「さて、と…」
いよいよ一人となり、静かに佇むのは彼、シン。
彼は背後のロケットのエンジン音と、前方の壁が破壊される爆音をBGMに、深く深呼吸をした。
深く、深く。
血生臭い空気に咽びそうになるが、我慢して、思い切り吐き出す。
後悔も未練も吐き出す様に。
ストレス解消には深呼吸が良いと彼は本から齧っていたが、どうやらこれは真実らしい。
彼の心拍が落ち着き、思考がクリアになっていく。
ビシ、と。
彼の集中を破砕音が乱した。
「あと、数秒か」
彼は大門と、先の謎の旋風で大ダメージを受けた壁を交互に一瞥した。
大門は破壊の様子を見せない。
精々バンバンと衝撃が与えられるだけだ。
しかし隣の巨大な壁はさっきから何度も粉塵が吹き出しており、限界が近いだろう。
妖怪が飛び出すとしたら、十中八九壁の方からか。
それも、後数秒で。
「…残ってといて良かったぜ」
彼は僅かに
壁が破壊されそうなこの状況に対して、だ。
と言うのも、言葉の通り、シンが依姫の静止を振り切ってここに残ったと言うことに意味が生じたからだ。
これで壁も壊れず無事ロケットが飛び立てば、シンは何の為に残ったか分からない。
「じゃあ…行くか」
現実に意識を戻すシン。
いよいよ壁は崩壊を目前とし、ヒビがどんどん広がっていく。
妖怪の激突に際す轟音も、スパンが短くなっていき、こちらに侵入しようとする妖怪の腕すら見える程だ。
シンは心の中でカウントダウンを開始し、その時を静かに待った。
三。
ゴクリと喉を鳴らし、拳を握り締める。
二。
一際大きな轟音が鳴り、ガラガラと壁の一部だった物が地面に激突する。
一。
その時、音が消えた。
轟音も、妖怪の怒号も、シンの息遣いさえも聞こえなかった。
こんな状況を表すのに、ピッタリな言葉がある。
それは、嵐の前の静かさ。
「…ッ!!」
直後、爆発。
眼前に広がるのは粉々に破壊された壁。
噴火でも起こったかの様に噴き出す妖怪。
砂塵の中から狂った瞳が月光に反射して幾重にも煌めき、その全てがシンに向けられていた。
シンは何重にも重ねられた敵意の視線に身慄いし、それを払拭する様に叫んだ。
「ッかかってこいッ!!死にたい奴からなァッッ!!!」
シンは瞳の裏に、巨大な雪崩を見た。
人一人が雪崩を抑えると言う事が、どれだけ滑稽だろうか。
だが、やれるやれないではない。
やるのだ。
「ォオオオオオ"オ"ッ!!!」
シンは駆け出し、雄叫びを上げながら妖怪の波へ身を投じた。
後はもう、拳を振るうだけ。
「ぁあ"ァッ!!」
一度に数十も及ぶ腕を躱し、避け、捌き、受け流し、防御し、受け、折る。
視界を埋め尽くす掌に爪、妖力弾は圧巻と絶望の二言に尽き、防御するだけで全身全霊を尽くした。
早々に筋肉が悲鳴を上げ、ピクピクと全身の肉が震え始める。
全力疾走だって常人は数秒しか持たないのだ。
全方位からの攻撃に反応するシンの負担は、想像を絶するだろう。
「っぐぶ…ぁ…ッ!」
運悪くか、物量ゆえか、防御の合間を縫って接近した一体の妖怪。
まるで武術の様な足運びでシンは懐に潜り込まれ、鳩尾に一撃を貰った。
そこで始めてシンは目の前の妖怪を認識した。
端的に言えば、猿。
醜悪に、野生的に笑みを浮かべ、拳をシンの鳩尾に捻り込む。
「ウキャァッ!!」
知覚した瞬間、シンにダメージが現れ、ゲロを吐きながら怯———まない。
「んン"っ!!」
「ヒュッ———ギュ…ッ…!」
猿の瞳に映ったのはまさに鬼の形相。
顔を青くして逃走しようとする猿妖怪を逃がさず、顔面を殴って首と胴体を千切り飛ばした。
しかし数千vs一の状況で一体の妖怪に構った代償は大きい。
シンの視界の端に二、三匹の妖怪が映る。
はっとして振り返ったシンだったが、数匹の妖怪が既に彼の包囲網を抜け、今まさにロケットに襲い掛かろうとする直前だった。
「待てよゴミカス共ォァ"ッ!!」
それを黙って見逃すシンではない。
背後の大群に背を向け、目だけを動かして飛び出した妖怪の頭数を数える。
(五!離陸までは…あと三十秒…!!)
シンが地を蹴り出そうとした瞬間、爆音が鳴り響いた。
「ッ!?…ッエンジンか!占めた!」
ロケットのエンジンが着火され、炎が吹き出し始めたのだ。
熱風に肌が焼かれるも、構わずシンは飛び出す。
「焼けちまえッ!!」
シンは駆け出す妖怪より早く疾走し、一体目の首根っこを掴むと、思い切り前方に投げ付けた。
目標はそう、ロケットの真下。
「———!?———…!」
投げ出された妖怪。
自らの突進にシンの投擲が合わさったのだ。
当然、抵抗することも出来ずにロケットの炎に焼き尽くされ、もがきながら細胞一片も残さず消滅してしまう。
そしてそれは、残りの四体の末路でもあった。
一体目が焼き尽くされた瞬間、続け様にロケットのエンジン下方に妖怪が送り込まれ、叫び声も上げれずに消滅していく。
四つの黒い影が踊り狂う様は、見ていて滑稽ですらあった。
「はっ、はっ…はっ、はぁっ…!」
一方、シンは体力切れを起こし、背後に迫る妖怪と目の前のエンジンの起こす熱風に立ち尽くしていた。
「はぁっ、あと…二十秒ッ!」
いや、立ち尽くした?
体力切れ?
そんな物が障害になるとは、そんな物でシンが立ち尽くすとは、誰も思っていない。
シンはゆっくりと振り返り、地に片手を付いた。
「ハァァァ"ァ"…ッ!!」
倒れたのではない。
そう、今こそ、人間性を捨てる時。
四足歩行が齎す機動力で、手数で、本能で。
妖怪を、駆逐する。
「ガァアアア"ア"ッ!!!」
シンは音速に近い速度で飛び出した。
流れる思考は刹那的に。
二の手は考えない、今、この瞬間だけを。
常に全力で、常に最高速を。
「ォアアアアア"ア"ッ!!」
一つの壁が立ちはだかるように妖怪が殺到するが、シンは防御はしなかった。
防御する事で生まれるロスより、傷を負ってでも攻撃する事の方がリターンが大きいからだ。
結果、彼は夥しい数の生傷を受けるが、攻撃の最中、彼は一体の妖怪の腕を掴んだ。
そのままシンはぐちゃりと骨を握り潰し、その妖怪を引き抜くと、力の限りそれを振るった。
「ぁあ"ッ!!」
差し詰め、鞭。
音速の壁を超えた妖怪の鞭は、鞭となった妖怪全身の骨を砕かれて絶命しただけに留まらず、発生したソニックブームによって周囲の妖怪が消し飛ぶまでに至っていた。
しかし。
突如として赤く染まる視界。
返り血が運悪く顔に飛んで来たのだ。
ただでさえ片目を負傷していたと言うのに、これは———
シンの動きかほんの一、二秒が鈍る。
———ドン。
胸に、衝撃と違和感。
「…っう…ッ!?ぐぅっ!」
視界が晴れたその時、シンの胸に激烈な痛みが走った。
視界を下げると、一体の妖怪。
胸を、貫かれた。
「…っんのォッ!!」
目の見えない状態ながら、胸を貫いただろう妖怪が居る位置を狙い、アッパー。
結果その一撃は腹パンとなってを決まり、勢いのままその妖怪を殴り飛ばした。
生まれた僅かな
激痛の位置からして肺の辺りに穴が空いたか。
構わない、動けるなら。
肺がゴロゴロ鳴り、痛みに歯を食いしばる。
目の前に妖怪が迫り、彼は迎撃しようと拳を繰り出した。
しかし。
「っう…ぐぉおお…っ!!」
キレが無い。
速さが無い。
威力が無い。
肺の一つが機能しなくなった以上、こうなる事は自明の理ではあったが、それにしたってここまでの弱体化は想定外であった。
ならばやるべき事は一つ。
大ダメージ必須の爪と牙は死に物狂いで避け、殺害に至らなくても足を折って前進を遅延させる。
「っぐぁっ…!ぁああ"ッ!!」
しかし、そう上手くいく訳が無い。
瞬く間に生傷と赤い列線、打撲痕がシンの身体に広がっていき、一本、また一本と骨がイカれていった。
「あとっ!!五秒ッ!!」
背後のロケットのエンジンが激しく唸りを上げる。
後退は出来ない、ロケットとシンの距離はおよそ十数メートルだ。
加えて熱風がシンの背を焼き、ほぼ無い体力をじわじわと奪っていく。
———まだ、まだだ、耐えろ。
シンの動きが加速度的に遅くなっていく。
その隙を突いた一撃が、彼の横腹を貫いた。
「…がっ…ッ!ぁアッ!!」
———あと、三秒。
死に物狂いで横腹を貫いた一匹の妖怪の顔面を鷲掴み、握り潰そうと握力を篭める。
しかしその姿は恰好の的でしかなく、傷を抉る様にボディブローが飛び、更に数十の拳の嵐が飛び交った。
弾き出される様に十数の妖怪ごと上空に吹っ飛ばされて、漸くシンは吐血した。
ペットボトル一本分の、大量の血だ。
———あと、いち、びょう。
(これだけやりゃあ…十分…だろ…)
奇妙な浮遊感の中、シンは赤く染まった視界でチラリと、ロケットを一瞥した。
いよいよ炎の噴出が激しくなり、轟轟と心臓まで響くほどの音を鳴らしている。
そしてもう機体が宙に浮くのではないかと思われたその時。
一匹の妖怪が機体に飛びかかった。
「…なっ…!?」
狭窄した視界は、それがなんの妖怪かすらも映すことはない。
しかし、その妖怪が口元に炎を溜め込んでいる事だけは分かった。
もしあれが、エンジンに直撃したりでもしたら。
「な…にを…!!」
瞬間湧き出す怒り。
「何を…ッ!」
———依姫は必ず守る。
それを、俺の決意を台無しにするのか。
俺の最も大切だと言える存在を、奪うのか。
妖怪に向けた怒りがシンに力を宿す。
そして俺は、それをみすみす見逃すほど、弱かったか。
自己に向けた怒りがシンに闘志を燃え上がらせる。
「何をォオッ!!」
喉から血が溢れて止まらない。
身体も動かない。
いつもの事だ。
限界を超えればいいのだ、超えてこそ、力を手に入れられる。
例えそれの行き着く先が死だとしても、構わない。
これが最期として、最後の全力として。
彼は吠えた。
「何をしやがるァァア"ア"ッッ!!!」
瞬間、シンの周囲に居た妖怪が凹んだ。
まるで潰された空き缶の様に。
そこにシンの姿は形も無く、空気の壁を超越した破裂音が響いた。
彼は宙に浮かぶ妖怪を蹴ったのだ。
それも限界を超えた脚力で。
その軌跡はまさに、
普段人間は筋肉にリミッターを掛けて過ごしていると言うが、シンの行動はまさにリミッターを解除したその先の次元にあったのだ。
「うるぁア"ッッ!!」
掛け声に炎を吐き出そうとする妖怪が反応し、そのまま振り返った。
間抜けに開いたその顎に、シンは拳を叩き込む。
ぐちゃり。
そんな音が拳から伝わる。
次の瞬間、拳の中の炎が瞬くと、暴発を引き起こし、シンを巻き込んで大爆発。
不味いと思った瞬間にはもう遅く、気付けばシンは黒煙の中から力無く墜落していた。
しかもリミッターを超えたシンの両足はぐちゃぐちゃ。
もう歩く事は叶わないだろう。
最も、そんな事はどうでもいいのだが。
「ッかはっ!ゲホッ…!…やった…やったぞ…!…はは…」
彼はチラリとロケットを見た。
今の爆発で黒い煤が付いているが、離陸に問題は無い。
妖怪にも、もうロケットの発射をを邪魔出来る奴は居ない。
良かった、間に合った————
思考が閉じ終わる前に、シンの視界を光が満たした。
「————…ぅ…が…!」
————熱い。
————エンジン?
————そうだ、そりゃ、これぐらい火が出るよな。
————傷が焼ける、痛い。
————骨が痛い、爆風、もみくちゃにされる。
————明るいのに、暗い。何故?
————目が、見えない、焼かれたのか。
————身体中、感覚無い。
————なのに痛い、痛い、痛い。
————背中、衝撃、壁?そこまで吹っ飛ばされたのか?
————多分、地面が近付いてる。
————受け身、取れない。
————死ぬ?
————衝撃、浮遊感が、終わった、肌が冷たい、生きている。
————地面?
「…ぅ…」
ロケットのエンジンによる爆風。
それに巻き込まれていたのは、どれくらいだったろう。
長い間、思考を駆け巡らせていた気がする。
死に瀕し、極限まで引き延ばされた時間の中で、無限に及ぶ拷問を受けた様な気もした。
ただ分かるのは、自分が壁を背にもたれかかっている感覚と、僅かな喧騒を示す聴覚だけた。
それ以外は何も無い。
目は見えないし、指一本動かない、さらに下半身に至っては感覚が無い。
「死、ぬのか…俺」
死の静寂に、限りなく近く感じる。
これまで無いくらい、はっきりと。
「ははは…」
ロケットの轟音が遠くなっていく。
役目を終えた安堵と、自身の生への諦めが混ざり合い、乾いた笑いが出た。
「…はは」
ビリビリと肌が焼けるような感覚。
殺意の籠った、妖怪の視線だ。
目の前で獲物に逃げられ、内包する暴力を振るう相手が居なくなった彼らの行動は一つ。
目の前の死に損ないを殺す。
「ああクソ…やっぱ死にたくねぇなぁ…」
カラスが死肉に集るように。
数秒後には自身に夥しい数の妖怪が殺到する光景を瞼の裏に幻視したシンは、やっと自分の本当の願いを想起した。
本当の願いというよりも、それはワガママの様なものであったが。
「依姫…ヴェノム…」
どうして別れるなんて選択を取ったんだろうか。
シンと一緒に死んで欲しかったと言うわけじゃない。
ただ、選択肢はいくらでもあったのではないかというタラレバであり、後悔が後になって襲って来ただけだ。
極論、ロケットなんて見捨てて、依姫もヴェノムも一緒に何処か遠くへ逃げ出しても良かった。
そうしなかったのは、何故だろう。
「…っ…」
意識が段々と曖昧な物へと姿を変えていく。
けれども思考は止めなかった。
シンは、豊姫や永琳、それに地上の人々を助けたかったのだろうか。
彼らを見捨てた末に、依姫やヴェノムに失望されたくなかったのだろうか。
ふと、ある考えが浮かんだ。
烙印を押し付けられたように、拭おうと思っても離れない、そんな考えだ。
———
そんな訳が無い。
…果たしてそう言い切れるだろうか?
「…」
…きっと、そうだ、そう言う事なんだ。
無意識下の内に、シンはこの戦争を心待ちにしていたのだ。
永遠に戦い続けられるような、そんな戦いが。
事実、存分に暴れられたこの戦争は、心のどこかで楽しいと感じていた。
「クズ野郎…」
依姫を守ると言う大義名分の裏で、戦闘欲を満たしたいと言う身勝手な願いを叶えようとしていたのだ。
そして自分のせいで彼女をイタズラに傷付けて、悲しませた。
だと言うのに、いっぱしにシンは後悔を感じている。
死んでも良いと決めていたのに、今になって死にたくないと心に浮かんでくる程には。
なんて半端者。
なんて人格破綻者だ。
「クソ…クソ…!!」
ジリ、と、にじり寄る妖怪の気配が近付いてくる。
死に対する恐怖はない、どうせあと数分の命だ。
ただ…ただ、後悔が残るのだ。
「依姫…!ヴェノム…!俺は————」
身勝手に死んで、身勝手に迷惑を掛けた、この俺をどうか許してほしいと。
そして————
「お前らと一緒に居たかった…!!」
最後の最後に、こんなわがままを言う俺を許して欲しい、と。
「ギィアアッ!!」
ああ、汚い声が聞こえる。
あと数秒で、死ぬ。
その刹那、依姫とヴェノム、玄楽に永琳といった、いわゆる走馬灯が浮かんだ。
楽しすぎたあの日常。
この俺には勿体なさすぎたあの生活。
今になって愛しくなっしまった依姫。
馬鹿で、最高の相棒の、ヴェノム。
思わず、身体が動かない筈なのに、シンは手を伸ばしてしまった。
記憶の中だけでも、最期に、彼らに触れたかった。
「ギャッ!?!?」
瞬間、手に感触。
そして轟音と頬を撫でる風圧。
同時に、何かに手を握られた。
硬いような、筋肉質なような触感だ。
…これは、
いやそんな筈は無い。
記憶の中の、意識の深層で起こった出来事は、時に現実の身体にも作用すると言う。
シンが今、手を握られていると言うのは所詮、妄想と現実が錯綜しているだけに過ぎないのだ。
何故なら、妄想でもなければ、ヴェノムがここに居るなんて、絶対にあり得ない。
信じられない。
「シン、ただいまだ」
…この戯言も、都合の良いように作り出された幻想に過ぎないのだ。
第一、ヴェノムがここに居れる訳がない。
宿主も居ないヴェノムが、落下の摩擦熱に耐えてここに来たと?
シンのために?
その発想こそ思い上がりだ。
「ヴェ…ノム…」
しかし。
妄想なら妄想なりに、心の内を暴露してしまっても構わないだろう。
ヴェノムに聞かれたくないような内容も、今なら独り言だ。
「すまなかった…俺は…俺の気持ちだけを優先してたんだ…俺はお前らと一緒に居たかった筈なのに…勝手に自分で自分を押し殺して…勝手に別れて…それが最善って言い聞かせて…お前らの気持ちも考えなかった…」
「大馬鹿野郎だな、両目も、足も無くなってる、それに酷い顔だ」
「はは…許してくれ…勝手に死んじまう俺を…本当にお前は…最高の相棒だった…」
こんな時も罵倒から入るなんて、随分解像度の高い妄想だ。
「俺は許さない、勝手に死ぬな、それに相棒だったじゃない!今も相棒だ!」
「…はっ、何から何まで、ヴェノムそっくりだ…妄想にしては…出来が良い…ははは…心残りが…少しぐらい晴れたか…」
数秒の沈黙ののち、ハァ〜、と大きな溜息が聞こえてきた。
ヴェノムが発した物だろうか。
というか、結構長い時間妄想が居座っているような気がする。
こういう幻影は直ぐに消える物だと思っていたが。
「…うーむ、コイツ頭を打ったみたいだ、仕方ないから治してやる」
「なに…言ってんだ…?」
その時、懐かしい感覚が身を襲った。
ヴェノムと邂逅した、あの時だ。
黒い粘体が指、腕、体と絡めとるように巻き付いていき、どこか心地よい感覚に身を委ねる、あの感覚だ。
シンの身体に黒が浸透していき、強さの次元を一段階引き上げるこの共生の感覚。
強靭な身体に生まれ変わった、高揚感だ。
この感覚はもう、妄想とは呼べなかった。
「嘘だろ…おい夢か…?本当に…お前なのか…?」
「俺がここに戻ってきて何が悪い?」
「っはは…ヴェノムそりゃあ、間違ったやり方だぜ?」
「分かってないなお前は、世の中には三つのやり方がある…正しいやり方、間違ったやり方…そして、俺のやり方!」
痛みが失せていく。
死の淵から引き摺り出されたシンは、現実を受け入れられず呆然としていたが、身体が治っていくのを感じ、徐々に余裕を取り戻しつつあった。
と言っても、欠損した部位、特に腕と目が治った訳では無い。
この間に妖怪が襲って来ないのには疑問を感じたが、再会の衝撃と比べれば些細な事である。
暗闇の視界の中で、シンは語り掛けた。
「お前の母星には…帰らなくて良かったのか?」
「家みたいな場所は世界で一つだけって言うだろ?俺の家はお前だ」
「ったく、お前も馬鹿野郎じゃねぇか」
ヴェノムのアメーバ状の身体全てがシンの身体へと入り込むと、シンはおもむろにポケットへと手を突っ込んだ。
「…良かった、あった」
<薬か、永琳の>
ボロボロのズボンのポケットから取り出したのは、嘗て永琳から与えられた薬だった。
名を、同化薬。
効果はシンとヴェノムの一体化。
両者の細胞を掛け合わせ、ヴェノムの不老性をシンにも反映することが出来るのだ。
勿論人間では無くなり、滅多な事でヴェノムと離れる事も出来なくなるが、承知の上だ。
「使っても良いよな」
<シン、やっばりお前も俺を待っていたんだな>
「うっせぇなぁ、捨てられなかったんだよ」
こんな物、ヴェノムと別れた直後に捨てて仕舞えば良かったのに。
捨てられなかった。
きっと心の何処かで、ヴェノムが戻ってきて欲しいと渇望していたからだ。
それがヴェノムに見透かされた瞬間、シンは気恥ずかしそうにそう吐き捨てた。
勿論、先の戦いで割れていたり、ポケットが破けて紛失したりしていてもおかしくなかった。
それが無傷の状態だったのだ。
思わずシンは、運命的な物を感じずにはいられなかった。
「…っ」
もうこれを飲まない理由は無い、と。
シンは一息に薬を飲み干した。
「…っふぅ〜…」
変化は直ぐ現れた。
妖怪に切り裂かれた左目、炎に焼かれた右目に僅かに光が灯ったのだ。
モザイクのような風景は次第に輪郭が伴っていき、鮮烈な風景が瞳を焼いていく。
紛れもなく、両目の再生が行われたのだ。
そこで彼は、衝撃的な光景を目に映す事になる。
「…は…?げ、玄楽…?なんでお前も…」
「…」
依姫の父親、玄楽。
刃の潰れた
その背後では、有象無象の妖怪が後退りをしながらシン達を睨み付けている。
そこでシンは、玄楽が異様なな威圧感を背後へ飛ばしているのに気付いた。
そうか、彼が妖怪を止めていたのだ。
しかしシンはヴェノムが戻って来た事は理解出来るが、玄楽も居る事には全く理解出来なかった。
「ヴェノムと、船で会った…そこで吾の能力を使い、共に地上へ降り立ったのだ」
「い、いや…そこは何となく分かる…!俺が言いたいのは…なんでヴェノムと玄楽が…!?」
シンが依姫と別れた理由の一つに、玄楽があった。
彼なら、シンが居なくなった依姫の心の傷を癒せるだろうと。
豊姫や、永琳も居る。
しかし現実として、今ここに玄楽が居る。
それは、依姫が父を失うという事で———
「依姫は…」
シンが冷や汗を流したその時。
玄楽が目を伏せて話し出した。
「依姫はよくお前の事を話していた」
玄楽に浮かぶのは家族団欒。
豊姫と依姫と、三人で食卓を囲んでいた時の風景だった。
「吾が娘ながら、曇りの無い笑顔だった」
彼の記憶の中の依姫は、よくシンの事を話していた。
時に笑い、時に怒り、時に文句を言う。
しかしいずれも、彼女は幸せそうだった。
それを豊姫が茶化し、依姫がぷりぷりと怒るのが玄楽にとっての日常だった。
「吾は…豊姫の笑顔を取り戻す事さえ、数年掛かった」
彼が妻を亡くしてから、豊姫は幼気ながらに顔に陰があった。
その陰を晴らすのに、玄楽は数年掛かったのだ。
それに父親として努力しても、最後は結局豊姫が自分で立ち直った。
故に玄楽は、娘のトラウマすら治せない自分は、父親失格なのではないかと思い続けていた。
彼の妻が死ぬまで、親ではなく、軍人として生きていたのだから、尚更である。
「だから吾には…依姫に、想い人を失わせるという心の傷を癒す事は出来ない、豊姫でさえ、ままならなかったのだ」
彼は縋るような目でシンを見る。
シンにとってそれは、玄楽が初めて見せる姿だった。
「だから吾は…命を賭けて、お前を生かしに来た」
「…叫びたい気分だ、お前は間違ってるって…いや、俺が言えた事じゃないが…親として、お前は失格なんかじゃねぇって…けど、過ぎたモンはしょうがねぇ…」
シンはヴェノムを全身に纏い、片手も両足を再生させ、ゆっくりと立ち上がった。
「命を賭けると言ったな…絶対に生かしてやるぞ」
「…そうか…有難い言葉だな…」
玄楽は一瞬俯き、笑みを浮かべた。
娘を任せるのには、十分な男だと。
そして地面に突き刺さった鈍を引き抜き、シンにそれを手渡した。
「受け取れ、刃は潰れているが、お前なら武器になるだろう」
「お、おう…?」
「確かに武器にはなるが…チョイスが謎だな」
「手頃な獲物がそれしかなかったのだ」
ヴェノムが言うように、謎のチョイスだ。
正直刃が潰れているかいないかで言ったら、ちゃんと刃の潰れていない獲物が欲しかった。
ヴェノムの粘液で覆って仕舞えば強力な鈍器となるが…
しかし、一番の謎は———
(エレクトロの戦いで…無くした…よな?)
湾曲した刀。
銀ではなく、黄金に似た青銅色。
間違いない、エレクトロとの戦いで使った、あの刀だ。
10円玉の様な青銅色がギラギラと紅の月光に煌めき、無骨な光を放っている。
(なんで今…回収された刀が偶然玄楽の目の届く所に巡ってきたのか…?)
エレクトロとの戦いで絶体絶命となった時、雷の如く飛来した刀。
最終的に爆発に飲まれ、行方が分からなくなっていた筈。
巡り巡ってシンの元に帰って来たのは、運命か。
「まぁ…いい…先ずは妖怪だ」
「ディナーが沢山、ご馳走だ」
ひとまず、刀の事は後回しにしようと決めたシンは、握り込んだ鈍にヴェノムの粘液を纏わせた。
泥のように刀身を覆い尽くし、黒曜石の如く硬化させる。
折られた事もない、彼ら特製の武器だ。
「では、参ろうか」
玄楽もシンに背を向け、妖怪達と対峙する。
妖怪達への牽制を込めた殺気が消え、肌を刺すような威圧感が二人に降り注いだ。
オマケに『待て』を食らった妖怪達の興奮のボルテージは最高潮、加えて数は約千匹。
玄楽とシン達は構えを取ると、疑問でもあったのか、玄楽が首だけシン達の方へ向け、質問を投げ掛けた。
「ああそうだ…お前達はシンと呼べば良いか?それともシン達か?」
「ふん、違うな」
「ああ、俺達は———」
ヴェノムが否定。
続けてシンが言葉を発すると、ヴェノムが合わせるように言った。
「「
シン達は、いや、ヴェノムは再び戦火を身を投じるのだった。
ご拝読ありがとうございますなのぜ。
間違いなくシンの本心はヴェノム達と一緒に居たい、なのぜ。
でも心の裏にはそれを上回る程の戦闘欲が潜んでいるのぜ。
その軋轢が、シンを一番苦しめているのぜ。
そして獻蔴.www様、Ametprase様、それぞれ☆9、☆5評価ありがとうございますなのぜ。
登場人物紹介っている?
-
やってくれ 必要だろ(いる)
-
それは雑魚の思考だ(いらない)