世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
目を覚ますと、窓の外は夕焼けで赤く染まっていた。
数時間ほど眠っていたらしい。何か夢を見ていたような気もするが、内容は思い出せない。
「お嬢様、お加減はいかがですか?」
起き上がった私に気付き、コーネルが寄ってくる。
「はい。もうすっかり良くなったみたいです」
頭痛はないし、疲労もずいぶん解消されている。体調は問題なさそうだ。
「先程ペタラ様がいらしていました。すぐに帰られましたが、カーネリア様やクラスの方々がお嬢様の体調を案じておられたそうです。大事はないとお伝えしておきましたが」
「ありがとうございます…」
どうやら先輩に運ばれている所を見られていたらしい。あまり周りに知られたくなかったのに…。
「スフェン様からは、お嬢様が目を覚ましたら報せて欲しいと言われております。何かお話がおありのようでしたが…」
「…分かりました。先輩を呼んで下さい」
「承知いたしました」
少ししてから、コーネルがスフェン先輩を伴って戻ってきた。
遅くなるといけないので、コーネルにはお茶だけ淹れてもらい帰ってもらう事にする。
「元気になったみたいで安心したよ」
「申し訳ありません。心配をおかけしました」
「そうだね、皆心配していたよ。君の兄上はもちろん、シリンダやエレクトラム、他にもたくさん」
「…はい。コーネルからも聞きました…」
魔術に集中しすぎて周囲に気を配れなかったせいだ。やはり四重魔術はずいぶん無理があったと思う。
使える事は使えるのだが、使用中は魔術にかかりきりで他は何もできなくなる。周囲を認識する事すら怪しい。
緊急事態なので仕方なかったが、とても実戦に耐えられるものではないと改めて感じる。
「まあ、皆には君は少し貧血を起こしただけだと
そう言って先輩は笑った。
「あの後やる予定だった騎士部門の準決勝は延期になったよ。闘技場の魔法陣に不備があったとかで」
「…そうなんですか」
無理もないことだ。何しろ、第一王子の試合中に魔法陣への魔術干渉があったのだから。
「明日の決勝戦も、雨の予報で中止が発表されてる。明後日に順延されるだろうから、1日休めるね」
「そうですね」
それから先輩は一旦言葉を切ると、無言で紅茶のカップへと視線を落とした。
いつもの先輩らしくないその態度に、少し居心地の悪さを感じる。
しばらくそうして沈黙した後、先輩は口を開いた。
「…聞かせてもらっていいかな。君はあの時、一体何をしていたんだい?」
思わず目を逸らした私に、畳み掛けるように言う。
「隣であれほど集中されたらさすがに気が付くよ。…魔術を使っていたんじゃないのかい?魔力は全く漏れていなかったけど、君なら隠蔽だってできるだろう。あれは貧血と言うより、魔力や体力を消耗していたように見えたよ」
「……」
「君は、1回戦の観戦中も様子がおかしかった。あの時試合をしていたフロライア組のビスマスの事、大会前から気にしていたよね?」
「……」
「そして今回だ。殿下とフロライア組との試合で君は体調を崩すほど何かに集中して、そして大会は延期になった。これは偶然かな」
何か気付かれたのではないかと思ってはいたが、想像以上に色々不審がられてしまっている。
「答えてくれ、リナーリア君。…返答次第では、僕は武芸大会を棄権しなければならなくなる」
「そ、それはダメです!!」
私は慌てて顔を上げた。
「だって、これは先輩にとって大切な大会です。夢を叶えるためにどうしても上位に入賞したいと、そう言っていたじゃないですか!」
私の部屋を先輩が訪れ、一緒に組んで欲しいと言ったあの日。
先輩は私に聞かせてくれていた。幼い頃から持っている夢、それを叶えるために努力し続けている目標を。
…先輩の夢を手助けしたい。決勝進出というだけでもそれなりの評価にはなるのだろうが、そこに棄権などという瑕疵をつけたくはない。
それにコーネルやヴォルツ、お兄様、先輩のファンの方々。皆、この大会に出る私たちのためにさまざまに力を貸してくれた。
殿下やスピネル、カーネリア様、それにペタラ様やニッケル、クラスメイトたちまでも応援してくれている。
「…棄権したくありません!皆が私たちを応援してくれました。私は、その期待に応えたい」
殿下を守りたいのはもちろんだが、私と、私の周りの大切な人たちのために、最後までちゃんと戦いたい。
必死に言う私に、先輩は困ったように苦笑した。
「…やっぱり君は、僕の知っているリナーリア君だ」
そう言って天井を仰ぎ見てから、もう一度姿勢を正し私をまっすぐに見つめる。
「改めて尋ねるよ。…君は一体、何をしようとしていたのかな」
私はずいぶん迷い、それから小さく答えた。
「分かりました。お話しします…」
「…という訳で、私はずっと彼女を警戒していたんです」
長い話の後、先輩は感嘆したように呟いた。
「何て事だ。君にそんな秘密があったなんて…」
…結局全部正直に話してしまった。
前世の記憶がある事とか、殿下が狙われている事とか色々…。
始めは諦め悪く「何となく危ないような気がしたので会場を監視していた」という方向で話を誤魔化そうとしたのだが、やはり大分無理があった。
あれこれ不自然な点を突っ込まれてしまい、もはや言い訳ができなくなって「もういいや」と半分ヤケクソになって真実を話したのだが…。
「…あの、信じてくれるんですか…?」
我が事ながら無茶苦茶というか、もし他人から聞いたら与太話と思って絶対信じないだろう。
頭がおかしいと思われても仕方ない内容だ。
しかし先輩はきっぱりとうなずいた。
「もちろんだよ。僕は君を信じる」
「だってこんな話、本当だった方が絶対に面白いじゃないか…!!」
…さすが先輩だった。
私の告白を聞いても全くブレていない。
「第一、君はこんなおかしな話を作り上げるような人ではないよ。現実味がなさすぎて逆に信じられる」
「まるで褒められている気がしませんが…」
憮然とする私に、先輩は「ははは」と明るく笑った。
「それに僕が君に対して抱いていたいくつかの疑問も、これで説明がつくしね。…君の魔術はその歳にしてはあまりに高度で、完成されすぎている。それほど魔術に傾倒しているにも関わらず、なぜか剣術にも詳しい。心得があると言う割には体力も腕力も驚くほど脆弱で、どう見てもろくに鍛えた事がない身体をしている」
「うっ…」
痛い所を突かれて呻く。
剣術は前世でしかやっていなかったから、今の私は身体がついて行かないのに知識と経験だけはあるという妙な状態になってしまっているのだ。
「それにやっぱり、王子殿下の事だね。あんなに慕っている理由がやっと分かったよ」
そう言ってから、先輩は私の顔や肩のあたりを眺める。
「君が男性だった姿というのは、どうもあまり想像できないけど…さぞや可憐な少年だったんだろうね?」
「いや普通でした。筋肉はあまりありませんでしたけど」
「君のその筋肉コンプレックスもこれで納得だよ…」
「さすがにもう諦めましたけどね…」
今更マッチョになりたいとはさすがに思っていない。なってもしょうがないし、多分両親とか兄とか泣くし。
先輩は少し考え込んでから、私に尋ねた。
「これはただの興味本位の質問だけど。男に戻りたいとは思わないのかい?」
「…前は、そう思ってました」
…男だったらまた殿下の従者になれたんじゃないか、とか。
ずっと思っていたし、スピネルが羨ましくて仕方なかった。
今は彼が従者で良かったと思っているけれど、やっぱりちょっと悔しかったりする。
「でも今は、殿下を救うという目的を達成し、皆で幸せになれるのなら、別に私が男だろうが女だろうがどちらでもいいと思っています。もう女の自分にすっかり慣れてしまってますしね」
「ふうん?なるほどね…」
苦笑する私に、先輩は一人で納得したようにうなずいた。
「…とりあえず、僕から君に言える事は一つだ。君が過去にどんな人間であろうと、僕と君は大切な友達だ」
先輩は朗らかに笑った。
「そしてもちろん、これからもだ。君が君らしさを失わない限り、僕は友達であり続けよう」
「…先輩…」
胸にじんと温かいものが広がる。
「だからこれからは、僕のことも頼ってくれ。友として力になりたいし、それに僕だってこの国の民なんだ。貴族の末席に連なる者として、王子殿下の命を守りたい」
表情を引き締め、凛としてそう告げた先輩の言葉に嘘は感じられなかった。
貴族として、騎士を目指す者としての矜持がそこにはある。
だから、私もまた真剣に答えた。
「先輩が力になってくれれば、本当に心強いです。どうか、よろしくお願いします」
それからも少し話し込んで、気が付けば遅い時間になっていた。
「じゃ、僕はもうお暇するよ。ゆっくり休んでくれ」
「はい。ありがとうございます」
椅子から立ち上がり、部屋を出ようとする先輩を見送る。
「とりあえず、フロライア君たちの動向には僕もそれとなく注意しておくよ」
「助かります。…でも、十分に気を付けて下さいね」
「分かった」
彼女たちは危険だ。疑っている事は絶対に悟られない方がいい。先輩も、真面目な顔でそれにうなずく。
「…あの、先輩」
「うん?」
「決勝戦、頑張りましょうね。必ず優勝しましょう」
先輩は一瞬だけ目を見開き、それから嬉しそうに笑った。
翌日は雨だった。武芸大会はもちろん、学院自体が休みだ。
大会は元々雨天の場合に備えて予備日が設定されているので、その予備日…つまり明日、残りの試合を行う事になるだろう。何事もなければだが。
部屋には朝からいくつか見舞いの品が届いた。エレクトラム様やアーゲンからだ。あいつもマメだなあ…。
午後になり、魔導書を開きつつ時折雫が流れ落ちる窓をぼんやりと眺めていると、私の部屋を訪ねてくる者があった。
スピネルだ。今度はちゃんと普通に寮の受付を通してやって来た。
「見舞いだ。こっちの花束は殿下から」
紙袋と、白を中心とした落ち着いた色合いの薔薇の花束を渡される。
紙袋の方はスコーンがいくつかとジャムの瓶が入っていた。城の厨房で作ってもらったものだろうか。
「…ありがとうございます」
「顔色は良さそうだが…具合はもういいのか?医者には行ってないんだろ?」
「はい。元々大した事ありませんでしたので、少し休めば治りました。もうすっかり元気です」
「それならいいけどよ…」
テーブルを挟み向かい合った私とスピネルの前に、コーネルが静かに紅茶のカップを置く。
「お前、1日目の時も具合悪そうにしてただろ。おかげで殿下がすげえ心配してたぞ」
「ええと…その、すみません…」
やっぱり殿下にも見られていた。殿下に心配などかけたくないのに…。
私にもっと力があればと、切実に思う。
「でも、本当に大丈夫です」
「……」
スピネルは複雑そうな顔で紅茶に口を付けた。
「…本当は殿下も見舞いに来たがってたんだがな。殿下は今日、城から出られない」
「で、殿下に何かあったんですか!?」
思わず椅子を蹴って立ち上がった私に、スピネルはカップを置いて首を横に振った。
「別に何もない。元気だよ。…でも、昨日の武芸大会で殿下の身が狙われた可能性がある」
「詳しくは話せないが、今王宮魔術師が調査中だ。それが終わるまでは殿下は城の中だ」
私は驚いてスピネルの顔を見つめた。
あの魔術干渉のせいなのは分かるが、部外者の私にそれを話していいのだろうか。
「まあ、すぐ出られるようになるから心配すんな。護衛の数は増えるだろうけどな」
「…は、はい…。でも、あの、私にそんな事を教えていいんですか?」
「教えとかなきゃお前が何をやらかすか分からない」
「うぐ」
そんな事しないとは口が裂けても言えなかった。
言い返せないでいる私にスピネルが呆れ顔を作る。
「…どうもお前は理解してないみたいだからな、はっきり言っとくぞ。もし殿下が狙われているんだとしたら、危ないのはお前も同じだ」
「え」
「お前にはもう十分、狙われるだけの理由がある。お前がどう思ってるかじゃなく、周りがそう思っているからだ」
…私が殿下の友人なのはもう貴族の間に知れ渡っている。
普段から親しくしているのはもちろん、水霊祭に付いて行った事などもすっかり広まっているようだ。
「…つまり私が、殿下の弱みになると?」
「そうだ」
スピネルは容赦なくきっぱりと言った。
…潔くていっそ助かる。あえて厳しくするその言い方はきっと、私のためなのだ。
気遣われるよりもずっとマシだ。
「いいか、これからは絶対に一人で行動するな。学院や城の中でもだ。どんなに近くだろうと、外に出る時は必ず信頼できる護衛を付けろ。あのヴォルツとかでもいい」
「…はい」
大人しくうなずく。悔しいし情けないが、殿下やスピネルに心配されるよりいい。
「…俺も、お前の事は信頼してる。だから危ない事はするな」
その真摯な声音に、私は顔を上げてスピネルの顔を見つめた。
「俺も」と言うのは、私が準決勝の前に「貴方を信じています」と言ったからか。
きっと意味が分からなかっただろうに。
…それとも、スピネルも何か気付いているんだろうか。
「何か困った時には俺を呼べ。必ず何とかしてやる。お前には借りがあるからな」
「…前から思ってましたけど、その借りとやらのカウントおかしくありませんか?どう考えても私の方がたくさん助けられてますし、借りを作ってると思うんですが」
絶対私の方が心配をかけているし、例えどれほど貸しがあったとしても、巨亀戦で体を張って私を庇った件で帳消しだろうに。このままじゃ一生借りが消えないんじゃないのか。
「うるせえ。俺がそう言ってるんだからそうなんだよ」
「無茶苦茶ですね…」
思わず苦笑いしてしまう。
本当に変な所が頑固と言うか…そんなに私に感謝されたくないんだろうか。
「…分かりました。困った時は貴方に頼る事にします。例えば、ジャムの瓶の蓋が開かない時ですとか」
「おい」
「重たい箱がある時や、建付けの悪い窓が開かない時とか。図書館で本を借りすぎて運びきれない時も呼びます」
「お前腕力なさすぎだろ…」
「うるさいですね!」
つい墓穴を掘ってしまった。
マッチョは目指さないが、多少は筋トレもしなければなあ…。身体強化である程度何とかなるが、せめて人並みの筋力くらいは付けたい。
「ああ、でも、決勝戦での手加減は無用ですよ。全力で来ていただいて結構です。…殿下にも、そうお伝え下さい」
そう言うと、スピネルが「ほう」と言ってニヤリと笑った。
「後で悔やんで泣くなよ?」
「その言葉、そっくりお返しします」
私も不敵に笑い返す。
あのような横槍は入ってしまったが、この武芸大会、絶対に最後まできちんと戦う。訓練の成果を見せるのだ。
「次は闘技場で会いましょう。どうぞよろしくお願いします」
「ああ」
お互いに握手を交わし、そして笑いあった。