昼休みの始めに居なくなった染子さんが戻って来たのは、三限目のIS稼働実習の始まる頃だった。普段のクールさが影を帯びる程に疲れている様子で、朝の出来事について話しかけるのに少し戸惑ってしまった。ISの台数の関係で一組と二組の合同実習なので、一緒に居た鈴も同じ気分だったのだろう。前のめりになった状態で鈴も俺も授業のチャイムによって動きを封じられてしまった。そんな俺たちを見て千冬姉はふっと小さく鼻で笑いやがった。ぐぬぬと思いつつも、また出席簿クラッシュを食らうのは御免なので大人しくしておくとしよう。最悪放課後か授業中にでもこっそりと……、き、聞ければ良いなぁ。そう千冬姉の出席確認の間に鋭い視線で釘を刺された俺は諦めて優等生になる事を心に決めた。恐らく同じ視線を受けた鈴も似たような心境だろう。
「よし、それではこの場で省略となるが一組へ二人の転入生を紹介する。来い」
そう千冬姉がピッチの真下付近にある関係者出入り口を見やると、それに釣られて二クラスもの生徒の視線がずらっと後に続く。其処には、銀髪の小さな女の子と、……女、……男? その人物は染子さんと同じような全身を覆うタイプの武装スーツ系ISスーツを身に纏い、長い金髪を首裏で纏めた中性的な人物だった。女性と呼ぶには猛々しい瞳と口元の笑み、男性と呼ぶには身体付きがスリムな印象を受ける。男性だ、女性だ、と紹介されたら頷いてしまいそうになる、それほどまでに中性的に見えた。男性用にも女性用にも見えるユニセックス系の服が誰よりも似合う人物だな、と言うのが俺の第一印象だった。千冬姉の前に、俺たちの前に立った二人は身長的には凹凸、髪の色も相対していてコンビを組めば面白そうだなとも思ったが。しかし、二人目の男性操縦者が現れたと言うニュースは聞いてないな。と言うか非国民の話題を掻き消すには十分過ぎる内容だから、目の前の人物は少女なのだろう。……けど、俺の時も見つかったって報道されたのはIS学園側に保護されてからだからなぁ。明日あたりにでも発表されるって可能性もあるから何とも言えない。俺たちの視線を受けて、銀髪の女の子は何処かそわそわと、金髪の人物は不適な笑みを浮かべながらにやりと笑みを浮かべていた。
「デュノアから自己紹介を始めろ」
「んー、良いねぇ。こう、熱い視線を感じるよ。滾るねぇ、いつもは此処までフレンドリーな視線じゃないから大分ビンビンだぜ、ボクちゃん。俺、……じゃなかった、演技はもう意味無いんだっけ。ボクは、シャル。シャルって呼んでくれ。へへっ、フルネームが聞きたいって? なら今夜ベッドの上で聞かせてやるよ」
そうニヒルな口調で紡がれた声はこれまた中性的な声だった。バチコーンと言う擬音が付きそうな程にオーバーなウインクによって、何人かの女子が鼻元を抑える。やや低めに聞こえ、内容からして確実に女好きな男性って印象が植え付けられた。周りの女子たちのきゃあきゃあと言う黄色い声がどうも姦しい。ちらりと染子さんを見てみれば、珍しく溜息を吐いていて、彼もしくは彼女が疲れの種であると理解できた。……………………少し、シャルが疎ましく感じてしまった。朝の一件のせいだろうか、少し心がささくれ立っている気がする。どうも右手がぐっぱぐっぱと拳を作りたがっている。……静まれ、鎮まるんだ俺の右拳。叩き付けるのは別に今じゃなくて良い筈だ。もしかしたら授業中に機会があるかもしれない。……………………はぁ、何となくだけど中学生の頃に俺がラッキースケベやらかした時にグーパン入れてくる時の気持ちが分かってしまった。嫉妬ってのは、こう言う気分だったのか。はぁ、染子さん見て落ち着こう。疲れ目溜息染子さんマジ可愛い。
「……デュノア、真面目にやれ」
「えぇー、ぶっちゃけるとボク此処に通う理由らしい理由がもう無いからさ。単純にボクがボクとしてアイデンティティをグローバルオープンするにはもうこれしか無いってボクの先日逝った糞アマのゴーストが囁いたり囁いて無かったり、あー……、分かった。分かったからその出席簿を縦に構える姿勢止めようぜ。それ普通に暴力、教師からの暴行は拙いんじゃない? 流石に肉体言語で語る程原始人してないぜボクたち。ボクたちホモ・サピエーンス!」
「……………………はぁ。デュノアから自己紹介を始めろ」
「丸ごとばっさりカッティング!? と言うよりも改めてコンティニュー!? オーゥ、いつの間に死亡フラグ折り切れて無くて自己紹介に戻ってたんだ。んー、死因的には――っ、ヘイ! 染子! 苛々してきたのは分かるがその突き刺さる殺気込めるの止めない? ……止めないかぁ。分かった、分かったから、ふざけるのはこれぐらいにしとくよ、今は。後でオールナイトフィーバーってぐらいに回転数上げて確変モード突入ってぐらいに騒ぐけども」
そうシャルがオーバーに肩を竦めた。……何でお前染子さんの事呼び捨てにしやがってんの? 安穏な性格な俺も流石にキレちまったぜ……、ってまではいかないけども、ギリギリ留まっているさ、うん。もしかしたら簪みたいに前から交友があったのかもしれないしな。シャルは一つ溜息を吐いて、背中の方にあるらしいジッパーを下し、肩口からぐいっと前面を晒し出した。そこには、逞しい胸板――では無く、チューブトップ型の黒い下着が露わになった。ざわりと二種の思惑を孕む歓喜の声が辺りから漏れる。
「イチカコッチヲミロォ!」
「ひぃっ!?」
ドスが効き過ぎている鈴の声に恐ろしさを感じて即座に後ろを向いた。因みに後ろは大宮春香と言う女子生徒なのだけれども、体を晒したシャルを食い気味に見つめてらっしゃる。ああ、彼女はそちらの人だったのか。非生産的ではあるが、まぁ、美しいよな。百合の花って。染子さんと簪さんみたいな姉妹系も良いけども、染子さんと鈴の相棒系もまた捨てがたいな……。
「と、まぁ、こう言う事だよ。心も体もロマンチストな恋する乙女でね。あ、勿論、女の子もイケる口だから今夜一緒に過ごしたい娘が居れば――」
「シャルロット・デュノア。フランス代表候補生、彼女無し、彼氏無し、童貞、以上」
「ちょい染子ぉ!? そういうプライバシーに関わる発言は止めてくれない?!」
「私と同じ部屋になるのですから、そう言うのは止めてください」
「そうだよな、ごめんごめん。君以外の娘とヤる気は無いさ、機嫌直してよマイハニー」
「ぶちまけられたいの?」
「あ、ごめん、素になるの止めて。その殺気はボクのガラスのハートを砕きかねない。と言うか心が折れる、折れるからぁ!」
まるで軽薄な彼氏に釘を刺すクーデレな彼女みたいなラブコメディな一面を見てしまったからか心のささくれがへにゃりと戻る気分がした。と、言うよりも、御立派なお胸をお持ちでいらっしゃるようで、…………はぁ、良かった。女の子だったのか。と言うかジッパーが上がる音がしないんだけど、まだ晒け出してんの? いつまで俺は修羅と化した鈴の般若顔を見続ければ良いんだ……? 段々と目が合い続けていたからか鈴の表情が朱に染まってゆく。……ほんと、こう言う初心な所はあの頃のままで可愛いんだよな鈴って。小動物みたいにキーキー言ってて、頬を撫でるとぴたりと黙ってそれに甘えるような、そんな可愛さが鈴にはあるんだ。……もっとも、それは俺にしか見せて無かったみたいだけども。……はぁ、罪悪感が募る……。
気まずくなり、横見でちらりと見てみれば、絶対零度の凍える視線を向けていた染子さんはあの時と同じような、かーなり殺伐とした雰囲気で君臨していらっしゃった。あの時と違い、真正面からその表情を見ていないからか、それともその雰囲気をぶつけられていないからか、俺はふと見惚れてしまっていた。その殺伐とした雰囲気の中に咲く刺々しい一輪の華はあんなにも罪深くも美しい。そんな、ロマンチストも大爆笑しそうな言葉を用いてしまう程に、俺は染子さんの表情に見惚れて――痛い痛い痛い痛い! そっぽを向いたのは鈴もだろ! 嫉妬してんのは分かるけども耳を掴むな、取れるっ、取れるって!
「これ以上は授業の妨げになる。ボーデヴィッヒ、自己紹介を始めろ。デュノアは着ろ、そしてそこの馬鹿共も静かにしろ」
その千冬姉の静かなる怒りの声が姦しくも騒がしいアリーナのグラウンドに響いた。それは、とても小さく、けれど、しっかりと発せられた声で、全員の身を思考と共に静止させるには十分過ぎるものだった。きゃいきゃいと来月の新刊の話をしていた子やシャルに対してうっとりとしていた子、そして染子さんの雰囲気に呑まれてガタガタしていた哀れな子たちもまた一同に、瞬時に自分の立ち位置へと戻ってしんと口を閉ざした。そして、「んー、また大きくなったかな? 成長期には遅いねぇ、まぁ良い物食べれたの最近だしなぁ」なんて一部の、と言うか鈴がキレそうな発言とかなりやばそうな重い話題を軽く口に出しながら、ジッパーを上げる音をBGMに呟いたシャルはきっと俺にだろう、「もういいぜ珍獣君」と声をかけてきた。誰が珍獣君だ、と言い返したいけれども休火山すらも爆発させなねない千冬姉の逆鱗に触れたくないので我慢するとしよう。
千冬姉の声に背を押されてか、銀髪のボーデヴィッヒと呼ばれた子が前に出た。そして、ビシッと機敏な動きで足元を揃え、片腕を後ろへ回した後敬礼した。その呼吸と同じくらいに自然な動きからして、それらの動作が当たり前な環境から来た事が見て取れる。と、言うよりもそんな行動をするのって軍隊じゃ……、ち、小さな軍人さんなんだな? 彼女の着ているISスーツはクラスメイトたちのISスーツと似ているものの、関節の節々や首元と言った露出がある部分はしっかりと覆われており、染子さんたちのと比べて軽装な武装系ISスーツなのだと見て取れた。
「ドイツ軍所属、ドイツ代表候補生ラウラ・ボーデヴィッヒ。此方では軍属としてでは無く、一生徒として行動せよと言う令を受けているため階級は省略させて貰う」
そう見た目の幼さとは裏腹な勇ましい口調によって、先程までざわついていた女子たちの視線を一気に集め切った。何処か厳かな雰囲気が見て取れて感じられ、彼女に対しておちゃらけた言葉をかけようと思う奴は少ないに違いなかった。そんな俺たちの様子に満足したのか、一つ小さく頷いてから「えと」と呟いていそいそとポケットから小さな紙を取り出して。
「えっと、学生ではこの後に自身のプロフィールを付け足すのだったな。好きな動物は兎さん、好きな食べ物はフリカデレ。大好きな人は織斑教官だ!」
幼き天使が降臨した。純粋無垢な笑顔は見る者全ての汚れた心を浄化するような眩しさを伴っており、特に隣に居たシャルが甚大な被害を受けているように見えた。ふんすと慎ましい胸を見せつけながら、「以上だ」と満足げに戻る姿は厳粛な軍人の雰囲気ではなく、ピクニックに来た幼い子供の無邪気さに見える。何と言うか、濃い転入生だな。………………ん? 何で一組に転入なんだ? 鈴は二組だったし、それなら三組から五組の何処かに転入するんじゃ? 別に人数が足りていない訳じゃ……、無い、の、に? そんな疑問が脳裏を走った。
IS学園のクラスは三十人。そして、先程の出席で返事をした人数は
――そう、
辺りを見回しても彼女たちは居ない。そして、彼女たちが病気か何かで寮部屋に居るって言う千冬姉の業務連絡も今朝のHRには無かった。午前中にぽっかりと空いた席。其処に持ち主は座っておらず、それどころか居場所すらも無いようにも今になって思えてしまった。俺は、そんな嫌な予想を浮かべながら千冬姉を見た。その視線に気づいた千冬姉は瞑目し、小さな溜息を吐いて、首を小さく振ると言う簡潔にして静かな返事をしてくれた。もう彼女たちはこの自分たちの席に座る事は無いのだと、理解できてしまった。
非国民は蔑まれるべき者たちだ。そんなこと、誰だって知っている。誰だって、知ってしまっているような歴史の暗がりだ。彼女たちは、俺の知らない間に既に、排斥されていたのだろう。どんな目にあったのか、それは男の俺には分からない。だが、
たった一つの大事件と全国放送のたった一つの単語で、こんなにもあっさりと見ていた世界が壊れて行く。そんな、崩壊して行く価値観の小さな悲鳴を聞いたかのような気分になった俺は、思わず歯噛みした。鈴の言う通りだ。俺が何をしようとも道理が通らぬ不条理が全てを壊して行く。手を伸ばした手が世界の悪意に噛み付かれて砕かれるかの如く、だ。
非国民。そう聞いて思いつくのは多種多様の罵詈雑言を浴びさせられながら、良心の欠片も無い暴力によって虐げられてゆく人たちを連想させる事だろう。そう、それこそが
だからだろう、この世界の流れが世紀末と言う滝壺に流れて行く濁流の様に思えたのは。
「さて、二人は浅草の後ろに並べ。……よし、此度の実習ではISの基本的な操作方法の反復練習を行なう。四限目のIS修理実習の際に実際に装甲を外して何処に負荷が掛かるか。また、負荷によって起こり得る実害などの観測などをして貰う。そのため、自分たちの動きをよく覚えて置くように」
「はいっ!」
「では、浅草、織斑、オルコット、デュノア、ボーデヴィッヒ、凰は前に出て並べ。そして、他の者は浅草から順に出席順に並んで行け。欠席及び
「はいっ!」
千冬姉の号令によって即座に動き出すクラスメイトたちとは逆に俺の行動は遅いものだった。心の底に非常に重量のある重りを乗せられてしまったかの様な心地で、実習のためのISを取り出しに行く。何故だか、今この瞬間だけは、ISを触りたくはなかった。この世界最強の兵器はこの狂い始めた常識が蔓延する世の中で、唯一狂う事は無い存在になるのだろう。何せ、ISは所詮
「……一夏」
「……何でも無い、何でも無いんだ」
心配の声に返事を返しても不安な心は零れた盆水の様に戻る事は無かった。それどころか一緒になって揺れた波の影響だろうか、不安が押し寄せてくる。答えを出せるのは、きっと俺だけなんだ。誰かの答えを聞いて納得しても、それはあくまでその誰かの答えであって俺の答えでは無いのだから。守ると決めた、なら、これからすべき事は一心不乱に芯を叩いて俺だけの刃を生み出す事だ。力は、暴力の一面と守護の一面を持っている。力は一辺倒な強さじゃあ無いって事を俺は染子さんから習った。力は、強さは、全て過程のための手段でしか無いのだと。どう使うかは、使い手の心次第。傷付けるのも、守り抜くのも、全ては選択の直線上にある。だから、俺は選択をしなくちゃならない日が来る。それに対して胸を張って主張できるかどうか。今の俺には分からなかった。子供には大き過ぎるその悪意に、俺は、身を竦ませてしまっていた。
手を伸ばしても届かなくて、どうにもならない現実が――怖い。
そんな経験をした事が
☆
何が何でも名前で呼ばないと不貞腐れて動きやしないシャルロットのせいで時間が掛かってしまったけれども、先に連れたクラリッサにボーデヴィッヒさんを合流させ、やっと放課後を経て自室に戻って来れました。ベッドに座り、動き過ぎる感情に疲れを感じながら溜息を吐く。まさか、工作員として派手にやった時の傭兵と出会うとは思いませんでした。ガスマスクは既に交戦の際には外れていましたし、口封じしようにもまさかビルを守るための傭兵がそのビルを崩壊させてくるだなんて真似をするとは思いもしませんでした。その負傷により費やされた身体の再生はそう長くはありませんでしたが、国外への派遣が他の工作員に回されるようになり、相見える機会どころか戦場から離れてしまいましたからね。
「……簪、そろそろ離れなさい」
「や」
「や、じゃありません。貴方が同室で彼女に拘束された場合、もろとも殺さなければならないでしょう。あの様に振る舞ってはいますが、その実力は確かなものですからね。何せ、私の殺気を受けても笑って流せる程に鉄火場に身を投げた傭兵。刹那的に考えなければ死に逝く戦場で生き延びるには才能と技術と精神が強く無ければならない……。唯一人の愚者が味方を殺す様に、相手側に震える愚者を生み出せる彼女ならばそれ相応の実力を内包している事でしょう。故に、貴方が人質に取られる可能性は減らさなくてはならない。だから」
「う、うぅ……、でも今更あいつに言ったって……」
「……実の姉でしょうに」
その声色は普段と違って感情の色が濃く出ていた。大切な人たちを奪われた過去が、家族を蔑ろにする簪へ向かう声色に棘を持たせてしまう。それが分かったのだろう。教官と博士以外で、唯一私の過去を教えた簪だからこそ理解できてしまったのだろう。教官のナノマシンの影響で感情を制限させられていたからこそ滲み出る感情は薄かった。けれど、人の身から離れ過ぎている私が、あの頃よりも人間味を帯びているだなんて事実は、とても皮肉に感じられる。こんな風に、さり気無い一言であっても感情が乗る、だなんて
そんな風に感情に乗せられるままに思考に没していたからか、腰に抱き着いていた簪の腕の力が強まる。ぐりぐりとお腹におでこを押し付けてくる姿は全力で甘えてくる仕草だと知っていたからか、つい右手がさらりとした柔らかい髪を撫でつけてしまう。以前なら、左手でしかできなかった事が、感情が解き放たれただけでこうも変わるとは感慨深いものだと感じる。
一つ溜息が漏れた。
私は、あの日から血に塗れた毎日を過ごしてきた。教官によって感情が失せていたとは言え、これまで行ってきた事は全て私の意思によって肯定し、眼を瞑る事も無く視線を逸らす事も無く、人の命を奪ってきた。日本に仇なす者共を、日本を売ろうとした売国奴共を、この手で。刀では無く銃を選んだのは子供でも人を殺せる兵器だったからだ。六年前のあの頃は十歳、ナイフ一本持つのにも、振るうにも弱過ぎる当時の私にとって、凄い反動と引き換えに成人男性をあっさりと殺せる拳銃は万能の道具に見えた。
――これさえあれば、私から大切な人たちを奪った奴を殺せる。そう、思ったんだっけ。
あの時から私は変わっていない。大切な人たちを奪った奴を見つけて殺す、たったそれだけの事に六年間も、いや、これからの人生を費やして行くつもりだ。なのに、どうしてだろう。こんなにも、感情が渦巻く竜巻の如く暴れ回っているのにも関わらず、悲観を感じていないのは。悲しい筈なのだ。大切な人たちを殺されて、それも、白騎士だなんて総称が付いた馬鹿げた世界的事件に怒り狂っている筈なのに、どうして、こんなにも落ち着いていられるのかが自分でも不思議に思えた。これじゃ、まるで――。
「――もう、未練が無いみたいじゃないか」
口に出た言葉が自身へと還る。天に向けて吐いた唾が己の顔を汚す様に、その言葉は私の心にすんなりと入って来た。ああ、そうか、私はもうあの感情を抱く事は無いのか。そう、理解してしまった。あの頃以上に感情が沸き上がる筈なのに、どうしてもあの時の怒りが、悲しみが、殺意が込み上がって来ない。
自分が自分で無くなる気分だった。嘘だ、と叫びたかった。ああ、私はこんなにも
私は復讐を成すために人を殺してきた。誇り高き日本人として当然の行為をしてきただけだと思っていた。博士は言った、彼らは日本を侵略せんとする蛮族共であると。教官は言った、邪魔者は総じて邪魔なのだから皆殺しにするのが鉄火の華だと。大切な人たちを奪った
見つからなかった。
唯一思いつくのは白騎士事件で名を馳せた篠ノ之束博士。普通ならば彼女を犯人として捜すべきだと思うが、博士は彼女では無いと断言したのもあって、ターゲットから外れている。けれど、いずれ見つけるべき、会うべき相手だとは思っています。この腹部に埋め込まれた番外ナンバーのコアの事を、必ず聞かねばならないでしょう。彼女の経歴と性格を考えるに、白騎士と呼ばれた搭乗者は織斑担任でしょうが、彼女はどちらかと言えば受け身で振り回されるタイプ、あの非常識な事件を起こす側に居たとしても共犯程度でしょう。……彼女の在り方からして、案外土壇場で巻き込まれたと言う可能性もありますけども。
兎も角、復讐する相手がこうも見つからないと怒りの鮮度が落ちて行くのも仕方が無いと思えてしまうのですよね。実際に面すればもっと違うのでしょうけども……。
「えーと、染子お姉ちゃん?」
「ん、何ですか? 此方が提示した条件は変わりませんよ」
「それなんだけど……、本当に駄目姉と仲直りして交渉しなきゃ駄目? 別にあいつと交渉しなくたって……」
「……はぁ。簪、そもそも貴方は神風機関の一人では無く、日本政府所属の代表候補生でしか無いのですよ? 私の上と、貴方の上では部署が違いますし、此度の案件は無名の傭兵たるシャルロット・デュノアが行なう可能性のある、最重要被検体候補である織斑一夏の暗殺及びデータ収集行為の妨害です。そのため、織斑一夏の保護は鈴さんに移行し、戦闘員である私が彼女を睨むのは当然の事でしょう。なので、シャルロットを同室にし、お荷物である貴方を他の部屋に置くのは当然の事です。既に更識にはその様に話をつけています。其処に貴方の我儘で貴方を残すと言うのなら、貴方が話を付けるのが筋でしょう。違いますか?」
「……違わない、です」
「そうでしょう? なら、貴方には二つの選択肢があります。この部屋から出ていくか、嫌いな実姉と仲直りして交渉を持ち掛けるか、です」
「だから何で仲直りが間に入るの……っ!? それさえ無ければさくっと行くのにぃ……っ!!」
そろそろ面倒なんですよ、とばっさり言ってしまうべきでしょうか。更識と交渉する際の会話の八割が貴方に対する私への嫉妬の言葉で埋まるので、数秒で終わる筈の会話が十数分も掛かるんですよ。交渉は全て更識が管理すべき時間帯に行っているので私への被害はありませんが、かと言って暇な立場でも無いので正直迷惑なんですよね……。
そう簪が云々と唸っているとドアノブが無造作に回り、鍵が掛かっているために音を一つ立ててから静まった。どうやら時間切れらしい。未だに唸っている簪の腹から抱える様にして持ち上げ、腰元に抱えて扉へと向かって行く。ばたばたと暴れていたが抵抗は無意味だと思ったのかぐったりとした簪を――ノックもせずに鍵を使って入って来たシャルロットへと全力で投げ付けた。
「ヘーイ、此処がボクと染子の愛の巣なん――うぉあ!? ちっこい女の子が砲弾よろしく飛んできたぁ!? それもヒーロー物とか大好物で白馬の王子様とか待っちゃうような乙女タイプの娘ぉ!!」
「ああ、それは外に捨てておいて良いですよ。もう必要ありませんので」
そう意味深に口角を上げて、冷たい視線を向けてやればシャルロットは百面相よろしく表情を変えて驚きを表現していた。流石に殺しの対象で無い少女に手を掛ける趣味は無いのか、突然の事ながらもあっさりと受け止めて、柔らかに地面へと下しましたね。と、言うよりも根が善人寄りだからでしょうか。殺す対象をきっちりと定めている、己の中に信条を持っているタイプの傭兵なのでしょう。博士に至急資料を送る様にお願いしましたが、こうも予想外の方向から来ると面倒極まりませんね。
簪に向ける目を減らすためにこの場では無能な部下を装い、更には冷徹に放り投げる事で更なる効果の相乗を狙ったつもりですが、無理ですね。シャルロットの瞳はほぅほぅそれでと言った見越した物で、既に簪と私との関係を半分は看破していると言って良いでしょうね。
「おいおい、まだ放課後だよ? 盛るにはまだ早い時間じゃあ無いのかい。そっちのベッドが使われていた様子も無いし、同じベッドで寝泊まりしてたんだろう? ……匂いからしてそっちの気じゃあ無いみたいだね。となるとちっこい娘が君へのシンパか。へぇ、よっぽど大切にしてるんだね、あの娘」
「……はぁ、面白い程に有能ですねシャルロット・デュノア。貴方がもう少し礼儀正しい犬であれば機関への推薦状を書くのですが」
「そりゃまた好待遇だ。あの日本の工作部隊のエースにそこまで褒められちゃ光栄の極みって奴だね。それにしても悪いね、ボクのせいで放り出させちゃってさ」
「いえ、問題ありませんよ。あの娘もやるべき事があるので、それをやらせるにはこの部屋に、いえ、私に執着し続けるのもあの娘のためになりませんしね」
本当に観察眼に長ける、厄介な分類ですね。教官の直観レベルまでの悟り具合はありませんが、そうと言ってもこの観察力は群を抜いている。どれだけの鉄火場で酷い目に遭ったのかが見て取れると言ったところでしょう。この場に簪を残さないで良かった。あの娘は対人技術はあるものの交渉と言った技術は不得手と言うよりもズブの素人ですから。こうして釘を刺す前に出会っていたら根掘り葉掘り情報が漏洩していた可能性がありますね。……もう少し釘を刺しましょうか、念には念を、刺せる釘は多い方が良いでしょう。
「あの娘も日本の所属ですので、軽くて甘い言葉を使って篭絡しようとは思わない事です。機密漏洩に反したとしてあの娘ごと
「冗談――には聞こえないな。マジか。ボクが言うのも何だが大事な娘じゃ無いのかい?」
「日本に仇名す者ならば死んで当然でしょう?」
そう、嘘偽りの無い言葉を述べた。シャルロットは嘘の真偽をある程度は読み取れる程の技量があるらしいため、このアンブッシュな
「……何て言うか、借り物の辞書を使って言葉を並べている、そんな気がしてはいたけども……これは業が深いね。日本怖過ぎ。オーゥ、マジかよ。貞子だとかリングだとかスプラッタじゃない表現の仕方で怖がらせて来るジャパニーズホラーの神髄って言うかさ……。潜在的な恐怖演出とかマジで怖い、ブルブル来るよ背筋に」
……あれ、予想以上に引かれていて何とも言えない気分になりますね、これは。貴方も大概ゲテモノでしょうに、とは言わぬが仏と言うものでしょうが、そこまで恐れられると心に来ると言うか何と言うか……。お互いに沈黙してしまい、気まずい雰囲気が漂い始めてしまいました。
今後の同室生活に支障が出なければ良いのですが、そう思いつつも警戒は緩めない方針で乗り越えましょう。今思えば恐怖される事なんていつもの事でしたし。爪を数時間掛けて
「えーと、サイコパスも両手上げて逃げ出すようなシリアルキラーも真っ青な顔で笑うの止めてくれない? 今後がひっじょーに不安なんだけどもさ」
テストが近々なので、次は八月前半の投稿になりそうです。
ゼミの活動で土日が死んでぐったり二週間でしたので、明日が休みと言うのもあって息抜きも兼ねて夜更かし更新になりました。
久々に簪ちゃんが出るもあっさりと追い出されるの巻。
彼女が駄目姉との交渉を終えるまでは出番は無いかな(無慈悲
あまり一シーンにキャラを出すと(会話が途切れるから黙るキャラを作らないといけなくて)グダるしなぁと言う考えにより、シャルとの会話には追い出されました。浅草さんが過保護だったと言うのもあったりするけども。
簪は神風機関所属では無かった。日本政府が旗本であると言うだけで別部隊。ではあるものの、義姉妹的感情により妹分枠に置いてあったりするポジだったり。
……作中で神風機関所属とかって明言はしてない、多分。同じ日本の所属って感じの言い回しをしていた筈、多分。
見直してみるけども見落としてたりしたら報告してくださると嬉しいです。やっぱり他者から見た方がその手の見落としは見つかりやすいんですよね……。