「…おや、力加減を間違えたか…だが…ちと弱いな」
ヴェノムを弾き飛ばしたソレは、顎に手を添えて訝しげに呟いた。
その視線は地面に倒れ伏す彼らに向けられている。
続けて、彼女は周囲の妖怪を一瞥した。
口を発する者は居らず、重々しく沈黙を保っている。
「うーむ、放っておいてもよいが…此奴らに食われるか…それに、
うん、と頷いたソレは、ゆっくりとヴェノムに向かって歩き出し、手を伸ばした。
その包帯の裏の顔には一切の情が無く、月光の陰が常闇となって映る。
「———仕方のない、殺すか」
「そうはさせん」
彼らの首を捻じ切ろうと伸ばされた腕。
真っ黒な首に触れようかというその時。
パシンと軽い音を立ててその手は振り払われた。
お、と、小さく音を漏らすソレ。
流石に予想外だったのか、目を丸くし、突然現れた彼を見つめていた。
「その力、隠したつもりでも、この吾は見逃さんぞ…化け物め…!」
「…この声、お前は…玄楽か!久しいな!何年振りだ?」
「答える義理は…無い!」
「むっ」
ソレはフレンドリーに話しかけるが、玄楽にその気など無く、地面を抉りながら蹴り出し、目潰しを兼ねたハイキックをソレの顔面に叩き込んだ。
———しかし。
「この妾に目潰し程度の一撃が効くと?」
「チッ!」
人体の急所、鼻にクリーンヒットした一撃だったが、ビクともしない。
目潰しも兼ねていた筈だが、元より顔面を包帯で巻いていたソレにはなんの意味も無かった。
玄楽の苦々しい舌打ち。
彼は攻撃の手を止めず、ハイキックの状態から体を回転させ、二度目のハイキックを繰り出した。
今度は顔面では無く、顎に。
地面と直角に繰り出された一撃はまたもソレに直撃し、ソレを天高く空中へ投げ出した。
「お〜…良〜い一撃だ、が、少し威力が落ちたかの…ん?」
だと言うのにダメージは全く入っていない。
重い一撃を顎に喰らえば、確実に脳を衝撃が突き抜け、脳震盪を起こす。
しかしソレにとっては、玄楽の蹴りは脳を揺らすに値する物ではなかったのだ。
ソレはエビの様に仰け反った体勢からくるりと回転し、着地と共に玄楽の方を見つめた。
しかし、そこに居た筈の彼の姿は跡形もなく、ついでにヴェノムの姿も無い。
「…ふふふ…その能力は健在か…!…ぬしらはもう逃げても良いぞ、巻き込まれたくなければな」
ソレは変わらない彼の強さに口角を上げ、静かに笑いを漏らした。
そして、石の様に動かない妖怪達に言葉を投げ掛ける。
すると、妖怪達の止まっていた呼吸が再び動き出し、場は足音と悲鳴に包まれた。
一目散に逃げていく妖怪達を背に、一人ソレは笑みを溢した。
◆◆
「…ぐ…っ…」
「…クソ」
人がすっぽり入る程の大きさの岩の裏。
そこで、玄楽は頭を抱えていた。
彼の顔はこの上なく焦っており、歯を食いしばっている。
最悪の事態、と、でかでかと顔に文字が載っているが丸わかりだった。
「う…ぐ…玄楽…?…っそうだ…!あのババァ…!」
「おい!なんだ玄楽あの化け物は!」
彼らは飛び起き、ヴェノムが苛立った表情で玄楽に詰め寄る。
ヴェノムにとって、彼らにとって、ここまでの敗北は想定外であり、それだけプライドがガタガタになっていた。
故に、あの女への怒りが天元突破し、ヴェノムは歯を剥き出しにして激怒。
シンも心内で静かに復讐の炎を燃やしていた。
「…」
しかし、玄楽はヴェノムの質問に答えない。
なにか考えを巡らせている様で、時折眉間に皺を寄せている様であった。
そして奥歯を噛み締める様に険しい表情を見せると、ヴェノムの肩に両の手を置いて話し出した。
「すまない、吾は今、吾が囮となりお前らが逃げ出せる確率と、共に戦い勝利する確率を考えていた…無理を承知で聞く、共に戦ってくれるか?」
「当たり前だ!」
「デコピンの『お返し』をしなければ!」
ヴェノムはフシューと熱い息を吐き、手に持つ鈍を体内に収め、拳を握り締めた。
それなりの長さを誇る剣だったが、案外ヴェノムの中に収納できる物だ。
「吾はお前を守る使命がある、それを放棄して、共に戦おうと言っているのだ…それでもか?」
「そんなもん理由にならねぇな」
「…逃げ出した方が、恐怖はないぞ?」
「それはクールじゃない!それはただのチキンだ!!」
「…そうか、仕方ないな」
シンとヴェノムの言葉に、玄楽は口角を上げ、手を差し出した。
傷と汚い瘤に塗れた手。
ヴェノムは目を丸くしてその手を見つめていた。
「どうした?握手だ握手、共に生き残ろうと決めた者同士には握手とハグが通例だ」
「男とハグしたい奴がどこに居るかよ…」
シンはそう文句は言うが、なんだか戦場におけるロマンを感じ、軽い握手とハグを交わした。
そうこれは…いつかに見た戦争映画、追い詰められた二人の兵士が、お互いを尊敬し合ってハグを交わすシーンだ。
少なくともヴェノムにとっては、心を躍らせるシチュエーションだった。
「意外と良いなこれ!」
「…まぁ、普通だな」
「そう言うなシン———」
その瞬間、破砕音と共に石飛礫と砂埃が彼らの間を遮った。
すぐに隠れていた大岩が粉砕されたのだと気付き、ヴェノムは戦闘体制に入る。
「見つけた———」
しかし、砂埃の中玄楽に手を引かれると、視界が一変し、破砕された岩も、何処かに消えてしまった。
見つけた、と言う歓喜の響きを伴った声も途中で消失し、徒に口の中の砂だけが残る。
————玄楽がやったのか。
そう確信すると同時に、ヴェノムは不味い砂の味に襲われ、眉間に皺を寄せて喘いだ。
「ぺっぺっ…!…今の、玄楽のか?」
「あぁ…話している余裕はあまりない、確認だ…今から戦う大妖怪、ソイツを吾は『角』と、呼んでいる…そして吾の能力は瞬間移動する程度の能力…自身と触れた者を五秒後に瞬間移動させられる、体力は使うがな…お前は?」
「俺達に依姫みたいな大層な能力はねぇよ、あるの相棒の力だ、強いし自在にタコみたいに腕を生やせる、あと武器にもなる」
瞬間移動、その力の存在は嘗てより知っていた。
なぜなら、この都市に訪れた頃、地獄のマラソンを行う際に、彼が門下生全員を道場から外壁までワープさせていたからだ。
更に言えば、ヴェノムがロケットからここに戻ることが出来たのも、この能力のお陰だったろう。
ヴェノムは勿論、玄楽も落下に対して発生する摩擦熱に耐える事は出来ない筈だ。
普通に落ちれば、恐らく流れ星の様に燃え尽きて終わる。
その問題を玄楽達は、ロケットから地上まで直接テレポートする事で解決したのだ。
そうやってシンが納得していると、玄楽が不思議な顔をして彼に問い掛けた。
「…?何を言っている?お前も能力を
「いやいや何言ってんだ、ヴェノムの事か?」
「違う、お前自身の能力だ」
「…?」
玄楽がヴェノムの中のシン向けて指を指す。
何の事かとシンは黙りこくっていると、玄楽は驚愕した目でシンを見始めた。
「…まさか、気付いていないか?自分の能力の存在に」
「マジで言ってんのか?なぁヴェノム?」
「…心当たりはある」
「あんのかよ」
「いや、突如として発現する例もあれば、生まれながら持つ能力もある、シンは後者だろう」
ヴェノムは、半ば能力は分かっていた。
共生すれば宿主を破滅させるシンビオートに、ここまで完璧に適応した唯一の男。
それはとあるマルチバースの地球で暮らす男を凌ぐ程であり。
種としてのシンビオートの中で共有される記憶の中にも、ここまでの男は居なかった。
そしてこれまでの戦いでの急成長。
死に近付けば近付くほど強靭になっていくこの身体。
「よく聞け、シン」
玄楽が声を掛けた瞬間、彼らの視界の端に砂の間欠泉が湧き上がる。
恐らくあの間欠泉は、地面を蹴った衝撃で巻き上がった砂塵だ。
他ならぬあの大妖怪、『角』の手で。
瞬間、夥しいほどの殺気と圧が彼らに降り注ぎ、空気が何倍にも重くなった様に思われた。
まるで死と言う名の風が、生ぬるく吹いているかの様だ。
「…お前の能力は、恐らく『
「…!」
ドクン、と。
シンの心臓が鳴る。
能力を自覚した事で、何かがストンと落ちた気がしたのだ。
その瞬間だけは、肌を差す殺気を忘れ、自分というモノの存在が確固たるモノになった気がした。
一方玄楽は冷や汗を垂らし、ヴェノムに背を向けながらも、語り掛ける。
もう時間は無いと、言外に語られる内容には、『熱』があった。
彼らヴェノムの可能性を押し広げる、期待の『熱』が。
「能力に上限はない…空を飛ぶ能力があれば、次元を超える力になる事もあるだろう…能力を自覚したお前達ならば、戦いの中でどこまでも強くなれる…!」
「そうか…!だったら、もっと戦わねぇとなぁ…!」
彼らはニヒルに口を裂かせて笑う。
この力とヴェノムの力で、勝てなかった依姫に勝つ事が出来た。
———なら、あの化け物だって。
その瞬間、彼らの遥か前方が爆発した。
いや、何かが着地し、その衝撃で砂が巻き上がったのだ。
その何かとは無論、『角』だ。
「来たか…!」
「…ふふふ…もう、逃げるなんて味な真似はせんよなぁ!?」
砂塵を通して大きな声が響く。
しかし、その言葉に耳を傾ける者は居なかった。
砂塵が晴れるのも、開始の合図も要らない。
兎に角先手を打ち、少しでも傷を負わせれば良かった。
「玄楽!危なくなったら助けてくれ!」
「…分かった!」
ヴェノムは弾丸の様に飛び出す。
意表が付けないなら下手な奇襲はできない。
心無しか、『角』は顔の包帯越しにこちらを見据えている様な気がした。
使うのは我流のステゴロ。
慣れない武器を使うぐらいなら、こちらの方が良い。
そして、思い切り殴り付けるには、思い切り踏み込み、思い切り加速すればいい。
ヴェノムと『角』の距離が十メートルを切った瞬間、彼らは踏み込みを始めた。
そこで拳を振るおうが『角』には届かない事は百も承知だ。
必要なのは、加速、スピードだ。
「
掛け声と共に、地面が音を立てて割れる。
ヴェノムの視線がしっかりと『角』を射抜くと、彼らは弾かれた矢の如く地面を滑走した。
いや、形容するなら、黒い豪速球。
「
五メートル程進んで、豪速球が更なる一歩を踏み出した。
より強く、より深い踏み込み。
地面に雷が走るかの様に、衝撃が大地を揺らす。
そして、更なる速さを手に入れた彼らは、黒腕を振りかぶった。
「
辿り着いたのは『角』の懐。
最後の一歩をそこで踏み切ると、当たり前の様に大地が破砕し、彼らは全ての力を拳に集約させた。
拳は浅く握り、親指は添えるだけ。
身体の関節部分で加速を繰り返す事で、拳はマッハを超え、肉体の限界を越える。
インパクトの瞬間に握り込む握力の置換。
ヴェノム自体の質量の置換。
急停止による速さの置換。
握力×体重×スピード。
=破壊力。
三歩の加速によるヴェノム最大の一撃が、『角』に襲い掛かった。
「むっ…!」
「消し飛べッッ!!!」
鳩尾へ向かう拳に、『角』の掌が割り込み、拳と掌が触れ合う。
音を超えた一撃は、感情が抜ける程、静かだった。
次の瞬間、空間が軋み、衝撃波とソニックブームが大地に亀裂を作る。
鼓膜が破れる程の轟音の中で、確かに『角』は仰け反った。
しかし、逆に言えばそれだけ。
全身全霊をいとも簡単に受け止められたヴェノムは、信じられないと言った目で『角』を見た。
「三歩の加速による必殺の一撃…差し詰め『三歩必殺』と言ったところか」
「クソッタレ!!」
「んのバケモンが!!」
「この妾を防御に追い込んだのだ、誇って良いぞ」
ギリ、と、ヴェノムの牙が唸る。
防御に追い込んだくらいで誇れるか、そう叫んでやりたかった。
しかし思考は冷静に。
彼らは拳をヴェノムの特徴である軟体のソレへと変え、拘束を逃れた。
流石に予想外の行動だったのか、『角』は小さく声を漏らす。
その鼻っ柱に、彼らはフックを繰り出した。
「ならば武の極みを魅せてやる」
『角』は迫る拳と自身の顔の間に掌を挟み、力のベクトルをずらしてヴェノムの拳を滑らせた。
まるで最初からそう殴るつもりだったと錯覚するほど自然で、違和感が無かった。
そしてガラ空きになった腹部に手を置かれる。
「『発勁』」
「っはっ…!?」
「ヴェノムッ!」
その時、彼らは全身に悪寒を感じた。
玄楽の声が響くがしかし、既に時は遅く、ズンという衝撃と共に、骨が粉砕される音が体内から響く。
それだけに止まらず、内臓が弾け、体の末端まで衝撃が突き抜け、ヴェノムは呻き声すら上がれずに膝を付いた。
今やシンの視界は真っ白だ。
「ぉ…オ…!!」
「これは大陸の技でな、妾の予測では内部から血を吹き出して絶命する筈だが…玄楽に瞬間移動で邪魔を———」
『角』の言葉を終える前に、崩れていたヴェノムが跳ね起き、『角』の懐まで飛び込む。
ダウンを取っていたと油断していた『角』は反応出来ず、腹部に手を置かれた。
そして繰り出したるはコピーの一撃。
適応にて体に備わった、反則技だ。
「がぁッ!!」
「かはっ…」
発勁。
『角』のそれとは精度が落ちるが、ヴェノムの膂力で繰り出した発勁は確かに『角』に届いた。
即座にヴェノムはバックステップで背後に飛び、玄楽の隣で構える。
「…ははは、内臓も破裂した筈、よもや人間ではあるまいな」
「俺達はヴェノムだ!!これくらい効かねぇ!!」
「…」
「ふむ、面白い」
効いていない、は、嘘であった。
今、ヴェノムの身体は発勁による力の奔流によって幾度も破壊されている。
激痛と引き換えに、ヴェノムを完全に治癒に回す事で身体を動かしていた。
背後に飛んだのも、追撃が出来ず回復に努める必要があったからだ。
玄楽はそれを見透かしているのか、横目で心配の籠った瞳を向けている。
『角』は一撃を受けた場所をさすると、楽しそうに僅かに顔を歪める。
「良い事を思いついたぞ」
「あ?」
『角』はおどけた様に手を広げる。
「なんて事はない、戯れだ、そこの黒いのと一騎打ちだ」
「…どこにそんなメリットがある?化け物」
玄楽の言う通りだ。
ただでさえ劣勢な状態で、彼の助け無しで『角』に勝つ事は出来ないだろう。
仮にあったとしても、勝算は無いに等しいが。
すると『角』は人差し指を立て、チッチッチッと舌を打つ。
妙に道化臭い動きで、ヴェノムの神経が逆撫でされた。
「勿論褒美はある…満足させられたならば逃してやろう」
「…」
ヴェノムは訝しげに『角』を睨み付ける。
その約束を守るメリットがあちらに無いからだ。
しかし、しかしだ。
憎たらしい事に、『角』に敵いそうも無い事も事実。
乗れることなら乗りたい条件だった。
すると、玄楽は耳元でヴェノムに囁いた。
「吾が戦ってきた中で、奴は極端に嘘を吐く事を嫌った、自分に出した条件がなんだろうと決して破らなかった…この提案、受ける価値はあるぞ」
そこまで言葉を綴ると、玄楽は一段と張り上げた声で『角』に言った。
「その勝負、吾が受けてはどうか!」
「それは認め———」
「駄目だ玄楽、この勝負、俺達に任せろ」
玄楽にはシンを死なせたくないと言う思いで提案したのかも知れない。
しかし、それを拒否したのは『角』は勿論、シンもであった。
「俺達はアイツに何の恨みも因果も無いが…だからといって玄楽と戦わせるのは違う」
「そうか!そうだよな!分かっているではないか童よ!」
別に大層な願いは無い。
玄楽を死なせたくない思いもあるかも知れないが、シンの根底にはやはりと言うべきか、戦いたいと言う欲があった。
この化け物に拳を打ち込んで、叩き込んで、死のスリルを味わいたい。
そんな無意識下の願いとも言える願望は、シンの知らぬ間にに肥大化していったのだ。
「童!名前は!」
「俺達はヴェノム、俺はシン」
「やはりか、その身体内には二人いるな?人間とも妖怪とも言い難いその身体の中に!」
「…止めろとは言わない、ヴェノムよ…どうか頼む、死なないでくれ」
玄楽の嘆願に似た呼びかけには、ある種の諦めがあった。
もう何を言っても、彼らは彼らのしたい様にやるのだろうと。
どれだけ守ると言っても、話を聞かないのだろうと。
ならばせめて、せめて彼らの邪魔にならない様にと、玄楽はヴェノムを見送る。
そんな視線に彼は。
「誰に言ってる」
「もう身体は万全だ、全部をぶつけてやろう」
軽く、一言で答えた。
ご拝読、ありがとうございますなのぜ。
お前が三歩必殺打つんか〜い、なのぜ。
登場人物紹介っている?
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やってくれ 必要だろ(いる)
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それは雑魚の思考だ(いらない)