夢を見ていた。
そう断言できるのは今目の前に広がる光景がもう手に入らない日々だと知っているから。壊れたモノは直せば使える、けれど、失ったモノはどうしたって戻らない。それが、自然の摂理であり、この世の真実だ。どれだけ死者を悼んだって、どれだけ生者が嘆いたって、失われた時間は戻って来ないのだから。もし、あの頃に戻れたらなら、そう思った日は無かった。そして、その思いは段々と日に日に鑢で削られて行く様にして磨り減って行く。器から零れて行く様にして流れて行ったそれは、やがて他所から流れてきた床のそれと混ざり合って、今では目を逸らしてしまう程に罪深い業によって彩られていた。
だからだろう、この光景を冷めた視線で考えられてしまうのは。
「■■? どうしたんだ? 親父はまだ部屋だぞ。……そんなに急いだってお魚は逃げないぞ?」
そう柔らかく温かな声で語る
「分かってる、今日こそ兄さんより釣ってみせるんだから!」
「あー……、そう言う事か。なら、今日はいつも俺が使ってる釣竿で釣ってみるか?」
「ふっふーん、別に良いよーだ。この子で勝たなきゃ意味無いもん」
――あの日、私は川釣りのために準備をしているお父さんたちを兄さんの近くで待っていた。
縁側で物置から出した三本の釣竿の具合を見ている兄さんの姿を見て、これから待っているであろう川での楽しい出来事に胸を高鳴らせていた。いつも川釣りに行く時は徒歩でお父さんの背を追いながら兄さんに手を引かれて向かって、お昼には返って来てお母さんに釣ってきた魚を天麩羅にして貰って……、初めて食べた時の美味しさが忘れられなくて、兄さんに対抗心を燃やした様に見せかけて、釣りに行く日を子供っぽい浅知恵で増やしていたんだっけ。釣竿を買うのは高いから近くの林で取ってきた竹を加工してお手製の釣竿を作って、餌は川辺から少し離れた場所で石の裏から調達して……、そんな風に自然の中で遊ぶのが常だった家族との思い出だった。
「ま、そりゃそうだよな。……しっかし、親父遅いな、ちょっと見に行くか」
この時、我が侭を言って止めて置けば良かったのだろうか。けれど、私の手はするりと兄さんの体を通り抜けてしまった。分かっていた、けれど、この夢はいつも残酷な結果だけを私に鮮明に見せ付ける。これがお前の始まりだと、悪夢からの贈り物だとゲラゲラと嗤うのだ。
「……兄さん?」
お父さんを呼びに行った兄さんが暫く戻ってこなかったのを不思議に思った私は居間へと小首を傾げてから向かって行く。段々と戸に近付くに連れて聞こえてくるテレビの声。それは何処か切羽詰った様なレポーターの声。戸を開くと其処にはテレビの画面に食い付く様に見ているお父さんと兄さんの後姿だった。
『緊急速報です! これは、フィクションではありません! 現実です! 今現在、防衛庁から各国の軍事基地がハッキングを受け、日本へと大量の弾道ミサイルが発射されたと言う報告がありました。専門家の見立てで日本各地への予測着弾地点が発表され……、はい、今現在差し替えられた映像に映っている赤い点が予測着弾地点だそうです。この放送は本来の放送と差し替えている緊急速報です。決してフィクションではありません。冷静に、予測着弾地点に御住まいの方は警察及び自衛隊の誘導に従いシェルターへの避難をしてください! 繰り返します、これは現実の緊急速報です! 今正に起きている出来事です!』
「……おいおい、マジかよ。物騒ったりゃありゃしねぇ」
「ああ……、でも、うちは外れてるみたいだし、大丈夫じゃないか? 取り合えず、■■に今日の川釣りは控えようって言って来なきゃな。って、居たのか。良かった。■■、良いか?」
兄さんは膝を曲げてしゃがみ込んで私の目線が合う様にしてから真剣な面持ちで抱き寄せ、軽く肩を掴んで私の顔と身体をテレビへと向けた。そこには彼方此方に赤い点が散らばった日本地図があり、兄さんは私たちが住んでいる場所を指差しながら現状を語ってくれた。今の、十六歳である私であれば理解は容易いが、この頃の私には難し過ぎて首を捻って取り合えずお出掛けが出来ないので家で大人しくしなきゃならないと言う事だけしか分からなかったと思う。と、言うのもこの後の出来事が衝撃過ぎて少し薄れているからだ。
「……と、まぁ、今日の川釣りは危ないから行けないんだ。良いか?」
「うん、お外が危ないんだよね?」
「ああ、でも此処なら大丈夫だろうけどな。斜面が険しい□□□山が在るんだ。流石にミサイルつったってあの高さは越えれないだろうよ。……そうだな、久し振りに皆でモノペリーでも――」
突然の轟音が響き渡り、兄さんの言葉を遮った。全員が音の方向を見やって数秒後、何かを悟った様に兄さんが険しい表情で私を抱き上げる。その様子にお父さんもはっとした様子で二階へと走って行った。分からないのは子供の私だけで、この後を知る私からすれば恐怖を感じざるを得なかった。
「山が崩れるかもしれない! 早く家から出るんだ!」
叫び声と共に地響きが聞こえ、足元が崩れ落ちたかの様な強い揺れに襲われる。抱え込まれていた私は咄嗟に踏ん張るためにしゃがみ込んだ兄さんに怖くて捕まる事しか出来なかった。その凄まじい揺れはいつまで経っても止まらず、むしろ段々と強くなって行った。強張る兄さんの顔が焦燥に染まり、強い揺れの中で意を決して歩き出す。一歩、二歩と強い揺れの中を兄さんが外へ出るために歩き出し――悪夢が襲い掛かった。お母さんの悲鳴が二階から聞こえたかと思えば、軋みを上げてひしゃげる天井の断末魔。
一瞬だけ兄の顔のノイズが晴れる。その顔が未だに焼きついているから。
兄さんは一瞬だけ顔を強張らせた後、私の顔を見てその顔を無理矢理笑みを作った。
「幸せに生きろよ、俺たちの分までさ」
そう力無い笑みで言った後、兄さんは私を縁側の方へと力の限り投げ飛ばした。スローモーションになる視界、突き飛ばしたかの様な格好で私を見詰める兄さんの顔、そして――。
「ごめんな、さよならだ」
「兄さ――」
視界が土砂によって埋め尽くされ、膨大な質量によって引き千切られた天井の木片が降り注ぐ。縁側の手前の廊下へと転がりながら見えた光景は、土砂崩れによって完全に飲み込まれた我が家だった。がらがらと転がって行く木片や砂利の音だけが鮮明で、あれ程強かった揺れも止まっていた。縁側の雨避けの庇が残った柱の隣で唯一生き残ってしまった私はその光景を刻み付けられた。目の前で、最愛の肉親が死ぬ瞬間を、自身が生きる道を捨ててまで救おうとしてくれた愛の深さを、世界に一人だけ取り残された様な静寂の悲痛さを、味わった。
確か、十歳だった私は酷く唖然としていて、目の前に起きた出来事を認めたくなくて、実は夢だったんだと思いたくて、手元にあったガラスの破片を左手に取って腹部へと突き立てた。酷く鋭い現実の痛みに握り込んでいた左手は離れ、ガラスの破片も縁側へとからからと音を立てて転がって行った。痛みによってこの出来事が現実であると痛烈に理解してしまった私は泣き崩れた。現実に叩き付けられた苦しみを吐き出さんとわんわんと泣き続けた私は、何時の間にか泣き付かれて眠りに付いてしまうのだった。ふわりと浮かび上がる感覚に悪夢が覚める前兆を感じ取る。
『「目が覚めたようだな、お嬢さん」』
あの時と同じ角度で問われた落ち着いた老成された声色に視線が向けば、其処には白衣を着た短く揃えた白髪頭の老人男性が立っていた。博士、そう呼ぶ様にだけ言い付けたその人物はあの時の様に冷静な表情で私を見下ろしていた。段々と夢から現実へと思考がシフトして行き、自分が血液洗浄処理のために施設へと戻った事を思い出せた。施術台の上に寝て、半日程そのまま暇を潰さなくてはならない環境で居眠りをしてしまったのだと理解すると羞恥から頬が熱くなる気がした。その様子にふっと笑みを浮かべた博士は手馴れた様子で右腕に取り付けていた洗浄装置を私の腕から取り外した。そして、フィルターの一つを取り出すと私の目の前に差し出す様にして見せ付けた。
「やれやれ、確かに私は君専用の精神安定剤の限界時間を計るために健康状態のレポートを逐一送りなさいと言ったが、幻覚症状を引き起こすまで副作用を我慢しろと言った覚えは無いんだがね……。ほら、見てみなさい。これが君の血液中に留まっていた悪性の物質だ。よくもまぁ、こんな状態になるまで正気で居られたもんだ」
「博士の作ってくれた安定剤のお陰ですよ」
「……はぁ、変わらんね君は。
「はい、承知しました」
博士はひらひらと手を振りながらフィルターを机へとやり、私の瞳と重なる様視線を合わせた。
「ふむ、右手の幻覚はまだ見えているかね?」
「……いえ、臭いも、感触も、無いですね」
「……其処まで悪化していたのか。よく狂わなかったものだな……。……はぁ。もう一度説明しておくがね、君の病状を抑制するための安定剤に含まれている組成はまだ手探り状態だ。今回のデータで悪性物質と化した要因を取り除いた新薬を用意しておく。一応、君のレポートの症状から大体の調整は出来ているからね……。しかし、君の無茶は私の心臓に悪い。私にとって君は掛け替えの無い人物だと言う事を理解しているのかね?」
「そう、なのですか?」
「……まさか、使い捨ての人造兵士だとでも思っていたのか?」
そう陽気なアメリカ人がブラックジョークを吐いたかの様に肩を竦めた博士へ、即答と形容できる速度で渡しは返事をレスポンスした。
「はい、てっきり私は特殊訓練ケースのプロトタイプとして訓練を受けているのだとばかり……」
博士は目元に右手を置いて深い溜息を吐き、私の頭を掴むとぐりぐりと押し込む様にして強引に撫で付けた。戒める意味合いもあるのだろう、そう思い私は甘んじて受け続ける。
「……あの女に師事させたのが間違いだったかもしれんな。確かに君の戦闘データは、次世代に続く訓練内容に影響を与えているが、あくまでも影響だけだ。隠蔽のために拘束している様な立場である君をモルモットとは思わんよ。むしろ、私たちの許されざる咎の象徴と言っても良い。日本が件の責任の手を振り払うためにはISの有用性に神話的価値を与えなくてはならなかった。責任を帳消しにするだけの格別さが必要だった。君を含めた一家族の情報を限りなく隠滅する程に。唯でさえ君の名前すら奪っている負い目がある。……私は、報いを受けねばならない身だ。だが、今ではない。いつか太陽に近付き過ぎたイカロスの様に地に墜ち行く時があるだろう。その時は、君の名を奪った者たちの一人である私に鉄槌を下すと良い。その権利が君にはあるのだから」
「い、いえ、其処まで思いつめてはいませんので……。私とて自分の存在が日本の存亡を揺るがしかねない存在だった事は理解していましたから。それに……、博士は恩人ですから」
「……あの件から六年の月日が経ち、今なら君の事が明らかになっても国際的問題が起きない程に日本は立て直した。それでもかい?」
「……ええ、私の手はもう赤過ぎる。色が濃過ぎて黒く濁ってしまうくらいには。それに、この病気を抱えたままで太陽の下を歩いて行けるとは思いませんしね」
そう苦笑いを浮かべる私とは対照的に博士は顎下に手をやって神妙な表情を浮かべた。博士は精神的な問題に関する心得を齧っているらしく、私専属のメンタルセラピストの一面も持っている。しかし、結局の所病状が未だ世界的に未知な分類であるためかケミカルな治療を試みなければ無かったようだけども。専門的には其方の分野だそうで「年寄りの嗜みさ」と笑っていたのを覚えている。
「……ふむ、確かに君が後天的に得てしまった殺傷症候群は、未だに治療に成功したと言う旨の論文を見た事が無い部類の未知の病だ。誰かを傷付け無ければ居られない一面は一種の躁鬱病を彷彿させるが、私は違うのでは無いかと思う。私が思うに、サヴァン症候群の亜種、または一種では無いかと考えているのだよ。君の以前のデータから分析するに当たり、どうも人の壊し方が上手い様に感じられる。自ら自殺する際にリストカットではなく直接首の頚動脈を狙った事がどうも気にかかってな。傷を付けるのが目的ならば数度のリストカットで事足りると言うのに、君の自殺例はどれも本来ならば即死しかねない物ばかりだった。そうだな。言うなれば殺傷症候群患者は人の壊し方を熟知しているのではないか、そう思えたのだよ。そう、何よりも大事な点はこの症例は人間に対してのみに矛先が向けられる点だろう。その点、君を以前隔離していた部屋に置かれていた私の送ったテディベアは未だに五体満足で飾られている。何もかもを殺したいのではなく、人間を傷付けたい一心で殺害に及んでしまう、言うなれば殺しは付加物なのだ。そう、人を傷付けた結果、死んでしまった、その仮定がしっくりと来るのだよ。数年前に、殺傷症候群を患う殺人鬼であろう人物が、人間を解体し尽して教室の机の上に並べて晒すと言う行動を取ったとされている警察の資料ファイルがあった。その人物が殺しを目的とはしていないとすれば、人を分解する行為に意味が合ったとすれば……、もしかすると殺傷症候群と言う病状も多種に渡る多様性、症状があるのかもしれない。その殺人鬼が人を解体する事に意味を見出した様に、君にも確固とした方向性があるのかもしれないな。……まぁ、今までの君のデータは全て不揃いだ。殺傷症候群が進行して行く過程であったと思えばそう可笑しくは無い。まるで自身の奥底に眠るその指針の実感を得るために乱雑とした行動に出ていたと考えれば……。っと、すまない、つい興が乗ってしまった様だ」
まるで授業の講義を受けている様な気分で取り残されていた私の頭を、忘れていた事を誤魔化す様に不器用に撫で付けた博士は肩を竦めた。偶にこうして自分の世界に入ってしまう事があるが、博士は見た目的にもそれなりの年齢だろうからもしかすると……、まぁ、博士の話を聞くのは慣れているので問題は無い。むしろ、撫で付け方が若干下手で、最初の頃は髪が引っ張られて痛かった頃よりかは良いのだが、夢見の後も相まって兄さんの撫で方と比べてしまうのは無理も無い事でしょうね……。
「さて、血液交換に取り掛かろうか。これはISを医療転化した技術でな、右腕ではなく《玉鋼》と接続している面を取り付ける。先ほどの血液浄化は研究用の分析機を噛ましているため長かったが、此方は一時間程度で終わるから安心して転寝したまえ」
「流石に半日も寝ていたら寝れませんよ……」
「ふむ、そうかね。……私も歳かもしれんな、眠気が頻繁に襲ってくるのだよ、困ったものだ……」
そう言いながら手馴れた手付きで私の左腕から《玉鋼》を受け取った博士はそれを近くの台座に静置し、赤いコードとチューブが繋がった同じ大きさの機械を取り付けた。此方は神経との繋がりを必要としないのかあまり感覚が無くスムーズに終わり、博士がモニターを操作して動かし――激痛が走った。まるで瘡蓋を強引に引き千切った様な痛みであり、一瞬の出来事だったが意識外の事だったので背中が撥ねてしまった。チューブの中を血液が循環している様で、比べれば少し黒っぽく感じる血液が機械へと流れて行くのが赤色の差異で理解できた。ただ、痛みに慣れているとは言え覚悟無しで、それも信頼していた状況下で気が緩んでいたのもあって過剰に反応してしまったのは失態に思えた。
「あー、ええと、その、なんだ。すまない。言い忘れていた。動脈と静脈と繋がる際に痛みが走るのだったよ此れは。……分かったから涙で潤わせた瞳で睨まんでくれ。後で侘びの品を差し入れよう。何が良い?」
「……どろり濃厚コーンスープ」
「分かった。血液交換が終わった頃に戻る」
博士は申し訳無さそうな表情でそう言い残し、部屋を出て行った。再び施術台で寝続ける事になってしまいましたね……。暇を潰そうにも然程する事は無いですし、目でも瞑っておきましょうか。静寂に包まれるのと同時に孤独感を感じてしまうのは仕方が無い、のでしょうかね。あの夢を見てしまうのは数週間振りだったから……、ですかね。それとも、血液が綺麗になった事で精神的にも少し晴れたからでしょうか。まぁ、どっちでも良いのですがね。まさか、末期な病人に見間違えられそうな程に幻覚が悪化するとは思いませんでしたね……。そう言えば時々記憶が飛んでいた様な……、今回の判断は間違っていなかった、そう言う事なのでしょう。
それにしても、タイミングが被ってしまいましたね。今日一夏くんが中学の友人の家に遊びに行く許可を取っていた様で、護衛を更識に一任してしまいましたが……。あの当主を見る限り不安しかありませんね。大丈夫ですよね、簪をストーキングしていて一夏くんの護衛を忘れていただなんて事は……無いと思いたい、と言うかそうだったら更識に頼む事はもうしないでしょう。……はぁ、一度腰を据えてお話しないといけませんね。リーサルウェポンとして簪を連れて行きましょう。此方からの信用の判断材料が足りないと言うのは不便ですね。丁度良いですし、今回の件を試金石としましょうか。
しょうがないにゃあ画像で気になって始めたラグナロクオンライン中々楽しい。
ただし猫島は初心者には勘弁してくれ、転職圏内に入るとか聞いてない……っ。
とまぁ、近況はこの辺に。
次話は同時刻の鈴ちゃんルートだったりします。
うーむ、一番書き易い立場なんだよね鈴ちゃんは……。
でもって一夏は弾のところへ行っている事でしょう。いやぁ、ネタのストックがあるって楽で良い(目グルグル