《打鉄弐式》のプログラムを製作するのに熱中して徹夜してしまった昨日の自分を止めてやりたい。寝不足で頭がぐらぐらする感覚が非常に気持ちが悪い。教室に着く前に廊下で倒れてしまった私を誰かが保健室に連れて行ってくれたらしい。保険室の先生はほんわかと微笑んで「ゆっくりしていってね」と誰が連れて来てくれたのかをはぐらかして出て行ってしまった。
ああ……、保健室のベッドが気持ち良い。羽毛布団がふんわりしてて凄く眠気を誘われる。おやすみなさい、と目を瞑って穏やかな波に流された。段々とまどろんで落ちて行く感覚が心地良い。ふかふかだから尚更に。扉が開く音がしたけど多分戻ってきた保健室の先生だろう。そう思って私は意識を眠りの世界へ手放し――。
「……おや、誰か居ますね」
「染子お姉ちゃん!?」
耳に入った美声に飛び上がる思いで布団を吹っ飛ばして上半身を起こした。いきなり起こしたので若干頭痛がするけども、なけなしの気合で声のした方へ視線をやればIS学園の未改造な制服を着込んだ美少女が立っていた。鴉の濡れ羽色と形容出来るほどに艶やかな髪が膝下まで伸びて、黒曜石のように綺麗な黒い瞳とぼんやりした眦が無機質さを引き出して、最高峰のお人形さんのような整った顔、首から爪先までの芸術的な曲線は服を着ていても尚感じられる素晴らしい美を誇り、私と同じく胸が小さいけどもそれすらも魅力的に見えてしまう冷静沈着な雰囲気を醸す少女は一人しか居ない。
唯一無二の大切な人である染子お姉ちゃんだった。
飛び上がるくらいに上機嫌になってしまった私は頭痛も苦痛も忘れて顔を綻ばせた。染子お姉ちゃんは小さく小首を傾げつつ、起き上がった私の肩を押してベッドへ戻した。更に足元にあった布団の裾を首元へと戻してくれた。
二年前、日本代表候補生の実力を測るという名目で合宿を組まれ、模擬戦をしたあの日から合宿所から離れる日まで縋り付く私と一緒に居てくれた人。会えなかった寂しさが胸に積もる毎日であったがそれが、解消されて私の心は澄み渡る大空に君臨する太陽の如く高揚していた。鼓動が高鳴り、目が潤んでしまう。
「お疲れのようですから寝てて良いですよ」
「な、何で染子お姉ちゃんが此処に?」
「私がIS学園の生徒だからですね」
「そ、そうなの? なら、何で……」
「……ああ、簪が四組に居るのは知っていましたが、貴方の姉もまた学園に居るので此方からの接触は止めておきました。立場上面倒な事になりそうなので」
――また姉のせいか!
あの完全無欠の超人お嬢様である姉のせいでどれだけ私は窮屈な思いをしてきたか。
ふつふつと胸から込み上げて来る怒りが雰囲気に出てしまったのか、染子お姉ちゃんは仕方が無いなと言った様子でベッドに腰掛けて手を握ってくれた。
――あの時と同じだ。
努力が垣間見れる硬さを持ちながら、すべすべとした滑らかな肌が私の掌を包んでくれる。ISに乗りたくなかった私を慰めてくれた時と同じで、頼りになる温かい掌に心が落ち着いて行く。染子お姉ちゃんは感情が薄いと言っているが、実は悪巧みしている時と微笑んでくれる時には表情がきちんと出ているのだ。それを指摘すると目をぱちくりさせて頬を染めるのでにんまりしてしまったのを覚えている。姉? 話す機会も無いし、そもそも話したくも無いので忘れる秒読みな気がする。貴方は無能で良いわ、だなんて巫山戯た事を抜かす人だったから尚更に。むしろ、忘れたいくらいだ。
「簪。貴方が姉を嫌っているのは分かりますが、露骨に顔に出すと可愛い顔が勿体無いです。穏やかな表情で居る事を勧めます」
「あ、あぅぅ」
「どうかしましたか? 顔が赤いですが……。成る程。簪は風邪を引いて此処に居るのですね。私との再会に喜んでくれるのは嬉しいですが大事にせねばなりませんよ」
「う、うん……」
そうにこっと微笑んだ染子お姉ちゃんは空いた手で私の頭を優しく撫でてくれた。天然なのか真っ直ぐに心内を明かすその言葉に照れてしまう。同性であっても思わず見惚れてしまう染子お姉ちゃんの満面なキラースマイルにくらっと来た。
そういえばあの時もそうだった。相手のフルスキン型の《打鉄》の猛攻により瞬殺された私が叱られてロッカーで泣いている時に、染子お姉ちゃんがふらりと現れ、このキラースマイルを添えて優しく慰めてくれたのだ。その時にぶわっと今まで抱え込んでいた事を全て泣きながら吐露してしまい、優しい抱擁の中で寝てしまったのだ。目を覚ましたら染子お姉ちゃんの膝枕の上で、お茶を沸かせそうな程に頬を熱くしたのを確かに覚えている。
それからだ。染子お姉ちゃんが対戦相手だったと知った時は非常に驚いたが、そんな些細な事を吹っ飛ばすくらいに魅力的だった。憧れと親愛と友情の念が溢れる程に私は染子お姉ちゃんが大好きになった。日本代表候補生の合宿は毎晩私は染子お姉ちゃんのお部屋で一緒に寝かせてもらった。
『それは難儀ですね。なら、宜しければ私が姉代わりをしましょうか?』
そう、それは天恵だったんだと思う。染子お姉ちゃんは多分冗談で言ってくれたのだろうけども、私からすれば衝撃的な出来事だった。即答して「お姉ちゃん大好き!」と叫んでしまったくらいに心惹かれる提案だったのだ。その日から私は、当主になって名前が変わった挙句に国籍まで変わった姉を実姉と思わなくなった。甘える私に優しくしてくれる染子お姉ちゃんこそが自慢の姉になった。姉とどれだけ比べられてももはや他人のようにしか感じなくて、むしろ染子お姉ちゃんと離れ離れになってしまった事が一番堪えた。それは、織斑千冬さんの弟さんである織斑一夏によって専用機の《打鉄弐式》の完成が絶望的になったよりも、IS学園に更識の当主の妹だからという理由で入学させられたよりも、姉がロシア代表になった事で他の後家が焦り、慌てて私を日本代表候補生という名の日本政府との繋がりにされた時よりも、遥かにずっと辛かった。
けれど、それらは今では笑って許せる。染子お姉ちゃんと別のクラスではあるが、いつでも会えるのだから。姉と同じ部屋割りになりそうになった時は、絶対に嫌、と全身全霊を持って拒否したけども、染子お姉ちゃんとだったら大歓迎だ。あの姉の近くに居たくは無い。絶対にだ。
「ね、ねぇ染子お姉ちゃん」
「はい、何ですか?」
「ま、また一緒に……寝ても良い?」
私の言葉に染子お姉ちゃんはとても複雑そうな顔をした。もしや、姉との関わりが面倒で断りたいのだろうか。それが本当なら私は今すぐにあの姉に絶縁状を叩き付けなくてはならないのだけど。染子お姉ちゃんは一度瞑目してから辺りを見回して、盗聴機等があるかどうかを《玉鋼》のセンサーで確認してから漸く口を開いた。
「そ、そのですね……。一年程前に任務の後、就寝していた私を暗殺しようとした方が居まして……」
その後の事は何となく分かってしまった。
「無意識にその暗殺者を始末してしまったようで。それから寝ている時に自衛するためにトランス状態になるようになってしまったのです。幾度かそのような出来事があったので……。その、癖になってしまっているようです。簪だと分かってはいますが、一緒に寝ている時にもし、と思うと怖いのです。今まで一人で寝ていたので前例が無いので……」
そう、染子お姉ちゃんは日本政府によって戦う事に特化した人間になるように調整されている。それは二人だけの秘密だ、と打ち明けられた秘密なので墓まで持っていく所存なのは言うまでも無い。いつも空をぼんやりと見ているのが、手元の赤い掌の幻覚を見ないようにするためだと私だけが知っている。白騎士事件を引き起こした人物に復讐するためだけに生きてきた染子お姉ちゃんは、裏切り者やスパイに手を掛ける存在として教育がされていた。私が更識の人間であれ、と殺人術を習わされていたように。私の場合、物心付く前から教えられていたからもはや手遅れであるが、染子お姉ちゃんは物心付いた後に教えられてきたため酷く苦悩したそうだ。だから、心を護るために感情が薄くなったのでしょうと言っていたのを覚えている。
「……大丈夫だよ、染子お姉ちゃん。私なら――化物と呼ばれた私なら、染子お姉ちゃんと一緒でも大丈夫だから」
私は更識流殺人術薙刀型の継承者にして免許皆伝者。皮肉な事にそれだけは姉よりも才能があったようで、数年前に師範たるお父さんをあっさりと倒してしまったくらいの実力がある。だからだろう。表に出て問題無い才能を開花させた姉と、裏に出て問題無い才能を開花させてしまった私は正反対に比べられた。人を殺す趣味なんて無いのに、そんな勇気も決意も無いのに、私は陰で化物と称された。引き篭もって鍛錬をしなかったら筋肉が落ちて化物呼ばわりされないだろう、そう考えて実行しても結局変わらなかった。それはそうだろう。何せ、更識流殺人術薙刀型は力要らずの流派。撫でるように切り裂く奥義こそがその真髄なのだから、薙刀を持てるだけの筋力さえあれば問題無いのだ。むしろ、無駄な力が入らないようになって技のキレが上がった始末だ。笑えない。
それに絶望した私はますます引き篭もった。戦隊物や仮面物の特撮から段々とアニメの世界に引き込まれて今じゃ隠れオタク。プログラム関係も昔にゲームを自作しようとして勉強していたからお手の物。今も《打鉄弐式》の鼻で笑ってしまうようなお粗末な未完成プログラムを一から作り直してしまっている程に化物さが増してしまった。まぁ、武装の件で少し難儀しているけども。
けど、染子お姉ちゃんは久し振りの再会でそれらを知らないとしても受け入れてくれる。更識簪は更識簪なのだと、誇りを持って良いと抱き締めてくれる。染子お姉ちゃんに出会ってから私は変われた。ヒーローに憧れていたのは、その強さじゃなくて誰もが傍に居てくれる立ち位置だから。隣に誰かが居て欲しい、そんな切望を染子お姉ちゃんは満たしてくれる。
「……だから、その。試して、みる?」
大胆にも私は寝ているベッドの布団の端を持ち上げて染子お姉ちゃんを誘ってみた。
あぅ、ちょっとやっぱり恥ずかしい。頬が熱い。微笑みが深まる染子お姉ちゃんの顔が直視できない。くすりと笑ってから私を正面から抱き締めるように染子お姉ちゃんはベッドに滑り込んだ。染子お姉ちゃんにそっちの気は無い、というか知識すら無いだろう。大事な物を抱えるような、大切にされている事を感じてしまう優しい抱き方。染子お姉ちゃんは然も当然のように私の顔を胸に収めた。あ、私より少し大きい。そんな事を思いながら私はその背に腕を回す。引き締まって細い胴にするりと回してしっかりと抱き締め返す。
「ふふ、二年前と同じですね。簪の甘えん
「あ、あぅぅぅ……」
うん、合宿所で寝る時はいつもこうだった。こうやって訓練や精神的に疲れた私を癒すように、染子お姉ちゃんは抱き締めて寝てくれた。本当は
――それもこれもあの姉のせいだ。
何が後々になれば分かる、だ。その後がいつなのかすら教えられていない私にとっては、ロシアに渡りをつけた売国奴の姉でしかない。更識に連なる後家も当主である姉の威光に恐れて申し立てもしやしない。その姉よりも懐柔し易いと思われた私がこうして迷惑を被っている訳だ。本当に何であんな姉を持ってしまったのだろう。神様は理不尽だ。
怒気が若干漏れていたのかふっと笑った染子お姉ちゃんに髪を梳かれてしまった。その心地良さに段々と脳が溶けて行くような感覚を覚えながらぎゅっと抱き締めた。染子お姉ちゃんの柔らかい匂いが鼻腔から充満して私を癒して行く。あの姉へ対する恨み辛み嫉みを解いてくれる。
――もう染子お姉ちゃんだけ居てくれれば良いや。
そんな事を内心思ってしまうのも仕方が無いと思いたい。二年間の心にぽっかりと喪失した穴を埋めるように、染子お姉ちゃんの体温や匂い、柔らかさや温もりに溺れて行く。すーっと抜けて行く力に身を委ねた。
「おやすみなさい、簪」
そんな優しい声に背中を押されて私は眠りの世界へと落ちて行くのだった。
本作の簪は魔改造ってますが当社比で三割増しの可愛さです、ええ。
そして、出番も四割増しになると思われます、ええ。
え? 不落が書く作品のロリは常に推しだ? ハハッ、ナンノコトヤラ。