世界の天秤~侯爵家の三男、なぜか侯爵令嬢に転生する   作:梅杉

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第11話 視察

私は朝から気分が浮き立っていた。

何しろ今日は、エスメラルド殿下が初めて我が領にやって来る日なのだ。

ついそわそわしてしまう私に苦笑したのは、隣に座る長兄のラズライトお兄様だ。

私より6つ上で19歳。学院卒業後、将来の領主として領で実務に携わっている。

「心配しなくても、領に入れば魔術で先触れが来るからすぐに分かるよ」

「そうなんですが…」

口ごもる私の髪を、お兄様が優しく撫でる。

ラズライトお兄様はおっとりとした優しい性格の方で、周りから口々に「母親によく似ている」と言われる私よりも、よほど母に似ていると私は思っている。

なお次兄のティロライトお兄様はお父様似の楽天家だ。今は魔術学院に在籍中なので、冬休みまでは戻ってこない。

前世では幼い頃から別々に暮らしていたので二人とも特別親しくはなかったが、今世では妹としてかなり可愛がってもらっている。

非常に照れくさいが、悪くない気持ちだった。

 

さて、なぜ殿下が我が領に来るのかというと、視察のためだ。

12歳を越えた王子は、一歩大人に近付いたとして城の外に出られる機会が増える。その最大のものが、国内を回る視察だ。

社交シーズンが終わり、貴族の大部分が各領地に帰る秋の終わり頃に王都を出て、一ヶ月ほどかけていくつかの領地を周るのが通例となっている。

エスメラルド殿下は今年で13歳、これが二度目の視察だ。

視察先はおおむね公爵領や重要性の高い侯爵領などから選ばれるので、うちのような下っ端侯爵の所に来ることは滅多にない。

通り道にあるならば一泊していくことはあるが、我が領はヘリオドール国の東端のあたりにあるので、通り道にはなりにくい。

 

ちなみになぜジャローシス侯爵が東端にあるかと言うと、魔獣への抑えのため…と言えば聞こえはいいが、まあ要するに新参なので人気のない土地をもらっただけだ。

海から大量に魔獣が湧き出す「魔獣災害」と呼ばれる現象が起きた時、真っ先に危機に晒されるのが島の端の領なのである。

また、我が家が代々水魔術を得意としているのも理由の一つだ。

人間の敵である魔獣は、海から湧いてくるくせになぜか水が苦手なのだ。

川や湖などの水場には近付きたがらないという習性があり、水が身体にかかることも嫌がる。

人が海に近づく事は禁じられているために触れたことはないが、海の水はとても塩辛いと聞くので、きっと海の水は水のように見えて全く違うものなのだろう。

その理由はわかっていないが、水の魔術は魔獣に対して有効な防御手段になるのである。

 

そんな訳で王子の視察先としては縁遠い我がジャローシス侯爵領だが、今回は殿下の「ジャローシス侯爵領の自然や生き物を見てみたい」というたっての願いで視察先の一つに入る事になった。

実は去年も希望したが却下されており、今年こそはと何とか入れてもらったらしい。

殿下からは「とても楽しみだ」という手紙が来ていて、私も「しっかり殿下にここを見ていただこう!」と気合を入れていた。

前世では5歳の時に従者として城に入り、実家には年に一度数日間ほどしか戻らなかった。だから領にはそれほどの愛着は持っていなかったのだが、リナーリアである今世ではここで育ち、王都にいる期間以外ずっとここで過ごしてきたのだ。

領内のことに関しては前世よりも詳しいし、愛着も深い。

 

 

殿下のご一行が到着したのは、夕方近くになってからだった。

馬に乗った騎士2人と、長距離用の馬車が3台。馬車はそれぞれ、王子と従者が乗っているもの、護衛が乗っているもの、その他荷物などを乗せているもの。できるだけ少人数にするため、護衛は少数精鋭だ。

道中魔獣が出没することもあるが、予め周辺の魔獣はその領の騎士たちによって減らされる。実際に通行する際も各領の騎士たちが同行するのでほぼ安全である。

 

「殿下。我がジャローシス侯爵領によくいらっしゃいました」

馬車から降りた殿下をお父様とお母様が迎え、丁寧に礼をして挨拶をする。

「うむ。しばし世話になる」

うなずいた殿下は、少し後ろにいた私と兄の元に歩み寄った。

「リナーリア、ラズライト。久しぶりだな」

「お久しぶりでございます」

まあつい1ヶ月ほど前には王都で顔を合わせていたので、言うほど久しぶりでもないのだが。

私はすでに貴族間で王子の友人として周知されていたが、今のところ特に問題にはなっていないので、城通いの頻度はそれなりに高い。

お兄様はジャローシス侯爵家の跡取りとして、幾度か王子と面識がある程度だ。

 

「明日はよろしく頼む」

「はい」

私とお兄様は声を揃えて言った。

ジャローシス侯爵領への滞在は3泊で、明々後日の朝には発つ予定だ。なので実質領内を視察して回れるのは2日間だけになる。その案内は私と兄とで行うことになっていた。

「皆様お疲れでしょうし、どうぞ中へ。短い間ですが、ごゆっくりおくつろぎ下さい」

お母様がそう言って促し、皆はジャローシス侯爵邸へと入っていった。

 

30分ほど後、私の部屋の扉がノックされた。

「失礼します」と言って入ってきたのは、私付きの使用人であるコーネルだ。

「ただいま王子殿下にお茶をお持ちしたのですが、良ければお嬢様もお部屋に来られないか?とのことです」

タイミングを見てこちらから訪問するつもりだったのだが、先に呼ばれてしまった。

ちょっと嬉しくなりながら、私は「分かりました」と言って立ち上がった。

 

「いかがですか、ジャローシス侯爵領は」

私はコーネルが淹れてくれたお茶を飲みながら尋ねた。

向かいに並んだ一人がけソファには、それぞれ殿下とスピネルが座っている。護衛は扉の外にいるので今部屋にいるのは3人だけだ。

「もっと緑にあふれているのかと思ったが、意外に岩場が多いんだな」

この屋敷に着くまで、殿下一行は道すがら軽く領内の様子を見てきている。

領の様子を再現した王都の屋敷の庭は草木が茂っていたので、ごつごつした岩山などは意外だったらしい。

「それに、本当に山から煙が出ているんだな。話には聞いていたが驚いた」

ジャローシス侯爵領には火竜山と呼ばれる火山がある。

はるか昔、古代神話王国の時代には竜が棲んでいたという山だ。いつもいくつかの噴煙が立ち上っており、時折周辺に灰が降ることもある。

竜がいた頃には大規模な噴火もあったと言われているが、ここ数千年はわずかに噴石が落ちる程度のごく小規模な噴火しか起こしていないらしい。だからここには人が住めているのだ。

 

「火竜が死ぬ間際に、あの山の奥深くに決して消えぬ炎を放ったのだという言い伝えがあります。あの煙はその炎が噴き出ているものだと。また、その炎が地の下を伝うためにこのあたりには温泉が多いのだとも言われています」

「火竜の伝説だな。俺も読んだことがある」

火竜の伝説は、この国ではメジャーなおとぎ話の一つだ。

人々を殺戮し苦しめる邪悪な火竜が、あらゆるものを貫く光を放つという魔剣を持った剣士に退治される物語。

しかし、火竜は死の間際に山の奥深くへと炎を吐き、さらにこの島を囲む海へと呪いを撒き散らした。そのため、海から魔獣が現れるようになったのだ…というお話だ。

昔、竜と呼ばれた生き物があの山にいたことはどうやら事実らしいが、魔剣だの呪いだのについては分からない。

 

「明日は火竜山の麓にもご案内する予定です。足だけですが、湯に浸かれる温泉もありますので楽しみにしていて下さい」

「地面から湯が出るなんて不思議だな。風呂を沸かす手間が省けそうだ」

そう言ったのはスピネルだ。

お前は風呂なんて沸かした事ないだろう。私もないが。

「言っておきますけど、そこらで温泉を見かけても飛び込んだりしないで下さいよ。毒が混じっている場合もありますし、人が触れられる温度のものは極稀で、大抵はすごく熱いんです。身体が溶けても知りませんよ」

「しねーよ。お前じゃあるまいし」

「は?なぜ私が?」

「お前ならやりかねない」

「するか!」

 

「大丈夫だ、リナーリア、スピネル」

私達のやり取りを横で聞いていた殿下がうなずいた。

「もしお前達が飛び込んで溶けたとしても、ちゃんと俺が助けて骨を拾おう」

「いや死んでるよなそれ!?」

「いや死んでますよねそれ!?」

私とスピネルの声が重なった。

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