世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
あれこれ忙しく準備をしていれば瞬く間に時間は過ぎ、芸術発表会の当日となった。
「…これはすごいな」
エスメラルドは感心しながらその全身を眺めた。
瞳の色と同じ鮮やかなブルーのドレスを身に纏い、美しく結い上げたカツラを被り、女子生徒から念入りに化粧を施されたリナライトは、まさに完璧と言っていい仕上がりだった。
顔だけ見ればどこぞの深窓のご令嬢にしか見えない。いつもかけている眼鏡も今日は無しだ。
身体はよく見ると少々ごつい印象だが、彼は元々かなり細身だし、ショールを合わせたドレスで上手く肩幅を誤魔化しているのでそれほど違和感はない。
胸と尻が膨らんでいるのは詰め物でもしているのだろうが、腰もちゃんとくびれているように見える。
「コルセットまで着けているのか?」
「はい。物凄く苦しいです。女性の大変さがよく分かりました…」
彼はげんなりした表情だ。ずいぶんきつく締められたらしい。
「しかし…見た目は女なのに声は男でやはり違和感があるな」
「それでいいからやれと言ったのは殿下たちでしょう!」
憤慨するリナライトに、エスメラルドは少し笑った。
声を変えるという彼の特技は結局使わないことになったのだ。
ヘルビンが物凄く嫌がったせいもあるが、声まで変えたら完全に女性のようになってしまい、女装の面白みがないという事らしい。
分かるような分からないような理屈だ。
「すっかり晒し者にされましたよ。もう少しで時間なので追い払ってもらいましたが、全く…」
エスメラルドは生徒会の仕事があったのでついさっきこの控室に来たばかりなのだが、リナライトは支度に時間がかかるということで大分早めに着替えていたのだそうだ。
ちょうど長めの休憩時間に入った事もあり、クラスメイトどころか別学年の生徒までその姿を覗きに来ていたらしい。
劇が始まる前から疲れた様子で、椅子の上でぐったりとしている。
「先生まで見に来て、母によく似てると感心されました」
「だろうな。男にしておくのが勿体ない出来だ」
「それを言うのは殿下で3人目ですよ…」
リナライトはムスッとした顔で答えた。既に似たような事を言われていたらしい。
「女だと殿下の従者にはなれませんが?」
「それは困るな」
「ええ。私も困ります」
「何とかならないか」
「なりませんよ…」
呆れたようにため息をつく、その姿を見下ろしながら呟く。
「だが、お前が女だったら俺は婚約者選びに困らなかっただろう」
容姿の事は横に置いても、彼のように自分を思ってくれ、心を許せる女性がいたらどんなに良いだろうか。
まあ、少々真面目過ぎる彼はこちらの思惑を外れて斜め上に空回っている事もままあるので、あまり油断はできないのだが。
実際、そんなこちらの気持ちはどれほど伝わっているのか、彼はまるで嬉しそうではない。
エスメラルドを見上げて少し睨んだ。
「そんな事を言っては、婚約者殿に怒られますよ」
「彼女はこんな事で怒りはしない」
「…まあ確かに、そんな心の狭い方ではないでしょうが…」
そういう意味で言った訳ではないのだが。
そう思いつつ、それを口に出しはしなかった。わざわざ彼を困らせる必要はない。
婚約者のフロライアが自分に特別な感情など持っていない事は分かっている。
自分もまた同じだからだ。
彼女は美しく、家柄も良く、聡明で気立ても良く、非の打ち所のない女性だ。エスメラルドもごく普通に好感を持っている。
しかし、それ以上の感情は特に浮かんでこない。
ただ、周囲の者たちから薦められ、彼女なら未来の王妃を完璧に務め上げるだろうと思ったから選んだ。
恐らく彼女もそうなのではないかと思っている。こちらの考えなど見透かした上で、自分なら王妃をやれると思ったから、婚約の申し出を受けたのではないかと。
エスメラルドがそう考えているから彼女も同じように考えているのか、それとも彼女が始めからそういう考えだから、エスメラルドもまた彼女に特別な感情を抱けずにいるのか。
どちらにせよ、貴族間では特に珍しくもない話だ。
精神的肉体的に相性が良い者同士の方が高魔力者が生まれやすいため、なるべく恋愛結婚が望ましいとされているが、結婚は家同士を結びつけるものでもある。
様々な都合や思惑を抜きにすることはできないし、できるだけ学院在学中に相手を見付けておかなければ色々と面倒な事になる。
限られた期間で、限られた相手から選ばなければならないのだ。恋愛感情があろうとなかろうと。
…彼女の事が好きなのは、むしろ彼の方だろうとエスメラルドは思う。
はっきり尋ねた事はないし、尋ねればきっと否定するのだろうが、長い付き合いなのでそのくらいは分かる。
しかし彼はフロライアこそエスメラルドの婚約者にと推した。
迷いつつもそれにうなずいた事を、今もどこかで後悔している。
何かをひどく間違えてしまったような、そんな気がするのだ。
今更取り止める事などできないし、実際に式を挙げ、夫婦として共に過ごしていけば気にならなくなるのだろうと思うが。
式の予定はまだ決めていない。第一王子の結婚式ともなれば準備には丸一年はかかると言われているので、あと二年か三年後になるだろうか。
その頃にはきっと、彼女への愛情も湧いているはずだ。
少しの沈黙が落ちた時、がやがやと騒がしく数人が控室に入ってきた。
別室で女子生徒から着付けと化粧をされていた悪役令嬢役のヘルビンだ。クリードやスパーなどもいる。
真っ赤なドレスを着たヘルビンの全身を眺めて、エスメラルドは呟いた。
「…これはひどいな。夢に出そうだ」
「ひどいのはあんたの言い草だよ!!!」
ヘルビンが抗議の声を上げる。
「いや、顔はまだ見られなくもない…いや…うん…」
「目を逸らすくらいなら無理に褒めてくれなくていいんで…」
ヘルビンも顔の造作は整っているし、化粧でずいぶん誤魔化せてはいるのだが、やはり違和感がある。
そして体型の方は違和感しかなかった。
身長もあるし、騎士として鍛えている人間の肩幅だとか胸板は隠しようがない。
というよりも隠すことを諦めたらしく、リナライトの衣装とは違って見るからに男らしい体型が分かるデザインだ。むしろ笑いを取りに行っている。
間違っても自分が姫役になどならなくて良かった。ヘルビン以上に悲惨な事になっていた気がする。
「つーか女装なんてこうなるのが当たり前なんだよ。おかしいのはこいつの方だ」
ヘルビンがリナライトを指差し、クリードがうなずく。
「それな。普通にいけるだろこれ」
「いけるって何がですか」
「さっきエンスタットの脳を破壊してたぞ」
「だから破壊なんかしてませんよ!!」
「俺いい事を思いついたんだけど…」
リナライトを見ながらスパーが真面目な顔で呟く。
「これでパーティーとか行って金持ちジジイを引っ掛けたらがっぽがっぽ貢いでもらえるんじゃないか?あとは男に戻って逃げ出せば…」
「すげえ!完全犯罪だ!」
クリードが歓声を上げ、リナライトがぎろりと二人を睨んだ。
「消し炭にされたいんですか?」
「すみません冗談です…」
「そ、それよりカーネリアさんの王子衣装見た?キリッとしてて、ああいうのも良いよなあ」
話を逸らすようにクリードが言った。
「フロライアさんの騎士団長も良かったよ。凛々しいけど妙に色っぽいんだよな」
「お前胸しか見てないだろ」
「脚だって見てるし!」
「あ、分かるわ。下がズボンだから脚のライン見えるんだよな」
そうこう言っている間に発表時間が近付いた。係の者に呼ばれ、控室から舞台袖へと移動する。
前のクラスが使った道具の撤収に少し時間がかかっているようで、そのままそこで待つ。
カーネリアとフロライア、ヘルビンは反対側の舞台袖だ。何か雑談をしている。
出番を待ちながら、リナライトは少し緊張した面持ちで集中しているようだった。
大きなカーテンの垂れ下がる暗がりの中、深い青の瞳が何かの光を受けてきらめいている。
きっと頭の中で台詞を暗唱でもしているのだろう。
記憶力の良い彼は完璧に台本が頭に入っていて、自分どころか相手役のカーネリアの台詞まで覚えているはずなのだが。
決まった時はあんなに嫌がっていたのにと思い出し、彼のそういう実直さを好ましく思う。
じっと見ている事に気が付いたのだろう、リナライトが顔を上げてエスメラルドを見返した。
「なんですか?」
「大丈夫だ。劇は上手くいく。きっといい思い出になる」
それを聞き、彼は「そうですね」と苦笑した。
「私としては忘れて欲しい思い出になりそうですが…」
「そう言うな。お前は嫌かも知れないがよく似合っているぞ。本当に惜しい」
「殿下…」
彼はジト目になりかけたが、エスメラルドが真面目な表情で見返すと、何だか毒気を抜かれたような顔になった。
前のクラスの撤収が終わり、今は自分たちの劇で使う背景や小道具を設置している所だ。
それももうすぐ終わり、幕が開く。
「…まあ、もし私が女に生まれ変わったらまた言って下さい」
ふとリナライトが笑った。わざとらしくつんとした表情を作る。
「その時は考えて差し上げますよ、殿下」
「…ああ。その時はよろしく、姫」
エスメラルドは笑いながら台本を手に取ると、前に進んで拡声の魔導具の前へと立った。
係の生徒が開始の合図をした。
幕が上がり明るくなっていく舞台を見ながら、ゆっくりと息を吸い込んで語りだす。
「──これは、遠い昔のある小さな国の話…」