IS~暁に浮かぶ白を忘れない~   作:不落閣下

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17――開始る。

 あー……、何たる不覚。勉学は不出来であると自覚しているが、ああも難しい事を積み込まれると知恵熱で倒れてしまうのはそろそろ何とかせねばなるまい。お陰で朝のマラソンができなかった挙句、慌てて朝食を取る羽目になってしまったではないか……。そう言えば半ば気絶する形で真っ青な顔をしていたセシリアは間に合ったのだろうか。身支度に時間が掛かるのは女性の嗜みの常と言えるが、彼女はそれに加え貴族令嬢。色々と細かい事まで手入れをしているに違いないだろうし、化粧にも長けている様だったからな……。

 しかし、何やらいつもと比べてざわざわしているな。食堂は朝でも姦しい和気藹々とした会話が成されているが、今日は何と言うか、色めき立っている、と形容すべきか。転校続きの中学で偶に有名人の結婚報道などで色めいた時のそれと似ていた。食堂へと赴いて食券を学生証のカードで買う。ううむ、和のメニューは案外多いので迷うな。……まぁ、結局日替わり朝食セットを頼んでしまうのもまた日本人の性か。さて、空いている席は、と見渡してみれば目立つ金髪が視界に入った。朝に弱いのかもそもそとサンドウィッチと紅茶を嗜んでいるセシリアが見えた。その隣には炒飯に手を付けている小柄な少女、凰鈴音、だったか、その少女もまたもそもそと何処か気落ちした様子で食べているようだった。はて、何故この二人はこんなにも意気消沈としているのだろうか。和食セットは鮭の切り身とほうれん草のおひたし、豆腐と若布の味噌汁にしらす干しと言う純和食のメニューだった。お盆に載せた和食セットを持って彼女たちの空いた場所へと一言伝えてから座る。

 

「……おはよう。どうした、何やら気落ちしているようだが……」

「……………………わ」

「む?」

「とんでもない事になりましたわ……ッ!!」

「お、おう!?」

「箒さん! その様子だとまだお知りに無いようなので、……こ、此れを」

 

 切羽詰って危機感に震えているセシリアが手渡したそれを受け取って、絶句した。其処には新聞部の号外と銘打った一面だけと言う報道にして潔い新聞が手にあった。簡潔にして読みやすいのが売りではあるが、今回のはとんでもない爆弾記事だった。一瞬呆けてしまったが、確りと腰を据えて黙読するだけの気概は無かったので半ば垂れ流す様に口にする。

 

「……朝の密会か。日本代表候補生にして冷徹の鬼姫とも称される浅草染子と男性唯一の操縦者と名高い織斑一夏との関係は護衛とその護衛対象と言う印象に染まる昨今、普段笑顔を見せやしない彼女の素顔を新聞部はチェケラした……。って、何故其処でネタに走るのだ。……ええと、今朝六時頃、早朝のランニングトレーニングに勤しんだと思われる二人はベンチで仲睦まじく会話を交わしている様だった。彼女の察知範囲外、と思われる箇所で光景のみを激写した写真を添付してある……」

 

 其処には滅多に見た事も無い満面の笑みを一夏に向けるベンチに座った浅草と、その笑みを真正面から見たのだろう顔を真っ赤にした可愛い一夏の一シーンが其処にあった。ずきり、と、いや、ざっくりとそれ以上の痛みを胸に刻まれた気がした。幼馴染として今まで一夏の事を見てきた。幼い頃からも一夏は女の子にモテた。それは、根が優しい一夏が人の良い所を見つける天才的な感覚を持っていたのもあり、容易く懐に入って仲良しになれる様な明るい性格を持っていたのが大きい。そして、何よりも一夏は、誰かを護りたがっていた節があった。そう、それは姉さんの奇行によってとばっちりを受けていた私を生意気な男の子たちから救い出してくれた。あの日の事を未だに私は思い出せる。

 

「……そっか、優しいな、一夏は……」

「え?」

「…………大丈夫だ」

「大丈夫ってアンタ……、辛い、顔してるわよ?」

「……実際問題な、ほんの少し疑ってるのだ。この思いが本当に恋だったのか、を。私は一夏に救われた。けれど、あいつにとっては当たり前の一人にしか過ぎなかったんだろう。一夏は何時だって千冬さんに護られてきた。だから、困った誰かに手を差し延ばして護る側になりたがっていた。そして、彼女も……きっと、そうなんだろう」

 

 私の言葉にセシリアは引っ掛かりが無いのか小首を傾げていたが、凰の方は思い当たる事があるのだろう凄く納得している表情を浮かべていた。第一、浅草自身があの有様だ。護りたがりの一夏なら容易く彼女の暗がりの一面を見抜いているのだろう。あれ程に暗い一面が垣間見れる浅草だ。それはもう埃を叩く程に出てきているに違いない。それに、私自身、浅草になら、と思っている節もあった。一夏は、……男性(・・)IS操縦者だ。それはもう誤魔化す事も出来ない世界的事実であり、姉さんの妹でしかない、そう、一夏と同じ程度の立場的な力しか無い私では一夏を護れないんだ。だから、隣に居るのも難しくなる時がいつか来る。

 来て、しまうんだ。

 どう足掻いても無知な私ではどう足掻けば良いのか分からない。それを知るのはきっと悔しいながら浅草で、私よりも暗がりを歩く彼女であって、……大人の一人である彼女なのだろう。もしかしたら、そう、もしかしたら彼女に尋ねる事ができるならば、私は一夏の隣に居られるのだろうか。そう、思いつつもその一歩を踏み出す勇気が今の私には無かった。後悔する、それなのに、足踏みをしてしまっている。どうも、まいってしまっているらしい。

 

「それが、どうしたってのよ」

「……む?」

「あたしだってね、こんな肩書きを持ってるから、色々ともう洗礼(・・)を受けてるから分かるけどね、……諦める気は無いわ。……悔しいけど浅草はあたしたちが束になっても瞬殺する様な奴で、どう足掻いても勝てないってのは分かってる。けど!」

 

 凰はその背中から明日へと羽ばたく翼を打ったかの様に立ち上がり、声を大にして言った。

 

「絶対に失いたくない物ってのがあるのよ、あたしにはねッ!! ……それが、あたしにとってはあいつだった、ただそれだけよ。……ぶっちゃけ、中国代表候補生の肩書きなんて成り行きで手に入れちゃった物だし、然程愛着も無い。ママも、パパも、今の世情のせいで変わっちゃって、……正直会いたく無い。売国奴だって分かってる。恥知らずだって。でも、あたしは、誇りを売ってでも得たい人が居る。あたしは幸せになりたい。だから、諦めない。……例え、愛人や妾の位置でも、ね」

 

 大声を出したからか凰に視線が集まったが、それも最初の一言だけで途中で座り込んだのもあって直ぐに視線は散った。けど、私は、セシリアは、前に進む勇気を踏み出した彼女に釘付けだった。負けたくない、そう思ってしまった。

 

「……なぁ、凰」

「……(りん)で良いわよ。アンタとは長い付き合いになりそうだしね」

「そうか、なら鈴。私はな、負けず嫌いだ。そして、意外と熱血屋だぞ」

「……え、ま、まさか」

「すまんな、私もアイツが欲しいみたいだ。ちょっとIS開発者の妹として売り込んで見ようと思う」

「ちょ、それは卑怯でしょう!?」

「そ、そうですわよ!? 流石に勝ち目がありませんわ!?」

「ははっ、それはやる気を出させる様な啖呵を切った鈴に言うのだな。一歩踏み込む勇気、しかと便乗させて貰った」

「あーもうっ! あたしの馬鹿ぁああ!? どうしてこううっかりを仕出かすのよ。それもかなり危うい時に!」

「わたくしも頭を抱えたい気分ですわ……。唯でさえ繋がりが薄いのですから……」

 

 ふふふ、活力剤を入れられた気分だ。こうも清々しい気分は何時振りだろうか。ああ、思いっきり呵呵大笑してしまいたい気分だ。流石にこの場でやるのは心に残る恥になりそうなので我慢しておくとしよう。今日は良い日になりそうだ。頭抱えている二人を尻目にしれっと朝食を食べ終えた私はお盆を回収棚へと戻し、一人先に教室へと行かせて貰う。決して擦れ違った千冬さんの般若気配に気付いて脱出した訳では無いのだ、南無三。時間も丁度良いし、さっさと教室に向かおうか。

 廊下で色めき立っている者たちは皆同じ様にして号外の新聞を手にしていた様だった。そうなれば、渦中の台風の目と言うべき場所、つまりあの二人が既に居るであろう一組の教室はさぞ阿鼻叫喚としている事だろうと目に浮かぶ様だった。しかし、そんな私の考えとは裏腹に教室に近付くに連れて静まり返っており、聞こえてくる微かな声に耳に覚えがあった。その声の場所は窓側の最後尾の浅草の席からだった。

 

「でさ、其処で弾が何て言ったと思う。我が名はクーゲルシュライバー、雑魚とは違い、換えの無い男だ! ってドヤ顔で言いやがったんだ! でもって、隣に居た御手洗がそっと手渡したんだ。なら此れがお似合いだな、ってボールペンの換えの芯が入ってるお買い得パックの奴!」

「ふふっ、その弾と言う人は名乗るならブライシュティフとするべきでしたね」

「意味は?」

「鉛筆です。芯、換えれませんから」

「あはははは! そりゃ良いな!」

 

 私は始めて目が点になると言う形容の意味を実感した気分だった。昨日までは事務的な会話の様なISについての話しかしていなかった二人が、今日日朗らかな笑みを交えて談笑しているだなんて誰が思うだろうか。それも、浅草の雰囲気が普段簪とじゃれ合っている時の様な柔らかな様子で、だ。さ、先程の鈴の啖呵が無ければ崩れ落ちていた自信があるぞ私は……。青天の霹靂と言うべきか、目の前の現実に打ちのめされた様にして蹈鞴を踏んだ。しかし、今日の私はいつもとは違うのだ……っ! そう心に言い聞かせる様にして二人に近付き、おはようと声を掛ける、それだけなのに酷く緊張した。辺りから「正気なの篠ノ之さんは……っ!?」と言った風に戦慄する声がちらほら聞こえるが、今の私は阿修羅すらも凌駕する存在で……ありたいなぁ。若干内心でも躊躇しながらも、鈴から貰った、いや、奪ったなけなしの勇み足で頑張っているのだ。分かっているとも、明らかに会話の邪魔になるとはな。しかし、やらねばならぬ時が武士(もののふ)にはあるのだ……っ!

 

「ん、ああ、おはよう」

「おはようございます篠ノ之さん」

「何やら盛り上がっていた様だが何を話していたのだ?」

「ああ、染子(・・)さんが学校の話を聞きたいって言うから中学時代の馬鹿話を話してたんだ」

「……ん?」

「ええ、一夏(・・)くんの周りは大変面白い方々ばかりの様でして、中々興味深いですね」

「……んん?」

「どうしたんだ?」「どうかしましたか?」

 

 小首を傾げて尋ねた二人のタイミングはぴったりで、お互いに呼吸のテンポが揃っているのだと思い知らされる。かなーり、それも遥かに厄ネタになりそうな予感がするが、警鐘が鳴り響いたとしても聞かねばならぬだろう……っ!

 

「……何故、名前で呼んでるのだ?」

「え? お友達(・・・)だからですが。普通の事では?」

「あ、ああ、友達(・・)なんだから下の名前で呼び合うくらい普通だろ?」

 

 何故か一夏が挙動不審なのが気になるが、突っ込むべきは其処ではない。

 

「……私は?」

「え? 篠ノ之(・・・)さんの護衛は管轄外ですので、必要でしたら更識に取次ぎますが……」

「そうじゃなくてだな! 私は未だに苗字なんだが!?」

 

 きょとんと浅草は呆けた後、言葉を選らぶ素振りも無く言い切った。

 

「貴方は次いでの護衛対象でしかありませんし、相応な付き合いをしろと上からの令を受けているので関わっていますが、友達と思った事は一度足りとてありませんよ? ただのクラスメイトって知り合いの分類では?」

 

 足元が崩れ落ちる音が聞こえた。いや、違う。私の両膝が落ちて床に叩き付けられた音だった。そ、そうか。職務に忠実であると安心していたが、まさか私との関係もまた職務の内だったとはな……。お、思いもしなかったな……。そうかぁ、友人だと思っていたのは私だけだったのだな……。そうか……。と、言うか一夏も同じ様であった筈だ。そう一夏へと視線を向けると視線を逸らして苦笑していた。

 

「あー、うん。俺もそうだったしな。箒が崩れ落ちる気分も分かる、まぁ、どんまい?」

「軽過ぎやしないか!?」

「つっても、箒は色々とアレだしなぁ……。多分、友人になるまで遠いぞ?」

「そ、そうなのか?」

 

 浅草に可愛く小首を傾げられたのはどちらの意味だったのだろうか。けれど、一夏の視線は哀れみだとか可愛そうなのを見る様子のそれではなく、何処か諦めや無理だろうなと言う憐憫なニュアンスのそれだった。自分は知っているけれど、私が気付く事は無いだろうなぁ、と言う感じだ、この表情は。それは何処か研究に、科学に傾倒していた頃の姉さんを思い出す表情だった。駄目な子だなぁでは無く、きっと無理だろうなぁ、と言う一方的な諦めの瞳だ。……と言うか、アレって何だアレとは。まさかアホの子とでも思われているのだろうか私は。

 

「ん……、よく分かりませんが、お二人ともそろそろ席に着いた方が良いと思いますよ?」

「げぇ、マジか。うわ、マジだ。千冬姉が来るギリギリじゃねぇか。それじゃ、また後で話そうぜ」

「はい、お話の続き、お待ちして居りますね」

 

 そうそそくさと自分の席に戻って行った一夏と浅草の遣り取りは、まるで玄関先での新婚夫婦の遣り取りの様だった。自分でもどうやって席に戻ったかは分からないくらいに私は精神的にパニックしていた様で、ハッとした時には既に授業の半ば、それも振り被った出席簿の影が真上に――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 南無三、と崩れ落ちた箒へ内心で合掌した。朝からソウルジェムの秘密を知った某ぼっちさんの如く絶望した顔で授業を受けていた様だが、流石に立ち直らないで居る箒に難儀したのか千冬姉が強硬手段(しゅっせきぼ)に出たので粉々に砕け散ったな。放課後になっても結局立ち上がらなかった箒は、先程染子さんがスタイリッシュに姫抱えされて保健室送りされた様なので、この時間を利用して先にアリーナへ行って着替える事にしよう。

 勉強会の後に知恵熱出して倒れてるので見慣れてるから然程なぁ。流石に怪我してたら慌てるが、千冬姉なら大丈夫だろ、…………多分。染子さんがそっと目を伏せてから横へ首へ振っていたのが気になるが……、箒なら大丈夫だろ、うん。そんな箒への熱い風評被害をさらりと流しつつ、アリーナへと続く廊下を歩いて行く。

 染子さんが早速手配してくれたらしい新しいISスーツがアリーナの男子更衣室にあるらしいので楽しみだ。やはり男的にはあのライダースーツめいたデザインは浪漫があって憧れる。元々染子さんの予備として作成された物を俺用に仕立ててくれたらしく、灰色の染子さんカラーとは少し濃淡の濃い灰暗色の物を用意してくれたそうだった。……しかし、どうやって俺が鍵を持っている筈のロッカーの中へ入れられたのだろうか。やはり合鍵を所持しているのだろうか。いや、染子さんの事だからヘアピン一つで解錠し兼ねない。多分出来るだろうけれど、普通に考えて護衛なんだし合鍵だよなぁ。多分盗聴機らへんの対策もしてくれてるだろうしな。

 男子更衣室はもっぱら俺だけが使用するため、基本貸切状態であるため人は居ない。だが、女子更衣室と同じ作りのため入口に鍵が付いていない。と、言うよりも本来このIS学園は女子高と同じであったので、両方女子更衣室なのに入口に鍵はいらんだろうと言う事から掛かっていない。けれど、流石に開けて直ぐにいやーんな光景はアウトだったのか一枚の支柱を兼ねた壁があり、中を見通せない作りになっている。だからだろう、俺は悪気は無かったのだ。そう、自己弁護しながら、ISスーツに着替えていたのか小さな胸を曝け出した状態で肩紐に手を掛けた状態の鈴と鉢合わせてしまったのだった。

 

「「……あ」」

 

 口を揃えてぽかんとした俺らだったが、先に正気に戻った鈴の頬が染まって行き、胸元を押さえてぺたんとその場に崩れ落ちた。そのしおらしい様子に俺の中の萌えが歓喜の声を上げて息子がエレクトし掛けたが、強靭なるズボンに阻まれて叩き落とされた様に戻っていった。涙混じりの上目遣いで俺を責める様に睨む鈴を見て、ラッキースケベはリアルでやったら通報物だと冷や汗が流れる程に己の状況のやばさを思い知った。即座に後ろを向くものの、頭の中では先程のツンと立ち上がる桜色の先端、なだらかなではあったが確かに成長していたらしい双丘、そして触ればひゃんと可愛らしい声を上げるであろう美しい脇のラインの光景が離れない。……さながら美しき万里の長城の曲線美、か。いやはや、あんなに美しい脇を見たのは中学の体育振りだったから不覚を取ったぜ……。

 

「い、一夏? 何で此処に居るのよ……?」

「え、ええとだな。此処は男子更衣室として俺専用に割り振られてる場所なんだ。……転入してきたばかりで知らなかった、んだよな? ああいや、でもじっくり見入ったのは俺が悪い。だから、すまなかった!」

「え、そうなの!? 此処浅草に薦められた場所なんだけどッ!?」

「……え゛」

「…………あ、もしかして浅草が言ってた失神の件のお詫びって……」

「お詫び? ああ、確かに此処俺が使わない時は一人だから着替え易いしな」

 

 後ろを向いているため顔が分からないが、何となくだが呆れている顔をしている様な気がする。と言うか、貶められた様な気もする。解せぬ。一つ溜息を吐いた後、小さいながら肌がゴムに打たれる音が聞こえたのでスク水めいたデザインのISスーツを着終えたのだろう。けれど、ISスーツもまた思春期の少年視線だとエロいデザインだからじろじろ見るのもアレなので、このまま壁を見続けるしか出来なかった。……クラスで孤立しかけてた頃の鈴の胸はこんな感じだったなぁと感慨深く見詰めていたら、後ろから殺気を感じた。いかんいかん、鈴は貧乳ネタは厳禁だったな。散々貶められたからかコンプレックスを感じているらしく、このネタだけは激怒した般若と化すので大変だった。

 

「……ばーか」

「り、鈴?」

 

 何時まで壁を見つめてるかなぁと思っていたら、突然鈴が背中に小悪魔っぽい上擦った声と共に抱き付いて来た。ふにゅんと柔らかな何かが背中に潰れたのを感じ、即座に記憶すべく俺の触感が有頂天に達した。いや、ネタを嘯いてる場合じゃない。確かな柔からさと鈴から香る良い匂いががががが、俺の思春期理性を削られて行くのが分かる。え、てか、鈴ってこんなにボディタッチ激しかったっけ? いや、ツッコミのために鉄山靠覚えてくる様な奴だぞこいつは。

 

「……久し振りに会ったってのに、ツレないじゃない。ふふん、それともあたしの魅力にメロメロで話し掛け辛かった?」

「えと、その、当たってるんだが」

「女子別れて三日なれば刮目して相待すべし、よ。……当ててんのよ、ばか。……すごく、寂しかった」

「……すまん」

 

 やばい、マジで誰だこれ。こんなにしおらしくて健気で可愛い鈴なんて見た事無いし、普段の小悪魔さが拍車を掛けて色気付いててヤバい。真正面から来られてたら絶対に下半身が元気なのが察せられて事案案件間違い無しだった……ッ。位置的にも鈴の身長低いからお腹に密着するだろうから確実にバレてたぞ。俺の謝罪の返答が返ってこない。しかし、腹側に回された腕の圧迫が強くなり、背中に密着していた胸が更に潰れ、とんっと硬い何か、いや、きっとおでこ、か。次に感じたのは離れた位置に感じた冷たい何か。それが何なのかを俺は直ぐに察する事ができたのと同時に懐かしいと思った。

 鈴は中国から日本に移り住み近くの俺の居た小学校に転入して来た。中国語訛り気味のたどたどしい日本語のせいで虐められ掛けていた所を俺が庇い、それをきっかけとして友人関係を相成ったんだっけ。虐めようとしていた奴らに恋しさと切なさを思い出させる様なアッパーをお見舞いしてやり、背中にやった鈴は今の様に抱き付いて「ありがと」と泣いたんだったな。それから俺の家で日本語の勉強をし始めたんだ。でもって、確か、こう言ったんだ。

 

「……泣くなよ、これからは俺が護ってやるからさ」

「……っ! ……ほんと、アンタは……、…………一夏」

「ん? なんだ?」

「あたしね、浅草に頼んで日本に亡命するからクラス代表取り替えて貰うの止めたの」

「………………へ?」

「正直、浅草に勝てる気がしないもの。だから、先に全面降伏して命だけは助けて貰う、そういう手筈なの。……それに、中国代表候補生じゃあんたの近くに居れないもの」

「り、ん? そ、それって……」

「えっとね、あたし、その……」

 

 ぎゅっと抱き締める力が強まったが、そんな事なんて些細な事だと俺の鼓動がやけに五月蝿くなり始めた。鈴の口から続く言葉を待っていたのは数秒の事だった。しかし、その沈黙が仇になったのか、硬い壁をノックする様な音が真横から聞こえた。……真横? そちらを二人して見やれば、呆れた顔をした染子さんが其処に仁王立ちしていた。

 

「…………あ、訓練時間、か」

「くっ、時間オーバーって事ね。浅草! 例の件、承知(・・)したわ!」

了解(・・)しました。……と、言っても私は上司に当たる訳では無いのですがね……。まぁ、良いでしょう。貴方の行く末、しかと見届けましょう」

「それじゃ、一夏、また後でね!」

「って、おい鈴!?」

 

 鈴は染子さんへ意味深な何かの遣り取りをしてからそそくさと出て行ってしまった。が、こそこそと戻って来てベンチの上に置いていた制服などを回収してから、もう一度そそくさと出て行った。間の抜けた雰囲気になってしまったが、先程までの桃色めいた空間が霧散していて、俺にとっては幸か不幸かと言われれば恐らく不幸なのだろう、笑ってない笑みを浮かべる染子さんと対面していた。

 

「……さて、お詫びも消化しましたし、訓練に行きましょうか。人を一刻も待たせておいた駄目な教え子には特別な訓練を施してあげます。なぁに、上級訓練コースを一分切り三本で許してあげます。ね、簡単でしょう?」

「……じょ、上級編はゴールする事すら困難なんですが!?」

「大丈夫大丈夫、人間死ぬ間際まで研ぎ澄まされれば何事だってできるものです。私が言うのです、間違い無いですよ」

「そ、染子さん怒ってらっしゃる……?」

「いえいえ、篠ノ之さんを送って遅れてしまったと思い、急いだら誰も居なかったので苛々してたりだなんて……、思ってないですよ?」

 

 う、嘘だ!? 確実にお前を地獄に叩き落してやる、這い上がってももう一度と言わずに三桁は蹴落としてやるって顔してるんだけど!? と言うか良い笑顔してるなぁ。やはり染め子さんはSの人種か。この手の事やってると普段薄い表情が濃淡の淡くらいまでは引き上げられるから凄く分かり易い。そして、こうなった染子さんに逆らうのは更に状況が悪化すると知っているので早々に俺は抵抗を諦める。

 

「……すみませんでした。早速着替えて行きます」

「はい、それで宜しいですよ。……ああ、それと一夏くん。ISスーツは別に朝から着てても良いですよ、と言うかむしろ朝から着ててください。ほら、私も着てますし。学園の生徒の八割は着っ放しですよ」

「え、そうなのか? てっきりこれ体操着の類の扱いかと……」

「……体操着と言う物が何かは字面でしか分かりませんが、貴方は狙われている立場である事を念頭に置いてください。こう言った場所は格好の獲物、自衛術を学び終えてない一夏くんでは時間を稼げるかどうかも怪しいですので」

「あ、はい」

 

 アレ、そしたらもしかして俺鈴に狙われてた、のか? いや、けど、流石にそんな……。

 ――私が傍に居ない間に露骨に近付いてきた人物は必ず疑ってください。特に、肉体関係を持とうとする輩は気を付けて下さいね。篭絡されて言いなりモルモットになられたら流石に私もフォローができませんから。

 う、あ。アレ、いや、嘘だろ。で、でも鈴はあの牽制の時には学園に居ないし、ノーカン、だよな。でも、あの感じって確実に美人局って言うか何と言うか……。あんなに可愛くてしおらしい健気な乙女めいた鈴なんて初めてだったから比較しようが……。

 

「ああ、それと、鈴音(・・)さんですが、彼女は暫定的に信用してても大丈夫ですよ。むしろ、これからは仲良くして頂いて結構です。彼女は見所がありましたので、そう遠くないうちに此方(・・)側になりますから」

「へ?」

「一夏くん、貴方顔に出過ぎですよ。ポーカーフェイスや腹の読み合いも学ばないと駄目ですね。……まぁ、追々詰めて行きましょう」

「……はい、頑張ります」

 

 そっか、鈴は大丈夫、か。良かった。と言うか今染子さん鈴音って言ってたもんな。染子さんは知り合い以上、友人として見る相手にしかその名前を許さない。勝手に呼んだ奴の末路は知らないが、きっと、想像以上のナニカによって否定されるのだろう。そんな気がする程に、染子さんは苛烈にして鮮烈にして熾烈。言うなれば、暴風の眼と中心に仁王立ちするのが彼女の有り方。近付こうとするならばその手を取って引きずり込まれ無くてはならない。暴風の眼の中こそが彼女のテリトリーにしてパーソナルスペースなのだろう。最近染子さんに薦められた本を読み始めてからかそんな思考も出来る様になった。今までの、俺とは違う。そう感じられる程に俺は染子さんによって変えられて行く気がした。

 

「さぁ、訓練のお時間です。本日の内容はタイムアタック式上級コースのクリア。制限時間は1分以内、それを三回クリアすれば合格とします。マニュアル機動をこなす貴方なら、きっと出来る事でしょう。頑張ってくださいね」

 

 俺はその一言で頑張れるんだ。

 染子さんに、いや、彼女(・・)に追い付きたいと、傲慢ながら追い抜いてやりたいと思うんだ。彼女の去った後、俺は新しい一張羅となる灰暗色のISスーツに着替え、手首に収まる《白式》の感触を確かめ、勇み足で歩いて行く。新しいISスーツが踏み込む床の感覚が違って思える。

 彼女曰く、俺はISに愛された男。

 彼女曰く、俺は無限の可能性。

 彼女曰く、俺は戦争の発端。

 彼女曰く、俺は日本の鬼札。

 彼女曰く、俺は、護られる側(・・・・・)の人。

 

「ああ、すげぇしっくり来る。何て言うか、無敵って感じだ。最高に有頂天(ハイ)って気分だ」

 

 胸奥から燻っていた種火が燃える。熱く、魂を焦がす様に燃え盛る気分に陥る。何処までも、そう、何処までも翔ける翼は右手(ここ)にある。握り締めた右手はきつく戦意を握り締めた。俺は戦う意思を持った。それが、誰かのためになるのなら。それが、護る力になるのなら。俺は躊躇う事は愚か、一歩足を止める事すらしたくない。俺は、学ばねばならない。このISスーツは心機一転には丁度良い締め付けと力強さがある。そう、俺は手首の締め付けを調整しながらアリーナへと歩いて行った。

 多分、すげぇ良い顔してると思う。だって、こんなにも最高の気分なんだから。




浅草さんにあちらこちらに手を引かれていた一夏が、新しいISスーツを着た事で漸く自分の意思で手を引かれながらも歩き始めた話。

尚、サブタイの読みは「はじまる」。

タグに「貧尊巨卑」とでも付けようかな、と思う今日この頃。
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