世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
初夏の風が吹き渡るある晴れた日、私の兄ラズライトと婚約者サーフェナの結婚式は行われた。
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
参列者の祝福を受けながら、白のフロックコートに身を包んだお兄様と、ウェディングドレスの裾を引いたサーフェナ様がゆっくりと進む。
二人の周囲に花や花びらがふわふわと舞いながら光っているのは、我が家の魔術師による演出だ。結婚式では定番である。
幸せそうに頬を染めたサーフェナ様は本当に美しい。
兄も幸せそうに笑顔を浮かべていて、見ているこちらまで幸せな気持ちになる。
前世から様々な結婚式に出席しているが、今の私にとってやはりこの兄の結婚式は特別だ。
ラズライトお兄様は昔からずっと私を一番可愛がってくれた。
私も兄が大好きで、まだ記憶が戻る前の幼い頃は「大きくなったらラズライトお兄様と結婚する」とか言っていたらしいのだが私は覚えていない。まあ、兄を慕っている事に変わりはないが。
サーフェナ様は優しくて素敵な女性だし、きっと兄と仲良くやっていけるだろう。
「…本当に綺麗だね。凄く幸せそうだ。彼女が素晴らしい伴侶を見付けられて、本当に良かった…」
噛みしめるようなその呟きに、私は隣を見上げた。スフェン先輩だ。
先輩は今日も男装していて、すらりとした男性用の礼服に身を包んでいる。
サーフェナ様も先輩の姿に気が付いたようで、少し照れた表情でにっこりと笑った。
武芸大会が終わった翌日、我がジャローシス侯爵家での晩餐にスフェン先輩を招いた。
大会でも学院生活でもお世話になっている先輩を両親に紹介するためだが、他にもう一つ大きな目的があった。
サーフェナ様とスフェン先輩を会わせるためだ。
先輩の姿を見たサーフェナ様は、懐かしそうに微笑んだ。
「本当に久しぶりね…こんなに大きくなって、立派になったのね」
「…こちらこそ、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
先輩は珍しく少し緊張した面持ちだ。
…この二人は、幼馴染なのだ。
サーフェナ様の実家のシュンガ家と、先輩の実家ゲータイト家は小麦の取引などで古くから付き合いがある。
当代は両家に近い年頃の子供がいた事もあり、特に仲良くしていたのだそうだ。
中でもサーフェナ様の弟のミニウムとスフェン先輩は仲が良かった。お互い英雄譚や演劇が好きで、そこで気が合ったらしい。
二人で武芸大会に出ると決めた日、先輩はその幼馴染ミニウムについて話してくれた。
「僕とミニウムはね、約束していたんだ。将来、彼は人々を救う立派な騎士になる。そして僕は、そんな彼の活躍を人々に伝える劇作家になる」
「劇作家ですか?」
先輩はむしろ役者のイメージだったので、私は少し驚いて聞き返した。
「うん。僕は物語を書く側になりたい。貴族だろうが平民だろうが誰もが楽しめる、斬新で親しみやすい演劇を作ってみたい」
演劇は基本的に貴族のための趣味だ。観劇のチケットはそれなりに値が張る。
平民でも裕福な者なら見に行けるが、それ以外だと祭りの時だとかに芸人が演じるものくらいしか見る機会はない。
「ミニウムはそんな物語にふさわしい、皆から親しまれるような素晴らしい騎士になれると思っていた。…だけど彼は、そうなる前に…あまりにも早く天に召されてしまったよ」
ゲータイト家とシュンガ家で行った鹿狩りの日に起きた事件。
先輩やサーフェナ様、家族、大切な人たちを守るため、彼は魔獣と戦って死んだ。
その事件について、先輩は多くを語らなかった。
…あえて淡々とした言い方は、どんな感情を込めて良いのか未だに分からないからなのかもしれない、と私は少しだけ思った。
「でも僕は、彼の物語を書く事を諦めていないんだ。彼を悲劇の英雄なんかで終わらせたりしない」
先輩は、力強い意思の宿る目で言った。
「…彼の抱いた夢を受け継ぐ者がいればいい!そうすれば、彼の物語は悲劇じゃなく、希望の物語になる。そうだろう?」
「じゃあ、先輩は…」
「ああ。志半ばで倒れた少年の遺志を継ぎ、誰もが憧れる凛々しさと、親しみやすさを併せ持つ強い女騎士!しかし、その裏の顔は人気の覆面作家!!…ふふ、心躍る物語になると思わないかい?」
「そ、それは、確かに…」
今まで誰も見た事も聞いた事もない物語になるだろう。それは間違いない。
「そのための第一歩として、僕は白百合騎士団に入りたいんだ。入団試験に確実に合格するために、武芸大会で良い成績を残したい」
白百合騎士団は、王宮で抱えている女性だけで構成された騎士団だ。
創立当初はほんの数名しかおらず、男の騎士たちからは嘲られたり嫌がらせをされたりと大層苦労したと聞くが、少しずつ規模を大きくし、近年ではその地位もずいぶん向上している。
白百合騎士団に入り、誰からも認められるような活躍をする。さらにそれを物語に書き、劇作家としても成功する。
どちらか片方だけでも相当な困難を伴う事は明らかだ。
だが先輩は、真剣にその両方の夢を叶えるつもりでいる。
「だから、リナーリア君。君の力を貸してくれ」
うつむかずに前を向くその笑顔は、とても眩しかった。
先輩はサーフェナ様だけでなく私の両親や兄に対しても、自分の夢について包み隠さずに語った。
どうもヴォルツやコーネルの件を聞き、私を巻き込んだ事に少し責任を感じていたようなので、全てを話すのは先輩なりのけじめだったんじゃないだろうか。
エンスタットの申し出を受けたのは私自身なので、先輩に責任など全くないのだが…。
傍から見れば自由奔放に生きているようだが、思いやりや優しさを忘れない人なのだ。あれほどにファンがついているのも、単に先輩が格好良いというだけではないのだろう。
話を聞いたサーフェナ様は、うっすらと涙を浮かべていた。
「…貴女は、本当に強いのね。私なんかとは全く違うわ…」
サーフェナ様も、目の前で死んだ弟のミニウムの事をずっと気にして引きずっていたという。
ミニウムとの約束のためあくまで前向きに生きようとしている先輩の夢は、彼女にはずいぶんと衝撃的で…そして、胸を打ったようだった。
「貴女とミニウムの夢を、私も応援するわ。…でも、一つだけお願いがあるの」
「何でしょうか」と尋ねた先輩に、サーフェナ様は赤くなった目で微笑んだ。
「たまにでいいから、あの子の所に行って花を供えてあげて。…もう、ずっと行っていないでしょう?貴女が武芸大会で優勝したって聞いたら、きっとすごく喜ぶわ」
先輩はその時初めて、胸を突かれたような表情をした。
「…分かりました。必ず」
うつむいた髪の隙間から滴った雫が、ぽつりと床に染みを作った。
結婚式はつつがなく終わり、立食パーティーが始まった。
皆わいわいと楽しそうにグラスを合わせたり料理をつまんだりしている。
ふと、私の両親と目が合った。私と先輩を見て、穏やかに笑いかけてくれる。
寛大で心優しい両親には、いくら感謝してもし足りない。
しかし、そこに冷ややかな声をかけて来る者があった。
「…お前は、またそのようなみっともない格好をしているのか」
ゲータイト伯爵。先輩の父親だ。
新婦のシュンガ家とは親しい家なので、当然招待されている。
伯爵は口髭をたくわえた顔を大きくしかめ、先輩の服装を睨んでいた。すぐ後ろでは伯爵夫人がひどく申し訳無さそうに先輩を見ている。
「親に恥をかかせるのもいい加減にしろ。そんな事では嫁の貰い手がないと言っているだろう」
「僕はゲータイト家の恥になるような事は何一つしていません。それに、前にも言ったでしょう。僕は結婚するつもりなどないと」
「お前は…!」
「リナーリア」
伯爵が激昂しかけた時、よく通る落ち着いた声が私の名を呼んだ。
振り向くと、殿下がスピネルを連れてこちらに歩み寄ってくる。
「殿下、本日は兄の結婚式にご出席いただきありがとうございます」
「ああ。ジャローシス侯爵には先程挨拶をさせてもらった」
ラズライトお兄様は我が家の跡取りなので、当然王家にも招待状を送っている。妹の私と親しい殿下が代表して来て下さったのだ。
第一王子の登場に、ゲータイト伯爵は慌てて口を噤んだ。
「君の兄上が良縁を得られたようで何よりだ。ジャローシス侯爵家も安泰だろう」
「はい。幸甚に存じます」
それから殿下は、私の隣の先輩を見た。
「スフェン。先日の武芸大会では世話になった。敗北を喫したことは悔しいが、とても良い勉強になった」
「恐悦至極に存じます。エスメラルド殿下も素晴らしい腕前でした。こちらのリナーリア嬢と、時の運。両方が味方してようやく勝てたのだと思います」
「勝利の女神を味方につけられたのは、実力あってこそだ。君の剣は強く、そして迷いがなかった。…君ならば、白百合騎士団に入ることもできるだろう。もし良ければ考えておいて欲しい」
殿下の言葉に先輩は少しだけ目を瞠り、嬉しそうに笑ってから一礼をした。
「…光栄です。ご期待に添えるよう精進いたします」
更に殿下は、「ゲータイト伯爵」と伯爵の方を振り返る。
「良い娘を持ったな。彼女の活躍には期待している」
「は、ははっ…!あ、ありがたき幸せ…」
ゲータイト伯爵は顔色を青くしたり赤くしたりしていたが、殿下に「もう行って良い」と言われ慌てたように立ち去っていった。
先輩が女騎士になる事に反対していた伯爵だが、何しろ第一王子から直々に入団を勧められたのだ。
あまり納得した表情ではなかったように見えたが、表立って反対する事はもうできないだろう。
「殿下、ありがとうございました」
私と先輩は揃って殿下に頭を下げた。
実は、さっきのやり取りは仕込みだったのだ。
予め殿下には、ゲータイト伯爵の耳に入る所で先輩の剣の腕を褒めてもらえるように頼んであった。伯爵が向こうから話しかけて来たので丁度良かった。
感謝する私たちに、殿下は軽く首を振る。
「俺は思ったことを言ったまでだ。感謝の必要はない」
殿下には先輩が白百合騎士団に入りたがっている事までは教えていなかったので、先程の言葉にはちょっと驚いた。
女騎士の最高峰と言えば白百合騎士団なので、推察するのは難しくないだろうが…。
つまり殿下は、先輩なら入れると本気で思ってくれているのだろう。
「いいえ殿下、これで僕は夢に向かって邁進できる…本当に感謝します!僕の物語には、王子殿下の凛々しい勇姿もしっかり描くと約束いたしましょう…!」
先輩はいつもの調子に戻ると、ばっ!と片手を掲げてポーズをつけた。
「?…うむ。ありがとう」
殿下は先輩の劇作家の夢ももちろん知らない。ちょっと不思議そうにしながらも真面目な顔でうなずいた。
「殿下、雰囲気で何となくうなずくのやめろ。絶対ろくな事にならない予感がするぞ」
口を挟んだスピネルに、先輩はふふんと笑う。
「スピネル君には特に世話になっていないけれど、僕は優しい人間だからね。君のカッコ悪い負けっぷりについては手心を加えておいてあげるよ!」
「ほら見ろ!なんか知らんけど俺が巻き込まれたじゃねーか!!」
「だからお前のは自業自得だろう…」
その後、殿下は「では、また後で」と言って踵を返した。
今日の参列者の中にはアーゲンやセムセイなど、我が家と仲の良い家の同級生も幾人か来ているので、そちらに向かうようだ。その背中を見ながら呟く。
「そっか…先輩の物語には、殿下も登場するんですね」
女騎士が武芸大会に出て、王子に剣の腕を認められるエピソード。なかなか人気が出そうな気がする。
「ああ。もちろん君も登場するよ。何しろ君は僕の大恩人だからね!」
そうか、私も出るのか。想像するとちょっと照れくさいな。何だか凄く美化されそうな気がするし。
「大恩人は大げさだと思いますよ」
普段から先輩にはお世話になっているし、大会で優勝したのだって先輩ファンの人たちがたくさん応援して練習環境を整えてくれたのが大きい。つまり先輩の人望だ。
ゲータイト伯爵の件は殿下のおかげだし。
「謙遜する必要はないよ。…それに今日、ここで彼女の結婚式に参列できるのは君のおかげだ。僕は父から嫌われているから、君が招待してくれなかったら来られなかった。本当にありがとう」
今は別のドレスに着替え、参列者たちと挨拶を交わしているサーフェナ様を、先輩は優しい面持ちでじっと見つめている。
ミニウムの姉である彼女もまた、先輩にとっては特別な人なんだろう。
「…いいえ。私としても、兄の結婚式に来ていただけて嬉しいので」
兄と義姉がたくさんの人に祝福されている姿はやはり嬉しい。
先輩は少し微笑むと、「でも」と言葉を続けた。
「君の物語は、僕の物語とは別に書いてみたいとも思ってるんだ。言っただろう?君には主役の素質があると」
「ええ!?」
「
まあ確かに、あれこれ事件に巻き込まれたり自ら首を突っ込んだり結構しているが…。
何とも言えない表情を作った私に、先輩は笑う。
「実現するのはずっと未来のことになるだろうけどね、考えておいてくれたまえ。…きっと、美しい物語になると思うよ」
「?」
波乱万丈と美しさとの関係が分からず私は首を傾げたが、先輩はそれ以上説明する気はないらしい。
「それじゃ、改めて新郎新婦にお祝いを言いに行こうか」
「あ、はい!」
歩き出した先輩の後ろを慌てて追う。
青い空には、まだ沢山の花びらが舞っていた。