世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第102話 城下へのお忍び(前)

「お嬢様、お迎えが到着致しました」

コーネルに呼ばれ、私はソファから立って屋敷の外へと向かった。

門の横にはしっかりとした作りの馬車が停まっており、スピネルが側に立って私を待っている。

飾り気のない、いつもよりもやや質素な印象を受ける服装だ。

「おはようございます。お迎えありがとうございます」

「おはよう。どうぞ、中へ」

 

スピネルに手を取られ馬車へ乗り込むと、中で殿下が待っていた。

殿下もまた今日は、上品だがシンプルなシャツを身に着けた質素めの服装だ。

「おはよう、リナーリア」

「おはようございます、殿下。本日はよろしくお願いします」

 

 

今日は殿下とスピネルと三人で城下町へのお忍びだ。

三人とは言っても、別の馬車でちゃんと護衛の騎士と魔術師も付いて来ているはずだが。

もしかしたら他にも幾人かこっそり付いて来たり先回りしているかもしれないが、そちらには気付かないふりをした方がいいだろう。彼らの仕事の邪魔をしてはいけない。

準備のため、私は昨夜のうちに屋敷に来て服を選んでもらったりしていた。

 

今日お忍びをする事になったきっかけは、2週間ほど前、まだ芸術発表会の練習をしていた頃。

私が二人に「ティロライトお兄様への卒業祝いを何にしたらいいか」と相談した事だ。

発表会が終われば卒業式までもう1週間くらいしかない。もっと早くに用意しておくべきだったのだろうが、色々忙しかったし、何にするか悩んでいる間に時間が経ってしまった。

困って二人に相談した所、自分たちも一緒に行くから店で品物を見ながら選んだらどうかとスピネルに提案されたのだ。

 

「でも、いいんですか?」

武芸大会の件もある。殿下が城下町になど行って大丈夫だろうかと思ったが、スピネルは案外あっさりうなずいた。

「殿下もここんとこ、城と学院の往復ばっかだったろ。そろそろ外に出たいんじゃないか?」

「出たい。行きたい」

殿下はちょっと食い気味に答えた。

相当行きたいらしいその様子に、スピネルが笑う。

「準備と根回しにちょっと時間かかるだろうが、卒業式前には行けるだろ」

少し心配ではあるが、従者のスピネルが言うのなら多分大丈夫だろう。殿下にも息抜きは必要だしな。

夏休みは夏休みで殿下はまた忙しいだろうし。

 

もうすぐ7月も終わるが、8月はほぼ丸一ヶ月間学院が夏休みとなる。

今の殿下は学院在学中なので、パーティーやらお茶会やらへの参加は控えめになっているはずだが、夏休みはその限りではない。貴族たちからの誘いが激しくなるのだ。

特に、9月から新入生となる子供を持つ親たちは熱心だ。殿下の覚えがめでたければ学院生活であれこれと有利になるし、ひいては就職結婚まで影響する事もあるのだから当然だろう。

殿下は公明正大な方なので知り合いだけを依怙贔屓したりは決してしないのだが、周囲の忖度もあるし、仲良くなっておいて損はない。

それに殿下はまだ婚約者を決めていないので、年頃の娘を持つ貴族たちはきっと張り切るはずだ。

 

 

走り出した馬車の中、向かいに座った殿下は私の姿をじっと見た。

「リナーリア、そのワンピース、よく似合っている」

「ありがとうございます」

今日の私はシックな青と白のワンピースに青い帽子を合わせている。コーネルや使用人たちが用意してくれたものだ。

「実は母が昔着ていたものなんです。父には若い頃の母のようだと言われました」

丈などは少し直してもらったが、形はほぼそのままだと母は言っていた。シンプルなデザインなので古臭くは見えないんだそうだ。

「君と母君はよく似ているからな」

「そうか?大して似てないだろ」

うなずく殿下にそう言ったのはスピネルだ。

昔からこいつだけは私と母は似てないって言うんだよな。

どうせ私は母と違って女らしくないとか言いたいんだろう。別に似ていて嬉しい訳ではないからどうでもいいが。

 

 

「ところで、どこに行く予定なんですか?」

行き先はスピネルに一任してあるので尋ねた。

ちなみにプレゼント選びも基本スピネル頼みの予定である。女性へのプレゼントならカーネリア様に相談するが、今回は主にお兄様用だからな。

どうも私はその手のセンスがあまりないらしいのだ。でもどうせなら喜ばれる物を贈りたい。

「まず普通に商店街だな。とりあえず文房具屋あたりどうだ?」

「あ、それはいいですね」

ペンだとか、魔法陣をきれいに描くためのコンパスや定規などは魔術師なら定番アイテムだ。

 

 

「実は今日、お兄様の卒業祝いの他にも買いたい物があるんです。ヴォルツにも卒業祝いを贈りたいのと、あとコーネルにも何かプレゼントを」

「コーネルってあのお前の使用人か」

「はい。彼女には長年お世話になっていますし、日頃の感謝を伝えられるようなものを何か贈りたくて…」

前から彼女には何かお返しがしたいと思っていたのだが、ずるずる先延ばしにしてしまっていた。せっかくなのでこの機会に選んでしまいたい。

「なら小物かアクセサリーか…あんまり高価じゃない物の方がいいだろうな」

「そうですね」

使用人があまり高価なものを所持するのは問題があるし、恐縮して受け取ってくれなそうだ。

 

「じゃあ後でその手の店も回るか。殿下もそれでいいか?」

「ああ。俺は特に目的はないしな」

殿下は何か欲しい物がある訳ではなく、ただ城下町を歩き回りたいようだ。

天気も悪くないし、久々に羽根を伸ばせるのではないだろうか。

「楽しみですね、殿下」

「ああ」

殿下は少し弾んだ様子で口の端を持ち上げた。

 

 

 

ほどなくして、商店街の中にある文房具屋に到着した。

スピネルが先に降り、私は殿下の手を取って最後に降りる。

馬車の乗り降りも一人じゃ出来ないんだから貴族令嬢は本当に面倒くさい。別にやろうと思えば出来るが、はしたないと言われてしまうのだ。

あと、昔段差でつんのめって転びかけた事があるのだが、これは長く広がったスカートで足元が見えないのが悪いと思う。

短めのスカート本当に流行らないかな…。いや、いっそズボン履けないかな。先輩みたいに。

 

 

文房具屋は落ち着いているが洒落て垢抜けた店構えだった。

看板には魔法陣を模した図柄が描かれている。比較的裕福な客や魔術師向けの店なのだろう。

「ここは去年店主が代替わりして、その時に店を改装して品揃えも少し変えたんだ。魔術師向きの実用品からプレゼント向きの洒落た品まで置いてるそうだ」

「よく知ってますねえ」

説明してくれるスピネルに思わず感心する。貴族の事ならともかく、城下町の事まで詳しいのか。

「行きつけの紅茶店で聞いた」

「へえ…」

そんな所でも情報収集をしているのか…。本当によくできた従者だ。

 

店内に入ってみると、中は結構広く、ペンやノート、インク、定規など様々な文房具が並んでいる。

在庫は棚にずらりと並べ、手に取りやすい位置には試し書きができる展示品やガラスケース入りの高級品などを置いているようだ。見せ方も工夫がされている。

「たくさんあって悩んじゃいますね…」

どれもこれも良さそうに見えるから困る。

この定規など、複雑な形だが図形を描くには便利そうだ。でもこの持ち歩きやすそうな革のペンケースも良い。

 

「この万年筆などどうだ?軽いし、とても書きやすい」

ペンの試し書きをしていた殿下が手元を示して言った。

鮮やかな青と水色が入り混じる模様をした軸に、金色の金具をあしらった上品な万年筆だ。

手に持ってみると確かに軽い。試し書き用の紙にペンを走らせると、さらさらとよく滑る。

「本当に書きやすいですね」

「そちらは新しく開発された合金をペン先に使っているものです。軽くて錆びにくく、手入れも簡単ですよ。しかも美しいので、贈答品として人気があります」

丸眼鏡をかけた若い店主が近付いてきて、にこにこと愛想よく解説してくれた。

これはお兄様用に良さそうだ。青と水色の緩やかなマーブル模様が水を思わせるのも、水魔術が得意な我が家らしいし。

 

 

「ではこれを…」と言いかけた時、ふと一本の黒い万年筆が目に入った。

飾り気のない重厚なデザインで、丈夫そうなキャップが付いている。手に取ると少し重い。

「そちらは耐久性の高さを重視したものですね。インクが長持ちしますし漏れにくいので、持ち歩きにも適しています」

「これはヴォルツに良さそうです」

騎士のヴォルツにはこういう実用性の高そうな品の方がいいだろう。黒い色も、ヴォルツの髪の色のようで良い。

 

「なら、兄貴用の方には紙とかインクとか、何かセットで包んだ方がいいな」

私が手に持った2本のペンを見比べてスピネルが言った。

「兄貴と家中の一騎士とが似たようなプレゼントを貰ってるとまずいだろ」

「まずいですか」

むむむ、そういうものなのか…。値段はお兄様用の物の方が高いんだが。

まあヴォルツはいつも後ろで控えていて、あくまで臣下という態度を崩さないしな。もっと分かりやすく差をつけた方が彼も受け取りやすいかもしれない。

 

 

「そういう事でしたら、こちらのインクなどいかがでしょうか。とても美しく乾きやすい、人気の品ですよ」

店主が数本の小さな黒い瓶を出して薦めてくれた。試し書き用のつけペンも出してくれる。

「どうぞ、書いてみて下さい」

軽くインクをつけて書いてみる。

すると、一見黒のようだったインクは夜明けの空のような濃紺の文字を紙の上に描き出した。

「わ、これは綺麗な色ですね」

「はい。こちらの瓶は赤、こちらは紫がかった色のインクになっております」

ペン先を布で拭き、それぞれのインクを試してみたが、どれも落ち着いた良い色だ。しかも、本当にインクの乾きが早い。

 

「そういや、お前の兄貴婚約したんだったよな。相手の髪と目の色は?」

「えーと、栗色の髪に紫の目ですね」

スピネルに尋ねられ、私は答えた。

ティロライトお兄様は先日めでたく恋人と婚約をした。卒業したら2年ほどブロシャン領で魔術師修業をする予定なので、その後で式を挙げる事になるだろう。

「なら、紫のインクがいいんじゃないか。手紙を書く時に使えばきっと喜ばれる」

「な、なるほど…!」

「なるほどな…」

こういう事に関しては本当にスピネルはよく気がつく。

殿下と二人で深く感心すると、スピネルはちょっと得意げな顔をした。

 

 

それぞれ箱に入れ、リボンもかけて綺麗に包んでもらう。

あの濃紺のインクは気に入ったので、自分用にも購入した。受け取った包みは使用人に扮している護衛のテノーレンに預かってもらう。

王宮魔術師の彼とはセナルモント先生の所で度々顔を合わせているが、護衛をしてもらうのは水霊祭の時以来だ。

店の外には護衛の騎士も待機していて、こちらは普通に軽装の護衛といった服装だ。

「じゃ、次は小物屋に行くか。すぐ近くだ」

「はい」

お兄様とヴォルツ用のプレゼントはすんなり決まったので、後はコーネル用だ。

 

 

文房具店から小物屋は数軒ほど先で、本当に近かった。

布製品や編み物を中心にした品揃えで、小窓用のカーテンやポットカバー、レース飾りなどとても可愛らしいもので溢れていたが、どうにもピンと来ない。

私がこういうものに疎いせいもあるが、コーネルがこれらの品を使っている所をどうも上手く想像できないのだ。

さらに移動し、アクセサリーの店や別の小物屋、香水店なども回ってみたが、やはりピンと来ない。

 

「すみません。なかなか決まらなくて…」

「いや、大丈夫だ。こうして見て回っているだけでも面白い」

殿下は特に気にしていないという顔だが、女性向けの商品が多い店ばかりなのでやはり申し訳ない。

「女の買い物ってのは時間がかかるもんだから仕方ない。織り込み済みだから気にすんな」

そう言ったのはスピネルだ。

こんな所だけ女らしい判定をされても全く嬉しくないが、一応気遣ってくれているらしい。

「それより、結構歩いて疲れただろ。もう昼だし食事にして休憩しよう」

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