世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第85話 早朝ランニング

時を知らせる魔導具の音で私は目を覚ました。

重たい瞼をこじ開け、なんとか身体を起こす。

窓のカーテンを開けると柔らかい朝日が部屋に差し込んだ。

まだ早い時間なので外は静かだ。小鳥のさえずりくらいしか聞こえない。

もぞもぞとベッドから出て、昨夜の内にコーネルが用意してくれていた運動着を手に取った。あくびをしながら袖を通していく。

 

今日早起きをしたのは、早朝ランニングをするためだ。

私は体力がないし身体も脆弱だ。特に水霊祭でそれを痛感したので、今度こそ体力作りを始める事にしたのだ。

足の怪我も良くなってやっと医者から許可も出たので、まずはできる範囲でランニングだ。

とりあえず学院の周りを走ってみるつもりである。

 

髪が邪魔になりそうだったのでその辺にあったリボンを使って適当に一つに結び、部屋を出る。

早起きの管理人に挨拶をして外に出ると、朝のまだひんやりとした空気が肌に触れた。

思わず深呼吸をする。気持ちがいい。

眠気もだいぶ飛んだので、私は気合を入れて軽く走り出した。

 

 

…走り出したのは良かったが、あっという間に息が上がってしまった。

先輩との訓練でも体力の低下は感じていたが、想像以上に酷い。全然走れない。

同じようにランニングをしている生徒はちらほらいるのだが、ことごとく私を追い越して走り去っていく。

すれ違いざまに「おはよう」とか「頑張って」とか言ってくれる人が多いのだが、それに返事をするだけで精一杯だ。

もはや歩いてるんだか走ってるんだか分からないような速度で必死に足を動かす。

 

「あれっ、リナーリア君、おはよう」

そう言いながら私の横に並んだのはスフェン先輩だった。なんとエレクトラム様とその使用人らしき人もいて「おはようございます」と声をかけてくる。

「お、おはよう、ござ、ます」

息が上がってるので切れ切れにしか返事ができない。

「君もランニングかい?感心だね」

「は、はい」

「はは、ずいぶん疲れているね。あまり無理はしないようにね」

「はい…」

そして先輩は颯爽と走り去っていった。なかなかのペースに見えるが、エレクトラム様はちゃんと後ろについている。

彼女は魔術師課程だったと思うし武芸大会への出場予定もないはずだが、もしかして先輩と一緒に走りたいからランニングしてるんだろうか?すごい…。

 

その後私はすぐにギブアップし、トボトボと寮へと戻った。

最低でも5周はしたかったのに3周しかできなかった…。

しかも最後はほとんど歩いていた。情けない。

 

 

翌日からも私はランニングを続けたが、3日目からは少しコースを変えた。

学院の周りを何度も回るのではなく、少し足を伸ばして城の方まで行き、ぐるっと一周して帰るようにしたのだ。

なぜなら同じところを何周もしていると、同じ人に2回追い越される事になって非常に恥ずかしいからである。

ランニングをしているのはほぼ男子生徒、私とは全くペースが違うので高確率でこれが起こるし、2回目には「大丈夫かい?」とか言われる事も多い。親切で言ってくれているのは分かるが恥ずかしい。下手をすれば3回目まである。

城の方まで行けば帰り道は確実に歩く事になるが仕方がない。慣れてきたらもう少し走れるはずだ。

 

4日目、何故か使用人と二人だけで走っているエレクトラム様に追い越されて「しっかりしなさい」と言われた。

5日目も同じように叱咤された。

この人、何で私と同じコースを走っているんだろう?先輩と一緒じゃなくて良いんだろうか?

しかも、寮に戻ってくると必ず入り口の辺りにいて「遅い!」とか怒られる。怖い。

 

6日目、初日に比べればだいぶ走れるようになってきた。後半は歩いているが。

途中でやはりエレクトラム様に叱られて、戻ってからも叱られた。好きで遅いわけではないのだが言い返せない。

 

 

その日の昼食は殿下と一緒だった。ランニングをしている事を初めて打ち明けたのだが、殿下は少し目を丸くした。

「大会のために走り込みまでしているのか」

「まだ全然走れてはいないんですけど…。足を骨折した後は運動ができなくて、ますます体力がなくなってしまったみたいなので、少しでも取り戻したいんです」

できれば大会が終わっても続けたいところだ。毎日はちょっと無理かもしれないが…。

 

「城の周りをぐるりと走っているんですが、途中にカケスの巣を見つけたんですよ。雛がいてもうすぐ巣立ちをするところみたいで、毎朝見るのが楽しみなんです」

「城の方まで?…一人でか?」

「あ、はい」

「誰かと一緒の方が良いんじゃないのか」

殿下はちょっと心配げだ。

…そう言えば、ランニングとは言え貴族令嬢が一人で行動はまずいかなと今更気付く。

通りすがりに城の門番に挨拶をした時、何かちょっと変な顔をされたのはこのせいだったのか。慣れてきたのか今朝は普通に挨拶を返してくれていたが。

「でも、同じように城の方を走ってる生徒も何人かいますから大丈夫ですよ。早朝だから馬車もほとんど通りませんし、城には門番や見張りの兵士もいますし。あと、寮で生徒の出入りを管理してますから、始業前までに帰らなかったりしたらすぐ分かります」

「…それならいいが…」

そう言いつつも殿下はあまり納得していない顔だった。

 

 

7日目、寮から出ると少し先に人がいた。…あの派手な赤毛は、スピネルだ。

「…え、何でいるんですか?」

「お前なあ…。いくら近くでも、仮にも侯爵令嬢が一人でフラフラすんじゃねえよ」

呆れたように睨まれてしまった。どうやら殿下から聞いたらしい。

これは怒られるやつかと思ったが、早朝で眠いからか周囲に配慮しているのか、説教する気はないようだ。

「殿下が心配してたんだよ。でも、こんな朝っぱらから殿下を城から出す訳にも行かねえだろが」

「す、すみません!」

さすがに申し訳なさすぎて慌てて頭を下げた。

二人に迷惑をかけないためにも身体を鍛えたかったのに、これでは本末転倒だ。

 

スピネルは謝る私を見て「はあ…」とため息をつく。

「別に、ちょっと様子を見に来ただけだ。今日だけ付き合ってやるよ。…それよりお前、何だその髪?ほつれてるぞ」

指をさされ、私は後ろで軽く結んだ髪に手をやる。

「ああ、自分で結んだもので…」

「どんだけ下手くそなんだよ。全く…」

ぶつぶつ言いながらスピネルは私の後ろに回った。するりとリボンをほどき、手櫛で軽く髪を梳く。

「櫛持ってくりゃ良かったな」

そう言えばスピネルもいつも後ろで一つ結びにしてるんだった。だから慣れているのか。

 

「スピネルはいつも自分で髪を結っているんですか?」

「当たり前だろ」

スピネルが当たり前にできる事をできない私は一体…。

きゅっとリボンを結ぶと、スピネルは「できた」と呟く。

「ありがとうございます」

「明日からはちゃんとやってもらえ」

「明日?」

訊き返すと、ぽんと頭に手を乗せられた。

「ほら、行くぞ」

「あっ、はい!」

 

 

とりあえず走り出したが、スピネルは完全に私のペースに合わせてくれるつもりらしく実にのんびりとしている。

私とは歩幅が違うので、本当に早歩きに毛が生えたくらいの速度だろう。ますます申し訳ないが、ペースを上げれば後半力尽きるのは目に見えているのでこれで行くしかない。

黙って走っていると、鳥の巣がある木の近くまで来た。

「あ、ほら、見てください。あそこに、カケスの巣があるんですよ」

「おー。本当だ」

「国王陛下にも、見せて差し上げたいです」

陛下は鳥が好きだからきっと見たがるだろうなと思っていると、スピネルがちらりと横目で私を見た。

「よく知ってるな。殿下に聞いたのか?」

「えっ?ええ、まあ…」

しまった、陛下の趣味はあまり知られていないんだったかな?言動には気を付けなければ。

 

さらにしばらく走っていると、今日もエレクトラム様とその使用人に追い越された。

「姿勢が乱れていますわよ!もっとしゃっきりなさい!」

「は、はい!」

私の隣にいるスピネルの事は完全無視っぽかった。そのまま前を走っていく。

その後ろ姿が遠ざかってから、スピネルは「…何だあれ?」と尋ねてきた。

「えっと、スフェン先輩の、取り巻きの、方、です。いつも、あんな感じです」

私は荒い息と共に答えた。もうだいぶ息が上がっている。

「寮に、戻ると、入口に、いつもいて、遅いって、叱られます」

スピネルは少し黙り込んでから、「ああ、そういう事か」と言った。

「ちゃんと礼を言っとけよ」

「え?」

 

 

その後もランニングを続け、寮の近くまで戻って来た所でスピネルは帰っていった。

玄関先には、やはりエレクトラム様と使用人がいる。

「相変わらず遅いわね、もっと精進なさい」

そう言い捨てると、私の返事を聞くこともなくエレクトラム様は寮の中へ戻って行った。

 

私もまた寮に入り部屋に戻ったのだが、既にやって来ていたコーネルにいきなり怒られた。

「お嬢様!お城の方までランニングに行っていたとはどういう事ですか!」

「ど、どうしてそれを」

「スピネル様からです。今さっき、管理人の方に渡されました」

コーネルはぴっ、と小さな封筒を取り出してみせた。

「あっ」

そうか、スピネルが女子寮近くまで来ていたのはそれのためでもあったのか。

 

「私は学院の周りを走るだけとしか聞いておりませんでしたが」

「さ、最初はそのつもりだったんですけど…」

深く考えずにコース変更してしまった。早朝なのにコーネルを付き合わせるのは悪いしと思っていたが、ちゃんと知らせずにいた事の方がよっぽどまずかったらしい。

その後身支度を手伝ってもらいながらお説教された。

どうりでスピネルからの説教がなかったはずだ。コーネルに叱ってもらうつもりだったのだ。

「明日からは私もご一緒いたします。よろしいですね?」

「はい…」

しょんぼりとしながらも、大人しくうなずくしかなかった。

 

 

 

…そうして、武芸大会の前日の朝。

「つ、着きました…」

女子寮の前でぜいぜいと息をする私に、コーネルがぱちぱちと拍手をしてくれる。

「頑張りましたね、お嬢様。今日は8割は走れました」

コーネルも息は上がっているのだが、私よりはだいぶ余裕がある。やっぱり普段から掃除とかで身体を動かしてるからかな。

 

玄関には今日もエレクトラム様がいる。

私の方へつかつかと歩み寄ると、金髪を揺らしながら顎を上げて見下ろしてきた。

「今日も遅かったわね。初めの頃に比べれば少しはマシになったようだけど」

「はい…」

「まあ、毎日ちゃんと続けたことは褒めてあげてもいいわ」

おお、褒められた。私は深々と頭を下げる。

「恐縮です。…あの、今日までありがとうございました」

「え?」

「私のこと、見守ってくださっていたんですよね?」

 

恥ずかしながらスピネルの言葉を聞いてようやく気付いたのだが、彼女が私と同じコースを走っていたのは多分、一人で走っている私が気になったからなのだ。

実際、私がコーネルを連れて走るようになってからは、彼女は城の方を走らずまた先輩と一緒に走っていた。

それでも毎朝、私がランニングから戻ってくるのを必ず待っていて、何か一言言ってから部屋に帰っていたのである。

先輩に頼まれてやっているのかと思ったが、先輩に尋ねたところ彼女が自主的にやっているとの事だった。

 

「ふ…ふん!私はただ、スフェン様のパートナーがみっともない姿を晒さないよう、見張っていただけよ」

「でも、毎日叱って下さるおかげで私も頑張れました」

そう言ってもう一度頭を下げ、にっこりと笑いかける。

 

「ありがとうございます、エレクトラムお姉さま…!」

その途端、エレクトラム様はぴたっと動きを止めて硬直した。

…あ、あれ?こう言えば彼女は喜ぶはずだって先輩は言ってたんだけどな…?

 

「んふっ」

エレクトラム様はちょっと顔を上気させてから、こらえきれない感じで鼻息を漏らした。

「…そ、そうね。んふ、これからはもっと気軽に私を頼ってくれても結構よ?スフェン様のパートナーなら、私にとっても、んふふ、妹みたいなものですわ」

何だか分からないがめちゃくちゃ嬉しそうだ。ところどころ鼻息が荒い。

やはり先輩情報は間違っていなかった。…ちょっと怖いけど。

 

「武芸大会、頑張るのよ。リナーリアさん」

「はい!頑張ります!」

ええと、味方になってくれたって事だよな…?多分。

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