世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「ビスマス・ゲーレン?」
その名を尋ねられたスフェン先輩は少しきょとんとした。
今は武芸大会に向けた練習の休憩中。飲み物を片手にベンチに座っているところだ。
先輩とビスマスは同じ2年生だから、何か知らないかと思ったのだが…。
「うーん、別のクラスだから詳しくは知らないな。誰か知ってるかい?」
先輩が後ろにいるファンの人たちに呼びかけた。幾人かがそれに答える。
「平民の方ですよね。モリブデン家の支援で学院に入ったと聞いています」
「いつも目立たない隅の方にいますわ。とても無口で、他の人と話している所を全く見た事がありません。成績も普通だったかと」
貴族ばかりの学院で平民が友達を作るのは難しいだろうが、平民の生徒は他にも数人いるはず。
しかしビスマスはその生徒たちとも距離を置いているようだ。
「…クラス合同の剣術訓練の時には一緒になるけど、僕も彼が誰かと話している所は見ていない気がするな。訓練試合でも、特別目立ってる事はなかったと思う」
先輩は顎に手を当ててじっと考え込んだ。
「確か一度訓練で当たったことがあったけど、可もなく不可もないという感じの腕前だったように思う。でも、どこか本気を出していないように見えたね。周りに遠慮しているのかとも思ったけど…」
それから先輩は私の方を見る。
「リナーリア君は彼が気になるんだね?」
「あ、はい。会った事はありませんし、ただの勘なんですけど…。それに特別優秀でもない人を、モリブデン家が支援するというのもおかしな話かと」
モリブデン家は王国の中で最も古い家の一つで、財力も権力も大きな名家だ。
その家が目をかけている人間が、そんなに平凡であるはずがない。
「なるほどね。君の勘が正しければ、彼はきっと実力を隠しているんだろう。でも主家のお嬢様と組んで出てくるのなら、大会では本気を出してくる可能性は高い。十分に注意した方が良さそうだ」
「はい」
私は真剣にうなずく。
できれば、私が彼女たちと対戦したい。殿下とは対戦してほしくない。
「せっかくだから、他に君が気になる組を聞いておこうかな。誰かいるかい?」
「そうですね…。まず、ジェイド会長とスクテルド様の組でしょうか。二人共実力は折り紙付きです。3年の魔術師課程トップのカラベラス様とアルチーニ様の組も相当手強いかと。…あとは、やっぱり…エスメラルド殿下とスピネルの組でしょうか」
「ふふ、君としては当然だろうね」
からかうように言われ、私は少し唇を尖らせた。
「ただの贔屓ではないですよ。あの二人は本当に強いですし、何よりお互いをよく知っています。連携はかなり上手いでしょう。間違いなく優勝候補です」
これは正直な評価だ。
組み合わせにもよるだろうが、二人はきっと勝ち上がる。どこかで当たることになると考えた方がいいだろう。
「…まあ、それでも私が勝つつもりですけどね」
二人に弱点があるとしたら、騎士同士で組んでいるという事だ。魔術への対応力はどうしても低くなるだろう。いくら剣の腕が立っても、付け込む隙はあるはずだ。
「うん、うん。君のそういう所、僕はとても好きだよ」
先輩は嬉しそうにニコニコとした。いつも凛々しく爽やかだけど、こういう顔をすると少し子供っぽくて可愛いと思う。
後ろが少しざわついたが、努めて気にしないようにした。迂闊に反応してはいけない。
先輩は立ち上がると、後ろのファンの子たちを振り返った。
「勝利のためには、敵を知ることも大切だ。何か出場者についての情報があったら、ぜひ報告して欲しい」
「はい」
ファンの子たちが声を揃えて返事をする。
「ただし、無理に探って回るような事をしてはいけないよ。僕はあくまで正々堂々と戦って勝ちたいんだ。その事を忘れないでくれたまえ」
「はい!」
ちゃんと釘も刺しておくあたり、先輩はしっかりしているなあ。
私も立ち上がると、「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。
「それじゃあ、リナーリア君。練習を再開しようか」
「ええ」
先輩との訓練は順調だ。お互いにだいぶ息が合って来ている。
必ず良い成績を残せるだろう。
さらに数日後、私は魔術の先生の所を訪ねていた。
武芸大会で使われる闘技場の魔術結界の確認のためだ。
一応生徒会役員としての仕事だが、どうしてもこの目で確認したかったので、私が担当したいと立候補して回してもらった。
「これが当日使用する予定の魔法陣図だよ」
先生が4枚の魔法陣図を渡してくれる。
「普段は2枚なんだけど、今回のタッグ部門では強度を増すために倍にしてある」
「なるほど」
私はそれぞれの図をじっくりと眺めた。よく覚えておきたい。
「君は本当に勉強熱心だね。でも、一応部外秘だからよそに漏らしてはいけないよ」
「はい。もちろんです」
そう言って魔法陣図を先生に返却する。生徒会役員というより、魔術師としての目で見ていた事がばれてしまっているようだ。
「当日は誰がこの結界を維持するんですか?」
「私の他にも、数名の魔術師が担当して維持に当たる。城の魔術兵を派遣してもらえる事になったからね」
さすがにこの規模を一人で維持するのは無理だからな。一度に2人か3人、それも交替しながらやるのが妥当だろう。
先生に「ありがとうございました」と頭を下げてその場を辞する。
この後、スフェン先輩との練習までに少し時間がある。どうしようかと考えながら廊下を歩き、窓の外を見る。
武芸大会に向け、訓練場は今日も賑わっているようだ。闘技場の上で上級生が試合をしているのが見える。ギャラリーも集まっているようだ。
その中に見覚えのある人影を見つけ、私は慌てて外へ向かった。
「こんにちは、フロライア様」
声をかけると、緩やかなウェーブのかかった蜂蜜色の髪が揺れてこちらを振り向く。
赤い唇が美しい弧を描いた。
「こんにちは、リナーリア様」
「模擬試合の見学ですか?フロライア様も、武芸大会のタッグ部門に出場なさるんですよね」
「ええ。それで、闘技場の下見に参りました」
そう言って微笑むフロライア様の隣には、見覚えのない生徒がいる。
くすんだ灰色の髪に紫紺の瞳。中肉中背のこれと言って特徴のない男子生徒だ。
私の視線に気付き、フロライア様が紹介してくれる。
「彼はビスマスと言います。剣の腕を見込んで我が家で支援をしている騎士なのですわ。今回、私と一緒に大会に出場する事になりました」
「ビスマス・ゲーレンです」
ビスマスというその男は簡潔な名乗りと共に礼をした。
私もまた「リナーリア・ジャローシスです」と頭を下げる。
「私もタッグ部門に出場するんです。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
答えるビスマスの顔からは特に何の感情も読み取れない。
…どこかで会った事があるような気もするのだが、思い出せない。
前世では学院にいなかったはずだが、彼女の護衛か何かをしていて顔を合わせたのだろうか。記憶力には自信があるが、そこまではさすがに覚えていない。
何だか掴みどころのない印象の男だと私は思った。決して油断できない相手だとも。
それからフロライア様は「ごきげんよう」と言ってビスマスと共に去っていった。
本当に下見に来ただけだったらしい。
彼女が学院の訓練場を使っている所は見た事がないしな。きっとモリブデン家で練習場所を確保しているんだろう。
彼女たちの実力を見られるのは当日になってからかも知れない。
決して気を抜かないようにしなければ、と改めて思った。