東方修羅道   作:おんせんまんじう

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ゆゆっくり! また遅れてすみませんのぜ!


第四十八話 最初で最高、最後で最低

「…っ!大丈夫だよな依姫っ!!」

「まだ…まだいけます!」

 

 平野戦とは打って変わっての森林戦。

 相手に視認されない状態、かつ、木々によって進行も妨げるゲリラ戦。

 

 負傷していた隊員にも好都合なこの状況だったが、シンと依姫は隣合わせの状態で大群と戦っていた。

 そちらの方がより多くの妖怪を倒せるからである。

 

 しかし、出血多量の二人。

 いずれミスは起こってしまう。

 

「———あっ」

 

 踏み込みすぎた依姫。

 シンと同じ様に集中を欠いた行動だ。

 

 幾重に並んだ妖怪の牙が顔を覆い、生臭い吐息に思わず息を漏らす。

 

 死ぬ。

 思考が、真っ白になる。

 

「っ危ねぇっ!」

「…っ助かりました!」

 

 次の瞬間、依姫はシンに手を引かれ、代わりに妖怪の顎門は何も無い空間を八つ裂きにした。

 依姫は冷や汗をかき、己の不甲斐無さに唇を噛む。

 

(もっとちゃんとしないと…)

「依姫っ!後悔なんてしなくて良い!今はただ…戦いの事だけを考えろォッ!!」

「…!」

 

 心を見透かした様にシンが叫び、その手に持つ獲物を振るう。

 依姫がなけなしの力で創り出した金山彦命(かなやまひこのかみ)の大剣だ。

 

 恐ろしい腕力を持つシンに最適で、掃討戦向きの武器。

 同時に扱いも難しい武器だったが、適応の能力を持つシンにはあまり関係の無い事だった。

 

「だりゃぁっ!!」

 

 踏み込み。

 割れる地面。

 

 振るう大剣。

 真っ二つになった妖怪。

 

 どこか情報がマトモに頭は入らず、ただ刹那的な情景が流れていく。

 それはきっと、依姫もだ。

 そうでもしないと集中が切れる。

 

 鋭利な殺意、尖った本能、そしてそのスパイスに信頼関係。

 それだけだ。

 返り血で視界が滲む二人は、それだけの感覚を頼りに妖怪を切り刻んでいった。

 

愛宕(あたご)様…ッ!」

「ぶっ潰れろォッ!!」

 

 神の炎が大剣に纏わり付き、続けてシンがその赤く染まった大剣を振り下ろす。

 すると炎はハエ叩きの様に姿を変え、妖怪共を押し潰し、焼き殺そうと炎の唸りを上げた。

 

 シンが繰り出したのは個の一撃では無く、面の一撃である。

 単なる薙ぎ払いで倒せるのは数体が限度。

 

 だったら範囲攻撃だ。

 

 さらにこちらの方が依姫にとっても能力の燃費がいい。

 

「っ何分経った!?あと何分耐えればいいっ!?」

「戦い初めてから二十分程度です!あと数分前後!!」

「っおしっ!死ぬ気で行けばいけるぞ!」

 

 彼は大剣を握る力を強め、口角を上げる。

 依姫の身を挺した一撃のお陰で、ギリギリ持ち堪えれそうだ。

 

 そう確信した瞬間、()()が真横を通り抜けた。

 

「———あっ?」

 

 直後に半身を切り裂く烈風。

 巨大な爆発音。

 

 幸い依姫はシンと彼の持つ大剣が盾となる形で負傷を防いだが、その顔はポカンとしている。

 

「っう…ぐぅうう!いってぇっ!ックッソ!!今度はなんだ!?」

「分かりません…事実だけ伝えるなら…前方からレーザーの様な竜巻が飛んできました…!そして…後ろの壁が…!」

 

 シンが依姫の言葉を待たずに振り返ると、漸く恐ろしい事態に気付いた。

 シンですら破壊することは困難と思われたあの、巨大な白壁が。

 

「…っな…!?なっ…なんだと…!?」

 

 ()()、している。

 

 外見は辛うじて壁としての機能している、だが、防御力は大幅に落ちただろう。

 そしてそれは、今度の作戦に重大な被害を齎す事を暗示していた。

 

「…これじゃ…ロケットが離陸出来ない…っ!」

 

 そう、ロケットの離陸、だ。

 隊員達を乗せた無防備なロケットを守るのはあの白壁しかない。

 

 ヒビの入った防波堤で大津波を止められるか?

 答えは否だ。

 ロケット離陸にかかる時間は数分。

 

 これでは、絶対に耐えられない。

 

「…落ち着けよ依姫…焦った所でアレが元に戻るわけじゃあない…!ただ信じるだけだ、妖怪達が壁を超えない事をな」

 

 至って冷静に、シンは言う。

 それは後に訪れる彼の役目を考えれば、彼にとって白壁の破損は些細な問題でしかなかったからなのかもしれない。

 

 それに、彼にとって最も重要な問題はそこではなかった。

 

「それに問題はそこじゃあない…問題は…()()()()()()()()()か、だ…!あのレベルの攻撃…少なくとも大妖怪以上だ…!」

「…!…っ間違いなくエレクトロ以上ですよ…!?一体…誰が…!?」

「さぁな…だが、まずは目の前の妖怪だ…!さっきの攻撃で相当数消し飛んだが…こっちの被害もどれくらいか分からん…!」

 

 先の攻撃で倒れ伏していた妖怪達がのそりの起き上がり、殺意を帯びた瞳でシン達を睨み付ける。

 

「…兎に角、やる事は一つですね…!」

「ああ…時間一杯、相手をしてやるだけだ…!」

 

 彼らは刀と大剣を握り締め、迫る妖怪を前に構えを取った。

 

◆◆

 

 ほんの少しだけ、時は遡って。

 コギブリの大群の様な妖怪の奥の奥。

 そこにはポツンと、妖怪が横切らない空間があった。

 

 まるで龍でもそこにいるかの様に。

 妖怪達は本能でそこに居るナニカを避けていた。

 

「ふむ…予想より遅いな」

 

 何物も近付かない空白の中心には、捻れた一本角の、ミイラの様なナニカが突っ立っていた。

 それは顎に手をやって考える仕草を取っている。

 首を傾げる動作は何処か少年少女のそれを想起させた。

 

「もう頃合いだと思っていたが…意外に耐える」

 

 顎から手を離し、ニヤリと口角を上げる。

 顔が包帯で隠されているため、具体的な表情は分からないか、少なくとも笑っている事は確かだ。

 

「少しちょっかいをかけてやろう」

 

 一言呟くと、ソレはゆっくりと、大きく拳を振りかぶった。

 限界まで、振りかぶる拳が後ろの地面に着くほど。

 

 まるでバネの様に、ギギギと音を響かせる様に、力を充填していく。

 

 異様な光景だった。

 

 戦闘ではまるで見られない構え方。

 防御の事を一切考えない、攻撃に全振りした構え。

 

「フゥ…!」

 

 ソレの細い腕に、血管が浮かぶ。

 拳を中心にぐにゃりと景色が歪み、まるで陽炎の様に揺らめいていく。

 

 物理も、常識も、この世の理の一切合切を無視して。

 

 力の権化が。

 閉じ込められた暴力が。

 

 今、解放された。

 

「シャァッ!!」

 

 それは鞭と、形容できるだろうか。

 

 いや、そんな生易しい物じゃない。

 

 形容出来るとしたら、そう。

 核爆弾。

 

 爆発したのだ、音が。

 振り抜いた瞬間に。

 

 コンマ一秒後。

 極大の衝撃波がソレの拳から生まれ、ソレの目の前を埋め尽くす妖怪達に牙を剥く。

 

 コンマ二秒後。

 圧倒的エネルギーにより妖怪は衝撃波に触れた瞬間から消し飛び、血の雨を残して消える。

 

 コンマ三秒後。

 衝撃波は波を駆け抜け、まるでモーセの海割りの如く妖怪の群れを二分化していく。

 

 そして、衝撃波の終わり、コンマ五秒後。

 真紅に濡れる森を割り、衝撃波は巨大な白壁に直撃し、その姿を消した。

 残されたのは、一直線に伸びる台風の通り道と、貫通してないにしろ、これまでに無いほど破壊された白壁。

 

「さぁ…どう乗り切る…?童ども…!」

 

 呟くソレの、捻れた一本角に、真紅の月光が禍々しく反射した。

 

◆◆

 

 土煙と怒号が空気を満たす。

 砂煙は赤い月光が反射し、まるで血の霧だ。

 

 いや、もしかしたらそれは、本当に血の霧なのかも知れない。

 

「…っ…」

 

 さっきからもう何度も意識が飛んでいる。

 叫ぶ元気も無いが、薄暗い視界の中で剣だけは振るわれる。

 三徹した後の退屈な授業の様に、眠気に襲われる、これももう五回目だ。

 

 もういいんじゃないか。

 そんな甘言が脳裏に過る。

 

 味方の上げる雄叫びの数も随分少なくなった様に感じる。

 最初の半分ほどだろうか?

 何故か、それを考えるには脳のキャパシティが限界だ。

 

 それに考えたくも無い。

 だってそれは…

 

「…」

 

 棄却。

 強引にテレビの電源を落とす様に考えを断ち切り、目の前の妖怪達に意識を注ぐ。

 

 が、しかし。

 

「…ぅぷ…げぼぁ」

「っだ…大丈夫ですか…っ…」

 

 ぐらりと視界が揺れ、吐き気と共に口から酸っぱい何かが溢れ出る。

 絞り出された様な依姫の声も何処か聞き辛い。

 

 朧げに、シンは感じた。

 

 体力が底を着いたのだと。

 いや、体力なんてとっくの昔に底を着いている。

 これは、無理をし過ぎた故の代償なのだ。

 

 身体の末端から力が抜け、急速に景色が闇に覆われていく。

 

 第一、この数の妖怪を相手取るのが間違っていたのだ。

 殺した数は千を超えた、それなのに押し寄せる妖怪の勢いは衰える事を知らない。

 

 あとどれだけの妖怪を殺す必要があるのだろうか?

 限界で、片目も片腕も使えないこの身体で。

 

「…あぁ…」

 

 スン、と、鼻腔に粘ついて気持ちの悪い霧が漂った。

 誰の血が混ざった霧だろうか。

 

 士気を挙げていたリーダーの血?

 妖怪に押し潰された隊員達の血?

 狂った様に行進を続ける妖怪達の血?

 

 じっとりと濡れる背中。

 それが気持ち悪さを増大させ、シンは落ちゆく意識の中でえずいた。

 

「…」

 

 倒れる身体。

 ふと、視界の端に、顔をくしゃくしゃに歪ませる依姫が居るのに気付いた。

 

 どうして、そんな顔をするのだろうと。

 細分化された意識の中、それが過ぎる。

 

 シンが死んだら、作戦が失敗に繋がるからか?

 それとも、自分の危機に直結するから?

 

 いや、違う。

 

 依姫のことだ、シンが死ぬ、それ自体に言いようのない絶望感を感じているのだろう。

 

 逆に。

 依姫が死ぬ様なことがあれば、シンはどうするのだろう。

 

「………分かりきってるな…」

 

 呟きは静かに喧騒へ消える。

 

 そうだ、そんな時はいつも、限界を超えてやる。

 今のままじゃ足りないから、更なる力を引き出すのだ。

 

「…っ…!」

 

 強引に足を前に出し、倒れゆく身体を止める。

 バキンと地面を割り、シンは吠えた。

 

「…ォ…ォォオオオッ!!!」

 

 突如として戦場に響く怒号。

 

 そうだ。

 

 守ると、誓ったのだ。

 約束したのだ。

 

 他ならぬ彼女の前で。

 

 ならば諦めるわけにはいかない。

 

「っちょ!?シンさんっ!?何やってるんですか!?」

「今から妖怪を荒らすッ!!全身全霊で…血祭りにしてやらァッ!!」

 

 限界を超える。

 即ちシンの能力、適応の真骨頂。

 

 先までを遥かに超える力を捻り出し、屠り尽くす。

 

「止めっ…自殺行為ですよっ!」

「がぁあああ"あ"ッッ!!」

 

 その時、シンの中の人間が姿を消した。

 

 獣の如く、血に濡れた手を伸ばして、最早牙とも言える歯を剥き出して。

 鬼神の如く、足りない血を啜って、肉の塊に喰らい付いて。

 

 爪を突き立てられれば握り潰し、牙を突き立てられれば喰らい返す。

 

 ひたすらに本能に従った。

 狼の様に常に移動し、終わらない狩りを続ける。

 抵抗として繰り出された拳すら避けず、代わりに自身の拳を繰り出す。

 

 手を振るえば妖怪の首が宙を舞う状況に、面白さすら感じた。

 

 うっすらと、シンの中の人間が目を覚ましたその時。

 シンの口には妖怪の血が溢れ、身体は真っ赤に染まっていた。

 

 しかし、それでいい。

 人間で勝てないなら、獣になるしか無い。

 

 この腕で大地を蹴ろうが、雄叫びを上げようが、勝てるなら人間性でもなんでも捨ててやろう。

 

「ハァアア…!」

 

 生臭くなってしまった吐息を吐き、次なる獲物を求めて、目をギョロリと動かす。

 次だ、もっと———

 

「シンさんっ!!!」

 

 遠い意識の中で、声が響いた。

 

「っうっ!?」

 

 突然身体が引き寄せられ、妖怪の群れが景色と共に遠くなっていく。

 一瞬、俺を引き寄せたのは誰だと、邪魔者は殺せと獣が囁き、彼は身じろぎして抵抗した。

 

「バカ!バカバカバカッ!何やってるんですかっ!」

「よ…りひめ…?」

 

 その瞬間、鼓膜を震わせる声。

 心まで届く声。

 

 ハッとしてシンは、自身の身体を引き、森を駆ける彼女を見た。

 そして彼は獣になっていたといえ、依姫を殺すと一瞬だけでも頭に浮かべた事に言いようもない後悔を覚える。

 

 しかし、それとはまた別の問題に、彼は焦りを見せた。

 

「待て…っ…依姫…!まだ時間稼ぎは…」

 

 しかし、言い終わるよりも早く依姫が捲し立てる。

 

「もう十分ですっ!それよりも…そんなことよりも…〜っ!」

 

 依姫は声にならない声を上げた。

 彼女に抱えられ、おんぶにだっこの状態となっている今では彼女の顔は分からない。

 

 しかし、良い表情ではないのは確かだった。

 

「もう…時間稼ぎは十分ですから…っ休んでください…っ!」

 

 妖怪が遠くなっていく、意識も遠くなっていく。

 朧げな感覚だった。

 

 しかし、依姫が口にした内容に耳だけは澄ましていた。

 

 曰く、シンが戦っている間、リーダー隊員の大声が聞こえたそうだ。

 退却しろと。

 全速力で巨大な壁の大門まで帰還しろと。

 

 つまりシン達は、一、ニ、三号機を離陸させるという最低限の任務をこなしたと言う訳だ。

 

「…」

 

 少しの安堵に包まれ、シンは瞠目して目を閉じた。

 

◆◆

 

「…ん…」

 

 次に目を開けた瞬間には大門の前まで来ていた。

 一瞬、玄楽のように瞬間移動でもしたかと混乱したが、どうやら意識を失っていたらしく、ぼうっとした視界で目の前の景色を見つめる。

 

 十数の隊員。

 いずれの隊員も酷い怪我を負っており、四肢欠損している者も居た。

 パートナーが殉死し、命からがら帰ってきた者もいるだろう。

 

「生存者は…これ、だけだな…早く行くぞ…時間がない」

 

 血塗れのリーダーは荒い息でシンを含めた隊員達を一瞥すると、眉に顰めて彼らを急かした。

 

 現在、シン達全員は戦線から退却している状況にある。

 その戦線には当然、殿も何も無い、つまり当然妖怪の群れがここ目指して歩を進めているのだ。

 

 その妖怪達がここに着くまでの猶予。

 それが最早三分も無いと、この場の誰もが確信していたが故に、隊員達はリーダーの言うことに忠実に従った。

 

「…もう、歩ける、ありがとな」

「…無理はしないでください」

「あぁ、先行ってくれ」

 

 地面が微かに揺れている。

 シンは草木がふるふる震える背後の森を一瞥した後、依姫の後を足早に続いた。

 

◆◆

 

 やっと、この時が来た。

 大門を大岩で塞ぎ、いよいよロケットに乗り出す隊員達を見つめながら、俺は深呼吸をした。

 

 目の前のロケットは言うまでもなく巨大で、赤い月光に照らされて鈍い光が反射する様は目に悪い。

 それは仰々しく出入り口の扉を開いており、雪崩れ込むように隊員達が入っていった。

 

 ロケット出発のコードは既に起動しており、後三分ほど。

 隊員達は粗方搭乗している。

 

 しかしまだロケットに乗っていない者が居るとしたら、それは故郷を懐かしむ者か、目的を持った者だけだ。

 

「シンさん…?早く行かないと…」

「…」

 

 腕を引かれた、依姫に。

 しかし俺は動かない。

 

 残るから、だ。

 この地上に。

 

 不安そうに俺の瞳を見つめる彼女を見ると、たちまち俺はズキズキと胸が痛んだ。

 これは責任と後悔の色をした、嫌な気持ちだ。

 

「なぁ、依姫…俺は———」

 

 この言葉を吐き出せば、彼女はどんな顔をするんだろうか。

 そんな考えが脳を過ぎると同時に、言葉が詰まった。

 

「…ッ…」

 

 言わなければ。

 

「…依、姫…俺は…!」

 

 言わな、ければ。

 

「…っ…ちくしょぉ…っ!」

 

 結局、言葉は出て来ず、喉が痛むほどの苦痛を味わうだけ。

 …いつもそうだ。

 臆病な自尊心のせいで、俺は俺の心の内を晒すことが出来ない。

 

 どんな形であっても、依姫を傷付ける事をしたくない。

 俺が嫌われる事をしたくない。

 

 それだけ、それだけの事で、俺はいつも後回しにしてしまうのだ。

 

「…」

 

 依姫が、何かを察したように息を呑んだ。

 しかし、その考えを認めたくないのか、真意を探るために俺の言葉を待っている。

 

 あの時とは、依姫に謝罪したあの時とは違う、違うのだ。

 逃げて、逃げて、逃げた先で漸く謝罪したあの時とは。

 

 沈黙する彼らを尻目に、刻一刻と時は過ぎる。

 言葉に詰まっていると、妖怪が来てしまう。

 

「…俺は…」

 

 タイムリミットが迫る中、シンは遂に言葉を吐き出した。

 

「俺は…残る…!」

 

 その瞬間、俺は反射的に横目を逸らした。

 依姫の顔を、見たくなかったからだ。

 

 彼女の視線が突き刺さり、一瞬の空白の後、彼女は言葉を綴る。

 

「…な、なんで…?」

 

 困惑に濡れた声色。

 

「…じょ、うだん…ですよね…?」

「…」

 

 震えた声。

 ああ、彼女の顔を見たくない。

 

 俺は横目を逸らしながら、依姫に背を向けた。

 

「う、うそ…嘘だと言ってください…!」

「…嘘じゃない」

 

 依姫が俺の、ボロボロで血に濡れた服の裾を掴む。

 

「駄目ですよそんな…!だってそんなの…!」

「…」

 

 裾を握り締める音と、依姫が崩れ落ちる音が響いた。

 

「死んじゃうじゃないですか…!?どうして…っ!?」

「お前を、守る為だ」

「…う…っぐ…ぅう〜〜…っ!いや…いやぁ…!!」

「分かってくれ…!!」

 

 依姫の嗚咽が耳に入る。

 いっその事、一緒に月に行ってしまおうかと、心に浮かんだ。

 

 駄目だ。

 依姫が死ぬ確率があるぐらいなら、俺は絶対にここで足止めを選ぶ。

 

 それに、それは身勝手に別れを告げたヴェノムへの侮辱だ。

 俺は俺の行動の責任を果たさなければいけない。

 

「…頼む依姫、ロケットに乗ってくれ…!」

「あっ、…待っ———わっ、私は…!」

 

 裾を握って離さない依姫を突き放し、強引に扉へ歩を進めた。

 

 彼女は遠くなっていく俺を縋るように見て。

 叫んだ。

 

「あっ、貴方が好きなんです!!だから、だから…行かないで…

 

 …一瞬、言っている意味が分からなかった。

 貴方が好き?

 いや、その後なんて言った?

 

「…依姫」

 

 辛うじて、彼女の名前を呼んで振り返った。

 余りに突飛な展開過ぎて、時間をも忘れ、周囲すら関係無く、まるで二人だけの空間のように思えた。

 

 しかしながら思考へいたずらに浮かぶのは幾千もの雑念。

 ヴェノムが言ってた事は本当だった、とか。

 実際言われると言葉も出なくなる、とか。 

 

 何より混乱したのは。

 

 ———どうしようもなく、()()()()()事だ。

 

「…」

「えっ、あのっ」

 

 俺は再び依姫と向き合い、スタスタと歩を進める。

 何の為かは、正直俺も分からない。

 

 ただ、そうしなければならないと。

 こうするしかないと、本能が告げていた。

 

 付け加えるなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「シン、さん?もしかして…」

 

 依姫と俺は最早目と鼻の先。

 頭ひとつ分小さい依姫が、俺を見上げる形だ。

 

 喜色を浮かばせ、浮ついた声で話す依姫。

 

 …そんな彼女に抱いていたモヤモヤ、言いようもない感情。

 依姫の吐露を聞いて、それはハッキリと分かった。

 

「考え直してくれたのですか———」

 

 それは依姫が俺に抱く感情と同義。

 好きと言う、最大の弱みだ。

 

「っんっ…!?」

 

 俺は、言葉を綴る依姫の口を塞いだ。

 それも指じゃなく、口で。

 

 しかもかなりディープな…と言うより、歯がカチカチ当たる下手くそなキスだが。  

 

「っぷはっ…んっ…」

 

 依姫のじっとりと濡れた瞳が俺を射抜く。

 困惑、歓喜、興奮。

 

 されるがままだった依姫もキスの最中に落ち着いたのか、力を抜いて俺に身を委ねた。

 

 キスは十数秒に及び、息継ぎを挟みながら、何度も情熱的に交わした。

 やがて、俺は口を離し、熱い吐息を吐く依姫に告げる。

 

「これが俺の気持ちだ…ずっと、依姫と戦った日々が、過ごした日常が、お前が、大好きだ、だから…行かせてくれ」

「…ぅ…ぅあ…そんな卑怯ですよ…こんな…下手くそなキスなんかして…!」

 

 目下の依姫の目尻に涙が溜まる。

 ひくひくと瞳孔が震え、嬉しさと悲しさでぐちゃぐちゃになって泣き出してしまいそうになっても、俺に縋り付く。

 あとほんの少しで妖怪が大挙して来ると言うのに、弱々しく裾を握り締めて俺を離さない。

 

 ———俺が彼女にキスをした理由は、俺の決意の覚悟を見せる為だ。

 俺を引き止める事を、諦めてもらう事だ。

 

「あぁ…卑怯だと思う…それぐらいしないと、お前は折れてくれない」

「…本当に…卑怯です…っ!絶対、許しません…っ!こんなの…こんなの…っ!」

 

 依姫が膝から崩れ落ち、地面に涙が滴り落ちた。

 

「じゃあ…じゃあ、約束してください…っ…!帰ってくるって…生きて帰るって…!」

「ああ、約束する、絶対だ」

 

 ———()だ。

 俺はここで死ぬ。

 

 助かる確率は億が一つにもない。

 しかし、依姫を安心させる為には、嘘をつく他なかった。

 

「他の人も好きにならないで下さい…!ずっと私だけ好きでいて下さい…!!」

「勿論だ」

 

 否定、出来なかった。

 

 俺は永遠に帰る事はないのに。 

 俺は永遠に彼女を待たせようとしているのに。

 彼女が死ぬまで俺と言う存在で縛り付けようとしているのに。

 

 あまつさえ、俺はそれを望んでしまっている。

 

 恋を自覚した今では、依姫が他の男を好きになるなんて考えたくもないからだ。

 

 要は俺の為に一生苦しんでくれと言っているのだ。

 俺を忘れて、新しい男を見つけて欲しくないのだ。

 

 当然、のしかかって来るのは良心の呵責なんて物の比じゃない。

 今でさえ罪悪感に押し潰されそうだ。

 

 いや、きっと、罪悪感を感じる資格すらないのだろう。

 

「約束するから…俺を信じて、安心してくれ」

「わかり…っました………ぜったい、帰ってきて…!」

「…」

 

 極めて優しい口調で告げる、軽い、軽い口約束。

 しかしそれに縋らなければならない己の不甲斐なさに、ほとほと辟易した。

 

『ドアが閉まります ご注意下さい』

「…じゃあな、また会おうぜ」

「…〜〜〜っ!!」

 

 無機質なアナウンスと、妖怪の行軍による地響きが轟き、それを別れの合図として、俺は依姫にさよならを告げた。

 しかし彼女は答えず、ひとしきり震えると、俺を思い切り抱き締め、踵を返してロケットに駆け込んでいってしまった。

 

 ———これでいい。

 

 バタンと、自動ドアが閉まった音を聞き届けた俺はロケットに背を向け、外界と都市を繋ぐ大門へと向かう。

 ふと、依姫が、こちらを振り返った気がした。

 俺はその気配に思わず足を止めるが、振り返らなかった。

 

「さて…命を賭けてやるか」

 

 直後、空気を震わせるように巨大な壁が唸りを上げ、ヒビの隙間から少なくない砂塵を噴き出した。

 妖怪が遂に到着し、壁に激突したのだ。

 

 ロケット出発まであと一分。

 壁の耐久は軽く見積もって三十秒。

 

 壁の外には千単位の妖怪。

 

 やはり、足止めは出来ても生き残る確率は無い。

 

「…へへ」

 

 俺は軽く自嘲し、バキバキと首の骨を鳴らした。

 体力は大体戻っている。

 人間性を捨てれば、即ち獣になれば、俺は俺を忘れて、戦いだけに身を投じる事が出来る。

 

 その果てに、俺は死んでもいい。

 依姫を無事に月は送れるなら、何も要らない。

 この命すらも。

 

「覚悟を決めろよ…俺…!」

 

 俺は拳を握り締め、壁の向こうを睨み付けた。

 

◆◆

 

 ベチン、ベチン。

 薄暗い、電気も付いていない部屋に響く間抜けな音。

 

 ベチ、ベチ。

 巨大な扉の前で、窓ガラスを何度も叩く黒いスライムが居た。

 

 そこは三号機オールド号の出入り口。

 離陸から数分が経ち、外には星の光すら瞬いているのに、その黒い者は扉を叩くのを止めようとしなかった。

 例え出られたとしても、生きて地面に降り立つなんて不可能だと言うのに。

 

 更に彼は、この環境下では人に寄生しないと生きられない。

 段々叩く力が弱くなっていき、ペチンペチンと言う瑣末な音が出入り口の空間に響き渡っていた。

 

 そこに、また別の音が反響した。

 

「…手を貸そう」

 

 コツコツ。

 靴音の音。

 

 振り返ると同時に、眩しい光が黒いスライムの視神経を焼く。

 人間で言う目を細めるに値する動作をしたが、薄暗く、逆光もあってその人物の顔は分からなかった。

 

 しかし、誰かは分かる。

 よく聴いた声だ。

 

 よく見ると、その人物は手に刀の様な物を持っていた。

 

「…これか?…まぁ、救援物資みたいな物だ、保険だがな」

 

 そして、その人物は黒いスライムに手を差し伸ばす。

 

「いくぞ、()ならいける」

 

 黒いスライムは差し出された手を取るのに躊躇した。

 しかしそれも一瞬のことで、乱暴に手を取り、その手に自身の身体を這わせていった。

 

「…こんなジジイとは嫌か?…一瞬の事だ、我慢してくれ」

 

 黒い生物がその人物をを覆い尽くすと、彼はどこに向けてでも無く呟く。

 次の瞬間、そこには誰も居なくなり、元の静寂だけが残っていた。




ご拝読、ありがとうございますなのぜ。

登場人物紹介っている?

  • やってくれ 必要だろ(いる)
  • それは雑魚の思考だ(いらない)
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