希望に下る絶望の審判
浮遊感。体は液体に浸っている。水よりも粘っこく体にまとわりつく不快な液体だ。
拘束感。体の至る所に管がつながっている。太く、硬く、重い。絶えず何かが体に入り、出ていく。
閉塞感。体を覆う透明な天井と低く唸る機械音。呼吸していない体でも息が詰まりそうだ。
「——!」
ガラスの向こうでくぐもった声が聞こえる。いくつもの白い影が忙しなく動き回る。私の寝ていた世界は突如こじ開けられる。ガラスの蓋は大きな機械音を立てて開き、その向こうの音を私の世界になだれ込ませた。腰のあたりを乱暴に突き出される感覚がして、私の体はそこで90度に曲げられた。
「バイタルチェック!データを確認しろ!どのアルターエゴだ!」
「……ァ……」
声が出ない。体もまともに動かせない。関節という関節が錆びついたようだ。筋肉という筋肉が萎み切ったようだ。神経という神経が寸断されたようだ。私は世界のされるがまま、ストレッチャーに乗せられた。なぜこれが“ストレッチャー”というものだと分かった?自分の知識に驚愕する。
「識別コード:1111010 甲斐 奉です」
「了解」
カイマツリ……?かい、まつり。
甲斐 奉。それが自分の名前だと理解し、思い出すのに数秒かかった。こんな感覚は初めてだった。自分が自分でないような、自分でない誰かの人生を生きているような、奇妙な感覚だった。
ようやく眼球を動かせるようになってきた。声も少しなら出せそうだ。首も動くようになってきた。人形のような体勢で居続けるのは居心地が悪い。私は身動ぎした。
「動くなッ!!」
ヒステリックな声に耳を貫かれる。驚いて体を跳ねさせる間もなく、白衣を着た複数人が私に覆い被さるようにした。
「もう体に馴染んできているな。拘束具を持って来い!」
そう叫ぶ顔は焦りと驚きと恐怖に満ちていた。どうも私に怯えているらしい。不思議な連中だ。私をここに連れてきたのは自分たちだというのに、私には指一本動かしてほしくないらしい。あっという間に私は全身をますます動かせなくなり、ついでに目隠しまでされた。
それから先は何をされたのか、どこへ連れて行かれたのか、はっきりとは分からない。だけど自分の体について少し分かったことがある。それに、ここに来る前のことをゆっくり思い出す時間も取れた。
私は“超高校級の介護士”甲斐 奉——のアルターエゴだ。人類の希望たるオリジナルの甲斐奉は死んだ。私はその人格をプログラムによって再現した作り物の人格だ。そして私は、コロシアイを利用したでたらめな計画によって“超高校級の希望”として作り物の体にインストールされた。つまり、私は何から何までここにいる白衣たちの被造物——さしずめ土人形だ。
土人形たる私の体には一切の“個”が存在しない。当然だ。ここには私以外の誰かが入る可能性もあった。高すぎも低すぎもしない背丈。付きすぎず萎えすぎずの筋肉。逞しいとも言えず艶かしいとも言えない骨格。頭は見事に不毛地帯で胴体に一切の凹凸はない。一般的な人間なら必ずヘソがあるのだが、それすらないこの体はまさに造り物なのだろう。
「甲斐奉さん。これからいくつか質問をしますので回答してください。これはテストではありませんので、正答する必要はありません。また、声が出せない場合、肯定は指を1本、否定は指を2本立てることで回答としてください。よろしいですか。」
一方的で冷たい音声だ。人間が直接発しているものではなく、精巧な機械音声のものだ。私はその質問に指を1本立てて答えた。少し間を置いて先ほどと同じ音声による質問が続く。私の基本的な情報にまつわる質問から始まり、私の思考を解析しようとする意図が透けて見える質問。ときどきブラフも混ざっている。やはり私は信用されていないようだ。
「おつかれさまでした。質問は以上です。指示があるまでそのままでいてください」
そのままでいろと言われても、拘束具のせいで指を動かすのがやっとだ。ぶつっと通話が切れ、そこからしばらく私は無音と暗闇の中に放置された。自分たちが造り出したというのに被造物に対する愛情のかけらも感じない。あるいは私はそこまで無機質な見た目をしているのだろうか。いずれにしろ向こうの都合だ。
「納得いかないなぁ」
要するに私は、精密機器であり、危険物であり、未知なるものだということらしい。ここはHHIの研究施設であり、私はうんざりするほど多様な検査を受けさせられた。いずれの検査も初めのうちは退屈しのぎになったが、3回も受ければ退屈そのものになってしまった。4回目には検査スコアの算出方法を把握し、5回目には暇潰しに考察した検査のハック方法を試して成功させた。6回目にはこれまでのスコアの平均値を出せるよう調整し、7回目にはこの検査で測定されるものとその意義を理解した。
身体機能は初回の測定から順調にスコアを伸ばしている。知的機能は初回からあまり変化がないが、記憶能力は徐々に上昇傾向にある。問題は社会機能だ。スコアを調整しようと思えばどのような結果にすることもできるが、そこに意義を感じないことが問題だ。私は私が心配だ。
「甲斐ちゃん。今日も調子良いね」
私の身の回りの世話をするのは女性の研究員だ。この体に性別はないが、私という個のオリジナルは女性だったから、その点への配慮なのだろう。初日から気さくに話しかけてきたこの研究員は、しかし自分の個人情報は決して開示しようとしない。それはこの研究員の意思ではなく組織としての方針なのだろう。その証拠に、ときどきよく似た職員が何の説明もなく訪れる。これもなんらかの検査なのかと勘繰ってしまう。
「ご飯は美味しかった?甲斐ちゃんは好物とかあるんだっけ?」
オリジナルの私はコーンポタージュと卵焼きが好きだったはずだ。私はそれを答えた。ちなみに食事に関する感想は特にない。特別味わい深いわけでも全く味気ないわけでもない。私の記憶の中にあるものをそのまま具現化させたように考えたとおりの味だった。それは伝えなかった。
「かわいいね〜」
部屋にはずいぶんと物が増えた。これらはどれも私が要求したものではなく、必要性や合理性に基づいて勝手に運び込まれたものだ。部屋にはマジックミラーが設置され、その向こうでは四六時中誰かが私を見ている。私は私で、鏡面に映る違和感まみれの自分をよく観察していた。ここでしばらく生活して、ようやく自分の体の違和感を受け入れられるようになってきた。記憶の中にある自分とは全く異なる他人の顔と他人の体。それが全く自分の思い通りに動くという非現実感。しかしこれらは紛れもない現実だ。
研究員の一方的な会話を打ち切る、軽やかなチャイムが鳴った。
「あ、もう時間か。じゃあ甲斐ちゃん。部屋を移るからいつもの付けよっか」
気さくだが有無を言わせない言い方だ。そうすることが当然であるとでも言いたげな。この施設内を移動することができるのは検査や訓練で必要なときだけだ。そのときも、行動を制限する枷や目隠しを付けることが義務付けられる。厳しいルールを課すほど、彼らがどれだけ私を恐れているかが分かる。
私はいつも通りの装備を身につけ、拘束された状態で訓練場に連れて行かれる。今日からは危機対処訓練として基本的な武器の扱いを訓練するようだ。私は拳銃を渡された。マガジンは抜かれており、レーザー装置と何らかの装置が取り付けられている。
「今日からは射撃訓練を行います。ただし安全のため弾は装填されていません。レーザーで照準を合わせて引き金をいけば、諸条件から弾道を計算して着弾位置を表示します。また反動を再現する装置がついているので注意してください」
実弾がなくても訓練ができる仕組みになっているようだ。とことん私は信用されていないらしい。射撃方法について簡単なレクチャーを受けて、何発か試しに撃ってみる。
「……まあ、こんなものか。銃の扱いなんかしてこなかったもんな」
何を期待していたのか。私の撃った弾はどれも的を掠るばかりでどれも命中しない。
「下手のフリはちょっと緊張するネ」
私とは違う誰かの声が聞こえた気がした。
ここの生活にもずいぶん慣れてきた。検査場や訓練場への移動、その途中で聞こえる職員の話し声や足音の反響、研究員の会話、建物内のインフラや配線から推測した建物の全体像の把握もかなり出来上がってきた。ここの職員は全員緊急時に使用する制圧用の武器を携帯していることも発見した。
私に対する教育は順調に進んでいる。シラバスの半分は完了して、表向きに私はすっかり“超高校級の希望”を目指す者として成長していった。研究員の私に対する視線もかなり柔らかくなり、未だ部屋を出るには拘束が必要とはいえ、親しく話しかけてくる職員も増えた。今日は前から親しくしていた女性職員が食事を運んできた。
「やっほー、甲斐ちゃん。今日はコーンポタージュと卵焼きだよ〜」
簡素な食事が運ばれてくる。それまでは味も見た目も粗末なものだったのが、ある程度要望が通るようになってきていた。私が少し嬉しがって見せると、研究員は分かりやすく上機嫌になった。いつもの通り横に座り、いつもの通り一緒に手を合わせて食事を摂る。
ひとうひとつの仕草は以前に比べてかなり隙が多くなっている。組織研究員としてはあるまじき態度だが、私にとっては好都合だ。おかげで懐に忍ばせたテイザー銃の位置までよく分かる。
「いい食べっぷりだね!おかわりもあるよ!」
私は食事を掻き込みおかわりを要求した。彼女は快く皿を受け取り、新しくよそうため背中を向ける。揺れる白衣も、肩の後ろまで伸びた艶のある髪も、大きな丸メガネの向こうの鳶色の瞳も、目を閉じれば精緻に思い起こされる。
私は音もないまま、その首に手を回した。
「お世話になりました」
戦場にいた。赤い光が瞬いて視界を妨げる。耳鳴りがするような音と共に自分のいる場所の情報が耳から雪崩れ込んでくる。行手には武装した一団が銃口をこちらに向けて警戒している。後ろには白衣の連中が倒れている。これまでと違い、テーザー銃は効かなさそうだ。
私は手に持ったビンを投げ、空中で狙撃した。散らばった液体に向けて銃から取り外したリチウム電池を投げ、また別の銃で狙撃する。弾けた火花が液体に引火し、たちまち廊下を埋め尽くす。
「っ!いかん!」
けたたましいサイレンとともに降り注ぐ水が、却って炎の勢いを強める。消そうとすればするほど炎の熱は装備の隙間を縫って体をじわじわと苛んでいく。怯んだ隙を突いて炎越しに狙撃するのは退屈なほど容易に敵の数を減らした。
「あ〜あ、もったいねェ。あれだって立派な酒なんだぞ」
「アルコールではありますが飲用ではないので、飲まれない方がよろしいかと」
「お前……甲斐の体に無理をさせないと言ってただろ。なんだったんだあれは」
「これで新しい武器が手に入ったね奉ちゃん!さ、次いこ!」
頭の中でいくつもの声がする。その声に導かれるまま、その声に助けられるまま、私は建物を制圧していく。いったい何度引き金を引いたのだろう。いくつの命を奪ったのだろう。事務的にミッションをこなすうちに思考は瑣末なことで埋め尽くされていく。
自分が考えるより体が軽い。私自身の体でないからだろうか。訓練の成果だろうか。それとも、この体に宿ったのは私だけの力じゃないせいだろうか。
「さあ、本丸だよ」
扉を開くより先に中に銃弾を打ち込む。隙間から発煙筒を投げ込み、煙に紛れて突入する。同士撃ちを厭わない相手は厄介だと思っていたが、走り回るうち勝手に数が減るのでむしろ好都合であると気付いた。減らずに残った奴は撃つ弾を出し切っているので無防備と同じだ。管制室の制圧はこれまでよりもあっさりと片付いた。
「ぐわっ!」
ひときわ高い場所にいた男が転がり落ちてきた。発煙筒の煙に巻かれたらしい。音だけで何が起きたかはだいたい察しているだろう。どうやらまともな装備もないらしい。
「……っ!お、お前……!くそっ!いったいいつから……!いや、初めからか……!」
「“超高校級の希望”計画の総監督責任者、HHI幹部、元“超高校級の呉服屋”……福丸八雲ですね。なるほど、一廉の人物であるわけです。この状況で外に情報を流すため時間稼ぎをするつもりですか」
「なんだその喋り方は……!まるであの“海賊”……いや、まさか……お前、“丸ごと”戻ってきていたのか!?」
「気付くのが遅い。射撃訓練で長島の腕を見抜けなかった時点でお前たちの負けだ。ただの下手とわざと外してるやつの区別もつかないような人材しかいないなんて、情けない」
「ヒデー言い様!でもまあ自業自得って奴か!」
「この化け物……!」
「それもあなたの生み出した結果よ」
地面に倒れ伏してなお、その目は
「これが、君のやり方なんだね。甲斐さん」
「うん。あなたが私たちを救おうとしてくれたみたいに……私はあなたを含めたみんなを救う。その過程がどれだけ残酷で悲惨でも……最後にみんなが満足して消えることができたなら。そのときまでは付き合ってよね」
「……」
「それじゃあ……福丸さんだっけ?
すっかり軽くなった引き金がカチリと鳴った。
世界は今、新しい希望を求めている。
人類が前進を続ける限り、希望と絶望の戦いは繰り返される。
その中で絶望に侵され、希望に焼かれた者たちは顧みられない。
絶望に壊された日常を取り戻してくれる者はいない。
希望に奪われた人生を慰めてくれる者はいない。
斃れた者は誰にも救われない。
たとえその軌跡が忌まわしい記憶と血に塗れていようと。
たとえその前途に数えきれない苦難と痛みが待ち受けていようと。
絶望に侵され、壊され、躙られた彼らを。
希望に焼かれ、奪われ、弄ばれた彼女らを。
救えるのは彼/彼女ら自身しかいない。
これは、救世主になれなかった少年と——
——救世主にならんとする少女の物語。
2022年に始まった『ダンガンロンパメサイア』もこれにて完結です。
2年半にわたる連載もなんだかんだでペースを崩さず来られました。それもこれも読んでkださるみなさんのおかげです。ありがとうございました。
また、前作および前々作から続いていた“じゃん論シリーズ”もここで完結になります。2015年から9年にわたって読んでいただいた皆さん、長い長いお付き合い本当にありがとうございました。未読作がある皆さん、これからも長いお付き合いをよろしくお願いいたします。
これからは一次創作などをマイペースに書いていこうかと思います。
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