IS~暁に浮かぶ白を忘れない~   作:不落閣下

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16――青春する。

 目を覚ました時、本当の自分か如何か、迷う時がある。それは、幾多にも渡って繰り広げられる心内世界での殺し合いの果てに産まれた存在であるかもしれないと、本来の自分すらも殺して産声を上げた怪物の呻き声なのかもしれないと、思ってしまう時がある。

 アンプル剤の空虚な音が聞こえた途端、思考が落ち着いて行くこの瞬間が、未だに慣れない。

 殺せ、と喚き叫ぶ自分が居る。

 殺して、と叫び喚く自分が居る。

 そして、その二人の自分の間に立ち尽くす自分が居る。

 常識とは、何時だって誰かの常識で構築されている世界的認識にしか過ぎない。だからこそ、内側の自分がその常識を塗り替えてしまった時、私はきっと私なのに私でなくなってしまうに違いない。正しく狂気に魅入られた哀れな怪物に成り下がるのだろう。けれど、そうなってしまっても良いと言う自分もある事も確かだ。現実は、いつだって厳しかった。だから、その現実を握り潰してしまえば良いと考えた結果、こうなってしまった。そう、これは私の望んだ結果なのだ。だから、恥じる事は無い。悔やむ事も、諦める事も無いのだ。

 アンプル剤が手元から零れ落ち、僅かな浮遊を経過して床に転がった。

 首元の頚動脈のある部分には幾多に渡って打たれた注射の跡が残っている。それは、私が私であるために必要な儀式であったのだから、少女心的には嬉しくないし好ましくも無いが、仕方が無いと妥協できてしまった。殺傷症候群、D.L.L.Rシンドローム。私の心に住まう悪夢の病原。肉体的に死を迎えるよりも早く、この精神病は精神を殺してゆく。段々と、そう、忍び寄るかの様に段々と、私は死を与える事を、死を迎える事に対して恐怖の感情を感じなくなっていた。むしろ、死に行く時のあの魂が零れ行く様な感覚に幸せを感じてしまう程に狂ってしまっているのだから。

 誰か、私を、早く――。

 そう、願いながらも私の意志と身体は生きようと足掻き続ける。

 

「……まだ、生きてる。これもまた、見方を変えれば幸福の一つ、でしょうかね」

 

 右掌を見やればもはや赤い液体に塗れた状態ですらなく、赤黒くこびり付いている程に悪化していた。そろそろ、終わるのだろうか。そう不思議と他人事めいて感じてしまう程に、私の心はもう磨耗して罅割れ過ぎていて、限界に近付いている、そう分かってしまう。

 ふと頬に特徴的な刺青を入れている少年からの忠告が甦る。

 ――俺らにとっては、殺さないのが普通じゃなくて、殺すのが普通なのさ。理由も目的もなーんもいらねえのさ、俺らにとっちゃ当たり前なんだからな。

 抑圧されている。他人に、上層部に、常識に、自分に。自分を曝け出せと、暗に言っていたあの少年はニヒルな笑みを浮かべていた。たった一瞬の、交差点の街角で擦れ違っただけの私に、そう彼は言った。あんなにも血の匂いのする少年はきっと明日にも会えぬ様な暮らし方をするのだろう。「あーあ、出会っちまった」そんな戯言が思い浮かんだのはきっと私だけでなく、彼にも思い浮かんだに違いない。彼らの様に生きたならば、この世界に人はもう居ないだろう。抑圧された私の思想は皆殺しを是とし虐殺を是とし獄門を是とする様な怪物で、誰も彼も殺してしまえば復讐の杯を満たせると思っているような奴なのだ。私とて、そうした方が楽だと思う。こんなにも苦しい思いをする事も無いのだろう。けれど、それは人を辞めると言う事だ。あの少年の様に、鬼と成り果てるのは、私は、嫌だった。

 ただ、それだけ、たったそれだけの理由で私はこの薬との共同生活を強いられていた。

 嗚呼、確かにスパイのあの子を引き千切る様にして拷問死させた時の、頭の頂点までに上り詰めた興奮と悦に溺れた様にどろりとした背徳的な快楽を貪った瞬間が未だに燻っている。誰かを傷付けて、自分を傷付けて、漸く生きていると言う事を実感する様な怪物には、それを押さえるための鎖が必要だったと言うだけで、いつしか、この効きが弱まりつつある精神安定剤が意味する事を無くした時、私は終わるのだろう。そして、私が始まるのだろう。

 嗚呼、なんと言う事でしょう。それは、何て甘美な囁きの様に感じて――。

 

「おねぇ、ちゃん」

 

 浮かび上がった足首を掴まれ引き摺り下ろされたかの様に、私は隣でえへへと笑みを浮かべている簪の声で正気に引き戻された。段々と自分の中のげに恐ろしき衝動が高まっているのを感じる。いや、燻っているのだろう。何せ、施設での生活中はこんなにも正気を保てている事すらも無かったのだから。教官が無理矢理叩き起こさなければ正気に戻れなかったあの頃の私と違い、今の薬漬けの私は不安定であるのは間違い無い。けれど、こうして誰かの声の媒介に呼び水として正気に戻れるだけの安定さを見せていると言っても過言では無い。言うなれば、薄い氷で出来た橋を叩いて渡る様なものだ。いつ割れるか分からないが、渡れている事実がある。それだけで、今の私には十分だ。

 

「……酷い顔をしているんでしょうね、何せ、こんなにも酷い気分なのですから」

 

 狂気の狭間から戻って来た時の心象は何とも言い難い油の混ざる汚泥の様な気持ち悪さを感じさせる。特に寝起きのどちらにも舵が取れぬ時が一番問題が出る。今日の様に簪の声と言う割り込みが無ければ、完全に目が覚めるその瞬間まで狂気染みた思考に溺死寸前までに陥るのだから割と死活問題だ。因みに、簪が居ない頃はそのままふとした瞬間に正気に戻って洗面台に胃液を吐き捨てるまでがテンプレだったりするので、危ない病人でしか無い。その日はいつもの早朝トレーニングを見送るかと迷ってしまうくらいに気分が絶不調になってしまう。

 けれど、兄さんが死ぬ時の悪夢を見るよりかはマシだと思っているのがもう手遅れの証なのだろう。

 そう、段々と壊れながらも、段々と慣れ始めているのだ。言うなれば、共存し始めたと言うべきか。自分を殺し続ける狂気が、誰かを殺し続ける狂気が合わさって混沌めいた怪物となり私を包み込む日がいつか来る。そして、その瞬間に身に纏う狂気を得る事ができたならば、それはそれで新しい私の在り方になるに違いない。破滅を受け入れる事もまた選択肢、か。何ともまぁ酔狂な考えをしているものだと、私ですら苦笑気味である。私でありながら、私でない私が居る。

 それもまた、狂おしい(いとおしい)自分なのだから。

 

「それにしても……、こうも変わるモノですかね。我ながら浅ましいと言うか、即物的と言うか……」

 

 何となく狂気の夢見が良くなったのは言うまでも無く、織斑君のあの言葉なのだろう。まさか、怪物でしか無かった私を護るだなんて事を言ってくれる人が居るなんて思いもしなかった。正しく視野が広がった思いであったのは言うまでも無い。彼は、私を理解しようとしてくれているのだろう。こんな、怪物を抱えた欠陥人間に対して哀れみで無い感情を向けてくれている。ただ、それだけが同情よりも慰みになった、と言うだけ。続く訓練に力を入れ過ぎてしまったのも仕方が無いのです、ええ。

 そろそろ織斑くんの基礎(・・)訓練も終わる頃合ですし、お待ちかねの模擬戦なども視野に入れましょうか。マニュアル操作での移動が可能となった今、経験を積むには丁度良い相手も居ますし、オルコットさん辺りをぶつければ良い跳ね返りがある事でしょう。しかし、お二人の成長具合にはもう呆れしか出ませんね。何で素人が始めて一ヶ月程でマニュアル操作に慣れる(・・・)んですかね。私でさえ数ヶ月は血反吐気味だったと言うのに、本当に才能ある天才ってのは理不尽ですね。しかも、お二人とも私の管轄外である刃物系、直接動く分才能も必要と言う事なのでしょうか。私とてナイフ程度であれば十全に動けますが、刃渡りの長い刀となるとぐぬぬと言わざるを得ません。接近戦だなんて敵の急所に確実な死を与えられる一撃を与えるか、幾多に渡って切り裂いて出血死させれば良いのです。達人めいた居合いなどなんて放てませんし、そんな事をさせる時間があるなら火砲系統で圧殺してしまえばお手軽ですし……、ううむ、相容れませんね。どうしたものか。

 

「手は、ある事にはあるんですけど、ね?」

 

 そう私の隣で寝ている簪を見やる。幸せそうにぐっすりと寝ているようで、つい頬へと伸びた手に伝わるもちもちとした柔肌が心地良い。こんな子が更識の剣を継いでしまうだなんて世も末ですね。何故、受け取るべき才能と性格が一致していないんでしょうか。そう思いつつ顔に掛かっていた前髪を払ってあげた。その途中で頬擦りをされたがまぁ良いだろう。狂気に浸る時は常に普段起きる時間よりも速いのでもう少しだけ寝かせてあげよう。最近《打鉄弐式》の兵装開発に熱を入れているようなので若干寝不足気味であるようだし、そろそろ喝を入れてあげないと駄目なのかもしれない。いや、もしかすると最近私の言動が狂気寄りになっている事に気付いている節があるからか、早く《打鉄弐式》を組み上げて殺戮衝動の緩和を狙っているのかも知れない。そうすると、焦らせてしまっているのは私のせい、か。けれど、数分十数分と寝る時間が遅くなっているのは頂けない。案外簪の事だ。私が先にベッドに入って招けば簡単に寝入りに来るかもしれない。……いや、十中八九来るだろう、この甘えん坊娘の事だから嬉々として来るに違いない。

 

「それにしても体温高くてあったかいですね簪は……」

 

 胸元に簪の頭を抱える様にして抱き込むと擦り寄る様にして私の腰元に抱き付いて来る。こんな風に身長的にも小さな身体を抱き込んでいるとまるで母親になった気分だった。窒息する程の胸は無いけれども苦しく無い様に抱き込むと自分よりも高い簪の温もりを感じる。そして、鼻腔には混じる様にして簪のお日様の様な匂いがふわりと舞い込む。……うん、二度寝してしまいそうな程に心地良い。平和と言うのはこういう気持ちを言うのだろうか、そんな戯言を嘯いてみたくなる。

 平和だなんて、平和でない時があるからこそ言えるのだから。

 すっと和やかであった心内環境に冷水が差し込まれた。我ながら何を朝からやっているのだと残っていた眠気と共に色々と覚めてしまった。少し時間は早いが支度をしてしまいましょうか。

 

「あ、自分から抱き込んだからか簪から抜け出せませんね……」

 

 がっしりと腰を掴まれているために抜け出すには困難極まる状態。こうしてしまったのは私であるし、無理矢理離してしまうのも忍びない。仕方が無い、時間まではこうして居ましょうか。案外これもまた幸福の形なのでしょう。気を許せる相手の隣に正気のままで居られる事、それは、私にとってとても幸せな事なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ、さて、どうすっかな……」

 

 トイレの中で一発し終えた俺は、内側が見えないタイプの蓋付きプラスチック容器を片手に賢者タイムになっていた。昨夜の勉強会が終わった後、疲れが限界に達したらしい沈黙した箒とセシリアを同じベッドに放り込んだ浅草さんに去り際に言われ、渡された此れが今回の悩みの種であった。

 ――あ、そう言えば上からの指示で織斑くんの遺伝子サンプルを取る様にと言われていまして。

 そんな始まりで渡されたのがこの容器であった。最初は血などの採取かなと思っていた俺だが、それなら採血用の機材がある筈と首を傾げ、彼女も意思の疎通が取れていないと理解したのか少々気まずそうに宣告したのだった。確実に意味を理解していると言った風に、少々ながら初心に頬を染めて、だ。

 ――えと、その……、白濁したアレ、だそうです。必要なら手伝いをしろとも言われているのですが……、どうしましょうか……。

 どうしようもなかった。当然ながらお互いに狼狽えた。それはもう盛大に狼狽えた。

 結局、浅草さんは上の指示通りに手渡せと言われていたらしい封が閉じられている便箋とこの容器を手渡して去って行ったが、悶々とした気持ちと上層部のえぐさに戦慄していた。選りによって同い年の女の子にさせるもんじゃねぇだろ!? と言うか、あの言い方からして確実に俺が抱きたかったら浅草さんを抱いても良いぞみたいな補足付いてるだろアレ。そこまで鬼畜思春期じゃねぇぞ俺は。それから数分程固まってから、取り敢えず説明の類の紙が入っているのだろう便箋を開いた。施設時代の浅草さんなのだろう、今よりも少々幼げな雰囲気だったから多分最近の物では無いと思う写真が入っていた。それも入っていたのはあられもない姿でポージングしている彼女の水着(・・)写真が数枚。つまり、これで抜けと言う訳なのだろう。言わして欲しい。神は居たんだな、と。即座に《白式》の空いているスペース、それもプライベートスペースと言う操縦者専用の領域に放り込んだ。この写真を誰かの目線があるかもしれない場所で見る訳には行かない、そう鼻頭を押さえながら俺は蹈鞴を踏むのだった。

 そして、先程に戻り、これ、どうすれば良いんだ、と苦悩しているのである。中学で学祭の時にやった検便の比では無いやばい代物である。朝出してきたぜ、と彼女に渡せと言うのか此れを。恥ずかしくて死ねるわ!? 唯でさえ数週間溜め込んでいたとは言え今まで以上の出具合で自分でも吃驚したわ! 確実に俺もう浅草さんの虜だぞ!? ……って、俺は何を考えてるんだ。消臭機能をオンにして居座っているとは言え、そろそろ朝のトレーニングに行かなきゃ駄目なんだぞ。何せ、箒が起きる一時間も前に起きちまったからな。我ながら現金と言うか盛った犬と言うか、気になる(・・・・)女の子で抜けた時点でもう色々とアウトだかんな!?

 

「……あー、でも、浅草さん普通に(しも)い話振ってたような……?」

 

 そう、初日の時の説明であろう事か、千冬姉が独り身な理由が貴方と近親相姦してるからなんでしょう、みたいなニュアンスでぶっ込んできたジョークを考えると案外浅草さんは耳年増だったりするんだろうか。……初心な感じで恐る恐る俺の零落白夜をスライドしてるのに目を爛々としてたりとか……、はは、何それ楽園か何かか。妄想でありながらマッスルポーズを取っている下半身の俺は大分正直であった。一部を除き下半身がそろそろ冷え切っているので色々と処理をしてズボンを引き上げる。

 肝心の容器は頑丈そうなのでポケットに入れて置こう――と思ったが、うっかりして落したら大変拙い代物なのでこれもまたプライベートスペースに放り込んだ。扉から出て数秒後にもう一度中へ入って臭いの確認を終えた俺は自分のベッドに戻ってトレーニングに用いるジャージへと着替える。隣を見たら淑女(笑)と称せる様なアレな具合だったので、そっとしておこうと思った。

 冷蔵庫から程好く冷えたミネラルウォーターを口にして、汗拭き用のタオルに包んで持っていく。昔から健康気質と言うか、こうしておくと終わる頃には丁度良い温めな感じになるんだよな。直射日光当てるのはちょっとアレだし、タオル越しで十分だろう。合鍵の一つをポケットに入れて戸締りし、さて向かうかと歩き始めた時に隣からドアノブが回る音が聞こえた。案の定、黒いトレーニングジャージっぽく見える実は高性能なアレコレが付与されているらしい羨ましいジャージを着た浅草さんが出てきた。普段、腰元までばさぁと下ろしている髪をこの時だけはうなじの所で纏めるウルフテールにしていて、普段見られない白いうなじが垣間見れる姿になる。そして、今日は珍しく襟が立つ程にチャックを上まで閉めている様なので残念ながら白磁の聖域はお預けの様だった。

 

「おはよう浅草さん。珍しいな」

「ああ、織斑くん、おはようございます。いえ、少し春眠に魅入られてしまったようで、中々起きれなかったのですよ」

「あはは、最近ぽかぽかな感じだもんな。確かに俺も布団から出たく無い時も多いや」

「ふふっ、でも確りと起きれてるじゃないですか。お寝坊さん卒業ですね」

「まぁな。……遣り甲斐あるし、元々身体動かすのは好きだしな」

「成る程、そうでしたか。道理で朝からそんな匂いを付けている訳ですね?」

「……………………え゛」

 

 浅草さんのその一言で朝の和やかな雰囲気が一気にピンク一色に変わった気がする。確かに春は桜の季節ではあるが、こんな時に咲き誇らないで貰いたいんだけども。いや、現実逃避は止そう。と言うか、臭い、分かるのか。……そうさり気無く身体の臭いを嗅ぐ俺が滑稽だったのか、口元に細く綺麗な手を置いてくすくすと浅草さんは笑った。何気にレアな表情をあっさりとしているのに、内心驚き半分歓声半分で《白式》に撮影を任せた俺は固まらざるを得なかった。

 

「ああ、ごめんなさい。カマ掛けました。流石に血の匂いならまだしも男性の体液の匂いは知りませんので。真面目な織斑くんなら昨夜か今朝にでも準備してくれてるんじゃないかな、って思っただけですのでそう焦らなくて大丈夫ですよ」

 

 私、理解ある女の子です、と言わんばかりに柔らかく接して来てくれた浅草さんに俺は少々戸惑ったが、彼女なりに俺の事を意識してくれているのだなと思うと胸が熱くなった。普段は淡々として教師然としていた印象だったんだ。けど、今の浅草さんはこう……、秘め事多き年頃な女の子、けれど秘密はかなりデンジャラスみたいな、って感じでとても可愛らしく感じた。普段クールビューティで綺麗なイメージのある浅草さんのギャップに俺はもう如何にかなりそうな気分だった。そんな俺が恥ずかしさから黙っているのだと勘違いしたのか、申し訳無さそうな表情を浮かべたので慌てて反応する。どうしてか浅草さんの顔が曇るのが嫌だった。

 ……って、アレ? さっきの言い分だと浅草さん血の臭いなら分かるって事じゃ……。

 あー、うん、もはや驚くまい。

 

「えと、すみません。年頃の男の子との会話はまだ慣れていなくて。つい教官の口調を真似てしまってるんです。不快に感じたら――」

「いいや! 大丈夫だ。此れ位問題は……、問題は……、無い、かなぁ?」

「ふふっ、私に尋ねられましても困っちゃいますよ」

「ははっ、そうだよな。ごめんごめん」

「私そう言う経験も碌に無いので、何か不満などの申し出があれば言ってくださいね。……その、友人が二人程しか居りませんので、それも男性の方とは初めてですので……、その、何と言うか……」

 

 そう初心な感じで狼狽している浅草さんが何処か小動物ちっくに見えてしまい、僅かに羞恥で赤らんだ頬やたどたどしい口調に何つーかもう、堪りませんな。ああ、弾や御手洗の言っていた萌えの境地ってのは此れなんだな。確かに此れは、破壊力抜群だ。此処で格好良い台詞が言えたら良いんだが、生憎イケメンじゃない俺には到底ハードルが高い所業だぜ。何せ、恋人居ない暦イコール年齢だしなぁ。取り敢えず、切羽詰ってしまっているらしい浅草さんに何か言わねば。

 

「俺も似た様なもんだよ。こんなに意識した会話は初めてでさ、ちょっと上がってたりするくらいだし」

 

 って、俺の口は何て事を言いやがるんだ?! 咄嗟に出たとしても浅草さんに意識してますって口頭してどうすんだよ。ほら、浅草さん聡いから意味完璧に理解しちゃって耳まで真っ赤にして俯いちゃったじゃねえか!? てか、本当に浅草さんそう言うのに初心なのな。すっげぇ可愛い。……と言うか脳内で聞こえてくる《白式》のシャッター音がめっちゃ五月蝿いんだが。いや、確かに俺も撮れるなら撮っておきたいけどさ。……待てよ、もしかして俺の無意識に反応して爆撮りしてるのか? やばい、凄く納得しちまった。

 結局、浅草さんの調子が戻らずのまま無言でマラソンコースへと向かい、そのまま三十キロの無言マラソンが実現してしまったのであった。最初の頃は半分、いや、五キロも走れなかった俺だが二十キロまでは何とか付いて行ける様になった。けれど、痛々しい沈黙のせいか今日の浅草さんの速度が三割程速いため早々に置いてかれてしまった。だが、スタタタとしれっと四周遅れにしている辺り意外と冷静になれてるんじゃないだろうか。結局時間の問題で二十五キロが限界だった俺を待ってくれていたのだろう、ベンチの上で赤面していた顔を冷やす様にして浅草さんが座っていた。

 

「……先程は失礼しました。その、他人からの好意には慣れていない、と言うか、その……、先程の一件は見なかった事にして頂きたく……」

「あー、いや、その、だな。……良し、水に流す方向で」

 

 そうタオルで汗を拭いながら俺は言うしか無かった。流石に、あの程度で此処まで慌てるとは俺も思っていなかったし、何よりも俺も居た堪れない。

 

「ええ、そうして頂けると嬉しいです。……不覚、です。流石にこればっかりは施設では習わなかったもので……」

「学校ってのはそういう付き合いも学ぶ場所だと思うんだ」

「……そう、なのですか?」

「だから、昔の事を嘆いても今の現状は変わらない。なら、学べば良いんだよ此れから、IS学園(ここ)でさ。その、なんだ。俺も手伝うしさ。……てか、唯一の男子生徒だしな、俺」

「…………」

 

 浅草さんはその考えは無かったと目を瞬かせて、目から鱗が落ちたと言わんばかりの呆けた顔を晒していた。そして、暫くして一息溜息めいた深い息を吐いてから、儚い笑みを浮かべて浅草さんは静かに頷いた。その沈黙に何が含まれているのだろう。その儚い表情の裏に、何を秘めているのだろうか。俺は、浅草さんの事を知らな過ぎる。気に成った女の子がこうまでして秘める思いとは一体何なんだろうか。俺は、知りたくなった。けど、尋ねるにはまだ早過ぎるだろう。まだ土台すらも建てれてないシーソーめいた足場で、彼女に近付き過ぎる事は互いの崩落に繋がるに違いなかった。

 だからこそ、俺は、一歩だけ、踏み込もうと思ったんだ。

 

「……一夏」

「え?」

「俺の事さ、一夏って呼んでくれないか? 仲の良い友達ってのは大体下の名前で呼ぶんだ。だから、浅草さんにもそう呼んで欲しいな、って。形から入るのも在りだと思うんだ。……駄目かな?」

 

 自分で言っていて酷い奴だと思う。友人の呼び方なんて苗字でも名前でもどちらでも付き合いの良さがあればどうにでもなるってのに、友人付き合いすらも少ないらしい浅草さんに吹き込んでいるんだから。けど、俺はどうしても浅草さんに名前を呼んで欲しいと思っていたんだ。

 

「……では、い、一夏、くん、と呼ばせて貰いますね。私の事は……」

 

 名前を呼ばれた。たったそれだけなのに、俺の胸の鼓動が喧しく感じた。頭に昇る様な嬉しさが身体中に浸透して、剣道の大会で優勝した時以上の心地良い感覚が広がって行った。ああ、嬉しい。何つーか、言葉に出来ないくらいに嬉しかった。もしかすると自分も染子と呼んで欲しいと言ってくれるのか、と思った途端にとっても申し訳無さそうな表情を浮かべていた。まるで、伝えようとしていた事に後ろめたい事があるのだと言う様に。名前を呼ぶ事が後ろめたい、アレ、それってつまり……。

 

「もしかして、偽名、だったりするのか?」

「…………」

 

 無言の肯定。ああ、これは何と言うか、ガーン、だな。そうだよなー、義務教育が跋扈する時代で施設で過ごしてたって言ったらとんでもない何かを抱えてるに決まってるよなー、そりゃそうだよなー、あー何と言うか物凄く居た堪れないと言うか悲痛に感じると言うか……。けど、同情はしちゃいけないんだろうな。浅草さんが、いや、彼女が同情してくれって言ってた訳じゃないんだから。俺の偏見を押し付けちゃいけないんだろう。……それは、女友達から言われも無い押し付けを受けた俺だからこそ分かる事だった。押し付けられるって事は、今のお前は好ましくないって言ってる様なもんだもんな。

 

「えっと、その、機密に当たるので……、おり、……い、一夏くんが此方(・・)側に来るなら、その時は教えられます。ですので、染子と呼ばれても差ほど意味が無いかも知れませんね……」

「んー、まぁ良いんじゃね? 形から入ろうって話なんだからさ。そうだろ、染子さん」

「…………それも、そうですね。何と言うか、主導権を取られるのはもどかしく感じますね。こうも友人初心者な私ですが、宜しくお願いしますね、一夏くん」

「おう!」

 

 やばい、ベンチに座ってるから必然的に上目遣い、それも今まで見た事の無い様な向日葵を思い浮かべる様な笑顔を直視してめっちゃくちゃ顔がにやけそうだった。朝の早朝と言うのもあってこのマラソンコースで走ってる奴は俺たちくらいしか居なかったから、この百万ドルの笑顔に匹敵する浅草さんの、いや、染子さんの表情を俺だけが独り占めしていたんだ。

 俺は、その笑顔に見惚れてしまっていたんだ。

 ――知ってるか? 相手の事を四六時中思っちまって、相手の一挙一動に目ぇ見張っちまって、相手の新しい一面に出会う度に喜んで、笑い掛けてくれた時の表情を忘れられなくなって、近付いただけで視界に入れただけで視線を向けられただけで意識しちまった奴ってのはな。

 

「……あ」

「……どうしました?」

 

 ――そいつに恋しちまってるんだよ。心底惚れちまって如何し様も無い程に、な。

 弾が言ってた事ってもしかして……、こう言う、事なの、か? いや、でも、駄目だ。分からん。けど、恋、何だろうか。この、押さえられない感情は、染子さんの笑顔を護りたいと思った事は、幸せで居て欲しいと思った事は、恋、何だろうか?

 ……駄目だ、分からん。雰囲気に流されている可能性もある。俺の思い違いで染子さんに詰め寄るのは何と言うか、嫌だし、染子さんにも迷惑だろうし、……嫌われたら嫌だ。外出届け、出して見ようかな。久し振りにあの馬鹿たちと馬鹿やるのも悪くない。その時にそっと聞いてみよう。俺のこの気持ちが恋なのか。それともただの自惚れなのか。

 

「染子さんって笑うと可愛いんだな」

 

 自分で言っていて思った。臭過ぎるだろその台詞は。

 結局、再び顔を真っ赤にして沈黙してしまった染子さんが吹っ切れて、トレーニングルームの機材総舐めにして顔の赤らみを誤魔化して四桁を叩き出したのだった。照れ隠しにハードコアトレーニングって……、染子さんは不器用可愛いなぁ。

 ……あ、結局容器渡し忘れた。どうすっかな、これ。




書けてしまったので投稿しときますね(そっ出し

浅草さんは普通(彼女にとって)な箱入り系(特殊施設)女の子です。
言うなれば、男子に慣れてない子が慌ててる感じ。
まだ、恋愛的には感じてないのだ、すまんな一夏。
しかし、マイナスから0(スタート)くらいには立てたぞ、頑張れ一夏。

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