感じて、私は口を閉じた。尾田君が風邪を引くイメージがなかったのは、そういうところもちゃんと自己管理できるイメージがあったってことなんだけど……。

 

 「あの、尾田君……いちおう、狭山さんのこと何か知らないか、聞いてもいい?」

 「聞いてもいいか答えたら改めて同じ質問をするんですか?二度手間な聞き方をするなんてずいぶん余裕があるんですね。もう犯人の目星でもついてるんですか?大変優秀なことで」

 「1の質問を10の罵倒で返さないでよ」

 「なんですかそれは?つまらないユーモアを交えて返せば気を利かせた風になると思ってるんですかね?」

 「尾田君もそうやって事ある毎に人をバカにするクセ、止めた方がいいよ。敵を作るだけだから」

 「人をバカにしてるんじゃありません。あなたをバカにしてるんです。そもそもこのコロシアイ生活は最初から敵だらけなのでなんの問題もありません」

 

 ああ言えばこう言う。そうやって書いた紙をおでこに貼り付けてやろうかと思った。よくもまあこんな短いやり取りでこんなにたくさん人に罵詈雑言を浴びせられるものだ。いっそ感心する。

 

 「じゃあ質問し直すけど、狭山さんのことで何か知ってるなら教えて」

 「イヤです。あなたがクロである可能性が0でない限り、下手な情報共有は議論の攪乱を許します」

 「ホント性格悪いよね、尾田君って」

 「知ってます」

 

 なんだか最近の尾田君は、前に輪をかけて人当たりが悪くなってるような気がする。コロシアイ生活のストレスで、彼も彼なりに鬱憤が溜まってるってことなのかも知れない。それにしたって出会い頭から人をバカにするのは止めた方がいい。後でまた言ってあげないと。

 尾田君は薬品庫の奥の物置から、何やら銀色のアームカバーと手袋を持ち出して来た。物々しい装備だったけど、どうせ聞いたところで私には教えてくれないだろうから、そのまま薬品庫を出て行く彼を見送った。

 

 「甲斐さん。もう尾田さんに構うのよしなよ」

 

 尾田君を見送った私に、宿楽さんが声をかけてきた。宿楽さんなりに私のことを気遣ってくれたんだろう。

 

 「裁判だと頼もしいけど、普段の生活では絡むだけ損だよ。甲斐さんがあんなボロカスのこてんぱんに言われてるの見たくない」

 「ボ、ボロカスのこてんぱん……?」

 

 今の宿楽さんの言い方もなかなかだと思う。

 

 「尾田さんがクロでさえなければ、取りあえず放っておいても大丈夫なんじゃないかな」

 「……そうかなあ」

 「大丈夫だよ、甲斐さん。尾田くんは安易に殺人を犯すような人じゃない。そこだけは信じてあげてもいいと思うな」

 

 宿楽さんと一緒に、湖藤さんもそんなことを言う。私は別に尾田君に特別構ってるわけじゃないんだけど、二人がそんなに言うもんだから、これ以上色々言うことはやめて、捜査に集中することにした。

 薬品庫で見るべきものと言ったら、狭山さんの体を溶かしたであろう何らかの薬品だ。毒とは少し違うかも知れないけれど、でも危険物の棚に置いてあるもののはず。私はその棚の辺りを調べることにした。

 

 「王村さん、捜査はどうですか?」

 「へっ……おいらにゃなんもできゃしねえよぅ。こんな体じゃ棚の上まで見ることもできねえ」

 「脚立があるじゃないですか」

 「酔って乗ったら危ねえだろ?」

 「なんで酔ってるんですか……朝ご飯もまだなのに」

 「二日酔いには迎え酒が効くんだ。若えから知らねえのも無理ねえけどな」

 「そうですか……」

 

 要するに昨日の晩からずっと飲んでるから捜査がろくにできないってことだ。つくづくこの薬品庫に集まってる人たちは、誰かと協力することが特別不得意な人たちらしい。仕方ないから私は自力で辺りを調べる。この辺りの毒は、確か少量なら体が痺れたり意識が軽く遠のくくらいで済むものだったっけ。そんな知識要らないと思ってたけど、こんな形で役に立つとは、全く嬉しくない。

 

 「あれ?」

 

 薄暗いからよく分からなかったけど、棚の下から何かがはみ出ている。下に何かあるんだ。膝に埃がついちゃうけど、私はぐっと体を低くして、それを棚の下から摘まみ出した。

 それは、ボロボロの布きれだった。埃にまみれてるというだけじゃなくて、生地そのものが傷んだり焼け焦げたりすり切れたりしてる。渋い色で染められたシンプルなデザインで、無事な部分の手触りはすごくいいのに、もったいない。それにしても、なんでこんなところにこんなものが?

 

 「うわっ、なんだよそれ。ばっちいなあ」

 「王村さん。これ、棚の下に落ちてたんだけど、何か知らない?」

 「下ぁ?いんにゃ……心当たりねぇな」

 

 なんだろう。最近こんなものを見たような気がするんだけど……。取りあえず、私はそれを持っておいた。汚いからポケットには入れない。絶対に。

 

 「甲斐さん!ちょっと来て!」

 

 ちょうど布きれを畳んだとき、宿楽さんが私を呼ぶ声がした。焦ってる風には聞こえない。何か発見したんだろうか。声のする方へ行ってみると、宿楽さんと湖藤君が、何やら大きな鉄製のボンベをしげしげと眺めていた。なんだろう、これ。

 

 「宿楽さん、どうしたの?なにこれ?」

 「湖藤さんが見つけたんだ!狭山さんの遺体を溶かした薬品って、これなんじゃないかって!」

 「え」

 

 私の脳裏に、ドロドロの黒い塊になった狭山さんの光景が蘇った。なるべく考えないようにしようとしてたのに、思い出すとさっきまでよりひどい光景に思えてきて、また気分が悪くなる。目の前のことに集中してたら、そのうちマシになるだろう。

 鉄製のボンベは、それぞれ『A』と『B』の字が書いてある。その横のプレートに、たぶんモノクマが書いた注意書きみたいなものがあった。金属のプレートがコンクリートの壁に打ち付けられてる。その無機質さが、逆にこの薬品のヤバさを表してるようだった。

 

 「なになに?これはボクことウルトラ天才化学発明家であるモノクマが──」

 「宿楽さん、全部読まなくていいんだよ」

 「つい……えっと、モノクマが持てる技術の粋を集めて開発したウルトラ強酸性薬品『YABASUGI』!これをポトリと垂らせばあら不思議!ありとあらゆる物質は沈むように溶けていくように、原型を留めないレベルまでドロドロになってしまうのです!作り方は超簡単!AのボンベとBのボンベそれぞれに入った薬品を1:1で混ぜるだけ!あなたの消したいあ〜んなものやこ〜んなものまで、きれいさっぱりおさらばしちゃいます!ご利用は計画的に!」

 「……」

 「だって」

 「結局、全部ちゃんと読んだね」

 

 この薄暗い薬品庫の中で、電子サングラスをかけた状態でよくそんなにすらすら読めるものだ、と感心した。それはさておき、このボンベに入った薬品を混ぜるとなんでも溶かす危険な薬品ができるということだった。ドロドロになっちゃうっていうのも、まさに狭山さんの身に起きたことそのままだ。犯人はこれを使ったのか。

 

 「モノクマは今話せるのかな?」

 「だーーーもーーー!なんだよ!」

 「でてきた。最初っからキレてるよ」

 「忙しいんだよボクは!オマエラが捜査できるように一生懸命作業してるっていうのにさ!オマエラったらあっちでもぞもぞこっちでうだうだ!管理するボクの身にもなれってんだ!で、なに!」

 「相当キてるねこりゃ」

 

 薬品庫の外で作業していたはずのモノクマが、湖藤君に呼ばれてすぐさま薬品庫の天井から降ってきた。私たち全員の動きを監視しつつ狭山さんの浸かってる薬品を中和しなくちゃいけないんだから、本当に忙しいんだろう。全部自業自得なのに。

 

 「ここに書いてあるありとあらゆる物質っていうのは、本当にどんな物質でも溶かしちゃうってこと?」

 「そうだよ!そう書いてあんだろ!」

 「でもそれだったら、この薬品はどうやって使えばいいの」

 「ん?湖藤君、どういうこと?」

 「だってそうでしょ?薬品は容れ物に入れたりしてきちんと保管できるから適切に扱えるんであって、触れるものみんな溶かしちゃうんじゃあ、使いたいときに使いたい量を使えないよ」

 「た、確かに……そこんとこどうなのモノクマ!」

 「はいはい分かったよ教えるよ!そりゃ『YABASUGI』だって本当に森羅万象あらゆるものを溶かしちゃうわけじゃないさ!人体くらいだったら余裕だけどね!でもこいつにだって溶かせないものぐらいあるよ!悪いか!」

 「たとえば?」

 「陶器製のものは基本無理だね」

 「ああ、バスタブ」

 

 モノクマの答えを聞いて、私はまたしても狭山さんのなれの果てを思い出してしまった。だけど今気になってるのは狭山さんよりも、それを湛えるバスタブの方だ。あそこに入ってる薬品がこの『YABASUGI』なら、バスタブはそれに溶かされてないってことになる。

 

 「他には?」

 「ぬぬぬ……!ちゃんと『YABASUGI』を扱うための装備があっちの倉庫にあるから、それとかは溶かせないよ!これで満足かコノヤロー!」

 「うん。ここに書いてあることは誇大広告だから、後でちゃんと直しておいてね」

 「笑顔でそんなこと言いやがって!いい性格してるよオマエ!べーっだ!」

 

 そう言ってモノクマは大きく舌を出したまま薬品庫の棚の隙間に消えていった。湖藤君は満足げにしてたけど、この薬品が狭山さんを溶かしたのは紛れもない事実なんだ。今更その薬品の効果を知ったって何にもならないと思うんだけど。

 

 「収穫はあったね」

 

 湖藤君は相変わらず意味深にそんなことを言う。

 

 

 

『獲得コトダマ一覧』

【モノクマファイル②)

 被害者:狭山狐々乃

 死因 :−

 死体発見場所:B1階

 死亡推定時刻:夜中1時過ぎ

 その他:遺体は特殊な薬品によって溶解しており、原型を留めていない。

 

【木綿のハンカチ)

 薬品庫の棚の下に落ちていた、木綿素材のハンカチ。

 ところどころ変色していたり、生地が傷んでいる。

 

【YABASUGI)

 特殊な2種類の薬剤を混ぜるとできる、モノクマオリジナルの超強酸性物質。

 ほとんどの物質は溶かしてしまうが、陶器製のものは溶かせない。

 「超危険!!沈むように溶けていきたい人だけ触るように!!」─モノクマ

 


 

 薬品庫を出ると、バスタブの周りに張り巡らされていたトラロープがなくなっていた。モノクマによる捜査制限がなくなったということだろう。何人かの人がバスタブの周りを囲んでいて、ある人は中身を見ないように、ある人は中身に手を突っ込んで捜査をしていた。というか中身をまともに見てるのは尾田君だけだ。他のみんなは遠巻きに眺めているか、なるべくバスタブの方に目を向けないよう意識しながら捜査していた。

 

 「すごい臭い……」

 

 モノクマによる中和のせいか、あるいはこれはヒトが溶けた臭いとでも言うのか、猛烈に鼻を刺激する不快な臭いが辺りに漂っていた。こんな中でよく捜査ができるものだ。

 

 「皆様、ご気分が優れないようでしたらこちらを」

 

 思わず鼻を摘まんだ私たちのもとに、谷倉さんがエチケット袋を持って来てくれた。なんとか耐えられそうだと思ってたけど、エチケット袋をもらった安心感でなんだか逆に我慢が利かなくなってきたような気がする。

 

 「いま、尾田様が積極的に捜査をしてくださっています。私どもは……あまりお力になれそうにないので、せめて現場を荒らさないよう努めることしか……」

 「う、ううん!ありがとう!すごく助かるよ!」

 「こんな状況で誰か吐いたら連鎖でドエラいことになる……谷倉さんナイス判断」

 「恐縮です」

 

 尾田君と谷倉さんの他には、変わり果てた狭山さんに祈りを捧げる庵野君と、その横で手を合わせる毛利さんがいた。毛利さんは狭山さんと仲が良かったから側を離れたくないんだろう。けど庵野君は、真っ先に部屋に閉じ込められたというのにお祈りなんかして、なんて人間ができた人なんだ、と私は感心した。

 

 「庵野君、毛利さん。いま話してもいいかな?」

 「ええ。構いませんよ。手前にできることはしました。後は、毛利さんがお気の済むまで愛を唱え続けるだけです」

 「いや……私も、いい加減区切りをつけなくてはと思っていた。これは、私の責任だ」

 「え?」

 「私は、狭山のしていることを悪だと分かっていながら、それを止められなかった。その結果がこれだ。狭山が死に向かって行くのを、私は止めることができなかった」

 「そんな……毛利さんに責任はないよ。誰だって、あんな状態の狭山さんに逆らえないし……」

 「……」

 

 思い詰めた顔をしていると思ったら、毛利さんは自分を責めていたみたいだ。確かに狭山さんに一番近いところにはいただろうけど、だからと言って毛利さんが何を言ったところで、狭山さんが止まるとは思えなかった。むしろその暴走に一番振り回されていたのは毛利さんだろう。私たちに対して申し訳なさを感じていたのは、今朝のことを思い出せば分かる。

 

 「悔いて真相が分かるならそうしていてください。そうでないなら何をすべきか考えてください」

 「うるさいよ尾田君。毛利さんの気持ちも考えなよ」

 「人の気持ちを他人がどうこう考えても仕方ありません。慮って欲しいなら自分で言うべきです。その口は飯を食らうためだけに付いてるんですか」

 「い、いいんだ甲斐。尾田の言うことは正しい」

 「でも毛利さん……」

 「これ以上、私たち以外の身に危険を及ぼすべきじゃない。こんなところで油を売っている場合じゃないんだ、私は。狭山の部屋を捜査してくる。谷倉、付いてきてくれるか」

 「はい。かしこまりました」

 

 毛利さんは、近くにいた谷倉さんと一緒に階段を昇っていった。谷倉さんなら、たとえ狭山さんのことがあっても毛利さんに優しくしてくれるだろう。見張り役として残った庵野君に見守られながら、尾田君はバスタブの中身をまだ探っている。ずっと何をしてるんだろう。

 

 「何か分かったことある?ただ無意味にかき混ぜてるわけじゃないよね」

 「妙にトゲのある言い方をしますね」

 「尾田君だからね」

 「別に構いませんけど。ここに沈んでいるのはやはり狭山さん()()()()()ですね。量からして人間の姿でここに沈められたようですね。あと、服やアクセサリーが発見されていないので、丸ごと溶かされたんだと思います」

 「ひどいことする……これってさ──」

 「いけません!!」

 

 バスタブの中に浮く黒い塊を指さそうとしたら、庵野君がその手を掴んだ。びっくりして思わず腕を引いちゃって、庵野君に引っ張られるような形になった。すごく痛い。それをすぐに察したみたいで、庵野君は慌てて手を離した。

 

 「す、すみません……!思わず……!」

 「ううん……だ、大丈夫。それより、どうしたの庵野君」

 「モノクマから説明があったのです。こちらの薬品は中和されていますが、それでも素手で触ればただでは済まないのだとか。ですから適切な装備がないと、やはりバスタブの中までは捜査できないと言われております」

 「そ、そうなんだ……じゃあ尾田君のその手袋が正しい装備なの?」

 「捜査できてるってことはそういうことなんじゃないですか?普通に考えて」

 「一言多いよ」

 「あなたは小言が多いです」

 

 ダメだ。尾田君と話してるとただただ時間が過ぎていく。余計なことを言っている間に、私も別で捜査した方がまだマシだ。とはいえ、この地下室で見るべきものなんて、このバスタブくらいしかない。ゴミ集積所やプールは宿楽さんたちが捜査に行ってくれてて、私はここで尾田君を見張っているばかりだ。

 

 「……そういえば、なんでここなんだろう」

 「何がでしょう?」

 「なんで狭山さんの遺体は地下室にあったんだろうと思って。普通、夜中に地下室なんて来ないよ」

 「この薬品は薬品庫で作られるものです。危険な薬品を持ち運ぶより、死人を地下に持ってくる方が楽なんじゃないですか」

 「どうしてそこまでして狭山さんを溶かしたかったのかな?」

 「よほど狭山さんに強い恨みがあったのでしょうか……恐ろしいことです」

 「恨まれるようなことをするからです」

 「尾田君がそれを言うんだ……」

 

 尾田君の場合は恨まれるっていうか、嫌われるって感じだけど。でも、尾田君も庵野君も私の疑問に明確な答えは出せないままだった。どこで狭山さんが殺害されたのかは分からないけど、犯人は最終的に狭山さんを薬で溶かすことを目的にしていたような感じがする。それが恨みによるものなのか、他の理由があるのかは分からないけれど……答えが出てない疑問なら、覚えておく必要があるかも知れない。

 

 

『獲得コトダマ一覧』

【バスタブ)

 黒い半液体で満たされたバスタブ。狭山が身に着けていた衣類やアクセサリーごと溶かされたらしい。

 どろどろの黒い物質は刺激臭を放ち、粘り気と重みがある。

 

【捜査制限)

 今回に限りモノクマから課せられた、捜査時におけるルール。

 犯行に使われた薬品を中和するまで、バスタブの周りに近付いてはならないルール。

 その後も適切な装備を持たなければ直接バスタブ内を捜査することは禁じられていた。

 


 

 宿楽さんと湖藤君から他の場所の捜査報告を聞いて、やっぱり地下室にはこれ以上手掛かりがなかったことを知った。それなら今度は1階を捜査しようと、昇降機を使って湖藤君を運びつつ、私たちは階段を昇っていった。

 1階の階段頂上付近では既に何人かの人が捜査を始めていて、芭串君のモノカラーで階段を照らしながら菊島君が階段をしげしげと見つめている。奥にいる岩鈴さんはきょろきょろしながら、廊下と階段の位置や狭山さんの部屋の位置を確認している。みんな、やけに捜査する姿が板に付いていた。

 

 「む。地下の搜査(そうさ)は終わったのか?」

 「ひととおりね。尾田君が狭山さんの入ったバスタブを捜査してたから、また何か分かるかも」

 「うえ〜っ!マジかよあいつ!よくあんなもん捜査できるよな!」

 「気持ちは分かるけど、あんまりそういうこと言うのよくないよ、芭串君」

 「いやだってフツー無理だろ……死体だって触れねえのによ」

 

 心底イヤそうに、芭串君は両手を振りながらベロを出した。もしかしたらそれが普通の反応かも知れない。みんな周りに遠慮して表に出さないだけで、本当はこんな捜査したくないし、死体にだって近付きたくないはずだ。私だって、本当はそう思ってるのかも知れない。

 

 「()(とう)人閒(にんげん)ならそれが正しい反應(はんのう)だろう。それを露骨に口にしなければいいことだ。俺が()(とう)人閒(にんげん)を語るのも滑稽だがな」

 「むしろお前は平気なのかよ、甲斐。この前の保健室といい今回といい、2回も死体発見なんかしてよ」

 「ん……私は、平気……だと思う」

 「自信なさげじゃねえか!休んどけ休んどけ!」

 

 相変わらず荒っぽいけど、芭串君のそういうところは良い人だと思う。きっと誤解されやすい人なだけで、本当は人に気遣えるんだなって、こういうときに思う。その隣にいる菊島君は丸っきり逆だけど。

 

 「休む前に情報はもらうとしよう。死體發見(したいはっけん)アナウンスがあったときのことを聞かせてくれ」

 「死体発見アナウンス……?なに?」

 「はあ?お前この前も聞いたんだろ!?」

 「ちょ、ちょっと芭串さん!甲斐さんは保健室のときは気を失ってたんだよ!アナウンスなんか聞こえるわけないじゃん!」

 「そうだっけか?」

 

 ううん、本当は良い人なんだなって思った矢先に乱暴に責められると、ますます私の中での芭串君の評価がブレる。それはともかく、死体発見アナウンスってなんだろう。名前からしてだいたい分かるけど……この前、私が保健室で益玉君と三沢さんの死体を見つけて気を失ってたときに、何かがあったらしい。

 

 「死体発見アナウンスは、3人以上の人間が死体を発見したときに流れる放送だよ。シロとクロが公平に裁判に臨めるようにするのと、誰にも死体が発見されないままでいるのを防ぐためだって」

 「そんなのがあったんだ……」

 「因みにだが、前回は甲斐、谷倉、理刈の3人が發見者(はっけんしゃ)だ。そのときの詳しいことは理刈に聞くといい」

 「うん。分かった」

 

 相変わらず悪趣味だけど、3人以上っていうのがなんだか気になる。どうして最初のひとりが見つけたときじゃダメなんだろう。モノクマが決めたルールだから、きっとコロシアイとか学級裁判を盛り上げるためのルールなんだろう。だとすれば、もしかしたらそこに事件解決のヒントが隠されてることがあるかも知れない。

 

 「ところで、二人の捜査は成果があったのかい?」

 「当たり前だぜ!見ろこれ!血の跡だ!」

 

 湖藤君の問いに、芭串君が自信満々に答えた。指さした階段には、いくつかの赤くて丸い跡が斑点模様みたいに散っている。

 

 「血って、だれの?」

 「知らねえよ。でも、今の時点で怪我してるヤツなんていないから、狭山のじゃね?」

 「なんでこんなところに狭山さんの血が……?」

 

 ここは地下室からは階段をずいぶん上ってこなくちゃいけない。最終的に狭山さんが見つかったのは地下室なのに、どうして階段の上に血が落ちてるんだろう。

 

 「こんなところに5人もいらないだろ?あんたら、他に調べるところはないのかい」

 

 考え込んでいたら、近くにいた岩鈴さんに注意されてしまった。確かにここにはそれほど手掛かりは残されていないだろう。菊島君と芭串君に任せておけば大丈夫だから、私たちは別のところを調べた方が良さそうだ。その前に、岩鈴さんにも話を聞いておくことにした。

 

 「岩鈴さん。昨日……と言っても部屋にずっといたんだっけ」

 「そうだよ。狭山のヤツに閉じ込められちまって、出たら一発お返ししてやらないとと思ってたんだ!」

 「閉じ込められてたときのことを聞いてもいい?」

 「いいけど、何か事件に関係あんのかい?」

 「一応ね」

 

 事件の直前までに4人もの人が閉じ込められていた。その人たちは自分の力で部屋を出ることはできなかったから、事件に関わる手掛かりを持っているとは思えない。だけど、狭山さんがみんなをどういう風に扱っていたのかを知ることで、彼女の考えを少しでも知ることができるかも知れないと思ったんだ。

 

 「部屋にいるだけじゃご飯とかどうしてたの?」

 「飯はほとんど陽面が持って来たね。月浦のときもあったけど。毎回ちょっとだけドアを開けて、そこからお盆で差し出すのさ。まるで刑務所だよ」

 「脱出しようとは思わなかったの?」

 「思うに決まってんだろ!ただでさえこんなところでうだうだしてられないってのに、部屋でじっとしてるだけなんて(アタシ)に我慢できると思うのかい!」

 「いや分かんないけど……」

 「でもね、脱出しようとしてもすぐに月浦に見つかっちまうんだよ。あいつ、常にあちこちを回って狭山に逆らうヤツがいないか監視してたんだ。まったく、あんだけ陽面が大切だなんて言っておいて、あっさり狭山に乗り換えるなんてね。とんでもないナンパ野郎だ」

 「そうかなあ」

 

 薬品庫にいた二人の様子を見るに、狭山さんに入れ込んでたのはむしろ陽面さんの方だ。月浦君はきっと、陽面さんが狭山さんに入れ込んでいたから、あるいは陽面さんを狭山さんから遠ざけるために、敢えて狭山さんに従順なフリをしてたんだと思う。自分の命が懸かってる状況でさえ陽面さんを優先するほどだったから。

 

 「じゃあ簡単には脱出できないし、できても月浦君に捕まっちゃうって感じだったんだね」

 「そうだね」

 

 ここにはそれほど情報はなかったかな。後は……。

 

 「ねえ湖藤君。湖藤君が庵野君と岩鈴さんの部屋の鍵を開けたときも、月浦君にバレたの?」

 「うん。そうだね。ぼくがやったっていうのは自分から言ったんだけど……」

 「そうなの!?初耳だよ!」

 「そうだっけ?あはは。まあ他の人に濡れ衣がかかっても善くないからさ。岩鈴さんは部屋から出たんだっけ?」

 「ああ、湖藤にドアを開けてもらって、こっそり厨房から肉を取ってきたよ。いつも谷倉の飯だけじゃ腹が空いちまうからね」

 「もっと多めにしてくれるようにお願いすればよかったのに。陽面さんに言ったら調節してくれたよ」

 「マジで!?なんだい、だったら言えばよかったね」

 「二人とも何の話してるの……」

 「それで、月浦君に岩鈴さんを勝手に部屋から出したことで狭山さんに告げ口されちゃったんだ」

 「庵野君は部屋から出なかったのかな?」

 「出なかったらしいよ。月浦君がそう言ってたから」

 「?」

 

 なんとなく、今の会話に違和感を覚えた。だけどその正体が何なのかは分からない。月浦君が真面目に狭山さんの言うことを聞いていたこと?陽面さんがご飯のリクエストを聞いてくれたこと?岩鈴さんが勝手に部屋から出たことを月浦君が知っていたこと?なんだろう。どれもおかしく思えて来るし、逆にどれもそれなりに納得できそうな感じだ。

 

 「個室を調べてみようか。もしかしたら、何か分かるかもよ」

 「(アタシ)はもうちょいこっちを調べとくよ。久し振りに広いところに出られたから動きたいんだ」

 「広いと言ってもまだ屋内だけどね」

 

 

『獲得コトダマ一覧』

【階段の血痕)

 地下階と1階を結ぶ階段の途中に、わずかながら血痕が見つかった。

 おそらく狭山の血。

 

【死体発見アナウンス)

 コロシアイが起きたとき、3人以上の人間が死体を発見すると流れるアナウンス。

 甲斐が狭山の死体を発見した際に流れた。

 

【個室からの脱出)

 湖藤が庵野と岩鈴の部屋にかかっていたロックを勝手に解除した事件。

 岩鈴はこっそり抜け出して厨房に向かった。

 そのことが月浦に発覚し、湖藤が閉じ込められる原因になった。

 


 

 事件に関係する人の個室を調べるのは捜査の基本だ。前回は被害者二人の部屋を調べても何も出て来なかったけど。いちおう私たちは、被害者の狭山さんと、閉じ込められていた4人の部屋をそれぞれ手分けして調べることにした。私は湖藤君の部屋だ。自分で調べればいいのにと思ったけど、

 

 「もしぼくが犯人だったら、ちゃんと捜査しないでしょ。フェアにいこうよ」

 

 ということで私が調べることになった。ただでさえ人より移動が難しい上に、狭山さんの指示で閉じ込められていた湖藤君に犯行なんかできるわけないのに、あくまで冷静に、そして自分の身を守ろうという気がないみたいに、湖藤君はそんなことを言った。

 湖藤君の部屋は……なんというか、私はよく見慣れているから、今さら新鮮みはない。他の人の個室と比べて、車椅子でも利用できるよう低めに作られている。ベッドに手すりが付いていたり、段差がなかったり、もちろん入口もスライドドアになっていたり、色々と気遣いがされている。逆に私たちの個室を湖藤君がひとりで捜査できるのか心配になる。

 

 「もう、こんなに散らかして」

 

 湖藤君のベッドは更に特別に、寝たまま本を読んだり物を書いたりできるようにサイドテーブルが用意されている。施設でもよく見た。入院したまま仕事をする人や、リモート授業を受けたりする人がいて、患者さんの寂しい思いを和らげるために便利な道具だ。

 そんな人の心を助けるサイドテーブルの上には、湖藤君が食べ散らかしたお菓子の袋やくしゃくしゃになったルーズリーフが広がっている。こういうのを見ると、なんというか我慢ができなくなっちゃう。ついつい片付けたくなってしまう。

 

 「後で言わないと」

 

 なんでベッドのすぐ側にゴミ箱があるのに、そこに捨てないかな。私はそのゴミをまとめて引っつかみ、ゴミ箱に入れた。集積所に持っていかないと。湖藤君の部屋にはそれ以外の異常はなかったので、私は早々に部屋を出た。本当にもう。世話が焼けるんだから。

 

 「ふう。こんなに色々ためて……あっ」

 

 そういえば分別するのを忘れてた、と思って、ゴミ箱の中を確認した。ほとんどがお菓子の袋だからプラスチックゴミだけど、中には紙くずやちり紙みたいな燃えるゴミもある。仕方ないから集積所で分別すればいいか、と思っていると、ゴミがひとつこぼれ落ちた。湖藤君の部屋の前にぽつんと立つ私の足下に落ちた。なんだか私から逃げようとしてるみたいだ。

 

 「こらっ。湖藤君だけじゃなくてそのゴミも私の言うこと聞かないのかっ。このっ」

 

 足下に逃げたお菓子の袋を拾い上げるために、私は屈んだ。目線がぐっと床に近くなって、その周りにあるものがよく見える。ふと、視界の端に一瞬、何かが映った。湖藤君の部屋のドア、限りなく床に近い部分に、何か跡が残っている。

 

 「……?なんだろう、これ」

 

 その黒い跡は、真っ直ぐ横に伸びていた。戸袋近くから床と平行に、一直線にドアを横断している。もともとこのドアに描かれていた模様にしては目立たない。誰かが書いた?でも、何のために?私はほとんど床に這い蹲る姿勢で、その跡を見つめていた。いくら見ても分からないから、分かるまで見つめようと顔を寄せる。

 

 「……あの、甲斐さん?」

 「うわっ!?」

 「わあっ!?」

 「なんで、ぼくの部屋のドアの匂い嗅いでるの?」

 「匂い!?」

 「まあ色んなヘキってのがあるからね。でも、時と場所を考えようよ」

 「あと場合もね」

 「違うって!ほらこれ!変な黒い跡!湖藤君の部屋のドアにしかないでしょ!」

 

 湖藤君の優しい笑顔が逆に痛い。そして宿楽さんの目は見えないけどサングラスに(((¬_¬;)って表示されてる。慌てて状況を説明する。いくら勘違いでも、私が男子の部屋のドアの匂いを嗅ぐような人だと思われたらたまんない。指さした先を湖藤君は興味深げに見つめるけど、車椅子だと近くまで見られないのがもどかしいみたいだ。

 

 「本当だ。なんか跡があるね」

 「湖藤君は何か知らないの?こんな特徴的な跡がついてたら、なんか気付かない?」

 「分からないなあ。いつの間についたんだろ」

 

 結局、その黒い線の正体は分からなかった。念のため他の部屋のドアも確認してみたけど、跡が付いてたのは湖藤君の部屋のドアだけだった。誰が何の目的で……その意味さえ分からないまま、私は集積所にゴミを持っていくことにした。

 

 

『獲得コトダマ一覧』

【黒い筋)

 湖藤の部屋のドアに付いていた、鉛筆で書いたような黒い筋。

 ほぼ床と同じ高さに、床と平行に真っ直ぐ引かれている。

 


 

 私が地下に降りたとき、尾田君はもうバスタブの側にはいなくて、捜査を終えてどこかに行ってしまったらしい。集積所はなんだかがらんとしていて、湖藤君の部屋のゴミが寂しく転がった。そのタイミングを見計らっていたかのように、モノクマのアナウンスが響き渡った。

 

 『いつだってチクタクと鳴る世界は止まらずに進み続けるんだよ。騒がしくて笑えない日々もいつか過去になって、ノスタルジーなんて薄膜を通してしか見えなくなってしまうんだね。過ぎ去った時間は戻って来ない!眩しい明日を信じて進むしかない!人は前を見て進むんだ!足下の奈落なんて気にも留めずにね!オマエラの中で次に奈落に落ちるのは誰かな!?それを決めるための学級裁判がはっじまっるよーーー!』

 

 地下室内では、ただでさえ不快なモノクマの声がさらに反響して何重にも跳ね返ってくる。もうそんなに時間が経ったのか。私たちは十分な手掛かりを得られているのだろうか。何か、犯人の罠にかかって見落としていることはないのだろうか。そんな不安が頭にちらつく。でもそれを確かめている時間はない。あるいはそれを確かめに行くんだ。

 

 「うっ……!」

 

 怖い。既に経験してることなのに──経験していることだからこそ、怖くてたまらない。もし何かを間違えてしまえば、何かを見逃してしまえば、何かを取りこぼしてしまえば、私たちの命はあっという間に消え去ってしまう。もし全てを明らかにしたとしても、また誰かが犠牲になる。あと数時間したら、また誰かがいなくなる。目の前で人が殺されることが、何よりも怖い。

 アナウンスを聞いて、裁判場に向かわなくちゃいけないと頭は考える。なのに足が震える。行きたくない。もうあんなことしたくない。逃げ出したい。心が私をその場から離してくれない。

 

 「ふぅ……!ふぅ……!」

 「何してるんですか?」

 「っ!!」

 

 気付かなかった。いつの間にか、目の前に尾田君がいた。どうして集積所に?さっきまでいなかったのに。アナウンスを聞いて、どうしてここに来ることがあるんだろう。

 

 「怖いですか?」

 「……うん」

 「でしょうね。後悔する人はいつもそうです」

 「尾田君は……怖くないの?」

 「何が起きるか分かっていることを怖れる人はいません。十分な手掛かりを集めて十分な知識を持っていれば、人は未来が分かるんです」

 「すごいね。予言者みたい」

 「バカバカしい。そんなものは存在しません」

 

 怯えた様子の私を見て、尾田君はそんな質問をする。かと言って私のこの気持ちを和らげてくれるわけでもなく、慰めてくれるわけでもなく、ただ辛辣な言葉をかけてくる。尾田君らしいと言えばらしいけど、別に今言わなくたっていいことだと思う。

 

 「尾田君には、クロが分かったの?」

 「どうでしょうか。分かっていようと分かっていまいと、それを確かめる術はあなたにないのでは?」

 「……そのために、学級裁判をするんだよ」

 

 挑発するような言い方に、私も思わず語勢が強くなる。学級裁判なんてしたくない。コロシアイが起きた事実だって認めたくない。それでも、やるしかないんだ。受け止めて進むしかないんだ。ここは、そういう場所だから。

 

 「まあいいです。どうせまたあなた達はあれこれ寄り道と的外れを繰り返して、ようやく真実の一端に手が掛かる程度なのでしょう。僕が助けてあげますよ」

 

 いつの間にか、私は学級裁判を怖がる気持ちを忘れていた。誰かが死ぬのはイヤだ。だけど真実を知りたい。何も分からないままに死んでしまうくらいなら、真実を知って誰も死なない一縷の希望に賭けたい。そんな気持ちになっていた。なぜそうなってしまったのか、私はまだ気付いていなかった。

 

 「尾田君って本当に性格悪いよね」

 「知ってます」




目標にしていた、年内に2章まで終わらせるペースで進んでいますね。
上手くいけば3章まで入れそうですが、無理せず年明けから初めていきましょうかね。
新しい年に新しい章が始まるのもいいですね。

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