ダンガンロンパメサイア   作:じゃん@論破

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カタチのない世界の中で

 その学園への道は、鮮やかな色彩で埋め尽くされていた。白い敷石でいっぱいの広く真っ直ぐな道を、両側の木々から舞い散る赤と黄色の小さな葉が塗り潰していく。秋の深まりを感じさせるその道の先には、レンガ色の巨大な建物がそびえ立っていた。

 巨大な鳥が両翼を広げたような形の本校舎。全面がガラス張りになっている未来的な外観のビル。建物の間から覗く深い緑色。ドーム球場にも劣らない大きさの体育館。そして、それらを視界の奥まで続く高い塀が取り囲んでいる。ここが、人類の希望たちが集まる世界最高の学府──希望ヶ峰学園だ。

 その門の前に立つ。これまで感じていた興奮は、この場所で実感へと変わった。本当に自分がこの学園に招かれたのだと。重厚な鉄の門が開かれた。この一線を踏み出したら、この実感は一体なにに変わるのだろう。暖かい光の中に飛び込むような安らかな衝動に急かされて、僕はその一歩を踏み出そうとして──……。

 

 

 

 

 

 踏み出せなかった。

 


 

 「あの……すみません」

 

 声が聞こえた。いつの間にか、僕の後ろに女の子がいた。

 

 「えっと、その……写真、撮ってもらってもいいですか?」

 

 表情は見えない。ただ、彼女の声は笑っていた。嬉しそうで、照れくさそうで、どこか誇らしげに。

 振り向いて顔を見ようと思った。果てしなく感じるコンマ何秒。その先に待つ彼女の顔は……光の中に溶けて見えなかった。

 彼女の顔も、色鮮やかな背景も、壁も、空も、足下も、自分の意識までもが。形を失っていく。崩れるように。壊れるように。溶けて。溶けて。眩しい。光の中に。消えていった。

 


 

 目が覚めたとき、世界はまだ溶けていた。輪郭を失った世界が僕を包んでいる。そんな曖昧な世界は、眼鏡をかけ直したらすぐに元の姿を取り戻した。頭がぼんやりする。体のあちこちが痛い。少しの間、脳が本調子を取り戻すまで寝転んで待っていた。

 そう。僕は寝転んでいた。背中に感じる堅い床の感触で、自分の体勢を把握する。隣にある薄暗い空間はベッドの下の隙間だ。ベッドがあるということは、ここはどこかの部屋の中だろうか。少しずつ、思考がまともに働くようになってきた。状況を整理しよう。

 ここはどこだ?分からない。まずは起き上がって周囲の様子を確認しないことには始まらない。じゃあ、僕は誰だ?これは分かる。僕は──、僕の名前は、益玉 韻兎(マスタマ イント)だ。

 

 

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 どうやら僕は、このどこだか分からない場所で頭を打ったようだ。どこだか分からない場所で寝転んで落ち着けるほど僕は能天気じゃない。今すぐに起き上がりたい。でも、身体が言うことを聞かない。なんとか動き出そうと身体に力を入れようとした。そのとき──。

 

 「おい!誰かいンのか!?いるンなら返事ぐらいしな!」

 

 血気盛んな声が、ドアを突き破って部屋に飛び込んできた。本当に突き破られたのかと思ってぎょっとしたけど、どうやらドアを思いっきり叩き開けられたようだ。飛び込んで来たその声は、僕に近付いて来るのかと思いきや、明後日の方向に轟いている。

 

 「ああン?誰もいないじゃんか!」

 「そっちじゃないよ。ベッドの側に倒れてる」

 「あっ!本当だ!」

 

 重機が入ってきたかと思うくらいの大声の後から、それぞれ違う2人の声が聞こえて来た。最初の声に比べれば大人しく聞こえる。1人はひどく焦っているようだった。

 

 「大丈夫ですかー?私の声が聞こえますかー?」

 「う……は、はい……」

 「反応がある!よかった……!お名前は言えますかー?」

 「ま、益玉……韻兎……」

 

 覗き込んで来たのは、緑色のセーラー服を着た女の子だった。耳元で大きな声を出されると、脳の奥まで揺さぶられるような感覚がする。肩の後ろに手を回されて、抱き起こされる。そんなに体重が大きい方じゃないとは思うけれど、女の子がいとも簡単に抱き起こせる僕は、どれだけ筋肉が薄いんだ。

 

 「ここは……?」

 「意識あり……怪我はないみたい。きみ、えっと……益玉君?」

 「うん……あの、ここは……」

 「まだ目が覚めたばかりのようだね。きっと、彼もぼくたちと同じじゃないかな」

 「そっか……。あの、益玉君?お話できますかー?」

 「は、はい」

 

 ベッドに寄りかかって床に座る僕。その横から女の子が深い緑色の瞳で覗き込んでくる。こんなに顔を寄せられると、他人の気配をひりひりと肌に感じるようで居心地が悪くなる。僕のことを心配してくれている彼女に、そんなことは嘘でも言えない。

 その女の子の後ろには、開け放たれたドアがあった。廊下からそのドア越しに、車椅子に乗った男の子が僕のことを眺めていた。

 

 「益玉君は、ここがどこか分かる?」

 「えっと……いや、よく分からない、です。まだこの部屋のことも……」

 「じゃあ、益玉君が覚えてることを話してみて。どんなことでもいいよ」

 「覚えてること……あ〜、え、っと……僕は、歩いてて……希望ヶ峰学園に……」

 「やっぱり」

 「なんだい!本当に20人いたよ!よくもまあ集めたもんだ」

 「あ、あの……えっと……」

 「私?私は、甲斐 奉(カイ マツリ)。介護士のお手伝いをしてるんだ」

 

 

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 「さっき、希望ヶ峰学園って言ったよね?もしかして、益玉君も“超高校級”の生徒なのかな?」

 「う、うん……僕は……“超高校級の語り部”っていうことで……」

 「うわっ」

 「えっ?な、なに?」

 「本当に“語り部”さんだった。なにもかも湖藤君の言った通りだよ」

 「そりゃそうだよ。さっきいなかったのはその人だけだったからね。無事でよかった」

 「アンタ、なんでもうひとりいるって分かってたんだ?」

 「そりゃ超能力者だからさ」

 

 そう言うと、車椅子の少年はゆっくりと部屋に入ってきた。両側の車輪を自分で器用に操り、僕と甲斐さんの前に停まった。近くで見ると、襟から覗く華奢で白い身体がよく目立つ。表情は柔らかく微笑んでいるけれど、儚げな印象を与える見た目だ。

 僕と目を合わせると、彼は細い腕を差し伸べて握手を求めてきた。

 

 「初めまして、益玉君。ぼくは湖藤 厘(コトウ リン)。“超高校級の古物商”で、サイコメトラーだよ」

 

 

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 「サイコメトラー……」

 「そう、サイコメトラー。手で触れただけでその人や物の色んなことが分かっちゃうんだ。たとえば……」

 「な、なに?」

 

 思わず握り返した彼の手は薄く、少し冷たい。その手を彼は、透きとおるような目でじっと見つめていた。

 

 「益玉君、きみはなんだか……嬉しそうだね」

 「えっ……い、いや……まあ、うん……」

 「ふ〜ん。嬉しそうなだけじゃないね……どこか、焦りもあるけれど……怖い、のかな?」

 「うっ……!」

 「もう!いきなりそんな風に言われたら誰だってびっくりするでしょ。湖藤君はあっちにいて」

 「うあっ……ありゃりゃ。怒られちゃった」

 「ごめんね、益玉君。今のはただの冗談。湖藤君は人を観察するのが上手なだけで、サイコメトラーとかじゃないから」

 「ああ、うん……別に信じてもなかったから大丈夫」

 

 僕の顔を覗き込んで不思議そうな顔をする湖藤君は、甲斐さんに引き剥がされて部屋の外まで押し出されてしまった。それと入れ替わりに、最初に部屋に入ってきた声の主が僕に近付いてきた。

 ごわごわの黒い手袋、あちこちが破けたダメージジーンズ、そしてはち切れんばかりに張ったチューブトップを着た女の子だ。真っ赤な長い髪を後ろで結っているけど、簪の代わりにスパナを刺している。なんと言うか、目のやり場に困る。

 

 「ほら立てるか?いつまでもそんなとこでへたってっと根っこが生えちまうだろ」

 「わっ……あ、ありがとう……」

 「なんだい。思ったよりチビっこいね。(アタシ)より低いじゃんか」

 「そ、そんなに変わらないと思うけど……」

 「そうやって背中丸めてっから余計にちっこく見えんだろ!シャキッとしろシャキッと!それでもタマ付いてんのか!」

 「うげっ」

 

 そう言うと彼女は僕の背中を叩いた。思わず変な声が漏れてしまうほど強くて、しばらくじんじんとした痛みが残る。い、いきなり叩かれるなんて……むちゃくちゃだ……。

 

 「なにやってるの岩鈴さん!?益玉君は頭打ってるんだよ!?叩いちゃダメ!」

 「お、おう……そうだった。いや悪いね。ちょっと強過ぎたか」

 「そういう問題じゃないの!」

 「ぼ、僕なら大丈夫だよ甲斐さん……ありがとう」

 「まだ名前も言ってないんでしょ。ほら。ちゃんと自己紹介して」

 

 甲斐さんってお母さんみたいだな。

 

 「なんか改めてやれって言われるとやりにくいね。まあいいや。(アタシ)岩鈴 華(イワスズ ハナ)。“超高校級の職人”ってことで、よろしくな!」

 

 

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 「彼女は工具や機械の扱いなら一級品なんだよー。直すのも壊すのもお手の物さー。このドアだって、ドアノブが壊れてたのを蹴っ飛ばして開けたんだからー」

 

 部屋の外から湖藤君の声が聞こえてきた。そんなに大声を出さなくても聞こえるのに。でもなるほど。確かに、普通のドアなら彼女の手にかかればただの板きれも同然だろう。

 

 「蹴っ飛ばして開けたわけじゃねえよ!ちゃんとラッチボルト引っ込めて開くの確認してから蹴っ飛ばしたわ!」

 

 蹴っ飛ばしてるじゃないか。

 

 「ほら、益玉君がポカンってなってるでしょ。大丈夫?いきなりこんなところにいて、混乱してるよね」

 「いや僕は……えっと……」

 「ひとまず落ち着かせて、きちんと説明してあげた方がいいと思うなー。保健室に行ったらどうかなー?」

 

 部屋の外から湖藤君が提案する。甲斐さんと岩鈴さんはそれぞれ少考してから頷いた。

 

 「そうだな、こいつはあっちに任せるか」

 「それじゃあ岩鈴さん、益玉君のこと保健室に連れて行ってくれる?」

 「(アタシ)が?アンタは」

 「私は湖藤君についててあげなきゃだから」

 

 そう言うと、甲斐さんは湖藤君の後ろについて、車椅子のハンドルを握った。水を得た魚、風を受けた帆、車椅子を握った介護士というわけだ。自分の役割を確保している彼女は、どこか生き生きして見えた。一方、残された岩鈴さんは、面倒事を押しつけられた、という感情を隠しもせずため息を吐いた。

 

 「ったく、面倒事押しつけやがって。ちゃっかりしてやがんなあ。なあ?」

 

 口にも出しちゃった。面倒事そのものに同意を求められても、返答に困る。

 

 「しょうがないね。途中でまたぶっ倒れられて(アタシ)が叩いたせいにされちゃたまんないし、こうなったらアンタのことしっかり保健室まで送り届けてやっから!アンタもしゃっきりしな……な!」

 「は、はいっ」

 

 いま、また叩こうとしたよな。寸でのところで肩に手を置くのに切り替えられただけ成長だ。反省してないというより、こういう性分なんだろうから仕方ない。僕もなるべく元気に返事をして、彼女の努力に応えることにした。

 


 

 部屋を出るとそこは廊下になっていた。長い廊下の両側に、僕がいた部屋と同じドアがずらりと並んでいる。廊下の片方は先が曲がり角になっていて先が見えないけど、なんだか薄暗い。もう片方は明るくて広いスペースに繋がっていて、岩鈴さんはそっちの方に僕を引っ張って行く。一歩一歩が力強い上に歩幅が僕より広いから、半分引きずられるような格好になっている。

 

 「アンタ、この場所に見覚えあるか?」

 「…………いや」

 「ん〜、そうか。まあダメ元できいただけだ。(アタシ)らもみんな分かんないんだ」

 「…………そっか」

 「いちいち返事に時間がかかる野郎だね!暗いのはこの際おいといて、返事ぐらいすぐにしな!」

 「あうっ……ご、ごめん」

 「ったく。調子狂うな。ああそうだ。(アタシ)はいちいち道案内なんかしないからね。どこに何があってどうなってるかは自分で見て覚えな」

 「は、はい……」

 「ホントに分かったのかね……」

 

 保健室までの道のりは、岩鈴さんが気に懸けるほど複雑じゃなかった。僕の部屋を出てから明るいスペースの方に真っ直ぐ進んで、突き当たりの廊下を曲がってしばらく進んだところだ。入口にちゃんと“保健室”の札が下がってるから分かりやすい。岩鈴さんのことだから、そこの扉も蹴破るんじゃないかと不安だったけど、ちゃんと横に引いて開けた。さすがにそこまで荒くれ者じゃなかった。

 部屋の中はシンプルで清潔にまとめられた空間だった。入って右手には目隠しのカーテンが付いたベッドがある。左手には簡易戸棚があって、ガラス張りの引き戸から救急箱やタオル類が見える。正面には事務机があって、患者を座らせる丸椅子も、レントゲン写真を貼り付けて透かすシャウカステンも、ホワイトボードまで設置されている。医療行為を行う場所としては極めて簡素だけど、日常起こりうる傷病ならここだけで完結してしまえるほど、設備が整っていた。

 そしてその部屋には、2人の女の子がいた。

 

 「おうい!20人目がいたよー!頭やっちまってるみたいだから看てやってくれ!」

 「きゃっ……もう、岩鈴さん。そんな乱暴にドアを開けたらびっくりするでしょ。やめてちょうだい」

 「ああ、わりーわりー。ンなことよりホラ、アンタはそこ座りな」

 「わっ」

 「おっと。大丈夫ですか?」

 

 岩鈴さんが開けたドアの音に驚いたのは、真っ赤な服に身を包んだ髪の長い女の子だ。群青の瞳を広げると、透きとおるほど白い肌との対比がいっそう際立つ。

 そしてガサツに放られた僕がよろけたのを、もう1人の女の子が支えてくれた。凛とした声色、きりっと引き締まった顔つき、ちょっとのことでは決して崩さない美しい姿勢。青緑色のスーツの胸元に、スミレのバッヂがきらりと光る。

 

 「こんなこと言うのもなんだけど、あなたはもうちょっと女の子らしくした方がいいわよ」

 「いいんだよ(アタシ)は!女だからってナヨっとしてられねえだろ!これでも町工場の野郎共の人生背負ってんだ!」

 「岩鈴様。お連れ様をお送りくださり、ありがとうございました。この後はどうなさいますか?」

 「またどっか調べに行ってくっかな。んじゃ、そいつのことは任せたよ。あ、名前は……マッシャーだっけ?」

 「益玉……」

 「らしいから!よろしく!」

 

 それだけ言うと、岩鈴さんは保健室を出て行ってしまった。ガサツで粗暴だけど、なんだかんだでしっかり保健室までは送ってくれた。責任感はある人だ。

 残された僕は、僕を支えてくれた女の子に差し出されたお茶を飲みながら、色白の女の子にまじまじと眺め回されていた。

 

 「あの……」

 「益玉さんっていうのね。下のお名前はなんていうの?」

 「い、韻兎、です……」

 「益玉韻兎様ですね。承知いたしました。先ほど岩鈴さんが20人目と仰っていましたが、益玉様も“超高校級”でいらっしゃいますか」

 「一応、“語り部”ってことなんだけど……」

 「素晴らしい。ああ、申し遅れました。私、“超高校級のコンシェルジュ”の肩書きを頂戴しております、谷倉 美加登(タニクラ ミカド)と申します」

 

 

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 「“コンシェルジュ”とは、いわゆるホテルの接客対応係のこと。ご要望があれば、この谷倉になんなりとお申し付けください」

 「は、はあ……」

 「じゃあ私も自己紹介してもいいかしら」

 「お待たせいたしました。どうぞ」

 「私は三沢 露子(ミサワ ツユコ)。この格好を見れば分かると思うけれど、“超高校級のサンタクロース”よ」

 

 

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 いや、分かんないと思う。というツッコミは心の中だけでしておいて、とにかく僕は2人からいっぺんに自己紹介を受けた。お互いの紹介はそこそこに、三沢さんは立ち上がって僕の頭を触り始めた。軽く様子を見る程度ではなく、髪をかき上げてがっつりと。

 

 「頭をやっちゃってるって岩鈴さんは言ってたけど……」

 「あ、べ、別にそういうんじゃなくて……ただ、ちょっと強く打ったくらいだから……」

 「大丈夫よ。ちょっと見せてね……あら、髪がさらさらね。羨ましいわ」

 「そ、そこまでしなくても……」

 「いいのよ。今日はなんだか、人に施してあげたい気分だから」

 「ああ、そう……っ!いたた……」

 「少しこぶになっているようですね。濡れタオルをお持ちします」

 「ありがとう、谷倉さん」

 

 三沢さんの手が当たると少し痛むところがある。大したことはないと思っていたけれど、どうやらこぶができてしまっていたらしい。谷倉さんが戸棚からタオルを取り出して、蛇口で濡れタオルを作ってから僕の頭に乗せてくれた。水の冷たさで頭の熱が奪われて、脳が落ち着いてきたのを実感する。

 

 「一旦はこれでいいわね」

 「あ、ありがとう……」

 「ふふ、いいのよ」

 「ところで、益玉様。つかぬ事を窺っても宜しいでしょうか」

 「……なにかな」

 「岩鈴様もお訊きになっているかも知れませんが、この建物に見覚えはございますでしょうか。また、ここに来るまでのことを覚えていらっしゃいますでしょうか」

 

 やっぱりそのことか。岩鈴さんにも全く同じことを質問された。どうやら、みんなこの建物が一体なんなのか、そしてどうやってここまで来たのかを覚えていないらしい。そのことを伝えると、谷倉さんだけでなく三沢さんも、少しがっかりしたような表情をした。

 

 「……申し訳ありません」

 「…………え、な、なんで谷倉さんが謝るの……?」

 「益玉様も私たちと同じ立場のご様子。いきなり見知らぬ場所にいてご不安でしょうに、私めが勝手に期待してお気遣いさせてしまいました。重ねてお詫び申し上げます」

 「そ、そんな……!全然、気にしてないっていうか……うん、大丈夫」

 「うふふ。まあ、状況が分からないのは気懸かりだけど、それよりもあの車椅子の子……湖藤さんだったかしら?彼が言っていたように、20人全員が集まったことの方が大事だわ」

 「はい。ですが、まだ岩鈴さんと我々しか益玉さんのことは存じ上げないのでは?」

 「甲斐さんと湖藤君にも……会ったけど……」

 「それでも5人ね。せっかくだから、みんなに挨拶してきたらどうかしら?私たちは私たちで、ここを調べてるのよ」

 「は、はあ……」

 

 20人と言っているから、僕を除いてあと14人の高校生が、この建物の中にいるってことだ。みんな建物のことを調べるために、あちこちに散らばっているらしい。微笑みを浮かべる三沢さんの提案を断り切れず、断る理由もなく、僕はその案を丸呑みにした。頭のこぶはすっかり引いて、もう濡れタオルも必要なくなった。

 

 「みんなグループで行動してるはずだから、色んなところに行ってみるのよ。地下も調べてるからね」

 

 三沢さんから最後にアドバイスを受けて、僕は保健室を後にした。

 


 

 保健室から寄宿舎に戻るまでの道のりに、フォークとナイフの図案と矢印が描かれた立て看板があった。指し示された方に目を向けると、同じ図案が描かれた両開きのドアがあった。重厚な木の扉に金色の取っ手が付いていて、上等な印象を受ける。でも近付いてよく見ると、木の質感はそういう壁紙、取っ手はアルミにメッキがされているだけの安っぽいものだった。鍵はかかっていないようだったので押してみると、案の定、扉は薄っぺらくて軽かった。

 中に入ると、そこには3人の人間がいた。僕が入ってきた音に反応して、6つの瞳が一斉に僕へ向けられる。こういう瞬間はいつまでも苦手だ。ただ入ってきただけなのに、そんなに見なくてもいいじゃないか。

 

 「あれー?誰だろ?知らない人だ!」

 「……」

 

 真っ先に僕に駆け寄ってきたのは、赤い髪をした小さい女の子だった。腰掛けた姿勢から跳びはねるように立ち上がったかと思うと、椅子とテーブルの隙間をするすると縫って、あっという間に僕の目の前に来た。はねた髪や大きな丸い目が、無邪気で活発な印象を与える。着ぐるみのような服には長い尻尾がついていて、履いている靴は猫がデザインされている。

 その後ろから、その子と全く同じ動線を影のように付いてくる男の子がいた。暗い紺色のスーツに中のシャツまで黒い。目元まで髪が伸びている上に俯き加減なせいで、顔がよく見えない。心なしか僕のことを睨めつけているような気がする。

 

 「ねーねー!キミのお名前なんていうの?」

 「ま」

 「あ!ちょっと待って!人に名前をきくときはまず自分からっていつも言われてるんだった!危ない危ない!ねえちぐ、今のセーフかな?」

 

 名乗ろうとした僕の言葉を遮って、その子は後ろにいた子に尋ねた。

 

 「セーフだよ」

 「お〜!よかった〜!」

 

 いや、アウトじゃないかな。相手をほったらかしにしてるところとか。あと口元にお菓子の食べかす付けたままにしてるところとか。

 

 「じゃあまずははぐたちから自己紹介!まずははぐから!」

 

 もう何回も自分の名前を言ってるし、もうひとりの男の子の名前もさっき自分で言ってたような。それでもその子は、ポジションを確認するように男の子と横並びになると、元気よく手を挙げた。

 

 「はーい!いつも元気満点キャット!笑顔がキュートな“マスコット”!陽面(ヒオモテ) はぐと!」

 「……月浦(ツキウラ) ちぐ」

 「ふたり合わせて、ちぐはぐでーす!」

 

 

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 とんでもなく情報量の差が著しい自己紹介をされた。陽面さんの方はノリノリだし笑ってるけど、月浦君の方は無理矢理やらされている感がすごい。一応ポーズだけはそれっぽくしてるけれど、全然目を合わせようとしない。僕も相手の目を見るのが苦手だけど、これはどちらかというと……敵意から来る無視って感じだ。僕、まだ何もしてないんだけど。

 

 「じゃあもうきいていいよね!キミのお名前は?」

 「えっと……ま、益玉……韻兎……」

 「いんとさんかー。よろしくお願いしまーす!」

 「あっ」

 

 名前だけ聞いて満足したのか、陽面さんは元気よく頭を下げるや否や、来た時と同じようにまたするすると元の席に戻って行った。おやつの途中だったのか、もう僕には興味がないみたいだ。そして、残された僕は相変わらず月浦君に睨まれ続けたまま、気まずい空気の中にいた。

 

 「……えっと」

 「勘違いするなよ。はぐは誰に対してもああなんだ」

 「い、いや……別に勘違いとかは……」

 「アンタは“語り部”だろ?たかだかネットの端っこで有名だからって、はぐと対等に話せると思うなよ」

 

 何も言ってないのに、月浦君は敵意と悪意のこもった言葉を吐いて陽面さんのもとに戻って行った。同じ高校生なのに対等に話しちゃいけないのか。ひどい言われようだ。そして結局、月浦君は名前以外のことを何も話してくれなかった。

 

 「へへへっ、まあ気にすんなよあんちゃん。おいらにゃもっとひでえ言い草だったぜ?」

 

 ずいぶん低いところから声が聞こえてくると思ったら、彼は僕の腰より少し高いくらいの背丈しかなかった。丸刈りの頭に頭巾を被り、紺色の法被とゴム製の長靴を履いた格好をしている。そして何より特徴的なのが、全身の毛穴から噴き出しているのかと思うくらい強烈なアルコール臭だ。

 

 「おいらぁ王村 伊蔵(キミムラ イゾウ)ってんだ。“超高校級の蔵人”ってねぇ。ま、仲良くやろうや」

 

 

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 「いやまさか23にもなって希望ヶ峰学園に入れるとはなぁ。人生なにがあるか分からねぇもんだ」

 「酔っ払ってますよね……?こんな時間から……」

 「おいらぁいつもこんな感じだよう。へへへ、本当ならさっき集まってた美人のおねーちゃんにでもお酌してもらいてぇところだけどな。オッサンはひとり酒だよ。アテもあるしな」

 

 そう言って王村さんは、手に持っていた焼き鳥をくわえた。よく見ると、ひとり酒を楽しんでいるテーブルには、焼き鳥以外にもいくつかお皿が並んでいる。

 

 「どこから持って来たんですか」

 「あっちに食料庫があってなぁ。つまみでもなんでも食べ放題だぜ。あんだけありゃ20人いたってしばらく飯には困らねぇな」

 「しばらく……」

 「へへへっ」

 

 くちゃくちゃと無遠慮な音をたてながら、王村さんはへらへら笑ってテーブルに戻っていった。お酒が足りなくなったのか、もう僕に用はないってことか。ここにはもう他に人はいないみたいだったけど、一応、王村さんが言っていた食料庫を見ることにした。

 大きな木箱に野菜がごろごろ入っていて、鮮やかな色の小さな山ができていた。どれも瑞々しくて、手に取ると思わず丸かじりしたくなる。業務用の巨大な冷蔵庫の中には大きな肉の塊や頭付きの魚が鎮座していて、このまま焼いて食べるだけでどれほど美味しいんだろうと想像が掻き立てられる。調味棚には馴染みのあるものから見たことのないものまでが整列していて、飲み物はお茶からお酒までなんでも揃っている。料理なんてしたことのない自分でも、この品揃えが異常だということは分かった。まるでこの空間全体が、20人が何日滞在しても対応できると主張しているかのような、そんな威圧感を覚えた。

 


 

 寄宿舎から保健室に向かう動線をさらに延ばした先には、体育館と書かれたプレートが掲げられていた。おそるおそる扉を押して開けると、廊下と体育館の間に玄関があった。靴を履き替えるために下駄箱が用意されていて、その上にはショーケースに入れられたトロフィーや盾が、蛍光灯の明かりを反射して輝いていた。

 ここに来てようやく、自分が土足だということに気付いた。特に考えもせず校舎内を歩き回っていたが、替えの靴も持っていないので仕方ない。体育館内には靴下だけで入ろうかと思ったけど、よく見ると小さい立て看板で「土足OK!」と書いてあった。ワックスがけされたピカピカの床に土足で踏み入るのは、妙な背徳感があった。その背徳感を踏みにじりながら、僕は引き戸を開ける。

 

 「おかえんなさ〜……あれ!?知らない人だ!」

 「Caray(おやっ)!本当にいたんだね。20人目の高校生なんて」

 「……」

 

 体育館の中に入った僕に、3人の視線が一斉に注がれる。後から入ってきただけで注目を集めるのは理不尽だし居心地が悪いからやめてほしい。それに体育館にいたのは、僕なんかよりよっぽど人目を引きそうな人たちばかりだった。

 最も目立つのは、全身を白いスーツに包み、きれいな金髪をガッチリ固めてリーゼントにした背の高い男性だ。顔立ちといい体格といい青い瞳といい、一目で外国人だと分かる。

 その次に目を引くのは、3人の中では唯一の女の子だ。青い髪色を除けば服装や言動におかしなところはないが、目元を妙なサングラスで隠しているのが何よりも印象深い。しかもそのサングラス、僕を見たときは「!」が表示されていて、今は「?」になっている。どこで買ったのか、表面が電光画面になっているものだ。

 最後のひとりは、キャップにポロシャツにチノパンと出で立ちはごく普通だ。しかしその顔を見れば誰もが驚く。よっぽどの世間知らずでない限り、この顔を知らない人はいないだろう。

 

 「あの……あんまり見つめられると困るんだけど……なにかな?」

 「あっ……ご、ごめん」

 「いやいや見るなって方が無理でしょ!こんな有名人を前にしてさ!ね!ね!すごいよね!やっぱ希望ヶ峰学園来てよかった〜!“爽やか王子”に会えるなんてね!」

 

 困ったような、照れたような、あるいは目だけで責めるような顔をされて、僕は思わず目を逸らした。そんな僕と彼の間に、サングラスの女の子はテンション高めに割り込んでくる。その子が口走った“爽やか王子”という呼び名に、彼の眉はいっそう()の字に曲がった。

 

 「その呼び方はなんとうか……照れるから止めてほしいんだけどな。さっきも言ったけど」

 「もちろん覚えていますとも!海馬に叩き込んであるからね!今をときめく稀代の天才ゴルファー、誰が呼んだか“超高校級”!虎ノ森 遼(トラノモリ リョウ)とはこの人のことよ!」

 

 

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 「ゴルフとか私よく知らないけど、とにかくもう顔が良いよね!ふつくしい……って感じだよね!」

 「紹介ありがとう。僕の名前や肩書きなんてもう散々聞いてると思うし、彼は顔を見ただけで分かったみたいだけど。辟易させてしまったね」

 

 確かに、彼の名前は初めて見た瞬間に分かったし、肩書きもなんとなく想像はついた。むしろ自己紹介が必要なのは、虎ノ森君以外のふたりだろう。

 

 「あっ、じゃあ流れで私も自己紹介するね。と言っても、私の肩書きなんて皆と比べたら大したもんじゃないんだけど……一応、“超高校級の脱出者”ってことでスカウトされました。宿楽 風海(スクラ フウ)です」

 

 

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 「あ!先に言っとくけど、“脱出者”って別に脱獄犯とか脱出マジックとか、そういうヤバげなヤツじゃないから!体験型謎解きゲームって知ってる?部屋とか島とかから脱出するっていうコンセプトで、イベント会場で謎を解いて遊ぶやつ!私あれが大好きでよく行ってるんだよね〜」

 

 よく喋る人だ。今はサングラスの表示が「^ワ^」になってる。宿楽さんの感情に合わせて好きなように表示できるみたいだ。どういう技術なんだろう。あと言いたいことは分かるけど、脱獄犯と脱出マジックする人を同列に語らない方がいいと思う。全然違うから。

 

 「ゲーム遊んでただけで“超高校級”ってのもな〜。さっきまでテンション上がってたんだけど、みんなの肩書き聞いてたらなんか……うそ、私の肩書きしょぼすぎ?みたいなさ。自信なくなってきちゃった」

 「そんなことないと思うけど……どんな肩書きでも、希望ヶ峰学園が認めたんだから」

 「本当?数合わせじゃない?」

 「そんなこと……ないと思うけど」

 「そっちが自信なくしてどうすんの!?」

 「数合わせもなにも、希望ヶ峰学園の新入生に定員なんてないよ。学園が認めた分だけ門戸は開かれる。ここにいるってことはそういうことだと思うよ」

 「おお……虎ノ森君……そういうことも言うんだ」

 「さすがに失礼だよ、君」

 

 自分でも失礼だなと思ったけど、つい口をついて出てしまっていた。虎ノ森君がこんなにしっかりと人のフォローをすることなんてあるんだな、と素直に感心した。それを言われた宿楽さんは、嬉しそうに頬を緩ませて見るからにご機嫌になった。というかサングラスに「(´∀`*)ゞ」と表示されている。

 と、ここでずっと放ったらかしにしていた彼のことを思い出した。未だに僕たちから少し離れたところで、長い足をこれでもかと伸ばしてポーズを決めている、白スーツの彼。声をかけてもらうのを待っているように見えるが、生憎僕は人に声をかけるのが苦手だ。どうにか自然な感じで会話を始められないか。

 

 「あ、カルロスさんごめんね!ほったらかしにしちゃってた!」

 「No hay problema(問題ない)さ。オレは待つことには慣れているからね。スターはいつも最高のタイミングを待ってから現れるものなのさ!」

 

 長いこと放置されてたというのに、彼は極めて朗らかに応えた。まるで大観衆の真ん中に敷かれた赤絨毯を歩くように、一歩一歩を大仰な仕草で踏みしめながら近付いてくる。そして僕の前でくるりと一回転すると、白く輝く歯を覗かせてウインクした。

 

 「オレこそが!España(スペイン)の英雄!トレオ界のスーパースター!“超高校級のマタドール”、Carlos Martín Fernando(カルロス マルティン フェルナンド)さ!Mucho gusto(よろしくね)

 

 

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 「あ、はあ……よろしく……」

 

 体育館中に響き渡る良い声で、彼は高らかに自己紹介した。差し出された手に応じると、これでもかというくらい強い握手をされた。彼にそんなつもりはないだろうけど、手が潰れるんじゃないかと思うくらいだ。発達した大胸筋や腕の筋肉を見れば、彼にとっては軽い握手でもそこに込められた力は凄まじいものだと想像できる。

 

 「アナタ、20人目の高校生だね!きっと色々訳が分からずに不安なことだろう。だけど心配ない!なんてったってこのオレがここにいるからさ!何があってもオレがいつでも助けてあげよう。このCarlos Martín Fernando(カルロス マルティン フェルナンド)がね!」

 「もう名前は分かったよ……カルロス君だよね」

 「そう。そしてそれは、二度と忘れることのない名前だ」

 「虎ノ森さんもかっこいいけど、こういう俺様チックのグイグイなガテン系もひとりは欲しいところだよね。リーゼントとあごひげがこんな似合う人いる?あとなんと言ってもこの眼!日本人離れしたブルーアイズ!たまりませんな〜」

 

 虎ノ森君を紹介したときと同じように、宿楽さんが割って入ってきた。確かに、彼の澄んだ青い瞳はきれいだ。それに女子にとっては、こういうがっしりした体格の男性的な人の方が魅力的に映るんだろうか。本人の社交的な性格もあって、カルロス君はきっと女の子にモテるんだろう。

 

 「あはは……ついさっき体育館を調べるって流れになったところだったけど……また自己紹介タイムになっちゃったね。はじめからやり直し、かな?」

 「ぼ、僕のせい……?」

 「おっと。Japón(日本)のおぼっちゃんがご機嫌斜めなようだ。どうやらオレというスーパースターを見て、自分が取るに足らない存在だと気付いてしまったんだね。かわいそうに」

 「まあ、スペイン()()スターだったかも知れないけど、ここじゃ同じ高校生なんだからさ。そんなにアピールしなくても、きちんと分かってるから大丈夫だよ」

 「強さも気高さも美しさも、アピールしてこそなのさ。オレに言わせれば、みじめな自分を隠してペルソナを被っている方が見ていて気に障るのだが」

 「ははは。やっぱり見世物になる人は言うことが違うなあ。残念だけどここでは闘牛が出来ないから、口先しか武器がないんだね。かわいそうに」

 「あ、あの2人とも……もういいんじゃないかな……」

 

 ものすごくシームレスに、虎ノ森君とカルロス君の罵倒合戦が始まっていた。どちらも落ち着いた様子で互いに目を合わせていないけど、明らかにお互いを敵視している。なんでこの2人はこんなに仲が悪いんだ。こんな空間で間で板挟みにされた宿楽さんが気の毒だ……と思いきや、彼女のサングラスには「///」の表示が。なんだろうこれ。

 

 「……イイよね」

 「な、なにが……?」

 「ちょっとしたことからすぐ口ゲンカしちゃうんだけど、それってどっちも不器用なだけで、本当はお互いのことをよく理解してるしよく見てるっていうの。本音をぶつけあえるくらい信頼しあってる証っていうか、その2人だけでしか成立しない関係性っていうか……へへへ」

 「……」

 

 これ以上はやめておこう。

 


 

 1階にいる人にはもう全員会ったみたいだ。そう言えば、三沢さんが地下にも人がいるはずと言っていたのを思い出した。地下に行くのは、個室が並んだ廊下の突き当たりにあった薄暗い階段を下るのが唯一の方法だった。薄暗くても幅が広いから踏み外す心配はなさそうだ。僕は一段一段を確かめるように、ゆっくりと下っていく。

 階段を降りた先は、床も壁も小綺麗に装飾が施されていた1階とは全然違っていた。六方全てがコンクリート打ちっ放しで、同じくコンクリートの仕切りで囲った場所をアルミ製の簡素な引き戸を付けて出入りできるようにした、味気ないところだった。剥き出しの蛍光灯が煌々と光を放って、階段より少しマシな程度に明るくなっている。どこからか機械の唸るようなごうごうという音が響いてきて落ち着かない。

 階段を降りてすぐ左手の部屋は、「ゴミ集積所」のようだ。扉を開けると、思ったよりも中はゆとりのある空間が広がっていた。大きな金網を使って仕切られたたくさんのスペースがある。どうやら分別したゴミの仮置き場みたいだ。そして部屋の奥には大きな口を開けた古めかしい焼却炉があった。火は点いていないが、事故防止のためか、手前にシャッターが付いている。そしてそのシャッターの前で、2人の男女が何やら睨み合っていた。

 

 「あ?誰だ?」

 

 男の子の方が僕に気付いた。全身を蛍光色の作業着に包み、薄暗い空間では眩しいくらいに映える金髪をしている。遠くからでも分かる日本人離れした顔立ちであることと、細くて長い脚の先で全身をしっかりと支えているローラーシューズが特徴的だ。

 一方、彼と対峙する女の子は、頭から足下まで紫色に染めていた。海外の大学なんかで見る角帽に、ゆったりと全身を覆うローブ。スクエアフレームの眼鏡と吊り上がりがちな目元が、決して柔らかくない性格を如実に表しているようだった。

 

 「あっ……ぼ、僕、益玉っていって……湖藤君が、あのっ……20人目って言ってた

 「あん?よく聞こえねえよ。お前は誰だって言ってんの!日本語分かんねえか?Who are you(テメエは誰だ)!?」

 「ちょっと、そんなケンカ腰で詰め寄ったら誰だって萎縮するでしょ。私が話を聞くから、あなたは向こう行ってて」

 「ったくよ……!なんだかなあもう!」

 

 作業着の彼は、器用にローラーシューズで僕に肉迫すると、流暢な英語で誰何した。コンクリートに囲まれたここでは声がよく響く。そしてすぐ後ろから角帽の彼女に引き戻され、すぐにまた僕から離れていった。なんだか虫の居所が悪いようだ。

 

 「ごめんなさいね。彼、ちょっと気が短いのよ」

 「いや……」

 「それで、あなたは一体だれなの?」

 「あっ……えっと……」

 

 止めに入ってくれた彼女にも名前を聞かれ、結局僕はもう一度名乗ることになった。僕のたどたどしくて声の小さい自己紹介でも、彼女はきちんと頷いて聞いてくれた。

 

 「なるほど、湖藤君の予想が当たったわけね。一体どういうことかしら……とんでもなくおかしな状況だわ」

 「はあ……」

 「ともかく、名前も分からないんじゃ不便よね。私も自己紹介するわ。私は“超高校級の法律家”理刈 法子(リカル ホウコ)よ。よろしく」

 

 

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 これでもかと胸を張って理刈さんは名乗った。自分の肩書きにずいぶんとプライドを持っているようで、なんとなく、法律家という聞き慣れない言葉の意味を尋ねられる雰囲気ではなかった。ひとまず僕は軽く会釈をして、その鋭い眼光から逃げるように、さっき奥の方に引っ込んでいった彼の方に目を向けた。彼の方にも、改めて自己紹介しておいた方が良いかも知れない。

 

 「法律家というのは法曹と同じ意味、法律を専門にする職業を総称して指す言葉ね。私の家は代々法曹をしているの。だから私も将来は法曹になるつもりよ」

 

 聞いてもいないのに、理刈さんは誇らしげにそんな話を始めた。僕の視線などお構いなしで。耳さえ自分を向いていればいいのだろう。

 

 「せっかくこうして縁があったんだから、益玉さんもいつでも私を頼ってちょうだい。どんなトラブルでも力になるわ。公明正大な司法の実現のためにね」

 「は、はあ……ありがとう」

 「ちなみに、今みんなで手分けしてこの建物を調べているところなの。もう他の人には会った?」

 「うん……ま、まあ……それなりに……」

 「そう。それじゃあ、彼にもきちんと自己紹介してもらわないとね」

 「うるせえな。聞こえてんだよ全部」

 

 閉鎖された空間だから、ちょっとした音でも反響してよく聞こえる。離れた場所にいる彼にも、僕と理刈さんの会話ははっきり聞こえたことだろう。僕の小さな声を聞き取れたかどうかは分からないけど。

 

 「おいお前。益玉とか言ったな」

 

 聞き取れていたようだ。

 

 「お前が“超高校級”だってんなら、もっと堂々としろ。オレだってお前と同じ“超高校級”で希望ヶ峰学園の新入生なんだ。分かるか?同期なんだよ。お前みたいなのがいると、今年の新入生がナメられんだろ!」

 「ご、ごめん……なさい……」

 「その態度をやめろって言ってんだよ!分かんねえヤツだな!」

 「いきなり変われるわけないでしょ。そもそもあなたのために益玉さんが変わる必要なんてないのよ」

 

 なんだろう。すごく板挟みにされてる。早くこの状況から逃げ出したくなってきた。

 

 「いいや。変わってもらうぜ。この芭串(バグシ) ロイ様のために!アンタの古くせえ考え方も!お前のなよなよした態度も!オレがまるっと塗りかえてやっかんな!」

 

 

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 なんだか自然な流れ(かどうかは微妙だけど……)で、芭串君もちゃんと名乗った。なよなよした態度というのは僕のことで、古くさい考え方というのは理刈さんのことだろう。どうやら僕が来るまでの間にも、2人は何かしら揉めていたようだ。このまま僕が逃げ出したら、また2人はいがみ合ってしまうんじゃないだろうか。そう思うとなんとなく居心地が悪いこの場所にいなくちゃいけない気がしてくる。

 

 「……」

 「この人の言うことを真に受ける必要はないわ。それより、今はみんなで手分けしてこの建物を探索しているって言ったわよね。ここは私と芭串さんで間に合ってるから、他の場所を調べてみてちょうだい」

 「あっ……う、うん」

 

 不意に理刈さんから助け船が出た。この部屋から出て行く名目ができて、僕は一も二もなくそれに従った。出て行くときになんとなく2人に軽く会釈をして、なるべく音を立てないようにドアを閉める。密閉された空間から少し開放的な空間に出たせいか、胸の中につっかえていた淀んだため息がふうと出た。あの2人はいるだけで場をピリピリさせる雰囲気がある。芭串君は苛立っているだけかも知れないけれど、理刈さんのまとう雰囲気が特に曲者だ。

 


 

 階段を降りた正面には、磨り硝子の引き戸があった。開けて見ると、衣類カゴがたくさん用意されている棚と3つほど並んだ洗面台、体重計に扇風機、人体のツボポスターなどなど……一昔前の大衆浴場を思わせるものばかりだった。入口のプレートには、「浴室」とだけ書かれていた。この設備を見るに、数人で入浴できるくらいの広さなんだろう。今は誰の服もカゴに入っていないけれど、この更衣室の奥にある浴室入り口からは、何らかの気配がする。

 

 「むっ!?何や──どゃああああああああっ!!?」

 「うわっ!?えっ、ええ……?」

 

 磨り硝子に近付くのが早いか、浴室から悲鳴らしき声が聞こえてきた。そして同時に手桶やたらいが床に落ちた音も響いてくる。一体何があったのか、誰がいるのか、中はいったいどうなっているのか、恐ろしくてなかなか開けられない。だけど、ここであった何かを見過ごしておくことはできないと思い、意を決してガラス戸を引いた。

 中は案の定、それなりの広さの浴槽とシャワー台がいくつかあった。先ほどの音から想像できるとおり、備品が床に散らばっていた。その中心部では、何やら灰色の塊がもぞもぞと動いていた。よく見るとそれは緑色のエプロンを来た女の子だ。服を着ているから、シャワーを浴びていたわけではなさそうだけど、一体何をしているんだろう。

 

 「あ、あの〜……」

 「……ん。なんだ、いま大事なところ……誰だお前は?」

 「え、え〜っと……あ、益玉っていうんですけど……」

 「益玉?さっき集合したときにはいなかったな……そう言えばもう1人いるかも知れないという話があったな。それがお前か。なるほど」

 

 首を回して僕の方を見るけれど、身体はずっと浴室の隅で何かを押さえつけている。しきりに激しく動いているそれは、それほど大きくない女の子の陰に隠れて見えないほど小さいようだ。

 

 「……なに、やってるんですか……?」

 「ようやく捕まえたんだ。見てくれ、もふもふだぞ」

 

 そう言うと、その子はそれを胸に抱えたまま立ち上がった。抵抗する体力も尽きたのか、それはぐったりと手と足と尻尾を下に垂らして抱えられていた。薄暗い地下によく映える金色の体毛と、前に突き出た鼻、ぐったりしながらも周囲の音を聞き漏らさないように立てられた大きな耳。それは、どこからどう見ても、キツネだった。

 

 「キ、キツネ……?なんでこんなところに……?」

 「体育館からこんなところまで逃げてきて、ずいぶんと手を焼いた。だが、とうとう気が緩んだ瞬間ができたんだ。どうやらお前のお陰で捕まえられたようだな。礼を言う」

 「いや……それより、このキツネどうするつもりですか……?」

 「さてどうしてくれようか。キツネは初めてだから分からないこともあるが……まあ、イヌ科だからイエイヌと同じようにやってみるところから始めようか」

 「そ、そうなんだ……」

 「……」

 「……」

 

 犬と同じようにできるのか?と思ったが口にはしなかった。それは彼女が好きにすればいいことだし、このキツネにとっても悪いことではない、はずだ。よく知らないけど。その後、話すことがなくなった僕と彼女の間には、謎の沈黙が流れた。

 

 「なんだ?まだ何かあるのか?」

 「えっ……い、いや……えっと……僕、ま、益玉っていって……」

 「名前はもう聞いた……ああ、そうか。私の名前を言っていなかった。私は毛利 万梨香(モウリ マリカ)。“トリマー”をしているんだ」

 

 

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 きれいに切り揃えられたグレーの髪、緑色の瞳を湛える目元は吊り上がり鋭い眼光を放っている。あまり表情が変わらないから、なんだか怒っているように見えてしまうが、話しぶりは穏やかだ。整ってはいるが、この顔立ちのせいで苦労したこともあるのだろう、と余計なことを考えてしまうくらいには、表情が固い。

 

 「……すまないな」

 「えっ……な、なにが?」

 「怖い顔をしてしまって。これは生まれつきだ。上手く感情表現ができなくて、初対面で距離を置かれるんだ」

 「そっか……」

 「だが安心してくれ。定期的にもふもふしていれば不機嫌になることはない。学園に来る前は懸念していたが、まさかキツネがいるとはな。僥倖だ」

 「そうなんだ……もふもふが好きなんですね……」

 「ああ。もふもふからしか摂取できない栄養がある」

 

 そんなことはないと思うけど、きっと毛利さんにとっては毛皮をもふもふすることがベストなストレスの解消法なんだろう。それにしてもこんなところにキツネがいるとは思わなかった。一体どうやって迷い込んだのだろう。あるいは……。

 

 「ほら、お前も撫でてみろ。気持ちいいぞ」

 「ええ……で、でもキツネとか、触ったことないし……エキノコックスとか怖いし……」

 「大丈夫、大人しいものだ」

 

 動物に触れるのがよっぽど嬉しいのか、少し興奮気味に毛利さんはキツネを差し出してきた。毛利さんの腕の中でぐったりしていたキツネだったけど、撫でられるうちにリラックスしてきたのか気持ちよさそうにされるがままになっている。さすが、トリマーだけあって動物の扱いに慣れているのだろうか。

 ふわふわの毛を見ていると不思議と僕も撫でたくなってくる。僕は、その広いおでこにおそるおそる手を伸ばした。

 

 「くわっ!!破ァッ!!」

 「うわあっ!!?」

 

 その手がキツネに触れるか触れないか、ギリギリまで近付いたところで、急にキツネが鳴いた。一瞬だけ違和感を覚えると同時に心臓が捻れるくらい驚いて、僕は大きく尻餅をついた。なんで僕のときだけ鳴くんだ……。というか、今のってキツネの鳴き声だったか?と、徐々に尻の痛みが引くにつれて違和感の正体を考える余裕も生まれてきた。

 

 「ええい!!さっきから黙って聞いていれば無礼であるぞ貴様たち!!キツネだのもふもふだのケダモノだのとあれこれ好き勝手言いたい放題言いおってからに!!」

 

 せっかく生まれた余裕をまた掻き乱すくらい、そのキツネは流暢に話しだした。一体どこからこんな声が出ているのか、腹の底から響くような明瞭かつ通りの良い声だ。たぶん僕は一生で二度とないくらい目を丸くしていた。感情表現が苦手と言っていた毛利さんも、さすがに目を見開いている。

 

 「ぐぬっ!ぐぬっ!とおあっ!!」

 「あっ」

 「ふんっ!先刻の気配はそっちの眼鏡の御仁か。一瞬とはいえ気を取られてしまうとはまだまだ修行が足り……いや、修行は(コン)輪際しなくていいのでした。拙僧は自由の身でした!やったー!」

 

 驚いて口をあんぐり開けた毛利さんの腕から脱出し、そのキツネは足下に飛び降りた。そしてまた流暢に話しだしただけでなく、二足歩行をして、ジェスチャーをして、オーバーなくらい感情を爆発させていた。まるで人間だ。もしかしたら──。

 

 「コンコン、コホン。さて……20人目のお方、益玉殿と仰いましたかな?拙僧の姿に(コン)惑するのも当然でしょう。故にはっきりさせましょう!拙僧はあなた方と同じ高校生!“超高校級のシャーマン”、狭山 狐々乃(サヤマ ココノ)であります!」

 

 

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 あ、違った。いや何を言ってるんだこのキツネは?“超高校級のシャーマン”?高校生?狭山さん?このキツネが?どういうことだ?一体何がどうなったら高校生がキツネの姿になるんだ?

 僕が抱えていた違和感は疑問の爆弾低気圧となって、思考のリソースをかっ攫っていく。尻餅をついているのに目が回りそうだ。ひとりで考えているだけでこの疑問が解消されるわけもなく、目の前のその存在にぶつけるしかなかった。

 

 「え……あの、えっと……」

 

 何からきけばいいのか分からなくて、言葉が形を成さない。はっきりさせましょうと言ったが、何一つはっきりしていない。同じ高校生と言っていたが、何もかも違う。本当に、訳が分からない。

 

 「分かりますとも。キツネの姿でクラスメイトとして上手く付き合っていけるのか不安なのでしょう。ですが心配ありません!拙僧、見た目は獣。頭脳は人間。ですので!」

 

 全然分かってない。

 

 「あとキツネなんぞが人間の如く振る舞っているのが珍妙不可思議でたまらないのでしょう」

 

 むしろそっちがメインだけど。

 

 「しかしなぜこの姿になっているのかは拙僧にも分かりません。心当たりは……あるのですが……」

 

 あるならそれだと思う。女の子がキツネになってしまう原因がいくつもあっちゃたまらない。

 

 「まあその辺の話は(コン)後するとしましょう。プライバシーに関わる故!」

 

 なんというか、この感性の微妙なズレ方とか、言葉の端々から分かる自身過剰っぷりとか、明るくて楽天的なところとか……演技でやっているわけじゃなさそうだし、何よりこの毛皮は本物だ。もふもふの第一人者の毛利さんが何の疑問もなく撫でていたのだから、そこは紛れもない事実なんだろう。

 

 「ところで毛利殿。あなたはなぜ(コン)剛の如く目を丸くしているのですか。体育館で自己紹介したでしょう」

 「いや……もふもふとしか認識していなくて聞いてなかった……」

 「脳みそ(コン)蒻ですかあんたは!!」

 

 なんだかどっと疲れた感じがした。常識破りばかりの“超高校級”の生徒たちだから何があってもおかしくないと思っていたけれど、これはいくらなんでもやり過ぎだろう。でもこれは夢でも幻覚でもCGでもない。目の前で起きていることを受け入れるしかないのかも知れない。頭が痛くなってきた……。

 


 

 僕が降りてきた階段の下にも扉がある。扉の横にかけられたプレートには雑貨倉庫と書かれていた。わざわざ雑貨と書いているということは、食料品とかは置いてないということか。キッチンに併設された食料庫があれだけしっかりしていれば、わざわざ地下に収納する必要はないからか。僕はその扉を引いて中に入った。

 雑貨と一口に言っても色々なものがある。それは衣類だったり、電化製品だったり、化粧品だったり、掃除道具だったり、本だったりスポーツ用具だったり消耗品だったり……どれだけ論ってもキリが無い。だからこの倉庫も、外から見るよりも遥かに広い空間に無数の雑貨を収納していた。階段下で窮屈なのは入口付近だけで、その奥は天井まで届く背の高い棚に数々の段ボールやケースが並べられて、雑貨の種類ごとに整理して陳列してあった。種類が多すぎてこの中から目当てのものを捜し当てるのは骨が折れそうだ。

 

 「あっ」

 

 遠くに人影が見える。薄暗い地下の空間では、真っ赤なその服がよく目立つ。その隣に見える黒くて背の高い人影も、こんな閉鎖された空間でなければよく目立ったことだろう。僕はその2人に近付いて行った。どうやらふたりとも、周りの棚に興味津々のようだ。

 

 「あ〜……あのう……」

 「(ふりがな)?アイヤー!だ、誰アルかオマエ!?」

 

 僕が声をかけると、赤いチャイナドレスを着た女の子は跳び上がって僕から距離を取った。脚を開き手を構えて臨戦態勢だ。だけどその一連の動きや言葉があまりにもコミカルで、いまいち緊張感にかける。そして何より、隣にいた背の高い和装姿の男の子は、柳が風に揺られるように悠然と僕の方を一瞥するだけだった。

 

 「え〜っと……僕は……益玉っていって、その……みんなと同じ、“超高校級”なんだけど……」

 「ほう。君も“超高校級”……20人目ということか。漸くお目見えだ」

 「20人目!なあんだ。ワタシたちと同じアルか。ならお友達ネ。ワタシ、長島 萌(ナガシマ モエ)ネ。よろしくお願いするヨ!」

 

 

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 “超高校級”だと名乗ると、男の子の目は興味深げに、女の子の目は友好的に色を変えた。そして距離を取っていた女の子は、離れるときと同じようにぴょんと跳びはねて一気に僕に詰め寄ってきた。近い……。

 

 「ワタシ“超高校級のスナイパー”だけど、安心してネ。みんなのことは撃ったりしないヨ。ワタシ、必要なときしか撃たない主義ネ」

 

 必要があれば撃つみたいに聞こえるから逆に安心できない。それにしてもこの見た目、この話し方から“スナイパー”は想像できない。どういう経緯で“超高校級”と認定されるに至ったのかきいてみたいけど、迂闊なことを言って彼女に引き金を引かせるわけにはいかない。好奇心をぐっと飲み込んで、僕は軽く頭を下げるに留めた。

 

 「菊島 太石(キクシマ タイシ)、物書きをしている。ああ、ペンネエムで失敬。此方の方が通りが良いのでね。本名は川崎 寬治(カワサキ カンジ)という」

 

 

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 菊島という名前は、僕にとっては虎ノ森君よりも聞き馴染みがある。趣味で書いた小説が文芸誌で話題になり、若くして一気に文壇の仲間入りを果たした、新進気鋭の小説家だ。彼の作品は僕が今まで読んだ中ではかなり好きな方だし、朗読動画を投稿したこともある。だから菊島君の前だと、なんとなく気後れしてしまう。

 

 「噂に聞いている“超高校級の語り部”とは君のことだね。なんでも俺の本を朗讀(朗読)しているとか」

 「は、はあ……その節はどうも……」

 「“超高校級”と呼ばれる讀者(どくしゃ)が付くのは光榮(こうえい)だ。本來(ほんらい)なら使用料を頂戴したいところだが、君に因って購買意慾(こうばいいよく)を刺激された讀者(どくしゃ)も少なからず居るだろう。君の肩書きと君のお陰で稼げた印稅(いんぜい)に免じて(くだん)動畫(どうが)は不問としよう」

 「……ありがとうございます」

 「なに。これからは級友として宜しくしてくれ給え。敬語も結構だ」

 

 菊島君はにこやかにそう言った。どうやら僕が朗読した動画については見逃してもらえたようだ。今時、よっぽど悪質なものでない限りわざわざ自分からその話をする人の方が少ないと思う。きっと本心では使用料を取りたいんだろう、と思ったけれど口にはしない。そんなことを言えば、相手の善意による支援なら受け付ける、とでも言いかねない。そしてそこまで言われてしまったら、僕はきっと彼の思惑通りになってしまう。

 

 「お金は大事ヨ!取れるものは取っとかないと後で後悔するネ!」

 「小に因りて大を失うという言葉が在る。彼の影響力を考えれば、寧ろこれは必要な投資と言えよう。それに今は新作を執筆中だ。これからも贔屓に(たの)むよ、益玉君」

 

 使用料は免除してやるから自分の作品の宣伝をしろ、と聞こえた。僕も彼の作品は好きだから言われなくてもすると思うけれど、婉曲的とはいえ改めて本人から言われるとなにか……余計に良くないことをしているような気になってくる。

 

 「そう言えば、オマエ下の名前なんて言うカ」

 「ああ……韻兎だけど……。えっと、インは音偏に口と貝の員で、トは兎っていう字……」

 「じゃあ兎兎(トゥートゥー)ネ!」

 

 あだ名を付けられた。呼ばれたときにきちんと反応できるだろうか。

 


 

 建物の中でも人目を避けるように設置された地下への階段。その先にある地下階の中でもさらに奥まった、まるで隠すような場所にあるのは、「機械室」と書かれた部屋だった。扉を開ける前から、部屋の外へ漏れ出すごうごうという低くくぐもった音が聞こえて来る。僕はその漏れ出す音に掻き消されてしまいそうなくらい、弱々しい音を立てて扉を引いた。

 激しい熱気が顔面を包み込む。しかも湿度が高くて眼鏡が一気に曇った。扉を開けるとさっきまで漏れていた音が直に鼓膜を叩いてきてうるさい。視界を奪われた上に熱と音で息が詰まりそうになる、地獄のお試しコースみたいな環境だ。そんな場所だと言うのに、そこにいた2人はどちらも平気そうな顔をしている。

 

 「おや」

 

 その場にいた2人ともが、僕に気付いて近付いてきた。ひとりは穏やかな顔をしているけれど、相対したときの威圧感は凄まじい。筋肉質な体と黒ずくめの格好なせいで、ただでさえ大きい体が余計に大きく見える。普通なら相手を安心させる穏やかな表情も、腹の内を悟らせまいと被った仮面に見える。

 もうひとりはひょろりと長い手足をしていて背は低くないけれど、少し猫背気味なせいで実際より小さく見える。七分丈のズボンにサンダルシューズ、よれよれのパーカーのフードを被ったラフな格好だ。夜中にちょっと近所のコンビニまで出掛けるときくらいの、そんな気軽さを感じる。

 

 「ふむ……君は?」

 「え〜っと……ま、益玉……です……」

 「益玉君。なるほど。手前は庵野 宣道(アンノ ノブミチ)と申します」

 

 

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 「お近づきの印に、愛の祝福を」

 「はあ……」

 

 そう言うと庵野君は、十字を切るような動作をした後に僕の額に手を当てた。何度見ても覚えられる気がしない、素早くて複雑な所作だ。困惑している僕を見かねたのか、庵野君は優しく微笑みかけてくれた。

 

 「あなたの道が愛とともにあらんことを」

 「あ、ありがとう……」

 「いえ。これからよろしくお願いしますね、益玉君」

 「……よろしく……お願いします……」

 

 差し出された手は大きくて力強く、それでいて柔らかかった。まるで僕の手を包み込むような彼の握手は、思わず顔をしかめてしまうほど痛かった。

 庵野君の自己紹介から、ずっと僕たちを観察するような目で見ていたパーカーを着た彼が、庵野君と入れ替わるように僕の元に来た。そしてまた少し僕のことをじろじろ見ると、ふいに僕の眼鏡を外した。

 

 「えっ」

 「眼鏡が曇っていますよ。ちょっと貸してください」

 「ああっ……ええ……」

 

 そういうのは借りる前に言って欲しかった。

 

 「僕たちみたいな人種にとって眼鏡の曇りは死活問題ですからね。曇り止めとクリーナーくらいは携帯しておくものですよ。はい、どうぞ」

 

 そう言って彼は、ポケットから取り出したケースを開いて、僕の眼鏡を丁寧に手入れしてくれた。にこやかにしているけれど、どうにもその笑顔には裏があるようにしか見えなくて逆に怖い。僕の眼鏡を綺麗にすることで、僕は親切で優しい人間ですよ、と主張しているかのようだ。そんな隠しきれない軽薄さが滲み出ている。

 

 「あなたが20人目ですね。益玉……“超高校級の語り部”でしたか」

 「えっ……?な、なんで……僕の肩書き……?」

 「新入生の情報くらい事前に調べますよ。希望ヶ峰学園の入学者情報は話題になりますからね。だから湖藤君がわざわざ言わなくても、僕にはあなたの存在は分かっていました。敢えて言いませんでしたけどね」

 「そ、そうなんだ……」

 

 僕の顔を見て、かなりの数の人が湖藤君の名前を挙げた。彼が僕の存在を予言していたのは本当のことのようだ。それにしても、どうして湖藤君はこの建物にいるのが全部で20人だと分かったのだろう。

 そしてこの彼も、僕の存在は事前に分かっていたらしい。新入生の情報は希望ヶ峰学園のホームページで人数が公表されるくらいで、どこから出回るのか、ネットの掲示板やSNS、動画投稿サイトではどんな生徒がいるとか、どんな肩書きの新入生がいるとか、その時期は色々な噂が飛び交う。彼はそんな真偽も不確かな膨大な情報の中から、ピンポイントに僕の情報を突き止めたというのか。

 

 「では僕も自己紹介をさせてもらいますね。名前は尾田 劉平(オダ リュウヘイ)。肩書きは“密偵”です」

 

 

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 「み、“密偵”……そっか」

 「なんですか。何か言いたげですけど」

 「い、いや……別にそういうわけじゃ……や、やっぱり、“密偵”なだけあるね。僕のこと知ってたし……」

 「むしろあなたは有名な方でしょう。まあ、益玉韻兎としてではなく、“たまうさぎ”としてですが」

 

 動画投稿用のハンドルネームで呼ばないでほしい……。そんなところまで調べてあるなんて、さすがの情報収集力に思わず感心する。こうして顔と本名を晒している以上は、ハンドルネームがバレたところで特に困ることはないはないけれど、人に見破られるのは少し……恥ずかしい。

 

 「ところで、最初に僕たちは体育館に集合したんですけど、その時あなたはどこで何をしていたんですか?なぜ今頃になって出て来たのですか?他の人たちはあなたのことを知っているんですか?」

 

 いきなり質問攻めだ。どこで何をしていたと言われていても、なんと答えればいいのやら。今頃になったって言うのも僕の意思じゃないし……唯一まともに答えられる質問にだけ先に答えよう。

 

 「もう色んな人に会ってきてて……知ってる人もいる……と思う……」

 「なぜ最初の2つには答えないのですか。しかも最後の質問への答えもはっきりしませんね」

 「尾田君。あまり彼を困らせてはいけません。いきなりこんなところに連れて来られて、不安なのでしょう」

 「うぅ……ご、ごめん……。ただちょっと……ベッドから落ちて、体を打っちゃって……」

 「それはいけません。保健室で横になっていた方がいいのでは?」

 「だ、大丈夫だよ……一回診てもらって、回復したからこっちに来たんだ……」

 「ふぅん……まあ今はいいです。何もなければそれで」

 

 いまいち納得いってないという顔で、尾田君は室内の調査に戻った。やっぱり、こんなわけのわからない状況で、1人だけ後から登場なんてしたら怪しまれるよな……他のみんなが自然に受け入れてくれたのが優しかったんだ。少しでも状況把握に貢献して、尾田君からも信用してもらえるように頑張らないと。

 

 「えっと……ここって一体、なんなんですか?」

 「見ての通り、機械室ですよ。建物全体の電力供給、ガス・水道インフラ、空調等の機械調整等を行っているのでしょう。水蒸気ムンムン、機械音ごうごう、最悪の環境ですね。こんなところに脱出の手掛かりがあるとは思えません」

 「だ、脱出って……?」

 「尾田君は、我々がここに閉じ込められていると言っているのです。手前は希望ヶ峰学園でそんなことはないと思うのですが……」

 「これが希望ヶ峰学園って、それ本気で言ってます?最高峰の才能を持った高校生たちが集まる学園とは思えないお粗末さですよ」

 「はて……」

 

 ため息交じりに言う尾田君に、庵野君は困ったように唸って頭をかいた。確かに、ここが一体どこなのか、今の段階ではまだ分からない。今まさにみんなで調べている最中だから確定的なことは何も言えない。ただ、ろくでもないことになる雰囲気だけは、ここにいる2人のどちらも感じているようだ。

 

 「何はなくともまずはここがどこなのかと、今の僕たちの状況を把握することが先決ですね。それまでは神にでも祈っておきますよ」

 

 よく庵野君の前でそんな言葉が吐けるな、と思う。その庵野君は、相変わらず腹の内が分からない笑顔のままでいた。この2人の会話は本当にハラハラする。馬が合わないというのはこのことだ。僕はそんな冷戦のような空気から逃げ出すように、機械室を後にした。いくら眼鏡が曇らないとはいえ、これ以上は限界だ。

 


 

 地下階もひととおり見て回って、地上に戻ろうとしたそのとき、どこからともなく音が聞こえてきた。学校とか駅とか、色んな場所で耳にする、アナウンス音だ。そんな馴染みある音が、こんな得体の知れない建物の中で聞こえて来ることが、とても気持ち悪く思えた。

 

 「え〜〜〜マイクテスト!マイクテスト!オマエラ!聞こえてますか〜〜〜!?聞こえない人は返事して〜〜〜!」

 

 僕は返事をしない。他に返事をする人もいない。そもそも質問の内容が矛盾している。そのせいだろうか。鼓膜から直接はらわたを揺さぶられるような、この不快でおぞましい感覚は。

 

 「どうやらみんな聞こえているようだね!それじゃあオマエラ!これから入学式を執り行います!至急体育館に集合してください!そう、さっきまでオマエラがいたところだよ!知らないって人は周りのお友達にきいてね!うっぷっぷ〜〜〜!!楽しい楽しい学園生活の始まりだよ〜〜〜!!」

 

 極めて楽しそうに、飛び跳ねるようにその声は集合をかけた。どこか漂うこの空間の閉塞感も、言いようのない漠然とした不安も、この声には不釣り合いだ。場違いで、空気が読めていなくて、違和感だらけだ。そんな不協和音を響き渡らせて、アナウンスはぶつりと乱雑な音とともに消える。

 その放送を聞いて僕は……僕の胸は激しく鳴っていた。心臓がばくばくと軋む。肋骨を突き破りそうな勢いだ。額から、背中から、手から、全身の汗腺が汗を噴き出す。脳からの危険信号が全身を強張らせる。呼吸が荒い。緊張で喉が締まる。階段をあがる一歩一歩が重い。さっき降りてきた地上までの道のりが果てしなく感じる。全身が戦慄く。逃げ出したくなって。逃げられなくて。足が動かなくて。体が熱くて。凍えるようで。

 加速していく感覚に脳がついていけない。全身の筋肉が弛緩し、意識がつむじから抜けていく。もはや自分が浮いているのか落ちているのかも分からない。

 

 「おっと。大丈夫ですか?益玉君」

 

 後ろからがっしりとした手に支えられた。庵野君の手だ。彼の大きな体格なら、僕のような細い体など糸くずのような重さだろう。心配そうに僕を覗き込む彼の顔が見えた。

 

 「具合が悪そうですが……先ほどの放送のせいでしょうか?」

 「あ……ああ……ううあああっ!!」

 「ま、益玉君!?」

 

 ろくに返事もせず、支えてくれたお礼も言わず、僕は彼の手を振り解いて逃げ出した。這うように階段を昇る。精一杯のつもりだったけど、なめくじのような歩みだ。疲れ果てた僕は、ようやく地上に辿り着いてその場に伏せった。

 もう体力も精神力も限界だ。まだ何もできていないのに。まだ何も始まってないのに。あんなアナウンス一つで。僕は限界まで消耗した。

 

 「ま、益玉……君……?」

 

 どれくらいここでそうしていたのか。不意に名前を呼ばれて僕はようやく我に返った。髪を伝って滴り落ちる汗を乱雑に振り払う。今、僕の顔はどうなっているだろう。覗き込んできた甲斐さんの表情から察するに、相当にひどい顔をしているようだ。

 

 「どうしたの?もしかしてさっきの放送で……?」

 「うっ……だ、大丈夫……!うん、ごめん……!ちょっと、焦った、だけだから……」

 「本当に?立てる?肩貸すから……ほら」

 「あ、ありがとう……」

 

 きっと、甲斐さんも不安なんだと思う。さっきのアナウンスからは、心の中に直接訴えかけてくるような、そんな悪意を感じる。直感的にも論理的にも従わざるを得ない強制力を感じる。そして何より、状況を理解できないみんなにとってその声の主は、決して希望を与えない。この奇妙な状況をより悪化させるものでしかないと、そう予感させていた。

 僕は甲斐さんに肩を貸してもらって立ち上がった。少しふらつくけれど、なんとかひとりで歩けそうだ。まだ心配そうにしている甲斐さんは、甲斐さんは湖藤君の車椅子を押しながら、ゆっくりと僕を体育館まで案内してくれた。

 脳が膨張して頭蓋骨の隙間から漏れ出しそうになるのを感じながら、僕は懸命に自分の足で歩いた。この先に待つ、絶望に向かって。




今日は投稿が遅くなりました。ブラウザが落ちて編集が無になったり、イラストのアップロードに手間取ったりしました。
これまで個々に動いていたキャラクターたちが一堂に会したことで、また違った側面が見えてくるかと思います。皆さんは知っていても隠している一面があったり……こういう見せ方も創作論破では新しいかなと思ったりしてます。

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  • 益玉韻兎
  • 湖藤厘
  • 宿楽風海
  • 虎ノ森遼
  • 甲斐奉
  • 谷倉美加登
  • 岩鈴華
  • 菊島太石
  • 毛利万梨香
  • 芭串ロイ
  • 庵野宣道
  • カルロス・マルティン・フェルナンド
  • 三沢露子
  • 狭山狐々乃
  • 長島萌
  • 月浦ちぐ
  • 陽面はぐ
  • 理刈法子
  • 王村伊蔵
  • 尾田劉平
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