ダンガンロンパメサイア   作:じゃん@論破

20 / 61
学級裁判編1

 

 「遅いよ!何してたんだよ!」

 「ご、ごめん……」

 

 裁判場へ降りるエレベーター前には、もうみんな集合していた。みんな一様に暗く沈んだ顔をしている。その真ん中で、顔を真っ赤にしたモノクマが両手を振り回している。遅れて集合してきた私と尾田君を待っていたらしい。私はモノクマじゃなくて、他のみんなに謝った。

 

 「今回は特に何もしないのかな、尾田くん」

 「……」

 「それとももう、犯人が分かってるのかもね」

 

 比較的落ち着いている湖藤君が、この前の裁判のときに尾田君が罠を仕掛けたことを引き合いに、そんな軽口を飛ばす。湖藤君のことだから嫌みとか皮肉とかじゃなくて、単純に場の空気を和ませようとして言ってるんだろうということは分かる。その後に続いた言葉のせいで、いっそう私たちの緊張感を煽ることになってしまったけれど。

 

 「そりゃあいいけど、時間はしっかり守らないとダメだよ。集合時間は厳守!解散時間はなあなあに!これぞ日本人のあるべき姿でしょ!」

 「……」

 

 こういうとき、一番に声をあげていた理刈さんも、すっかり気勢を削がれてうなだれている。私たちのリーダーになろうとしてくれていた気の強さはもうすっかりない。こんな異常な場所では、正常な判断基準を持っている人から壊れていく。尾田君や菊島君を見ているとますますそう思う。

 

 「じゃあ長々話してても仕方ないし、オマエラ!エレベーターで裁判場まで降りてきてください!ボクは一足先に待ってるからね〜〜ん!」

 

 モノクマはそのまま部屋の外へ消えていった。残された私たちは、開かれたエレベーターに乗り込んだ。誰も何もしゃべらない。二度目の学級裁判、狭山さんの凄惨な姿、この中の誰かがそれをやった犯人だという事実……私たちが直面するありとあらゆる要素が、私たちの気持ちに重りのようにのし掛かっていた。だから私たちが地下深くへ堕ちていくのも、この気持ちのせいなんだろう。地上の光から、私たちは隔絶された。

 エレベーターが不気味な機械音を立てて潜る。深く、深く、地の底まで届くんじゃないかというくらい深く。暗闇が支配する世界で、簡素な蛍光灯の光が心許なく私たちの顔を照らす。他の人の様子を伺っている余裕なんてない。入手した手掛かりと目の前の事実、それらが紡ぎ出す真実に、私たちは届くのか。そしてそれは正しいのか。次、このエレベーターに何人の人が乗れるのだろうか。そんなことばかり考える。

 

 「甲斐さん」

 

 ひた、と手が重なる。何かに触れて初めて、私はまた自分の手が震えていることに気付いた。その手に伝わってくる温もりに、少しの間なにも考えられなくて、ようやく宿楽さんのものだと気付いた。

 

 「大丈夫……って私が言っても仕方ないと思うけど、大丈夫だよ」

 「……なにが大丈夫なの」

 「私たちは正しいってこと」

 「正しい?」

 

 その言葉の意味が分からなくて、私は思わず聞き返す。正しいって、何が?学級裁判をすることが?モノクマの言いなりになってることが?コロシアイをすることが?仲間の誰かをこれから糾弾することが?なにも……何一つ正しくないじゃない。

 

 「諦めて、投げ出して、絶望して、投げ遣りになるのが間違いなんだ。私たちはまだ、希望を捨ててない。だから正しい。間違ってないなら、正しいんだよ」

 「……そうなのかな」

 「そうだよ。正しいんだから、大丈夫って思おう?私たちには希望があるって信じよう?」

 

 こんな状況で、この期に及んで、それでも前向きなことを言える宿楽さんが、私にはすごく大きく思えた。暗くて狭い箱の中だと、絶望に飲まれてしまいそうになる。きっと宿楽さんだって同じだ。それでも、そんな状況でも、希望を信じて人を元気付けようとしてくれてる。それが、私にとってどれだけ救いになるか。

 

 「……うん。信じる。私は、希望を捨てないよ」

 「そう!その調子でがんばって!私、推理はからっきしだから!」

 「え……」

 

 宿楽さんが明るくそんなことを言った直後、エレベーターは降下を止めた。ガラガラと開くドアから、目に刺さる強い光が漏れてきた。少し前と同じ、証言台が円形に並べられた学級裁判場が、そこにはあった。

 不必要なほど広い部屋に、大袈裟なほど高い玉座。モノクマはその天辺に腰掛けている。円形の証言台には、私たちより先に、4つの遺影が立てられている。虎ノ森君に殺害された益玉君と三沢さん、そしてモノクマに処刑された虎ノ森君と、新たに犠牲になってしまった狭山さんのものだ。不謹慎だけど、私はその遺影が気になってちらと見てしまった。どうやら、他にも同じような考えを持った人がいたらしくて、みんなちらちら見ていた。狭山さんの遺影は、ちゃんと人間の姿で撮影されていた。

 

 「さあオマエラ!やって来ましたね!学級裁判編の開幕ですよ!ここからは早いからね!オマエラののほほん日常生活なんて誰も望んでないんだよ!お互いを糾弾しあって暴力的な論理と剥き出しの感情がぶつかり合う学級裁判こそが望まれてるのさ!そして、その後のおしおきもね!人間の本性っていうのはそういうものなの。体は闘争を求めてるんだよ!」

 「どっかで聞いたようなフレーズだなあ」

 「ささ、各自自分の席に着いてね。ルールは後でもう一回説明してあげるから、心配しないでね」

 

 モノクマに促されるまま、私たちはまた、この証言台に立つ。ここに立つと、前回の裁判のことが思い出される。もうそのとき、益玉君はいなかった。虎ノ森君は、二人の人を殺していたとは思えないくらい冷静に、素知らぬふりをしてそこに立っていた。今ここにも、同じように狭山さんを殺したのに、それを顔に出さない人がいる。その人がどんな想いでここにいるのか、どんな想いで狭山さんを手にかけたのか。私には分からない。

 初め、私たちの前に現れたとき、彼女はキツネの姿だった。そのときは……いや、今だって半信半疑だ。訳が分からなかった。目の前で起きていることが現実だと理解するのに時間がかかった。そして最初の裁判を経て、彼女は人間の姿に戻った。それが何を意味しているのか、どういう理屈なのか、そんなことを知る暇もなく、彼女はこの世を去ってしまった。楽天家で、気分屋で、わがままで、自分勝手で、それなのに人の心を掌握するのは得意で、コロシアイを嫌う心は同じなのに何を考えているのか分からなくて、さっぱり掴み所のない人だった。

 今でも夢であってほしい。私たちの中に仲間を殺す人なんていないと思いたい。だけど、もし、そんな人がいるなら……私はその人を、全力で糾弾しなければいけない。この、学級裁判で。

 

 


 

 

学級裁判 開廷

 

 

 「まずは、学級裁判の簡単な説明から始めましょう。学級裁判の結果は、オマエラの投票によって、決定されます。正しいクロを指摘できれば、クロだけがおしおき。もし間違った人物をクロとしてしまった場合は……クロ以外の全員がおしおきされ、生き残ったクロだけが、この学園を卒業することができます!さあ、そんじゃ二回目の裁判、いってみよー!」

 「行ってみようったって……なあ。どうするよ」

 「はい」

 

 モノクマのつつがない説明にもかかわらず、私たちは議論を始められなかった。一度経験しているとはいえ、この場の雰囲気に慣れたなんてことはちっともなく、何を言えばいいか分からなかった。だけどその中でも、彼女は手を挙げた。その行動が、そして彼女がそれをすることに驚いて、私たちは……隣にいる彼がそれに一番驚いていた。

 

 「……は、はぐ?」

 「はっきり言うよ。はぐたちは違う」

 「違うってなにがだい?」

 「はぐたちはコンちゃんと一緒にここで暮らしていくって約束してたんだ。それなのにコンちゃんを殺すなんてことするわけない。だから、はぐとちぐと、まりかちゃんとほーこちゃんはクロなんかじゃないよ」

 

 毅然とした表情と言葉、胸を張って、選手宣誓するような言い方。捜査のときあんなに弱っていた陽面さんが、裁判で開口一番にそんなことを言うなんて、想像だにしていなかった。月浦君がそうさせたわけじゃない。むしろ陽面さんの宣言に一番動揺しているのは、月浦君だった。

 そして、ひとたび学級裁判となれば、たとえ相手が陽面さんであっても容赦しないのが、尾田君だ。

 

 「アホらしすぎて反論するのもダルいですが、飲み込むわけにはいかないので反論しますね」

 

 その一言を言う方がだるいと思う。

 

 「結論から言います。僕はあなたがたこそ疑うべき人間だと思っています。なぜなら殺されたのが狭山サンだからです。あなた方は固い絆で結ばれていたと仰いますが、であればこそ狭山サンの油断を誘えたはずです。用心深い彼女のことですから、部外者の人間など絶対に信用しないでしょう。いや……あなた方ですら信用していたとは言い難い。そうですよね?」

 「自分で矛盾しているのに気付かないのか?僕たちですら狭山には信用されていなかった。だったらお前たちと同じ条件だろ。特別疑われる理由なんてない」

 「全然そんなことありません。今のは殺害に有利な状況を述べたまでで、あなた方を特別疑うべきという根拠の一つに過ぎません。もう一つ、あなた方には動機がある」

 「ど、動機……だと?そんなもの、モノクマから全員に配られただろう」

 「そっちじゃありません。“裏切られた”という動機です」

 「裏切られたァ?」

 

 さすがに陽面さんを尾田君の強烈な言葉の弾丸に晒すことはなく、月浦君と毛利さんが代わりに反論する。二人がかり、三人がかりで反論されても、尾田君は全く怯まない。その目はずっと、最初に発言した陽面さんを捉えている。

 

 「ええ。そうでしょう?理刈サン」

 「……えっ?わ、わたし……!?な、なに……!?」

 「あなた、狭山サンに因縁をつけられて部屋に閉じ込められていましたよね?どう思いました?コロシアイを避けて平和に暮らすと宣言していた狭山サンに、無理矢理部屋に閉じ込められたとき。あなたはこう思ったんじゃないですか?()()()()、と」

 「ど、どういうことでしょうか?どうか私たちにも分かりやすくご説明願えますか」

 「いいですか?狭山サンはコロシアイをせず、この建物の中だけで協力して一生を過ごそうと言っていたんです。もちろん、各々が自由に活動できた上でです。そして狭山サンの思想に賛同すれば、平和な暮らしを保証すると」

 「仰っていましたね。それも彼女なりの『愛』なのでしょう。とても善いことです」

 「善いことかなあ……?」

 「ですが、彼女に賛同していた理刈サンは、些細な言葉の綾を論われて部屋に監禁されました。部屋に閉じ込められて食事も行動も制限されることを、僕たちは平和な暮らしとは呼びません。まるで囚人です。であれば、感じるはずです。話が違う、と。理刈サンに馴染むように言えば、契約違反です」

 「ううぅ……!だ、だけど……私は、殺人なんて……!」

 「別にあなたが殺したなんて言ってないでしょう。要は、狭山サンはいつでもその気になれば自分たちを裏切ると、他の皆さんの前で示してしまったのです。これが良くない」

 

 事件が起きる前の朝、狭山さんは全員の前で理刈さんが溢した言葉に怒り、庵野君たちと同じ処罰を与えた。あれを見た私たちは、たとえ彼女の賛同者であっても、狭山さんは容赦しないんだと感じた。だけどそれと同じ感情を、毛利さんたちも持っているはずだった。そんなこと、ちっとも考えてなかった。

 

 「はあ〜〜〜、なるほどなァ。つまり、理刈がブチ込まれたってんでェ、ちぐはぐも毛利も、狭山の腰巾着してるってェだけじゃ安心できなくなったんかァ」

 「誰が腰巾着だゴマ塩握り……!僕がはぐ以外の腰につくわけないだろうが……!!」

 「ひえっ」

 「怒るポイントもちょっとズレてるような?」

 

 髪の毛先がゆらめくほど怒った月浦君に睨まれて、王村さんが跳び上がった。あの状態の月浦君は怖いくらいに陽面さんに盲目的だけど、あんなに怖がるのは見ていて情けなくなる。それはさておき、尾田君に任せていたらこの話だけで裁判が終わっちゃいそうになったのを感じて、私は横から彼の意見をまとめた。

 

 「よ、要するに!陽面さんは狭山さんと一緒に行動していた人たちは、しっかり絆があるから犯人なんかじゃないって言いたいんだよね?尾田君は、狭山さんと一緒に行動していた人たちこそ、彼女を殺害する動機も条件も揃ってるから怪しいってことを言いたいんだよね?」

 「なんですか、横から急に」

 「いいや。よくやったと言っておこう、甲斐。結局この議論が生み出すものは、狹山(さやま)一派は怪しいか怪しくないか……疑うに値するか否か。いくら話したところで結論も出ず、かといってなにも進展せず、ただ時閒(じかん)を奪われるのみ。不毛な議論だとは思わないか?」

 「なんでタイシが偉そうに言ってるんだい?」

 「でもワタシもこの話に意味ないと思うヨ。もっとこう、意味のある話しないとダメネ」

 「ふわっと言ってくれますね。分かりましたよ」

 

 かなり不満そうだけど、尾田君は私の意図を分かってくれたみたいだ。菊島君と長島さんが私に同調してくれたのも大きいと思う。狭山さん一派が怪しいかどうかは分からないから、一旦ニュートラルに考えておくとして、改めて事件について話していこう。

 

 「ま、まず疑問なのが……」

 

 切り出したのは、理刈さんだった。

 

 「モノクマファイルの記述よ。まったく、ひとつも意味が、分からないわ……どうして死因が書いてないの?」

 「マジで!?あっ!本当だ!おいモノクマ!ちゃんと仕事しろよ!」

 「書き漏らしたんじゃありません!わざと書いてないんです!そんなもん最初に配ったときに説明したぞ!ちゃんと人の──あいや、クマの話を聞け!」

 「改めて説明してくれないかな。理刈さんはそのとき、トイレにこもってたから聞こえてなかったのかも知れないよ」

 「ふぅん……湖藤クンにお願いされたらボクは弱いからなあ。まあいいよ。これも公平な学級裁判のためだもの」

 

 なんで湖藤君に色目使ってるんだろう。むしろモノクマにとっては苦手な相手だと思ってた。それとも特に意味なんて無いのかも知れない。このモノクマファイルと違って、モノクマ自身の言葉なんて何一つあてにならない。

 

 「いいですか?モノクマファイルというのは、シロとクロとが平等に学級裁判に臨めるよう、シロへ最低限必要な情報提供を目的に作成されているものです。なので、必要以上に詳しい情報を載せるのは、クロにとって不利になりすぎるので控えています!」

 「死因のどこが必要以上に詳しい情報だというんだい?最重要と言ってもいいくらいだ!」

 「うるせー!それを考えるのがオマエラの仕事だろ!」

 「なんだと!」

 「ま、まあまあみんな、落ち着いてよ。死因が書いてないのは確かに妙だけど、まさにこうなることがこの記述の意味なんだよ」

 「どういうことカ?」

 

 モノクマに激しく抗議するカルロス君と芭串君。でも、その二人を湖藤君が宥めた。こうなることが、死因を書いてないことの意味って、どういうことだろう?

 

 「死因が書いてないのは、明らかに検死ファイルとしては不十分だ。でも、モノクマはそれがシロとクロが平等に裁判をするための措置だと言っている。それは逆に、死因が明らかになれば、クロは大きく不利になるっていうことでしょ?つまり、クロを特定する手掛かりは死因に隠されているっていうことだよ」

 「……そう、なのか?ちょっとオレは今よく分からなかったんだけど」

 「こっちを見ないでください。彼は当たり前のことを言っているだけです」

 「当たり前じゃないわよ……まあまあややこしいことじゃない。でも、理屈は理解できるわ」

 

 死因を明らかにすることが、犯人特定への大きな手掛かりになる。湖藤くんは、“何も書かれていない”という事実だけから、モノクマの意図、そして事件の構造を推理する。それは少し乱暴のように聞こえて、それでいて筋は通っていて、安易に受け入れてしまうのは危険なような気がして、信じていいと思えるほど理論立っていた。

 

 「よろしいですか」

 「うん?どうしたの庵野君?」

 「敢えて誰も仰らないのなら……せめて手前がその役目を負おうと思いまして。狭山さんのご遺体について」

 「……構いませんよ、どうぞ」

 

 湖藤君の話が一段落したのを見計らってか、庵野君がそっと手を挙げた。彼が口にしようとしていることは、おそらくここにいる全員が気になってることだった。当たり前に気になりすぎて、でも誰も口にしようとしなかった。それを言葉にするのが、恐ろしすぎて。

 

 「なぜ狭山さんは……あのように、どろどろに溶かされてしまったのでしょうか」

 

 それは、直視するにはあまりに残酷で、惨くて、不快な死に様だった。悪臭を放つどろどろとした溶液の底で、炭のように黒い塊になって沈んでいる。もはやそこに生物だったころの面影なんてなくて、ただの物質としてしか見られないような、そんな有様だった。

 

 「……ひどいことするヨ。いくらなんでも溶かすことなんてないネ。ほっぽっておけばそのうち骨だけになるヨ。そっちの方がずっとマシネ」

 「誰が死んだか分からないようにするためじゃないかい?(アタシ)は知らないけど、身元を隠すために顔を潰すなんて話も聞いたことあるよ」

 「どうせ学級裁判になれば全員集まります。死体を溶かしたところで何の意味もありません」

 「猟奇的なんてもんじゃない……常軌を逸しているわ。ただならぬ強い思いを感じる……」

 「というと?」

 「犯人は……狭山さんに強い恨みを抱いていたのよ」

 

 冷や汗を垂らしつつ、理刈さんが呟いた。確かに、そう考えるのが一番()()()だし、一番()()()()()。人ひとりをあんな風にしてしまうのは簡単じゃないし、時間もかかる。殺人現場を見られれば学級裁判ですぐに指摘されて、モノクマに殺されてしまう。そのリスクを冒しても、狭山さんを溶かしたというのは、それだけ犯人にとって、その行為に意味があったからだ。

 

 「狭山さんはただ殺されたんじゃない。強く激しい恨みをぶつけられて、人間としての尊厳を踏みにじるような殺され方をしたのよ。そんなの、よっぽど強い感情がないとできないわ」

 「一心教会のメンバーに聞きたいんだけど、そんな恨みを持たれるようなことって、狭山さんにあったのかな?」

 「……」

 

 湖藤君の問いかけに、即答できる人はいなかった。全員彼の目を見ないように床や天井に視線を投げて、言い淀んだ口はぱくぱくと空っぽな音を立てている。恨み、というほどのものではなかったかも知れないけれど、狭山さんを好ましく思っていない人はいただろう。というより、この様子だとここにいるほとんど全員がそうだったみたいだ。

 

 「まあ、恨まれても仕方のないことをしていただろう。それが答えだ」

 「ちぐ?何言ってるの?」

 「……いいかい、はぐ。まずは僕の話を聞くんだ」

 「う、うん……?」

 「今だから言うが、僕は初めからあいつの下についたことなんて一度もない。あいつのやることなすこと全部が気に入らなかったし、あの傲慢さも怠惰さも考えの無さも全てが不愉快だった。臭いのにくっついてくるし……」

 「最後のはただの悪口だろ!」

 「だけどチグは、ココノのためにあちこち嗅ぎ回っていただろう。確か、リンがカギを開けたのを告げ口したのはチグじゃなかったか?」

 「僕はあいつのことを信じてなくても、はぐはそうじゃない。ヤツは人の心を掌握する“才能”を持っていた。僕は、はぐを救うためにあいつの言うことを聞かされていただけだ」

 「本当かねェ。どうもおいらぁ信用できねえぜ。狭山が生きてるときにそんなこと言ってりゃ別だが、大将がいなくなって手の平返したようにしか見えねえなァ」

 

 月浦君に注がれるみんなの視線は冷ややかだった。狭山さんの言いなりになっていたということもあるし、湖藤君が部屋に閉じ込められるきっかけを作ったのは月浦君だ。みんなを監視していたみたいだし、心象が悪いのは仕方ないとも思った。でも、意外な人がその肩を持った。

 

 「私は、信じます」

 

 きりっとした言葉と姿勢で、谷倉さんが手を挙げた。思いも寄らない人から月浦君を支持する言葉が出て来て、私も、他のみんなも、驚きの目で谷倉さんを見た。

 

 「私は、まだ狭山様がご健在のとき、月浦様からそのようなお話を伺いました。陽面様を救うため、一時的に狭山様に従っていると……私にはそれが、嘘や出任せには思えませんでした。月浦様は、本当のことを仰っています」

 「い、いつの間にそんな話してたんだい!?」

 「モノクマ様から二つ目の動機が発表された日の夜でしたでしょうか……お部屋に戻る際、偶然お会いしまして」

 「ちぐ、本当?」

 「本当だよ。だけど大丈夫、はぐが心配するようなことは何もないよ」

 「何故谷倉にだけ(つた)えた?」

 「たまたまだ。ひとりくらいは事情を全部知ってるヤツがいた方が、何かと便利だろうと思った。今、正しかったと実感してるよ」

 

 つまり、月浦君が狭山さんに心から従ってなかったというのは、信頼できる言葉だということだ。そして、月浦君は続ける。

 

 「断言してもいい。僕たちの中で、本気であいつの心に寄り添っているのなんて、はぐと毛利だけだ。はぐは騙されてそうなった。だが毛利だけは、自分の意思であいつに従った。そうだろう」

 「……それがなんだというんだ?」

 「やけに落ち着きすぎてると思わないか?普通、自分の友人なり親しい人間が殺されたら、もっと動揺したりするだろう。そこの介護士みたいに」

 

 月浦君が親指で私を指し示す。きっと、益玉君と三沢さんの惨状を見て卒倒したことを言ってるんだろう。

 

 「つ、月浦君!毛利さんは顔に出さないだけで、狭山さんが亡くなったことを悲しんでるんだよ!そんな言い方ないでしょ!」

 「僕にはそうは見えないけど……むしろ、こうなることが分かっていたように落ち着いているようにも見える」

 「だから……それは見かけの話でしょ!毛利さんはもっとこう、心の深いところで……!」

 「もういい、甲斐。私を庇うなんて時間の無駄だ」

 「えっ……」

 

 月浦君の発言に思わず抗議した。でも、その抗議を止めたのは毛利さんだった。

 

 「私が犯人だと疑うのなら、然るべき証拠を提示すればいい。そうでないのならただの心象操作だ。ここにいるうちの何人が、そんな小手先に誘導されるというのか」

 「……でも、毛利さんが傷ついてるのに、見過ごしてなんていられないよ」

 「大丈夫だ。私はそれも顔には出にくい」

 

 そういう問題じゃないんだけどな。でも、毛利さんの言う通り月浦君の言葉はただの印象に過ぎない。私はつい引っ張られて異を唱えてしまったけれど、湖藤君や尾田君、理刈さんみたいに、ただの印象に引っ張られない判断力を持ってる人は多い。そのことを月浦君が分からないはずがない。これはあくまで、議論を攪乱するための罠だ。

 

 「無駄話は済みましたか?では、本題に入っていきましょう」

 

 やっぱり尾田君が仕切って、学級裁判が再開した。

 

 「なぜ狭山サンをぐずぐずにしたのかは分かりませんが、どうやってしたのかなら分かります」

 「包丁か何かでタタキにしたのネ!」

 「いや時間かかり過ぎるだろそれは……!」

 「ちまちまやってたら狭山から反撃されちまう。もっと簡単な方法があるぜェ?」

 「何かしら」

 「地下室にゃあ薬品庫があっただろ。あそこにあるんだよ、なんでも溶かしちまうっつう冗談みてェな薬が!なんつったっけなァ?ヤマウチ?タケウチ?」

 「全然違う!YABASUGIだよ!」

 

 あやふやな記憶をたぐる王村さんに、モノクマが突っ込んだ、自分の開発した薬の名前を覚えられなくて怒ってるみたいだ。もっと覚えやすい名前にすればいいのに。

 

 「うぷぷ!なんでも溶かす次世代の薬品だよ!確かにあれを使えば、人間だろうとなんだろうと沈むように溶けていっちゃうんだからね!」

 「な、なんでそんなもんが薬品庫にあるんだい……!?」

 「モノクマがコロシアイを誘発するために置いたのかな。想定していた用途とはたぶん違うんだろうけど」

 「ははーん!ってことは、犯人は薬品庫にそれがあることを知ってたヤツ、つまり薬品庫によく出入りしてたヤツってことになるなあ!どいつだ!」

 

 芭串君の発言で、みんなの視線があちこちに飛ぶ。地下室の奥まったところにあるせいで、あまり人が立ち寄るような場所じゃない。もし出入りしている人が分かれば、一気にその人が怪しくなってくる。

 

 「あんな陰気な場所に入り浸る人なんているんですか?よっぽど物好きなんですね。僕は最初の探索から捜査まで近付きもしませんでしたよ」

 「……ひとり、いるかも」

 

 ぽつ、と呟いた私は、15人分の視線を一気に受けた。その人が犯人なのかどうか、実際に狭山さんを殺したのかどうか、そこまでは分からない。だけど、少なくともあの薬品庫について詳しく知っている人がいることを、私は知っていた。その証拠もある。

 

 「本当は、言わないようにっていう話だったけど、状況が変わったから言うよ」

 「何の話?」

 「薬品庫にあったあの劇薬のこと……君なら、詳しく知ってたはずだよ」

 

 私は、少し驚いたような、それでいてこちらの出方を窺うような余裕のある視線を、真っ直ぐ睨み返した。

 

 「そうだよね?菊島君」

 

 私の視線と言葉が、私に向いていた目をそのまま彼に押しつける。大勢の注目を一気に浴びた菊島君は、それでも一切動揺することなく、袖から伸びる白い手であごを掻いていた。その目つきを見て、なんとなく彼の考えてることが分かった。あの人すっとぼける気だ。

 

 「はて?何の話だ?俺は確かに藥品庫(やくひんこ)を訪れたことはある。が、頻繁に出入りしていたなど、見たわけでもあるまいに、なぜ斷言(だんげん)できる?」

 「私は一度、薬品庫で菊島君と会ってる。そのときに君が言ったんだよ。薬品庫にはほとんど毎日行ってるって」

 「意見が真っ向から対立してるね。どちらの言い分が正しいのかな?」

 「甲斐が適當(てきとう)なことを言っているのだろう」

 「そんなわけないでしょ!菊島君は、捜査時間にだって薬品庫に行ってたはずだよ!」

 「誰がそんなことを證明(しょうめい)できる?俺は階段の搜査(そうさ)をしていた。芭串も岩鈴も見ていたし、お前も途中から()ただろう」

 「みんなが来る前に薬品庫に行って、そのあとすぐに移動したんじゃないの」

 「證據(しょうこ)もなしにそんなことを……!」

 「証拠なら、あるよ」

 

 菊島君の口角が吊り上がった。笑ったというより、引き攣っているように見える。彼らしくもない。すぐに認めておけば、こんなに注目されて不利な立場に陥ることもなかったのに、変に誤魔化そうとするから怪しまれる。菊島君がつい最近、薬品庫を訪れた証拠を私が持っているとは考えなかったんだろうか。

 私は容赦なく、持っていた汚いハンカチをみんなに見せた。

 

 「……ず、ずいぶん傷んだハンカチですね。それは一体なんでしょうか?」 

 「薬品庫の捜査に行ったとき、これが棚の下に落ちてたんだよ。菊島君、分かるよね?」

 「……」

 「これは君のハンカチだ。前に私に見せてくれた、そのものだよ」

 「ど、どうなんだい菊島!甲斐の言うことは本当なのか!?」

 

 菊島君は黙り込んでしまった。その顔は、いつもの余裕そうな人を小馬鹿にしたような笑みではなかった。かと言って、追い込まれている様子でもない。何かを考え込んでいるような、もしくは必死に自分に言い聞かせてるような……そんな表情だ。何を考えているのか、やっぱりよく分からない。

 

 「……そうだな」

 

 長い、長い沈黙の後、菊島君は呟いた。裁判場から音が消え、まるで全員が菊島君の語りを待ち望んでいるかのような、彼の独演会のような雰囲気になっていた。菊島君は、被った帽子のつばをいじりながら、なんだかいつもよりもキザな素振りで全員の顔を見渡す。

 

 「そのハンカチは俺のものだ。失くしたと思っていたら……ふむ。俺としたことが、矢張り羽目を外し過ぎていたようだ」

 「な、なんの話……?なんかたいしさん、怖いよ……?」

 「あのハンカチがタイシの物だということは、タイシは薬品庫に出入りしていた。つまりあの劇薬についても詳しかったと思えるが……その辺りはどう言い訳するつもりだい?」

 「言い(わけ)も何も事實(じじつ)を述べる迄だ。確かに俺は藥品庫(やくひんこ)には足繁く通っていた。お前達には()付かれないよう、時と場合を選んでな」

 「あ、怪しすぎる……!いったいそんなところで何をしていたんだ!」

 

 みんなが口々に菊島君を追及する。それに呼応するように、菊島君は今まで隠していた自分の行動を明かしていく。薬品庫に入り浸っていたことを……あれ?

 

 「何をしていた、か。毛利、それは質問か?ならば、答えなくてはな」

 「なに言ってんだいアンタ!なんかキモいぞ!雰囲気が!」

 

 なんかこの流れはマズいような気がする。

 

 「先に言っておくぞ。俺はお前達が聞きたがっているから答えるのであって、決して能動的にこれをお前達に言いふらしている(わけ)ではない。そこはきちんと理解しておけ」

 「いいから言えや」

 

 あっ、このくだり知ってる。いや、ちょっと待って、ダメだ。それはダメだ。

 

 「(じつ)はその……なんだ」

 「ちょっ、菊島君まっ──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「自慰(マスタアベイション)をしていた」

 

 

 止められなかった。私の声が届くより早く、彼は()ってしまった。

 地獄みたいな空気が流れた。時間が止まってしまったかのような、全員が言葉を失ってしまった状態。次の一言を誰かが言ってくれるのを待っている状態。ただひとり、照れたように頬を赤らめる菊島君に向ける、みんなの白い視線。関係ないのに、なんだか私も恥ずかしくなって顔が赤くなる。

 

 「あ゛あ゛っ!?テメエこら菊島ァ!!こんなときになにふざけたこと言ってんだい!!ブチ切るぞ!!」

 「巫山戲(ふざけ)てなどいない。事實(じじつ)だ」

 「事実だったらだったでキモい!!何してんの!!」

 「仕方が無いだろう。俺とて所詮、健全な男子高校生だ。溜まる物は溜まる」

 「バカおい止めろバカ!はぐにこれ以上そんな話を聞かせるな!はぐ!耳を塞いでて!」

 「え、い、いいの……?でも、裁判はちゃんと参加しなくちゃいけないってモノクマちゃんが……」

 「お願いだから塞いでてくれぇ!!」

 「酷い言われ(よう)だ。本來(ほんらい)はお前達の全員が持っているべき欲情を口にしただけで、さも俺だけが異常かのように」

 「異常だろどう考えても!!」

 

 阿鼻叫喚だった。女子は一様に顔を赤くして菊島君に白い視線を送り、男子は女子の顔を見ていられないのか、大袈裟に菊島君を糾弾する。涼しい顔をしているのは尾田君だけだ。湖藤君も、少し恥ずかしそうに俯いている。

 

 「詳しく聞いてもいいですか?」

 「はっ!?お、おい何言ってんだ尾田!?テメッ……まさかソッチか!?」

 「違います。仮にそうだったら著しい差別的言動になりますよ」

 「あまり聞いて気分の良い話じゃないと思うが、どうしてリューヘイはタイシのマスターベーションの話を詳しく聞きたいんだい?」

 「もうそれを口に出すな!!」

 「深い意味はありません。要するに菊島君が嘘を吐いている可能性があるから、詳しく証言させるまでです」

 「……?」

 「彼のオナ……失礼、さっきの発言は、なぜ薬品庫に彼のハンカチが落ちていたのか?に対する答えです。それは実際は薬品庫で毒物や劇薬を使っていたことを隠すための嘘かも知れません。ですから真偽の程を確かめるために、詳しく話させるんです」

 「ご、合理的〜……確かにそれはそうだけど……ねえ?下品な話だし女子はちょっと聞くに耐えないというか……」

 「あなたたち中学生ですか?下品だと思うのはあなたたちの品性が下等だからです。真剣な話に下品も上品もありません」

 「理屈は分かったが……矢張り、少し照れるな」

 「照れるなキモい!!」

 

 尾田君の言うことは尤もだった。そう言えば私が菊島君からその話を聞かされたときも、彼は薬品庫にひとりでいた。あのとき、本当に菊島君の最低さに呆れてすっかり信じてしまったけど、それも全て嘘だという可能性は否定できない。今この場で、尾田君たちがその言葉が信じられるか判断するというのなら……私ももう一度、真剣に聴く必要があるかも知れない。

 

 「知っての通り、俺は小說家(しょうせつか)だ。物を書くにあたっては何事も取材し、體驗(たいけん)し、見聞を(ひろ)めることが重要だ。何よりもな」

 「え?何の話?」

 「いいから聞きましょう。聞いて差し上げましょう」

 

 なんだか尤もらしい導入から話が始まった。真剣に耳を傾けるのは数名だ。

 

 「或る時、藥品(やくひん)を使う描寫(びょうしゃ)が必要になってな。クロロホルムというヤツだ。物の試しにあれを少し嗅いでみたところ……その」

 「なんだ?」

 「なんというか……その……下品なのだが……ふふ、勃起してしまってな……」

 「やっぱただの変態じゃねえか!!」

 「真面目に聞いて損した。誰かあいつの口を塞いでくれ」

 「そ、それはやっぱり……くちびるとかで……!?」

 「宿楽さん何言ってんの?」

 

 私に話してくれたときよりも内容が簡潔かつ下品になってる。なんでそう最低な方向にばっかり思い切りがいいのよ。

 

 「以來(いらい)藥物(やくぶつ)とか毒物とか劇物とか……そういった物で興奮する體質(たいしつ)になってしまったらしい。安母尼亞(アンモニア)が手放せなくなってしまった。しかしここに()てから時閒(じかん)()ちすぎた。手持ちの安母尼亞(アンモニア)がなくなって悶々としていた中……藥品庫(やくひんこ)が開放されたのだ。俺にとっては赤線地帶(ちたい)のようなものだ」

 「おい貴様!!はぐにそれ以上穢らわしい語彙を与えるな!!二度と喋れなくしてやるぞ!!」

 「散々說明(せつめい)しろと言っておきながら今度は(だま)れとは……まったく自分勝手なものだ」

 「伝え方は他にあったと思うけどね。まあともかく、菊島君が薬品庫に入り浸っていた理由は分かったよね。まさか……これ以上は求めないよね?尾田君」

 「……はい。僕ももうたくさんです」

 

 本当に尾田君は気分が悪そうな顔をしている。風邪が悪化したのか、あるいは菊島君の話にやられたのか……。

 

 「ってえ!てことは!菊島!あんたが狭山の死体を溶かした犯人だってことかい!!薬品庫にずっといたから、あそこにあるものの使い方は熟知していたはずだろ!!」

 「おっと。誤解するな。俺はあくまで自分にしか使わん。そういうプレエは趣味じゃない」

 「プレイって言うな」

 「藥品庫(やくひんこ)に通っていたことも、それを(だま)っていたのも、あくまでお前達が理解できる範疇を出ない。つまり、自らの(うち)に湧き起こる動物的欲求を發散(はっさん)し、また自らの性的嗜好を敢えて大っぴらにすることをしないというだけのことだ。斷言(だんげん)してもいい。俺はこの事件に一切(かか)わっていない」

 「そうは仰いますがね菊島君。その発言には証拠が伴いません」

 「俺が狹山(さやま)を殺したという證據(しょうこ)も同じくないのだろう?」

 「なんでこいつは余裕ぶってんだ。変態のくせに」

 

 菊島君が自分の性癖を暴露しても、相変わらず彼への疑いの念は晴れない。だけど彼自身が言うように、それはただ怪しいというだけのことで、決定的な証拠があるわけじゃない。人を馬鹿にした態度で人格が破綻してて変態的な嗜好を持ってる最低な人間だけど、殺人をしたとは断言できない。

 

 「それにだ。藥品庫(やくひんこ)に詳しい俺に言わせれば、あんなところは誰でも入れるし、藥品(やくひん)も使い方を()めば誰でも使える。そこに存在することさえ知っていれば可能なのだから、俺でなくても可能だ」

 「つまり誰にでもできたってことか……決定的な証拠にはなりそうにないね」

 「なんか釈然としないなあ」

 「では、あのバスタブはどちらから運ばれてきたのでしょう?」

 「プールの用具庫にあったものだ。ああ見えて(かる)いから、それもまた誰にでも運べるだろうな」

 

 さんざん菊島君の気持ち悪い話を聞いたけど、結局彼が犯人だということも、犯人でないということも、他の人が犯人である有力な可能性も得られないまま、議論はまた行く先を見失って彷徨い始めた。

 

 「ほ、他に何か手掛かりはないの!?湖藤君!」

 「ぼく?うぅん……そうだなあ。狭山さんの遺体は溶けていたけど……普通、生きてる人が溶かされそうになったら抵抗するよね。だけどあそこは、薬品が溢れた痕跡もなかったし、バスタブにひびなんかもなかった」

 「ということは?どういうことだい?」

 「狭山さんは、溶かされる前に何らかの方法で無力化されていた……あるいは、溶かされる前に既に殺されていたのかも知れないってことだ」

 「んまあそうだろうなあ。生きたまま溶かされちゃあ叫び声の一つもあげるだろうしな」

 「ってことは、狭山さんの死因がヒントになるわけだね!モノクマファイルは!」

 「書いてないよ」

 「じゃあ検死は!?」

 「できるわけないでしょ。溶けてんのに」

 「詰んだっ!!」

 「うるせえなあ!!」

 

 狭山さんの死因。モノクマファイルには何も書かれてなくて、湖藤君はそれが犯人に繋がる重要なヒントだという。溶かされる前に殺されていたんだとしたら、死体の残っていない今、彼女の本当の死因を見つけ出す証拠なんてどこにも……ない、ことはないのかも知れない。

 

 「狭山さんの……死因かどうかは分からないけど……」

 「甲斐さん、心当たりがあるの?」

 「うん、少し。きっとあれだ──!」

 

 私は、思い出した証拠を、みんなに突きつける。

 

 「……地下へと続く階段の縁に、血が付いてたんだ。きっとこの事件のときに付いたもの、だと思う」

 「ああ、俺と菊島(ヘンタイ)が見つけたヤツだな!」

 「そういうのがイジメの第一步(だいいっぽ)になるんだぞ。やめなさい」

 「血が付いていた……つまり出血を伴う外傷を負ったということですか。しかもそれなりの量が出ているみたいですね」

 「……それもきっと、分かるよ」

 

 私は、あの階段の血を見たことがある。事件よりも前に。もっと、ずっと、まだ彼の死を知らずにいた、あのときに。

 

 「あれは、殴打されて出る血だよ」

 「……なんでそう言い切れるのか、聞いてもいいかな?甲斐さん」

 

 湖藤君が尋ねる。きっとその理由は、私が言わなくても彼は分かってる。それでも聞くのは、他の人たちには分からないからだ。無神経に、或いは純粋な疑問として聞かれるよりも、事情を知ってる人に促された方がお互いに傷つかないという、湖藤君なりの気遣いなんだと思う。

 

 「私は……保健室で、見たから。益玉君と、三沢さんの……血を」

 「あ、ああ……そうだったわね。それなら……いちおう、納得できるわ。ねえ?」

 「そんな嘘を吐いても仕方がありません。何より、甲斐さんはそんな嘘を吐く人ではありません。ご自分にとってのトラウマであるはずのことを、こうして手前共のために思い出していただいているのです」

 「聖人なの?甲斐さんって。てえてえ……!」

 「や、やめてよ……」

 「ということは、小狐(シャオフー)はぶん殴って殺されたアルか!?」

 「否。あの程度の出血で死にはしない。狹山(さやま)は多少頑丈だったようだからな。尙更(なおさら)だ」

 「あの……つかぬことを伺いますが、もしかしてそれも菊島様は実験なさったのでしょうか……?」

 「馬鹿なことを言うな。死にかけの負傷者がいる病院に詰めかけて取材した」

 「もっと質悪ィやな」

 

 私たちの今まで目にしたことが、これまで培ってきたものが、そのまま学級裁判で真相を導き出すための手掛かりになる。事件現場で、捜査した場所で、普段の生活で、何を見て何を話し何を考え何を思ったのか。その全てを総動員しないと、この学級裁判は生き残れない。一瞬でも油断した方が()けてしまう。

 

 「つまり、狭山は階段の上で殴られた。その後なんやかんやあって、地下のバスタブで溶かされてた。その間に何があったかだな」

 「アホですか?階段の上で殴られたんですから、普通にそのまま階段から落ちたに決まっているでしょう。階段にはずっと細かな血の跡が飛び散っていました。いくら頑丈と言えど、あの高さから落ちればさすがに死にます」

 「おお……なんという壮絶な死に方……!狭山さんの魂よ、どうか愛に包まれ安らかに……!」

 「ちょっと待ちな!あいつを殴って階段から突き落とすなんて、そんなことできるヤツがこの中にいんのかい!」

 

 声を荒げたのは岩鈴さんだった。彼女は悔しそうに歯を食いしばりながら、尾田君に反論した。それもそのはずだ。彼女はここに来たころ、女子の中では一番力があると自負していたし、実際にそうだった。でも狭山さんが人間の姿になってその状況は変わった。狭山さんは、岩鈴さんを簡単に拘束してしまうくらいの力があった。そんな狭山さんを、殴るなんて方法で殺害することが、この中の誰に可能だったのだろうか。

 

 「死亡推定時刻などから推測して、犯行は夜中です。夜なら暗いですし眠気で注意力散漫になりますから、不意打ちすることも可能だったのでは?」

 「じゃあ犯人は、不意打ちで殴って階段から突き落とした後、わざわざ地下室まで降りて狭山を溶かしたってことかい……?」

 「な、なんでそこまで……!ひどいよ……!」

 「発見した時点であの状態だったんだ。そういうことになるな」

 

 毛利さんが狭山さんを探して地下室に降りたとき、階段の先には既にバスタブが置いてあった。犯人は、わざわざ地下室に降りればすぐに見つかるような場所で狭山さんを溶かしたんだ。なんてひどいことをするんだろう。階段から落ちた時点で狭山さんは死んでいたのに、そこまでする必要があったのだろうか。

 

 「ひとつ、よろしいでしょうか?」

 

 庵野君が手を挙げた。

 

 「手前はずっと部屋に閉じ込められておりましたので、いまいちど確認したいのですが……今回、狭山さんのご遺体を発見されたのはどなたですか?」

 「私と甲斐だ。朝、食堂に現れない狭山を探して地下室に降りたときに発見した。死体発見アナウンスもそのときに鳴った」

 「死体発見アナウンス……」

 

 庵野君の問いに、毛利さんが答えた。死体発見アナウンスというものを、私はついさっき初めて知った。私たちの誰かが死体を発見したときに、モノクマがそれを知らせるための放送だ。確かに、私がバスタブを覗き込んだとき、モノクマのうるさい声が地下室にわんわん響いたのを覚えている。

 

 「毛利さんと甲斐さん、あとおひとりは?」

 「おひとり、ってえと?」

 「死体発見アナウンスは、3人以上の人間が死体を発見したら放送されるのよ。モノクマから説明されたでしょ」

 「いや全然覚えてねえ……」

 「王村さんは相変わらずポンコツですね!お酒ばっか飲んでるからそうなるんですよ!ね、甲斐さん!」

 「え、ああ、うん……そう、かもね」

 

 正直私も忘れてたなんて言えない。そんなキラーパス出してこないでよ、宿楽さん。

 

 「毛利さんと甲斐さんは二人で見つけたんだから、お互いに間違いなく発見者であることが証明できるわ。だけど……あとひとり、二人よりも先に死体を発見している人がいるはずなのよ」

 「毛利か甲斐のどっちかが犯人だったらどうなるんだよ?」

 「それでもそもそも人数が足りてないね。何よりあんなSeñorita(カワイコチャン)たちが犯人なわけない!」

 「そうですよ!基本的にクロは殺害時に死体を見ているはずです。でも、シロのふりをして再発見した場合は、発見者としてカウントします。要するにケースバイケース、個別の事象についてはお答えできません!」

 「だりい役所みたいな回答してんじゃないよ!」

 「何にせよ、これはかなり問題だと思うな」

 「そ、そう?」

 「そうだよ。だってその人は、狭山さんの死体を一番に発見しておきながら、誰にもそのことを話していない人なんだから」

 

 ピリッ……と、明らかに空気が変わった気がした。議論が進み、全員が裁判の緊張感に慣れてきたところに、湖藤君から提示された新しい緊張感。私たちの中に殺人犯がいるかも知れない……だけじゃない。狭山さんの死を知っていて、黙っていた人がいる。その可能性が、ますます私たちを疑心暗鬼に陥らせた。

 

 「それとね。これはまだ、あくまでぼくの予想でしかないんだけど」

 「……なんですか。勿体ぶらずに言いたいことは言ったらいいじゃないですか」

 

 それはフリなのか、考え込む仕草をして、湖藤君が続けた。

 

 「あのバスタブを見て、すぐに狭山さんの死体だと気付く人は少ない。でも何だか分からない異常が目の前にあって、それが自分と無関係に存在するなら……誰にも言わないなんてこと、するんだろうか」

 「いやあの、湖藤さん?もうちょっとその……分かりやすく言ってもらえない?全然分からんです……」

 「第一発見者はおそらく、あのバスタブじゃなくて、狭山さんの遺体そのものを見ていた可能性があるってことだよ。狭山さんは犯人に殺されて階段を落ちた後、第一発見者に見つかって、その後あのバスタブに入ったことになる」

 「つ、つまり……?」

 

 

 「狭山さんを溶かしたのはクロじゃない。その第一発見者ってことになる」

 

 

 背後に冷たい気配を感じたような、全身が悪寒に襲われた。私たちはもう、もしかしたらずっと前から、仲間なんかじゃなかったんだ、って。

 

 

学級裁判 中断




学級裁判は長くなりますが筆が乗りますね。

あなたのお気に入りのキャラクターを教えてください

  • 益玉韻兎
  • 湖藤厘
  • 宿楽風海
  • 虎ノ森遼
  • 甲斐奉
  • 谷倉美加登
  • 岩鈴華
  • 菊島太石
  • 毛利万梨香
  • 芭串ロイ
  • 庵野宣道
  • カルロス・マルティン・フェルナンド
  • 三沢露子
  • 狭山狐々乃
  • 長島萌
  • 月浦ちぐ
  • 陽面はぐ
  • 理刈法子
  • 王村伊蔵
  • 尾田劉平
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。