第五十五話 目醒め、そして汚濁
そこは、暗かった。
気にならない程度の湿気、快適とも言える冷気。
しかしどこまでも暗いと言う訳でもなく、黄色い光が暗闇を僅かに晴らしており、暗闇に目が慣れていなかったとしても周囲を確認出来る、ぼんやりとした暗さだった。
有り体に言えば、そこは洞穴だ。
深さは約3メートル。
高さは2メートルに届かない程度。
目を凝らせば足の付き場も無いほどに何かが散乱しており、無駄な生活感が溢れ出ている。
具体的には雑にくり抜かれた石の机に、無駄に丁寧に編まれた藁の布団。
生活レベルは最低限だが、誰かが住んでいると判断するのには充分だった。
そこで異彩を放つのは、最奥で壁に背をもたれながら目を閉じる男。
彼の顔は洞窟の影によって暗闇に閉ざされ、入り口に伸びた足にだけ太陽の光が当たっている。
彼は微動だにせず、まるで置物の様に鎮座するだけ。
呼吸音も響かないあたり、死人と言った方が正しいのだろうか。
しかし。
———ピクン。
流れる静寂を破って、彼の掌が一瞬動く。
「………ん…」
暗闇の中に三白眼染みた灰の瞳が、うっすらと浮かび、まどろむ視界の中で彼は周囲を見渡す。
彼は硬い壁から背を離し、軽く伸びをした。
ゴキゴキと、心地良い様な気持ち悪い様な音が洞窟に反響し、彼の顔が顕わとなった。
彼の上半身は裸だ。
端から端まで鍛え上げられ、大小様々な傷跡がアクセントとして主張している。
特筆すべきは、胸の中心の傷跡。
焼け爛れた様に大きく赤黒い跡が染み付いていたのだ。
「………俺は…」
彼の顔は整っている。
髪質も悪くはなく、ごく普通の好青年と言った所。
しかし瞳は淀んで昏く、三白眼に近い瞳は彼の危険な雰囲気を訴えていた。
彼は底知れない苛立ちを感じながらも、自分の身に何があったかを思い出し始める。
<おはようシン>
「…おはよう、ヴェノム」
彼の名前はシン。
その中に居る相棒の名前はヴェノム。
<覚えているか?>
「…」
ヴェノムの言葉には、どこか含蓄があり、怒っている様な、労っている様な、複雑な感情をはらんでいた。
そして、彼自身もその声を、その存在を懐かしいものと感じていた。
しかし彼は、その感情そのものに疑問を覚える。
(
そして、記憶は雪崩の如く甦り、彼に現実を叩き付ける。
「…『角』…そうだ『角』…!!俺は戦って…!道も踏み外して…!!俺は…ぁぁあああ俺は…!!」
玄楽の死。
無視したヴェノムの声。
『角』との死闘。
そして、負けた。
鮮明な、残酷な記憶が脳内を駆け巡り、一つ一つの事実に目を背けたくなる。
シンはガクリと膝を抜かし、頭を抱えて地面に蹲った。
そして、俺は負けた、と小さな声を溢した。
まるでヴェノムに謝っている様でも、神に懺悔している様でもあった。
「負けた…俺は………玄楽の想いも無駄にした…!」
シンは怒りに任せて地面を叩き付けて小さなクレーターを作り、小さな砂埃が舞った。
彼は洞穴が崩壊する可能性なぞ、まるで考えていなかった。
「っこれで二度目だ!!」
一際大きな声が洞穴に反響する。
「カレンの時もそうだった!」
シンは髪を掻き乱し、半狂乱になって叫ぶ。
嗚咽の様な叫び声は、行きどころの無い怒りを発散されている様でもあった。
「ッ分かってんだよ!!全部全部全部ッ!!俺が弱いからだッ!!俺のせいで———」
「シン、それは違う」
頭の中では無く、耳を通して響く声。
顔を上げると、シンの身体から顔を生やし、シンと向かい合うヴェノムの姿。
シンはゆっくりと頭を上げ、暗闇だと言うのに小さな瞳孔をした目を、動揺にがくがく震える目を向けた。
「お前の間違いは二つだ」
入り口から差し込む陽光がヴェノムを照らし、凶悪な面相に反して暖かい印象をシンに与える。
暗闇の中で蹲るシンとは対照的だ。
「第一にだ、"玄楽の想いを無駄にした"…思い出せシン、玄楽は最期、何を言ってた?」
シンの瞳が僅かに揺れる。
脳に浮かぶのは、思い出したくもない玄楽の最期。
「…依姫を…頼むって…アイツは…」
「そうだ」
うんと、ヴェノムは頷く。
「アイツはお前に『角』を殺せなんて言っていない…シン、お前は"想いを無駄にしたから"じゃない…玄楽を殺した"アイツに負けたから"、怒りと責任を感じているんだろ?」
「…ッ」
彼の瞳が、真っ直ぐにシンを貫く。
「だがな、どちらにせよだ…"俺が弱いから玄楽の意思を無駄にした"…そんな言葉で締め括るな、それはお前の為に命を賭けたアイツへの侮辱だ、意味を取り違えるんじゃない」
「…じゃあ…じゃあ俺は、どうすれば…」
確かに、玄楽は敵を討ってくれだとか、『角』を殺してくれだなんて言葉は遺していない。
あの戦いはあくまで…シンの、怒りの捌け口だった。
大義も、目的も曖昧で。
敵討ちを銘打った八つ当たりだった。
そして、彼はその戦いに負けた。
今、正当性を持つ理由を失った彼に残っているのは、ヴェノムの言う通り言い表せられない心の汚濁。
言い換えるならば敗北感と言う名の自暴自棄。
どうすればいいのか分からない、そんなシンに彼は苦々しい表情である言葉を発した。
「大いなる力には…大いなる責任が伴う」
その言葉に、シンがピクリと反応する。
ただの格言と捉えるには、些か含みがありすぎたからだ。
「…どこかの馬鹿が言ってた言葉だ…だが、俺はそう思わない…俺達は俺達の為に力を振るうんだ…だからシン、お前が"玄楽を殺された"とか言う無駄な責任を感じる必要はない」
「………もっと、自分勝手に生きろってか?」
「そうだ」
ヴェノムが頬を裂かせて笑い、ニチャニチャとした粘着音が洞穴に響く。
「俺達には好き勝手振る舞える力がある」
「ああ、その通りだ…だがその力で俺は守りたい者を守れなかった」
自虐的に、シンは言葉を漏らす。
そんな姿にヴェノムは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
何が何でも自分の責任にしたがる馬鹿に辟易し始めたのだ。
そこで、ヴェノムはかつて玄楽の言っていた言葉を思い出す。
「シン、いつかに玄楽は、残っている者に目を向けろ…そう言ってた」
「…そうだな」
「玄楽じゃない、お前は依姫に目を向けるべきだ」
力強いヴェノムの瞳に、思わずシンは目線を逸らした。
ほんの少しだけ、納得してしまったからだ。
玄楽を殺された罪を、自分自身を赦そうとしてしまったからだ。
認められない彼は、言い訳をヴェノムに、自分に言い聞かせる。
「でもな…玄楽を死なせて…負けた俺に…」
「それだシン、二つ目だ、お前の一番の間違いだ」
ヴェノムの触手がシンの頭を掴み、強引に目線を合わせられる。
心に直接訴えかけるような瞳に、彼は最早目線を外そうなどとは思わなかった。
「俺達はまだ負けてない、先に喰った方が勝者だ…だからお前が責任を感じる要素はどこにも無い…それでも怒りを感じるなら…強くなって次会った時、ぶちのめしてやれ」
「…!」
ヴェノムの真っ白な瞳に、熱意をぶつけられる。
冷め切った心臓の鼓動が脈打ち、言いようのない汚泥が注ぎ落とされて行く。
まだ負けていない。
そんな稚拙とも捉えられる考え方を、彼は受け入れようとし始めていたのだ。
それでも、納得出来ない事が胸の中で渦巻いている。
それをシンは、ヴェノムにぶつけた。
「だけど…だけどなヴェノム…俺は赤いアレの時に…自分の意思で人に似た妖怪を喰ったんだぞ…!?」
「…?別にいいだろ、ムカつく奴は喰ってしまえば」
「〜!!そう言う話じゃない!」
ムカつく奴は喰う。
倫理的におかしい。
しかし単純で、残虐、これこそまさしくヴェノムであり、シンもその考えには半ば賛成だ。
だが、ヴェノムでない時に、シンは自分の意思で妖怪を喰った。
それはヴェノムでも何でもない、『俺達』としてのプライドも無い、ただの怪物なのではないか。
そんな考えが頭の中に根を張り、彼の思考を締め上げていた。
しかし、それは彼の本心を巧妙に隠した
本当の理由を、それらしい別の理由に差し替えていた事に、彼は気付いていなかった。
むしろその苦悩の本質を理解しているのは、ヴェノムの方。
「…ほ〜う成程な〜…さてはシン、そんな姿を依姫に見られたら失望されるから、とか思ってるな?」
「…っ!…な…っ!…!」
「ハハハハ!大丈夫だ!!そうやって心配してる内は嫌われないぞ!」
ハッと彼は気付き、同時に納得という屈辱に曝される。
そして好きだの嫌いだのくだらない理由で悩んでいた自分に羞恥を抱き、それをヴェノムに見抜かれていた事に恥を掻いた。
最早シンは言葉を失うしかなく、口をぱくぱくしながらシンの肩を叩いて笑い飛ばすヴェノムを見つめるだけ。
やがて彼はガックリと肩を落とすと、体育座りで壁に身を寄せた。
その姿は、実に情けない物だった。
「…なんだよそれ…あぁ馬鹿馬鹿しい………」
そのまま彼はずるずると背もたれながら寝転がり、深いため息を吐いた。
しかしそこに先程までの悪感情は無く、瞳にも幾らか光が戻ったように思える。
こんな事態になってまで依姫の事を考えている自分を省ると、急に悩んでいた事が馬鹿馬鹿しくなったのだ。
絶望の代わりに希望ではなく、羞恥が湧くのは何とも言えないが、さっきまでの荒れ様よりはマシだ。
もう大丈夫だろうと判断したヴェノムは、話題を変えてシンに話しかけた。
「…これからどうする?チョコの代わりになる食べ物でも探すか?」
「強くなる」
「…HMMM」
即答。
彼は、カレンの様に、玄楽の様に、目の前で友人が死なれるのはもう嫌だった。
強くなれば、そんな事は起こらない、そう信じて。
言外に提案を却下されたヴェノムは唸りながらシンの体へ戻って行く。
「それと…依姫に会いに行く」
<…俺の案の次ぐらいに良い考えだ、どうせ泣きながら止められたのに無理して振り切ったんだろ、記憶を見なくても分かる>
「…ああ、キスして諦めさせた」
<なに!?この女たらしめ!!キスはその為にあるんじゃない!!>
依姫は今も、俺を待っている筈だ。
何より約束したのだ、必ず戻ると。
あの時は嘘の約束だった、しかし、生き残ったからには、玄楽がシンを生かしたからには、会いに行かなければならない。
正直依姫が他の男に目移りしてしまう事を危惧しているから、と言う事も理由の一つだ。
そんな一抹の不安を抱くシンに、ヴェノムは畳み掛ける。
<シン!聞いてるのか!キスは女が寂しいときにしてやる物だ!決してそんな風に使う物ではない!!>
「ごちゃごちゃうるせぇよ寄生虫、そうするしかなかったんだ」
「一線超えたな!わからせてやる!!」
「はっ!来いよ!どっちが正しいか教えてやる!!」
寄生虫、そう言った瞬間に再びヴェノムが視界に滑り込み、鬼の形相をシンに見せ付ける。
しかし彼は全く怯まず、むしろ啖呵を切った瞬間、口火は落とされてしまった。
頭突き、ぶん殴り。
噛みつき、ぶちかまし。
デフォルメするならばボコスカ喧嘩する五歳児園児だ。
実態はド突き合いで鼻血が宙に舞う、血生臭い喧嘩。
こうなる事は分かっていた、ヴェノムは寄生虫と呼ばれるのが大嫌いな事くらい、分かっていた。
だからこれは喧嘩とは程遠い、じゃれあいだ。
それにヴェノムとの些細な喧嘩は、日常なのだ。
まるで朝のルーティーンを済ませるかの様に。
ヴェノムと話している事が嬉しくて、わざと悪口を吐いてしまったかも知れない。
それで寄生虫と呼ばれるヴェノムはたまった物じゃないが、彼も満更じゃない。
「…っはは」
「何笑ってやがる!」
砂浜で水を掛け合う男女の様に、それはそれは楽しい一時だった。
こんな時間を過ごしたい、『角』に負けた瞬間、そんな事を考えていたシンにとっては、尚更だ。
しかし、楽しい時間と言う物は必ず水を刺される物だ。
それを示すかの様に、シンでもヴェノムでもない声が洞穴に反響した。
「…あ…あ…!!」
暗闇が深くなっている、それに気付いたのは、差し込む陽光が一つの影に遮られたからだ。
そして鼓膜を震わせるのは少女を思わせる、しかし誰とも知れない高い声。
シンとヴェノムは手を止め、こちらに伸びる影を見遣った。
更に目線を上げ、その人物を認識する。
「お前は———」
それは、何処か見覚えのある少女だった。
紫のワンピースに似た服に身を包み、太陽の光に反射した長い金髪が黄金に濡れている。
その毛先の幾つかはリボンで結ばれており、更にナイトキャップの様な帽子を被り、これもまたリボンが飾り付けられている。
真ん丸に見開かれた瞳は、紫にも金色に見える。
十人が十人美少女と声高に言うであろうその少女。
しかし、
数秒の間、双方が見つめ合うなんとも言えない虚無が流れる。
しかし、少女はシンのヴェノムを交互に、何度も見比べると、こちらに震える指を刺して叫んだ。
「あ!あ〜〜〜!!!」
「はぁ…?」
更にあんぐり口を開けて、驚愕する少女。
錯乱しているのだろう、目に焦点があっていない。
その姿は変人と言わざるを得ない、が…まぁ、悪い奴では無さそうだ。
そう彼は結論付ける。
それが、後の大妖怪とシン達の、
ご拝読、ありがとうございますなのぜ。
シンがヒト型妖怪を喰った、その事実は変わらないのぜ。
いくら本心が馬鹿馬鹿しい物だとしても、その経験は彼の頭のネジを緩め続けるのぜ。
どこか歯車が狂えば、彼は元来の戦闘狂の性質も併せて簡単に無差別殺人犯になるだろうのぜ。
おぉこわいこわい。
それはそうと最後の人物は一体全体誰なんだ…
あけぼのじゅういち様、☆7評価ありがとうございますなのぜ。
登場人物紹介っている?
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やってくれ 必要だろ(いる)
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それは雑魚の思考だ(いらない)