東方修羅道   作:おんせんまんじう

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もうちょっとだけ続くんじゃ、なのぜ。
ゆっくり!


第三十九話 変容の赫怒

 ———遂に、依姫がやった。

 

 溢れる黄金の光がエレクトロの身体を覆い尽くし、衝撃波と光の波が全てを飲み込んでいく。

 至近距離に居た依姫は勿論、金色の光の奔流がヴェノムの凶悪な身体も吹き飛ばし、エレクトロの腹に刺さっていた筈の青銅刀が奔流に飲み込まれ、遥か彼方にぶっ飛ばされてしまった。

 グルグルと円を描いて空に消えたあたり、最早見つける事は困難だろう。

 

うぉおお…激しくないか…!?流石に…

こっちも瀕死なんだ…労われクソ神…!

 

 片手で顔を覆う様にして衝撃波に耐え、影のみとなったエレクトロを白い目で見詰めた。

 両手に突き刺さっていた矢が崩壊し、壊れたロデオの様に身体全体をガクガクと震わせている。

 

 ———-頼む…治れ…治ってくれ…!!

 

 心の中はそれだけで一杯だ。

 沢山の血を流した、沢山の血を流させた。

 依姫に辛い選択をさせた。

 

 これで戻ってくれなければ、割に合わない。

 

…!光が収まる…!

 

 遂にエレクトロを中心としたスーパーノヴァはその勢いを落とし始める。

 少しずつ光が収縮し、エレクトロの脈動も収まっていく。

 

 その頃には衝撃波も止み、シン達は緊張の糸が切れた様に地面に手を着いた。

 だが、その顔はしっかりとエレクトロを見据えている。

 

「———ッカレンさん!!」

 

 そして叫んだのは依姫。

 我慢出来ないと言った風に口火を切った彼女だったが、その身体はシン達に勝るとも劣らない程ボロボロで、至る所に血が滲んでいた。

 

 しかしその身体で彼女は駆け出し、手を伸ばす。

 勿論親友(カレン)に向かって。

 

 太陽がその一生を終えるかの様に光がエレクトロを中心として収縮し、依姫はその光を追う。

 その足取りはフラフラで、何度もつまづき、簡単に息切れを起こしている。

 

 それでも依姫は足を止めなかった。

 

「ゲホッ…ハァ…ハァ…かれっ…ゲホッゲホッ…」

 

 彼女の名を呼ぼうとして、疲労を重ねた身体がそれを止める。

 

 光は遂にエレクトロに収まり、振動を止めたエレクトロがぐらりと、糸の切れた人形の様に膝を突き、脱力してしまう。

 前のめりに倒れ込もうとした瞬間、駆けていた依姫が遂にエレクトロを抱き締めた。

 

「きゃっ…!」

 

 しかし、体力も何も無い依姫は結局そこで転んでしまい、二人して地面にスライディングしてしまった。

 依姫は力の抜けそうな身体に必死に喝を入れ、エレクトロの顔を覗き込む。

 

 ———-紛れもない、カレンだった。

 

 蒼く、電流が血液の様に流れていた皮膚は血色は悪けれど人のそれと同じで、のっぺりとした顔は何処にも見られない。

 子供らしい、けれど気の強い、いつものカレンの顔だった。

 

「ぅ…ぁ…」

「かれっ…カレンさん…カレンさん…!」

よし…よしよしよし!起きろカレン!!

終わった…やっとだ…!!

 

 そしてエレクトロ…いやカレンの、眉がピクリと動き出し、ぎこちない声が漏れ出る。

 安心からか依姫の瞳から大粒の涙が溢れ出し、されども喜びから笑顔になっていく。

 シン達もその場から動く事はしなかった…いや、疲労から出来なかったが、明確に口角を上げ、喜びの声を出していた。

 

 エレクトロの影はもう無い。

 その事実は場の戦闘の緊張感を絆し、完全に祝勝ムードの様に和やかになっていった。

 

「…より…ひめ…?」

「えぇ!わ、私でず!カレンざぁん…!、」

「…ぁあ…あああ…そうだ、アイツに…気味の悪い大妖怪に…私は…」

 

 カレンにエレクトロが乗り替わってからの記憶は無い。

 しかし、自分の自我が大妖怪に破壊されてから行った非行は頭に焼きついている。

 

 少なくともこの都市の門番二人、そして…そして母上を殺した。

 肌の蒼い自分を丸々移した目をあちらこちらに震わせ、最後に生気を無くして倒れる彼らを見て宿った優越感と殺戮衝動。

 冷たい雨の匂いと生温かく鼻をつんざく様な血の臭い、その中心でドロドロした内臓をぶち撒け、誰も顔とも分からない程ぐちゃぐちゃになった母上を俯瞰して滾る高揚、満腹感。

 

 フラッシュバックの様に脳裏を駆け巡る光景にカレンは青ざめた。

 

「わ、私は…ひとを…人、母上も殺し———」

「っ大丈夫…大丈夫です…!まだやり直せる…!!やり直せますから…!!」

 

 懺悔するかの如く漏れた一言を遮り、依姫は彼女を思い切り抱き締める。

 カレンは肩に温かい涙の感触を感じながらも、"お母さん"へ未練を感じていた。

 

(私が、私が殺した…この私が…一体…これからどうしたらいいんだ…?)

 

(…)

 

(あぁ………でも依姫の腕の中は暖けぇな…)

 

(そうだ…アイツは…っ…腕…無い…)

 

(私が…私がやったのか…アイツには悪い事をしたな…)

 

「シン…悪い…いや、ごめん」

おいおいおい…そんな目で見るな、俺はこれぐらい平気だ…義手だってヴェノムで賄える、な?

俺は許さ———

な?

 

 憤るヴェノムに無理矢理言葉を合わせ、精一杯の優しい声色でシンは語り掛けた。

 しかし口頭上で許していても、シンもしっかりと恨みを持っている。

 彼とヴェノムは事が終わったら試合でフルボッコにするつもりであった。

 

 一応依姫が居るため優しい言葉を掛けているが、野郎共には血も涙も無い。

 

「あぁ…」

 

 何となく言葉の裏を読み取ったカレンは自分のしでかした事とは別の意味で青ざめる。

 しかし今考えても無駄かと考えるのを止め、依姫の胸に顔を預けた。

 

 そうして無造作に記憶を辿るカレンだったが、ある一点を境に記憶が途絶えていることに気付いたカレンは、すぐに顔を上げた。

 

「そうだアイツ…アースは…?」

 

 ある一点、それは癖っ毛の緑髪、気弱な少年のアースとの決闘。

 追い詰めた彼に胸を貫かれた、彼女の記憶はそこで止まっていたのだ。

 

 故に、ここに居ないアースの事が気に触る。

 

「うぅ…ひぐ…アースさん…?私は知りませんが…」

…俺もだ

 

 依姫が芳しくない返事を出し、シンも目線を下げて答えた。

 しかし、シンの頭の中にエレクトロの言葉が反芻する。

 

『———殺したッ!!今頃彼は真っ二つさ!!クヒャヒャヒャヒャッ!!』

<シン、落ち着け…アイツの戯言だ>

でもよ…

 

 嫌な予感がする。

 いや、確信に近いのかも知れない。

 

 ———死んだのか…お前は…

 

 だがまだ確定した訳ではない。

 きっと、彼は全てが終わってからも何事も無く道場に来て、修行を始める筈だ。

 きっと。

 

 

 しかし、カレンがここに居る事自体が全てを裏付けている。

 

 カレンの様子から察するに、恐らくアースはカレンと交戦した。

 その途中でカレンはエレクトロへと変貌を果たし、アースを…殺し、た。

 

…チッ…

 

 殺した、なんて机上の空論でしかない。

 勿論、倒された、こちらの方に望みを掛けたい。

 

 だが、それではエレクトロがあの様な戯言を宣う訳がない。

 

…クソ

「シンさん…?どうしました?」

…何でもない

 

 …兎にも角にも、アースが居なかったら、依姫もシン達も発電所には到着出来ず、この都市の電力全てを奪われ、どうしようもない事態に陥っていたのは確実だろう。

 そう言った意味では、シンはアースに感謝していた。

 願わくば、この気持ちをちゃんと彼に伝えたいものだが。

 

…取り敢えず、どうする?言っておくが俺はもう動けねぇぞ

俺も疲れた…シンの身体の中で優雅にアドレナリンティーを広げることにしよう、デザートは妖怪の頭だ

まだヴェノムはこのままで居ろ、でないと出血多量で俺が死ぬ

「はは…兎に角は師匠を呼ばないとですね…」

「———なぁ」

 

 次第に軟化し、和んでいく空気。

 全てが終わって、やっと、一段落した瞬間だった。

 

 しかし依姫がトランシーバーをポケットから取り出した瞬間、申し訳なさげにカレンが呟いた。

 

「こんな迷惑掛けてさ…傷付けて…もう、お前の友達で居られないかも知れないけどさ…最後に…最後に頼みがあるんだ」

「…?私達は友達ですよ、これからも…最後なんかじゃありません!」

「…そう、か…あ、あのさ…」

 

 一瞬きょとんとカレンを見詰める依姫だったが、すぐに彼女はにっこりと笑ってそう言った。

 カレンはこんな目に遭ってまで優しくしてくれる聖母の様な依姫に心がきゅうと締められる様な嬉しさを感じ、気恥ずかしさから頬を赤らめ、目線を横に流して言う。

 

「———だ、抱き締めてもいいか…?少しだけ、安心するんだ」

「ふふっ、それぐらい大丈夫ですよ!」

はっ、呑気な奴だぜ

「うるせぇ…」

 

 依姫は笑ってOKしたが、シンの軽い口撃はカレンの羞恥心を大いに刺激した。

 うるさいと精一杯の反撃を起こすが、恥ずかしすぎてシン達の顔すら見れず、真っ赤になってプルプル震えている。

 

 呆れたシンはため息を吐いて一つ提案した。

 

はぁ…仕方ねぇから後ろ向いててやるよ、良くなったら言え

「…」

「ふふっ…」

 

 カレンは唇を噛み、最早涙目だ。

 彼女がチラリとシンに目をやり、彼が後ろを向いているのを確認すると、彼女は依姫に向き直った。

 

 依姫は依然微笑み掛けており、腕を広げてハグを待っている。

 

「…じゃあ…いくぞ?」

「えへへ…何ですかそれ…」

 

 まるで戦に出陣するかの様な気迫に依姫は苦笑いした。

 

 カレンは恐る恐ると依姫の腰に手を回していく。

 最初は遠慮がちだったが、次第にカレンの緊張も解かれ、まるで母親に泣きつくかの様に抱きついたカレンは最後に頭を依姫の胸に押し付けた。

 

「はは…やっぱり…あったけぇよ…」

「ふふ…」

 

(あー…甘い…甘すぎる)

 

 感動のシーンが繰り広げられる中、一方でシン達は背中に受ける甘い甘い気配に口の中が落ち着かなくなっていた。

 

<この気配は安っぽい映画のラストだ、ベタで甘い>

(別にいいけどよ…)

 

「頭…撫でてくれ」

「ふふ…まるで妹が出来たみたいですよ」

 

<もしかして俺達お邪魔虫?>

(だとしても俺は立ってるので精一杯だ、動きたくねぇ)

 

「…」

 

「カレンさん…いや、この呼び方はむず痒いのですよね…カレン…?約束、覚えていますか?」

 

 

 

 

 

「悲しい事があったら…私に教えてって、料理、私にまた教えてって」

 

 

 

 

 

「カレンが行方不明になった時…私、目の前が真っ暗でした」

 

 

 

 

 

「唯一の女友達で、親友になれた人だったんです…だから…」

 

 

 

 

 

「だから、悲しかった…大妖怪に体を乗っ取られたなんて事も…一生、カレンと友達で居られないんじゃないのか…って…ッ…」

 

 

 

 

 

「…っ…わた…し…カレンの…っ、こと…殺しちゃうじゃ…ないのか…って…っ…」

 

 

 

 

 

「カレンを…斬った…っ…あの瞬間まで……っずっと…っ…迷ってっ…いました…」

 

 

 

 

 

「親友を傷付けて…っいいのかってっ…」

 

 

 

 

 

「でも…っでも、カレンを取り戻せた…っ…!それだけ…それだけで…わたしは…っ、わたしはっ…〜っ…」

 

 

 

 

 

「———また…一緒に…料理…作ってれますよね…?」

 

 

 

 依姫の小さな慟哭が更けた夜に溶けていく。

 微かに涙の匂いが漂っている。

 

 静寂で閑散とした空間。

 風が吹けば壊れる様な、細い糸で繋がれた空間だった。

 

 シン達の瞳には、星の輝きも月光の光も無い。

 そこにはただ暗闇が広がっているだけ。

 

 …どこか悍ましく、どこか奇妙だ。

 

 まるで天が祝福ではなく、厄災を齎す前兆の様な。

 心臓がドクドクと鳴る、その意味は、警鐘。

 

 シンには、何かを見落としたかの様な、ゴキブリの小さな影を見つけた様な不信感が胸中を渦巻いていた。

 それはヴェノムも同じ。

 

 ———カツン。

 不意に響いたその音は、トランシーバーが依姫の手を離れ、地面に落ちた音だった。

 

<何か、嫌な予感がする>

(…お前もか)

 

 衣擦れの音。

 

 異常な程静かだ。

 依姫の嗚咽も、いつの間にか聞こえなくなっている。

 

 涅槃の世界とも言い難く、静寂とも言い難く。

 感じる境地は戦争の終結した激戦区、いや、束の間の平和を噛み締める防空壕の中。

 誰も言葉を発せない、発さない、そんな世界。

 

 

 

依姫?

 

 

 

 返事は、帰って来ない。

 不思議に思う程動悸がする、息が吸えなくなる。

 

 極度の緊張とも言っていい異常感に呼吸がままならず、喉が痛い。

 何が起こっている。

 そう思うのが関の山だった。

 

 そして涙の匂いが消え、血の気配。

 

 

 

<おい、何でこんなに身の毛がよだつ?>

(分からねぇ)

 

 

 

 気のせいかも知れない。

 ただの杞憂かも知れない。

 

 それとも、万が一、億が一にもありえる結末を見落としていたのかも知れない。

 

 でなければ、何故、こんなにも動悸が止まらない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと振り返る。

 

 ブリキの様な、鉄錆びた音が身体から響く様な気さえする。

 ゆっくりと風景が移動し、遂にシン達の真っ白な瞳は、依姫とカレンの姿を映し出した。

 

 行き場無く伸ばす腕の様な、血溜まりの上に座り込む、二人を。

 

………いや…あ、ありえねぇよ…

 

 カレンの顔は見えない。

 代わりに依姫の瞳がこちらに向けられている。

 

 何も映していない、空虚な瞳が。

 

…な、なんでだ?どうしてだ?

「———違う」

あ…?

 

 足元が瓦解する。

 正にそんな感覚に突き落とされていく中、弱々しいカレンの声が響いた。

 

 

 

()じゃないんだ」

 

 

 

 カレンが立ち上がる。

 

 

 

「身体…か、からだが勝手に…」

 

 

 

 依姫の身体が支えを失い、べちゃりと血の池に沈む。

 その腹には穴が。

 

 そして背を向けるカレンの腕は血みどろだ。

 

 

 

 

「あ、あ…あぁぁぁ…よ、依姫…違う…違うんだ…」

 

 

 

 

 酷く動揺し、蚊のように震えた声で鳴くカレン。

 その顔が、僅かにシン達へと向けられた。

 

 瞳孔の定まらないエメラルドの瞳。

 カチカチと鳴る歯。

 

 

 ———侵食する様にカレンの片目を覆うのっぺりとした皮膚。

 

 

 嫌でも、シン達は確信してしまった。

 ソレの再来を。

 

 

「身体…なんで…?し、シン…頼む…止め———」

 

 

 その瞬間、のっぺりとした皮膚が急激にカレンの顔を侵食し尽くしてしまう。

 淡いエメラルドの瞳を一つ残して。

 

 そして、語られる言葉は邪悪に満ち始める。

 

 

「キ、ヒ…」

…ふ、ふざけんなよ…ふざけんな…ざけんなクソがァッ!!

最低だ…!安い映画でもこんな展開はあり得ないぞ…!!

 

 

 消滅したはず。

 だったら目の前のコイツは何なんだ?

 

 …もう、否が応でも理解するしかなかった。

 

 エレクトロが、復活した。

 

 

「アヒャ!アヒャヒャヒャヒャ!!!ヒャーハハハハハハハ!!!!依姫!シン!最低な気分だ!!ぁあ!?」

…テメェ——-づぅ…!

<クソ!限界だ…パンチ一発でもう俺達は一つじゃなくなる!>

 

 一変したエレクトロは叫び、顔を掻き毟り、ストレスを発散するように依姫の服を掴んで無造作に吹き飛ばしてしまった。

 無抵抗に投げ飛ばされる依姫はゴロゴロと地面に捨てられ、苦悶の声を上げていた。

 

 シン達は今すぐにでもエレクトロに飛び掛かろうと踏み込んだが、先の戦闘の代償は大きく、踏み込んだ脚がビキビキと音を立てて軋み、激痛から一歩も動くことが出来なかった。

 更にヴェノムも限界。

 

 最低なのは俺達だと叫びたい状態だった。

 だが、エレクトロが宣う。

 

「頭でコイツの声が響く…!!完全に乗っ取れなかった!絶望を直接感じ、悲しみの涙をこの目から感じ取ることが出来るのは最高だが…あぁ煩い煩い…!!しかも妖力も、霊力も、電力も空っぽだ…!!最悪すぎるぅ!!だが…それもここの管制塔から電力を吸い出せばいい…何より!!お前らの様な搾りカスなんてこの力だけでねじ伏せれるんだよォッ!!」

 

 虚ろなエレクトロの、カレンの片目が見るに耐えないシンを映す。

 そんな彼の姿は、どこかおかしな気配を漂わせていた。

 

———どうしてだ?

「あん?」

 

 

 

 エレクトロの叫びを聞いて、シンの中で激情が沸々と沸いていく。

 

 

 

何故生きてる?

大人しく死んどけよ

 

 

 

 感じた事もない様な感情が背筋を駆け上る。

 悲しみも、驚愕も抜き去って主張する思いが爆ぜていく。

 

 

 

本当に最悪だ…こんな醜い感情が出るぐらいにはなぁ…!

俺もだ…本当にムカつくぜ…!

 

 

 

 ———怒り。

 カレンごとエレクトロを殺してしまいたいほどの憤怒。

 最早シンに、シン達にそれが抑えられる訳が無かった。

 

 

 

「「殺す、殺してやるよエレクトロ」」

 

 

 

 シン達の身体が脈動を繰り返し、狂気的な気配がその身から溢れ出す。

 

 それは怒りそのものに適応するシン達の身体。

 赤い狂気をその身に宿すその巨躯。

 

 しかし、彼らにとって殺すではこの怒りを表現するに足り得ないと直感し、言葉を訂正した。

 

 

 

「「いや…違う」」

 

 

 

 顔を抑え、踏み出せなかったはずの一歩を踏み出すシン達。

 バグが起きたかの様に黒い身体の一部が血濡れて赤く染まり、力が漲っていく。

 

 まるで、今までとは違う存在になったかの様な。

 

 

 

「「俺達が…いや、俺が———」」

 

 

 

 異常への適応は、彼らを別の存在に。

 なり得ない筈の姿に書き換えて行く。

 

 そして、浮かぶ感情はただ一つであり、彼は顔をエレクトロに向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———虐殺してやる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、エレクトロの視界から彼の姿が残像を残して消えた。

 

「ッ!?」

遅い、遅いぞクソ野郎

 

 声はエレクトロの後ろから響く。

 聞いた事もない様な悍ましい声だった。

 

 何が起こったかも分からないまま振り向いた瞬間、彼女の身体から血が噴き出し、身体をふらつかせて足を着く。

 そんな彼女の身体にはありとあらゆる場所に赤い線が浮かんでいた。

 

「こ、この一瞬で…?なんだ…!?お前…限界じゃあ…無かったのか!?」

俺が何かなんてどうでもいい…!ただ本能も理性も叫ぶんだよ…!殺せと、虐殺しろと!!

 

 シンともヴェノムとも言えないその者の身体は耐えず脈動しており、黒と赤が混じっては反発し合うバグった様な色合いをしている。

 そしてその身体からは幾本もの触手が天に向かって手を伸ばしており、その様子は人外に近付いていることを表していた。

 

 対してエレクトロの身体は電力もすっからかんで、身体の再生すら出来ていない。

 

「はっ…はっ…ぁ…」

 

 エレクトロは恐怖を抱いた。

 シン達との戦闘中に抱いた感情と同種の恐怖だった。

 

 踵を返し、逃走を図ろうとしたその瞬間。

 

逃がさねぇよ

 

 淡々と言葉が告げられた。

 

 彼が赤い身体を変化させ、触手から変化させたムチが凄まじいスピードで彼女の足を捉え、逃げられない様に足首を縛り付ける。

 異常な膂力に足を引っ張られた彼女の身体は、凄まじい勢いで引きづり込まれ、最終的に彼の足元にまで戻されてしまった。

 

ハハハ!言い残す事は!?

「やめろ…良いのか?確実にカレン共々死ぬぞ!?」

 

 冷たい瞳で、彼はエレクトロを見下ろす。

 あるのは殺意と言う名の狂気だけ。

 処刑人にも似た気配を漂わせて、彼は一つしかない腕を天に伸ばした。

 

 瞬間、彼の腕が赤い曲刀へと変化し、続いて背中から伸びる触手の先端が鋭利に硬質化し、その矛先が怯えた表情をするエレクトロに向けられる。

 

関係無い、死ね———」

「———待って…」

 

 風を切ってエレクトロの首に向かう凶器。

 彼女の皮膚スレスレで迫った刀と触手は、か細い声に止められた。

 

 注意しなければ聞こえない様な、小さな依姫の声だ。

 

「お願いです…お願いですから…カレンを、殺さないで…」

 

 彼は依姫を見た。

 

 目を開じなから、青白い唇でヒューヒュー音を立てて息をしている。

 時折苦しそうに血を吐き、穴の空いた腹部から血が流れて、なお言葉を紡いでいる。

 

 エレクトロに腹を貫かれて、どれだけ自分が痛い目にあっても、ずっとカレンの身を案じている。

 そんな彼女が必死になって伝えた言葉に、彼は何かを感じた。

 

 狂気とは違う、温かな感情。

 

うぐっ…!?がぁ…ぁぁああああ…」

 

 その感情に名前をつける事は出来ないが、狂気に満たされた心に異物が入り込んだ事で、彼の怒りに適応した身体が崩壊しようとしていた。

 

 殺意は霧散し、蠢いていた狂気が収まっていくのを感じていく。

 赤黒い身体は黒へと姿を戻し、曲刀も、何本も生えていた触手も溶ける様に消えていく。

 

 漲り沸る力も消え、限界を超えた事でヴェノムさえも身体に戻っていった。

 

「っ!!がぁっ!!」

 

 その隙をエレクトロが見逃す筈もなく、跳ね上がってシン達に蹴りを入れる。

 くの字に折れ曲がった彼らの身体はその衝撃に吹き飛ばされ、無様に地に舞った。

 

<ぐぁ〜〜っ…!!ッ今のは何だったんだ!?何で()()()になった!?>

「知ら…ねぇ…!はぁ…はぁ…ぐっ…」

 

 一体化していた彼らの精神も完全に分離し、気を取り戻したヴェノムは立ち上がれないシンに今の現状を問い詰めた。

 しかしそれをシンが知る筈も無い。

 

 彼らに残るのは虚脱感、僅かに残った高揚感に裏打ちされたアドレナリン、ただそれだけ。

 

 彼は失った腕に目をやった。

 絞り出したかのように血がタラリと流れ、僅かに地面を濡らしている。

 

 これは止血ができていると言う訳でなく、ただ血が残っていないと言うだけ。

 なけなしの血液を垂れ流しにした傷跡がそこにはあった。

 

 再び視線をエレクトロへと戻した彼はふらふらと立ち上がり、片腕の拳を顎の前に。

 顎を少し引き、身体は中腰に。

 

「…く、ククク…さっきは驚いたが…何だそのお粗末な構えは?」

 

 それはファイティングポーズだった。

 

 片腕だけで隙だらけ、極めて不恰好。

 足は震えている。

 怯えでも武者震いでもない、ただ限界が来ていると言う身体の悲鳴。

 

 ズタボロのエレクトロでさえも嘲笑する。

 

 しかし嘲りの中でシンの思考は鋭く、槍の様に変化し、視線は常にエレクトロを仕留めていた。

 

「…」

 

 死の寸前という状況が齎す集中力。

 意識が混濁しているからこその無我の境地。

 

 彼はただエレクトロを見詰める。

 射殺さんばかりに、敵を討つかのように観察する。

  

「何だ?その眼は…?…煩わしい…!!」

 

 エレクトロが吐き捨て、拳を握り締める。

 

「まぁいいさ、ここに立つのは私たち二人だけ…クヒッ!シン!!殺してみろォ!!殺してやるからよォッ!!アヒャヒャヒャ!!」

<来たぞシン!>

「見れば分かる!」

 

 突如として場の空気が燃え上がり、彼女は叫び声を上げながら突進した。

 いくらダメージを負おうと、いくら妖力も霊力も無かろうと、やはりそのフィジカルは大妖怪であり、凄まじいスピードで手刀が振り下ろされた。

 

 簡単に人体を切り裂く一撃。

 

 シンはそれを、まるで来るのが分かっていたかのように皮膚を滑らしてギリギリで回避し、ガラ空きの彼女の腹に一撃を加えた。

 

「ガハァッ…!!」

「ぐっ…!」

 

 ダメージが大きいのはシンの方。

 まるで鉄を殴ったような感覚であり、掌にはヒビが入っていた。

 

 だがしかし、それはエレクトロも同じ事で、彼女の肋骨にヒビを入れることに成功していた。

 

 彼女はまだまだと言わんばかりに、怯まずハイキックを繰り出す。

 

「キヒャァッ!!」

 

 しかし、シンの極限まで微細化された脳にはそれがゆっくりとした風景として出力され、身を屈め、頭上にビュンと風を感じて回避した。

 

 今のシンの思考回路は研ぎ澄まされている。

 正にトラックに轢かれる瞬間、時間が緩やかに流れる現象と全く同じように、否、今のシンの状態を鑑みるに、全く同じなのかも知れない。

 

 故に、エレクトロの素人同然の動きを回避する事は簡単な事だった。

 

 ———だが。

 

「ッ!?」

<このバカ!自分の状態も分からないのか!?>

 

 またもや隙の生まれたエレクトロに拳を叩き込もうとするシン。

 この拳は…エレクトロに当たる事もなく、空を切る事もなかった。

 

 確かに腕を振り下ろした筈。

 感覚はあった、なのに手応えは0に等しい。

 

 そして気付いた。

 自分が無い方の腕で殴っていた事に。

 

 直後に感じる幻肢痛。

 

 エレクトロがその隙を逃す筈もなく、彼は顔面に拳がのめり込み、数メートルぶっ飛ばされた。

 

「…ぐぁ…!!クッソ…!!腕が無ぇと…こんな違うのか…!!」

<シン…コイツはいるか?>

「あぁ?」

 

 片腕の無いバランス感覚に苦しめられるも、何とか立ち上がったシン。

 そんな彼に、ヴェノムは黒い触手を使い、ある物を差し出した。

 

「これは…依姫が使ってた…」

 

 それは依姫の血に赤く染まったトランシーバー。

 べっとりと付着した血を見たシンは、込み上げる感情によって僅かに眉を顰める。

 どうやら吹き飛ばされた瞬間、ヴェノムが拾い上げていたようだ。

 

 そして、そのトランシーバーからはノイズと共に声が響いた。

 

『…最悪な状況ね、消し飛ばしきれなかった…いえ、奴との繋がりが強すぎた』

「じゃあどうすりゃあいい!?俺にはアイツを倒す力なんて残ってない!!カウンターもこっちがダメージを喰らう!出来てもチンタラ殴ってたら…!アイツが…依姫が死んじまう!!オラァっ!」

「うげァッ!?」

『…方法、あるにはあるわ』

 

 永琳と会話するシンなんて知ったこっちゃないと距離を詰めるエレクトロの猛攻を執念で躱しきり、足の骨を代償にして彼女にヤクザキックをお見舞いした。

 バキリと鳴った足からは激痛が走り、最早立っているのさえ辛い。

 

 それでも彼はなりふり構わずトランシーバーに叫び立て、永琳から僅かな希望を聞き出した。

 しかし、その方法の名を言う前に、永琳はシンに一つの問いを投げ出す。

 

『一つ、聞かせて頂戴…カレンと依姫を含んだ全て…どっちが大事?』

「あぁ!?」

 

 唐突に投げ出された答え。

 

 問いが朦朧としたシンの頭にグルグルと駆け回り、理解すると同時に迷い、そして気付いた。

 もうカレンを取り戻す方法なんて無い事に。

 

 彼女を取り戻す唯一の手段である依姫はダウンしてしまった。

 更に時間を掛けてしまうと彼女は死んでしまうし、エレクトロにも電力を回復されてしまう危険がある。

 

 何より、最高峰の頭脳を持った永琳が二人とも救うと言う選択肢を出さない。

 これが全てを物語っていた。

 

 そして、彼は重々しく答える。

 

「他に…方法は…?」

<あるはずだ!>

『無いわ』

 

 言葉を出そうとしても、彼の息が詰まる。

 

「…嘘ならタチ悪ぃぞ…?」

『貴方には…0%の方法を試して依姫を死に晒すと言う覚悟はある?』

 

 苦虫を噛み潰した様に彼の表情が曇る。

 

「…」

 

 数秒程度の沈黙。

 されどその時間は何時間にも等しい苦悩が含まれていた。

 

「———だったら」

 

 やがて彼は、答え出す。

 

「だったら俺は…依姫だ…それしか方法が無いなら、俺は依姫だけは死なせたくない」

<…お前の気持ちは分かる、お前は…後悔してもいいんだな?>

「それしか方法がないんだ!仕方ねぇだろっ!!」

『決意はあるようね、分かったわ…なら、今からエレクトロを管制塔に押し付けなさい!思いっ切り!壁が壊れる程!!』

「分かったァッ!!」

 

 思考停止。

 今のシンの状態を表すにはそれがピッタリだった。

 

 どんな選択肢が最善だったのか。

 それが不正解なのか、正解なのかは分からない。

 ただ永琳なら何とかしてくれるだろうという、希望的観測。

 

 ヴェノムでさえ僅かに心配するが、シンはそれを一蹴してしまった。

 そして、シンにもう一つ言える事があるとしたら、それは彼が、避け、殴って押し付けると言うことだけを考えていると言う事だ。

 

「ァァアアアア!!!」

「キヒャアアア!!!」

 

 体術なぞ知らないエレクトロが愚直に殴り掛かり、シンはそれに応える。

 叫び声を上げながら彼女の拳を間一髪で回避し、文字通り身を削りながら一撃二撃と拳を叩き込んでいった。

 

 そして、当たらない攻撃に痺れを切らしたエレクトロは思い切り拳を振り被り、正拳突きに似た俊撃を繰り出す。

 恐ろしいスピードにシンは反応が遅れたが、頬を掠めさせて究極まで威力を減らした。

 

 ビキリ。

 

 にも関わらずシンの頬から骨の砕ける音が奏でられ、抉れた様に頬が削り取られる。

 こうまでしてもエレクトロの拳を無傷で受ける事は出来なかったのだ。

 

 だが、シンはそのままエレクトロの懐に潜り込み、振り切られた腕を羽交締め、背を向けた。

 そうして繰り出されるのはエレクトロの力を利用した背負投げ。

 

「ゴハァッ!!」

 

 地面は衝撃で蜘蛛の巣状に割れ、地鳴りの様な音と苦悶の声が響く。

 そして叩き付けられ、跳ねたエレクトロを向かい入れたのは槍の様な脚撃だった。

 

「甘いぞォッ!?」

「…っ!!」

 

 しかしその一撃はギリギリで空を切り、覆い被さるように彼女は足へ纏わり付いた。

 タコに絡まれた魚の様な、ぞっとした悪寒が背筋を駆け上り、反射的に足ごとエレクトロを地面に叩き付けようとする。

 

 だが、エレクトロの方が一歩早かった。

 

「砕け散れェ!!」

 

 木材をへし折るかの様な、バキバキとした異音。

 

 彼の表情が恐ろしい程歪み、激痛による脂汗が溢れ出す。

 まるでスポンジの様にぐにゃぐにゃに潰された足は、もう使い物にならないだろう。

 

 足を潰された事で、永琳が言っていた方法も二度と実行出来ない…

 

 ———否。

 

「まだ…ッ行けるァッ!!」

「なぁッ!?」

 

 片腕しか使えない?

 片足しか使えない?

 

 ならば片腕だけでエレクトロを抑えれば良い。

 ならば片足だけで踏み込めば良い。

 

 執念の元に、彼はエレクトロに片足を抱き付かれた状態で地面を踏み砕き、爆発的なスピードをもって彼女共々管制塔に突撃した。

 

「オォォオオオオ!!!」

「ぐっ…うっ…ぅぅうう…!?」

 

 落雷の様なスピードで彼らの身体は発電所を駆け、遂に爆音を鳴らして管制塔に激突した。

 

 衝撃によって管制塔の鉄片や配線が粉雪の様に舞い、エレクトロの身体が鉄の中に沈む。

 

「ガハッ…!!はっ、ハハッ!!悪手じゃあないかそれは!?」

 

 彼女はそう言うと、配線の一つを握ると同時に身体を金色に発光させ始めた。

 それが意味するところは、充電であり、彼女の電力が充填されると同時に敗北が決定するタイムリミットであった。

 

 ここからどうすれば。

 

 そう逡巡する中、服の中に隠れていたトランシーバーが音声を発した。

 

『シン!そのまま抑えなさい!!』

 

 ———そうか。

 

 金色に光り輝くエレクトロを押さえ付けながら、彼はその考えに至った。

 

 過充電。

 それが永琳が行おうとしている事だ。

 

 発電所から全ての地域へ送られる電荷の向きを逆転させ、この管制塔に一挙に集めさせる。

 通常なら蓄えられ過ぎたエネルギーは行き場を無くし、この施設はオーバーロード、ないしは爆発を起こすだろうが、ここに電力の行き場の果てとなり得る存在がいる。

 

 それがエレクトロだ。

 

 確かに雷の化身たる彼女ならば、この都市全ての電力を吸収できはするだろう。

 しかし、能動的な吸収と強制的な吸収は全く違う。

 

 一瞬にして莫大な電流を流し込まれるなら、間違いなく彼女の身体は許容量に達し、想像に難くない最後を迎える筈だ。

 

 そして、思考が巡り終わった瞬間。

 視界の端に映る柱状の通信機器が光り輝き、管制塔にも目が焼かれる程の光が灯された。

 

 キィーン、と。

 耳を劈く電子音が流れ、シンは終わりの時が近づいて行くのを感じる。

 

 刹那。

 管制塔の表面に紫電が流れ、シンの目に可視化出来るほど暴れ狂う電気の濁流が、エレクトロの握る配線を通してその身体に殺到した。

 

 ———しかし。

 

「あばっ、あばばば!!こっこれは…!!まずっ!まずい!!」

『っ!?っそんな!?流し切れない…!?』

 

 青白いスパークが暴れ、滝の様な火花が散る。

 

 いくら待ってもエレクトロの身体が爆散する事はなく、流れたのはエレクトロのくぐもり途切れた声と永琳の焦燥の含まれた音声だけ。

 

 けたたましく電流が迸る中、シンだけはその理由が薄明を見つめるかの様に、うっすらと解った。

 

(配線が…電流を通す配線が足りないのか…!?)

 

 今、エレクトロと電力を繋いでいるのは彼女の掴む数本の配線だけ。

 たったの二本三本でこの都市全ての電力を一挙に吸収させる事など出来る訳もなく、彼女の瞬間許容量ギリギリの所までしか行く事が出来ていなかったのだ。

 

 つまり、今エレクトロを殺す事が出来るのは。

 エレクトロを管制塔に押し付けた際に飛び出た配線の幾本を彼女に叩き込める、シン達だけ。

 

 シン達が、シンが決断を下さねばならないのだ。

 

「…!!」

 

 しかし重大な問題を忘れている。

 それは決断を下す為の手段が、腕が無い事だ。

 

 今エレクトロを抑えている腕を使おうにも、離した瞬間に彼女は何かしらのアクションを起こすだろう。

 そうなってはもう止める手段は無くなる。

 

 かと言って、何とか足を使おうとしても片足が粉砕されているのだ。

 これでは踏ん張るので精一杯。

 

 しかし、彼の胸中は焦りと言った感情があるにせよ、無意識的に今の状況と全く逆の感情が渦巻いていた。

 

 それは、安堵。

 

 なぜその感情が湧き出たのかはシンでさえ分からない。

 もしかしたら、彼にエレクトロを殺す覚悟がここになって揺らいだ…いや、元々覚悟なんて決まっていなかったのかも知れない。

 

 ただ、永琳の言う通りにしようとしていただけ?

 責任の在処は自分には無いと思い込んでいただけ?

 

 殺すと言う事の責任が、殺害不可能と言う肩書きを持って消滅したから?

 

「ぐぅぅぅ…!!」

 

 彼は、迷う。

 自分は、どうすべきか。

 

 ———いや、どうするも何も、どうすることも出来ないじゃねぇか…そんな手段も、腕も…

 

 その時、ヴェノムの声が頭をつんざいた。

 

<シン!逃げようとするな!何もしないでグスグズするのはお前の仕事じゃない!!>

「…ッ…!」

 

 ギリ、と、彼と奥歯が音を立てる。

 

 次の瞬間、彼の無くした腕から漆黒の腕が生えた。

 それはヴェノムを纏った状態の黒腕よりも細く、しかし同等に刺々しい。

 

 まるで人間のために、シンのために作られた義手だった。

 

<オレにはもう手段を与える事しか出来ない…出来る事ならお前の代わりに決断を下してやりたい…!お前が修羅の道を辿るのを黙って見ているしか出来ない…!だからシン、オレはお前の選択を責めない!絶対にな!!>

 

「…クソ…クソ!クソッタレ!!」

 

 ヴェノムの言葉を聞いて、シンは狂った様に悪態を吐く。

 怒りにも似た感情、もしくは諦めの感情に動かされるまま、彼は黒腕をエレクトロに振り下ろした。

 

 舞い散る鉄の破片と叫ぶ紫電。

 

 脱出しようと身体をくねらせていたエレクトロは、彼の黒い拳によって頭から管制塔に沈み込み、彼の刺々しい腕の隙間からカレンの瞳がシンを虚ろに移す。

 続けて彼は自由になった片腕で赤、青、黄色の鮮やかで、吐き気を催す導線を掴み取った。

 

「〜〜〜ッ…!!」

 

 この手をエレクトロに叩き付ければ、全て終わる。

 確実に。

 

 ———本当にそれでいいのか?

 

 バキリと奥歯が砕ける。

 歯を噛み締め続けたために。

 

 しかしそれも気にならない程にシンの頭の中は混雑していた。

 最早それは混乱と言っていい程に。

 

 ズキズキと頭が痛みながらも。

 迷い、紕い、逡巡し、躊躇い、猶予し、苦悩し、渋り、戸惑いながらも。

 

 拳を構える。

 

「許してくれ…カレン…」

 

 負の感情が入り混じり、ぐちゃぐちゃな表情で、彼は拳を振り下ろす。

 

 その時である。

 か細く今にも消えてしまいそうな声が空気に浸透した。

 

 反応した腕がエレクトロギリギリの所で止まってしまう。

 

 ———カレン。

 

 恐らく、そう言ったのだろう。

 他ならない依姫が。

 

「クソ…クソ…クソォッ!!」

 

 いくら腕に力を込めても、吹雪に曝されたかのように腕は固まり、動かない。

 鉄になったように重く、氷になったように冷たい。

 

 嗚咽のような息が喉から溢れ出し、ズキズキと頭が万力で締められたように痛んだ。

 

 この手を突き出せば全て終わるのに、終わってしまうのに、終わってくれるのに。

 依姫の顔が、想いが、頭を貫いて離さない。

 

 その時、今度は依姫の声とは違う、しかしそれでいてか細い声がシンに届いた。

 

「…シ、シン…」

「ッカレンか!?お前はカレンかッ!?」

 

 声の出どころは今抑えているエレクトロ…いやカレンから。

 虚だった瞳が僅かに光を帯び、押さえつけるヴェノムの指の隙間からシンを力無く見つめている。

 

 その瞳には何処か、諦めと、懺悔と、感謝が含まれているようにシンは感じた。

 

「ごめんなぁ…私が…私がもっと強くあったら…」

「違う…違うんだよカレン…!俺のせいだ…!!」

 

 エレクトロの抵抗は収まらない。

 つまり、彼女が身体を取り戻せていないと言う事は明白だった。

 

「やってくれ…シン…全部、見ていたんだ…依姫が倒れるのも、私が殺される方法も…私は…」

「駄目だ…出来ない…!!俺には出来ないんだよ…!!」

<シン!!>

 

 ヴェノムがシンを叱咤する。

 しかし言葉を紡いだのはカレンだった。

 

「………私は恨まないさ…むしろ感謝してる、まるで今まで夢みたいだった」

「止めろ…!!そんな事を言うな…!!」

 

「…お前に負けたあの日から…私の人生は色を取り戻したんだ…」

「止めてくれカレン…!!」

 

「だから…夢はもういい…依姫を、お前達を殺してまで見ていたい幻想なんて…いらないんだ…」

「死にたくないって言えよ…!!馬鹿野郎…!」

 

「…ハハ…分かるんだよ…私の魂…もう…変質しきってる」

 

「今喋ってるのも…限界なんだ…」

 

 エレクトロの反抗する力が強くなり、ビキリと腕が鳴る。

 

「恨まない、だからシン…私が…依姫を殺しちまう前に…やってくれ」

「せめて…俺を恨んでくれ…!!」

 

 せめて贖罪にと。

 彼は言葉を吐き出した。

 

 しかし。

 

「馬鹿な奴だな…私に光を見せてくれたお前に…どうして…恨む必要がある…?」

「ぐぅ…!ぅぅぅうう…!!」

 

「お前が目標になったんだ…お母さんが全てだった私に別の道をくれたのは、お前だったんだ…ありがとう…!」

「礼なんか…俺に…言わないでくれ…ッ!」

 

 短く、カレンが息を吐いた。

 

「言いたい事はこれで全部だ…さぁやれシン」

「クソ…」

 

 腕は動かない。

 

「クソ…!」

 

 後悔が洪水のように溢れ出る。

 

「やれと言っているんだ!!」

「クソッタレェェエエエ!!!」

 

 カレンの言葉、シンの怒号を最後に、空へバキンとした音が広がった。

 薄暗い薄明が照らすのは、エレクトロの身体へ叩き込まれたシンの拳。

 

 その瞬間、全ての電力とエレクトロの回路が構築され、電気の濁流が彼女に流れ込んだ。

 衝撃にシンの身体は吹き飛ばされ、ゴロゴロと地面に転がる。

 

 けたたましい程に彼女の身体が光り輝き、絶叫が辺りをつんざいた。

 

「ぁッ!ぎぃ!ギィャアアアアアアッ!!!」

 

 エレクトロは逃れようと空に手を伸ばし、身体を電子化させようとするが、何本にも及ぶ電気の鎖が彼女を縛り付けて離さない。

 

 蒼い体は赤く、灼熱のように燃え、ビクビクと震える。

 

「おのっ!己ェッ!!シン!!依姫!!貴様らァァアアッ!!!」

 

 エレクトロは痙攣を遥かに超えたレベルで振動させる腕をシンに伸ばし、掴み取ろうと指をくねらす。

 まるでそこに希望が残っているかのように。

 まるで絶望から逃げていくように。

 

 その瞬間、シンは頬に熱い何かが付着したのを感じた。

 

 すぐにそれが何かは分かった。

 涙だった。

 

 彼は形容し難い表情で彼女を見る。

 

「シンンンンン"ン"ッ!!!オオオアァァァアアッ!!!」

 

 彼女のたった一つの目からは、涙が溢れていた。

 しかしそれは電流に焼かれ、すぐに蒸発してしまう。

 

 申し訳無さが溢れ出る瞳、されどそこにはたった一つの言葉が表されていた。

 そして、彼女は最後に溢す。

 

『ありがとう』

 

 直後に彼女の身体は風船が破裂したように破裂し、大爆発が起きた。

 

 炎を伴っていない、しかし威力は相当のもので、付近にいたシンの身体は更に吹き飛ばされ、爆風が撒き散らされていた。

 

 数秒後。

 

 爆発は止む。

 

 残されたのは、指一本動かせないシン達と、倒れ伏す依姫と、バラバラになった配線の残骸。

 そこにはどこにもエレクトロの姿は無かった。

 どこにも、カレンの姿は無かった。

 

「ぁ…ぁああ…」

 

 突如として訪れた静寂に、彼の声が木霊する。

 

「ぁぁぁぁあああああああああああああああああああああッッ!!!」

 

 誰も救われなかった戦場で、彼の慟哭が激しく響いた。




奴隷です、ご拝読ありがとうございます。
これにて操りの大妖怪編は終わりとなります。
そして物語は遂に加速し、次なる時代へ突入していくでしょう。

ついでに私曇らせ大好きだからカレンちゃん殺しちゃいました、てへ。

ここからシン君と依姫ちゃんの鬱展開を思うと………ふぅ…

カレンが助かるifが欲しいならコメントにでもお書き下さい。
お書きしましょう、えちちなシーンでも添えてR18版に。

登場人物紹介っている?

  • やってくれ 必要だろ(いる)
  • それは雑魚の思考だ(いらない)
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