世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
「お兄様、卒業おめでとうございます!」
「ありがとう、リナーリア」
笑顔と共に差し出したプレゼントの包みを、ティロライトお兄様は嬉しそうに受け取った。
「これが王子殿下と一緒に買いに行った卒業祝いかい?」
「知ってたんですか?」
「うん。でも何を買ったかまでは知らないよ。開けてみていいかな?」
「はい」
今日は学院の卒業式だ。
卒業生であるお兄様は制服の上にガウンと角帽を身に着け、先程授与されたばかりの卒業証書を手にしている。
周囲では、同じような姿の卒業生たちが在校生から花束や贈り物を受け取っていた。
感動して涙ぐんでいる者も多い。
プレゼントの箱を開けて、お兄様が歓声を上げる。
「わあ…これは綺麗な万年筆だね!ありがとう、大切にするよ」
「そのインクも、とても綺麗な色なんですよ。手紙を書く時に良いと思いますので、後で試してみて下さい」
「そうなんだ。しばらく王都からも領地からも離れるから、それはありがたいな」
お兄様はブロシャン領で魔術師修業をする2年の間、修業に集中したいとの事で、ずっと向こうにいて帰っては来ない予定だ。
少し意外だったが、それだけ真剣なのだろうから、妹の私としても応援している。
それから私は、お兄様の後ろに控えていたヴォルツを見た。
ヴォルツもまた今日で卒業だ。お兄様と同じガウンと角帽姿の彼に歩み寄る。
「ヴォルツも、卒業おめでとうございます」
小さな包みを差し出すと、ヴォルツは少し驚いたような顔になった。
「…自分にですか」
「ええ。貴方にはこれからもお世話になりますし…受け取って頂けると嬉しいです」
ヴォルツは卒業後、我が家の騎士として働く事になっている。
スピネルの忠告もあったし、彼は学院にも王都にも慣れていて丁度いいので、私の在学中は主に私の護衛についてもらう予定なのだ。
ヴォルツは驚いた顔のまま無言で包みを受け取った。
「どうぞ、開けてみて下さい」
「はい」
丁寧な手付きでリボンを解き、そっと箱を開ける。
「これは…」
「おや、これも立派な万年筆だね」
ヴォルツの手元を覗き込んだお兄様がニコニコしながら言った。
「騎士にもペンは必要ですから。持ち歩きのしやすい、丈夫なものだそうです」
「……」
ヴォルツはしばらく無言で万年筆を見つめ、それからぐっと胸に抱くようにして深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。必ず…、ずっと大切にいたします」
ちゃんと喜んでもらえたようで、ほっと胸をなで下ろす。
全く動かないのでちょっとハラハラしてしまったが、どうやら感動していたようだ。
贈った甲斐があったな。とても嬉しい。
「この後は一度寮に戻るのかい?」
お兄様に尋ねられ、私ははっとした。
「そ、そうでした!そろそろ行かないと」
慌てる私に、お兄様が「やっぱり」と苦笑する。
「すみません、用事があるので失礼します。また、パーティーで」
「うん。また後で」
手を振るお兄様と礼をするヴォルツに見送られ、その場を後にした。
卒業式の日の夜には、学院の体育館でダンスパーティーが行われる。
メインはもちろん卒業生だが、在校生もほぼ全員参加する。
部外者で入れるのは生徒のパートナーだけなので、大人の貴族はいない学生だけのパーティーとなる。
当然の成り行きとして、かなり騒がしいパーティーになりがちなので、羽目を外しすぎないよう生徒会役員は監視が大変だ。
まあ大抵のことは無礼講として許すのが暗黙の了解なのだが。
…そして、卒業式終了後からパーティーが始まるまでの間。
この時間は一部の生徒にとって、あるイベントの時間だ。
学院が創立されたばかりの頃からの伝統として、思いを寄せる相手に愛を告白する時間とされているのである。
何故そんな伝統があるのかは謎なのだが、タイミング的な問題なのではないかという気がしている。
1年間学院で共に過ごし、ある程度相手のことを理解できたからとか。
これから1ヶ月の長期休みに入るので、ここで相手を決め、ひと夏の間に仲を深めておきたいとか。
あるいは告白のきっかけを掴めずにいる生徒への後押しもあるかもしれない。
こういう分かりやすいイベントの日があれば、覚悟を決め心の準備をしやすくなる…と思う。多分。
ちなみにこのイベントは、主に在校生間で行われる。卒業生は既に相手が決まっている者が多いからだ。
告白は中庭やら空き教室やら様々な場所で行われる。
歩いていると、ちらほらそれらしき生徒を見かけた。
嬉しそうにしている者もいれば泣いている者もいて、見ないふりをして通り過ぎる。
前世の私も幾人かの女子生徒から告白されたりしたが、泣き出してしまった女子もいて非常に罪悪感があった。
傷付けてしまったかとしばらく気にしていたのだが、彼女は夏休み明けにはしっかりと恋人ができていてちょっとショックだった。いや別に良いんだが…。
そして今の私もまた、告白のためなのだろう呼び出しを受けている所だ。
急いで廊下を歩き、指定された教室に行くと、彼は既にそこで待っていた。
こちらを振り向き、小さく微笑む。
「やあ、リナーリア」
「すみません、お待たせ致しました。…アーゲン様」
「大丈夫、そんなに待ってはいないよ。やっぱり、他の男にも呼び出されていたのかな?」
「いいえ。今日私を呼んだのは貴方だけです」
特に隠す事でもないので正直に答える。
アーゲンはどこか読めない表情で「まあ、それもそうか」と呟いた。
そして、私の顔を正面から見つめる。
「リナーリア」
「は…、はい」
どんな要件なのか想像はついていても、やはりつい緊張してしまう。
「君が好きだ。僕と結婚を前提に交際してくれないだろうか」
「……」
私は一つ呼吸をすると、そっと目を伏せた。
ゆっくりと頭を下げる。
「…申し訳ありません。貴方の気持ちにはお応えできません」
「そうか…。分かった」
少しの間の後、静かな声が降ってきて、私は頭を上げた。
アーゲンは最初と同じ、穏やかな笑みで私を見ている。
…あれ、あんまりショック受けてないっぽい…?
そんな私の考えが分かったのだろう、アーゲンが笑みを苦笑に変えた。
「君がそう答える事は、最初から分かっていたからね」
「…では、何故?」
振られると分かっていて何故告白したのだろう。尋ねる私に、アーゲンは肩をすくめて答える。
「自分の気持ちにけじめをつけたかったから、かな。本当はもう少し頑張りたかったけど、やっぱりとても勝てそうにないし…僕も、そうのんびりとはしていられない立場だしね」
もしかして父のパイロープ公爵に何か言われたのかな、と少し思う。
「脈のない侯爵令嬢に固執するのはやめて、もっと良い相手を選べ」だとか。
高位貴族の嫡男ならば、本来できるだけ早めに相手を決めるのが望ましいのだ。
優秀で家柄も良いご令嬢が、高位貴族からさんざん気を持たされた挙げ句に婚期を逃し、爵位の低い適当な家に嫁ぐはめになった…なんて悲しい話は昔から時々ある。
それらの婚約者選びはご令嬢だけでなく、他の貴族家にも影響を及ぼす。派閥内で婚姻したい場合などは特にそうだ。
いずれは公爵夫人になるのだろうと思って好きな相手を諦め、他の令嬢と婚約したのに、結局彼女は公爵家から選ばれなかった。ならばやはり彼女と結婚したい…と婚約破棄からの大騒動になった例などもある。
上の者が相手を決めてくれないと、下の者が相手を選びにくいのだ。
殿下が早く婚約者を選べとせっつかれるのも同じ理由だ。
前世でも、国王陛下や王妃様はなるべく見守りたいと考えておられるようだったが、3年生になった時にはさすがにもう選べと叱られてしまっていたしな。
特に殿下は恋人も作っていなかったので、誰が選ばれるか周囲から見て分からなかったのだ。
案の定、殿下が婚約を決めた直後にばたばたと婚約した生徒が何人もいた。
そんな事を思い出し、公爵家の嫡男というのも大変だよな…とアーゲンの顔を見ると、「それと」と言葉を続けた。
「エンスタット君の行動に感銘を受けたから。彼は本当に勇気がある人だ」
…確かに、アーゲンの言う通りだ。
女神やら何やらあれこれのショックでつい流してしまっていたが、人目も憚らずあんなに堂々と思いを打ち明けたエンスタットの勇気は凄いと思う。
どうも初めから望み薄だと分かっていたみたいなのに。
筋肉女神は絶対に認めたくないが、個人としては好ましい人間だと思う。
…そして、アーゲンも。
この1年、何だかんだとアーゲンとは結構親しくしてきた。
始めは心を許せる相手とは思っていなかったし、向こうもどこか私を試すような所が見受けられたのだが、討伐訓練で彼を助けて以来変わった。
気安いとまでは言わないが、ずいぶん裏表なく接して来るようになったと思う。
私も今では、アーゲンは信用に足る人間だと思うようになった。
もちろん無条件に何もかもを信じられる訳ではないが、少なくとも私や殿下に危害を及ぼしたりはしない。
それは私にとって、とても大切な事だ。
「断っておいて、虫の良い話かも知れませんが…できればこれからも、貴方とは親しくして行きたいです。友人として」
できるだけ真摯な気持ちを込め、私は言った。
私の一体どこがそんなに気に入ったのかは分からないが、アーゲンは真剣に思いを告げてくれたのだから、私も本音を答えようと思ったのだ。
彼の望んだ答えではない事は理解している。
受け入れてもらえなくても仕方ない。
しかしアーゲンは目を見開き、それから破顔した。
「…君からそんな事を言ってもらえるなんて。今までの僕の努力も、無駄ではなかったみたいだね」
アーゲンはおかしそうに笑うと、私の方へ片手を差し出した。
「こちらこそお願いするよ。これからは友人として、親しくして行こう」
「…!はい」
私は笑顔になって、アーゲンの手を握りしめた。
アーゲンとはこの先も、良い関係を築いていきたい。
彼には次期公爵として、殿下が治める国を支えて欲しい。
そして、彼自身にもまた、幸せになってほしいと思うのだ。
良い未来を作るために。