世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
前日の雨が嘘のように、空は青く晴れ渡っていた。
「絶好の試合日和ですね、先輩」
「ああ」
試合用の騎士服に身を包み腰に剣を帯びた先輩が、空を見上げてうなずいた。
私の方は今日、試合用ローブの下に動きやすい運動着を着て、手には杖を持っている。
決勝戦のための特別仕様だ。
反対側には殿下とスピネルの姿が見える。
殿下は既に行われた騎士部門の準決勝で勝利し、あちらでも決勝に駒を進めている。
闘技場の周囲には数人の魔術師と兵士。スピネルが言った通り、護衛を増やして警備も強化したようだ。
表向き「魔法陣に不備があった」と発表されていた闘技場には、新たに描き直された更に強力な結界が張られている。
殿下が狙われたかもしれないという事は当面の間伏せられるそうなので、なるべく予定通りに大会を終わらせようと王宮魔術師が頑張ったに違いない。
だが、勘の良い者ならこの様子を見て何かがあったと気付いているだろう。
「東、騎士課程2年、スフェン・ゲータイト!魔術師課程1年、リナーリア・ジャローシス!」
《唯一の女性タッグが驚きの快進撃を続け、ついに決勝までやって来ました!その強さと美しさで、多くの観客を虜にしています!》
観客席から大きな声援が飛ぶ。
先輩がファンの女子の声に応えて片手を上げ、私もまた観客席に向かい軽く手を振った。途端に野太い男の声が上がる。
…なんかだんだん男の声が増えている気がするが深く考えないでおこう。
応援してくれる事自体は嬉しいし…。
「西、騎士課程1年、エスメラルド・ファイ・ヘリオドール!同じく騎士課程1年、スピネル・ブーランジェ!」
《第一王子とその従者のコンビ!二人は対戦相手のリナーリア選手とクラスメイトでもあります!本年度より新設されたタッグ部門、こんな組み合わせになると誰が予想したでしょうか!!》
こちらもまたすごい声援だ。
殿下はいつもの真面目な顔、スピネルはにこやかに、その声に手を上げて応える。
一旦闘技場の中央に進むと、殿下が私の顔を見た。
「リナーリア、体調は万全か?」
「はい。殿下の方はいかがですか?」
「俺も万全だ」
「それは重畳です。正々堂々、全力を尽くして戦いましょう」
微笑むと、殿下は「ああ」と答えてうなずいた。
一礼をした後、先輩と二人で闘技場の一番端まで行って試合開始を待つ。
《おや、スフェン組は開始位置をかなり後ろにするようですね》
《何か作戦があるんだろうね。楽しみだな》
「…始め!!」
審判の手が上がるのと同時に、私は杖を掲げ大きな魔術構成を広げる。
『紅焔よ爆ぜよ!炎の雨となりて降り注げ!』
掲げた杖の先に巨大な火球が生まれ、そこからいくつもの炎の矢が飛び出した。
「うわっ…!?」
剣を構えこちらへ来ようとしていた殿下とスピネルの方へ次々に炎が降り注ぐ。
準決勝でカラベラスが使っていた炎の散弾の上位版で、攻撃範囲がかなり広い魔術だ。
《開幕からリナーリア選手の炎の高位魔術!!エスメラルド組、回避に必死だ!》
《今までの試合でもちらほら見せていたけど、彼女は魔術を撃つのが恐ろしく早いね。威力もなかなかだけど、それ以上に速度が優れてる》
炎の雨を操りながら、先輩の肩へと杖を当てる。
『かの者に戦神の加護を与えよ』
身体強化の付与。
今まで何度か試した上で、先輩の肉体が耐えられる限界ギリギリの所を見極めた。体力の消耗が大きいので長期戦はできないが、大会の試合時間内なら大丈夫だ。
「…行くよ、リナーリア君!」
「はい!」
先輩は殿下の方へと駆けている。
スピネルは私の方が相手だと気付いて、炎の雨を斬り飛ばしながらこちらへ向かってくる。
「いきなり派手にやってくれるじゃねえか!」
「貴方好みでしょう?」
軽口を叩きながら次の魔術の準備を始める。
炎の雨を生み続けている紅焔はもうかなり小さくなっている。それが燃え尽きるのと同時に、次の魔術を行使した。
『水よ風よ、凍てつき吹き荒れろ!顕現せよ、氷雪の牙!』
闘技場の上に、冷気を全身に纏う氷の狼が出現する。
『行け!』
《リナーリア選手、氷狼を召喚!スピネル選手に襲いかかる!!》
《高位の複合魔術だね。1年生でこれとか、末恐ろしい子だなあ》
動きの速いスピネルをこちらに近付けさせないためには、防御や牽制の魔術だけでは足りない。そう考えて選択した魔術だ。
本当は人前であまり使いたくないのだが仕方がない。手加減していてはこの二人には勝てない。
スピネルは剣で氷狼の爪を受け止めたが、そこから冷気が伝わるのが分かったのだろう、慌てて後ろに飛び退いた。
「…くそ、厄介だな!」
《氷狼は素早く、その爪や牙は鋭い。しかも常に冷気を発しているから、斬り合っているだけでも熱を奪われ、動きは鈍くなる。騎士に対してかなり有効な魔術だね》
もし噛まれたり組み付かれたりしたら凍傷を負ってしまうし、ただ冷気を受け続けるだけでも体力や魔力の消耗が激しくなる。
氷狼を維持するための魔力消費はかなり大きいのだが、その分効果も高い。
《一方、スフェン選手はエスメラルド選手を攻め立てている!》
先輩は得意の連撃で殿下を攻めている。大きく身体強化しているので、そのスピードはスピネルをも上回るほどだ。
しかし守りの堅い殿下を崩すには時間がかかるだろう。私が魔術で支援して優勢を保ちたいところだ。
スピネルと戦う氷狼を操りながら、得意の水球を呼び出し周囲に展開していく。
スピネルはすぐにその狙いに気が付いたようだ。
「殿下、水に気を付けろ!身体に当てるな!」
水球が当たって濡れた所に氷狼が攻撃すれば、その部分はたちまち凍りつく。
私の水球の操作範囲は闘技場全体に及ぶので、直接私と対峙しているスピネルだけではなく殿下だって射程内だ。
『炎霊よ、刃に宿れ!』
スピネルの持つ剣が燃え上がった。炎の
襲いかかる氷狼の爪を避けつつ、水球を次々に斬って落としている。
これでは氷結によるダメージは期待できなさそうだと思いつつ、水球を操りスピネルと殿下へ撃ち出す。
殿下に向かって放った水球のうち1つが落とされ、1つが肩口に当たった。
わずかに怯んだ殿下へとすかさず先輩の剣が閃き、腕を切り裂く。だが、浅い。
スピネルは氷狼と戦い続けながら、着実に水球を落としている。炎によって氷狼の身体が削られるせいで、私の魔力消費は更に増えている。
しかし冷気を受けたり水を蒸発させながら炎を維持するため、消耗が大きいのは向こうも同じだ。
《激しい攻防が続く!戦況は一進一退か!》
氷狼の足元を狙って炎の剣が振るわれ、咄嗟に跳び上がらせて避けた。その跳んだ勢いのまま牙を剥こうとするが、スピネルは深く身を沈めて躱す。
闘技場の石床の上、まるで滑るかのように淀みなく柔らかな動き。低い姿勢のまま前に踏み出したスピネルは、氷狼の身体を剣で押し上げるようにして下をくぐり抜けた。
背後を取られたと、そう認識した時にはもう遅かった。振り向きざまの刃が氷狼の左後肢を断つ。
せめてもう一撃。
一矢は報いようと3本足になった氷狼に突撃の姿勢を取らせた瞬間、殿下がこちらに剣を向けたのが視界の端に映った。
その剣先から風の刃が放たれ、私は必死で身体を捻った。
脇腹をかすめた風の刃が後ろに飛んでいく。
《エスメラルド選手、鍔迫り合いに持ち込んだふりをしてスフェン選手を蹴り飛ばした!その隙にリナーリア選手へ風の刃を飛ばすが、リナーリア選手は辛うじてこれを避けた模様!!》
その間に、スピネルは私の氷狼を斬り捨てている。
…くそ、やられた。
「…意外に行儀の悪い王子様だね!」
先輩はすぐに体勢を立て直したが、殿下は既に私の方へ走り出している。スピネルもこちらへ向き直り、駆け出す姿勢だ。
2対1。絶体絶命だ。
「二人共、さすがです。…でも」
斬り捨てられたはずの氷狼の残骸が、私が飛ばした魔術を受けぶわりと膨らんだ。
そこから白い霧が生まれ、水球をいくつも取り込み、激しく音を立てて弾けながら一瞬で広がっていく。
《…これはリナーリア選手の魔術か!濃霧が闘技場を覆い尽くし、何も見えません!》
《いや…多分、魔術を使った本人には見えてる》
その推察は正しい。この霧を作り出している水分には私の魔力が宿っているからだ。視界として見える訳ではないが、位置関係を把握する事はできる。
そして私の魔力が宿っているのは、最初に身体強化をかけた先輩も同じ。
『我が知覚を
身体強化の魔術を辿り、私の魔力を見通す力を先輩にも付与する。
ガキン、と刃を打ち付け合う高い金属音が鳴った。
一合、二合。霧が濃くまともに見えてはいないだろうに、よく防いでいる。
《…霧が流れ、少しだけ見えた!スピネル選手と斬り合っているのはスフェン選手だ!しかし、少し動きが鈍いか!?》
三合、四合と打ち合う。
そこに向かおうと殿下が動いた瞬間、火球が殿下に向かって飛んだ。霧が裂かれ、また少し視界が広がる。
《霧の中から杖を構えたリナーリア選手が姿を現した!更に魔術を使う気か!エスメラルド選手、阻止に向かう!》
五合、六合目。巧みに斬り返したスピネルによって、ついに剣が弾き飛ばされた。
そこに生まれた致命的な隙を狙い、スピネルが剣を振り下ろそうとする。
「はっ…!」
殿下は剣を構え、霧の中から現れた私へと一瞬で距離を詰めようとしていた。
しかし、私の姿がそこから突然かき消える。
「…!?」
驚愕に目を見開いたスピネルの胸元に、私は
炎が弾け、まともに食らったスピネルの身体が後ろに吹き飛ぶ。
同時に、殿下がゆっくりと膝を付いた。
その背後で、剣を振り抜いた姿勢のままの先輩が静かに息を吐く。
「…エスメラルド選手、スピネル選手、戦闘不能!!スフェン・リナーリア組の勝利!!」
静まり返った会場に、審判の声が響いた。
途端に、地鳴りのようなどよめきが会場中に広がる。
「…やった、やったよ!リナーリア君!!」
先輩が駆け寄ってきて、私を強く抱きしめた。
「はい!やりました!私たちの勝ちです…!」
「凄い、本当に凄いよ…!夢みたいだ!僕たちが優勝なんて…!!」
満面に喜色を浮かべ、先輩は私の両脇に腕を差し込んで持ち上げた。そのままぐるぐると振り回され、思わず目を回しそうになる。
「せ、せ、先輩!」
「あはは、本当に最高だよ!リナーリア君!!」
「下ろしてくださいぃ…!」
《ど、どういう事でしょうかレグランド殿!?》
《…幻影の魔術だね。霧を発生させた後、スフェンさんはリナーリアさんに、リナーリアさんはスフェンさんに化けていたんだ。事前に打ち合わせていた作戦だろうね》
レグランドの言う通りだ。
氷狼の残骸から霧を発生させた時、私と先輩は幻術を使ってお互いに化けたのである。
霧を出しながらわざと大きな音を立てて周りの水球を弾けさせたのは、その音に紛れて位置を入れ替えたように見せかけるためだ。
だが実際には位置はほとんど変えておらず、先輩に化けた私はスピネルを、私に化けた先輩は殿下を倒した。
《リナーリアさんが持っていた杖、あれは仕込み杖だったんだね》
《…あ、なるほど!それを剣に見せかけてスフェン選手に化けた訳ですか》
闘技場の床には、スピネルに弾き飛ばされた私の杖が転がっている。途中に切れ込みが入っていて、抜くと中には刃が仕込まれているものだ。
入れ替わり作戦を使うと決めた際、私とスピネルが斬り合う事も考えられたので、剣を打ち付けた時の音で気付かれないように用意した。よく聞けば別物だと分かるだろうが、すぐには見破られない程度に似た音が出るものを探したのだ。
これを使い先輩のふりをしてスピネルと斬り合っていた私は、仕込み杖を弾き飛ばされた時点で幻術を解除し、至近距離からの火魔術で彼を吹き飛ばした。
「…お前、剣使えたのかよ…」
魔術で胸元を焦がしたスピネルがふらふらと起き上がる。ようやく先輩から解放され地面に下ろされた私は、思い切り胸を張った。
「少々嗜んでいると昔言いませんでした?」
「まさか本当だとか思わないだろ…」
ブランクは前世からだし、まるで鍛えてないのでヘロヘロではあるが、少しは剣を振れるように先輩と練習したのだ。
おかげで、身体強化を使ってだが数合くらいならスピネルと打ち合えた。
私をスフェン先輩だと思って警戒していたからだろうし、それでもあっという間に弾き飛ばされてしまったが…。
《注目すべきは、最後に王子殿下を斬ったスフェンさんの動きだね。僕でも一瞬見失うくらいの凄まじい速さだった。相手が魔術師のリナーリアさんだと思い込んでいたなら、尚更避けられなかっただろう。身体強化の重ね掛けかな?危険だからあまり褒められたものではないけれど、勇気と覚悟があったからできた事だと思うよ》
「…完全にやられたな。何かおかしいと思った時には、もう斬られていた」
殿下もまた立ち上がり、悔しそうに嘆息した。私の隣に立った先輩がそれに答える。
「殿下ならきっとすぐに入れ替わりに気付くと、リナーリア君が言っていたからね。危険を冒してでも一本取りに行かせてもらったよ」
「そうか…」
「でも、本当に守りが堅かった。…しかもあの蹴りにはびっくりしたね」
そうだった。私はその瞬間を見ていなかったが、殿下は先輩を蹴り飛ばしたらしいのだ。
剣だけでなく己の手足を使った攻撃がある流派というのも存在するのだが、主流ではないし殿下は修めていなかったはず。
意外な気持ちで見つめる私に、殿下は少し恥ずかしそうにする。
「強くなるためには、幅広い戦い方を身に着けた方が良いかと思って。色々学んでいる所なんだが…」
「…さすが、殿下です…!!」
素晴らしい向上心だ。
礼儀正しく作法に則った王道の剣術というのも良いと思うが、戦いではそんな綺麗事ばかりは言っていられないのだ。勝った者、生き残った者こそが強者なのである。
やはり殿下はよく分かっておられる。
手のひらを合わせニコニコする私に、殿下はほっとしたような照れたような顔になり、先輩もまた「なるほどね」と笑った。
《…でもねえ、うちの弟は恥ずかしかったね》
レグランドの声が響き、横で私たちの様子を見ていたスピネルがびしっと固まった。
《最後、相手がリナーリアさんだと分かった瞬間に完全に手が止まっていたよね。いくら虚を突かれたって言ってもね…ちょっと甘すぎじゃないかな》
その容赦ない批評に、会場中の視線がスピネルに集まるのが分かる。
《ちゃんと動けていれば相打ちくらいには持っていけたんじゃないかな?まあスフェンさんが残っている以上、相打ちだったとしても勝敗は変わらないんだけど、でも騎士としては動くべきだったね》
「……」
《兄として恥ずかしいよ。うちの弟は強いとか大見得きっちゃったのにこの体たらくとかさ…。ほんと反省して欲しいね。鍛え直しだよ》
スピネルはちょっとぷるぷる震えていて、私はそっと目を逸らした。
見て見ぬふりをするくらいの情けは、私にも存在するのである。
《…武芸大会、タッグ部門!熾烈な戦いの末、2年スフェン・ゲータイト選手と1年リナーリア・ジャローシス選手の組が優勝!!しかし、対戦相手のエスメラルド選手とスピネル選手もまた、見事な戦いを見せてくれました!皆さん、どうぞ盛大な拍手をお送り下さい…!!》
実況のヒュームに促され、会場中から割れんばかりの拍手と歓声が押し寄せる。
先輩と私は両手を上げてこれに応えた。殿下とスピネルもまた、片手を上げて応えている。
あちこちから「スフェン様ー!!」とか「リナーリアさーん!!」とかいう声が聴こえる。…「筋肉女神ー!!」という声は聴かなかったことにしよう。
見回すと、観客席で両親や兄が手を振っているのが目に入った。付き添いとして連れてきたらしく、コーネルの姿もある。
隅の方にセナルモント先生までいた。わざわざ見に来てくれたのか。
皆とても嬉しそうで、思わず胸が熱くなる。
生徒用の席ではカーネリア様やペタラ様他、たくさんの同級生たちがぶんぶん手を振ってくれていた。凄く嬉しい。入学当初はちょっと距離があったのが嘘のようだ。
先輩ファンの方々には熱狂を通り越して泣いている人もいる。
エレクトラムお姉さまが「わたくしが!わたくしが育てましたわー!!」と叫んでいる気がしたがこれも聴かなかった事にした。
「…リナーリア君、本当にありがとう。優勝できたのは君のおかげだ」
横のスフェン先輩がそう呟いて、私は先輩の顔を見返した。
「いいえ、これは先輩の実力です。先輩の努力が実を結んだんですよ」
大会の練習中、先輩はファンの方々が呼んだ騎士や魔術師を相手に一歩も引かずに戦い、みるみる力をつけていた。私と息を合わせるために、様々に努力もしていた。
それに、さっきから先輩はちょっと足を引きずっている。多分最後に殿下を斬った際、身体強化の重ね掛けをしたせいで痛めたのだ。
重ね掛けは危険だとしっかり注意しておいたのに、絶対にあそこで勝負を決めるという覚悟でやったのだろう。額からたくさんの汗が流れ、疲労も相当激しそうだ。
「それでもやっぱり、君がいなければ優勝には届かなかったよ。…君は最高の友人だ、リナーリア君!!」
先輩は私の肩を抱き寄せると、頬にちゅっと口付けた。
会場から悲鳴だか歓声だか分からない絶叫が上がり、殿下とスピネルは目を丸くして動きを止めている。
私は恥ずかしさに赤面しつつ、もう一度観客席へ向かって手を振った。