東方修羅道   作:おんせんまんじう

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ゆっくり仕り給え。


第四十話 血濡れの八つ当たり

 

「…」

 

 ふと、男の目が開いた。

 淀んで、灰色で、鬱屈した瞳だった。

 

 彼は力の無い瞳でぼうっとタイル状の天井と電気の付いていない照明を見つめたあと、やがてむくりと上半身を起こし、無くなった腕を掴もうとして、空を切る。

 彼はぼんやりと無い腕を見つめ、数秒後にそのまま項垂れた。

 

 ———彼は規則的に並べられているベッドの一つに居た。

 彼の他には誰も居ない。

 無機質で、ひたすらに静かだった。

 

 そして彼には真っ白いシーツが下半身に掛けられ、顔から下は服では無く包帯が巻かれている。

 流石に下着とズボンは穿かされていたが。

 

 彼は目だけを動かし、側の窓から漏れる光を見た。

 

「…」

 

 申し訳なさげに顔を覗かせる朝の光。

 

「黙れヴェノム…喋るな…」

 

 彼は誰に向けたでもなく、強いて言うなら自分の中に居る住人に独り言ちた。

 

 頭の中のそれが、彼に何を言っているのは知り得ないが、彼がその言葉を受け入れているわけでは無いのは確かだった。

 一言漏らした後、彼は力尽きたかのように黙りこくった。

 

◆◆

 

 それから、数分が経った。

 何も起こらず、何も起こそうとしなかった。

 

 ギギギ、と鳴るようなぎこちなさで彼はカチカチ鳴る時計を一瞥した。

 壁にかけられた、少し小洒落たアナログ時計である。

 時刻は4時27分32秒を指していた。

 

 カチ、カチ、カチ。

 秒針に合わせて彼の目は機会的に動く。

 

 まるでそれが人生の目的であるかのように、一心不乱に彼の目は時計の針を追う。

 

◆◆

 

 扉が静かな音を立てて開かれた。

 

 突然の来訪に、彼の身体がピクリと反応し、暗い瞳が扉へと向けられる。

 

「…起きたのね」

 

 暗い部屋にオレンジ色の光が侵入している。

 現れたのは銀髪白衣の医者、八意永琳だった。

 照明の光を反射する艶めかな髪と対照的に、その顔は陰っており、見るからに気まずそうだ。

 

 声に構わず、彼は再び時計に視線を戻したが、ふと、その秒針はいつの間にか6時を指していた事に気付いた。

 

「シン…」

 

 彼、シンは彼女の言葉に応えない。

 まるでそこに存在している事に無頓着な様子だった。

 

「…やっぱり、ごめんなさいね…貴方にあの選択を強いたのは———」

「後悔なんかしていない、俺は」

「…え?」

 

 起床から約二時間、一言も喋らなかった彼は遂に言葉を発した。

 永琳の瞳孔が僅かに開き、何処か期待の色を顔の裏に忍ばせる。

  

 カチ、カチ、と、時計の針が静かに時を刻み、彼は続けた。

 

「俺は後悔しない、していない…何も思ってない」

 

 彼の言葉は永琳に向けられていない。

 

 彼の言葉の矛先は彼自身に向けられている。

 つまるところの自己暗示。

 

 それが分かった永琳は一転して眉を顰め、苦々しい表情をとったその時、彼は首を彼女に向け、底無しの沼の様な瞳で彼女を射止めた。

 ギロリと睨みつけた訳でもなく。

 チラリを一瞥した訳でもない。

 

 トカゲがこちらを見つめる様な、冷たい瞳だった。

 

「だから俺に関わるな、喋りかけるな…一人にさせてくれ」

「…私に、貴方を止める資格なんか無いわよね…」

 

 彼はゆっくりとベットから起き上がり、ふらふらと立ち上がる。

 腕のせいでバランスを狂わせながらも彼は幽霊の様な猫背で踏み出し、永琳の横を通り過ぎて部屋を出て行った。

 

「…」

 

 彼女は思い詰めた表情を見せた後、彼を振り返る。

 しかし、彼は既に角に消え、何処かに行ってしまった。

 

◆◆

 

 朝の早朝だからか、幽鬼の様にふらふら歩く彼とすれ違う者は居ない。

 

 肌寒い空気の中、髪の毛に隠れた灰色の瞳が昏く前を見据えている。

 まるで倒れ込まないように足を前に出しているだけかの様な、重たい足取りだった。

 

 目的地もぼんやりしたまま歩いて。

 歩いて歩いて。

 

 無限にも思える様な道を歩き、彼は一つの角を曲がった。

 

「あっ…」

「…」

 

 運命の悪戯。

 そうとしか言えなかった。

 

 角を曲がった先。

 一直線に伸びた廊下の先に、彼女の姿。

 

 松葉杖を突いて、沈んだ表情でこちらに向かってくる依姫が居たのだ。

 

 腹をぶち抜かれた筈の彼女が生きていることを嬉しむべきか。

 曲がりなりにもヴェノムの様に一瞬で治せない怪我をしてしまったことを悲しむべきか。

 

 どちらにせよ、彼女を見た瞬間、彼は———

 

「…っ…」

 

 駆(・)け(・)出(・)し(・)て(・)い(・)た(・)。

 

 真後ろに。

 そう、彼女と反対方向に。

 

「あっ、待っ———」

 

 か細い声なんて彼を止める理由にならなかった。

 なれなかった。

 

 身体の悲鳴も、依姫の呼ぶ声も無視して、我武者羅に走る。

 彼女の松葉杖がガシャンと音を立てて倒れる音がつんざいたが、それすらも無視して彼は走り続けた。

 

◆◆

 

「はっ…はっ…はぁっ…!」

 

 誰かにぶつかり、怒号の音。

 

 誰かにぶつかり、泣き声。

 

 誰かにぶつかり、伸ばされた手を振り払う。

 

 彼は全てから逃げる様に走って行った。

 

◆◆

 

「はぁ…く…そ…はぁ…」

 

 そうしてたどり着いた先は、暗い、昏い、森だった。

 

 瞳孔が震え、脂汗が草を濡らす。

 冷たく湿った木に背を預け、彼は数分の間、頭を抱えて体育座りに座り込んだ。

 

 虫のか弱い演奏が耳に入り込む。

 風が草木を揺らし、彼の頬を撫でる。

 

 現実逃避にはうってつけだった。

 

「…?」

 

 しかし、時は彼に休息を与えない。

 

 危険が蔓延る森へ身を投げ出したのだ。

 じっとしていれば妖怪に見つかってしまう。

 

 無論、妖怪に対して何の対策もしていなかった彼は無防備であり、数匹の妖怪が姿を現した。

 

「グルル…ッ!」

 

 喉を鳴らしながら現れたのは黒い体毛、真紅の瞳が煌めく狼の群れ。

 奇しくも彼が初めて会った妖怪と同種の物だった。

 

 唸り声を上げながらジリジリ近寄る黒狼の群れ。

 よだれがポタポタ滴り、ただの狼の変身もしていない事から余程目の前の獲物に油断していると見える。

 

 そんな黒狼の血走った瞳に、彼の姿が鮮烈に映る。

 

「…五匹…か…」

 

 彼は焦る事なく、腕の隙間から妖怪の頭数を数えると、ゆっくりと立ち上がった。

 

「憂さ晴らしには…うってうけか…」

 

 彼はそう吐き捨てると、小さく息を吐き、上半身の包帯を掴んだ。

 沈んだ彼の気配が昂揚し、瞳に熱が帯びる。

 

「ヴェノム…少し付き合え…!」

 

 ビリビリと上半身の包帯を破り散らし、風のままにそれを放り捨てた。

 姿を現した彼の肉体は傷跡に塗れている。

 

 特に胸には痛々しい火傷の跡が残っており、まるで古い石像の様な鈍い輝きを放っていた。

 

 そんな彼の身体を黒い粘液が覆い尽くし、無い四肢に黒い腕が形作られていく。

 

「———ずっと無視しやがって!いいか!?やったら戻るぞ!!それで謝りに行け!」

「…」

「だんまりとはお前らしくないな!」

 

 顕現したヴェノムが怒気を強めて彼に言いかかるが、彼はうんともすんとも言わない。

 シンを纏うヴェノムが歯軋りし、気分が悪そうに唸り声を鳴らした。

 

「はぁ…仕方ない奴だ…!」

 

 その時、待ちきれないと言わんばかりに妖怪の一匹が彼ら目掛けて突進した。

 

「取り敢えずお前に任せてやる!話はその後だ!!」

「それでいい…!!」

「グルルルァ!!」

 

 よだれを垂らし、一直線に猛進する黒狼。

 その目に敗北の気配なんて物は存在せず、ただただ獲物を捉える喜びが爛々と光っていた。

 

 しかし、距離にして約三メートル。

 

 目の前の黒い人間の気配が変わったのだ。

 まるで、妖怪が人間を襲う時の、あの愉悦。

 

 俺達自身がいつも抱いていたこの感情を。

 ———何故、お前が…?

 

 疑問を感じたその瞬間、黒狼の視界が割(・)れ(・)た(・)。

 まるで空間に亀裂が入ったかの様に。

 左目はドス黒い曇天を、右目はあの獲物を。

 

 更に駆け出した身体の制御が効かなくなり、黒狼の体はスライディングしながら黒い人間の足元に転がる。

 

 ———どうなっている…?

 

 疑問のまま黒狼は割れた視界の一つを頭上の彼に向けたが、瞬間黒狼の視界は黒く染まり、意識も深い闇に落ちた。

 

◆◆

 

「グルルルァ!!」

 

 ああ。

 ヴェノムを纏った興奮。

 戦闘がやって来る昂揚。

 

 これだ、この感覚だ。

 この気分が欲しかった。

 

 牙を剥き出しにして襲って来る黒狼が全てを忘れさせてくれる。

 俺を闘争の渦に惹き込んでくれる。

 

(楽しい…楽しい…!)

 

 暗い感情なんて激闘のゴミ箱へ。

 ドクドク心の臓が脈打ち、迫り来る黒狼についつい頬の肉が吊り上がる。

 

(来いよ…交戦的な奴は大好物だ…!!)

 

 理性なんてカケラも無い黒狼の突進。

 風を纏っているかの様な速度に目が追いつかなくなりそうだったが、それよりも早く俺は行動を起こした。

 

 瞬時に硬質化させた腕を、振る。

 たったそれだけ。

 

 しかし狼妖怪にはその残像を捉えることすら出来ないだろう速度。

 

 ビュンと風が吹き、木々の歯を揺らすと同時に突進していた黒狼に亀裂が入った。

 それは鼻先から始まり、眉間へ、肩へ、尻尾の付け目へと広がり。

 

 遂に尻尾の先まで亀裂が入ると、狼の体は真っ二つに割れ、制御の付かない体が慣性に従って足元までスライディングしてきた。

 ソイツはまるで自分が真っ二つになった事に気付かない様で、恨みがましく片目をコチラに向ける。

 

「ハハ…ッ!!」

 

 俺は迷わずその瞳を踏み砕いた。

 脳髄が弾け飛び、血飛沫が舞い、ぐっちょりとした感覚が足を伝うが、反対的に俺の気分は晴れ晴れとしていた。

 

 思うに、これは仇討ちの様な感情なのかも知れない。

 友人(カレン)を妖怪(エレクトロ)にめちゃくちゃにされた、だから俺は妖怪を殺す。

 そんな理屈が頭を支配していたのだ。

 

「ハハハッ!」

 

 俺は再び足を上げた。

 ぐちゃぐちゃでピンクとレッドの混じった気色悪い液体が足裏に粘り付いている。

 それを確認した俺は、躊躇せずにまた足を振り下ろした。

 

 びちゃんと、飛沫が舞う。

 時々ぐりぐりと足で擦り潰し、ミンチを作り出していく。

 

 何度も。

 何度も何度も。

 

 視界の端にいた妖怪共は、ポカンと俺の足を見つめた後、憤怒の表情で俺を睨み付けた。

 この反応は二回目、やはり仲間思いだ。

 残虐な妖怪の癖に。

 

 俺は足元の脳のミンチと粉々になった真っ白の骨を蹴り飛ばし、妖怪共に向き直った。

 

「クク…クハハハ!!来いよ!!死にてぇ奴から来いッ!!俺が虐殺してやらァッ!!!」

「ゴル"ァァアアアアアッ!!!」

 

 先頭の狼が怒りの咆哮を上げ、残った四体の内、正面の二体が俺に向けて突撃してきた。

 他の二体は左右に散開し、紅蓮の瞳が俺をしっかりと捉えている。

 

 やはり、速い。

 特に前方に迫る黒狼共のスピードはスポーツカーに匹敵する様に思われる。

 

 だが、その程度。

 一人で突っ込んで真っ二つになったのを覚えていないのか。

 

「グルゥ!!」

「むっ…!?」

 

 呆れを感じると同時に、俺は目の前に迫った二体の黒狼に身構えたが、黒狼は俺に飛び掛かろうとはしなかった。

 むしろ逆。

 急ブレーキをかけ、その勢いを利用して砂塵を俺にぶつけたのだ。

 

「———いいじゃねぇか」

 

 すぐに目の前は濃霧の如く遮られ、黒狼共の行方を見失ってしまった。

 しかし、何をしようとしているかは分かる。

 

 先鋒部隊の陽動兼目眩し。

 からの———

 

「混乱した相手に挟撃…ってところか」

「ォ…グェ…!?」 

「ギャッ!?」

 

 砂煙を引き裂いて姿を現した不意打ちの二体。

 読み通り、そう感じた俺は焦ることはせず対処した。

 

 右、噛みつきを用いて攻撃しようと大口を開ける黒狼に、まるで竹串を魚に刺すかの様に、手刀で口から貫く。

 左、長く鋭い爪を振り下ろさんとする黒狼には、ソイツの頭を握り取り、行動を阻止する。

 

「犬畜生には考えが足りなかったなぁ、勉強になったか?」

「ア…アギャ!ギャッ!!ギャアアアアッ!!」

 

 振り抜かれた爪が俺の顔スレスレを通り抜け、苦しそうに黒狼達が呻いた。

 胃まで腕が貫通している狼に至っては白目を剥いてビクビク痙攣し、口端からゲロを吐いている。

 

「授業料は命だけどな」

 

 俺はハリセンボンの様に右腕を変形させ、痙攣する狼を内側から串刺しにした。

 続いて左腕に力を込め、暴れる狼の頭がミシミシと音を立て始める。

 

 狼は激しく悶え、バギンと頭蓋の砕けた瞬間、脳を守る物は無くなり、ブチュリと狼の頭は俺の掌に消えた。

 途端にダランと黒狼達は脱力し、そして俺は腕の変質化を解除し、串刺しになった狼を振り払った。

 

 未だ舞い上がる砂塵を自由になった手で掻き消し、頭の潰れた狼を口元に持っていき、頭ごと喰らう。

 黒狼を咀嚼しながら出てきた俺の姿は奴らにとって悪魔の様に思うのだろうか。

 

 咀嚼、ゴクンと喉を鳴らし、多少の満腹感。

 

「さて、後二匹だな?」

「グル…」

 

 冷や汗を垂らし、後退りする黒狼共。

 奴らは互いに目を合わせた瞬間、踵を返し、真後ろへ一直線に走って行ってしまった。

 

 要するに、逃げ、である。

 

「まぁ、逃さねぇけどな」

 

 俺はペロリと舌舐めずりし、かの黒狼達を追った。

 

◆◆

 

「ハッ、ハッ、ハッ」

「グルゥ…」

 

 森の木々を疾走し、息を切らしながら逃げるのは二体の黒狼。

 彼らはただ逃げている訳ではなく、曲がりくねって進路を変えたり、協力して足跡を消したりと、その逃走ぶりには目を光る物がある。

 

 何度もフェードインし、フェードアウトする木々を抜け、やっと撒いたか、そう感じるほど走った黒狼はゆっくりとそのスピードを落とした。

 

「…?グルル…」

 

 しかし停止した瞬間、ある事に気付く。

 それは、もう一体の仲間が居ない。

 

 ついさっきまで隣に居た、じゃあどこへ…?

 瞬間、音が爆ぜた。

 

「ギャんッ」

「ッ!?」

 

 黒狼と黒い毛に鮮血が付着し、驚いた黒狼は音の爆心地から直ぐに遠ざかった。

 そこにあったのは、蜘蛛の巣状に割れた地面、骨が粉砕されペチャンコになった同胞と花のように咲く血の池。

 

 黒狼には何が起こったのか、何故起こったのか全く分からなかった。

 撒いたはず、逃げ切れたはず。

 なのに現状は追いつかれ、仲間がまた一人減った。

 

 その事を認識した最後の黒狼はある感情に支配されつつあった。

 

「お前が最後か…ハハハ…!暇潰しにはなったぜ」

 

 空から降ってきた黒の巨人。

 ズドンと音を立てて着地し、鞭のような物を体内に収納し、黒狼の目の前まで迫る。

 

 黒狼の身体は動かなかった。

 それは初めて感じる恐怖ゆえに。

 ただ歯をカチカチ鳴らし、怯えていた。

 

 漏れる太陽を遮り、かの化け物は手を伸ばす。

 

「クハハハッ!!あの大妖怪もこうしてやりたかったぜ!クソがァッ!!」

 

 ろくに抵抗しない黒狼を強引に掴み取り、彼はその頭を躊躇無く噛みちぎった。

 ダランと琴切れた黒狼を放り投げ、彼は周囲を見渡す。

 

 赤かった。

 緑の木々に血が付着し、酷く気持ちの悪い空気が溜まっていた。

 血の匂いが充満していた。

 

 彼にはそれが心地よいものに感じた。

 

「これが俺の居場所だ…!戦闘こそが…全てを忘れさせてくれる!!」

「キキキキ…」

 

 血の匂いに釣られて、数匹の妖怪が姿を現す。

 木々の裏から、地面の下から、あるいは空から。

 

 しかし彼は牙の生え揃った口をニィと裂かせ、呟いた。

 

「来いよ」

 

 途端に襲い出す妖怪の群れ。

 その数は十数体。

 

 対する彼の胸中は愉悦、ただそれだけ。

 彼はその全てを叩き潰す為、鬼神の如き表情で彼は応戦した。




御拝読、有り難き幸せ。

登場人物紹介っている?

  • やってくれ 必要だろ(いる)
  • それは雑魚の思考だ(いらない)
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