世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する 作:梅杉
依頼の絵の内容についてはまとまったので、次は報酬…モデルについてだ。
「手紙の返事にも書いたけれど、僕もまた、君をモデルに絵を描いた事を口外はしない。絵自体も、君がモデルだとはっきり分かるようなものにはしないつもりだ」
「はい」
「ちなみに、これは油絵で仕上げる予定だ。完成したら君にも見せるよ。作品を売ったり世に出す気は今の所ないけれど、その時はちゃんと君に許可を取る」
「はい。それで大丈夫です」
恥ずかしい事は恥ずかしいが、差し当たって問題はない条件だ。
「それじゃ、これに着替えてもらえるかな」
そう言ってギロルが取り出した服らしき折り畳まれた布を見て、スピネルがぎょっとして声を上げる。
「おい待て、着替える必要があるのか!?」
「あ、はい。その為にちゃんと脱ぎ着がしやすい服で来ました」
手紙でそのように指定してあったので、コーネルに相談したところ、前側でボタンを止めるワンピースとボレロを用意してくれた。
ドレスだと誰かに手伝ってもらわないとなかなか難しいが、これなら一人でも着替えられる。
「大丈夫大丈夫、そんなに心配しなくてもいかがわしい服じゃないよ。知り合いの劇団から借りてきた衣装だ」
「劇団とお知り合いなんですか」
「うん。たまにポスターを描いたりしてる。本業だけじゃなかなか食べていけないから、そういう仕事もちょくちょく受けてるんだよ」
なるほど。あの小説の挿絵もそんな仕事の一つという事か。
その本業が何なのかすごく気になるが、詮索しない約束だしな。
「簡単な作りの服だからすぐ着られると思うけど、着た時のイメージを図に描いておいたから参考にして欲しい」
ギロルが一枚の紙を差し出した。
簡素な絵で着用した時のイメージ図が描かれていて、飾り紐の結び方など多少の注釈も入っている。さすが挿絵師という感じだ。
「姿見はそこにあるよ。僕たちは一回外に出ているから、着替え終わったら呼んでくれ」
「分かりました」
私が服を受け取ると、スピネルもしぶしぶという表情でうなずいた。
しばらくして、着替え終わった私は恐る恐るドアの隙間から顔を覗かせた。
「…お待たせしました。着替え終わりました」
アトリエの中に戻ってきたギロルが、私を見るなり「おお!」と声を上げる。
「いいね。イメージ通りだ。素晴らしい」
スピネルもまた、「ほう」と感心したような声を出す。
用意されていた服は、豊穣の女神の衣装だった。
有名な絵画で着ているものと同じデザインで、女神像などが作られる際もだいたいこの服を着ている。
シンプルな白いドレスで肩口がかなり開いているが、イブニングドレスではこのくらいの露出も普通だ。
「豊穣の女神と言えば金髪がセオリーだけど、豊かな実りには水も欠かせないからね。君の青銀の髪もきっとよく似合うと思ったんだ」
ギロルは満足げだ。その横でスピネルが言う。
「…しかしずいぶんとまた、盛ったな」
「好きで盛ったんじゃありません。そういう指定だったんです」
私はムスッと唇を曲げた。
ギロルの描いたイメージ図には『胸には布を詰める』という注釈があり、その為の布もしっかり用意してあったのである。
まあ豊穣の女神と言えば、一般的に豊かに描かれるものなので仕方ないが。
「あとは髪型を整えて、冠を載せるだけだね。こっちへおいで」
「待て。俺がやる」
櫛を取り出したギロルをスピネルが止めた。
「君が?できるのかい?」
ギロルが少し目を丸くする。
「豊穣の女神の髪って言ったら、あの胸の前でゆるく編んでるやつだろ。あれくらいなら簡単だ」
スピネルは自信ありげだ。ギロルは軽く微笑むと、櫛をその手に渡した。
「…そうかい、じゃあ、お任せするよ。髪を結ぶリボンと冠はこれだ。その間に、僕は絵を描く準備をしておくよ」
スピネルは丁寧に私の髪を解いて梳いてゆく。
「貴方本当に何でもできますね…」
「昔、カーネリアの髪を結うのに練習したんだよ」
「カーネリア様の?」
スピネルが自分から妹の話をするのは珍しい。
「あいつちっちゃい頃に庭で遊んでる時、茂みをくぐり抜けようとして髪を引っ掛けてぐちゃぐちゃにした事があってな」
「へえ…」
カーネリア様らしいな。その様子が目に浮かぶようだ。
「このままじゃお母様に怒られるっつって泣くもんだから、俺が直したんだが…俺もその時は髪を結った事なんかなかったから、当然余計にぐちゃぐちゃになって。速攻でばれて、俺まで叱られた」
「まあ」
私は思わず吹き出してしまう。器用なスピネルでも、やはり最初は下手なものらしい。
スピネルは私の前に回ると、今度はゆるく髪を編み始めた。
「だから次からはちゃんと直せるように練習した。できるのは三つ編みとかの簡単なやつくらいだけどな」
「なるほど」
「まさかこんな所で役に立つとはな…。お前も、少しくらいできるようになった方がいいぞ。別に使用人任せでもいいんだろうが、覚えといた方が便利だろ」
「そうですね…髪って結構邪魔ですしねえ。スフェン先輩みたいに短く出来たら楽なんですが」
貴族女性ならば髪は伸ばすのが当たり前なので仕方ないのだが、やはり邪魔だ。
座る時にうっかりお尻で踏んづけてしまったりすると、引っ張られてとても痛いし。
先輩の短い髪は正直羨ましい。
「お前の髪が短くなったら殿下が泣くぞ」
「殿下が?何故?」
「そりゃ気に入ってるからに決まってるだろ。絶対そうだぞあれは。知らんけど」
「知らんけどって」
本当かなあ。確かに髪色を褒められたことはあったけど。
「実際きれいな髪だしな。…よし、できたぞ」
スピネルは三つ編みの先をリボンで結ぶと、草で編まれた冠を手に取り、私の頭に載せた。
「うん、いいんじゃないか?鏡で見てみろよ」
移動し、姿見に自分の姿を映してみる。
うーむ…髪型を変えて冠を載せたら大分それっぽくなったが、やはり似合っているかいまいち自信がない。
「お、いいね。完璧だよ。よく似合っている」
後ろから鏡を覗き込んできたギロルは微笑んで褒めてくれる。どうやらそちらの準備も終わったらしい。
大きな本棚には布が掛けられ、そのすぐ前に敷き布が敷いてあった。ここにモデルの私が立つらしい。
少し離れた所に置かれた小さな椅子は、ギロルが絵を描くためのものだろう。
「適当に休憩は挟むつもりだけど、疲れたりお手洗いに行きたい時は遠慮せずに言ってくれ。…じゃあ、裸足になって敷き布の上に上がってくれるかな」
「はい」
「斜め向きに立って、少し上を見て…うん、そうそう。で、このリンゴを持って、手はこんな感じで…」
指定された通りにポーズを取っていく。
「よし、少しそのままで」
画板を持ったギロルが、紙の上に鉛筆を走らせる音が聴こえる。
…こ、これ、想像以上にきついぞ。
同じ姿勢で動かないでいる事自体も辛いが、それよりリンゴを捧げ持った手がかなり辛い。
手がぷるぷると震えて来た所で、ギロルが声をかけてくる。
「辛かったら、リンゴを持った手はしばらく下ろしていてもいいよ」
た、助かった…。
その後何度か休憩を挟んだり、ポーズを変えたりしながらモデルを続けたのだが、スピネルはすぐに見ているのに飽きたらしく、居眠りをしたり本を読んだりしていた。
どうも例の「暁の少女と6人の騎士」のようだ。
挿絵を描いているからだろう、このアトリエにも全巻が揃っているらしい。
長めの休憩で一緒に昼食を取った時には、「意外と面白いな、あれ」とか言っていた。
そののんびりした感想にちょっとだけ恨めしくなったが、私は文句を言える立場ではない。
貴重な休日に、こうして付き合ってくれるだけ有り難いのだ。
そして夕方になり、ようやく私はモデルから解放された。
ギロルは納得の行く所まで作業が進んだらしく、満足げな様子だ。
途中で水彩絵の具を使って色を塗っていたようだが、それを元に油絵を描くつもりらしい。
「依頼の絵は、出来たらすぐに君の所に送るよ。君をモデルにした絵はもうしばらくかかると思うけど、完成したら連絡する」
「よろしくお願いします」
ギロルに頭を下げると、肩の前にある三つ編みが揺れた。服は元着ていたワンピースに着替えたが、髪は面倒なのでそのままだ。
「それじゃあ、気をつけて。レグランドによろしく」
ギロルはアトリエの外まで出て、微笑みながら私達を見送ってくれた。