世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第124話 夢と仕事

10月の最後の休日、私は殿下と共にギロルのアトリエを訪れる事になった。

私をモデルにして描いた豊穣の女神の絵画が完成したという連絡が来たからだ。

 

「こんにちは、久し振りだね。元気だったかい?」

迎えの馬車から降りて甘いマスクで微笑むレグランドに、私は淑女の礼を返す。

「はい。レグランド様も、ご壮健の様子で何よりです」

今日は護衛としてレグランドも同行してくれる事になった。殿下もいるので、近衛騎士が来てくれるというのは心強い。

スピネルももちろん一緒だし、後はテノーレンもいる。どうやらテノーレンは最近、殿下の護衛魔術師として固定されてきたようだ。

 

 

城下町へと向かう馬車の中、レグランドが私に話しかけてくる。

「ギロルの所では豊穣の女神の衣装でモデルをやったんだってね」

「はい」

「それは僕もぜひ見てみたかったなあ。そう思いませんか?王子殿下」

「ああ」

殿下は大真面目な顔で同意した。思わず焦る。

「そんな、見るほどのものでは」

「いやあ、きっと美しかっただろう。僕も一緒に行けば良かったな」

 

うーん…自分ではあんまり似合ってた気はしないんだけど。

「確かに、スピネルやギロル様は似合っていると言って下さいましたが…」

困りながらそう言うと、レグランドは興味深そうにスピネルの顔を覗き込んだ。

「へえー?そうなんだ?」

「…いや、こいつなら普通に似合うだろ、そんなの」

スピネルは仏頂面で横を向く。

何だその顔。そんな嫌そうにするくらいなら無理に褒めてくれなくていいんだが。

 

レグランドが半笑いになって肩をすくめる。

「スピネルはさ、僕にはちっとも君の話をしてくれないんだよね。カーネリアからは色々聞いてるんだけど」

「おいやめろ!」

スピネルはますます不機嫌な顔になるが、レグランドはニコニコしながらその頭をかき回した。

「お兄様に向かってその態度は良くないなあ。色々バラしちゃってもいいのかな?」

「ぐっ…!」

 

スピネルはいつも私達には年上ぶっているので、兄からこうして弄られている姿は正直面白い。

隣を見ると殿下もおかしそうにしていて、私はつい我慢できずに笑ってしまった。

「おい…」

「スピネル、八つ当たりはやめろ」

睨むスピネルを殿下が笑いながら嗜める。

「そうだよー。やめなよー」

「うっせえ!」

…やっぱりスピネルって、兄妹には弱いよな。

 

 

 

そうこうしている間にアトリエの近くまで来た。

馬車を降り、慣れた様子で狭い路地を先導するレグランドの後について行く。

すぐに特徴的な青いドアのついたアトリエが見えた。

 

「ようこそいらっしゃいました、王子殿下。お久し振りです」

私達を出迎えたギロルは、まずは殿下に向かって落ち着いた仕草で礼をした。殿下が少し眉を寄せる。

「…すまない、面識があっただろうか」

「まだ殿下がお小さい頃です。覚えていなくても無理はありません」

ギロルは微笑むと、次に私を見た。

「やあ、君のお陰で良い絵が描けたよ。ゆっくり見ていってくれ」

「はい。ありがとうございます」

 

 

アトリエの中は前回より少しだけ片付いているようだった。

中央には布が掛けられたキャンバスが置かれている。

「こちらになります」

ギロルはキャンバスの前に私達を案内すると、その布をさっと捲った。

 

「ほう…」

殿下が嘆息を漏らした。

私も少し驚く。想像していたよりずっと幻想的なタッチの絵だ。

青銀の髪をした女神が、木の枝から黄金のリンゴをもぎ取ろうとしている。

足元に伏せているのは、金色の毛並みを持つ狼だ。

背景には滝が流れ落ちる川も描かれていて、全体的に涼やかなイメージが強い。

「やはり君に似ているな。とても美しい」

「それは…、ありがとうございます」

私がお礼を言って良いものか迷ったが、とりあえず言っておいた。美しいのは絵であって私ではないんだけども…。

 

 

「豊穣の女神と言えば、果樹園や小麦畑と共に描かれるものだが…。これは今までにない、新しい豊穣の女神だな」

「ありがとうございます。王子殿下にそう言っていただけて、とても光栄です」

感心している殿下に、ギロルが深く頭を下げた。

レグランドも、どこか感慨深げな表情で絵を見つめている。

「いい絵だな。お前の理想に少し近付けたんじゃないか?」

「ああ。そうだね」

 

「理想とはなんだ?」

尋ねた殿下に、笑いながら答えたのはレグランドだ。

「こいつの初恋の相手は、あの豊穣の女神様なんですよ、殿下」

「初恋?」

女神が初恋ってなんだろう。思わず首を傾げる。

「まあ、間違ってはいないけど…。僕が絵を描き始めたのは、あの有名な『豊穣の女神とリンゴ園』の絵に感銘を受けたからなんですよ」

「ああ、なるほど。そういうことか」

王宮に飾られている、とても有名な絵画だ。

私が着た女神の衣装も、その絵の姿が元になっていたはずである。

 

「いつか、あの絵よりも美しい…僕だけの女神を描くのが、昔からの僕の夢だったんです」

「そうだったのか。…今までのお前の絵はあまりその、そういうイメージではなかったが…」

「ここ数年は、まるで違う絵ばかり描いていましたからね」

言葉を濁しつつ言った殿下に、ギロルは苦笑する。

 

「画家を志したはいいものの、最初はちっとも上手く行かなかったんです。何枚、何十枚と描いても、あの絵の美しさの足元にも及ばない。それに、女神の絵ばかり描いたところで売れはしませんでした。こんな絵は誰も求めないと、ずいぶん手厳しい事を言われたりもしましたね」

そう言って、ギロルは少し遠い目をした。

「だから、生活のために全く違う絵…大衆向けの絵、挿絵やら何やら、そういうものを描く仕事を始めました。そうしたらどうも才能があったみたいで、そっちでは評価されたんですよ」

確かに、ギロルがジャイロという名前で描いた挿絵は魅力的だった。

生き生きとして躍動感があり、登場人物それぞれの個性がよく出ている。

 

 

「どんな絵であれ、初めて評価されて僕はとても嬉しかった。描いていて楽しいと感じたし、世間での人気も出てきて、やりがいを感じました。最近はそれで満足して、このまま大衆向けの絵だけを描く絵師として生きていってもいいんじゃないかって、そう思い始めていました」

そこでギロルは言葉を切り、私の方を見た。

 

「…でも、レグランドに誘われて観に行った武芸大会で、氷狼を従える君の姿を見た時。不意に新しいイメージが閃いてね…。女神と狼、このテーマでもう一度豊穣の女神を描いてみたくなったんだ」

 

なるほど…と私は内心で腑に落ちる。

豊穣の女神は、子孫繁栄の加護を与える神としても知られている。

そして狼は群れで暮らす生き物で、自分のつがいや子供たちをとても大切にする習性がある。「家族」を象徴する獣として、家内安全や子孫繁栄の守りとされる事もあるのだ。

女神と狼という2つが、あの決勝戦の私の姿を通してギロルの中で結びついたのだろう。

 

「この絵を描いている間、とても充実していました。仕事で描く絵ももちろん充実しているし楽しいけれど、やはり僕は自分の理想を追いかけたい。どんなに遠くて苦しい道のりでも、夢を諦めたくはない。…その事を思い出せたんです」

希望に満ちた目をするギロルに、殿下は深くうなずいた。

「辛く苦しい道だと分かっていても、理想を追いたい…か。俺も同じだ。そこへ向かって努力する事を諦めたくない」

「王子殿下もですか」

「ああ。だからという訳ではないが、お前の志は素晴らしいと思う。陰ながら応援している」

「…ありがとうございます。そのお言葉を胸に、励ませていただきます」

ギロルは感じ入った様子で礼をした。

 

 

「リナーリアさんも、ありがとう。今の僕の絵はまだまだ理想には遠いけれど、君のお陰でそこに至る糸口は掴めたと思う。本当に感謝している」

「いえ、そんな…」

微笑むギロルに、恐縮を通り越して少し困ってしまう。

私はモデルをしただけだし、そもそも私のどこから豊穣の女神を連想したのかさっぱりだ。

 

「こちらこそありがとうございました。描いていただいた騎士の絵、とても喜んでもらえました」

「それは良かった。理想は理想で追っていくけれど、大衆向けの絵を描く仕事の方もちゃんとやっていくつもりなんだ。生活は大事だし、人に喜んでもらう絵を描く楽しさというのも知ったからね」

それを聞いて私は少し安心した。

ギロルの夢を応援したいと私も思うが、『ジャイロ』の絵を楽しみにしているファンだっているのだから。

 

「あの絵、本当に素晴らしかったです。表情豊かでどういう場面なのかすごく想像の膨らむ絵だと、贈った相手も言っていました。描いていただけて本当に良かったです」

絵を見て興奮していたミメットやレヴィナの姿を思い出しながら言うと、ギロルは嬉しそうに微笑んだ。

「…絵師冥利に尽きるね。本当に嬉しい言葉だよ」

それから、「そうだ」と机の方を振り返る。

「あの小説、今新刊の挿絵を描いている所なんだ。良かったら見るかい?」

「本当ですか?ぜひ」

 

 

 

描いたばかりだという数枚の挿絵と、その周辺のシーンの文章を見せてもらった。

殿下も興味があるらしく、私の隣から覗いている。

「あの油絵のタッチとはまるで違う。同一人物が描いたのだと思うと、なんだか不思議な気持ちになるな」

「そうですね。どちらもとても魅力的な絵なんですが、方向性が全く違います」

そんな事を話していると、後ろでスピネルとレグランドがギロルとぼそぼそ話している声が聴こえた。

 

「あんたの絵は良いんだが、最新作のあの本はちょっとねーわ…」

「そうか、やっぱりあれは不評かあ」

「ちょっと上級者向けだよね。好みが分かれるというか」

「一部のお客さんからは大人気なんだけどねえ、あれ」

「マジかよ」

「普通のやつばかりだとだんだん物足りなくなるらしくてね…。たまには変わり種を出した方がいいって言われて描いたものなんだよ」

「それで触手はやりすぎだろ…」

「いや僕もあまり趣味ではないんだよ。本当だよ?」

 

 

「…?」

どうやらギロルが仕事で描いた絵の話をしているようだが、職種の絵ってなんだ?

一体どんな絵なんだろうと首を傾げつつ殿下の方を見ると、殿下は一瞬でさっと目を逸らした。

「殿下?」

「なんでもない。俺は知らないし全く分からない」

「それ絶対知ってませんか?」

「知らない。ついでに言えば、君も知らなくていいと思う」

 

むう…。

何だか分からないが、殿下のことだから深いお考えがあって言っているに違いない。

「分かりました。気にしないことにします」

そう答えると、殿下はほっとした顔になった。

すごく気になるなあ…。何なんだろう?

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