新館の探索は、私たちが想像した以上に時間がかかった。朝ご飯を食べて間もなく探索を開始したはずなのに、みんなが一通り探索を終えてホールに全員が集まったのはお昼を過ぎていた。あちこちを回って疲れた様子の人もいれば、施設に満足したのかほくほくした顔の人もいる。私たちはカルロス君に助けてもらったおかげでそこまで疲れなかったけど、とにかく広い新館ホールやスポーツ施設、劇場なんかもあって、湖藤君の移動に手こずった。
「1階Wエリアは、災害時に使うための非常用具庫があったよ。大きな発電機とか、当面は食い繋げられる分の食糧とかがあった。あと、数百人規模の劇場があったり、ボウリングやダーツなんかがあるスポッツァっていう施設があったよ」
「なんだそのギリギリの施設」
「Eエリアは食堂と厨房がある。分館にあったものより数段設備が充実していた。保健室の発展したもの……ちょっとした診療所だな、あれは。そういうものもあった」
「おのおの方の個室も、分館のものより大きな部屋が用意されております。手前のものしか見ていませんが、おそらく“才能”に合わせた研究室も兼ねている様子です。手前の場合ですと、教会風の造りに聖典や聖遺物のレプリカが大量にありました。あとトレーニングマシンも少々」
「宣教師って筋肉も必要なんだなあ」
「2階の美術室はすげえぜ!絵描くのに必要なもんが全部あった!展示してある絵はバカにしたようなもんだが」
「図書室とホームセンターはそれぞれ、本や売り物の充実さは素晴らしいものでした。モノクマ様がおっしゃっていたように危険物もございましたが……」
「地下は……インフラ設備を管理する部屋と、薬品庫と、プールと大浴場、物品倉庫、リサイクルセンターがあったわ。基本的な内容は分館と同じだけど、そのまま規模を大きくしたような感じね」
みんなの報告を聞いて、少しだけこの本館の全容が見えてきたような気がした。実際に自分の目で見てみないことには確信的なことは言えないけど、あちこちにモノクマの不気味な悪意が潜んでいるような気がしてくる。私たちが過ごしやすいように充実させた設備の中に、人の命を奪うことへの誘惑が身を隠していて、その寸前で私たちは踏みとどまっている。
「あと2階にはまだ上に続く階段があったヨ!外から見ても分かったけど、この建物はまだまだ上があるネ!トップを狙うしかあるまいヨ!」
「そこは探索したんですか?」
「シャッターが降りてて進めなかったヨ。隙間から覗いたけど見えなかったアル」
「なるほど。つまり、さらに上に進むにはまた学級裁判に勝利しないといけないわけですか」
また尾田君はそんなことを言う。さすがにみんな尾田君がそういうことを言うのに慣れてきたのか、それか同じことを薄々考えていたのか、空気がひりつくことはなかった。その代わり、みんな呆れたりうんざりした目を尾田君に向けるだけだった。
「ともかく、分館と同じように、ここで暮らすことだけを考えれば十分な設備が整っているということね。おそらく……モノクマがそうはさせないでしょうけれど」
「こ、これからどうするの?」
「ひとまず……皆様、お昼ご飯に致しませんか?新しくなった厨房に慣れないといけませんので、私はそちらに参りたいのですが」
「そうだね!もうすっかりランチタイムを過ぎてしまった!さあみんな行こう!」
谷倉さんとカルロス君の号令でみんな空腹を感じたのか、素直に食堂まで従った。話に聞いていたように、食堂は分館より遥かに広く、椅子やテーブルの装飾も豪華になっていた。谷倉さんを手伝うために入った厨房は、両手を広げても届かないくらい大きな冷蔵庫、何に使うのか分からないくらい揃えられた包丁やお鍋、瑞々しい野菜の数々……それらを見る谷倉さんの顔は輝いていた。
「素晴らしい設備です……。分館の設備も素晴らしかったですが、こちらはより整っていますね」
「こりゃあ腕が鳴るね、谷倉さん」
「はい!」
谷倉さんはさっそくみんなのお昼ご飯作りに取りかかり始めた。本館に来てすぐは不安そうにしていたけれど、料理を始めたらそんな心配は頭から消えてしまったのか、谷倉さんの表情は明るくなった。私はあちこちの棚を開けて何があるかを確認したり、冷蔵庫の中から谷倉さんが必要とする食材を持ち出してきたりして手伝った。
「うーん、相変わらずすごい品揃え……どこから持って来てるんだろう」
「食材といい設備といい、希望ヶ峰学園のものをそのまま使っているとしても、設備維持には多大な費用と手間がかかるはずです。モノクマ様おひとりでされているとは考えにくいのですが……」
「少なくとも私たちが来るよりずっと前からあったはずなのに、妙に掃除が行き届いてるし……新築みたい」
料理する手を休めず、火と刃物の取扱には十分注意しながら、谷倉さんが疑問を口にする。私たち以外の誰もいないこの建物も不自然だけど、それ以上に違和感を覚えるのはこの建物のきれいさだった。ここにもともと通っていた希望ヶ峰学園の先輩たちはどこへ行ってしまったのか。モノクマのことだからただ追い出したというのも考えにくいけれど、それにしては建物の中がきれいだ。闘争の跡はどこにも見られない。
「素晴らしい掃除の行き届きっぷりです。私も負けていられません」
「そこで張り合うんだ」
「私は皆様の生活を陰ながら支えることしかできませんので。特に甲斐様は……思い出させてしまうようで恐縮ですが、人一倍お辛い経験もされていらっしゃいます」
「い、いや別にそんな……」
「学級裁判でも皆様のことを引っ張っていただいておりますので、私たちはいつも甲斐さんに何か返せないかと考えているんですよ。さ、できました。甲斐さんのお好きなコーンポタージュです」
「わっ……!鍋いっぱいにコーンポタージュが……!」
いつものことだけど、谷倉さんはとにかく人のために何かすることを良しとして、自分のことは二の次に回してしまいがちだ。食事に掃除に片付けに、ついなんでも任せちゃうから、助かってはいるんだけど、なんだか自分がものぐさな人間になっていくようで後ろめたい。
しっかり
「いない人の分は私が食べるアル!」
「私も!」
2人分の余った食べ物は、長島さんと宿楽さんがしっかり消費してくれた。王村さんは勝手に酔い潰れてるだけだから放っといてもいいとして、尾田君はなんだか以前よりもずっとみんな──特に私に厳しくなってきたような気がする。普通、ずっと一緒に生活してたり苦難を乗り越えたりしたら信頼が生まれたりするものなんじゃないの?時間が経つ毎に好感度が減ってくなんて、ナニごっちだって感じ。
理刈さんは最初の事件の後にだってすごく消耗してたのに、まさか二度もあんなことをするなんて考えてもみなかったんだろう。菊島君に聞いた限りだと、探索のときは相当苦労したと思う。可哀想に。後でご飯を持っていってあげよう。
「それで、これからどうしようか?新しい場所に移ったことだし、改めて出口を探すかい?」
「ったりまえだろ!いつまでもこんなとこいられっか!ここに来るときに通ったあのドアぶち破れば外出られるだろ!」
「でも外ず〜〜〜っと森でな〜〜〜んもなかったアル!闇雲に出て行っても街に出る前に行き倒れて死ぬだけヨ。それかクマにでも食べられちゃうネ」
「クマの脅威は内も外も変わらないだろう。しかし……ここは希望ヶ峰学園のはずだろう。周りが全て──否、周りに森などないはずだろう。希望ヶ峰学園があるのは都会の一等地だぞ」
「だけど、事実ぼくたちが見たのは森だった。街が潰されて森になったなんてものじゃない。はじめから、ずっと森だったような、直球ど真ん中の森だ」
そういえば、あまりに混乱する出来事が連続したせいで気付かなかった。さっき渡り廊下で見た外の景色、地平線の彼方まで続くような広大な森林は、いったいどういうことだろう。まさか、都会の一等地にあんな森があるわけがない。
「考えられる可能性はいくつかある。そもそもここは本当に希望ヶ峰学園なのかというところから疑い出せばキリがない。だけど、ここがどこであろうとぼくたちがすることは同じだ」
湖藤君が言う。
「もうこれ以上、誰も殺さない、誰も死なせない。そして、みんなで脱出するんだ」
その言葉は、以前よりずいぶんくすんで聞こえた。
希望ヶ峰学園本館の1階Wエリアには、大型アミューズメント施設が併設されている。モノクマ印の巨大なボウリングピンがシンボルになっていて、中にはみんなで楽しめるようなスポーツアミューズメントがあちこちにある。ボウリングにダーツ、ビリヤード、バスケットコートにロデオマシーンまで。ジャポーネはみんなこんなところでいつも遊んでいるのか。うらやましい。
「なんなんアルかこれは……!訓練施設か何かカ!?」
「んなわけあるか。スポッツァっていうらしいぜ。まあアミューズメントパークだな。分館は狭かったし理刈がうるさかったから、ローラーシューズで走り回れなかったんだよな。久々に羽が伸ばせそうだぜ」
「ロイ、いつの間に翼を授かったんだい?」
「飲んでねえよ赤い牛のやつは」
「ははは、牛が赤いんじゃなくて赤いものに突っ込むものなんだよ」
「何言ってんだお前?」
「会話がこんがらがっていますね。羽を伸ばすというのは、のびのびとできるという意味です。日本語におけるイディオムです」
「ほほう、なるほど!ジャポーネの感性はとっても面白いね!」
ノブミチが説明してくれなかったら、てっきりロイが闘牛に興味があるのかと勘違いしたままだった。ローラースケートのコースは広く、オレたち15人全員が入ってもまだ余裕がありそうなほどだ。ロイはそこへ飛び出して、本当に羽が生えたように自由に走り回る。
「気持ちよさそうアルワタシもやってみたいヨ」
「貸出用のものがありますよ。やってみたらいかがです」
「あんな動きにくそうなもの履いてて、もし有事になったらどうするネ」
「有事……とは?」
「いつどこでどんな風に敵が襲ってくるか分からないアル、
「はあ」
「それよりロデオボーイはどうだい?暴れ牛に乗り続けてタイムを競うんだ。腰が鍛えられるよ!」
「ふっふっふ、勝負を挑む相手を間違えたネ!
「それもそれなりに揺れそうですが」
モエちゃんはさっそくロデオマシーンにまたがった。スタートボタンを押すとカウントダウンの音がして、すぐにマシーンは暴れ始めた。
「みよっ!これぞ“超高校級のスナイパー”のバランス感かアーーーッ!!」(2秒)
「うおおおっ!?な、長島さんご無事ですか!?」
乗れていたかすら分からないくらいあっという間の出来事だった。だるま落としみたいに体だけ吹っ飛んだように揺さぶられた後、モエちゃんは後頭部から落っこちた。
「ぐぬぬ……!」
「はっはっは、無理はしない方がいいよモエちゃん!そこでしっかり見ていたまえ」
「カルロス君。やめておいた方が……」
「いいからノブミチ!スタートボタンを押してくれ!」
ノブミチは少しためらってはいたが、颯爽とロデオにまたがり華麗にポーズを決めたオレの姿に安心したのだろう。「ナムサン!」とか言ってボタンを押した。カウントダウンが鳴り始める。
「よく目に焼き付けておくんだ!これこそが日々闘牛と戦アーーーッ!!」(2秒)
「言わんこっちゃない!」
目の前で星が散ったような気がした。さっきまで見えていたノブミチの顔が上下逆さまになっていた。敷かれたマットにモエちゃんと並んで寝そべっていた。
「ううん……壊れているぞこの機械……」
「難易度が“無理”のまま挑戦するからです。せめて“ハード”くらいにしておけばいいものを」
「早く言えアル……」
気付いているならボタンを押す前に言ってほしかった。
「あー、気持ちよかった。何やってんだお前ら?」
「お二人とも腰砕けになってしまいまして」
「何やってたんだお前ら!?こんなところで!」
「ついでに心とプライドも砕けたアル……とんだ暴れ牛だったヨ」
「腰遣いには自信があったんだが……モノクマの作ったおもちゃを侮りすぎたようだ。オレの知らないこんな世界があったとは……」
「よく分かんねえけどバカなことしてたんだな分かった。深く聞かねえよ」
いい汗を流したロイと、心と体に割と大きなダメージを食らったオレたちは、休憩を摂るため自販機スペースまで移動した。飲み物だけじゃなく、パンにおにぎりにカップ麺まで売ってるなんでも自販機があってテンションが上がった。日本では割と普通にあるそうだ。
「高校生にもなってこんなとこではしゃいでんじゃねえぞ。オレらは遊びに来たんじゃなくて軽く息抜きに来たんだ」
「息抜きは遊びとほぼ同義では?」
「ぶっ倒れるまでやることは息抜きとは言わねえよ。抜きすぎて絶え絶えじゃねえか」
「たまには“超高校級”らしいところを見せないといけない気がしたヨ……ワタシも
「全くだ。闘牛の一頭でもいれば、オレの華麗な美技に酔わせてみせるのに」
「大した自信だな。ぴょんぴょこ逃げてるだけじゃねえか」
「ふっはっは!何も分かっていないなロイ!逃げてるだけ、か!確かに本質はそうかも知れない」
だとしても、オレは“超高校級のマタドール”として、それには強く反論しなければならない。我が愛する誇り高き闘牛文化は、ただ逃げてるだけのちんけな芸ではないのだ!
「しかしオレたちは逃げてるように見えて、逃げてるように見せないものだ。日本語にもあるだろう。オレたちは牛を
「いなすって何アル?」
「軽くかわすという意味です。ただ逃げるのではなく、力や技術を以て上手く回避するというイメージですね」
「その通りだノブミチ!派手なコスチューム!華美な音楽!猛り狂う闘牛に巻き上がる砂煙!そして牛の迫る一瞬の中での攻防!そこには、生き物と生き物が命をかけて対峙する美しき瞬間がある!しかしてオレたちマタドールは賢く、美しく、逞しく、強くある!人間が人間として、牛と闘い勝利する!それこそ闘牛というものだ!ただ逃げるだけでもない、ただ殺すだけでもない!分かるか!?世界で最も危険な芸術なのだよ!」
「芸術ねえ……そう言われるとんなわけねえだろとは言えねえな。オレの考えるもんとはずいぶん違えが、そいつが思うんならそれは芸術なんだろうよ」
「分かってくれるか!そうかそうか!ならロイも今日から闘牛文化を支持するオレの仲間だな!」
「なんだそりゃ?」
「闘牛文化は、残酷だの野蛮だのと言われているんだ。そう見えてしまうのは仕方ないことだとは思うが、文化はコミュニティの外から見れば異質に見えるものだ。コミュニティの中に入って理解すれば見え方が変わることもある。だからオレは希望ヶ峰学園で、闘牛文化を支持してくれる仲間を集めるために来た!そしてもう一度、闘牛の素晴らしさ、ひいては“超高校級のマタドール”であるオレの姿を世界中に知らしめてやるのが野望なのさ!オレは英雄になるんだ!」
「お〜、デッカく出たネ。闘牛ってのは儲かるアルか?」
「もちろん、興業が盛り上がればね」
「それならワタシもいっちょ噛むアル!」
「金かよ!?」
金でも名声でもなんでもいいさ。文化っていうのはそういうものだ。関わる人が多ければ多いほど強くなる。どんなものであってもね。
「夢を持つことは素晴らしいことです。希望ヶ峰学園生としては、己の夢の一つも語れるようにならなければなりませんね」
「
「夢というには曖昧ですが……手前は『愛』を信仰することの素晴らしさを説くことが人生の目的ですので。強いて言えば、皆様に手前の考えを理解していただくことが夢ですかね」
「悪いけどワタシは宗教とかなんとかは分からないヨ。神様はいつだって強い人の味方ネ」
「それもまた一つでしょう。手前はただ己の信仰に従うのみです……」
「そういう長島こそ夢なんてなさそうだよな。考え方とかめちゃくちゃシビアだし、夢より目の前の小銭拾いそうだ」
「そりゃそうアル。夢でお腹は膨れないし、夢で身は守れないヨ。食べるものも眠れる場所もあってこそ夢も見られるってものヨ」
「今は食べるものも眠れる場所もあるんじゃないのかい?」
「ふむ」
オレが指摘すると、モエちゃんは目を丸くして、何か考えるように斜め上を向いた。自分の夢というものを考えたことがないのか、ずいぶんと悩んでいるようだった。フウちゃんやはぐちゃんと比べてしっかりしてるとは思うけれど、普通の女の子なら夢くらいあるものじゃないか?見ないようにしていたというより、見る暇さえなかったのか?可哀想なことだ。
「毎日お腹いっぱいご飯食べて、ぐっすり眠れて、ここから出て家族と会うのが夢アル!」
「バーカ。そりゃ夢じゃなくて今の最終目標だろ」
「違うアルか?」
「夢なんてのは叶わないのが常なんだよ。だからオレは夢なんて持たねえぜ。あるのはそのうち現実にする目標だけだ」
「強かな考え方ですね。芭串君らしいです」
「じゃあその目標っていうのは?」
「……んん」
ひとり冷笑的に言うロイだが、オレの質問には目を逸らして、帽子を少しだけ深く被り直した。照れているのか?
「こっから出るのは確定事項として……まずは妹の病気を治すだけの金を稼ぐことかなあ。希望ヶ峰学園に入学できたんだ。オレの絵を認めるヤツもいる……いや、認めさせてやる!そんで妹の病気を治す!個展も開く!ルーブルにもメトロポリタンにもオルセーにもオレの絵を飾らせてやる!!」
夢ではなく目標だと言いながら、実は一番夢見がちなんじゃないのか?金稼ぎと家族の病気の治療はまだしも、名だたる美術館に自分の絵を飾るのは完全に夢じゃないか。目標だと言い切ってしまうのは強気なことだと思うが、それくらいの気骨がないとできないことかも知れないな。
「それなら死なないようにしないとネ」
「もちろんだ。オレたちはもうコロシアイなんてしない」
いくつかの不安要素はあるが、二度もあんなことをしてみんな、誰かを殺してしまうことのリスクはよく分かったはずだ。もうあんなこと、自分がやるのも、人がやるのも見たくない。ここにいる誰しも、それを強く感じたはずだ。
「みかどちゃん!はぐを弟子にしてください!」
それは、全く唐突な申し出でした。私が新しい厨房に慣れるため、皆様のためにおやつを作っていたところ、陽面様がいらして深々と頭を下げられました。弟子、とは一体なんのことか分かりませんが、後ろにいる月浦様がひどく苦々しいお顔でいらっしゃいます。
「あ、あの……?弟子とはいったい?」
「はぐに料理を教えてください!みかどちゃんのご飯いつもおいしいから、はぐも料理したい!」
「お料理ですか。私のような者でよろしければ、僭越ながらお教えいたしますが……弟子というほどのものでは」
「やったー!弟子だー!」
「いえあの……」
お料理がしたいということでしたら、私にも多少の心得がございますのでお教えすることは吝かではございません。ですが弟子をとれるほど腕があるわけではありませんので、陽面様のご期待に十分に応えられるかどうか自信がありません……。しかしそんな私の迷いなど関係ないとばかりに、月浦様は私に詰め寄って囁かれました。
「おい。はぐが頭を下げたんだ。いい加減な指導をしたらどうなるか分かってるだろうな」
「せ、精一杯やらせていただきます……」
本当に月浦様なら、陽面様のためにどんなことをされても不思議ではありません。指でも切ろうものならいったいどうなってしまうことやら……。
「まあまあ。そこまで気負わずにさ。月浦君も、料理には失敗がつきものなんだからさ。もっと気楽に考えてなよ」
「バカか。はぐがやったらそれは須く成功なんだよ。僕が言ってるのは、はぐが目的を完遂するために必要最低限のことを確実に教えろってことだ。寄り道なんかで時間を無駄にさせるなよ」
「むちゃくちゃ言いやがるなァ」
お昼ご飯の片付けをお手伝いいただいている甲斐さんと、酔い覚ましにお味噌汁を作りにいらしていた王村様が、それとなく私にフォローを入れてくださいます。しかし月浦様はお二人の言葉など聞こえていないかのように、陽面様を心配そうに見つつも食堂の方に行ってしまわれました。
狭山様にマインドコントロールされてしまった陽面様のために、ひとり真夜中に見回りをされていた月浦様が私に陽面様を任せていただけるとは……これは、信頼されていると捉えても……?少しうぬぼれが過ぎるでしょうか。
「てっきり月浦様がお付きになっているのかと思っていました」
「あのね、ちぐには内緒なの。いきなりお料理上手くなってびっくりさせるんだ!」
料理をすることは月浦様も御存知なのに、内緒とは?
「ちなみに陽面様。お料理の経験は?」
「んっとね。ご飯にふりかけしたことあるし、海苔で巻いて食べたことあるし、お茶漬けもしたことあるよ」
「お米が好きなんですね。他の食材を扱われたことは?」
「ないかな」
「ないですか」
「ちぐがね、火傷したら危ないからって熱いものは使わせてくれないの。包丁も切ったら危ないし、ガラスも割れるから使わないし、喉に刺さるからってお魚の骨も全部とっちゃうし、それからそれから……」
「なるほど。陽面様の現状のお料理力は分かりました」
料理らしい料理はしたことがなくて、経験があるとすれば味変だけ。火と刃物はおろか、魚の骨も経験がないとなると、道のりは長そうですね。
「ところで陽面様は、最終的にどんなお料理が作りたいかなどの目標はございますか?それによって教えることも変わりますので、お決まりでしたら是非お聞かせください」
「んとね、あのね、かりんとう!」
「かりんとう?どうしてまた」
「ちぐの大好物なの!特にピーナッツが周りにまぶしてある甘塩っぱいやつ!」
「ははあ。それで」
つまり、陽面様はお料理の練習をして月浦様の好物をお作り差し上げようということなのですね。内緒というのは作るものが何かを内緒にするということですか。なるほどなるほど。かりんとうなら刃物は使わずに作れますね。油で揚げる工程さえなんとかすれば、さほど時間もかからずお教えできそうです。
しかし、いきなり作り方をお教えしても、それは陽面様がおひとりで作ったことにはなりません。そもそも陽面様は料理のなんたるかを勉強する必要があるようです。ここは、段階を踏んで参りましょう。
「それでは陽面様。僭越ながらお料理についてお教えいたしますが……その前に。基本的な道具の使い方からお勉強しましょう」
「はーい!」
正直に言ってここは料理と言える段階ではありませんが、それでも陽面様は嫌な顔一つせず、ひとつひとつの道具の説明を熱心にお聴きになっていました。この素直さとご愛嬌、真面目さが、陽面様が世の皆様に愛される理由の一つですね。教えているこちらもどんどん吸収していく陽面様の伸びが嬉しくて、つい余計なことまで教えてしまいそうです。
その日は結局道具の使い方だけで終わり、お夕飯の支度があるため陽面様には今日の復習をお願いしました。入れ替わりでお手伝いに来てくださった甲斐様と一緒に、料理のスキルを教えていないことにクレームを入れにいらした月浦様を宥めることになりましたが。
あれからどれくらい経ったか……。思えばずいぶんと長ェ時間が過ぎたような気がする。まだ手にはあの感触が残ってる。体の全てで覚えてる。なのに触れられねェ、感じられねェのはこんなにも辛いもんなんだなァ……。
「まだ5分よ」
「早回しで見ているようだな。本格的な治療が必要な段階に来ているんじゃないか?」
「返してくれよォ」
「ダメです。まずは完全にお酒を抜かないことにはお話にならないわ。アルコールの分解を促す食べ物とか、分かるかしら?」
「谷倉に聞いてみようか」
ここはおいらの部屋、のはずだ。部屋の主はおいらのはずなのに、すっかり主導権を握られちまってる。理刈はおいらの酒瓶を奪って、部屋にあった棚にしまって南京錠まで掛けちまいやがった。その間、おいらは毛利にガッチリ捕まってろくに抵抗もできねェでいた。体が小せェのはしょうがねェけど、まさか年下の女ひとりに勝てねェとは思わなかった。あと酒のせいもあるな。
「なんだってこんなひでェことするんだよう。おいらがなにした?なんもしてねェだろ」
「何もしてないことが問題なのよ」
「なんだいそりゃあ」
「あなたには自覚が足りないの。私たちの年長者だっていう自覚が」
「自覚ならあらあ。酒飲めるのは大人の特権だァな。未成年はジュースでも飲んどけ」
「私たちは18歳だから成人してるわ。お酒は飲めないけれど大人の話し合いはできるわよ」
「ちくしょう!法改正め!」
そういやあ理刈はその辺の話にうるせェんだった。おいらに言わせりゃ20歳だろうが18歳だろうがそんなに変わらねェと思うんだがな。
「そんなことはどうでもいい。王村、私たちはお前に年長者としての自覚を持って行動してほしいと言ってるんだ」
「なんだいそりゃァ?おいらに何しろってんだ?」
「これ以上コロシアイをさせないためには、単にひとりひとりが気を付けるだけでは限界がある。数人で意思の統一を図っても、突発的な事件を防ぐことはできない」
そう話す毛利の表情は辛そうだった。ああ、こいつは狭山のことを後悔してんだってすぐに分かった。裁判中もそんなこと言ってたような気がする。一番近くにいられたのに、狭山の暴走を止められなくて、結局逆上した岩鈴に殺されちまった。可哀想だとは思うが、ああいうのは長続きしねェのが世の常だ。人が人を操ろうなんてのァ烏滸がましいってこった。
「これ以上のコロシアイを防ぐには、私たちひとりひとりが互いを信頼し、連携しなければならない。モノクマはなんとかコロシアイをさせようと、また動機を与えてくるだろう。この前の動機を、私たちは観るか否かを個人の判断に任せた。それがいけなかった。動機を観ることに後ろめたさが生まれ、自分の不安を誰にも打ち明けられなくなってしまった」
いかにも悔しいって顔だな。確かに毛利の言う通りだったが、おいらァ問題はそこだけじゃねェと思うけどな。
「私たちは連携し、結束を堅くしていかなければならない……そのためには、ひとりでもその意思を理解してくれる人が必要なんだ。特に王村、お前のような年長者がしっかり発言してくれるだけで、その影響力は大きい。なんだかんだ年の功というのは信頼に繋がるからな」
「なんかバカにされてるような気がするけどよォ……いや、そりゃおめェ狭山とやってること変わらねェぜ?」
「なに?」
「確かに全員でコロシアイなんかしねェって心に決めて、互いに約束破らねェって信じられりゃ、そうそうコロシアイになんてならねェだろうよ。でもそれができたら苦労しねェって話だろ?狭山はそれを無理にやろうとして、洗脳なんて博打を打った。何人かは上手く取り込めたけど、岩鈴相手についに負けちまった。そういうこったろ?」
「そ、それは……」
「おめェらの考えは立派だ。おいらにゃァ逆立ちしたって考えつかねェ。ただそいつァおめェらの頭ン中だけで成立するこった。少なくとも今はな。人の気持ちは理想だけじゃ動かねェ、そこを上手いことやるのが手練手管ってやつだわな」
「お、お酒を抜くとこんなに含蓄のあること言えるのね……やっぱりお酒なんか止めたら?」
「酒があっておいらがあるんでェ!バカ言うない!」
とんでもねェこと言いやがるな理刈は!おいらから酒を取り上げたら何が残るってんでェ!
「そもそもおめェらにゃ人を取り込む才能がねェ!おいらを説得しようとしてまず何をした!?酒を取り上げただろ!おいらが酒好きってのを分かってて!ガキじゃあるめェし、好物取り上げりゃ言うこと聞くと思ってんのか!?ナメんじゃねェ!そういうときゃァ美味え酒の一本でも持って来て一緒に飲んで懐に入るところからだな」
「ぐむ……納得できるところとできないところがどっちもある……」
「毛利は人間の心ってもんが分かってねェ!動物ほど単純じゃねェぞ人間様は!理刈は人間に心があるってことを分かってねェ!理屈だけで動く人間なんてのァ説得しなくてもテメェで考えて行動すらァ!おいらみてェなのを取り込もうと思ったらもっとおいらに合わせてレベルを下げろ!」
「自分で何を言ってるか分かってるのかしら……?頭が痛くなってきたわ……」
「だが理に適っている……というか、かなり鋭い指摘だぞ。こういうことを全体に向けて言ってほしいんだが……」
「ばっきゃろう!まずはおめェらだろうが!テメェの不出来を棚に上げて人のこととやかく言える立場か!」
「ひぅん」
自分で何言ってっかなんだかよく分からんくなってきた。だが理刈も毛利もなんとなく言いくるめられそうになってっから、このまま勢いに任せて大人しくさせとくか。別にアレだよな?大人の男が大声出して女子高生をいじめてるって構図にはならねェよな?大丈夫だよな?
あけましておめでとうございます。
クリスマスくらいに新型コロナウイルス感染症でぶっ倒れてしまってエラい目に遭っていました。
2023年のうちに5章に入る予定ですが、何があるか分からないですからね。予定通りに行けるよう祈っています。
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