目の前で翔ける白き
「……憎たらしい程に素晴らしい、か。笑えない冗談だ。私には飛ぶ
握り締めた右拳を近くの壁に八つ当たりに叩き付ければ、硬く握った拳が容易くアリーナの鋼鉄の壁にクレーターを作った。私の身体が既に六割持ってかれている事が良く分かる物的な証。人でありたいと願う心と裏腹に、私の身体は段々と人を離れて行く。それが、無意識的に、私を蝕んで行くなら良かった。けれど、これは、痛烈な感情と痛みによって齎される。段々と、失って行く感覚。もう、悲しむと言う感覚はもう失ったと思っていた。先日の件で微かに残っていた感情の発露には驚いたが、今はもう忘れていた。段々と忘れて行く感覚は、段々と湧き上がる殺意の衝動によって上書きされて行く。頭から水を掛けられるかの様に全身へと染み込んで行く殺意に呑まれて行く。――が、その高揚感はジェットコースターの落下地点の如く転落する。
死にたい。そう首元を掻き毟る様にして命の源泉たる頚動脈を引っ掻き続ける。けれど、頑強なISスーツはそれを許さない。なら、この首を圧し折ってしまえば良いじゃないか。脊髄を勢い良く潰せばきっと容易く死ねる筈だ。顎に手を掛けようとして冷や汗で手元が滑った。
瞬間、冷静さが取り戻される。
「――ッ!」
咄嗟に普段の時間よりも速いタイミングでアンプル剤を打つ。
顎を滑った筈の左手は無意識に私の首に手を掛けており、そのまま圧し折らんと鬱血する程に力が込められていた。たった一瞬でありながら、私の無意識の殺意はそれを可能としていたのだろう。欝状態にも似たような気分がアンプル剤の清涼感めいた抑制が効いてか左手から力が抜ける。その場で倒れなかったのは背中を壁に寄り添っていたからだろう。近くには誰も居ない。彼女たちは一夏くんのランコースを翔ける雄姿を見るために釘付けで表情の見やすい反対側に居る。彼女らから見れば私が壁に寄り掛かった程度にしか見えなかっただろう。手に隠したアンプル剤をポケットに忍び込ませ、ISスーツに染み込んだ汗の不快さを表情の裏に隠しながら、笑顔で戻ってくる一夏くんを迎える。
「見てたか!? 俺、やっと一分切ったんだ!」
「……ええ、見ていましたよ、頑張りましたね。見違えるとは、この事を言うのでしょう。……良いでしょう、三回のノルマは免除します」
「本当か!?」
「ええ、三回は発破として言っただけですからね。……このランコースを越えた。……十分でしょう。一夏くん、模擬戦を解禁します」
「そ、それじゃあ」
嬉しそうな顔で求める表情を浮かべた一夏くんが眩しかった。こんなにも穢れの無い笑みを浮かべられる人が今の時代、いったい何人居る事だろう。穢れ切った私からすれば、正反対の位置に立っている彼は太陽を背にしている様なものだ。だから、視線を逸らしてしまった。羨ましくないと言えば嘘になる。きっと、彼の掌は綺麗なままだ。これまでずっと、これからもずっと。穢れるのは私たちの様な奴らだけで良い。そのために、私たちはこれからも手を汚し続ける。それが、人の道理に反しているとしても、だ。
――
そんな、くだらない事を考えてしまう辺り、色々と私は参ってしまっているのだろう。ISと言う家族の仇と言って過言では無い代物に愛された少年の存在は、怪物であれと望まれている私を救おうとした。それが、何処かあの日の白い掌と被った。あの、心配する様にして私へと差し出された手……と? いや、あの日に差し伸ばされた手は兄さんだけの筈だ。なら、そのデジャヴは――。
――「 」
「……? 染子さん? おい! どうしたんだ!?」
「……何で、……私、……そんな記憶なんて、覚えて……」
「染子さん! くそっ、箒! セシリア!」
頭の中が攪拌される様にしてぐちゃぐちゃに掻き混ぜられて、上下左右の平衡感覚すらも意識から引き摺り出されて、立ってるのか座ってるのかすらも分からない程に意識が明滅する。それでも、一本のコードが辛うじて繋がってるかの様に意識があるのは、きっと腹部に埋め込まれたコレの所為だ。そう奥歯を噛み締める様にしてぐらつく意識を縫い止め、明滅する視界のままではあるが辺りを見回して情報を得るがまだ足りない。そして、段々と今の状況を理解し始めるだけの余裕が戻り始めたのは数分程は経った頃だった。
……何故、私は一夏くんに横抱きにされているのだろうか。見る限りかなり切羽詰った表情で何処かへ向かっている様だった。《玉鋼》の位置情報を得れば、保健室へとまっしぐらのコース。
「……あ、れ?」
「――ッ!? 染子さん!? 意識戻ったんだな! 大丈夫か?」
「……意識、失って……?」
「割とガチで失神してたんだぜ。会話の途中でいきなり倒れたから本気で焦ったんだ。具合は如何なんだ? 一応保健室に向かってるけど……」
「何とか、と言った所でしょうか……。すみません、少しばかり記憶がフラッシュバックした様で……」
「ふ、フラッシュバック? それって、……あー、何でも無い。詮索は止めとく」
「そうですね、その方が精神衛生上宜しいかと……」
その言い分を鵜呑みにするならば私は意識を失っていたらしい。意識の途切れる前後は流石に私でも知覚できやしないので、仕方が無い、と言いたいが、今の立場は彼の護衛であるので大失態である。不甲斐無い、と思いつつも悔しい事に左義腕であり待機状態の《玉鋼》くらいしか動きやしない。そう、本当に不甲斐無いながらもこうしてただの女の子の様に運ばれて行く事を見届ける事しかできやしなかった。左手でつい頬が熱くなっているであろう顔を覆い隠し、割と本気で溜息を長く吐いた。
あの日、私は誰かに手を差し伸ばされたのを思い出した。その姿は色褪せた写真の様に不鮮明であり、背後の色すらも思い出せやしないが、その掌が白く細かったのだけは思い出せた。何故、忘れていたのかは分からない。けれど、何となくであるが施設に居た頃の精神状態が原因である気がする。あの頃は今の様に精神安定剤を用いていなかった。殺傷症候群は傷付けたいと言う無意識な衝動に駆られる。そのため、それが他者であろうが自身であろうが見境無しに衝動は起こる。幾度無く教官へと殺しに掛かって返り討ちに合って冷静さを取り戻して訓練させられたり、何時の間にか取り押さえられて血肉の詰まった指を見て己の首を掻き毟った事を理解していたりする。その衝動は殺したがる躁状態、死にたがる欝状態の二分化されているらしい。度が過ぎているために躁鬱病と診断される事は無かったが、教官は意思の無い凶獣の様だと称した程だ、余程に酷かったに違いなかった。けれど、年齢が経つに連れて精神安定剤でどちらかに片寄らない程度の正気を保てる様になった。精神安定剤の入ったアンプル剤を受け取る際に逐一報告書は送っているので、改良はされている様だがそろそろ駄目らしい。他の代表候補生との交流会を行なった半年前を目安に調整されて来たが、既に一年も薬漬けとなっているのだ。そろそろ中毒性が出る、との事だったが、正直その中毒性よりも先に衝動を押し留める効力が落ちて来た方が問題である。衝動を押し留めるためだけに打っているので中毒性は然程感じられない。早急な改良を求めたい。
……いや、むしろ一度衝動をブチマケタ方が良いのだろうか? 押し留めているからこそ、パンパンに詰まったプロパンの様な状態になっているとも言える。其処へ衝動と言う弾丸を叩き込んだ時の結果よりも、バルブが緩んで中身が抜けかけたプロパンとだったら其方の方が被害は少ないに決まっている。しかし、最近は鬱憤を晴らす様な案件が無いのも問題である。中国のあのスパイ少女は精々指を捻り千切った程度の尋問しかしていないし、途中でIS学園側からストップが掛かってしまったために手を掛けられなかった。生爪を剥いで、一本見せしめにして、さぁこれからと言う時にだ。……案外そのせいで最近衝動が速まっているのかもしれない。
「……はぁ、誰か攻め込んで来ないだろうか。できれば、真正面から叩き潰しても問題無さそうな手合いであれば尚更にグッド、なんですがね……」
そう、保健室に着いてベッドへと移された私はこっそりと独り言ちる。どうやら今更に私が意識を取り戻して安堵したからか、私の身体を結構しっかりと抱きこんでいた時の感触を思い出してか顔を赤らめてわたわたしていた。そして、それを見てぐぬぬとしている篠ノ之さんとオルコットさん。……はぁ、くだらない光景に溜息が出た。
これからのスケジュールを浮かべつつ、そろそろクラス代表戦、正直言ってマニュアル操作に慣れている一夏くんにはイージーなイベントがあるなと思い出す。それに、鈴音さんの件も進めなくてはならない。やる事は沢山ある。ある、のだけれど……、遣る瀬無い気分で溜息をもう一度吐いた。さっさとIS学園から離れたい。あの施設に戻りたい。そして、安定剤なんて捨てて衝動任せに何もかも壊してしまいたい。
――復讐なんてもんはな、疲れるだけだ。けど、遣り遂げた時にはスカッとする。だが、それだけだ。お前が復讐者になるのは良い。両手を打って応援してやる。けどな、もしその復讐って熱が冷えちまった時が問題なんだ。何せ、ふと冷静になった時に振り返ると、今までの事が児戯の様な、子供の癇癪の様に思えちまう。そいつだけは駄目だ。やる気が萎える。そんな時はだな、
「一夏くん、少し良いですか?」
「お、おう!? な、何だ? リンゴでも剥こうか!?」
「いえ、少し飲みたい物がありまして此れを使って買って来て貰えますか?」
「ああ! 何が飲みたいんだ?」
私は昔教官に言われた通り、普段飲んでいるどろり濃厚コーンスープを頼んだ。
――酒でも呑んで寝ろ。いや、お前の場合なら好きな物飲んで食ってから寝とけ。所謂不貞寝って奴だ。そういう感情ってのは一時的なもんだから、一晩くらい置けばもう一周回ってやる気ってもんは出るんだ。なぁに、経験談だ。
一夏くんは少々ぽかんとしていたが、私から受け取ったカードを一瞥してから「分かったぜ!」と意気揚々とパシリに行ってくれた。その数分後に戻って来た、肩を怒らせた簪を連れて。
☆
「ありがとうございます」
「お、おお。それ、好きなのか?」
「ええ、かなり」
「そっか……、今度飲んでみようかな」
「おすすめですよ、この喉に残るぐらいに濃厚な感じが何とも……」
そんな朗らかな会話をしながらはにかむ二人を見ながらわたしは嫉妬していた。織斑とは逆の位置の椅子に座り、染子お姉ちゃんのお腹に頭を乗せさせて貰い、織斑を睨む様にして唸るぐらいしかできなかった。がるるると唸っているとぽんと苦笑気味に染子お姉ちゃんの右手が乗った。
「ほら、簪もそろそろ唸るのを止めなさい。そんな構って欲しいと言う顔をしながらされても意味は無いでしょう。まったく……、手の掛かる
「うぅ……」
良い子良い子と撫でてくれる手は優しい手付きだった。いつもお風呂上りに髪を梳かしてくれる柔らかな掌にわたしの中の嫉妬心は一瞬でステイした犬の如く伏してしまった。むぅ、この手には逆らえない……。と、心地良さに微睡みを覚えているとぴたりとその動きが止まり、まだかなーと思っていたら寝息が聞こえた。目を開けてみれば、聖女の如き寝顔を晒した染子お姉ちゃんの姿があった。
「……あれ、染子お姉ちゃん寝てる?」
「ん? ああ、何か疲れたから少しだけ寝るんだとさ。まぁ、いきなり倒れたし、寝て起きたら元気な姿で居てくれれば良いさ」
「ふーん……、と言うか、何で貴方そんなに染子お姉ちゃんに近いの? 狙ってるの? 潰すよ?」
「い、いやいや! そう言うつもりは無いから! ただ、染子さんが俺の代わりに死ぬような場面にならねぇ様に鍛えて貰ってるだけさ。……何時までも護られてるだけじゃ男の面目潰れっ放しだしな」
「へぇ、そう言う事だったんだ。……ま、染子お姉ちゃんが死ぬ事なんて早々無いよ。《玉鋼》もあるし」
「……そういや、俺、染子さんのISについてあんま知らないんだが、第二世代ってのは本当なのか?」
そう織斑はしれっと言った。その情報を知っていると言う事はある程度までなら染子お姉ちゃんの許可が下りていると言う事なのだろう。確かに、染子お姉ちゃんの《玉鋼》は《打鉄》の発展系、ではなくその前のプロトタイプを元に設計されている。アンリアル工房と言う表向きに実在しない企業が開発したISの情報は雀の涙程に少ない。ちらりと愚姉の如く豊かな胸を持つ二人を見てから、わたしは言葉を選ぶ様にして教えてあげた。
「そう。《玉鋼》は日本防衛を目的としたテーマで開発された機体。そして、実際は《打鉄》のプロトタイプから派生改修したIS。コンセプトと当時の日本の軍縮によって生じた自衛隊の戦車、戦艦、戦闘機を用いて設計された軍用機。今は、《影打》って言うISバトル用デチューンパッケージを装備してるからあんなヘンテコなデザインだけど、本当の《玉鋼》のモジュールは全く違う。破棄当然の扱いをされた戦車などの装甲を用いて作られた外骨格装甲の厚さは88mm、その硬度は対物ライフルや戦車の砲弾すらも弾く程の強度。各部位に内蔵されたブラスターは戦闘機のバーナーを流用しIS改修技術によって更に速度は上がり、マッハ4に達したとか」
「マッハ4!?」
「コンセプトは日本防衛。一分以内に端から端まで辿り着く程の速度を求めた、らしい。武器兵装は言うまでも無く、戦車砲や戦艦砲、ヘリのガトリングや戦闘機のミサイルなども搭載してもはや火気庫めいてる。そして、染子お姉ちゃんはそれらを全て軽々と扱い切る実力があるわ。正直、そこらの国家代表よりも強いしね。うちの血だけの繋がりの姉なんかあっさりと散ったぐらいだし」
「姉? ああ、そう言えば生徒会長も更識だったよな。もしかして」
「ええ、そうよ。大変残念な事に染子お姉ちゃんじゃなくてアレが血の繋がった姉なのよ。ほんと、死ねば良いのに……」
マジトーンで吐き捨てる様に呟くと織斑は何とも言えない顔で苦笑した。確か、こいつの姉はあの織斑千冬だった筈。仲はクラス担任になってる辺りで過保護極まり無い感じだってのは見え見えだし、この様子からして仲違いはしてなさそう。……まぁ、非凡じゃないみたいだしね。
「お、おお……。なんかかなりの訳有りなのな……」
「そう、第一わたしには染子お姉ちゃんだけ居れば良いのよ。だから、わたしから染子お姉ちゃんを奪うかもしれない貴方は、敵?」
「ま、マジか……。つっても、んな事知っても俺にはどうもできんぞ?」
「でしょうね。けどまぁ、染子お姉ちゃんの心を掴むだなんて無理でしょうし、大目に見てあげる」
「ははぁ、有り難き幸せ、ってか?」
「ま、正直貴方程度なら何時だって潰せるし」
「おおぅ?! 結構殺伐なセメント具合だなぁ。でもまぁ、染子さんの手に頬擦りしながらじゃ、説得力ねぇんだが」
「当たり前でしょ。貴方と話してるよか染子お姉ちゃんの温もりの方が有意義に決まってる」
「あはは……、仲、良いんだな」
その織斑の表情は何処か長閑な笑みで、何処か田舎暮らしのおじさんを彷彿させる。爺臭い、と言うのだろうか。織斑に女ッ気のある話を聞かないのは案外理性は冷静で、目の前の群がる馬鹿共ではなく、堅実でありながら中身などに重きを置いて選ぶタイプなのだろう。外見はどちらかと言えば遊んでいそうな雰囲気であるが、それは容姿のせいで揉みくちゃにされ続けた弊害か。……と言うか、姉があの織斑千冬だからある程度女性の容姿のハードルが上がってるっぽい?
まぁ、だからと言って幸福で完璧な染子お姉ちゃんを選ぼうとするのは止めて欲しいんだけど。
最近、と言うか今朝の様子から考えるに染子お姉ちゃんにこいつが何らかの台詞をクリティカルさせているのは間違い無い。そもそも、下の名前で呼んでいる時点で知り合いから友人の間に居る事は確かだ。……恋愛感情を抱いているとすれば染子お姉ちゃんよりも目の前の織斑の方が高い。染子お姉ちゃんはそもそも恋愛に疎いどころか施設暮らしでコミュニケーションすら危うかったぐらいだし、自分の心内環境の安定化に切羽詰ってる最中だって言うのに余計な事をされたら困るんだけど……。処す?
「って、うぉい!? 何で俺睨まれてんだ!? それも、貴様は豚の餌だ、みたいな類の冷たい視線で!?」
「え? だって、貴方染子お姉ちゃんに惚れてるんでしょ? なら、腹切りさせないと危ないし……」
「それ危ないの俺じゃね!? てか、え? 染子さんに惚れてるって、……何で?」
「……は? だって、貴方染子お姉ちゃんを見る目他の奴らと違う。他の奴らを見る時は一歩後ろに引いてるけど、染子お姉ちゃんの時だけは懐に入り込もうとするぐらいに前のめり。染子お姉ちゃんの反応に一喜一憂してるの確定的に明らか……。……あれ、まさか自覚、無かったり?」
わたしが墓穴を掘ってやってしまった事に気付いた時には遅かった。織斑はこれまで見た事の無いくらいに顔を真っ赤にして固まっていた。やらかした、とわたしは凄まじい勢いで顔を青褪めさせたと思う。何せ、冷や汗で背筋が震えてしまった程だ。眠れる獅子を起こしたとまでは言わないが、確実に拙い方向へと促してしまったと理解できてしまった。それが、染子お姉ちゃんのためになるかと言えば、素直にイエスとは言えない。と、そんな事を思っていたら凄まじい怒気を視線に込められて叩き付けられる。其方を見やれば織斑の後ろからあの二人が凄まじい形相で此方を睨んでいた。あー、やっぱりあの二人は織斑に惚の字なのね。うーん、でもまぁ、二人の政治的価値を考えても吊り合わないだろうから無駄だと思うんだけどね。
「……まぁ、このIS学園って貴方にとっては監獄の様なものだし、一時の安堵感で吊橋ってるだけかもだけどね」
「そ、そうかも、な。う、うーん……、やっぱり弾に相談するか……、何だろうなこの気分……」
思考の逃げる道を作ってあげたからか織斑はフリーズ状態から復帰したらしく、どうやら初恋も知らぬ青春時代を過ごしていた様で混乱の極みだったみたい。心成しか後ろの修羅ッパイズも矛先を下ろした様子。後ろから刺される趣味はしていないからフォロー入れて正解だったみたいだ。……はぁ、染子お姉ちゃんの温もりが優しい。お腹部分の掛け布団に顔を突っ伏す様にして倒れ込む。正直言ってわたしもコミュ障気味だって言うの分かってるから、年頃の男性である織斑と話すだけで疲れる。と言うか何でわたしがフォローしなきゃならないんだ……。いやまぁ、発端はわたしだけども、あそこの二人の顔が怖いから仕方が無い。ぶっちゃけわたしもお家柄あんまり同世代の女の子と喋った事が無いので、漫画やアニメからと言った媒体でしかその女子コミュニティの怖さを知らない訳で、み、未知なる恐怖に恐れるのは当たり前な事。よし、止め止め、今日は此処で終わりにしておこう。
「……私に幸せを強請る権利なんて有りやしないですよ」
そう、ひっそりと呟いた染子お姉ちゃんの声で背筋が凍った。その声は私だけに聞こえる様なか細い声で、腹元から見上げる立ち位置に居るわたしだけが見えるであろう薄っすらと開いている瞳は冷たかった。余計な事をした、そう実感するには十分な冷や水を打たれた気分だった。
『簪、私たちは礎であれば良い。怪物であれと、化物であれと、そう望まれるなら、喜んで堕ちてしまえば良い。それだけの事を私たちは……、いえ、貴方は違いましたね。まだ、貴方は手は汚れていない。だから、貴方はまだ戻れる。堕ちて行くだけの崖の淵に立ち尽くしているだけの貴方なら、まだ……。……此方に来てはなりませんよ、簪。私の残された時間はもう、そう多くないのですから。と、言っても死ぬつもりはありませんがね』
その声は、まるで教会で祈りを捧げるシスターの尊い祈りの様に聞こえた。そうあれかしと謳い、切ない賛美歌を悲痛な感情を乗せて謳い上げているかの様な痛々しさだった。残された時間、と言うのはわたしですら教えてもらっていないソレの事なのだろう。初めから知っていた。染子お姉ちゃんは決して自分の本名を語らない。それどころか、施設前の出来事すらも、何処で住んでいたのかも、どう生きていたのかも教えてくれやしなかった。わたしが知っているのは、施設に入った後の出来事ばかり。それも、あれもこれも胡散臭さが脚を生やしてクラウチングスタートしているかの様な嘘と真実が入り混じった言葉で、だ。
――染子お姉ちゃんは、いや、
分かっていた。染子お姉ちゃんは決してある一線だけは跨がせなかった。
それでも、わたしは知りたかった。いや、信じて欲しかった。わたしは信用して信頼できる人物であると、いや、取り繕う意味も無いからはっきり言おう。わたしは、
けれど、こうしたふとした事で気付いてしまう。
何もかもを殺し尽くす一振りのナイフである様に、と。
何もかもを守り抜く一城の防壁である様に、と。
そうあれかしと、願われた
未だに、縛られたままなのだろう。自分に、過去に、日本に、死者に。
ありとあらゆる負の感情が鎖となって雁字搦めに絡まって。
十三段と続く階段を引き摺られる様に歩かされ、頂上に備え付けられた鎖の荒縄に首を吊らせ、泣きながら狂う様に救われる筈が無いと嗤っているんだ。
死にたいと痛みを求め、生きたいと救いを求め、八方が断崖絶壁の断頭台で独り求め続けている。誰からも救いの手を差し伸ばされる事も無く、誰からの悪意の手を払い続けねばならない
そんな、無力なわたしが嫌になる。救いたいと手を差し伸ばしているわたしは、きっと両手を横へ広げて救われたいと待っているんだ。だから、目の前の織斑が羨ましくなる。こいつは、悔しいけども誰かを救いたいと言う一身で、一心の元に手を伸ばせる様な奴なんだろう。本当に、悔しい。けれど、きっと染子お姉ちゃんを救えるのはこいつの様なお人好しで人身御供に喜んでなれる様な奴だ。そう、思ってしまう自分が何よりも憎たらしい。奥歯を噛み締める様にして鬱屈とした気分を押し込める。まだ、まだだ。まだ、間に合う。わたしが、織斑よりも先に、染子お姉ちゃんの原点へと辿り着ければ、その全てを暴く事が出来たなら、きっと――。
「……簪?」
「え、あ……」
先程の冷たい顔と打って変わって、心配そうにわたしの顔を覗くその顔は、一人の少女のそれだった。わたしはいったい何を考えているんだろう。こんなにも、病人の様に切なく、痛々しい傷跡に身を震わせる少女に、何を――。思考がスパークした様に混乱の極みへと至り、怯える様に逃げ出そうとして――、誰よりも速い手がそれを拒んだ。
「……はぁ。簪、昔と変わりませんね。辛い時に直ぐに逃げ出そうとするのはもう見慣れた気がします」
そんな、やれやれと言ったジェスチャー付きで言われていそうな程に呆れた雰囲気の言葉が真上から囁かれる。自分が抱き込まれて豊かとは言えぬものの確かにある小さな温もりに顔を埋めていると理解した時には、染子お姉ちゃんの良い匂いに包まれていた。用意周到に背中へと左手が回され、右手が首裏を通る様にして右肩を抱く様な状態では抜け出す事なんて無理だった。
「そして、勝手にぐるぐると思考を回して自暴自棄の如くやけっぱちになって思い込む癖もそろそろ直さないと駄目ですよ? ……私は、貴方の姉なのでしょう? お姉ちゃんは寂しいですよ、可愛い妹に頼りにされないのは」
「ぅ、うぅ……」
「……まぁ、多分私の気配に当てられたのでしょうけども、少し落ち着きなさい。……何やら悩み込んでいる様ですが、それは私にも言えない事ですか?」
そう、そっと抱き込む腕を外して泣き崩れるわたしの両頬を優しく持ち上げた染子お姉ちゃんの顔は、何処か憎い血の繋がった姉の困り顔と重なってしまった。……自分でも分かっている。
「え、えっと……、その、あの……、……………………昔の事、知りたいなって」
「………………………………成る程、そう来ましたか……」
酷くがっくりとした様子ではあるが、染子お姉ちゃんは困った顔で苦笑気味に笑っていた。とんでもなく痛い所を刺されたけれども、色々な事情でそれを口に出せないと言った様子で困ったと正直に白状していた。うー、あー、とかなり葛藤した様子で染子お姉ちゃんはかなり困った様子で、一つ溜息を吐いてからわたしの顔を、いや、耳元へとその艶やかな唇を近付かせて囁いた。
「……私の本名をローマ字に直した場合、母音と子音の数は七つずつですよ」
「えっ?」
「それ以上は特定されちゃいますからノーヒントです。……既に抹消されていますし、幾多の組み合わせがあるからこそ、ですよ? 絶対にこれ以上のヒントはあげませんからね。……まったく、好奇心は猫を殺すと言う言葉を知らないのですか。こんなに可愛い子猫が死んじゃうのは嫌なんですけどね……」
「か、可愛い子猫って……っ!?」
「ふふっ、……貴女が思っている以上に、貴方は私の清涼剤となっているのですよ。私の癒しは簪の温もりとどろり濃厚コーンスープだけですからね、早く施設に蜻蛉返りしたいものです……。窮屈で極まり無い、仕事も来ないし、筋肉トレーニングもそろそろ無意味な趣味に成り果ててるし……。……はぁ、どうもこうもならないですね。くだらない……」
割と本気でぐったりとしている様子の染子お姉ちゃんの一面へのギャップと、声にしてわたしが大事だと言ってくれた事への歓喜と、ぬいぐるみを抱き締めるかの様にぎゅーっと抱き込まれている感覚が一斉に襲い掛かっていて幸福感でわたしのSAN値がやばい。幸せ過ぎて昇天しそうな何とも言えない幸福感に包まれていて、多分染子お姉ちゃんの胸に埋まっている顔はだらしなく緩みに緩んでいるに違いない。何と言うか、堕落しそうな幸福感だった。
そして、満足したらしい染子お姉ちゃんに解放された後に織斑たちに見られていた事を思い出して再び染子お姉ちゃんの胸元へと蜻蛉帰りしたのは言うまでも無い事だろう。
大変お待たせさせた感はありますね(一ヶ月くらい。
内容に四苦八苦しまして、通算五回程丸ごと書き直してたりしてました。
言い訳とすれば風邪治ってバイト行ってぶり返してを計四日続けてたら体調がっつり崩してたり友人に進められたログレスで周回してたりFF14に手ぇ出してたり(弓ミコッテ)SW2.0のシナリオキャンペーン作って身内で回してたりクトゥルフシナリオ考えては放り投げてたり……なんて事をしてたらそりゃ遅れますよね、申し訳無いです。
まぁ、年越える事が無くて良かったと思います。
いえ、別に戯言要素を入れちゃったから意識してたりしたらこんがらがっただなんてしてないですよ。実は本名は赤神オデットで、姉ではなく兄に、殺されるところを助けられる、だなんて方向に向かおうかとしていた所を「そいつはナンセンスだぜ」とボツにしたりなんてしてませんよ、ええ。漫画でよくある風邪の表現で悪寒に震えるのを「無ぇよw」と見ていた自分がそのシーンが本当なのだと実感してしまったくらいに風邪を悪化させてたらそりゃ頭もぶっ飛んだ方向に走りますよねーそりゃ。空笑いしながら丸ごと消してやりましたとも、ええ。
漸く風邪が残してった喉の絶不調具合が不調程度に落ち着いたのもあって、何とか舵を取り直した内容の投稿ができたと思います。
と、長々しましたが、皆様良いお年をお過ごしくださいませ。
来年もご愛読してくだされば幸いでございます。