ダンガンロンパメサイア   作:じゃん@論破

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おしおき編

 

 スロットマシンの絵柄が揃う。ルーレットの玉がポケットに入る。絞ったトランプの絵柄が露わになる。ダーツの矢が突き刺さる。ありとあらゆる演出が繰り返し映し出されるスクリーンで、クロと暴かれた芭串君の顔が何度も表示される。何度も、何度も何度も何度も。私たちが手繰り寄せた真実を讃えるように。罪を暴かれた彼を責め立てるように。

 お腹を抱えて笑っているモノクマの他は、青ざめて跪く芭串君に痛ましい視線を投げかけるばかりだった。

 

 「だいだいだいだいせいかーーーーーーい!!今回のクロは、“超高校級のプロデューサー”月浦ちぐクンをサクッと殺した“超高校級のペインター”芭串ロイクンだったのでしたあ!!ちなみに陽面サンを殺したのは理刈サンで、理刈サンは校則違反によるおしおきね!オマエラよくぞ全ての謎を暴きました!すンばらシーーー!!」

 

 モノクマの言葉なんか聞きたくない。私たちが真実を見つけたからって、それがなんだっていうんだ。それで誰が救われるんだ。友達が友達を殺した。それだけのことだ。せめて、せめて私たちが知りたいのは——。

 

 「どうして……?」

 「……!」

 「どうしてこんなことしたの……芭串さん、コロシアイなんてするわけにいかないって言ってたじゃん!私たちみんなでここから出ようって、モノクマと戦わなくちゃって……言ってたじゃん!」

 

 私より先に、風海ちゃんが叫んだ。胸の奥に突き刺さるような、喉を掻きむしられるような、悲痛に満ちた声だった。彼女の非難を向けられていない私たちでさえ、重い罪悪感を煽られる。

 だからきっと、芭串君の感じるそれは痛いほどのものなんだろう。芭串君は気を失ったかのように、胸を抑えてその場に崩れ落ちた。とっさに駆け寄ろうとした私を、湖藤君が手だけで制した。その意図は分からない。芭串君がクロだから情けをかけるな、なんてことを言うはずがない。

 

 「はぁ……!はぁ……!そ、そうだよ……!」

 「……?」

 「うぐっ……!オレらは……モノクマに勝たなきゃならねえんだよ……!オレたち全員で、ここから出るしかねえんだよ……!こんなくだらねえ学級裁判なんかで頭数減らしてる場合じゃねえんだよ!そうだろ!?」

 「だ、だったら……どうして……?」

 「なんでオレが月浦を殺したかなんてこたあどうでもいいんだよ!!今しかねえだろ!!モノクマはそこにいやがるんだ!!モノクマを通してオレらを見てる奴だって近くにいるはずだろ!!だったら!オレらがこいつらをぶっ殺すなら今しかねえだろ!?」

 「なに言ってるカ?」

 「お前らこのままでいいのかよ!みすみすオレを処刑させて、それでお前らはいつかモノクマと戦うときに後悔しねえのかよ!今!このとき!まだ戦力があるうちに行動しておけばって!」

 「意味が分かりません。あなたは学級裁判に敗北しました。それ以上に何があるというんですか?」

 「そうやって人が減ってくほどオレらが不利になってくのが分からねえのか!?馬鹿かテメエは!!オレが処刑されるってことはテメエらがモノクマに負けるってことになるんだぞ!?」

 

 全く話が噛み合わない。私たちがどうして月浦君を殺したのかと問えば、芭串君はモノクマと戦うのは今だと言う。ものすごい剣幕で。必死の形相で。縋り付くような目で。芭串君は喉が枯れるほど私たちに訴える。自分が処刑される前に行動しろと。

 

 「……芭串くん」

 

 機関銃のように言葉の弾幕を展開する芭串君に、湖藤君が冷たく言う。それは、隙の見えないほどの猛攻も、鉄壁の防御も、ほんのわずかな隙間を縫って標的を貫く一本の矢のように、芭串君の耳を射抜いた。

 

 「君のために死のうと思う人なんて、ここにはいないよ」

 「……っ!?」

 「モノクマと戦うのは、今じゃない。モノクマと戦うなら、まだ足りない。モノクマと戦うのに、君に隣は任せられない」

 「なっ……!?なん、だよ……なんだよそれ……!?はっ……!?」

 「どんな理由があろうと、君は月浦くんを殺害した。たとえ彼が危険人物だったとしても、彼を殺害した理由も言おうとしない君は、同じくらい信用できない。分かるよね?」

 「……ぐっ、くうっ……!」

 

 血走る眼。荒れる吐息。漏れ出す嗚咽。その表情は敵意でも憎しみでもなく、困惑だった。

 

 「テメエら……!ふざけんなよ!!そうやって人を処刑させて心が痛まねえのか!?一緒に戦ってきた仲間じゃねえのかよ!!なんでオレがこんなこと……ふざけんじゃねえ!!今までオレがどんだけテメエらのために……!!」

 「それはそれ、これはこれ、っていうアル。往生際が悪いヨ、佬佬(ラオラオ)

 「うるせえうるせえうるせえ!!オレはこんなとこで死んでる場合じゃねえんだ!!戻らなきゃいけねえんだ!!オレが……オレがそばにいてやらなきゃ!!オレがいねえとダメなんだ!!」

 「だ、誰のことを言ってるの……?」

 「テメエに関係あるか!!」

 

 完全に錯乱してしまってる。何を言っても逆効果だし、何を言ってるか分からない。湖藤君が窘めたのは理解できたみたいだけど、それでもまだ月浦君を殺した理由は何も教えてくれない。

 

 「いや〜、全部分かってる立場からしてみればこんなに滑稽なことはないよね」

 「ッ!?」

 「うっぷっぷ♪オマエラさあ、なんでそんなに芭串君が月浦君を殺した理由を知りたいワケ?それを知ってどうしたいの?」

 「どうもこうも……身近な人間が殺されたなら、その理由を知りたいと思うのが人間じゃないのか」

 「はァ〜〜〜ん?知りたいから知りたいって?答えになってないんだなあ。どんな理由だったらオマエラは満足するのかって訊いてるんだよボカァ」

 「な、何を言ってるの……?」

 

 頬杖をついて足を組み、不満げに半分閉じた眼で私たちを見下ろしていたモノクマが、ぴょんと玉座の上に飛び乗って言う。

 

 「オマエラが知りたい理由ってのはなんなの?月浦君が殺されるのに十分納得できる理由を知って、芭串君の凶行は仕方ないものだったって同情したいワケ?やむにやまれず殺害してしまった、なんて悲しい展開を待ってるワケ?それともサイコで自分勝手な理由を聞いて、芭串君の精神構造は自分たちと違う、この殺人は異常なことなんだって再認識したいワケ?芭串君に寄り添いたいの?突き放したいの?理由を知ったところで、オマエラにできることってなんなの?その向こうにあるエモエモエピソードに酔い痴れてみたりなんかして?そんなシナリオを期待しちゃってんのぉ!?

  あっめえんだよなあどいつもこいつも!!!殺人には同情に値する悲しい理由があるはずだって思ってるさあ!!殺人には相応の葛藤と人間模様のドラマがあるはずだって考えてる悲劇の押し付け野郎(トラジディスト)共がさあ!!そんなわけねえじゃん!?死ってのは大概が理不尽で無意味に訪れるものなんだよ!!その中に理不尽で無意味な殺人だってあるに決まってんじゃん!?」

 

 芭串君に負けない勢いで、むしろそれより強く、激しく、大きな怒りを込めて、モノクマが怒鳴る。それは私たちに向けられたもので、だけどそれだけじゃないような気がして、耳を塞いでも、目を閉じても、モノクマの声が、眼光が、私の中に入ってくる。

 理不尽で無意味な殺人?芭串君のしたことが、そうだってこと?なんの理由もない、葛藤も、逡巡も、躊躇もない、悩むことのない、かといって震えるような悪意もない。そんな風に月浦君は殺されたってこと?

 

 「全然……意味が……?」

 「だからさ、そうやって意味を求めることが間違いなんだって。プライドを守るための殺人でもない。大切なものを侮辱された怒りによる殺人でもない。愛する人の秘密を守るための殺人でもない。なんのためでもない、なんの感情もない、そういう事件なんだよ、これは」

 「分からないな」

 「うぷぷ……オマエラもしつこいね。そこまで言うなら教えてあげるよ。パーティーホールで何が起きたのか。この、大義によって引き起こされたクソみたいな結末(オチ)の殺人劇をさ!」

 


 

 理刈法子は覚悟した。あの狂おしいほど身勝手な罪人は裁かれなければならない。たとえこれが正しい手順を踏まない私刑にあたるとしても、目の前で行われた理不尽の極みのような悪行をそのまま見過ごすことは、自らの正義に反した。人が人を裁くことはそれが正義の名の下に行われたとしても、必ずしも善とは限らない。

 正しく善くあれれば何よりだが、現実はそう甘くはない。誰よりも正義を尊び、誰よりも善であろうとしたからこそ、理刈はそのことをよく理解していた。そして、善であることを諦めた。

 

 「ダメクマ」

 

 呼び止めたその背中は、びくっと跳ねてからゆっくりと振り返った。ビーズの瞳に映った理刈の目は、いつにも増して鋭い。その眼差しはダメクマに向いているが、ダメクマを見てはいない。その遥か先、あるいはこの世のどこにもない場所を見つめていた。

 

 「パーティーホールのシャンデリアについて教えて頂戴」

 「そ、それは……どうしたのさ、理刈さん。疲れてるんじゃない?部屋に戻って寝なよ」

 「あのシャンデリアは、電気を消したら落ちるのね?」

 「……っ!?な、なんでそれを……!?」

 「消してから落ちるまで、どれくらいかかるの。秒単位で正確な時間が知りたいわ」

 「そ、そんなこと知ってどうするつもりなの。ダメだよ、シャンデリアを落としたりなんかしたら」

 「あなたの意見は聞いていない。聞かれたことに答えなさい」

 

 ダメクマは必死に理刈を宥める。何を考えているか、何をしようとしているかなど分かりきっている。しかし、よりにもよって理刈がこんなことになるなど、ダメクマは想像だにしていなかった。

 普段から冷静な理刈は、自分の感情をコントロールして押さえ込んでいるタイプだとばかり思っていた。どうやらそれは生来の性格だったらしい。限界を迎えて狂気に触れてからも、冷静に事を運ぶタイプだったようだ。しかし冷静ならまだ話し合いの余地がある、そんな甘い考えは一蹴に付された。

 

 「うぅ……じ、時間なんて言われても、ボクは分からないよ。落としたことないし」

 「そう。でもその様子だと、シャンデリアが落ちる仕組みは理解しているようね」

 「むぐっ」

 「それなら図書室に行って勉強するわ。参考書選びを手伝いなさい。勉強するにも構造の正確な理解が必要だわ。それくらいなら分かるでしょう」

 「うわっ!あっ、あっ、やめてーーー!」

 

 むんず、とダメクマの頭を鷲掴みにし、理刈はそのまま図書室に向かった。もともと学業は得意な方であったため、シャンデリアが吊られている構造と落下する仕掛けのカラクリ、消灯から落下、そして接地までの時間を計算するに至るまで、さほど時間はかからなかった。

 ついでに先々のことを考え、そのための準備もした。自らの計画が上手くいこうといかまいと、その後にやることは決めていた。すなわち、自ら命を絶つ選択である。

 これは正義である。それは胸を張って言える。誰がなんと言おうと、これは紛れもなく自分の正義だ。それは間違いない。しかし正義を貫き通すには覚悟が必要だ。一度通した正義を貫き続けるか、その悪辣さを認め責任を取るか、いずれかだ。理刈は後者を選択した。正義を貫き続けるのに、今の自分は無力過ぎた。なんの権限も、後ろ盾も、必要性もない。どこまで身勝手な正義だ。それが月浦の正義と大差ないことに、理刈は気付いていなかった。

 


 

 月浦は激怒した。必ずこの無神経な輩を除かなければならない。

 自室に戻った月浦は、ドアの隙間から部屋に差し込まれたであろう手紙を見つけた。慎重に開いてみれば、毛が逆立ったブラシで神経を撫で付けられるような文章が書かれていた。

 陽面の秘密に触れる——それだけでも月浦にとっては十分に排除対象になり得るのだが——だけでなく、月浦の罪を糾弾し、その責任を陽面にまで追及する内容だった。あれほど明確に警告を発して、あれほど厳格な境界線を敷いて、まだ軽率に陽面の秘密に土足で踏み入ろうとする輩がいることに、月浦は心底憤慨していた。

 

 「ちぐ?どうしたの?こわい顔」

 「……心配ないよ、はぐ。少し考えなくちゃいけないことができただけさ」

 

 既に自分の狂気的な愛情は陽面の知るところである。今さら半端に取り繕う必要はない。新たに排除すべき者が現れたことなど、月浦にとっては怒りの対象でこそあるが、その排除は苦労のうちに入らない。問題は、その方法である。ただでさえ月浦は陽面以外の全員から警戒されている。その上、この手紙の送り主は自分たちを狙い撃ちにしている。相手の考えを掻い潜り、逆に殺さなければならない。いや、誰かに殺させなければならない。

 想定していなかったわけではないが、対処法を考える前にその時が来てしまった。その上、手紙には続きがある。今夜、パーティーホールに来るようにという指示だ。人数の指定はない。どう考えても危険だ。行った先で何者かの襲撃を受けるか、あるいは何らかの罠が仕掛けられているか。いや、それならまだいい。最悪は、ひとりでホールに向かった隙を突かれて陽面を危険に晒すことだ。ならばどうするか。

 選択肢は3つある。こんな手紙は無視して部屋で一晩過ごす。それでも用心に越したことはないが、のこのこ敵陣に飛び込むよりはよほど安全だ。あるいはひとりでホールに向かう。ホールで待ち伏せされている場合は陽面の安全のために別行動をとるべきだ。そしてふたりでホールに向かうという選択肢。狙われている状況でバラバラに行動することこそ危険だ。一緒にいれば最低でも陽面を守ることはできる。

 

 「ちぐっ!」

 「うっ!……は、はぐ?どうしたの?」

 

 沸騰しそうなほど熱を帯びて動く脳は、小さくて柔らかな愛おしい指に弾かれて止まった。どうやら陽面が下手くそなデコピンをしたようだ。手紙を睨んで黙りこくっていた月浦は、眉間に寄せていたシワを伸ばして、なるべく穏やかな表情を意識して陽面を見た。

 

 「……ちぐは、はぐのために、はぐには分からない難しいことをたくさん考えてるんだよね。ちぐの考えてることは分からないけど、ちぐが考えてる理由は分かるよ」

 「うん。僕がすることは全て、はぐのためだ」

 「ちぐははぐのことを守ろうとしてるけど、はぐだってちぐのことを守れるんだからね。特に、ちぐはがんばりすぎてるときは」

 「頑張り過ぎてることなんてないよ。こんな異常な場所では、はぐのことを守ろうと思ったら一瞬だって気は抜けない」

 「もう!ここにいるのはみんないい人ばっかりなんだから。ちぐが思うほど危ない場所じゃないんだよ!」

 「……」

 

 まったく能天気だ。油断だらけ、隙だらけ、ふと目を離した拍子に傷ついてしまいそうな危うさ。だからこそ目を離せない。ずっとそばにいてやらないといけない。そう感じてしまうほど、月浦は陽面に対して盲目だった。

 そんな姿を目の当たりにして、月浦は選択した。

 

 「それじゃあ、はぐ」

 「うん?」

 「今日は少し、夜更かししちゃおうか」

 

 それが、致命的な誤りになると知る由もなく。

 


 

 パーティーホールは、モノクマに案内されて目にした煌びやかな雰囲気から一転していた。部屋の奥は暗闇に支配されて向かいの壁が見えない。窓のない部屋の影を、廊下から差し込む明かりが細長く切り裂く。そこに伸びる自分の影を踏んで、月浦は中の様子を伺った。

 自分たちを誘うように半端に開かれたホールの扉。誰かが潜んでいても分からないほどの暗闇。手紙の送り主が陽面の秘密をちらつかせてさえいなければ、こんなところに自分から入っていくような迂闊な真似は決してしなかっただろう。

 

 「ちぐ。くらいよ……戻ろうよ」

 「僕が先に行くから、はぐは絶対に僕のそばを離れるんじゃないぞ。もし何かあったらすぐに大声を出していいからね」

 「う、うん……ねえ、こわいから服つかんでていい?」

 「しっかり掴んでてね。その方が、暗くてもはぐがいることがよく分かるから」

 

 それを聞いた陽面は、月浦のジャケットの裾をシワがつくほど強く握った。微かに震える手から、暗闇に対する恐怖心を感じる。月浦はますます手紙の送り主を許せなくなった、陽面は単純に暗い部屋に怯えているだけで、命の危険があることなど全く考えていない。それでも、陽面に恐怖を感じさせただけで、その者は万死に値する。それが月浦の考え方だった。

 暗闇に目が慣れるのを待って、部屋中に目を凝らす。微かな動きも見逃さないとばかりに部屋の隅から隅を凝視する。明かりをつけられればいいのだが、操作盤はホールの奥の控え室にある。おそらくはそこに誘導するための罠だろうと考えた。入り口から控室までの動線に何かあるか、と注意深く観察すれば、背後から陽面の声がした。

 

 「あっ……これ、なんだろう?」

 「どうしたの、はぐ。大丈夫?痛いとか苦しいとかない?」

 「ちぐってば心配し過ぎだよ……大丈夫だって。それより、あれ見てよ」

 

 陽面が指差したのは、ホールの床だった。暗闇ではよく目立つ、薄い青緑の蛍光色に輝くマークが描かれている。マークの周辺には不作為を感じる同じ色の痕跡が残っている。どうやら誰かが蓄光ペンキで描いたもののようだ。あの手紙の送り主だろう。なるほど、電気を消したのはこのためか。

 

 「ねえねえ、あれなんだろ?近寄ってみようよ!」

 

 陽面の無邪気さが月浦の警戒心を掻き乱す。どう考えても近づけば何かが起きる。暗闇なら蛍光マーク目がけて襲いかかれば、正確に標的を狙うことができる。そうでなくても安易に近付くことは危険だと、多少の危機感があれば分かるだろう。残念ながら、奇しくも、幸か不幸か、陽面にはその多少の危機感すらなかった。暗闇に怯えていた気持ちなどすっかり忘れて、いまは目の前の光るマークに夢中のようだ。

 そうなれば、月浦のすることはひとつだ。陽面の安全を最優先にしつつ、マークに近付く。何かあればすぐさま陽面を突き飛ばしてでも守れるよう、最大限に警戒する。

 

 「なんだろねー?」

 

 陽面はマークに興味津々な態度を隠そうともせず、それでも月浦の言いつけを守ってしっかり背後に下がっている。近付いて見ても、それはマークでしかなかった。解読可能な文字でもなく、意味のある記号でもなく、単なるマークだ。

 周囲の気配を探る。正面、左右、陽面のさらに奥の背後、いずれにも怪しい気配はない。殺気どころか息遣いも視線も感じない。一体どういうつもりなのか、月浦の心に僅かな疑念が生まれる。襲うなら今が絶好のチャンスであるはずなのに、誰も何もして来ない。意味が分からない。相手の目的が分からなくなる。

 ——ほんの一瞬の戸惑い。迷い。得体の知れない存在への無意識の恐怖感。その一瞬が、判断を遅らせる。

 

 

 微かな音がした。金属が擦れるような音だ。聞き逃してしまいそうな音は、頭の上から耳に滑り込んできた。その意味を——その先を——次にすべきことを考えた。月浦は、考えてしまった。僅かに感じてしまった恐怖心が踏み出すはずの一歩を抑え込んだ。

 


 

 全て上手くいった。予想通り、月浦は陽面を連れて来た。月浦は常に陽面のそばにいる。陽面を守るためと言っているが、理刈に言わせればあれは陽面に依存しているだけだ。陽面の存在を理由にして自らの存在価値を確かめているだけだ。あんなものは自己愛に過ぎない。だからこそ、理刈はそれを利用した。月浦を誘い出せば、必ずそこには陽面も現れる。そうなれば、陽面は目の当たりにするはずだ。月浦がしてきたことへの罰を。

 

 「……」

 

 パーティーホールの控室からは、ホールの様子が伺える。部屋の明かりを消しても、廊下側から漏れる光で控室からは中の様子が薄ら見える。理刈は、まんじりともせず、そこからずっと見ていた。月浦と陽面がパーティーホールに入ってきてから、自分が仕掛けた罠ににじり寄っていく様を。

 そして、罠は動き出した。万事計算通りだ。計算した通りのタイミングでシャンデリアは支えを失った。計算した通りの勢いで落下を始め、その真下には計算通りの人物がいる。理刈は高揚した。

 

 が、計算した通りの答えにはならなかった。月浦の一瞬の判断の遅れ。確かな手応えを感じさせる理刈の胸の高鳴り。その間に、ただの傍観者であったはずの陽面が割り込んだ。動けない月浦の体は、蛍光色のマークから離れ、入れ替わりに陽面がその上に乗る。

 

 「……はっ!?」

 

 瞬きする暇すらなかった。月浦が音を聞いてから、理刈が成功を確信してから、あるいはそれより前に、陽面は動き出していた。いつから気付いていたのか。それを確かめる術は二人の目の前で潰えた。

 ガラスが床に叩きつけられる。弾け飛んだ破片が光を反射して星空のように煌めく。まるでその下には何もないかのように。圧倒的に大きな力と質量は、ちっぽけな陽面の体を潰したことに気付いていない。肉が裂ける音も、骨が砕ける音も、内臓が潰される音も、悲鳴のひとつも聞こえないまま、全ては一瞬のうちに終わった。

 


 

 ドア越しの悲鳴。喉が張り裂けそうなほどの慟哭。それを叫ぶはずの口はシャンデリアの下に。シャンデリアに潰されて罰されるはずの月浦が叫ぶ。

 失敗した。全てが終わる直前まで全て上手くいっていた。最後の最後、予想だにしないことが起きた。まさか陽面があんなことをするなんて。月浦に守られてばかりの陽面が、瞬時の判断などとてもできそうにない子供のような陽面が、身を挺して月浦を庇うなど。あるいはそう見えただけかも知れない。いずれにせよ、結果は変わらない。

 

 「最悪」

 

 罰を与えるはずだった。谷倉と菊島を殺した罰は月浦にある。身勝手な理由で人の命を奪った月浦は裁かれなければならない。シャンデリアに潰されて死ななければならない。そのはずだったのに、陽面が殺されてしまった。裁く者を違えてしまった。

 罪人を裁く覚悟はしていた。月浦を肯定した陽面は善ではないが、罪はなかった。理刈に、陽面を裁く理由はなかった。この過ちは大罪だ。理刈は薬瓶を手にした。

 


 

 「あっ」

 

 気が付くと勝手に筆が動いていた。キャンバスに描かれたのは金髪の少女。儚げな細い線で構成された輪郭。華奢な体に似合わない躍動感にあふれる構図。身につけるのは均質で無機質な病院服。この世の誰よりも大切な、芭串の愛する妹だ。

 ここに来てから片時もそのことを忘れたことはない。最後に会った妹は、病院のベッドの上で気丈に笑っていた。大きな手術を控えて不安なはずだったのに、希望ヶ峰学園に招かれた自分を笑顔で送り出した。一番苦しいときにそばにいてやれない不出来な兄に、一言の不満も言わない。自分にはもったいないほどのできた妹だ。

 

 「……」

 

 だからこそ、芭串の頭にはモノクマの言葉が突き刺さって外れなかった。ここに来てから3年もの時間が過ぎていると言った。久し振りに映像で見た妹は、なぜか黒い服で涙を流していた。外の世界のことが分からない。それはつまり、妹が今どうなっているか分からないということだ。

 手術はどうなった?体はもう大丈夫なのか。まだ入院しているのか。自分がいなくて大丈夫なのか。モノクママスクに囲われたあの映像の後、無事に家に帰れたのか。

 不安はとめどなく溢れてくる。今すぐにここから出て確かめに行きたい。あのとき、岩鈴が狭山を殺していなければ、自分が誰かを殺していたかも知れない。だが、3度も繰り返してよく分かった。自分では誰かを殺しても学級裁判を勝ち抜けない。自分には到底理解できないトリックを、いとも容易く暴いてしまう奴らがいる。

 芭串は、妹のためなら誰かを殺すことも厭わない程度には狂っていた。だが、その先を考えず行動するほど狂ってはいなかった。半端な狂気は行動できない自分を責めるように唆し、精神を摩耗させていく。

 

 「くそっ!なんでこんなことに……!アリス……!」

 

 祈ることしかできない自分が情けない。妹の無事を祈っている。再び妹に会えることを祈っている。ここを出るチャンスが訪れることを祈っている。

 

 「はぁ……」

 

 狂った情けない自分に気付くたび、芭串は激しく落ち込む。こんなことをしていて、外に出たときにもし全てが手遅れだったら、悔やんでも悔やみ切れない。そんなことなら、モノクマに突撃でもして殺された方がマシなのかもしれない。その方が、少なくとも妹のために行動してはいるからだ。

 美術室の奥にその走り描きをしまい、芭串は部屋に戻ることにした。いつの間にかかなりの時間が経っていた。こんな時間に部屋の外をうろついていて余計な疑いを持たれてはかなわない。やましいことはないが、一応廊下の様子を伺いながら戻ろうとする。美術室を出て階段を下ろうとしたそのとき——。

 

 「……?」

 

 何か聞こえたような気がする。人の声だ。叫ぶような、嘆くような、苦しむような、おぞましい声だ。夜の学園でそんな声が聞こえてくれば怪談になりそうだが、この状況では見過ごすことはできない。誰かの悲鳴は、何かが起きた証だ。また誰かが殺されたのか。そう考えていたとき、芭串は悲鳴の聞こえた上階へ階段を駆け上がっていた。

 


 

 絶え間なく聞こえる叫び声。それはパーティーホールから聞こえてきていた。半端に開かれたホールの向こうは暗い。近くに寄ってきて初めて分かった。これは、月浦の声だ。月浦が叫んでいる。その状況だけで、芭串には不可解だった。なぜこんな時間に月浦がこんなところにいるのか。なぜ叫んでいるのか。また誰かをハメようとしたのではないか。

 月浦に気付かれないよう、慎重にホールの入り口に近づき、おそるおそる中を覗いてみる。月浦の声は、広いホールの中央から聞こえる。だがその姿は見えない。中央には山型の影があって、それが天井に吊るされていたはずのシャンデリアだと気付くのに数秒かかった。

 

 「あ?……なんだ?」

 

 落ちたシャンデリアの周りにはガラス片が散乱していた。ひしゃげた鉄枠から相当な衝撃があったらしいことが伺えた。悲鳴はその下からしていた。回り込んでシャンデリアの下に目を凝らす。暗闇に目が慣れてきて、ようやく芭串は理解した。

 シャンデリアの下に誰か——何かある。微かに香る血の匂い。シャンデリアの下に潜り込んで、何かに手を伸ばしながら泣き叫ぶ月浦。何があったか推理するには十分だ。この下には、陽面がいる。陽面が殺された。だから月浦は嘆いているのだ。

 とんでもない現場を見てしまった。ひとまず明かりをつけなければ。確か電気の制御盤は控え室にあったはずだ。芭串は部屋の奥に向かい、控え室の扉を開けた。

 

 「……はっ!?」

 

 思わず声が出た。相変わらずの暗闇だが、これほどはっきりと目の前にいれば分かる。控え室には理刈がいた。手足を乱雑に投げ出し、完全に力の抜けた格好からは、まるで生気を感じない。なぜ自分でもそうしたか分からないが、芭串は自然とその手を取っていた。人間のものとは思えない冷たさ。鼓動のない手首。重い人体の感触。

 

 「ううっ……!?な、なんなんだよ……!?」

 

 なぜ理刈がこんなところで死んでいるのか。芭串には想像もつかない。だが想像する必要などない。理刈が死んでいる机には、その理由が書かれている文書がしっかり遺されていた。それを見つけた芭串は、明かりをつけるのも忘れて、それを手に取って読み始めていた。

 


 

 芭串は全てを知った。理刈が何を考えていたか。理刈が何をしたか。パーティーホールで何が起きたか。なぜ月浦ではなく陽面が死んでいるのかは書かれていなかったが、何かの事故なのだろうと想像がついた。理刈の遺言状を読み切った後、芭串はもう誰かを呼びに行こうとは考えていなかった。

 

 「……」

 

 ——チャンスだ。そう思った。陽面を殺したのは理刈だ。その理刈は、目の前で死んでいる。自殺だ。今この場には2つの死体だけがあり、クロはどこにもいない。なら、この状況でさらに死体が1つ増えたらどうだろう。この遺言状さえなければ、陽面を殺したのが理刈だと証明する手段はない。3人もの人間が誰かに殺されたように見える。その時点で真実からはかけ離れているのだ。だとすれば、これは学級裁判に勝つチャンスなのではないか。

 自問自答にさえならない脳内反復。これが好機だと考えてしまうと、後はただただ自分で自分の背中を押すだけだ。自分のすることに理屈をつけるだけだ。

 いま、目の前に絶好のチャンス(機会)がある。誰にもバレることがないのなら覚悟(正当化)もできる。もちろん、そうするだけの動機はずっとある。もはや芭串は止まらなかった。机の引き出しからカッターナイフを取り出し、控室をそのままにして出た。

 

 「はぐぅ……!はぐっ、いま、いま助けるから……!返事をしてくれ……!はぐ!お願いだから……!僕から離れないで……!いなくならないで……!はぐ……!」

 

 暗闇の中から弱々しい声が聞こえる。あの月浦がこんな声を出すなど、芭串は目の当たりにするまで想像できなかった。服が汚れるのも気にせず、自分の体が傷つくのも気にせず、シャンデリアの下に潜り込んで、愚直に陽面の元へ進もうとする。いくら小柄な月浦でもその隙間に潜り込むことはできず、無意味に体を捩らせるばかりだった。芭串はその背後に立つ。

 

 「ああ……!はぐ……!はぐぅ……!」

 

 芭串は、死に際に理刈が何を考えていたかは分からない。もしかしたら誤って陽面を殺してしまったことを悔いていたかも知れない。だが、目の前で芋虫のように這いずる月浦を見て、理刈が与えたかった以上の罰が月浦に下されたことを確信した。

 これは罰だ。罪のない人間を3人も身勝手な理由で殺した月浦を罰する権利が自分にはある。自分にそう言い聞かせる。これは救いだ。罪のない陽面を目の前で喪った月浦は正気を失うほどの辛さにある。月浦を苦しみから解放させられるのは自分だけだ。

 誰に言うでもない独り善がりの自己弁護。自分のための甘い言い訳。それを頭の中でひたすら繰り返しながら、芭串はナイフの刃を月浦の首筋にあてがった。そこまでしても、月浦は抵抗はおろか芭串に気付く気配すらない。

 

 「……ッ!」

 

 そして芭串は、カッターナイフを持った手を力強く引き抜いた。

 


 

 「ハイッ!そんな感じ!」

 

 唐突にモノクマは話を終えた。そんな感じ、と言われても、色々と言いたいこととか考えたいことがある。

 

 「ボクとしたことが長々話しちゃったカナ?要するに、芭串クンは月浦クンを殺す以外になんにもしてないわけだよ!何にもしてないし、何の信念もないし、何の感情もないし、何のこだわりもない!ただ目の前にチャンスが転がってたからやってみた、的な?理刈さんが自分の命を懸けた大掛かりなトリックを仕掛けたってのに、チョー軽々しくて後先考えない、工夫の一つもしないカスみたいな誰かさんのせいで、こんなしょうもない事件に早変わりってわけ!はーほんまクソ!」

 

 笑ってるのか怒ってるのか、モノクマは地団駄を踏みながら芭串君を指差してお腹を抱える。どんな事情があれ、人を殺すことは許されないと思っていた。だけど、虎ノ森君も、岩鈴さんも、月浦君も、少なくとも何かの信念に基づいて行動していた。結果的に誰かの命を奪ってしまったけれど、それは彼らの中で意味のあることだった。

 でも、芭串君はそうじゃない。意味のある殺人なんかじゃない。ただそこにあったチャンスを拾うための、雑でいい加減な、空っぽの殺人。後も先も考えず、理刈さんの陰に隠れてこっそりクロの権利を掠め取った、卑劣なやり方。

 

 「やるならもっと考えてやるべきだったネ。勢いでやったことなんて上手くいかないのが世の常ヨ」

 「くっ……!で、でもよぉ……オレは……オレはここを……!」

 「すぐにでも出て行きたかったんだよね。もちろん、その気持ちを否定はしないよ」

 「おいおいおい、さすがに甘過ぎねェか?」

 

 うなだれる芭串君に、湖藤君は優しい言葉をかける。王村さんにまで嗜められて、湖藤君は小さく肩をすくめた。どうしてそんな軽々しいことが言えるんだろう。芭串君の気持ちは、もう果たされることはないというのに。そんな自己矛盾の怒りが湧き上がる。

 

 「外の世界が気掛かりなことは分からないでもないが、それは私たちも同じだ。お前だけじゃない」

 「そもそも、そのままにしておけば誰も死ななかったのに、わざわざ私たちの命まで危険に晒したんでしょ!その時点で……もう、アレだよ!」

 「クロが死亡している殺人を利用する手なんていくらでもあったでしょうに……彼が第一発見者だったことを幸ととるか不幸ととるか、難しいところですね」

 「……みんな、おかしいよ」

 

 口々に芭串君を批難するみんなに、私はひとり反抗した。決して芭串君の味方をするつもりじゃない。私だって、芭串君には怒ってる。だけど、だからといって、もうここで終わってしまう彼の背中を槍で突くようなことをしなくたっていいはずだ。

 

 「どうして誰も、芭串君の気持ちを分かってあげないの……?いまの芭串君は、もしかしたら私たちの中の誰かだったかも知れないんだよ?自分なら()()()()に冷静な判断ができるなんて、どうして言い切れるの?いつだって私たちはギリギリのところにいるんだよ」

 

 私は、キッと目尻を釣り上げた。その視線の先に、白と黒の憎らしい毛皮の塊を見据えて。

 

 「こんな状況を作ったのはモノクマだ!芭串君を衝動殺人をしてしまうまで追い詰めたのはモノクマだ!理刈さんに月浦君を罠にハメて殺させようとするところまで追い詰めたのはモノクマだ!月浦君が陽面さんの秘密を守るために殺人を唆したのはモノクマだ!私たちをこんなところに閉じ込めてコロシアイなんてさせてるのはモノクマだ!全部全部、あいつが悪いんだよ!」

 

 私は叫んだ。みんなに気付いて欲しくて。私たちがお互いを憎しみあって、疑いあって、殺し合うなんて間違ってる。芭串君を責めるのは何の解決にもならない。私たちだってそうなる可能性があったんだ。

 そんな私の思いがどこまでみんなに伝わったのかは分からない。気まずそうに視線を逸らす人も、冷たい視線を向けてくる人も、様々だ。だけど、そのどれも、芭串君の救いになるものではなかった。

 

 「ボクが悪いなんてことを今更言ったって、それこそ意味ないよ。ボクはずっと最初からオマエラの敵なんだからさ。そんなことより、いつまでもダラダラ話しててもツマラナイから、話進めていいっすか?」

 「っ!」

 「あっ!芭串さん!」

 

 不穏な空気を感じた。モノクマの悪意が一気に裁判場に広がる感覚。それを感じ取ったのか、芭串君が走り出した。ローラーシューズを履いた彼は風のように裁判場を走り、エレベーターに向かっていく。それが無意味な抵抗だということを、モノクマは、私たちは、きっと本人だって、分かっていた。それでも抵抗せずには、抗わずにはいられない。

 

 「うっぷっぷ!逃げる場所なんてないんだよ!全てを暴かれたクロに待つのは命による償いのみ!さあオマエラ!刮目せよ!これがオマエラの選んだ未来だよ!」

 「うっ……うあああああっ!!ちくしょう!!ちくしょう!!ふざけんな!!オレは……オレはこんなところで死んでる場合じゃねえんだ!!出せ!!こっからすぐ出せ!!やめろ!!」

 「うっぷっぷ〜〜〜!!今回は!“超高校級のペインター”芭串ロイクンのために!スペシャルな!おしおきを!用意しました!」

 

 モノクマの玉座から無数のロボットアームが伸びていく。それはエレベーターのシャッターに指を食い込ませて揺らす芭串君の体に巻きつき、力ずくで彼を引き剥がした。床に引き摺られながら、手足が折れそうなほど暴れて抵抗する芭串君の姿に、私は思わず目を逸らした。見ていられなかった。

 

 「お、おいお前ら!!見てねえで助けてくれよ!!頼む!!なんだってする!!なんだってやる!!助けてくれ!!いやだ!!死にたくねえ!!」

 「それでは!張り切っていきましょう!おしおきターーーイムッ!!」

 「やめっ——!!」

 

 モノクマがボタンを押す間抜けな音がした。それは壁に開いた穴を閉じて、必死に命乞いをする芭串君の姿と声を私たちの前から消し去った。私だって助けられるものなら助けたい。でも、それができずに、今まで3回も、連れて行かれる彼ら彼女らを見送ってきたんだ。

 するする降りてきたスクリーンに芭串君の姿が映し出される。暗闇の中、身体中に巻きつく冷たく無機質な機械の感触。確実に近づく死の足音。そんな極限状態にあって、全ての希望を失った芭串君は、完全に絶望しきっていた。

 


 

【GAME OVER】

バグシくんがクロにきまりました。

おしおきをかいしします。

 

 

 暗闇の通路から一転、芭串は目がくらむような光の中に放り出された。目に刺さるような鋭い光。鼻につく化学的な香水の匂い。上品さを取り繕った安っぽい音楽。煌びやかで豪華な衣服に身を包んでいるのは、どれもこれもモノクマばかりだ。柔らかい絨毯に荘厳な装飾の小部屋。部屋の正面には小さなステージが設けられ、マイクを持ったモノクマがその袖に立つ。掲げられたプレートには、汚い文字でタイトルが記されていた。

 

 

[愛はゴミ箱の中に

“超高校級のペインター 芭串ロイ”処刑執行]

 

 

 手袋をはめたモノクマが二人がかりで何かを運んでくる。いびつな形をした焼きものの壺だった。見ようによっては味があるような気がしないでもないが、壺としての使い方はできないだろう。そもそも支えていないとまともに自立もしない。何名かのモノクマが札をあげる。何度か価格を吊り上げる応酬が繰り返された後、ひとりのモノクマが落札した。モノクマは満足げに葉巻に火を点けた。

 次に運ばれてきたのは、絵の具で乱雑に描かれたサイケデリックな色の絵画だった。どこをどう見ても芸術性の欠片もなく、会場中が小さな笑いに包まれた。モノクマが木槌を振るう。誰も札をあげない。結局、買い手がつかなかった。ため息を吐いたモノクマは、係員に指示を出す。係員はそのまま絵を運んで行き、部屋の隅にあるダストシュートに放り投げた。奥から絵や額縁が砕かれる音が聞こえた。

 

 芭串は訳がわからなかった。モノクマは自分を処刑するためにここに連れてきたはずだ。それなのに、会は芭串を置き去りにして粛々と進む。芭串はただその一番後ろで、呆けて眺めているだけだ。ここから何がどうなるのか、さっぱりわからなかった。

 恐怖感は困惑に掻き乱される。その困惑すら時間が経つとすり減っていき、芭串は自分がそこにいる感覚すら薄らいでいた。そのとき、芭串の意識ははっきりとステージ場に釘付けになった。

 モノクマたちのてで運ばれてきたのは、4つの足が生えた大きな鉄の枠。その中にはふかふかの布団が敷かれ、鉄枠から伸びたアームに点滴が取り付けられていた。ベッドの上に横たわるのは、白い肌に透き通るような金髪、熱があるのか僅かに赤らんだ頬を見せる。

 

 「ア、アリス……?」

 

 見紛うはずがない。それは、芭串がこの世の誰よりも愛する、命を懸けても会いたいと思っていた、世界にただひとりの妹だった。

 なぜこんなところに妹がいるのか。あの点滴は一体なんなのか。今の体の具合はどうなのか。3年の時間が過ぎているのに以前と姿が全く変わらないのはなぜか。そんな瑣末な疑問は、二度と会えないと思っていた妹を前にして吹き飛んだ。芭串は、ただ目の前に妹がいることに涙を流すほど喜んだ。

 モノクマが木槌を振るう。入札が始まった。しかし誰も札をあげない。アリスは不安そうに周りを見る。芭串が近付こうとすると、警備員モノクマに止められた。時間はどんどん過ぎていく。モノクマたちは誰一人アリスに興味を示さない。

 

 「お、おい!待て!ふざけんな!話せテメエら!待ってろアリス!くそっ!邪魔すんなあ!!」

 

 再びモノクマが木槌を振るった。時間切れの合図だ。誰一人アリスに札をあげるモノクマはいなかった。係員がベッドの枠に触れようとしたそのとき、芭串は警備員モノクマを振り切った。邪魔なモノクマたちを蹴飛ばし、かき分け、飛び越えて、一直線にステージに駆けていく。

 係員モノクマはそんな騒ぎなどどこ吹く風の態度で、粛々とベッドをダストシュートに運んでいく。芭串は一心不乱にベッドにしがみつく。それでもモノクマは止まらない。たったひとりの力で止めることはできない。モノクマが木槌を振るう。

 

 皆様!ご覧ください!これぞまさに兄が妹を想う美しき愛です!今まさに自分の命が奪われようとしているときに、彼は我が身を顧みず愛する妹を救うため死地へと飛び込んでいるのです!ああ!か弱き妹の寝るベッドはどこまでも深き虚穴へ!兄はそれでも妹を救わんと堪えています!うぅっ……失礼、ですがこの健気な光景を前に、いったい誰が涙を禁じ得ましょうか!

 それではこの美しき兄妹愛、1万から!

 

 モノクマが木槌を振るう。どよめいていたモノクマたちはすっかり席に戻っていた。ダストシュートに落ちないよう必死に踏ん張る芭串を前に、モノクマたちは目を見張る。どよめきはざわめきに、ざわめきは興奮に、そして興奮は——哄笑に変わる。

 なんて無様だ!もう死にかけの娘のために命を擲とうとするなんて愚か者のすることだ!

 なんて見苦しい!自分こそ裁かれるべき殺人鬼のくせに一丁前に愛を語るつもりか!

 なんて往生際の悪さ!もはやどちらも助からないのに、この後に及んでまだ生き延びられると思っている!

 滑稽!醜悪!卑劣!モノクマたちは腹を抱え、大口を開け、涙を流して大笑いする。客も係員も警備員も司会者も、耳が割れそうな笑い声が響き続けた。

 モノクマが木槌を振るう。応札はない。モノクマが指示を飛ばし、係員モノクマが芭串に躙り寄る。そしてその背中を容赦なく蹴り飛ばした。

 

 「ッ!」

 

 何が起きたか理解する暇すらなく、芭串はダストシュートの下に落ちて行った。目隠しカバーが戻ったダストシュートの中を窺い知ることはできない。会は粛々と進む。価値のないものは全てゴミ箱に捨てて。

 


 

 「聞きたいことがあります」

 「なっ、なんだよ!まずはボクが高笑いしてからだろ!順番守れよ!」

 「そんな順番はありません。そんなことより、僕たちは本当に全ての謎を暴いたんですか?」

 「はァ?」

 

 凄惨な処刑の後、モノクマが笑い出す前に尾田君が口を開いた。これ以上付き合っていられない、といううんざりした顔だ。さすがの彼も、何度も繰り返されるコロシアイに疲れてきているみたいだ。

 そして、おかしなことを尋ねた。彼らしくもない、自信なさげな質問だ。

 

 「そりゃそうだよ!理刈サンが陽面サンを殺して、その理刈サンは自殺して、芭串クンが月浦クンを殺して漁夫の利を狙った!そういう事件なんだよ今回は!おかしいところなんて何もないよ!」

 「本当ですか?本当にそれでいいんですね?」

 「なんだよこのやろー!それじゃまるで、ボクがまだ何か隠してるみたいじゃないか!このコロシアイ生活にボクが直接介入したら収拾つかなくなるだろ!」

 「……そうですか。それでいいならいいです。僕も考えを改めるだけですので」

 

 尾田君はそれだけで会話を終えて、無言でエレベーターに向かって行った。これ以上精神的に私たちが消耗しないようにモノクマに何も喋らせないようにしたのか。尾田君がそんな気遣いをするとは思えないけれど。

 

 「あーあ、興が覚めちゃった。エレベーターを動かしておくから、オマエラさっさと帰って寝な。ボクは憂さ晴らしにダメクマをいじめるからさ。ここから先はオトナな時間だよ!」

 「えっ?えっ……アッーーー!」

 「見てらんねーアル」

 

 私たちは尾田君に続いてエレベーターに乗り込んだ。戻るまで口を開く人はいなかった。みんなうんざりしてるんだ。コロシアイ、裁判、処刑——そしてまた異常な日常に戻る。そんな繰り返しに。

 

 「負けるもんか……!」

 

 それが誰の口から出た言葉か、聞き取れなかった。だけど、やけにはっきり聞こえたのだけは覚えている。




レインコードをクリアしました。
ダンガンロンパシリーズが好きなら楽しくプレイできると思いますよ。

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