世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
…そうしてしばらく試合を観戦し、5試合目。
ついに彼女…フロライアとビスマスたちの試合が始まった。
彼女たちの相手は3年生で、アレガニーとバスタムという騎士二人組だった。どちらも成績上位の優秀な生徒だ。
《3年生であるアレガニー・バスタム組に対し、フロライア・ビスマス組は1・2年生!上級生へどのような戦いを仕掛けるのか!特にフロライア選手の可憐な活躍に注目が集まります!!》
「…始め!」
審判の号令とほぼ同時に、フロライア様がバスタムの方へ炎の攻撃魔術を放った。バスタムがそれを避けている間に、自分自身へ防御の魔術を使う。
ビスマスの方はアレガニーへと斬りかかっていた。
《フロライア選手が魔術でバスタム選手と対峙している間に、ビスマス選手は先制攻撃!それをアレガニー選手が迎え討つ!》
アレガニーはビスマスの剣を難なく受け止めていた。さすがは3年生、どちらも安定した動きで対応している。
《…アレガニー選手の剣がビスマス選手の腕を切り裂く!だがこれは浅いか!》
戦況は3年生組が押し気味だ。フロライア組が攻めかかっていたのは最初だけ、今は守りを固める事で何とか耐え忍んでいる。
しかし形勢不利ながらもよく粘っており、なかなか勝負が決まらない。アレガニー組も相手の堅さに攻めあぐねているように見える。
だが、必ずどこかで試合が動くはずだ。私は無言で戦いの趨勢を見守る。
「…はあっ!!」
痺れを切らしたのか、アレガニーが大振りの斬撃をビスマスに浴びせようとする。
その瞬間。
ビスマスが目にも留まらぬほどの速さで、アレガニーの懐へと突きを繰り出した。
《…ビスマス選手、防戦一方かと思いきや一瞬の隙を突いて反撃!》
胴に決定的な一突きを入れられ、アレガニーがよろめきながら倒れる。
「アレガニー選手、戦闘不能!!」
《なんと、わずか一撃でアレガニー選手を沈めた!?》
ヒュームの実況が、驚きに包まれた場内に響いた。
《正確かつ冷静な一撃だったね。ずっとチャンスを狙っていたんだろう。良い忍耐力だ》
レグランドの方は平静な口調だ。こうなる事を読んでいたんだろうか。
更にビスマスは、間髪入れずにバスタムの方へと距離を詰めた。
突如として一変した戦況に相手が対応する前に仕留めるつもりなのだ。
振りかぶられたその剣を見て、私は息を止める。
…ああ、そういう事か。
「…勝者、フロライア・ビスマス組!!」
審判の宣告と共に、わっと彼女たちを讃える歓声が上がる。
《アレガニー選手を倒したビスマス選手の剣が、バスタム選手をも捉えた!これは驚きの大番狂わせ!!》
確かに、1・2年生のタッグで3年生を倒したのは大したものだろう。予想外の結果に観客たちは熱狂している。
「…リナーリア君?」
先輩が少し怪訝そうな表情で私を見る。
「いえ。見事な試合だったので少し驚いてしまいました」
穏やかに微笑み返しながら、私は内心で笑い出したい衝動に駆られていた。
やっと分かった。思い出した。ビスマスを一体どこで見かけたのか。
…あいつは、前世の私が最期に見た男。
あの時私は逃げた彼女を追い、なんとか追いついて捕らえようとした所で、逆に彼女の仲間らしき男たちに斬りかかられ囲まれてしまった。そのうちの一人…私に一太刀を浴びせたのがビスマスだ。
夜だったし、覆面もしていたからはっきりとは分からなかったが、あのくすんだ灰色の髪と太刀筋は間違いない。
深手を負った私は自分の命がもう幾ばくもないと悟り、自分ごと彼女たちを巻き込む大魔術を行使した。
…その後のことは全く分からない。どうしても思い出せない。
周辺一帯を更地にするくらいの威力はあったはずだから、きっとあの場にいた全員を殺せただろうと思うが。
そもそも、私が死んだ後あの世界はどうなったのか。
考えても分かりはしないし、考えると頭がおかしくなりそうなのであまり考えないようにしてきた。
心臓がどくどくと波打ち、吐き気がする。
「…すみません、少しお手洗いに行ってきます」
できる限り平静な口調でそう言うと、素早く席を立った。
「リナーリア?」
お兄様の声が背にかかるが、聞こえないふりをして早足で観戦席の出口へ向かう。
今振り向けば、様子がおかしいと悟られてしまうかもしれない。
控室やトイレへと続く廊下を歩き、曲がり角でずるずるとしゃがみ込んだ。
…だめだ。落ち着け。動揺している場合じゃない。
次の次はお兄様たちの試合だ。すぐに戻っていつも通りの顔を見せなければ。
彼女たちは敵だと、そんな事は分かっていたつもりだったのに、急に蘇った生々しい前世の記憶がひどく感情をかき乱す。
倒れた殿下の姿が、私を切り裂く白刃が、零れた鮮血が、まざまざと蘇る。
今でもまだ血を流しているのではないかと錯覚するほどに、胸が痛む。
無性に殿下の声が聞きたかった。
大丈夫だと言って欲しい。生きている事を確かめたい。
なんて馬鹿馬鹿しい考えだ。殿下は今もすぐそこにいる。観戦席で試合を見ている。
ほんの少し歩けば確かめられる距離だ。
でも、こんな顔で殿下の前に出られるものか。
「…リナーリア!」
懐かしい声に、はっと顔を上げた。
「…殿下…」
薄暗い廊下の中、わずかな光を受ける淡い色の金髪が見えた。
殿下がそこに立っている。心配げな顔で私を見下ろしている。
…どうしてこんな所に。
今ここに来てくれて嬉しいという気持ちと、今は来て欲しくなかったという気持ちが、私の中でごちゃごちゃに入り混じる。
「どうしたんだ。顔色が悪い」
「…大丈夫です、何でもありません」
笑って立ち上がり、踵を返そうとしたが、その手を殿下が掴んだ。
咄嗟に手を引こうとするが、殿下は強く握ったまま離さない。
「何でもないようには見えない」
こちらを案じる声と翠の瞳。
殿下はいつもこうだった。
私が辛い時、落ち込んでいる時、どんなに隠そうとしてもすぐに気が付いてしまう。決して放っておかない。
掴まれた手から殿下の手のひらの温もりが伝わってくる。
温かい手だ。しっかりと血が通っている手。
自ら吐いた血に塗れていたりはしない。
激しかった動悸が少しずつ収まっていく。
私は詰めていた息をゆっくりと肺から吐き出すと、握りしめていた拳から力を抜いた。
「リナーリア」
もう一度、殿下が私の名前を呼んだ。
懐かしい声で、しかし、かつてとは違う名前で私を呼ぶ。
…そうだ。今の私はリナーリアだ。リナライトではない。
そして殿下は、今もこうして私の目の前で生きている。
「…大丈夫です。少し、悪い夢を見てしまったみたいで」
「夢?こんな昼間にか?」
「はい。変な話ですよね」
私は再び笑った。今度は、ずいぶんマシに笑えたはずだ。
「でも、殿下が来てくださったので元気が出ました!」
あえて明るく言うと、殿下はとても複雑そうな、何だかおかしな顔をした。
廊下の向こうからわあっと歓声が聴こえる。次の試合が始まっているのだ。
「心配してくださってありがとうございます。もう戻りましょう。早くしないと、試合を見逃してしまいますよ」
「…本当に大丈夫なんだな?」
「はい」
うなずく私に、殿下は少しだけ躊躇ってから「分かった」と言って手を離した。
…遠ざかるその温もりを、寂しいなどと思ってはいけない。
「殿下。試合、頑張って下さいね」
「ああ」
力強く答えてくれる横顔が嬉しかった。